はてなキーワード: 徴収とは
タイトルで労働者としたのは派遣なのかどうかさえ分からないからだ。
センター試験の時に試験官をリストラされたおっさんじゃないかとわらったツイートが流れてきたけど、
模試や各種検定試験の試験官に日雇いの例外(副業)として試験官や会場運営を募集しているからそのあたり知らない若い世代が思いそうな内容だと思った。
なぜ雇用形態を疑問に思ったのかというと現場の指示系統が滅茶苦茶だったから。
派遣先がA社だとおもったらB社に派遣されていてA社で作業という状態だった。
派遣会社C社に連絡しても増員も何もなし。
これ偽装請負なんじゃないかと調べ始めたら派遣でさえもないのでは、と。
法に抵触しているかはグレー(そもそも契約書をもらったことがない)で、
平日8時間(以上)働いていているが31日未満毎に契約更新なり別契約ならば問題にならないし、
日々紹介というグレーだったのかも知れない。
普通に雇用保険を納めていた期間は時効(2年以上前のため)で失業給付もあてにできない。
ちなみに派遣登録を断ってきたD社に個人情報漏れているらしく、
社労士の資格持っているのフミコフミオ(id:Delete_All)さんだっけ?斗比主(id:topisyu)さんだっけ。
どこに、なにを、どう訴えたらいいのか教えてほしい。それさえも分からないし辛い。
「その場合、相手は自分が攻撃するのに都合が良い属性を持つ人間であると決めつける。
と言う典型例で笑った。
反論できない、或いは反論するのが面倒ならスルーすりゃいいのに、他人に噛みつかなければ気が済まないのはどちらなんだか。
と言う辺り、夫の事は嫌いだし信用してもいない人のようだ。
そりゃあそれなら「専業主婦になる=嫌いかつ信用ならない人間の経済力に依存する」となるのでそんな事は考えられないだろう。
更に子供がいるようだけど、学費以外の親の役割について全く触れていない辺り育児への関心は薄そうだし
と、わざわざ「デス!」などと付け加えて揶揄する意地の悪い書き方をしたがる辺り、
よほどその考え方を認めたくないか、そういう考え方をする人を見下している人のようだ。
つまり本人が個人的に「子供と一緒にいるより仕事をする方が価値がある」と考えているだけではなく
「『仕事をするより子供と一緒にいる方が価値がある』と言う考え方をする人間には価値がない」と素で思っているんだろう。
となると「夫は嫌いだし信用もしていない」「子供より仕事の方が価値がある」と考える人が
まあ、答えちゃくれないんだろうけど。
「専業主婦」ではなく「夫を信頼している女性」「仕事より子供に価値を感じている女性」の存在ではないか。
ついでに人格攻撃を続けると、
「母親が子供(元増田)より仕事が大事な人だったから、その母親の価値観の影響を受けているのか」
と思える。
さんざん話尽くされたことだろうが、やはりどうしても分からない。
30~40代専業主婦で、「子供と一緒にいたいから専業デス!」という人がたまにいるけどあれ何?
