はてなキーワード: 夫婦別姓とは
いわゆる滑りやすい坂論法(slippery slope argument)ちゅうやつでんな
「現在主張されている点は認めうるんだけど、それを認めると認められないような結論を受け入れるところまで滑ってしまうんじゃないか」という懸念。
これは割と真剣に検討される議論で、例えば軍事研究問題とかなら妥当な意見として真剣に取り扱われてる(んじゃないでしょーか?)。
提出された方には「滑らないよ!」という義務が(議論のモラルレベルでは)ある程度は存在すると言える。
もちろんこの議論をクリティカルな反論に育てるためには「滑るよ!」と証明しなくてはならない。
だが、ポイントは、「滑らないよ!」と証明しない限り、元の主張は無傷ではいられないということだろう。
そうなると、全面的夫婦別姓に対する反論(反感)が一部としてではあるが、選択的夫婦別姓に対する反論(反感)を構成しうることになってしまう。
基本的に夫婦の苗字について一緒にするか別々にするかはどちらでもいいとは思うんだけど。
モヤッとするというかイラっとするのは「別姓の方が進んでいて、良い考え方」という論調。
そのうちに「別姓でなければならない」となるんじゃないかという危惧。
リベラル的(左派とはもう言わないんだな、)考え方のイライラする点は、「私たちの方が絶対正しい」
という思考回路なんだな。
リベラルは1歩調整すると3歩進んでくるやつらなので、そこんところがいやだ。
追記:匿名だからしょうがないけど、なんでコメで高圧的にバカにしてくるのか不思議?
あとたった6行の戯言からすごく妄想を膨らませるかたがいて、人間の想像力とはすごいなと思った次第。
本題、事実婚じゃだめなの? 自分は結婚>離婚(名字で揉めたわけではない人生いろいろ)>事実婚(子供はいない)
結婚も事実婚もそんなにかわりはない。(税金の控除がうけられないかな。でもリベラル的考えでは女性を家庭に縛り付ける障壁では?
唯一非嫡出子の親権は問題あると思うけど、そこはリベラルの人はつつかないの?
追記の追記:朝起きてみてみたらたくさんコメがついていて驚いた。匿名の戯言をぶっ叩くエネルギーはすごいなと。
事実婚については、そんなにかわりはないと書いたが、書き方がよくなかったので訂正する。
相続 年金、等々いろいろ違いはある。我が家はお互いに経済的に独立しているので気にならないのかも。
パートナーの財産の相続は一筆書けばクリアできる。パートナーの親族の相続は受けられないはず。
事実婚については、行政側も救済策(迂回策?)用意してあってそれを利用すればいいやと思っているので、変わりないと書きました。
最後にコメを読むのもつかれるので、これ以上は読まないし追記もないと思います。皆様の勝利です!おめでとうございます。
法改正まで頑張ってください!
https://mainichi.jp/articles/20171109/k00/00e/040/275000c
なるほど、別姓良いんじゃない。
別姓を選択できるようにするだけだ。
ところで、私は全裸派だ。
家の中では当然全裸だ。
全裸を希望する人には、全裸という選択を許して欲しいと言っているだけだ。
https://note.mu/yoshiaono/n/n8e5933a8ac0c
青野さんの原則
2. 社会の変化に合わせてルールを変化させよう。(生成発展)
によれば、
裸族のニーズは尊重されるべきだし、社会のルールも変化させるべきだ。
もう一度訴えたい。
だからさ、家父長的な夫婦同姓からの解放ってどっから出てきたの?誰がそんな事言ってるのさ?
