はてなキーワード: 性的マイノリティとは
答えになっているかどうか微妙ですが・・・誤字脱字で書き散らしですみません。
40代後半のゲイです。一意見として読んで頂けたら嬉しいです。
「ラーメンズ」が好きです。アメリカドラマの「クローザー」が好きです。
単発の2016年物を当時見て、2018年物をアマゾンでさっき見ました。
日本のドラマはほぼ見たことがありません。テレビ自体も実は30年近くほぼ見ませんでした。
アメリカのドラマがクオリティが高いのとマイノリティに対する態勢が違うのでやはり
日本に漫画があるようにアメリカのドラマの裾野の広さはすごいです。
ジョークセンス、マイノリティに対する姿勢、作品のクリエイティブ度、それらのバランス。
2016年版では薄かったマイノリティに対する配慮はすごく感じました。
大多数がそーだよな。そーなるよな。と納得できるリアルさ。
おっさんずラブのレビューでも男性の絶賛レビューに枕詞のようにつく、
これがリアルな状況なんです。自分が同性愛者だと思われては困ると言う事。
それが、同性愛者の人を傷つけていると気が付いたと、コメントされています。
余談ですが、
同性愛に対する嫌悪感の一部分は、近親者同士の恋愛の嫌悪感に近いと思っています。
いけない事と言う感覚。
しかしこの感覚は実は曖昧だと思います。国や地域や宗教によって、ずいぶん変わります。
実際に血縁者でも事実を知らなければ、恋愛に落ちることもあるでしょう。
社会的な原因での嫌悪感は存在すると思います。もちろん、それで全て説明はできません。
例えば、なぜ私個人が女性との性的関係に嫌悪感を感じてしまうか?など。
ただ映像で異性愛者同士の性的なシーンを見ても嫌悪感は感じないんです。
これは本当にすごいことです。時代ですね。
多くのゲイがBLに対して思う「性的指向は変化しない」と言う思い。
しかし性的指向も100%変化しないものではないし、かつ恋愛と性的指向の関係も完全ではないです。
ずっと一緒にいたい=結婚したい!って話なら性的指向だけで決定するものでもないでしょうし。
ただこの問題はちょっと複雑なんです。性的マイノリティの辛さの原因の一つは、
当事者は、
時代とともに変わりますし、結果、失敗(自己否定)に終わる考察もあります。
色々な経験をして性的マイノリティ―と言う特徴が自分の全てではないと思った時期
当事者が今、どのような考え方なのかによって作品に対する評価も相当変わるでしょう。
この番組の当事者のメリットとデメリットで考えると、断然メリットが上回っていると思います。
ハッピーエンドで終わったこと。春田と牧がゴールだったことは大きいと思います。
あり得ない!っていう評価は、フィクションにたいしてナンセンス。
視聴者が、制作者の誘導に納得した作りで、かつ、ゴールが異性愛者同士じゃなかったのは感動しました。
箇条書きに他に気になったところをあげます。
(ジョークとしては品がない、まぁ結果的に想像も及ばない破壊神にやられてしまうわけですが)
黒沢部長の盗撮とパワハラとセクハラ(面白さとトレードオフですかねぇこの作品の掴みの肝ですから)
黒沢部長の恋がコメディリリーフ過ぎた・・・可愛そうな終わり方だったです。
でも、もっとコメディとして突き抜けてほしかったし・・・(笑)
武川正宗のトイレの視線(ちよっと偏見がきついですね、犯罪ですから・・・)
ロリでと言うセリフ(ロリの定義も含めて小児性愛者の問題は難しいです。)
上記の問題点もアメリカのドラマであれば、もっと突き抜けたジョークになりますし、
ポリティカルコレクトをしっかり守りつつ、フォローもちゃんとします。時勢に合わせてですけど。
それでも、おっさんずラブは、今までの日本のゲイ関係のドラマと比べて突き抜けたと思います。
偶然もあると思ってます。でも、ゲイを一つの設定として使い、純愛を描いた。
約40年前の漫画作品で竹宮恵子さん作の「風と木の詩」があります。
「つながりへの希求、他者による自己肯定の欲求」が少女漫画の「根底のテーマ」
拒否される愛としての少年愛は、「それ」を見つめることを可能とした。
究極のつながりとは何か?という純粋な関係性のみを問題視しえた。とおっしゃっています。
「おっさんずラブ」とゆうモダンホラー風の喜劇の中で使われました。大成功だと思います。(笑)
BL、やおい、少年愛、長く受け継がれ蓄積した少女漫画の資産。
それによって受け取り側が大きく変わったこと。
制作者側がどれほど意識したかは確かに微妙です。細かい設定では矛盾や無理解もあります。