たとえば二人目できて、夫が「今度は自分が子供と一緒にいたいから仕事やめるわ」という選択肢は
実質的にあり得ないわけで、それは非常に偏っているように思う。
専業さんたちがよく言うように、育児は敬意を払われるべき立派な仕事、というなら、
逆に共働きなら、男性育休で女性が外で働くのもありえる話だし、産褥期の1~2ヶ月の男性育休は身近ではよく聞く)。
小町だったら、不労所得があるから、がテンプレだけど現実そんな人は殆どいないわけで…。
他人のお金でホテルランチしたりバックを買ったりすることへの抵抗感がある。
そういう意味では「夫の働きが良ければ共働きしてないよ」という女性の言説も全く理解できない。
逆に小町的な、自分名義の不労所得があっての事なら全く抵抗ない。むしろうらやましい。
筋金入りの非モテ人生で、男からちやほやされたことが無いからかもしれない。
おごってもらって当たり前になるとまた違うんだろうか。
ワーママで定年まで勤め上げた母に、経済的に自立しろと暗示をかけられてたのかも。
逆に、女性に財布を丸々任せて平気な男性については、あれは妻をお母さんだと思っていると理解している。
お母さんに任せればうまくやってくれる、と云う事だろう。
老後は別の人生を送るつもりなのでまあ困っても自業自得なので放置している。
そうすると、専業主婦も、夫をお父さんだと思っているということなのか…?ちょっと違う気がする。
なお、いい加減な保育政策のしわ寄せとか、ブラックな労働環境のせいで働き続けられない人には多いに同情しています。
あくまで望んで専業してる人の話。
補足です。
ここで言ってる男性の育児は、土日のお手伝いレベルではなく24時間週7日がっつり育児することです。共働き片働きに関わらずもちろん男性も親の務めは果たすべき。
お金は無いわけじゃないから払える。けど、払いたくない。その選択をする権利がこちらにないことがすごく納得がいかない。
健康保険は、利用する場面は確実にあるしその状況によっては莫大な治療費が発生することもあるので仕組みとしては必要だと思うし、ちゃんと欠かさず払っている。けど、ここ10年くらいで、保険適用で支払いが軽減された額と実際に納付した額を比較すると、実際全く割が合わない。
それが「保険」たるものである、というのが基本的な言い訳だと思うんだけど、いざというときに大金を支払うリスクを回避する意味での保険だとするなら、現状そのリスクは自分で負うからその保険をかけるかどうかの選択権をこちらにほしい。
また保険は、大勢でお金を出し合ってリスクを分散するものでもあって、それは確率的な機会が均等であることが前提になるべきだと思うんだけど、国民健康保険の場合はそれが無条件に老齢の方々の治療費を負担することに流れているのも、仕組みとしてどうかと思ってしまう。若い人が老人を支えるという思想はそれ自体はとても尊いものだと思うけど、それを社会の構造として若い人に押し付けるのは、ちょっと無責任な気がする。
そしてこれ実際には国民健康保険「税」であり、払わないと脱税ということになるし、督促もそれ相応に厳しい。それが納得いかない。
これらに財源が必要なら、それはそれでちゃんと整理して徴収すればいい。「保険」を名乗らないでほしい。
そもそもこれも、積立ではないから配当金が必ず保証されるるたぐいのものではないというのが国の言い分で、そうなるとこれは保険でさえない。そしてこれまたこちらに一方的に支払い義務がある。
なのに当初契約?時のお約束は一方的に劣化更新され、支給開始年齢はどんどん伸び、支給額も少なくなる見込みで、そもそも財源が足りてないから将来的に足りなくなるのはどう試算しても明らかであるのに、色々と屁理屈をこね、こちらに譲歩を強いて「最終的はまあなんとかなるんじゃない」的なニュアンスで、無造作に金を請求してくる。
徴収した資金の運用や、個々人の情報の管理は呆れるほどずさんで、それが何度か公になっているにも関わらず、この仕組を是正する動きはどこからも起きない。変じゃない?これ。
そして、国民健康保険と違ってこちらは払わないことに実は具体的なデメリットが無い。
代わりに鬼のような催促はあり、催告状、最終催告状、そして外部委託による電話、最終的には督促状へとエスカレートしていき、それを無視し続けると危険という情報がネットには溢れかえっているが、体験や周りの方との情報を共有した限りではそれらのほとんどは脅し目的に近く、自分の観測範囲に限っての話だけど、実際に強制執行された人を僕は現実の存在として見たことがない。
僕は自営業なので周りには国民年金の方々がたくさんいるが、みんなあの手この手でかわして、実際に完璧に払っている人は少ない。中には自営業になったときに切り替えをしなかったらそのままなんの催促もなく、もう十数年なんのお咎めもなく払ってないというツワモノもいる。
別の知人から直に聞いた話では、納付を拒否して催告状、特別催告状、督促状、と段階が上がっても実際に強制執行になることはなく、最後まで粘ったのは電話による督促だそうだ。知人は途中で就職して厚生年金に切り替わったので、そこまでの未納分を催促期限切れとなる2年後の時点までしつこく電話をかけてきたらしい。
