はてなキーワード: 小売店とは
面白い点1
建前は当然SDGs的な話、本音は新しい食材でブームを作って儲けようという話なんだけど
こういうの、大抵は受け入れられるんだよね、ちょっと苦いけど体にいいからとか、面倒くさい行為だけど環境のためだとか
でも今回はそれが効かなかった、正論パンチされて、支持者ですら結局「建前のところはともかく、個人の自由じゃん」と言うしかなかった
これ面白い
でも敢えてツッコまずにいてくれてるだけなんだ、いざとなればツッコむ
面白い点2
実は我々に食の自由はない
例えばコンビニやスーパーの商品が徐々に昆虫食に置き換わった時、食べない自由を行使するには狭い選択肢の中から選んでいかなければならない
今は一部のアレルギーや偏食の人でなければ8割9割の商品の中から選べるが、それが減っていく
自分は変わっていないのに世の中が変わることでヴィーガンになったかのような生活になる可能性だってある
そういう、自分の幅広い自由は社会の方向性と合致してるからこそ成り立っているんだということに気づくことができた
決して「食べるのも食べないのも自由」ではない、専門店ができるならともかく、いつも使っている小売店の限られた売り場面積を支配するのはそれだけで影響が大きい
面白い点3
国が関わると本当に皆警戒するということ
陰謀論と言ったら変な意味になるが、国が良かれと思って推進した時点で物事が進まなくなることもある
これは日本人だけなのかどうかわからんが、本当に思うように動いてくれない
なんだろうこの感情は、親の言うことを聞きたくないみたいな感じに似てる
面白い点4
少し考えたらコオロギ食に乗り出すのは今じゃなくても良いってわからないだろうか
まだブームにすら成っていない
面白い点5
いつもならこういうのは推進派vs反対派で殴り合って、仕掛けた側は高みの見物なんだけど
今回は推進派、つまり「コオロギ最高!」っていう奴らが全然居ないこと
居ないのに、企業側がノリノリなこと
これ結構珍しくない?
特殊詐欺に遭ったお客様が来店。ちょうど私と優秀なの派遣の人とでシフトに入っていた時間帯で、この手のトラブルに強いAさんは出勤前だった。
対応は私がしたんだけれども、結果としてはこれはヤバいやつだと思った時には後のまつりとなってしまっていた。
詐欺の内容について。
お客様がパソコンを利用している最中に急に画面がフリーズして、「ウイルスに感染しました」というメッセージが表示されたという、典型的なやつ。信じてしまったお客様が、偽のサポートセンターに電話をしてしまい、オペレーターの指示通りにPOSAカードを4万円ぶん×3枚を「コンビニで」(←重要)買い求め、詐欺サイトにPOSAカード番号を入力するという形で、金を騙し取られるというもの。
私がお客様の会計を担当した時に、まず高齢者が同じPOSAカードを3枚持ってきて、各4万円ぶんで買いたいという時点で何で? と思ったものの、お客様があまりにもかくしゃくとした人なので、まあ大丈夫だろうか? とつい日和ってしまった。
「パソコンの修理にこれが必要だっていうんだよね。でも俺が何か間違えたのか、何度番号入れてもこれじゃ送れてませんってなって。そんで、何件もコンビニ回ってカード買い直しててさ。何度やってもなぜかダメなんだよね」
と言い出したのだ!!