ゲイの話とかじゃなく純愛なんです!(ゲイはマイナス要素だけど、いい話という理論)
だけではなく、
NHKの「弟の夫」は素晴らしい作品でした。感動して死ぬほど泣きました。
でも、異性愛者にとっては?と考えると、おっさんずラブは、エンターテイメントとして秀逸。
がゆえにゲイ要素のある作品が大勢の人に評価される。大事な事だと思います。橋渡しとして。
脚本家の素晴らしいセンス、それを映像化できる俳優を含めた優秀なスタッフ。
1つだけ。作中の音楽が好みではありませんでした。
テーマ曲の2曲は良かったんです。それ以外が一貫性がないと言うか・・・
当初、小児性愛者に関する記述に思慮が足らずいい加減な書き方をしてしまいました。
「小児性愛者関連はちょっと・・・」はあまりに言葉足らずでした。すみません。
読んで頂いてありがとうございます。
28歳女性、徐々に友人知人の結婚・出産の報告が増えてくるお年頃。私はアセクシャルという言葉に出会った。自分のことかもしれないと思った。
私は今まで恋をしたことがない。気になる人にも出会ったことはない。
ありがたいことにモテないほうではないが、恋愛の目で見られるのが嫌いなので、そういう異性とは距離を置くことが常だ。
猛アタックされてお付き合いしたことはあったが、「付き合ってるうちに好きになるかなー」なんて思ったものの全然そんなことなかった。むしろキスを迫られたり手を繋ごうとしてきたりするのが嫌で、今まで以上に接触が怖くなって別れた。
あまりに恋をしないので実は女の子が好きなんじゃないかと考えたこともあったが、これも全然そんなことなかった。女友達は多いが、一緒にお風呂入ってもお泊りしても何かを感じたことは一瞬たりともない。
映画や漫画も恋愛ものは好きじゃない。ていうかキスシーンとかセックスシーンとか視界に入れたくない。少女漫画とエロ漫画は基本的に何言ってるかわからない。
精神年齢が異様に幼いんだと思ってたけど、アセクシャルという概念があるのなら精神年齢の問題じゃなくそういう人格なのかもしれないと思った。
私は焦っている。彼氏ができないから焦っているのではない。親族からは結婚とか期待されてるし、友人知人からも色々言われる。だから「彼氏作らなきゃ」とは思うが、本気で作る気になれない(というかむしろ作りたくなくて距離をおいてしまう)自分の心境に焦りを感じている。
私はそもそも恋愛できないやばいやつなんだろうか。それとも出遅れ行き遅れのやばいやつなんだろうか。そもそも恋愛したことないってやばいんだろうか。恋愛もセックスもしないで普通に幸せに生きられるならそれが一番いいんだけどな。
なんなんだ、私はなんなんだ。どうすればいいんだ。
まず、保守主義(conservatism)って言葉の意味がイギリスとアメリカと日本じゃそれぞれ違うし、アメリカと日本に限っても保守か否か=右派か左派かという問題が、政治の場では実質共和党か民主党かという問題に落としこまれるアメリカと、与野党支持に落としこまれる日本では問題の粒度が違ってる。
日本では左派でもどの政党を支持するかって問題が存在してる。この辺は二大政党制と他党制(の中でも一党優位制)の違いにより生まれるもの。
さらには「左派」と「左翼」って厳密には全く異なる話で(って程度のことはWikipediaの概要ページ読むだけでも簡単にわかる)、左派だからって左翼ではないし、左翼とか右翼が意味するところが共産主義か国粋主義かってニュアンスが含まれるか含まれないかって話もある。そこでもってアメリカと日本では、政治的論点がまったくずれてくる。
人種差別問題のあり方、性的マイノリティの立場、女性蔑視問題。隣の国との政治問題。移民の話の危機感もそう。そもそもの論点の有無でいえば、銃規制の話は日本にはないし、在日中国・朝鮮人の話はややこしいよね。そういったものが渾然一体となっているので、ある立場では左派的だけど、ある立場では保守的なんてことは容易にありうる。
つまり、おまえが「定義の問題」って言ってるその「定義」は真面目に語ろうとすると大学でも卒論書ける程度には複雑な問題なんですよ。そこをすっとばして「左派」とも「左翼」とも「リベラル」とも書かずに、俗な用法ではリベラルに対する揶揄のニュアンスすら含む「サヨク」って言葉を使う時点で、政治に対する知識かないか、言葉の使い方に対するスタンスがあまりにも甘い。
政治の話題で「わかりやすくするためになにかを雑にラベリングする」のって争いのもとにしかならないんですよ。この元増田みたいに。ポリティカルコレクトネスをポリコレって略すだけで揶揄的かどうかみたいな話すら生まれる世界でそれやっちゃだめですよ。
