はてなキーワード: 学割とは
年が開けてから元気が出ない。年末年始はコロナで病床に伏していたし、何よりも就活と期末試験のプレッシャーが心を蝕んでいる。夏のインターンシップで気に入った会社の早期選考が来ているが、どうも手がつかない。
教授が話す就活失敗談、順調に就活を進める友人の話、Youtubeのおすすめに出てくるFラン大学就活チャンネル、そういった些細な日常の出来事に触れるたび、私の心身は虚弱になっていった。
今日は家の事情で外食しなければならない。講義が終わり帰り支度をしながら思案する。駅前のマクドナルドや立ち食い蕎麦屋であれば安くあがるしすぐに食べられる。
しかし、どうしても二郎が頭から離れなかった。二郎の脂と炭水化物は弱った体に良いはずもないが、私の体と心が、あのどんぶりからでしか得られないエネルギーを欲していた。
夕方の五時過ぎ、私は新宿小滝橋店に着いた。2、3人の客が店の外に並んでいる。食券を買って外で待っていると、店員さんが外で待つ客に注文を聞き始めた。
ニンニクはマシマシ、前来たときは脂が少なかったから追加しよう、麺は2/3でいいかな。店に向かう道中、私はそう考えていた。しかし、「麺はふつうでいいですか?」と聞かれたとき、私はお願いします。と答えていた。今まで多くても麺は2/3サイズで精一杯だったのに、一人前は食べきれるだろうか。口を滑らせたことを後悔しつつ、覚悟を決めたのだった。
店に入り席につき、しばらくすると、学割ラーメン(麺ふつう、液体アブラ、ニンニクマシマシ)が着丼した。3ヶ月ぶりに向かい合う二郎は、前よりも魔力であふれているようだった。
野菜をどかし、そこから麺をたぐり、すする。ちょうどニンニクが盛られたあたりから麺をすするので、スープのコクとニンニクの風味が口いっぱいに広がる。少しだけ強めに塩味を含む麺は、追加の液体アブラと程よく絡まり、心地よいのどごしで喉を通って胃袋に落ちていく。
ブタもいい。今日のブタは脂をタップリ蓄えていて、口の中でホロホロと崩れ溶けてしまう。まだ数回しか二郎を食べたことがないが、一番のブタに巡り会うことができたと思う。
二郎を黙々と食べ進める。2年前、はじめて三田本店を訪れたとき、私は大盛りのヤサイとブタに気をとられて痛い目にあった。それ以来、麺を先に食べるようにしているが、今日はそんなこと頭になかった。ただ夢中で麺を口に運び、太くモチモチとした麺をかみしめていた。
二郎の麺は太麺なので、見た目以上に一口一口が重い。半分以上食べきり、どんぶりの中で麺とヤサイが混ざってくる頃には、腹が重くなってきて苦しくなってくる。
目の前のどんぶりに向き合い、ヤサイとわずかに残った麺を必死になって口にかきこむ。ブタにかじりつき、飲み込む。コロナの後遺症なのか、食べていて美味しいのかどうかよく分からなくなってくる。
しかし、そんなことはどうだってよかった。必死にどんぶりに食らいついていると、体の芯からこんこんと力が沸いてくるようだった。いちばん美味しい二郎ではなかったかもしれないが、間違いなくとびきりの喜びを感じる二郎であった。
最後のヤサイを平らげ水を飲み干し、「ごちそうさまでした!」と挨拶して店を出た。新宿の街はすっかり日が暮れて、店や街灯の明かりが街を照らしている。しかし、ビルの谷間から見える遠くの空は、まだかすかに明るい。
これを青メガネ界隈のなりすましだと思ってる向きもあるようだけど、そんなものとは一緒にしないで欲しいね。
大学で長年研究・実証されてきた「特権」理論というのがあるんだよ。
中野アナ:出口さんは、“特権”について研究されていますね。“特権”とはどんな概念ですか。
出口さん:私の定義は、アメリカのいわゆる社会公正教育(social justice education)の文脈での“特権”(privilege)で、「マジョリティー側の属性を持っていることで、労なくして得ることができる優位性」というものです。
大学の授業で学生たちに聞くと、特権という言葉は「学割が使えるのは学生の特権」「ディズニーランドが近いのは地元住民の特権」「女性専用車両って女性の特権」という風に使うことが多いです。でも、それらは“特権”ではない、というのが私の立場です。