数時間後に出勤してきたAさんに事のいきさつを説明した。すると、Aさんが言うには、その手の詐欺師がだまくらかすのは直接の被害者であるお客様だけではなく、お客様に応対する我々コンビニ店員の目も欺いているのだという。
というのも、Aさんは何度かその手の詐欺師に引っ掛けられたお客様を応対した事があるのだが、皆似たような特徴のある人だというのだ。
すなわち、高齢の男性で一見かくしゃくとして、明らかな認知症っぽくなくちゃんとしていそうな人。
我々コンビニ店員にとって、詐欺の被害者と判断し難い人物をわざわざピックアップして騙している。
「という訳なんですけど。そもそも増田さんは、何でおかしいと思いつつも、詐欺を阻止することが出来なかったと思いますか?」
そうAさんに問われた。それで考えたんだけれど、正直に言うと、
つまり、詐欺師が被害者にPOSAカードを購入する場所を敢えて「コンビニで」と指定してくるのは、小売店のなかで最もPOSAカードを見つけ易いからというだけではないのだ。
詐欺師は、コンビニ店員の心理もよく把握しており、コンビニ店員にとって歴代の糞客の面影に重なるような人物を、被害者として店に差し向けてくるということ。
高齢で、脳味噌が不明瞭そうには見えず、声が大きくて、怒り易く、コンビニ店員の事を女子供だと思って舐めくさっているタイプの、横柄な客。
そういう客に対して、コンビニ店員は恐ろしさを感じつつも情けを持たないという事を、詐欺師は見抜いているのだ。
とはなかなか言えない。なんなら、はよ帰れやと思っている。
Aさんが言うには、
「そんな客ほど恐れるに足らないです。高齢者がPOSAカードを持って来たら例外なく、余計な事を考えずに『お客様、それは詐欺ではありませんか?』と言っちゃっていい。何故なら、そんな下らない詐欺に引っ掛かってる時点でそいつの認知能力は地に墜ちているんです。そして、詐欺師にとって丸め込み易いって事は、我々にとっても丸め込み易いってことです。被害者は我々を若造だ女だと舐めくさって脅そうとしてきますが、だからって退く事はない。権威の力を借りましょう。『本部の指導で』『警察の指導により』POSAカードを購入するお客様全員に確認させて頂いてます。その程度の事で奴等は丸っと信用するから大丈夫です。認知能力の低下とはそういう事なので」
小売店で働いていた。学生時代のアルバイトから含めると約10年だと思う。自身の接客にもある程度、自信を持っていたし、敬語やマナーなど学べることを学んできた方だと思う。
耐えきれなくなって、最近辞めた。
例えば、お客様のご希望の品をストックまで隣行き戻ってきた際も「お待たせしております」と言う人だった。
こんにちわ。〜とゆう。〜せざる終えない。の文字が並んだダイレクトメールを送る人だった。
ただ、謝ることが得意な人であった。
何かにつけて頭を下げ、ペコペコと「すみません」「申し訳ございません」と言っているところをよく見た。
言葉を意識せずに使えて、意味をとらえない人だったからこそできたのだと思う。
人は人にヘコヘコされると、なんだか気持ちが良くなってくるものだ。だからこそ、上司はめちゃくちゃな日本語でもクレームを入れられることもほぼなく、年だからこそ注意されることもなかった。
結果として日常でへんてこりんな日本語を喋り、頭を下げ続ける上司と、その日本語を見るたびに胃の奥がぐじゅぐじゅと疼き、頭がぐらりと重くなるような感覚の私だけがいた。
学んだからこそ、学んでいない人を見ると今度は不快になってくる。
それでも、耐えきれなくなってしまった。
正しいことを学んだからこそ、自身を傷つけられている感覚になったのだと思う。
学びは武器であり、知識は誇りでも合ったからこそ、踏み躙られているような痛みがあった。
偉そうに書いたが、目の前でくちゃくちゃと物をを食べる人がいる感覚に近い。
くちゃくちゃと食べ、箸がぐちゃぐちゃな人を見た時の不快感が業務中ずっとついて回っていた。
ただ、いまとなっては耐えられたのでは無いかとも思う。