まあ探せばどこかで誰かが言ってるんだろうけど、
https://mainichi.jp/articles/20171109/k00/00e/040/237000c
その女性は第一生命という保険会社に勤務していたんだけれど、結婚して姓が変わったことに伴い作り直した名刺や判子などの費用を会社から負担させられたとぼやいていた。曰く、結婚したのは自己都合だから、らしい。
そんな理不尽なことを大手企業がやるとは思えなかったし、そもそも自己都合も何も名刺など業務上必要とされるものを被雇用者が負担すること自体おかしいので「(第一生命とは)業務委託契約なのでは?」と尋ねたが「いや、正社員である」との返答が返ってきた。
友人は社会経験が乏しくいわゆるコンプライアンス的な発想を持ち合わせておらず、勤め先の対応を愚痴りはするものの「当然のこと」として受け止め消化していたため、私も「そうなんだ」と相槌を打ち、それ以上深く話を聞こうとはしなかった。「正社員だが基本給はない」などと謎の台詞を口走っていたので、私は「彼女は何か雇用形態をしっかりと把握していないんだろう」と思ったのだが、いったい事実はどういうことなんだろう・・・。
これは思想の左右とは関係なく、市場の要請=売る相手が居なくなると国内経済が困るから、であって、政治思想とは関係ないのでは。
強いて言えば、財界≒右なので、右サイド(持てる層)の人たちの「認識不足」だと言えなくもないですが…。
リベラルは弱者保護というよりも、多様性の許容という理屈立てだと思います。
信じられないかもしれませんが10年ぐらい前は、子を産んだ女は「いったん社会から強制退場」だったので、そうじゃない「人生の多様性」を獲得したい、という主旨だと思います。
「産んだ人=弱い=守らねば」ではなく、「産んだら退場」=扶養家族増えたのに稼ぎ口減る=社会的弱者」、という、もう一段階前の存在を忘れないでほしいです。
そして、出産に義務を課しているわけでもない。ご自身でも仰っているように、出産を義務と見なしているのは右でしょうね。夫婦別姓も大嫌いな人たちですし。
このように考えてしまう理由は、恋愛(ここでコミュニケーション弱者が発生)→結婚(ここでは主に経済弱者が脱落)→出産、
というヒエラルキーを想像しているのかもしれませんが、この「自然的市場」を否定するのであれば、
社会主義革命か、もしくは地球全土が中世ぐらいまで生産性を下げる(必然的に生殖行為=生産性向上に直結するはず)ぐらいしか方法が思いつかないですw
なので、本増田は、絶対的なものとしてこのヒエラルキーを想定するのは、人間としてい続けるためには(ワンオブ生物であると開き直るなら別ですが、私はそれは人間とはみなしません)
間違っていると思いますし、むしろ「人生の多様性」を広げることで、野生生物的ヒエラルキーの意味を削いで行くことが可能だと考えています。
ただし、何しろ人間という「生物」は、かれこれ1億年ぐらい、「産む=生産性」というシンプルかつ野生な環境でやってきたので、簡単に変わるとは思いませんが…、
【2017衆院選】LGBTの政策について各党にアンケートをとって比べてみた - SOSHI BLOG http://soshi-matsuoka.hatenablog.com/entry/shuinsen_lgbt
「なお、自民党では性的指向・性同一性の多様性に関して理解促進を図るための法整備を検討しており、具体的な施策については政府申し入れにより現行制度をフル活用して実現を目指す方針です。」
「憲法24条の「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」が基本であり、同性婚容認は相容れないものです。また、一部自治体が採用した「パートナーシップ制度」についても慎重な検討が必要です。」
同性婚、選択的夫婦別姓、家族のかたちを候補者はどう考えているか
http://www.projectjapanwomen.net/single-post/2017/10/16/2017election
政治家やってる人たちの風潮が社会の風潮とは思わないけど、「まだそんな時代遅れなこと言ってんの?」って感じ
街頭演説してるあの人やこの人も、「家族は多様であるべきではない」と思ってるという事実にゾッとする