自分の努力ではなく、たまたまマジョリティー性を持った側に属していることで、下駄を履かされていることはないでしょうかという視点です。
男性は女性に対して、シス女性はトランス女性に対して、日本人は外国人に対して、白人は黒人・アジア人に対して、それぞれ特権を持っている。
中野アナ:ちょっと自分も点検してみたいと思います。まず人種は、僕は日本国籍なので日本人です。次に、出生時に割り当てられた性は、男性です。
画像(出口さんが示した特権チェックの図。「アイデンティティ」について、マジョリティーかマイノリティーをチェック。「人種」は日本人と、外国人、在日韓国・朝鮮人、アイヌなど。「出生時にわりあてられた性」は、男性と女性、他。「性的指向」は、ヘテロセクシュアルに対して、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、アセクシュアル等。「性自認」は、シスジェンダー(身体と性自認が一致)に対して、トランスジェンダー、エックスジェンダー等。「学歴」は、高学歴と低学歴。「社会的階級」は、高所得と低所得。「身体・精神」は、健康に対して、病気、障害を抱える。「居住地域」は、大都市圏在住と地方在住)
ひとつずつチェックしてみると、中野アナウンサーは、すべての項目でマジョリティー側にあてはまりました。“特権”を多く有しているということになります。
マジョリティが特権を自覚して、やがて成長し、マイノリティのために立ち上がり、特権を捨てるという理論。
正しいことが科学的に実証されており、既に実践に移すフェーズになっている。
出口さんのアドバイスは、差別に触れたときのマジョリティーの心理は6段階で推移するという、アメリカの心理学者・ヘルムズの「白人の人種的アイデンティティ発達理論」に基づいています。
これは、アメリカで圧倒的特権をもつ白人が、みずからの特権に向き合うことで、マイノリティーに対してどう変わっていくかを示したものです。
それによると、最初、マジョリティーは「①“特権”に無自覚な段階」にありますが、“特権”に気づくと「②罪悪感を抱く段階」や「③周囲のプレッシャーに負けてマイノリティーを避ける段階」に移り、その後「④マイノリティーのことを知ろうと、一歩を踏み出す段階」へ進みます。
しかし④の段階は、まだ確固とした信念があるわけではなく、迷いや不安から、前の段階に戻ってしまうことも少なくありません。中野アナウンサーのように、相手に関心を持ち取材しながらも葛藤を抱えるのは、この段階にあたります。さらに進んで「⑤自身を見つめ直し、現状を知ることに没頭する」や「⑥抑圧のない社会を実現するため、自主的に行動する段階」に進むためには、仲間が必要だというのです。
私の場合は5時半起き
・筋トレ
・お弁当、朝食作り
・授業の予習
をしてました。
2.授業をめちゃくちゃ真面目に受ける
真面目に受けて、真面目に予習復習して、単位をしっかり取ることを最優先
4.婚活
サークルが主戦場。大手メーカーに内々定が決まっている男性を捕まえて、卒業後すぐ結婚。
5.全身脱毛
通うのは面倒でしたが、早いうちにやっておくとめちゃくちゃ楽。学割で安い。
6.ワキガの手術
4泊5日、退院後も1ヶ月ほどは両腕の可動域が制限。夏休みを利用しないとできなかった。
7.自動車免許の取得
8.インターン
製薬会社でインターンした。病院と製薬会社、どちらに就職するか迷っていたので参考になった。
仕送りを節約してつみたてNISAを少額でやってました。実際にお金を動かすことでリテラシーや資産運用の知識も身に付く。
成人式に出れなくても、振り袖でスタジオで写真は取っておいたほうが良い
毎日少しずつやってたおかげで、日常会話はこなせる。薬剤師の仕事でも役に立ってる。
同じ大学でキャバクラ、ガールズバー、デリヘルなどでバイトしてる子いたけど、私は節約して仕送りのみ。楽にお金を稼ぐと金銭感覚も狂うよー。
衝撃的だった。国会が動いたんだから。一人の母親の叫びは国を動かした。今でも凄いと思う。