これを書きながら、自身の余裕の無さを思い知るような気持ちさえある。
どうしたらいいんだろう。
誰か50分耐久でくちゃくちゃ食べ動画を上げてくれないだろうか。忍耐力をつけたいので。
松竹氏なり、共産党に批判的な人は「非民主主義的」だというような形で共産党を批判するがこれは当たり前のことだ。
民主主義、というか公正な選挙のために言論の自由が重要なのはこれは当然のこととして理解できると思う。では言論の自由、表現の自由、内心の自由とはなんだろうか?「家の中で叫ぶ自由」「誰も見ていないところで絵を描く自由」でないことはこれもまた当然だ。すなわち、出版したり、インターネットで公開したりする自由が必要となる。
では、出版の自由のためにはなにが必要だろうか?編集を自由に行える必要がある。印刷を自由に行なえる必要がある。作った本を自由に流通させる必要がある。物流倉庫を自由に運営する必要がある。小売店を自由に経営する必要がある。DTPに使うコンピューターを自由に開発できなければならない。ソフトウェアを自由に開発し販売したり頒布したりできなければならない。つまり、結局のところ「言論の自由」というのは「あらゆる商業活動を行なう自由」であり「私有財産の肯定」であり資本主義だ、ということになる。
つまり、「民主主義」と「資本主義」は全く同じものだ、ということになる。共産党が「表現の自由」を極度に嫌うのも当然で、それは反共産主義的な発想だからだ。
つまり、党首公選、すなわち民主主義の導入を共産党に導入せよと要求する、というのは共産党は共産主義を捨てろと要求していることと同義となる。これは反党行為そのものだと言える。
プロレタリア独裁とは結局突き詰めて考えれば個人独裁にならざるを得ない。「資本家」を排除するというのは、結局民主主義と言論の自由の排除なのだから。そこでは意思決定の全てが不透明で、個人のあやまりが増幅されやすく、相互不信の嵐が吹き荒れることになるが、それでも現代の哲人政治と平等な社会を目指すのが共産主義者の仕事ではないだろうか。それが可能かどうかっていうと、僕は不可能だとは思うけど、
松竹氏は、結局共産主義とはなにか、ということをすっかり忘れているのだと思う。朝日新聞などは「激しい路線対立があったころならまだしも」などというようなことを言っていたが、結局、これこそが今の共産党の最大の問題なのだと僕は思う。多くの党員がもはや共産主義者ではなくなっている。最大限強権的な運営をしなければ、もはや党は維持できないのだろう。
1月末日をもって、北海道帯広市にあった百貨店「藤丸」が閉店した。
創業は明治33年で、122年間経営したことになる。このあたりではよくあるパターンで、開拓地で呉服商で立身し昭和初期にデパートへと展開してきた地元の百貨店だった。
例えば釧路市の丸三鶴屋や野付牛(北見)の丸い伊藤と系列は異なれど同じような環境で、開拓地の百貨店として成長してきた。
諸賢ご存知の通り、百貨店などという業態は今日び全く下火となっている。
北海道の田舎においては高度経済成長期以降、郊外に新興市街地が伸長し、多くの人が自動車で移動する時代になった。
そして平成10年の大規模小売店舗法の廃止、大規模小売店舗立地法の制定が運命を定めた。
この20年、みんな車で郊外の大規模店舗に行く。「中心市街地」の意義は消えた。
1月に入ってから藤丸は連日客でごった返し、最終日には閉店後まで人々が店に集っていた。
藤丸に入っている店の常連だったり日常的に地下食品街で買い物をする人ならわかる。
あるいは藤丸に実際に働き、藤丸と共に生涯を送った人も惜別の念を抱くだろう。
藤丸は文化催事も多かったから、藤丸で展示や展覧会をした人々も特別な思いがあるだろう。
藤丸を外部から支える市民団体もある。そうした主体的に取り組んできた人たちはさぞや残念だろう。
けれども、そうじゃない人が大半なのではないだろうか。
なぜなら、如上のような日常的に中心市街地に赴き消費や活動をしている人が本当に十分に多ければ、