「異性への関心」指導要領の改訂を拒否、文科相は“LGBTは科学的に認められてない” http://lite-ra.com/2017/05/post-3136.html
予断を持たずに事件に取り組み、判決などで具体的な理由を示すにあたっては、最終審としての説明責任を果たす内容になるよう、力を尽くしたい。最高裁には多様な紛争についての不服が申し立てられ、どの事件も最終的な決着が求められている。社会的に影響の大きな事件も少なくなく、責任の重さを日々痛感している。
広い視野の下で、公正な判断を行うことが期待されていると感じる。その期待に応えるためには、判断の内容を説得力ある分かりやすいものにすることが大切である。また、裁判所の存在が国民に身近なものとなるよう、情報発信や手続きの工夫などといった面にも一層留意する必要がある。
地裁や高裁で勤務した時代、3人の裁判官の間でさまざまな議論を重ね、充実した判断につながったと感じられた事件は、著名かどうかを問わず長く記憶に残っている。最高裁においても同じだろうと思う。
任命権限に関わる事柄であり意見は差し控えたいが、現在、バックグラウンドの異なる同僚裁判官とさまざまな角度から率直な意見交換ができる環境にあり、日々の仕事にとって大きな意義があると感じている。
裁判の中で憲法判断を示す立場にあり、お答えは差し控えたいが、憲法は、我が国における「法の支配」の基盤となるものであり、普段からそのありように国民の目が注がれていることは、大切なことであると考える。
前項と同じ。
これまでに関与した定数訴訟についての私の意見は、大法廷判決の中で示してきたところであり、これからも個々の事件の判断の中で示していきたい。
注:16年参院選の「1票の格差」を合憲とする多数意見(17年9月)
法的判断が司法に求められている大きな問題の一つであるが、今後訴訟が最高裁に係属する可能性があるので、意見は差し控えたい。
国民の皆さんの理解と協力に支えられて、制度が定着しつつあることを、刑事裁判に携わってきた者としてうれしく思っている。大改革であり長期的なものさしで改善を図っていくべき課題もなお残っているが、刑事裁判が、「開かれた司法」の方向に大きく変わったことは確かである。
誤判を防ぐためには、一つ一つの事件において、当事者が適切な訴訟活動を行い、裁判官が曇りなき目で判断を下すことが、何より重要である。制度や運用の改善点については、法曹三者の間で、実情をもとにして、率直で冷静な検討を深めることが欠かせない。
国民の間で議論を深めていくべき重要なテーマであると思っているが、具体的事件に関与する立場にあるので、立法論に関わるご質問についてはお答えは差し控えたい。
重大な刑事事件は裁判員裁判によって審理されており、今回の新制度の運用については、裁判員裁判の証拠調べにおいてどのような評価が示されるかが、重要なポイントになると思う。裁判員裁判と同様に、長期的なものさしで検討すべき問題であると考える。
さまざまな課題を抱えていることは認識している。法曹養成制度も教育制度の一つであり、時間をかけて行うべき人づくりの土台だといえる。長期的なゴールを見定めて、じっくり検討していく姿勢も大事だと思う。
国際的な経済活動が原因となった訴訟はこれからますます増加すると思う。裁判官は、紛争の背景にある実情も視野に入れた上で、判断を下すことが求められる。そのためには、研修、人的交流などの機会も一層充実させる必要がある。
「開かれた司法」を推進していく上で、テクノロジーの活用は重要な柱の一つだと考える。それだけに、単に「便利かどうか」というのにとどまらず、司法へのアクセスや裁判手続きの将来のあり方も念頭に置いた上で、総合的に電子化などの改革を進めていく姿勢が大切だと考える。
個人的には、今年は名演と観客席の熱気が一体となったライブに出会う機会が多く、終演後はその場の一員であった幸福感を味わえた(例えば、ロシアの劇作家チェーホフの「ワーニャ伯父さん」)。
「尊敬」という意味とは少し違うように思うが、強さ、弱さを含めて、人間的魅力に富んだ人物として、最近興味があるのは、森鷗外。趣味はコンサート、観劇。好きな言葉はゲーテの「人間は努力する限り迷うものだ」。
千葉聡の「歌うカタツムリ」。身近な生物を手のひらの上に乗せながら、生物進化に関するダーウィン以降の研究の歴史が物語られており、科学読み物として非常に新鮮だった。