最初普通にかけてきて、適当にいなしてそのままにしていると、やがて月イチでかけてくるようになり、出ないようにすると留守電を残すようになり、しかも、その留守電は無言電話で、本当に薄気味悪かったそうだ。最後は週1、週2ペースになり、最後の未納分の2年後がすぎると、パタッと止んだらしい。
なので、ネットのアフィリエイト目的の根拠のない言説に惑わされず、かつ執拗な電話攻撃に耐える精神的な強さがあれば、年金は払わなくてもやり過ごせるという現実はある。
払わなければ将来自分が年金支給を受けられないけど、実際それがどのくらいの確度で保証されるものなのか、現時点では誰にもわからない。資産的はもう確実に詰んでいるし、それに代わる財源や仕組みも色々と議論はされているけれど、現在の政治のシステムを回している層の人達がそこにメスを入れて何らかの改革をしてくれるとは考えにくい。
その程度のものに、月一万数千円を60歳まで、今後の変更によってはそれ以上延々搾り取られるということが、理屈の上で本当に受け入れがたい。
でも僕は、それらの催促に耐えうるメンタルが無いから結局払ってしまう。実際これから、少しの間滞納していた分の納付に行く。
気持ちよく払えるものではないなと思いつつ、でもどこかである日滞納した金額を強制執行されてしまうとそのときに困るから、金額が小さいうちに、少し余裕があるときにまとめて払うという選択をしてしまう。
でも、年金機構が適当にやってる破綻した仕組みに僕らが汗水たらして稼いだ金を貢ぐことにはやっぱり納得はいかない。
いや、国の仕組みだから、払わないやつらのほうがおかしいから、ってのが正論ってのはわかってる。わかってるから匿名で書くわけで。
でも納得はやっぱりしないもんだよ。
あーほんと、むかつく。
二次創作同人誌の値段設定が時々話題になるけれど、私は印刷代以上を受け取る理由が理解できない。
交通費とか宿泊費とか言っているけれど、それはその人の都合でしかない。
同人誌以外の表現活動に目を向けると、絵画も彫刻も写真も交通費や宿泊費がかかったからその分を徴収するアマチュアはほぼいない。
しかし,なぜか同人誌だけは赤字を回収することが許される、許そうとしている。一次創作なら理解できるが二次創作なのに。
私は二次創作の同人活動は名前を売るためだけにした方がいいと考えている。
(なぜか二次創作界隈は売名行為を嫌うのだが印刷代以上を受け取らなければ文句は言えないだろう)
二次創作の赤字は広告だと割り切り名前を売って、一次創作で収益化するべきだ。
子無しから税を徴収するより離婚しても養育費だけは払わせるシステム作った方がいい
離婚後の母子が生活成り立たなくなるのを恐れてのDV親父から逃げられなくなるとか
ああいうのを何とかすべき
前までいた職場は毎年バレンタインが近づくと社員から派遣からバイトからパートまで女と分類されるすべての者から
3000~1000円ほど徴収して部長課長クラスにチョコを買っていた
ホワイトデーは福利厚生費を使ってバレンタイン税を払った女に完全なる駄菓子のクッキーなどを一分包分配っていたんだけど
景気が悪くなったら経費として落ちなくなったホワイトデーの再分配?制度は廃止され、バレンタイン税のみ残った
女性社員はこれを不服としてバレンタイン税を払わなくなり、事実上バレンタイン税を払い続けるのは非正規女性だけになった
自分が辞める数年前に非正規をまとめる立場の派遣女性が業務に関係ないお金を集めたりしないでくださいって通告を出したので
非正規女性は晴れてバレンタイン税から解放されたんだけど、チョコ貰ってたジジイどもがブーブーうっせえのなんの
お返しすらまともに買ってないのに文句だけはいっちょ前なのまさに老害ムーブ
棘のまとめで、PTAを退会したけど子供に記念品を渡すべきだと主張した人が「義務を果たさず権利だけ主張」と叩かれている。
『本当に怖いのはリアルな地域の人で、助けてくれたのはTwitterの人』PTAを退会したら学童保育を強制退会させられた人のその後 - Togetter
だがこれは大いなる勘違いだ。
PTAは、その学校の全ての子供に奉仕するためのボランティア団体だ。
それに参加する以上、当然非会員の子供にも奉仕することが前提だ。会費で用意した品物を、非会員の子供にも配るべきだ。
だってそういう組織だってわかった上で参加したんでしょう? だったら文句を言うべきじゃない。
それをずるいと思うなら抜ければいいだけの話。抜けて非会員として自分の子供が記念品をもらえるよう主張するべき。
たくさんの人が抜けたら記念品を用意できないというのなら、記念品やめるか、会員非会員問わず全員から実費を徴収すべきだ。
会員の子供だけに奉仕する会を作るのはもちろん自由だが、そういうのは私的な空間でやるべきで、学校という公的空間で活動する以上は非会員の子供にも奉仕するべきだ。
不公平? いやいや、別け隔てなく子供に奉仕したい人たちが集まったボランティア組織なんでしょ? なんでそれを不公平だと思うの?