そして当然閉店などとならなかったはずだ。
閉店間際に賑わいを演出した人々は、普段は自動車で郊外の広い駐車場のあるヨーカドーやイオンに行っている。
そんな人たちがマスコミの取材に答えて「残念です」とか「寂しいです」とかは、決して言ってはならないセリフなのではないかと思う。
言葉と態度が噛み合っていない。私はここに大変な違和感を覚える。
出てくる思い出は子供の頃の昭和や平成初期のキラキラした思い出ばかりで、例えば110周年120周年の話題はほぼない。
これは、この人たちが長じてから藤丸で思い出を残してこなかったからに他ならない。
よく子供の頃の思い出だけをいけしゃあしゃあと言えたもんだ、と思う。そしてそれをありがたがるマスコミの脆弱な報道イメージもおかしい。
近頃の思い出がないというのが問題の本質であると思うし、そもそも昔のことしか話さない人は藤丸の傷口に塩を塗っているように思える。
なぜ、この20年くらい、平成の後半まるまんま藤丸はそこに間違いなくあったのに、そこで思い出を残さなかったことに無自覚なのか。
そしてその無自覚さでなぜ「藤丸がなくなって残念です」と言えるのか。
地元出身のフリーアナウンサー安住紳一郎が以下のように述べている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/433f558335f529f99b35f767731703687434e508
「ネットショッピングや郊外のお店が便利でお客さんがそちらに流れていることはよくわかります。私たちも便利とか安い以上に自分の残したいお店は、ちゃんと不便でも高くても買いに行く消費行動がこれからきっと自分たちの理想とする社会の実現に関わってくるんじゃないかなと思います」
なぜ他の百貨店と比べて十分な時間的猶予があったのに、地元の人間は藤丸を存続させるような消費行動をしてこなかったのか。
そして、なぞそうであるのに(直接携わってきた人は別にして)、「残念です」「ありがとう」などと安直に言えるのか。
この点を、本当に「残念」と感ずるならば20年くらい考え続けてこなければならなかったはずで、「残念」と言語で言える人は、少しでもそのような事柄に携わってきた人だけなのではないだろうか。
普段イオンで買い物してるくせに「残念」はおかしいのではないか。
だから私は、この期に及んで藤丸がなくなってしまって残念とは思えないし寂しいとも思う資格がない。
なぜなら私はイオンで買い物しているからだ。身体が残念がっていないのだ。
中心市街地をどうするかは各地域で本当に難しい課題で、実際のところ商工会や経済界の人々が何年も策を講じながらも充分な成果を挙げられていない。
こんな難しい課題を、藤丸がなくなっただけのこのタイミングでどうにも論評などできないのだ。
だから浅薄な「昭和の思い出」や「従業員の裏話」的なものばかりが踊る。
実はマスコミも20年間、中心市街地の活性化の話題を見ているようで見てこなかったのではないか。
結局は自分には関係がないから、人々がどこでどう買い物しようがそれを報道すればいいだけの話だから、充分なコミットをしてこなかったのではないか。
藤丸がなくなったのは1月31日だが、問題は20年間継続しており、以降も続いていく。
藤丸がなくなっただけのタイミングで急に問題を一夜漬け的に取り上げても、いずれも浮ついた論にしかならないのだろう、と諸報道をみて思う。
anond:20230122100735 のブコメで「オレ、「ガンダム」って今や固有名詞とはいえず、たんなる一般名詞に過ぎない状態だと思うのだけど。もやは過去にさかのぼってグレンダイザーをガンダムと言ってもいいくらい。」というものがあったが、これはまさにそうで、増え続けるアナザーガンダムはもはや「ガンダム」の境界をわからなくさせている
