はてなキーワード: エネルギーとは
しかし、質量mを持った物体がmc^2だけの力を有するので、質量とエネルギーが等価であるというのは一般に知られているから、「質量mと加速度aがFという力になる」とってもあながち間違いないのでは?
VIRONとメゾンカイザーがわりと好き
あとさ、貧乏片親家庭出身者の私としてはオヤツって「学童保育で食べるもの」なのよ
だから片親パンって名称を作った人ってどういうシチュエーションでそのパンを与えられてたのか純粋に気になった
朝食かな?
うちはケロッグのシリアルか、8枚切りトーストにマーガリンとジャムをタップリつけたものが多かったよ
食パンの銘柄も特に決まってなかったし、超熟も本仕込もダブルソフトもロイヤルブレッドも何でも食べてたわ
菓子パンだと、薄皮シリーズはあまり買ってくれなくて、5〜6個入りのあんぱんやクリームパン、スティックパンは親が気まぐれに買ってくる程度
ほかに親が気まぐれで買ってきて食べてたのはヤマザキの「高級つぶあん」「北海道チーズ蒸しケーキ」「ホワイトデニッシュショコラ」「ナイススティック」「ケーキドーナツ」「カレーパン」
小田急線沿線に住んでたから、たまーにHOKUOのチョコ系菓子パンを買ってくれることがあって、これは超贅沢なことだった
親が買ってこなかったので大人になるまで食べたことがなかったのはヤマザキの「スイートブール」
親がたまに買ってきたけど、好みじゃなくて親以外だれも食べなかったパンといえばヤマザキの「スペシャルサンド」「ミニスナックゴールド」「アップルパイ」だね
というわけでさ、片親パンとか言ってる人は片親家庭の代表ヅラすんなって話
たとえ貧乏片親家庭だろうと好みに合わねーもんは誰も食べないの(知ってんだろそのくらい)
1合=180mL
販売される米はkg単位で、(飲食店などでは)炊飯後の米飯の量もg単位で指定するのに、炊飯する時だけ合を用いるのが不合理極まりない。
ちなみに、日本酒も合や升(=10合)を用いることが多いけれども、水・茶・ジュースなど他の飲料では使わない。
1坪=約3.3㎡
とはいえ、家屋以上に大きな面積は「東京ドーム〇個分」などと例えられることも多く、坪という単位はごく限られた場面でしか用いられない。
1坪=畳2枚だから生活に密接した単位だという主張も見受けられるが、和室以外の洋室やリビングなど畳を使用しない部屋では坪を用いる合理性はない。
ちなみに、1坪=畳2枚は、中京間という中京地方で使われる畳の大きさでしか成立しない。
京間(関西地方)・江戸間(関東地方)など、地方ごとで畳の大きさは異なっているのだ。
敷き詰められた畳の枚数を見ても面積は分からないのだから、坪も畳も使うのをやめて㎡で統一すればいいのに。
カロリーは熱量の非SI単位であり、SI単位ではジュール(J)を用いる。
1cal=4.184J
ちなみに1calは水1gを1℃上げるのに必要な熱量と定義されたが水の温度によって必要な熱量は変化するので、カロリーはあいまいさの大きい単位として使用を非推奨にされた。
ちなみにジュールは、家電製品の消費電力でおなじみのワットを用いて以下に変換できる。
1J=1W・s(ワット秒)
ワットは生活に根差した単位として定着しているのだから、食品の熱量(エネルギー)も換算が容易なジュールを用いればよいのに。
国際的には食品が持つ熱量はジュールで表記するのが一般的であり、輸入食品の栄養表示もほとんどがジュールだが、日本ではカロリーを使い続けている。
上述の合や坪などの尺貫法とは違って、歴史の浅い単位だけれども。
しかも、キロカロリー(kcal)を略してカロリーと称しているのだから、ややこしいこと極まりない。
「おにぎり1つで100kcal」とか「定食が1000kcalある」とか切りのいい数字で食品の熱量を示す文化が定着しているわけでもないのだから、ジュールに変えればいいのに。
みんな特に意味もなく生まれて死ぬし、能力やエネルギーも人それぞれだし、運やら縁やら平等ナニソレオイシイノだし。
みんな今を生きてるのえらい。