約40年間、弁護士の活動から培った経験や市民感覚を踏まえ、弁護士出身の裁判官であることの自覚と誇りを持って、正義と公平にかない、かつ、健全な社会常識にかなう法律の解釈・適用に努めていきたいと考えております。最高裁裁判官に就任して約1年3カ月経過しました。最終審としての判断の重さを更に自覚し、一つ一つの事件に謙虚に向き合い、よりよい判断・解決のため、誠実に職責を果たしていく覚悟です。
裁判所に対して、一つ一つの事件について、迅速かつ適正妥当な判断を期待していると思います。最高裁判所としては、主な事件の判決などについて、ホームページなどでも公表していますし、法廷の傍聴人の方々にも事件の争点など概要がわかるような工夫を積極的に進めています。
個別事件の判決の中で示した意見のとおりであり、これを離れてお答えするのは控えさせていただきます。
いずれの質問についても、憲法で定められている任命権者が判断する事柄ですので、お答えするのは控えさせていただきます。
憲法の改正は、国会の発議により国民投票を経て行われるもので、主権者としての国民が判断される事柄であり、各国民が真剣に考え議論すべきものと思います。
国家存立の基盤である国の安全保障政策については、各国民が自分の問題として真剣に考えるべき事柄であり、司法の立場にある者として、個人的意見は控えさせていただきます。
注:16年参院選の「1票の格差」を合憲とする多数意見(17年9月)
裁判所は、どのような訴訟においても、法にのっとり公平かつ適正妥当な判断をしていかなければならないものと考えております。
裁判員制度はおおむね順調に運営されてきていると思いますが、問題点もご指摘のとおりあります。更なる審理の工夫や制度の広報に努める必要があると考えております。
誤判は絶対にあってはならないものです。刑事事件の事実認定においては、思い込みを排し、様々な視点から十分に証拠を吟味することが大事です。刑事司法に携わるすべての者が、誤判防止に向けて、それぞれの立場で誠実に職務を行わなければなりません。
死刑制度の存廃や終身刑の創設などは、最終的に国民の意見により決められるべき立法の課題であり、司法の立場からの意見は控えさせていただきます。とはいえ、死刑は究極の刑罰であり、その適用は極めて慎重に行われるべきものと考えております。
新制度は、捜査・公判が取り調べ及び供述調書に過度に依存している状況にあるとの指摘を受けて立法化されたものであり、これにより、刑事手続きにおける証拠収集方法の適正化及び多様化がされ、公判審理の更なる充実が期待されます。
具体的な政策についての発言は控えさせていただきますが、法科大学院で5年間教壇に立った者として、法曹養成の理想に向けて開校した有力な法科大学院で募集停止が相次ぐこととなり、残念でなりません。社会の様々な分野で法律家が活動することは、法の支配する公正な社会を実現するために必要であり、大変意味のあることだと思います。わが国社会の今後の発展を支える有為な人材として質の高い法律家をいかに計画的に養成するかという観点で検討されることを望みます。
国際取引事件、家事渉外事件をはじめとする国際的紛争事件に十分対応できるよう、裁判所における人材の育成が求められるものと考えております。
裁判手続きのIT化のあり方としては、裁判手続きの利用者の利便性の向上だけでなく、本人訴訟への対応を含む関係者の手続き保障、情報セキュリティー、事務の合理化を含めた費用対効果などの諸般の事情に配慮しつつ、裁判手続きにとって真に望ましい姿を探る必要があります。
趣味は、歌舞伎鑑賞です。尊敬する人物は自分を育ててくれた両親で、感謝と尊敬をしています。好きな言葉には「道を伝えて、己を伝えず」という言葉があります。日本の幕末から明治にかけての動乱期に、キリスト教の伝道を行った宣教師チャニング・ムーア・ウィリアムズの生き方を表現した言葉です。私はキリスト教の信徒ではありませんが、ウィリアムズは、幾多の困難に全身全霊で立ち向かいながら人々の心を一つにまとめ、教会や学校・病院を造り、社会や世界を動かしました。そのような信仰の姿こそが、「『道を伝え』ることではないか」と思われます。そして「己を伝えず」。真の意味はいまだ計り知れないものの、「自分の考えを相手に独善的に押しつけようとしない」とか、「自分の名誉や欲望のためにけっして人を利用しない」と解釈されています。事実、ウィリアムズは一介の宣教師に過ぎない自分の名が記憶されることを徹底して拒み、日記や手紙の多くを燃やしまでしたとも言われています。