では、なぜサンライズとバンダイが新作のロボットアニメを「ガンダム」として立ち上げるのかといえば、それは「ガンダム」なら商売になるからだ。30年以上前のガンダムの小説に出てきただけの脇役ロボットのプラモデルが、いまになってもプレバンで即売り切れる。これは「ガンダム」の看板があるおかげだ
新作ガンダムが登場するときによく耳にするのが、「これガンダムでやる必要あるの?」だ。しかし、逆だ。なんでもガンダムで構わないのだ。サンライズは、過去のIPを有効に活かすために、過去に制作した数々のアニメを、いまから遡及的に「ガンダム」にしたほうが良いのだ
機動巨神ガンダムゴーグ、機動機甲神ガンダムガリアン、機動戦士ガンダム 無限のリヴァイアス、機動戦士ガンダム 宇宙をかける少女、機動革命機ガンダムヴァルヴレイヴ……
こうすれば、これらのアニメのプラモも「ガンプラ」として売り出せる。転売ヤーも買いまくる。ガンダムエースにも掲載できる。Gジェネにも登場できる。約束された未来が待っている。クラッシュギアやサイバーフォーミュラはもとより、ラブライブもシティーハンターもガンダムであってはいけない理由なんてないのだ。つまりサンライズとバンダイは今からでも境界戦機をガンダム認定して小売店さんを助けるべきなのだ
バイトのあった夜は、クタクタになってまとめ髪をグシャッと解いただけで布団に潜り込んで寝がち(風呂は仕事の日は出勤前に入る主義)なので、金曜日の朝の私はだいたいうすら汚いのだが、今日は美容院に行こうと思っていたので、昨夜は頑張ってお布団に直行するのを我慢して風呂に入ってちゃんと髪の毛を洗った。ところが、今朝美容院に予約を取るために電話したらいつも担当してくれる美容師さんは会議の後直帰するとかで不在だった……。前日以前の予約不可の美容院なので当日に予約するしかないのだが、こうして担当の美容師さんとすれ違う事が多くてかなしい。またの機会に。
うちの近所の、最近ウタマロ石鹸を高級なお値段で売っているドラッグストアに行った。昨年末から行く度に夫の為にニベアメンクリームを買おうと思ってメンズニベアコーナーを覗くのだが、缶入りのニベアメンだけずっと欠品している。今日もすっからかんになったテスターの缶が放置されているだけだった。
メンズニベアのコーナーのすぐそばがヘアケア用品のコーナー。ふと見たらいつも私が愛用している整髪料の値札のとこに「40ポイントプレゼント!」のポップがさがっていた。40ポイントめっちゃ欲しい! ちょうど整髪料なくなりかけてたところだし。買う。ヘアケア用品の更に隣が白髪染めのコーナーだった。白髪、結構あるけど、ただでさえ中年女のコンビニ店員は、ババアなのに若作り乙www と一部の中高年男性客から罵られやすいのに、白髪染めたら自らそいつらに餌をくれてやるようなもんなんだよな、と思って通り過ぎた。真の目的のシャンプーと綿棒も無事確保して会計。全部私のお小遣いで払った(帰宅後に家庭用のお財布からシャンプーと綿棒の代金を抜いて自分のお財布に入れた。消費税ぶんはまあいいか……とか、ぬるい事を言ってるから自分の小遣いがいつの間にか溶けていく)。
それから、夕飯のおかずと自分のお昼を買いにスーパーへ。一人用のレンジでチンするだけのスンドゥブが安売りされていた。それを見たら「スンドゥブの様な何か」をまた作って食べたくなったので、キムチとかニラとか材料をいそいそ籠に放り込んでいく。「スンドゥブの様な何か」は、『きのう何食べた?』のお正月スペシャルか何かで見たキムチチゲを見様見真似で作ったのが素で、今やあれこれ魔改造を加えて何かよくわからない料理と化している。とりあえずキムチとコチュジャンと豆腐とアサリさえあれば何とかなるだろという気がしている。アサリは、冷凍のやつをストックしてあるので、買わなくて大丈夫。
最近、子供たちが「ピーナッツ味噌」を食べられるようになったので、198円のを買った。298円で倍以上の分量のも売ってたけど、子供たちに「やっぱ要らなーい」と言われたら私一人だけで消費しなきゃならなくなるので、欲張らず少ない方にしたのだ。