雲とか葉っぱとか本とか眺めて、生きてるうちにその瞬間を味わおう🌞
俺は、虚弱虚弱って言い続けて傷をなめ合っているのをみると、どうしようもねえ人達だなって思うよ
言葉にするのが悪いとは言わないけど、言い続けて仲間を募りそこでまた負のエネルギーをため込むって負の連鎖を作り出しているしね
【目次】
・私のスペック
【スペック】
・20代大卒
・簿記2級
低学歴の社会不適合者は多種多様だが、高学歴社会不適合者は1種類しかいない。
精神科医の書いた本※曰く親子関係が歪だと発達障害よりの健常者、所謂グレーゾーンになりやすい。
他責をしたいわけじゃない。自分を守れなかったのは自分の責任だ。
高学歴なんだから親がちゃ当たりだろ?と言われるかもだが、私が勉強を必死に頑張った理由なんて
「高学歴にはまともな人間が多い」という噂を信じて、「高学歴になれば親のような気狂いとは関わらずに済む」と
本気で思ったから死ぬ気で勉強したんだよ。小中高は公立だし、家が裕福なわけでもない。
私の周りの高学歴社会不適合者を見ても、大抵の場合親と仲が悪く虐待の後遺症を抱えている。
高学歴社会不適合者の典型的パターンが毒親育ちだという私の個人的認識と精神科医の意見が合致したので書いた。
一番身近な大人の頭がおかしいため、人間に対しての不信感があり、おまけに狂った人間と暮らすため心が疲れている。
普段から正常な人間と関わっている人は「正常な人間が人類の基本でたまに変な奴がいる」という認識なので、
まず正常な人間と関わる前提で人と接して、不都合があれば(何この人、キモっ)となる。
対して、毒親育は普段から異常者と接しているので「異常者が人類の基本でたまに良い人がいる」という認識なので、
異常者と接する前提で人と関わる。つまり、他人との人間関係形成の初動が狂っている。
義務教育時代に作った昔からの友達と高校進学で縁が切れてからが孤立しやすい。
自己肯定感が低かったり、精神が安定してなかったり、問題は山積みである。
他にも親と似て自他境界線が曖昧になっていたり、白黒ハッキリしていたり情緒の健康とは別の軸で思考回路も歪である。
こういった精神構造は自分の異常行動を言語化していくと減っていく。
最近は友達が増えたし、他人に対して自他境界線が曖昧な人間特有の干渉の仕方とか距離感のバグり方は何とか治した。
当たり前だが何かを人に教える人は、それについて一定以上の技能が必要である。
例えば数学教師は数学に詳しいし、英語教師は英語に強い必要がある。
これと同じで社会性の高さを正当に評価できる人間でないと、子供に社会性を教えられない。
ただ、多くの大人が自分の社会性の有無に関係なく、他人の社会性を評価できると誤解している。
お宝鑑定団という番組をご存知だろうか?文字通りお宝の価値を専門家が鑑定する番組である。
この番組から学べることは「何かを正確に評価するのには専門技術が必要である」という事実である。
一般人はゴミをお宝だと思ってたりして、お宝をお宝と評価できないのが普通の人だと思い知らされる番組だ。
当たり前だが毒親に社会性はない。社会性のない人間に社会性は教えられらない。
なのに私の親は過干渉だから自分の価値観を子供に押し付けようとする。
毒親に育てられると、社会性の定義が「理不尽に耐えること」もしくは「他人の機嫌をとること」というものになってしまう。
「社会のルールを守りながら、周りと協調しながら適切な社会生活を営む能力」のことを社会性と言い、
キチガイのご機嫌を取れば「社会のルールを守る」もしくは「適切な社会生活を営む」のいづれかに支障をきたす。
つまり、「理不尽に耐えること」もしくは「他人の言いなりになること」は社会性ではない。
社会生活を営む上で仕方なく理不尽に耐える必要がある時もあるが、仕方なくやっているだけである。
上司が明らかに間違った指示を出しても指摘せずにずっと間違ったことをするとか、こいつは雑に扱っても良いと認識されやすいとか。
正常に働いている人を見ると「社会のルールを守りながら、周りと協調しながら適切な社会生活を営む能力」を社会性と定義していた。