政策パンフレットはこれ。https://cdp-japan.jp/gallery/
経済面では「中間層を復活させる」を色んなインタビューとかで言ってるのでそこんとこやる気があるっぽいのがよい。たとえば http://www.huffingtonpost.jp/2017/10/09/edano-02_a_23237032/
ひとまず中間から貧困に零れ落ちつつあるやつらをなんとか復活させて、実質賃金上げて零れ落ちてる人たちの消費を増やして、内需が回るようにしてからもろもろやってきましょう、国内経済を活性化させないとジリ貧っすわ、という意識なのが分かるし、この感覚は納得できる。
(※トラバのやり取りを見て追記。
https://www.buzzfeed.com/jp/satoruishido/yukio-edano?utm_term=.xmZNQ5GJa
このインタビューで、枝野は緊縮財政派を現状ではやめ、安倍政権の金融政策を継続すると明言している。よい)
ただ、パンフでアベノミクスに成果がなかったって言い切ってる部分は、景気指標とかが改善してる以上ちょっと説得力が薄いとは思う。
俺は立憲民主党には、
「アベノミクスにより平均指標としての景気動向指数とか株価とか失業率とかは改善して、それはよい。だがその改善の波にうまく乗れなかった層の生活は以前よりも厳しくなっている。
回復してきた景気はこのまま育てつつ、見過ごされてきた人々にも的確な再分配で恩恵を確実に与え、中間層を再生し全ての国民の収入と消費を盛り上げていく」みたいなこと言ってほしい。
あと政府情報の透明化や取り調べの可視化とか、政治と司法への不信感をなくそうというのも言っている。大雑把に言って国への信頼感なわけで、これを高めるのは大事。
政治不信がなくなれば投票率も上がってくだろうし、政治を冷笑する人も減り、真面目に考える人も増え、信頼度低下を気にせず強引なやり方をする与党や、罵倒芸に終始する野党が減る……といいな。
憲法関係は、名前のせいもあって単純に改憲反対みたいに見えるが、どうも今までの話をよく見ると「今の勢いのままでの改憲には反対。ただし一度落ち着いて議論をちゃんとした上での改憲は前向きに考えている」ってなところらしくて、憲法古臭すぎるし変える必要あると思うけどキナ臭い時期に焦って変えるのは不安だわ、みたいに思ってた俺としてはなかなかよい。
そこんとこもうちょいアピールして「立憲主義は固持するつもりだが、現在の憲法にしがみつくという意味ではない」ってのをはっきり言った方がいいと思う。
こんな感じかなあ。
原発ゼロは、俺は原発コワイヨ~ってなってるので真面目にロードマップ作ってゼロを目指すってのは嬉しいけど、原発は必要だろって人には全然響かないだろうから推さない。
あと差別反対とかの部分は、LGBT、性暴力被害者、夫婦別姓支持者、クオータ制、児童養護施設、とかが並んでて、なんか性別関連の多くない? しかも、主に女性とセクマイと子どもで、シスヘテ成人男性への目配りがなくない? ってのが不満。
年収は低い
移民は受け入れず国内の労働環境の改善で労働力を確保すべきだしそれができない事業者は市場から退場してもらって一時的に廃業や倒産件数が増えるかもしれないが過労死よりはマシだと考える
生活保護は必要な制度だと思うしセーフティネットはこれまで以上に拡充すべきだ
高齢者の年金問題は金持ってる高齢者から税金取ればいいと思っている
原発はゼロにすべきだがその過程は議論の余地があると思っている
少子化対策は結婚可能年齢や成人年齢を下げるとともに子供を産むほうが経済的にメリットがあるような制度にすればいいと思う
教育無償化は大学まで含め貧困層に限定して行えばいいと思うし私大助成金は廃止すればいいと思う
消費税は今は上げる時ではないと思う
夫婦別姓や同性婚も別に問題ないと思うのでやりたい人ができるようにすればいい
政教分離の国なのだから信仰を持たない人への逆差別になっている宗教法人制度は廃止して黒字なら税金を払わせろ
さて今回はどこへ投票すべきかねえ
祖母は祖父と結婚した際に夫婦別姓は…という祖母の実家の意見でドイツ人になった。