小学校時代、学校の給食によく『ピーナッツハニー』というピーナッツ味噌のパック詰めのやつが出たけど、あれが売られているところをめっきり見ない。そもそもこの地方では何でか売られている店舗が限られている。私の実家の方ではどこでも売ってるものだったのに。たまに猛烈に食べたくなる。パックの表面にピーナッツの妖精のような変な生き物が描かれていたっけ。
某カップやきそばが118円セールされていた! 一家族6個まで。そこまで要らないから2個でいいや。子供たちが喜ぶ。夫は糖尿病が拗れるからだめ。
夫から聴いた話だが、カップ麺業界というのは買い手と値段交渉はしないのが常識であるらしく、ほぼ原価=小売価格なのだそうだ。小売店としては仕入れて売っても利益にはならないのだ。だが、カップ麺を店頭に置くと客寄せになるので、儲けにならなくてもわざわざ仕入れるっていう訳。
そんな感じなので、メーカー側の態度も凄く悪くて、うっかり小売や仲卸のシロウトが「○ケース買ったんだから値引きしてよ」なんてメーカーの営業に言ったりすると、
「は? そんな事言ってお宅、一度に1000ケースなんて買えないでしょ?w」
と鼻で笑うのだそうだ。そうやって、メーカーの若い営業が、仲卸のよく分かってない中途採用のおっさんなどをイジメて遊ぶらしい。
某カップやきそばを製造する会社はマジで全く値引きをしないのだという。なのでその会社の製品は、スーパーなどのいつもの店頭価格でも赤字。今日のカップやきそば118円は大赤字もいいとこだろう。やっぱあれかな。正月後の小売店はどこでも客の入が悪いから、破格のお値段のカップやきそばは捨て身の集客作戦なのかな。
夫から仕事の話を聴くのが大好き。夫的にはくだらない話でも私にとってはどれもかなり興味深い。結婚して良かった事の一つだろう。子供の頃は父の仕事の話をあまり聴いた事がなかったんだけれど、弟は普通に父とそういう話をしていたのが羨ましかった。と同時に、私は父に信用されてないんだなーと思ったものだ。
豚コマが100グラム88円だった。スンドゥブの様な何かに入れよう。豚バラの方がよかったけど、それは100グラム178円だった。でもカナダ産だった。去年の12月上旬くらいは円安の影響でアメリカ産の豚肉がすっかり店頭から姿を消してしまい、カナダ産のもコマ肉や切り落としでも100グラム178円といったところだったが、それもまた消え、スペイン産の肉が並び始める始末だった。スペイン産て。イベリア半島の方から来ました、と言っても世界的にみれば誤差の範囲内とでも思っとくか。でも私なんかは後は死ぬだけの身のようなもんだから、何が添加されてるか分かったもんじゃない様な肉でも気にせず食べてもいいが、子供たちに食べさせるには抵抗があるなと思って、年末は我が家の肉の消費量はいつもの十分の一とかだったと思う。
先週にカナダ産をまた見かけるようになると同時に、県内産の豚肉が100グラム198円以下になっていた(年末には100グラム298円まで値上がりしていた)。
たまごのコーナーを通る時、もしかして家にたまごのストックがないんじゃないかなという気がしたけど、まあ良いかと思ってスルーした。
パンコーナーでヤマパンの一部商品が78円セールされていた。チョコ&クリームパンとただのクリームパンどっちを買おうかなと思いつつ、ふと振り向いたらいつもの棚にあんドーナッツ88円があったので、やっぱそれにした。
その他細々買ってお会計2300円くらい。
この増田だけど
https://anond.hatelabo.jp/20221217005626
元増田が言う「メルカリorヤフオク、もしくはAmazonFBAなど、日本国内宛に高価出品」というパターン。これは要するに需要に対して供給が足りないケースだ。
ではなぜ元々の販売元が生産を絞っているのは、概ね2種類。
で、この場合商社はどうするかというと、商社が一定量の購入を補償する事によって生産を促すというのが王道になる。この購入の保証というのはまさに投資活動になるわけだ。