話は変わって、てんかんがメディアに取り上げられる時は大体悪印象を持たれる。なぜなら死者が出るから。
車を運転していて、意識を失ってハンドル操作を誤った…なんていうのがよく見るものだと思う。ヤフーニュースのコメント欄には「てんかんの奴は運転するな」とか書かれている。他にはてんかん患者の意見があるが、大半は前者のコメントで占められる。まあ、実際てんかん患者は自動車は勿論、バイクの運転免許の取得が出来ない。条件として、発作が2年以上起きていないこと、薬の副作用が運転に支障がない(眠気などがないこと)などがある。医師の診断をクリアして初めて教習所に行くことができる。人によっては一生車を運転出来ない人もいる。そういう人たちの移動手段は公共交通機関が主流だ。でもこういう事故が起きるのは、社会福祉の制度に問題があるからと思う。「てんかんって障害者手帳取れるんでしょ?それ使えばいいじゃん」と考える人もいるでしょう。確かにてんかんは障害者手帳の取得が出来る。でも、多くの人の交通の足であるJRの割引は適用されない。なぜなら、てんかんは精神障害者保健福祉手帳の対象疾患だからだ。
高校2年生の時、発作が起きてその9日後にまた起きた。それを踏まえて、病院で自転車に乗ることを止められた。自転車を漕いでいる時に発作が起きて意識を失って転んだり、車とぶつかったりしたら、命に関わるからだ。学校までたった一駅の距離を電車で通学することになった。定期代もかなりかかった。ちなみに、自転車に乗れるようになったのは、半年経ってから。乗ってもいいとは言われたけど、あまり良い顔はされなかった。今でも教習所には行けないので、移動手段は限られている。
学割が効いて安くはなったけど、ふと思った。もし私が社会人だったら?会社が交通費を負担してくれるというのはさておき。バスやタクシーは、割引してくれるところはたまにあるけど、JRはない。定期代、バカにならない金額になるのでは?自転車に乗れない上に、車も運転出来ない。事故が起きて誰かが死ぬよりも、国が社会保障関係費にお金を回す方が良いんじゃないの?それに、てんかんは精神疾患じゃない。神経だよ。なんで「精神障害者保健福祉手帳」の対象なんだよ。症状が軽くなって要らなくなる可能性があるから?なんでなんだ。もしこれを政治家の方が見ていたらちょっと頭に置いてください。
精神障害者保健福祉手帳に、JRの割引を加えてください。悲惨な事故を一件でも減らす為に必要なことであると思います。
これで国が動くとは思えない。でもこれに賛同してくれる人が沢山いれば、動くのかもしれない思っている。
押しにも欲望にも弱いといえど弱すぎる。相手も悪いのは当然だけど私も悪かった。叩かれるの必至な気もするがこんな機会なので戒めのために書こうと思う
状況的には中田氏こそしていないがしばらく生で入っていたという感じ。日常的にピルは飲んでいない。
相手と別れたあと急に不安になり日曜日でもやっているクリニックを検索。運良く15時まで営業しているところが見つかったため急遽向かう。
クリニックはめちゃくちゃ綺麗で美容関係メインでやってるとこっぽく、なんとなくゴージャスな内装だった
患者さんは他にも3人くらい、番号で呼んでくれたり個人情報守られてる感をビシバシ感じた。雰囲気としては脱毛サロンのような感覚。
受付のお姉さんに個室へ呼ばれて説明を受ける。3種類あって、日本製72時間以内、ジェネリック72時間以内、国内製120時間以内、とかだった気がする。120時間以内のものが1番効果が高いとのことだったが、僅かな差らしいので1番安いジェネリックのものにした。それも悲しい。躊躇なく1番安心なものを選べるようになりたい。
生理不順を治すために飲んでいる薬があるので兼用しても問題ないか聞く。注意事項の説明を受ける。受付へ戻る。どうやら学割があるらしく、びっくりした。素晴らしいことだ。
受付で番号を呼ばれて、薬と妊娠検査薬を手渡される。受付にあるウォーターサーバーで薬を飲んでも大丈夫ですとのことなのでそれに従う。めっっっっちゃ小さい薬2粒で、ほんまにこれで回避できるんか?とも思ったが信じるしかない!人間の体って不思議!