どう考えても不公平だと感じる方が間違ってるよな。嫌なら抜けろっつーの。
実はこの指摘は結構重要な問題を孕んでいる。元増田は二―トなのかもしれないが、的確に博物館法の矛盾点を突いている。
ブコメでは、ニート割引を認めつつ、その基準としてニートであることの証明をどのようにするかに焦点が当たっている。
(入館料等) 第23条 公立博物館は、入館料その他博物館資料の利用に対する対価を徴収してはならない。但し、博物館の維持運営のためにやむを得ない事情のある場合は、必要な対価を徴収することができる。
ヒャアアアアアアアアアアア!!!!! 無料ですってよ! 奥さぁん!!
この戦後に出たイキリ社会教育系法律は、現行では後段の留保の方ばかりが実態として現れている。
蛇足。公立博物館とは、地方公共団体が設置するものを言う。だから国立の「博物館」は博物館法の範疇外にある。
23条は、私立の博物館や国立の博物館は、対価を徴収してはならない、という規定の範疇にない、ということだ。取ってもいいし取らなくてもいい。どっちでもいい。
サッカーで例えると、サッカーのルールを守ってもいいしコートで野球をしてもいい。
今回ニートが参った東京都美術館は東京都と言う地方公共団体が持っているので、博物館法の範疇だ。だから原則無料にならないとおかしいのだ。
そしていいか? 重要なことは、ニートでも会社員でも大人も子供もおねーさんも、老若男女全員が、全員がだぞ。全員だ。
全員が、無料であるべきなのだ。博物館法は、戦後のあの頃、そう高らかに謳った。
ニートだから入館料無くせ、とか、ちゃんと働いているんだから会社員こそ入館料減らせ、じゃあない。
けど、もちろん現状そうならない。
増田諸賢も解るだろうけど、都美レベルの博物館が全員入館料無料にしたらなんか「ヤバい」という感じはするだろう。
じゃあ何を考えればいいのか。それは、「条文の博物館の維持運営のためにやむを得ない事情」を突きつめることだ。これが重要だ。
ところで図書館法にも入館料に関して、博物館と同じようで、より厳密な条文がある。
図書館が有料だったらビビるよね。現状そうはなってない。その根拠は図書館法に明記されている。
一方博物館法は歴史的な経緯もあって、後段に大切な留保が続いている。
東京都美術館の維持運営のために、ニートからカネを徴収することは「やむを得ない」のだろうか?
そしてもちろん、述べてきたとおり、元来全員が無料であるべきなので、
大人も子供もおねーさんも、つまり私たち全員からカネを徴収することは「やむを得ない」のだろうか?