あるいは、資源などだと、直接的に金を出して、その一方で一定の生産量を権益として確保すると言うことも良く行われる。
この場合、商社はその部材や材料を調達すると言う事で生産に協力することをやる。ただ、プレステクラスになるとどうしょうもないだろうが、海外から調達さえすればどうにかなる場合は調達力で助ける場合もある。
あるいは製造を委託できる業者を探してきたりと、ビジネスパートナーを紹介することもよく行われる。
元増田が言う「定価以上で買い取ってくれるリサイクル業者(古物商)に持ち込み、最終的には海外へ」というパターン。これは要するに何らかの理由で需要地に品物が届いて無いパターンだ。
これは普通に商社の販売網で販売するだけだけ。この場合はパターンAと状況的には同じだね。
普通に法令違反なので手を出しません。持続可能な商売じゃないので。
元増田は、これが正当であると考えている模様だが、実はパターンAの状況で単純に買い占めるより現地の法律違反を前提としている時点で直接的にヤバイ。
やってることは
とかそういうのと変わらないので、現地国で関連の業者が全部ゲロった場合、芋づる式に判明して現地国に入国した途端身柄を拘束される可能性すらある。
転売屋は隙間商売であると言う事に尽きる。商社は継続的に投資をして販売して利益を上げることを目指すが、転売屋というのはその時のスポットで稼ごうとするのが基本だ。
ただ、商社はある程度まとまらないと利益がでないので、そこの隙間を突いて動くと言うこともあるだろうと思う。
が、冷静に計算してみるとわかるが、リスクに対して利益率は高くない。時給もそこらでバイトしてた方がマシなぐらいになってることが殆どだろうと思うので、まぁお好きにと言う感じである。
一方で、商社が手を出していないけれども、収益性が高い分野というのが存在する。これはパターンBの中国の規制をかいくぐるために輸出するようなケースで普通に違法であったりするから手を出さないと言うだけである。まぁ違法薬物の流通とかと同じな。
商社を自称する企業でも転売屋のような動きをしている連中も存在する。例えば新型コロナパンデミック初期にマスクを転売していたような連中な。まぁこれセレクトショップ的な動きをしている転売屋と似たような率でしか存在しないと思うので、ここでは例外としておく。
もう一つは、転売屋がより多くの儲けを出すための活動をすること。
ビジネスを正当に一歩広げればより商社に近付いていくことになる。最近の商社には元々転売屋のようなビジネスからスタートしている人が結構居る。利益を出して継続的に商売しようと思えばそちらに寄っていくはずだ。
例えばあるeインクの端末を日本で輸入販売している専門の業者。
元々は個人的に中国の通販サイトで購入したものをブログで紹介していた。そこから個人向けのサイトから輸入してAmazonで販売すると言う事をはじめていた。
が、日本で使う事には難がある部分があって、元の中国の業者にコンタクトをとっているうちに、直接仕入れて売る様になった。この時、一定量の販売を補償する事で日本向けの仕様を加え、国内向けの認証取得などを自社でお金をだしてやっている。
逆方面だと、あるおもちゃの商社。元々は中国人の要望に応じて日本のおもちゃやベビー用品などを小売店がから仕入れては転売していた。
が、段々と間に合わなくなってきて、量が纏まったので普通に問屋から仕入れて販売するようになった。そうこうしているうちにオムツや粉ミルクなどの転売はレッドオーシャンになった上にまともな商社が進出して無理になったんだけど、そこから先にニッチ戦略に打って出て、中国の顧客が日本のおもちゃとして求めている玩具を作らせると言う商売に発展しているところがある。
日本の手作り木製玩具をかなりの高付加価値つけて販売している。
元々はその季節でしか販売されない製品を、季節の初期に予約などをして購入して確保し、シーズンの終わり頃、品薄になったタイミングで販売するという事で稼いでいた。ロングテール的な商売だな。