妊娠検査薬は3週間後に自分で行ってください、もし妊娠していた場合はアフターピル代金は返金します、とのこと。すごいシステム〜
ネットで予約してから行ったからかもだけど、合計30分もかからないくらいで終了。受付の人も根掘り葉掘り聞かないし、終始丁寧で感じが良かった。
ひとまずこれで受診は終わったけど、もちろん効果があったかどうかを確かめないことには安心できない。もうこんな思いをするのはごめんだし、本当に反省している。みんな、一時の欲に流されず、自分のこと大事にしましょうね!!
どっかのブログで一重瞼デー 太っちょデーがあったらおかしいでしょ、レディースデーは女性をカモにしているってあった。
自分はそうは思わん……
いいじゃん、レディースデー。
そこには何も、女を消費しようとか、割引につられるバカ女めとかないでしょ。少なくとも自分は思ったことないし、もしお前ら思ったことあるならそれはお前らがおかしいよ。
レディースデーを設けたら、売り上げが伸びるようになった。
なら企業的にはやる他ないでしょ。
シニアデー設けたら、たくさんお客さん来てくれたから続けてるんでしょ。
それ以上でもそれ以下でもないし、もし社内で、やっぱ女と老人は割引が好きっすねww自分はそんなのには釣られないっすwwとか言ってる社員がいたら、それはそいつの問題。
レディースデーにやってきたLGBTの人たちが苦労するのはまた別の問題。それは対応する受付窓口の人たちや会社側の話。自分が女だと思ってるなら胸張って行けばいい。
学割がなくなって社会人料金になって値段跳ね上がったときから思ってんだわ。
男女平等に基づくなら、利益を得ている女性が上にたって、男性は利益を受けられず下にいることになる。
おい男ども、声をあげて自分たちが差別されていることを訴えようではないか。
といっても声はあげないんだろうな、差別されてる意識がないもん。
映画代とかだから感じてない人多いのかもしれないけど、電車賃とかだったら反感大きいんだろうな。
これは電車賃安くしたところで利用者数は変わんなさそうだから、ただの優遇だって捉えられるのかな。分からん。
まあそういうことです。
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企業的にはレストランの2人席は2人で埋めてくれたほうがいいし、デート先おでかけ先に映画館選んでくれたら儲かるじゃん。
そゆことよ。
45歳多重派遣と言っても、噂のGitHubの人ではない。すまんな。。
皆さんはプロジェクトの共有ディレクトリの最下層に”女子大生”という何もないファイルを作ってアクセスログをとっていたのがバレて怒られた事はあるか?私はある。2回。
仕事でとうとうGitHubすら使わずにプログラマ人生を終えてしまった。
レガシーな技術を使いがちな金融プログラマではそこそこ居るのでは無いだろうか。
年収は20代後半からは550万~700万位だった。残業代・退職金は無く交通費は出ない。
所属会社は営業も事務も居ない小さな所帯のフリーの集まりのような所で、会社の運営に必要な金額をある程度毎月納めれば良い会社だった。
仕事がなくなれば自分、もしくは他社員の人脈で仕事をとってくる。フリーで居るよりは仕事を取りやすく、単価も上げやすいので一応会社の所属にしているだけの所だった。
私はやる気が無いプログラマだった。オフの時間にプログラムの勉強をしたことなんて殆どないが30歳、35歳の限界説を越え、45歳まで働けた。
元ニートの高卒45歳。多重派遣の底辺プログラマの退職エントリ。
はてなのIT技術者諸氏はオフの日にも日々勉強をしているようで。
◯◯出来る人が居ないか?と聞き回る営業を見ていると多重派遣のSESとはいえ業務時間内に勉強させろと私は思う。
技術の勉強の話になると途端に何プペる?のような、仕事の為の無給勉強時間当たり前のように語られる事がやる気の無い私にはついぞ理解することが出来なかった。
足に鎖でもついてるのかね。私と一緒だね。
45歳で年収300万円多重派遣の彼は問題児なのかもしれないが、私よりはやる気があるプログラマなのではないかと思う。
退職までずっとプログラムを書き、テストをしていた。たまに客に直接要望を聴いて、仕様書に落とすこともした。