これを同時に考えなくてはならない。
なんかすげー抽象的な話になってきたと思っただろう。その通りなのだ。
こういう文化に対するカネの投下と見返りなんてものは、解りやすい物差しで測れるものではない。
だから個人個人が気のすむまで、情報を整理して、それで納得してカネを支払って観覧するほかないと思っている。
考えるための材料は色々転がっている。
都美は指定管理者が入っていて公益財団法人東京都歴史文化財団だ。
公益財団法人東京都歴史文化財団はどんなことをしているのか、ウェブサイトを見てみるといいだろう。
ここの財団から展覧会の開催に当たっての資金や、それを企画運営する学芸員の賃金が出ている。
東京都美術館の条例や規則も見るとよい。ここでは使用料は指定管理者に入るとある。
なお入館料の規定は見えなかった。条例・規則作ったやつはよくわかっていて、原則無料であるべきところに規則等で料金を設定しないように配慮したのだろう。
入館料は展示に応じて設定される。「必要な対価」を都度決める、という遵法の姿勢・工夫・配慮が見える。
https://www.tobikan.jp/outline/report.html
都美のウェブサイトには、東京都と全然関係ない諸外国の作品を展示する意義なんかも書かれている。
そして、歴史文化財団の管理する他の施設に足を運んでみよう。庭園美術館が個人的にお勧めだ。
料金高いとか、展示がしょぼい、とか。逆に、いい展示じゃん、とか昔来た時より良くなってるじゃん、とかまた来たい、とか思うかもしれない。
本来無料であるべきところだが維持管理にカネを払ってもいい、と思える仕組みを見つけられるかも。あるいは、逆かもしれない。
とにかく、設置主体の運営がどうなのか。良いのか悪いのか、個人個人がそれぞれの足で稼いで納得するほかない。
つまり何が言いたいかと言うと、どんどん博物館に行きましょう、運営がそれで良いのか、モノを見る延長線で眺めて行きましょう、ということだ。
運営がそれで良いのか、規模や設置趣旨にそぐわないか、一市民として観察していくべきということ。
最近都会の展覧会はどんどん混み合うようになっている。伊藤若冲展あたりからひどいもんだ。
ムンク展も、目玉の展示作品の前はベルトコンベアみたいな感じでただ人々が作品の前を一定のスピードで通りすぎていくだけ。
それでいいのか? と思っている。
メディアとタイアップして、外国人観光客まで絡めて、そこまでしてガンガン人を入れるべきなのか正直わからない。
最近、ついに近所のスーパーでレジ袋が有料化した。これまでは特に追加料金なく利用できていたレジ袋が1枚あたり5円での販売になるという。こうした動きは、何も私の地元だけで起こっているわけではなく、全国的に見られるものだと思われる。その証拠に、昨年の秋「環境省が小売業を対象にレジ袋の有料化を義務付けることを検討している」との報道があった。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO36683740Z11C18A0EA2000/
しかし、レジ袋の有料化は本当に「環境保全のために」行われているのだろうか?
そもそもレジ袋の使用量を減らすことは、環境保全につながるのだろうか? 他にもっと有効な手段があるのではないか? 私は環境問題の専門家ではないので、具体的な統計データは持ち合わせていない。しかし、身近な状況を考えても、レジ袋の削減が直ちに環境問題の改善に直結するほどクリティカルな対策とはとても思えない。マイバックを持参してレジ袋を使うことをやめても、日々のゴミ捨てには同じようにプラスチック製の「ゴミ袋」が必要である。また日本では食品類を中心に、菓子が1つ1つ個包装されるなど、過剰な包装が至るところで行われている。そうした企業に対して過剰包装を規制するよりも前に、個人に対して負担を求めるレジ袋の有料化を優先的に行う合理的な理由が語られているところを、私は見たことがない。