が、製品製造元が目をつけた。製造元もそう言う需要があることは分かっていたが、自社や既存の問屋網では対応が難しい(そもそもが季節性で動かす事が前提の商習慣になっているため)と言う事で手を出していない部分だった。
そこで、公認を与える事によって、需要は多くはないが確実に存在する部分をフォローする商売へと発展している。
大阪府が物価高対策として、18歳以下の子ども約139万人に1人米10キロ相当を現物支給するとした方針を巡り、新たにお米券での配布を検討していることがわかった。現金や商品券での給付を求める声が多いためで、お米券での受け取りも可能にするという。
吉村洋文知事は11月25日、「子育て世代の食費負担を軽減したい」として、来年3月から府内の子どもに米10キロ相当を現物支給する意向を表明。一方、現金や商品券の支給に関しては「(保護者の)パチンコ代や遊興費にならないようにする」と否定していた。
府は配送費を含めた経費を1人約5000円と試算したが、スーパーでは米10キロを3000円程度で販売している。このため、住民から「現金や商品券ならもっと多くの米を買える」との意見のほか、府議からは「現物で支給されれば地元小売店の売り上げが減る」との懸念が示されていた。
差別ではあるとは思うんだけど、英語で張り紙しろとか英語で接客できる様にしろとか外野が好き勝手言うのもどうなんだってって思ってしまう。
本部に上げれば良いって言う人も居るだろうけど、今までのコンビニ関連の報道見てたら今回みたいに炎上案件にならないと対応してくれないんじゃね? って気がする。
機械翻訳の文章を貼るとしてもPCであの手書きメモみたいな感じの張り紙作るのって、それなりにPCに慣れてる人じゃないと難しかったりすると思うんよ。
意外と感覚的に作れるものじゃないし、機械翻訳の要点を強調して、尚且つ見やすくするのって思ったよりセンス要求されるしね。
英語で接客するってことは英語で商品の説明ができないと話にならないし、客からの質問に英語で回答しないと駄目な訳じゃん。
コンビニが提供してる多種多様なサービスについても、英語で説明して質問に答えられる必要がある。
そんだけ英語で話せる人材が、時給最低賃金ギリギリのコンビニ店員なんてやる訳ないでしょ。
そもそもコンビニって狭い店舗を少ない人数で回す、極力接客をしたくない(接客の比重が低い)タイプの小売店だしね。
かといって説明の為に英語のPOPを貼りまくるってのも、POPだらけになって肝心の商品が見えないみたいな事になりそうだしなぁ。
これで英語以外の言語もやれ! みたいなクレーム入ったらどうしようもなくなるだろうし。
番号振るってのは一見簡単な解決策みたいに見えるけど、近所のコンビニがそうなんだけど肉まんとかは季節限定商品とかも多くて商品の入れ替わり結構多いんだよね。
番号振るパターンは例えば③で売ってた季節限定のあんまんのところに、次は季節限定のチャーシューまんが入れ替えで入るみたいなパターンもありそうなんだよな。
あとタバコ販売がそうなんだけど番号じゃなくて商品名の略称だったり、常連ぶって「アレ」とか「いつもの」としか言わない客(で、分からないとキレる)居るからなぁ。
肉まんやホットスナックでそういうのが無いとはちょっと思えんのよね。
肉まん類とかホットスナックとかに限定して考えるなら、本部が各言語のそれらの商品の解説サイト作っておいて店内POPに印刷したQRコードから飛べる様にしておく、みたいな対策が現実的なとこかなって思う。
個々の店舗にできる対策は人材の質が要求されるものが多くて、ちょっと現実的じゃないよなぁって思う。
ぶっちゃけ小売って労働環境良くなくて給料も安いから、あんまり質の良くない人材しか集まらない業種だしね。
繰り返しになるけど、あの貼り付けたメモが差別的でアウトってのは分かるんだ。
でも俺も小売でずっと働いてた質の低い人材の一人だから、そうしてしまった背景を想像しちゃってあれを貼っちゃった店員(もしくはオーナー)を叩く気にはなれないんだよなぁ。