C/C++・Java・各種Shell・VB/VBA・SQL、UNIX/Linux・Windowsサーバーをなんとなーくしていて、他の人が書いたプログラムを流用しまくって書いていた。
ざっくりな話になるが、私より出来る人はわんさか居て、私より出来ない人・問題児が2割は居た。後者の彼らのおかげで私は仕事があったのだ。あと、東京だからあったのだ。
人並以上の理解をしていたのはLinuxの構造くらい。仕事でカーネル層に潜り込み、デバイスドライバの改造をしなくてはならず、月350時間くらい働いているうちに身についたものだ。年俸制という糞システムのおかげで1円も残業代は出なかったが。
全く知らない技術が使われている新しい現場に上位プロパー会社の営業に売りに出されることはままあった。
現場の人にさも「解ってます!」みたいな面で面接をし、何とか切り抜けることは出来た。このときばかりはいやいやながら上辺だけを勉強した。無給でな。
解っている事でも残業が沢山降ってきそうな場合は「ちょっと私には難しいですね・・・」「いやー、解らないですね。。」と出来ない振りをする度量もついていた。
仕事は”出来る(都合の良い)いい人”に回ってくるし、仕事をしてもめったに単価を上げてくれなし、切られる時は切られる。
30歳を越えたあたりから必要な時は定時丁度に上がる精神的な技術も身についた。
それと同時にここ10~15年はブラックなIT業界でもようやく過残業を減らそうという機運が増えてきたように思う。
ライブやイベントにも足を運べるようになり、推しに投資が出来るようになった。
おそらくまだ10年はプログラマとしてなんとなく生活出来たのだろうと思う。
「あいつ、そこまで出来はしないけれど居ないと困ることもあるんだよなぁ」位のポジションで。
あるいはもう少しやる気を出し、転職をし、上位層で働くことも出来たのかもしれない。
・そしてその日、”1人日”以上の仕事が割り振られる。残業しても終わらない
・翌朝で何故おわっていないのか?を問い詰められる
・仕事のタスク割り振りが多すぎて終える事は出来ないとお伝えしましたが?と反論
・その状況で、空いている時間にやっておいてくれと新たなタスクが振られる
・空いている時間とは?と聴いてみるが、コンパイルしている1分の時間に少しづつといわれ、そんなの出来るわけ無いですよね?。どこに空いている時間があるか教えて下さい。
と、毎朝そんな問答を繰り返していた。
改善をする気もおきなかった。早く次の現場に行きたいなという事ばかり考えていた。
そして気づいた。この仕事にようやく私は飽きたのだと。
子供も数年前に生まれ、子供が成人するまでこの仕事をするのも耐えられないと。
そんな時に副業のほうを本業にする決意をした。会社を辞め、起業をした。
今は全く別業種の業界で働いている。この先うまくいくかは良くわからない。
3次請け、4次請けの会社に居たので理不尽やパワハラには事欠かなかった。
理不尽の例1)
まだ若手の時、鉄砲玉として使われた事があった。
フロッピーを本番端末のあるセンターに密かに持ち込み、定例メンテナンスの振りをしてシステムを黙って更新するという密命が若手の私と、他社の派遣PGで新人のK君に与えられた。何度も。
かばんの奥にフロッピーを隠し、かばん持ち込み検査で検査員にばれないようにし、潜り込む。メンテナンス用の作業IDを使用して黙ってシステムを更新するというのを繰り返し行った。
今考えると下手すると裁判沙汰なんじゃないだろうか。しかも見つかったら責任を取らされるという。
テンパった彼は入館証ではなく、隠していたフロッピーを検査員に見せつけたのだ。
だが、早朝ということもあり、検査員がほぼ寝ていたので問題なく通れてしまった。
今思うとあの時は首の皮一枚で大丈夫だったんだなと。
理不尽の例2)
大手家電メーカーの工場で仕事をした時、プログラムの仕事なのに作業服をまず”自費”で買わされた。作業服いらねえだろう。
工場内にある窓の無いプレハブ小屋が開発現場だった。人権が無ぇ。ファーウェイの工場にはヨーロッパの街並みが再現されているらしいが。
この現場は電機メーカーのIT子会社D社からE社に投げられ、部屋に私以外だと窓際管理職のD社社員1人とE社の人間しか居なかった。
何故、E社の人間の中に私1人だけ他社の開発要員が入るのか?