また、レジ袋の「有料化」というが、実は今までも決してレジ袋が「無料」だったわけではない。独自の割引サービス等を行っていた小売店を除いては、レジ袋を利用する/しないに関わらず、レジ袋代は「商品価格に上乗せされて強制的に徴収されていた」とみなすのが妥当だろう。その前提のもとでは、レジ袋を不要とする人に割引を行うのが筋であって、そもそもレジ袋代が含まれていた商品価格を据え置いたまま、レジ袋に対して課金を要求するのは「便乗値上げ」以外の何物でもないのではないか? 1枚あたりたかが数円と言う声も聞かれそうだが、スーパーやコンビニなどの小売店は個人差はあれど市民が極めて頻繁に利用するものである。少なく見積もっても1週間に平均して5枚のレジ袋が必要で、それらが1枚5円と仮定すると、レジ袋代だけで1年あたり1,300円の負担増になる。逆に、毎日大量の客が来るスーパーのような店の立場から見れば、この便乗値上げによる売上増はかなりの金額になりそうだ。いい商売である。
地元のスーパーは「レジ袋代として得た収益は、環境保全のために寄付します」としている。これが何の言い訳になるのだろう? 消費者としては、仮に最初の数年は実際に寄付を行ったとしても、このスーパーが永久にそれを続ける保証はないし、監視する手段もない。第一本当に環境保全に協力したい気持ちがあるのであれば、顧客から徴収したお金ではなく、自社の利益分から費用を捻出すればよい。何でスーパーの身勝手なファッション環境保全活動に、顧客がお金を出さなければならないのか。
私は別に「環境保全のために買い物に行くときには、極力マイバックを持参するようにしましょう」というささやかな取り組みに対して猛烈な批判を展開したいわけではない。それだけであれば、可能な範囲で喜んで協力もしよう。しかし、いま地元のスーパーがやろうとしていることは、そういった素朴な環境保全キャンペーンと言うよりは、環境問題を隠れ蓑にした便乗値上げでしかない。他にもっと合理的な環境保全手段があるかどうかの検討もまともに行わず、消費者に経済的な負担と利便性の低下という重荷を押し付け、その上あろうことか自社は儲け、あわよくば環境保全に取り組む優良企業ですとアピールしようとしている。こんな厚顔無恥な「偽善」を、我々は黙って見ていていいのだろうか?
何となく、今ここで自分の人生を文章に起こして整理をするべきだと思った。
かなり長い文章になっているかもしれないので、とてつもなく暇で好奇心旺盛な人だけ読んでくれ。
公開する必要性は無い気はするけど、鈍感な私に誰かが何かを気付かせてくれるかもしれないと期待して公開することにした。
とはいえ、身バレすると面倒なので所々フェイクは入れさせてもらう。
そして、私やここに出てくる登場人物が、貴方の周りにいるあの人だと勘付いたとしても何も言わず、仄めかしたりもしない事を約束して欲しい。
前置きはさておき、出来るだけ時系列にそって思い出しながら書いていこうと思う。
母や祖母と一緒にお出かけをしたり、クリスマスや誕生日の時はケーキを食べたり、多分その辺の家族と何ら変わりない幸せな家庭だった。
今の私にとってもこの頃の思い出はかけがえのない大切な宝物だ。
母は毎日沢山の薬を飲んでいた。
それを見た先生にちゃんと綺麗にしなさいと言われて、ちゃんと一週間に一回お風呂に入ってるのにって思った。
私の家は床がゴミで埋め尽くされていたから、夕方のテレビで映る綺麗な家や友達の家が羨ましかった。
周りの友達と同じお稽古に通う度に、先生にちゃんと家でも練習しなさいと言われる。でも、ゴミだらけの家でどうすればいいかわからないから何もしなかった。
書き出してみると私は何も知らなくて、何も出来なかったのだと改めて実感した。
知らないのは子供だから当然だとしても、行動くらいは起こせたのではないかと思う。
もし、そうしていれば私が今こうして整理する必要もなかったかもしれない。
一部のクラスメイトから臭い、頭の上にフケが積もってると言われ続けたけど、何故自分だけが言われているのかわからなかった。
仲の良い友達も先生も誰もそんな事を言わなかったから、私が気に食わなくて傷つけたかったのだろうと思っていた。