ポリコレの抑圧性とそのバックラッシュって話題はマジで重要だし真面目に語るべき問題なんだから、わざわざ増田自身が争いのためまいてどうするの。
https://theriver.jp/asia-argento-sexual-abuse/
しかし事態は穏やかではなく、ローズ氏のコメントに対して、同性愛者として性的マイノリティを支援する運動を行っている俳優のハリー・クック氏は「どうして落ち着かなきゃいけない? 彼女(アーシア氏)が女性であなたの友人だから?」との声をあげた。また今回の報道を受け、ハーヴェイ・ワインスタイン氏の弁護士であるベンジャミン・ブラフマン氏も声明を発表。「最もひどいのは、アーシアが自分の性暴力についてひっそりと和解している最中も、ワインスタインを非難する最前線にいたことだ」、「とんでもない偽善である」と断じたうえ、「(アーシア氏と)ワインスタイン氏の性的関係は合意のものだった」との主張も織り込んだ。
そりゃ、そう言われても仕方ないよな。
https://jp.surveymonkey.com/r/lgbtcareersupport
自分は人を雇う側だけど、雇う人がLGBTだろうが男だろうが女だろうが、どーでもよくない?
ゲイバーの店員募集なら、ゲイであることが条件なのはわかるよ。
でも、事務でも、アパレル店員でも、エンジニアでも、営業でも、土方でも、性的志向が関係ある職場・職業なんてほとんどないでしょ…
そうやって区別して何がしたいの?
ま、このアンケートは「LGBTの人は就業に困難を感じている。多様性をみとめて配慮すべき。」という結論をだしたいという意図が見え見えなわけだが。
要約を最下部に載せています。全文読んでない方は要約も見て下さい。
A)そもそも日本は古来から同性愛に寛容だが、欧米は同性愛者が迫害されてきた。社会構造が違うのに、欧米的な多様性を容認していく流れを見習うべきという論調が目立つ。
B)多様性に寛容になり様々な性的指向を認めていくと際限がなくなる。「常識」や「普通であること」を見失うと秩序が保てない。
C)多様性に肯定的な報道はそれを助長することになりかねない。
以上が主な主張だ。反論は下記。
a)日本はLGBTに寛容という点は、男色の文化があるし同意できる部分もあるが、杉田氏自身が示した朝日新聞の記事( https://digital.asahi.com/articles/ASL3K32F4L3KUBQU002.html )に「『周りの人の多くは性的少数者に偏見を持っていると思う』と回答したのは、性的少数者層の当事者の48%に上った。」「性的指向や性自認に関する言葉の嫌がらせを受けたことがあるのは、非当事者の10%に対し当事者は29%。」とある。これで、寛容といえるのだろうか。
b)際限がなくなる危惧は理解するが、現状では際限をなくしたい訳ではない。いままで「常識」や「普通であること」の外にいる人も包摂した社会にしたい。それまで中にいた人にとっては苦痛だろうが、心の中まで犯そうとは思っていない。男と男が手をつないでいて違和感を感じたとしても、その違和感自体は否定しない(違和感がないことは理想だが)。ただ、その人たちも同じ日本に暮らす仲間として受け入れ、そういうパートナーシップがあることを理解し、異性愛者と同様の社会制度を作って欲しい。
c)肯定的報道が際限のない多様性に拍車をかけているという因果関係を具体的に示していないので、報道云々の箇所は論拠を示して下さいとしか言えない。(そもそも、多様性は既に現に「ある」のに、どう広げるというのだ)
以上。
この文章が置かれている文脈では、議論が右往左往しているので掴みにくいが、概ね下記の主張だろう。
→親は自分の子供が同性愛者だと孫ができないのでショックを受ける
→親の無理解がクリアできれば、だいぶ「生きづらさ」は解決する
→そもそも社会は「生きづらい」のにリベラルなメディアは社会制度のせいにする
→しかし、LGBTは子供をつくらないのに税金を投入すべきか疑問だ
たしかに、少子化対策の枠でLGBT支援をするのは難がある。だが、全ての予算は「子供をつくる」ためにある訳ではない。「生産性」を広い意味で捉えたとしても、すべての税金の使いみちが「生産性」を追い求めるべきなのか。であるなら、クールジャパンファンドの赤字を、ぜひとも批判してほしい。