入ってすぐに理解した。担当するシステムが1人だけで長く開発していたシステムで、スパゲティすぎて破綻しかけているのだ。
これを開発し続けられればヨシ、破綻したら私の(会社の)せいということにしたいのだ。
入って1週間で営業にコレはダメだと、早く抜けさせてくれと直訴した。
結局抜けるのに4ヶ月かかったが、その間、本当に酷い日々だった。
小さな改修が多く、納期は1週間か2週間毎にやってくる。だが仕様を投げるD社の人が鬱で会社にあまり来ない。他のD社の人に聴いても何も解らないという。
1週間の仕事で金曜日納品なのに、木曜日の夕方に2日酔でやってきた担当者に仕様を聞き出し、金曜日に意地で納品するも、気に入らないところがあったらしく「前担当者よりスキルが低いですね~」と言い放たれた。精神の苦行だろうか。
私の抜けた後、E社の別な人間が担当するも無事破綻しかけているという話は後ほど聞いた。自分のスキルでは本当にギリギリだった。危なかった。
パワハラ1)
高校卒業後はニートだった。猫と母としか会話をしない2年を過ごした。
その後、大手新聞社とオペレーター派遣会社が共同で作っていた文科省認定ではなく定期の学割も効かない街のパソコンスクールに通った。
教師は二種(基本情報)も持っておらず、業界歴は1年だけで環境変数も理解していなかった。
その学校で多重派遣という底辺で生きる技術者の卵に他の20名と一緒になった。
文科省認定の専門学校の情報処理科では少しマトモに勉強すれば大手SIerや商社の子会社の「何ちゃらソリューション」に入れる事も多い。
アホの一つ覚えのように大手の子会社は「何ちゃらソリューション」なので、「何ちゃらソリューション」というIT会社を見たらセンスの良い経営者が名付けた何処か大手の子会社だと思って差し支えない。あとイノベーションとかな。イノベータとかな。
就職氷河期の真っ最中に地方中核都市で就職をしたのだが、入社直前に東京勤務になった。
会社からは15万円の引っ越し資金だけが支給された。氷河期の3月に転職は出来なかった。
親に敷金礼金4ヶ月分を負担してもらい、親父に秋葉原の石丸電気で家財一式を買って貰った。
SES企業はまず新人教育の当たりハズレががある。ハズレのほうが多い。
派遣法の隙間をついて、たぅった1人で新人が派遣されてくる事も多い。彼らの大体は苦労を強いられている。
私は運良く同じ会社の人が沢山居る現場に入ったのだが、教育担当が想像を絶するパワハラマンだった。とにかくどんなことにもキレる。
ある日個室に呼び出され「お前は田舎に帰って缶詰工場で働け。なるべく頭の働かなくて良い仕事を選んでくれ。業界にいると迷惑だ」と言われてしまった。
親に学校に通わせて貰い、引っ越し代も払ってもらったのに使い物にならないと言われたときの絶望感は大きかった。
地下鉄がホームに入ってきた時、ホーム下にふと吸い込まれて行きそうになり、寸前でハッとなり鼻先を電車がかすめていった。
知らないおばちゃんに「しっかりして!」と怒られた。都会の人も優しい。
それ以降、他社でも新人には丁寧に接している。私はまだ恵まれていた方なのかもしれない。
パワハラ2)
その家電はTronからLinuxにOSが切り替わり、開発・コンパイル用のソフトウェアのシミュレーターが新規開発となった。
Linuxのカーネルプログラミングが必要となり、日本語の文献もインターネット上の文献も少なく、オライリーの洋書(現在は日本語版もある)を取り寄せて読まざるを得ない状況だった。
英語は全く出来ない&私が作るとなると当然開発は遅れた。
私はカーネルプログラミングなんて当時はしたことが無かったし、集められた人員もLinux上でC言語の仕事をしたことがある。くらいの人員が集められたのだ。
単価が安い人しか使ってはいけないというルールで運用されていたらしい。
苛立った家電メーカーの”部長”が私を広いフロアの大人数の前でこう叱った。
「こいつ全然解ってないじゃないか!!」「なんでこんなのにやらせているんだ!!」