以降ドイツの土を踏むことなく沢山の子供をこさえて日本で死んだ。
当然曽祖父は1度もドイツに帰らなかったので、祖父も母も叔父も日本生まれ日本育ちのドイツ人である。
全員インターナショナルスクールに行ったので英語は喋れるが、ドイツ語は徴兵でドイツに行きドイツ系の会社に就職した叔父以外喋れない。
選挙権は誰も持っていないが、商売をしていた家なので税金は人より多く収めたし、祖父は米寿を迎えるちょっと前までその商売の職人として働いていた。(米寿を迎えた今もあまり病院の世話にもならず、元気にビール350ml毎日飲んでいる。)
国籍は違えど、わたしの家族は生まれ育った日本への誇りをもち、産まれてもいない自分たちのルーツ・ドイツへの誇りも持っています。
正直目に余る事もたくさんあるのは事実だけど、国籍や在日に関して無条件に差別・ヘイトするのであれば、うちのような家族も仲間に入れてくださいね。
うちの家族も無条件に差別・ヘイトするならほかの在日外国人への差別やヘイトも立派な主張になると思うんですが
全てを助けたいなんてアホみたいな事は思ってないんだけど
なんかモヤモヤするんですよね。
基本的に男性は知らない分野だろうから、通称使用についての簡単な歴史を説明してやろう。
女性の社会進出を妨げる制度上の障害をなくすことは、日本の少子高齢化と労働力不足を踏まえた、国策だ。「フェミニストのわがまま」ではない。男女雇用機会均等法は72年に施行され、86年、97年、99年、07年にさらに強化されている。
雇用機会の均等は進んでいたものの、民法における夫婦同姓の規定は、結婚後の女性の社会進出を妨げていた。民法の変更は、雇用機会の変更ほど簡単ではなかったが、夫婦別姓の合法化の機運は徐々に高まっていった。潮目が変わったのが2015年の最高裁判決。旧姓の通称使用は社会で一般的になりつつあることをもって、夫婦同姓は違憲とはいえない、という判決が確定した。これが意味することは、民法改正によって夫婦別姓を実現することが難しくなったことと、旧姓の通称使用を認めないことは憲法違反のおそれがあること、その2点だ。その後、一気に通称使用が進展しつつある。だが、通称使用が実務的な問題を生じる分野は多数あり、それを緩和するためには時間が必要だ。パスポートの通称併記は認められつつあり、免許の通称併記は現在検討中。
旧姓で銀行口座開けるようになるかもしれないというニュース。マイナンバーカードにも旧姓が載るのはもうすぐか。
えらいことだ。
民法改正して夫婦別姓認めます!婚外子差別を撤廃します!と息巻いてた民主党は政権とったときに何もしなかった。何もできなかった。
非常に期待してたのに、ダメだった。旧姓使う不便は、日常生活のちょっとしたことは気にならなくなったけど、
いざというときに使えないと、自分が否定されたような感情が無いとは言えない。
男は旧姓使用ややりやすいけど、名前変えたってばれると勘ぐられたり、逆につっこんだこと聞かれたり。
違うっていうのに婿養子だと思われてる。
安倍政権になって諦めてたけど、名より実を取るように進んでる。やってることはリベラルじゃないの、リベラル・デモクラティック党。
なんか思い出した。
やや昔なのだけど、上司(歳は近い)が「増田さんはフェミ入ってるから気をつけないとだよねw」といった旨の冗談を私の同僚男性に話していたと聞き(その同僚から直接。わざわざ言うなと思う)何とも言えない気持ちになったことがある。その上司との関係は良好(と思っていたし今も普通)で、そこまで悪意のある言い方ではないと思うが、揶揄するような意図はあったようだ。地味で真面目に仕事してるだけの自分にそんなイデオロギーあるように見えたのが不思議。思い当たるのは同僚が結婚して呼び方をどうするかという話の時に流れで夫婦別姓に賛成と言ったことくらい。(同性婚の方が優先度高いと思うけど。あと自分が結婚する予定全くないけど)
表に出してない思想としても表現規制には反対だし(被害者のいない二次元ならゾーニングすれば問題ないと思う。自分も読むし…)、職場で自分が女だから不利を被ってると思ったこともない。
というか、あまりにも男がいなくて男を拒絶してるように見えたのかもしれない。私の容姿も相まって「眼鏡かけたお堅いお局さま=フェミ」という認識だったとしたらなかなか愉快だけど、いまさら本人に確認できない…。