なお、エッセイ後半の多様性容認のくだりをみるに、彼女が指す「LGBT」支援とは、カップルに関することだけではなく、学校においてトランスセクシャル向けのトイレや制服を作ることも含まれていると思わる。性的マイノリティが暮らしやすく、「自分らしい」生き方ができる社会を整備することは充分に税金の効果はあると思うが、そうした整備にも税金を使うことが躊躇われるようだ。
それは同性愛者だったということであり、「これでいいんだ」と思えたなら、素晴らしいことではないか。
同性愛になるか異性愛になるかは、人にどうこう言われて変わるものではない。
杉田氏は『成長するにつれ男性と恋愛して、普通に結婚していった』と述べてる。つまり、異性と恋愛せず結婚しない同性愛者は「普通ではない」というのだ。
一方、エッセイの最後で『「常識」や「普通であること」を見失っていく社会は「秩序」がなくなり、いずれ崩壊していく』とも書いてある。
『「普通であること」を見失っていく』の主語が社会と捉えるにせよ、その発端は「普通でない」同性愛者である。
杉田氏は、同性愛者に対して「あなたの存在は秩序を崩壊させる」と言っているのだ。
これが差別以外のなんなのか。
文科省は通知を出していて「好きな性別のトイレを使っていい」という指針にはなっていない。
トイレは多目的トイレや職員用トイレ、更衣は保健室や多目的トイレを利用することを推奨している。
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/28/04/__icsFiles/afieldfile/2016/04/01/1369211_01.pdf
私はLGBT当事者ではない。同性とセックスすることはあるが、あくまで性欲に紐づくものであって、愛に紐づくものではない。なので、基本的にはストレートだと自認している。
従来の「ふつう」以外も認めて欲しい。そして、「ふつう」以外の人も包摂する社会制度を再設計したい。
もちろん、いままでの「ふつう」を崩すとどこまで崩すのか、と不安になる気持ちは理解できる。
私は、他人に深刻な不利益をもたらさない限りで、かつ、従来の根本的枠組(人の定義etc.)の延長で、最大限の多様性を許容する社会制度。
また、「同性を好きになったり、同性とセックスするヤツは気持ち悪い」と思うのを止めたい訳ではない。思うのは無意識化だから仕方がないことだ。
それを個人的な感情にも関わらず「ふつう」という、さも一般化した言葉に置き換えるのをやめて欲しい。
杉田氏や反LGBTの人も含めた、すべての人が最大限の幸福を得られる社会になってほしいと心から願っている。
・LGBTで各新聞をキーワード検索したところ、朝日新聞・毎日新聞の記事数が多い傾向があった。この2紙はリベラル系でありLGBTの権利を認めて支援する動きを報道することが好きなようだが、違和感がある。背後には権利を守ることに加えて、LGBTへの差別をなくし、その生きづらさを解消してあげよう、そして多様な生き方を認めてあげようという考え方が伺える。
・しかし、LGBTだからといって実際に差別されているか疑問だ。私は自分の友人が同性愛者でも気にしないし、職場でも仕事さえできれば問題ない。多くの日本人も同様ではないか。
・キリスト教・イスラム教の社会は、教義によって迫害されたり命に関わる問題にもなっていた。一方で、日本には同性愛者を「非国民だ!」という風潮はないし、迫害の歴史もない。むしろ寛容な社会だった。欧米と日本では社会構造が違うのに、日本のマスメディアは欧米を見習うべきという論調が目立つ。
・LGBTの当事者から聞くと、親に理解してもらえないことの方が社会的な差別よりつらいという。親は自分の子供が自分と同じように結婚して、子供をもうけてくれると信じているから、それができない同性愛者だと分かるとショックを受ける。LGBTの両親が受け入れてくれれば、日本はかなり生きやすい社会になるのではないか。しかし、これは制度を変えれば解決できるものではない。
・リベラルなメディアは「生きづらさ」を社会制度のせいにする。しかし、そもそも世の中は生きづらく、理不尽である。これを自分の力で乗り越える力をつけさせることが教育の目的のはずだ。「生きづらさ」を行政が解決するのが悪いことではないが、動くには税金が必要である。