中国出張で散々おねーちゃんを買った自慢をしていた糞みたいな人間に罵られるのである。
月単価55万で350時間働かされ、残業代は1円も出ずである。誰もフォローをしてくれなかった。
徹夜が3日目に突入した午前3時、役職付きが私のPCの後ろで「まだ出来ないのか?」と15分おきにやってくる。
何とか完成はさせた。恐ろしいことに若かった当時は満足感をそれなりに得ていた。
精神的に色々と凹んでいた時に励ましてくれたのは中国人の同じ派遣の人だった。
大卒の育ちの良い中国人派遣技術者が沢山居たが、彼らは本当に性格がまっすぐだ。彼らが私の中国感を大分良くしてくれた。
(ずっとメッセンジャーばかりやっている連中もいたが)
彼らのような有益な人材が来てくれる時代があと何年あるのだろうか。
私は所属未定のまま倒産した次の日も、土日も何故か働いていた。
自分が働かないと他の人が倒れてしまうと当時は考えていたし、ようやく仕事が出来るようになって謎のやりがいを感じていた。
そして、翌週、中間の会社から流石に所属未定はマズイのでフリーとして契約しましょうと言われたのだが、単価の話なんて当時若造だった私には解らないのである。
結局、300時間以上働く中、残業代無しの45万円固定と言われるまま契約をしたのだが、
当時の私には多い金額に思えていたものの、都内のフリーの技術者としては当然低すぎる金額であった。
忙しい中、アドバイスを貰う余裕もなく、無知のために中間会社の狸親父に低い金額で契約させられたのだった。
みなさんは自分の単価くらいは知っておいたほうが良い。
賢い同じ会社の同僚は失業手当で半年間遊んだか、会社契約と同じ単価でフリーとして契約していた。
余談その2、当時なんとなく興味を惹かれて当時流行っていた日本礼賛本を読んでみた。
国産OSのtronは携帯電話で世界を席巻!!みたいな事が書いてあったが、その本が出ていた頃、携帯電話のOSはLinuxとSymbianで締められていたのを知っていたので興味深く読んだのを覚えている。
他にも
「1次請けが私の単価を上げてくれても中間会社が搾取し、私には全く反映されない話」
「野田がドモホルンリンクルのバイトのように円高を注視し続けた時、円高&オフショアブームで単価が2年で2回減った話」
「中間会社にオフショア開発の失敗の後始末を手伝って欲しいと言われ、現場をインフルで倒れた振りをして休んだ話」
「5000円の著作権フリー音源をシステムに使用するのに数百万かかった話」
「メモリ枯渇エラーが頻発したのに数百万以上のコストをかけて打ち合わせをする虚無の話」
「メモリ初期化エラーが頻発した時に、解決方法としてとんでもない方法を提示され、阻止した話」
「15万円のPCが60万円で導入される仕組み」
「入社初年度の忘年会の一次会が新宿の有名なゲイのショーパブで、他の社員と会話も無く終わった話」
「無呼吸症候群で猛烈な睡魔との戦い、現場で怒られるようになり、睡眠薬で生活リズムを取り返した話」
「大手会社のコンプライアンス啓蒙画像に著作権違反を発見した話」
「キレる、人前でイライラする人とは働きたくない話」
「某銀行の開発子会社の美人率が高い・銀行員の婚姻率の格差社会の話」
などなど考えていたが長くなったので終わり。
多重派遣先は色々なキャリアの人が多い。元ホスト、元キャバ嬢もいれば元医師の中国人、元アニメ会社勤務、元美容師、元寿司職人等の転職組も多い。
以前いたプロジェクトの有名SI企業のPMもSES上がりの元寿司職人だった。
SESは就職の壁が低い。そこを足掛けとして転職し、さらなる転職で大手や大手子会社に転職するのは悪くないキャリアプランの一つなのかもしれない。
SESの会社も玉石混交なのでまずは良いSES会社に入るのは大事だし、多重派遣は改善されてほしいが。
何が書きたかったのか忘れたし飽きた。
業界からやる気の無い45歳が1人減り、業界は少し平和になった。
追記:続編を書きました。