でも、悪いのは自分だった。
当然だ。一週間も風呂に入っていない奴が同じ教室に居て耐えられる訳がない。
臭いと言われて当然で、それを指摘しない仲の良い人達はあまりにも優し過ぎた。
今思いだしたが、お稽古先の講師でさえ「私ちゃんって、ちょっと臭くない?」と私の影で言っていた。
それでも、この頃の私は皆と同じで、何故か自分だけ不当な扱いを受けていると思っていた。
気付けよ、鈍すぎるだろ。
それか、心の奥底で幼い自分にはその現状を変えられないと諦めて思考停止していたのかもしれない。
毎週何処かしらのライブやイベントに連れて行かれ、気付いたらファンクラブにも入っていた。
それについてよくクラスメイトと話していたら、授業参観の時にその子の親に「どうしてそんなにお金があるの?」と聞かれた。
私は上手く答えられなかった。何故なら、知らなかったから。
大人のお金の事情はきっと子供の私には理解出来ないだろうと思って一切考えて居なかったから。
でも、母がお金をかなり切り詰めていたのはわかっていた。
母がその事で祖母に怒られたり、よく家の電気が止まったりするのを何度も見ていた。
働いても居ない母が何故あんなにお金を使えるのかは大人になったらわかる事と思い、考えるのは先回しにしていた。
そして、段々とライブやイベントに行く頻度はどんどん落ちていき、一年後には全く行かなくなっていた。
そういえば、何故母に連れて行ったのかと聞いたら、辛い思いをしている私を元気付ける為と言っていたのを覚えてる。
それは違う。きっと私を自分に繋ぎ止めて置く為なのだろうと、今の私は思う。
いじめにあう事もなく沢山の友達と純粋に向き合う事が出来て、良い先生にも恵まれてかなり充実していた。
とはいえ、何度か辛い思いをした。
中学の頃になるとちゃんと毎日お風呂に入っていた。家の風呂が壊れるまでは。
でも、家族全員働いていないし、私は学校生活で忙しく、祖母と母は体を悪くしているので、あのゴミ屋敷を掃除できる人間は誰も居なかった。
前述の通り、金が無くて毎日なんて行けないから2日に1回だけ通っていた。
それもまた異常だと気付いているから、また臭いと言われて苛められないか、友達に不快な思いをさせないかとずっと心の底で怯えていた。
たまにどうしても疲れて銭湯へ行けなかった次の日は母と適当な理由を考えて学校を休んだ。
休日は仲良しグループの皆の家に行ってパーティをしていたけれど、私だけは人を家に入れられるような環境じゃないから、何とか理由を付けて断っていた。
友達は行きたいのにと少しはゴネていたけどすぐ引き下がってくれた。
本当は皆と同じように自分の家に人を招いてパーティをしたかった。
"皆がしているから"じゃなくて、皆が楽しそうなのが羨ましかったから。
三つ目は身バレするので詳細は書けない。
言えることは、母の衝動的な行動によって私の心が大きく傷ついた事だけ。
きっとここまで長ったらしい文を読んでくれた人の何人かは気付いているだろう。
私の母は呪われている。
急にファンタジー要素が入ったと思うかもしれないが、ただのフェイクを交えた言い回しだ。
具体的な呪いの名前が浮かんだとしてもそっと胸の中に閉まっておいて欲しいし、詮索は控えてくれ。
きっかけはふとエゴサしている時に、SNSで母を探しているといった投稿を見かけた時。
名字も名前も普遍的だから違うだろうとは思ったが、読み進めていくと自分の母の事だとはっきりわかった。
何故あの時あんなに金があったのか。
そういえばと思い、ポストを見ると弁護士からの封筒が沢山入っていて内容は全て借金。
私があの頃楽しめたのは母が返せもしないのに人から金を借りたから。
裏切られた気分だった。
今まで家族とは絶対的な物だと思っていて心から信頼していたのに。
世界が崩れ落ちたような気がした。
だからといって、問い詰める勇気は無いし、その後の居場所が無くなるからととりあえずは様子見する事にした。
「母が私の部費が足りないからお金を貸してくれと言われた。どうすればいい。」と。