・例えば、子育て支援や子供ができなカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分がある。しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものなのか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がない。そこに税金を投入することが果たしていいことなのか。にもかかわらず、行政がLGBTに関する条例や要項を発表するたびにもてはやすマスコミがいるから、政治家が人気とり政策になると勘違いしてしまうのです。
・ここまでLGBTという表現を使ってきたがLGBと、Tは分けるべきだ。トランスジェンダーは「性同一性障害」とい障害であり、自分の脳が認識している性と自分の体が一致しないというのは辛いだろう。政治家として、医療行為を充実させることは考えていいことかもしれない。
・私は中高一貫の女子校出身だ。女子校では、同性の同級生や先輩が疑似恋愛の対象となるが、それは一過性で、成長するにつれ男性と恋愛して、普通に結婚していった。しかし、マスメディアが「多様性の時代だから同性を好きになってもいい」と報道したら、普通に恋愛して結婚できる人まで、「これ(同性愛)でいいんだ」と、不幸な人を増やすことにつながりかねない。
・朝日新聞の調査でLGBTが281人、自分が男女いずれでもないと感じるXジェンダーが508人、性自認や性的指向が定まっていないQ(uestioning)が、214人いた。合わせて1003人にもなる。LGBTと世間が騒ぐから「男か女かわかりません」という高校生が出てくる。また、思春期だから、社会の枠組みへの抵抗もあるだろう。(記事:https://digital.asahi.com/articles/ASL3K32F4L3KUBQU002.html)
・多様な性に対応するために、自分の認識している性にあわせて自由に制服が選択できることに肯定的な報道をよく目にする。例えば朝日の記事で「多様性、選べる制服」。また、オバマ政権下では公立学校において、自分の認識した性に応じて更衣室を使えるように通達を出した。果たして、それはいいことなのか。Tに適用されたら、LやGにも適用される可能性だってある。自分の好きな性別のトイレに誰もが入れるようになったら、世の中は大混乱する。(記事:https://withnews.jp/article/f0180330006qq000000000000000G00110601qq000017068A)
・最近はLGBTに加えて、QやIやPなど訳が分からない。なぜ、男と女の2つではいけないのか。パスポートの性別欄に男でも女でもない「X」と記載できる国がある。タイでは18種類の性別があるというし、Facebookでは58種類の性別が用意されている。冗談のようなことが本当に起きているのだ。
・様々な性的指向も認めたら、同性婚の容認だけにとどまらず、例えば兄弟婚や親子婚、はたまた、ペット婚、機械と結婚させろという声が出てくるかもしれない。どんどん例外を認めると、歯止めが効かなくなる。
・「LGBT」を取り上げる報道は、こうした傾向を助長させることにもなりかねない。朝日新聞が「LGBT」は、冷静に批判してしかるべきではないかと思う。「常識」や「普通であること」を見失っていく社会は「秩序」がなくなり、いずれ崩壊していく。私は日本をそうした社会にしたくない。
LGBTなんていう、4つもの性的マイノリティを含む言葉を安易に使ったせいで,
なんていう支離滅裂な主張をすることになる。この主張がどんだけ支離滅裂かを説明するよ。
まず、現状でも手術して戸籍も変更したTは異性婚できる。もちろん子供はできないから「空振り前提」なのは戸籍見れば明白だけど、Tを含まないカップルと同様に税制や保険面とかでは優遇される。
そして、Bは異性婚できるし、その場合は子供も作れる。Bが結婚しても「空振り前提」なんて決まってないわけだ。
Gは自力では子供作れないけど、養子を育てるとかは可能だね(同性婚したBやLも同様)。
ここはね、「同性婚」だけに反対しておけば、まだ筋は通ったんだよ。精子バンクとか養子は例外、みたいにいえたから。でも、わざわざTとBを含めちゃったから増田が何も考えてないことがばれちゃった。(ちなみに元増田はLGBTという言葉は使ってないし、なんなら同性婚を認めよとすら主張してないから、これは完全に増田の自爆なんだな)
俺は手帳持ちの発達障害でなんとか働いてるけれど、やはり社会に居場所がなかった。
だから最初は当事者会のようなところに参加していたのだけれど、主催者の参加費横領などのトラブルが続いたため距離を置くことにした。
その後今度は働く障害者の集まりのようなところに参加したのだけれど、いろいろとつらかった。