仕事ができる人は正常な社会性を有していた、今まで社会性の低い親に対して正常な社会性を出すと怒られていたから、
「理不尽に耐えること」もしくは「他人の言いなりになること」を社会性だと思っていたが、自分の社会性が低すぎて社会性が何か分かっていなかっただけだ。
会社に入社して、周りの対してビクビクしてたら腫れ物扱いされて放置された。
何とか3年目でシゴいてくれるタイプの上司に当たった。これは本当に有り難かった。
シゴいてくれる上司の元、1年は必死に働いたが、発達障害グレーゾーン(注意欠陥)の私はケアレスミスを連発。
おまけにシゴいてくれる上司が転職し、元の腫れ物扱いした上司が戻ってきた。
元の上司が戻った途端「お前を採用した時の面接官は誰?」と聞いてきた。
「社長です。」と答えると「もっと地位の低い人で」と言われた。
邪推だが、私を採用した人間を「なんでこんな奴を採用したんだ」と罵倒するつもりで聞いたのだろうと思った。社長に文句は言えないからね。
「忘れました」と答えておいた。嘘も方弁だ。
無職や精神異常者、現実で会えない人間から「だからお前はダメなんだよ。」みたいに言われる。
本当に人生論を聞かせてほしいようなレベルの高い人は、人生しくった経験がないから私のような人間に適切なアドバイスをできない。
人生しくじってるやつにわざわざ近づいてくる人間は、自分より下を見つけて偉そうにしたい、精神がすり減った限界の底辺だけだった。
人生を詰んだ時の問題は、自分に問題があるから落ちぶれたのに、周りの人間も問題児ばかりになるから、自分を信じて道を切り開くしかない。
という点である。
一般的な事例から外れた苦しみ方をしている場合、一般的な事例から外れた解決策が必要になる。つまり、勇気とセンスと根気が必要になる。
女と金(稼ぐ力)だ。自分でもびっくりするほど安っぽい結論にたどり着いた。
こんな安っぽいものではなく、人生で苦しむと、精神的なものを求め始める。
しかし考えてみて欲しい、精神的なものを求めるのは物質的な豊かさに余裕があるからで、物質的な豊かさに余裕があるのに不安を感じるのは自分の実力で手にした豊かさじゃないからだ。
自分の力で金を稼げたら、自分の存在意義とかなぜ産まれてきたとか、人生で何を成したいかとか、そんな大雑把な悩みはなくなる。
会社辞めた後、無職なのを隠して出会い系で女とデートした。無論、職歴を騙すのもアレなので1日で関係を切った。
セックスはしていない。流石に肩書きを騙して付き合った相手を抱くのは詐欺にも程がある。気が引けた。
女とデートするのは楽しかった。母親と仲が悪かったので、女性と一緒にいるのが楽しいと言う現象が起こるとは思わなかった。
今まで生きてても楽しくなかったから、何やってもエネルギーがなかった。
苦しみから逃れることがモチベーションだったけど、楽しいことがなかった。
商学部卒で経営の知識があることと、へっぽこだが経理の経験があること、飲食店でバイトした経験を活かして飲食店を起業しようと思う。
これからくる円安の波に乗っかるため、外国人観光客をターゲットにするつもりだ。
最初は個人店で勝負するがいづれはチェーン展開して行きたい。まぁ飲食なので激務になりそうだが、社内ニートよりマシだろ。
あと売上が立ってきたら並行してマッチングアプリで女をあさる予定だ。
金と女があれば、男は満足できる。金があっても心が満たされないのは、それは自分の実力で正当な方法で稼いだ金じゃないからだ。
女に関しては、訳分からん楽しさがある。浮気はしないようにするつもりだけど。。。
安くて美味い飯というのは超加工食品と呼ばれるもののことだろうか
2型糖尿病が起こるのはエネルギー摂取過多、肥満、遺伝といった複数の要因が関係していて「砂糖中毒」とやらで起こるものではない
釣りだろうけど
私の仕事のスタイルは、知識よりもIQに頼るという言葉がぴったりだろう。
Elasticsearchという検索システムを使いこなすにはどうすればいいのか、そんな問いに直面したとき、私は本を一冊読み込むような堅実なやり方ではなく、ドキュメントを目に焼き付け、実行しながら身につけるという方法をとる。