例年同じ時期に部費を徴収する習わしで、顧問に言われる前からわかっていたので予め母に伝えておいた。
流石にきちんと取っておいてくれているだろうと信じていたから、徴収する前に母とちょっと良い外食をしたり買い物をしたりした。
でも、そうしなければ余裕で払えた額を借りようとしていた。
母は何の計画性も無く、後の事なんて一切気にしない人間だと気付いた。
「母が金を返さない。問い詰めればその場しのぎの理由を作りだしたり、逆ギレする。」と。
そういった出来事がいくつか重なった後、母は自分の呪いについて初めて打ち明けた。
そして、今まで悩み苦しんできた出来事の根本的な原因は母にあった事に気付いた。
とはいえ、私は母を悪人だと、巷でよく聞く毒親だとは思わない。
だからといって、今すぐ縁を切れるような状態では無いから、それなりに努力しなければならない事にも同時に気付いた。
このような出来事が立て続けに起こる度に、今までぼんやりとしていた輪郭がはっきりしていくかのような気分だった。
私の家は異常なんだ、人と違うのだと。
そう気付いた瞬間、心にずっとあった霧が晴れた。
でも、霧が晴れた先に見えたのは茨の道だけだった。
自分は人と違うから人と同じようにレールに乗る事は出来ない事がわかった。
自分は人よりも辛い思いを乗り越えて生きなければならない人間だとわかった。
それに絶望して私は何もかも出来なくなり、高校で不登校になった。
幸い環境に恵まれていたから卒業は出来たけど、かなりギリギリだった。
一回精神病院に行こうかなと思った事はあるが、別に頭痛もしないし健康体だから行かなくても良いかなと思う。
とはいえ、やりたい事は沢山あるし、その為にやるべき事も頭の中ではっきりわかっている。
だから、もうウジウジ悩んで足踏みするのを辞めようと思い、この文章を書く事で全て自分の中で終わらせる事にした。
実際問題は何一つ解決しないけれど、一度何がしたいか、どうするべきかを自分の中で明確にさせる為に、一度全て振り返って決着を付けたかった。
そして、私は決めた。
もうこの事で悩まないと。
暫くはそういう事が付き纏う人生を送らなければならないけど、これは私の人生だから絶対にその邪魔はさせないと。
努力して、ゆくゆくはそれを全て消し去ってやると。
これでもう全て終わりだ。
追記➝沢山の人が読んでくれて凄く嬉しいけど、まさか創作扱いされるなんて思わなかった。
『頭の悪い人しか負債(自動車)を持たない』という現実について所感を伺いたく存じます。
画像は経済のプロである上念司さんで、自動車は馬鹿しか買わない負債という事実を広めてくださっている著名人です。
ちなみに同じく資産1億円以上を有する堀江貴文、西村博之など自動車オタクや自動車カルトではない現代的な実業家ほど、車という馬鹿しか買わない負債は持たない現実があるようです。
https://i.imgur.com/SmAYYZt.png
https://i.imgur.com/ZGPRrdY.png
やはり、今後ますます合理性を重んじてオウム真理教みたいな自動車カルトに毒されていない真っ当な考えの人ほど車離れするのでしょうか? よろしくお願い致します。
そういえば自動車評論家の森野恭行さんが白いポルシェを暴走させて単独事故死したという記事をネットで見たことを思いだします。
自動車という凶器でテロみたいなことをするのが自動車オタク・自動車カルトだということです。
自動車はガソリン等危険な燃料を搭載している関係で衝突などのはずみで出火炎上し乗員が苦しみながら焼死する事例も相次いでいるようです。
自動車は減れば減るほど渋滞も重大事故も公害も肥満も減らせますよね。
特に自家用自動車=マイカーは邪魔で迷惑な公道の癌として各国の特に都市部で規制強化が進んでいるほどですから。
イギリスの首都ロンドンは自動車から通行課税を徴収し、それを元手に市街地における自転車専用道ネットワーク整備を進めているほど。
日本もそのように変わっていくのは自動車走行距離課税制度などの実施で改めて痛感しましたが、私たちは負債の処分も含めて利口な判断をしたいものですね。