なにもかも相対的に障害が軽い俺にあらゆる負担がのしかかるような場所だった、とだけ書いておく。
いろいろやって気づいたことがあるんだけれど、一番きつかったのは軽度の知的障害を伴った発達障害者と関わることだった。
そしてその根底には自分自身にある知的障害者への差別心があるのではないかとも思っている。
自分も障害者という枠組みの中では何も変わらないのに、それこそ例の増田のような「俺はそいつらとは違う」という気持ちがあるのは否定できない…
LGBTにも他の性的倒錯者を差別する気持ちがあるように、似たカテゴリにいても差別心というのはどうしても出てきてしまうのだろうな。
性的マイノリティにしても障害者にしても聖人ではなく好悪の感情があり、苦手なものを好きになることは無理なのだろうとも思う。
その事実を認識しなければ今回逃げ出した増田のやりとりのようにお互いが不幸になるだけだ。
今は福祉とは関係の無い、人の集まるイベントや集まりに参加することにしている。
自分の障害の話はしない。いきなり「自分は発達障害者なので」なんてカミングアウトして困惑しない人間はいないだろうし。(当たり前だ)
それ、他の性的マイノリティに同じこと言える?
Mastodonを代表とするOStatus・Activity Pubプロトコル※1を採用するが2018/07/13現在の日本のインターネット上で最もリベラリズムとして先進的なSNSであるというと驚くユーザもまだまだ多いのではないか?と思う。
OStatus・Activity PubプロトコルはSNSサービスの民主的な分散化ばかり注目されるが、OStatus・Activity Pubプロトコルの本質は「ユーザ自身が取得する情報を選択する」ことにある。
1つの組織による管理された中央集権の従来型SNSでは、ユーザが得られる情報は検閲されるリスクがあり、真の意味でユーザが情報の取捨選択をするのが難しかった。
そこでSNSサービスのオープンソース化と分散化によって、ユーザによるより自由な情報の取捨選択を実現したのがOStatus・Activity Pubプロトコル周辺の動きである。
特にTwitterをリスペクトしたGNU social、GNU socialをリスペクトしたMastodonは、Twitterで問題視されてきた「見たくない情報への対策」へ対して、より効果的なアプローチを提供した。
日本人はmixiに端を発する様々なSNSを約15年間使い続けて「交友関係を結ぶ・結ばないに関わらずインターネット上であってもコミュニティへ所属すると人間関係の摩擦が起きる」ことや「氾濫する情報を処理しきれない」ことに気付いた。
それはTwitterでブロックやミュートなどの行動へ現れ、情報の取捨選択を始めるものの、それらは零れ落ちてしまう多くの必要な情報との引き換えであった。
OStatus・Activity Pubプロトコルはオープンソースとして個人が自由にSNSインスタンスを立ち上げ、個人自身と属性の近いユーザと共にSNSを活用することにした(例えそれが1人であっても良い)。
前提条件として親しいユーザ属性を選択することによってフィルタリングコストの最小化を目指したのである。
ただこれは誰もが想像付くように、特定のSNSインスタンスへ所属する母数は中央集権の従来型SNSと比較して激減してしまい零れ落ちてしまう必要な情報を得られにくくなってしまう。
そこでOStatus・Activity Pubプロトコルは相互に接続し「インスタンス連合」を形成することによって、絶対的な母数の少なさを補うこととした。
このようにしてOStatus・Activity Pubプロトコルのコンセプトは完成した。以下にMastodonを例にして3種類存在するタイムラインについて解説する。
ユーザ自身の投稿とフォロー/リモートフォロー※2したユーザの投稿が表示されるタイムライン。
つまり、ユーザ自身の投稿とユーザ自身の興味によって形成されるタイムライン。
ユーザ自身の取捨選択によって見たいものが見れて見たくないものを見なくて済むタイムラインである。
現在ログインしているインスタンスの全ユーザの投稿が表示されるタイムライン。
つまり、ユーザ自身の投稿と現在ログインしているインスタンスの全ユーザの投稿によって形成されるタイムライン。
親しいユーザ属性同士で形成されているインスタンスであればフィルタリングの必要性を最小化できるタイムラインである。
現在ログインしているインスタンスの全ユーザの投稿と、現在ログインしている全ユーザのフォロー/リモートフォローしたユーザの投稿が表示されるタイムライン。
つまり、現在ログインしているインスタンスの全ユーザの投稿と、現在ログインしているインスタンスの全ユーザの興味によって形成されるタイムラインである。
現在ログインしているインスタンス以外のユーザの投稿が表示されるためフィルタリングの必要性はローカルタイムラインより高くなるが、表示される投稿は現在ログインしているインスタンスの全ユーザの興味の対象であるため趣味趣向に合わなすぎる投稿が表示される可能性はそこまで高くない。
昨今の日本のリベラリズムではセーフスピーチばかりが持て囃され、あまつさえそれを他者に強要し、リベラリズムの「個人などが自由に判断し決定する事が可能であり自己決定権を持つ」というコンセプトとは逆行する、自身がセーフの判断をするのではなく、他者がスピーチを遮るブロックスピーチ的な言説が目立ちすぎる。
Mastodonはインスタンス毎にルールがあり、例えばその特定のMastodonインスタンスが(法令の範囲内で)差別や倫理に関わる投稿ですら許容するというフリースピーチルールを掲げていれば、それはそのMastodonインスタンス内では正義であり、他のMastodonインスタンスのルールと逆行していようが他のインスタンスのルールを変えられる権利はない。
そのルールが気に食わなければユーザが単独でブロックするか、所属するMastodonインスタンスが連合を解除するという権利を行使できるだけなのだ。
国粋主義的な投稿だろうが、暴力革命の必要性を考慮する投稿だろうが、下劣なセクハラ投稿であろうが、非ジェンダーな投稿であろうが、性的マイノリティをキモいと言う投稿だろうが個々のMastodonインスタンスによって正義にもなれば悪にもなる自由裁量権があるSNSこそリベラルと言って良いはずだ。
そしてそれが出来るのがアーリアダプター達に現在注目されているMastodonを含むOStatus・Activity Pubプロトコルを採用するSNSなのだ。
※1 OStatus・Activity Pubプロトコルを採用するSNSはMastodonだけでなく、GNU socialやHubzilla、Pleroma、Misskeyなどよりもっと多くのSNSが存在する。別のSNSであってもOStatus・Activity Pubプロトコルを採用していれば相互接続できる。
※2 フォローとは現在ログインしているインスタンスに登録しているユーザをフォローすること。リモートフォローとは現在ログインしているインスタンス以外に登録しているユーザをフォローすること。
俺は二次ロリが主食で、特に腐女子もそのアンチもウォッチしていないにも関わらず、
腐女子をやたら貶す男オタクと男のロリオタと比べてSNSで屈託なく欲望をぶち撒けられず自粛を強いられる境遇を嘆く腐女子が目に入るので、ネットでは相当に強い傾向のようだ。
俺はBLに興味の無い非腐男子だが、いっそ世の女性すべてが腐女子になっても良いと考えている。
二次ロリが許されない世界では、非当事者(ほとんどがヘテロ女性)が性的マイノリティ(ゲイ)を面白おかしく消費するBLはたとえ非エロでも許されないだろう。
もちろんその逆もしかり。
BL愛好者と二次ロリ愛好者は共に「寛容」な世界を望む「同志(中国でゲイの隠語になっているとか)」だ。
こういう考えの男オタクもいるということが腐女子の方々の僅かばかりの慰めになれば良いと思うし、
もし腐女子を叩いている男オタク諸兄に届いたのなら、腐女子が増えて世間で大手を振って歩くようになった方が俺たち二次元エロ大好きオタクも生きやすくなるという「戦略的思考」を採用していただいて、
好きな漫画のキャラを勝手にホモ扱いするBLへ嫌悪感を抱くこと自体は否定しないので、腐女子への反応を攻撃から完全な無視に切り替えてくれれば良いなと思う。
人様の言葉な上に、魔女集会タグ騒動の話だから腐女子じゃなくて夢女子寄りの話題で恐縮だけど、まさにこれ。
はてなブックマーク - フィクションの薄暗い欲求を現実に持ち込まないために - libsy
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/libsy.net/blog/1034
SweetGiraffe この手の『女性の下卑た欲望』が可視化されると、女性向けコンテンツを守らねば、って文脈経由で表現の自由が守られるようになるので好ましい動きだと思ってる