私はIQを馬力に例え、RQをエネルギー効率に例えることがある。
RQとは合理的知性のことで、知らない人もいるだろうから説明しよう。
「1/2で100円、1/2で-10円」の賭けと、「100%で50円」の賭けどちらを選ぶか、という問題に対して正しい答えが出せる能力がRQである。
私は学生時代にミクロ経済学を学んだことがあり、成績も優秀だったので、「合理的経済人」がどのような行動をとるのかは理解している。
しかし私は統合失調症であり、RQそのものは低いのだ。自制心がなく、ゲームなどにはまると抜け出せなくなる。
だからエネルギー効率よりも馬力で突き進もうとする。何かツールやフレームワークを学ぶときは、本を丁寧に読むのではなく、チュートリアルやドキュメントを一日で吸収しようとするのだ。
実は私は、引きこもり気味ながらも、スポーツは得意だった。特に体操はそうだった。
だから学ぶ方法も、マッスルメモリに頼るという筋肉質な方法になってしまうのだ。
私が設定するパスワードは長いのだが、これらはマッスルメモリで覚えている。
同じようにプログラミングも、「とにかく実行を試す。試行錯誤。トライアンドエラー。やってれば覚える」という感じだ。
パターン認識は、このような筋肉質な側面を持つのではないかと思うことがある。人工ニューラルネットワークも、同じようなものではないか。
馬力でなんとかしてきたことはわかった。ではなぜ地道な努力を避けてきたのか。それは、汎用性の低いものを学ぶのに時間をかけたくないからだ。
プログラミング言語ならまだ汎用性があるが、具体的なツールについては、その場で理解できるし、時間をかける必要がないと思うのだ。
私が数学が好きなのは、まさに汎用性という観点からだ。エドワード・フレンケル教授は汎用数学を「ペンキ塗りのようなつまらないもの」と言ったが、まさにそのペンキ塗りが仕事をするうえで重要なのだ。
デブは、
他者に使われるのが嫌な人は別に山で農業と狩猟でもしてフリーに暮らせばいいじゃん
食糧危機や農業従事者の高齢化で検討する価値は十分にあるだろう
介護などの福祉分野、運送業、農業などの一次産業なら、社会に必要な職業なので、『もっと国が賃金なんとかしろ』に非常に大いに共感するけど、
それ以外の職で自分が贅沢したいだけの金を国に求めるのは、単純事務員やウェイターの仕事をして、『低賃金はおかしい』ってボヤいてるのと大差ない
別にトンチキなインテリでもいいぜ。確か500万以上貰ってこんだけしか貰えないなんてとか言ってる研究者いなかったっけ?
エネルギーとか食糧とか他者の生産に頼っているから『自立』って言葉をあんま使いたか無いんですけど(お互い様の精神が損なわれる)、
小説読むのが嫌いな訳じゃないしそれはそれで嗜んでいる
でもこちとら今は漫画を読むつもりでいるところにいきなり小説読まされるのは別のエネルギーを使わされて苦痛でしかないんだよね
・百日咳とはなにか
咳が出る
鼻水が出る
咳が出るので喉が炎症起こす
咳が出るので胸が筋肉痛になる
肋骨が折れるやつもいる
〜まだ風邪だと思ってた頃〜
・自覚症状1日目
のどが痛い
・自覚症状3日目
鼻水が出る
のどが痛すぎて固形物が食えない
・自覚症状5日目
さすがに治るよな!?もう…!
・自覚症状7日目
咳とたんが出始める
・自覚症状8日目
咳と痰で夜寝れない
咳が出過ぎて夜間にゲロを吐く
やはり、ただの風邪なのか?
せきどめや漢方をもらう
・自覚症状9日目
体力をつけようと肉を食うが、
猛烈な悪寒と震えで気絶しそうに
以後飯はお粥に
咳が治らない
咳が4日間連続で出続けるとどうなる?
肺が筋肉痛になる
息と咳をするたびに体の芯から痛い
いま医療機関も忙しいだろうし
コロナじゃないなら家でじっくり治すか…
・自覚症状13日目
咳が全く治らない
飯を消化するエネルギーが体力を奪う
夜全く寝れない
息を吸うたびにマラソン完走後に痛む脇腹をしばかられるのは辛い
・自覚症状14日目
観念して呼吸器科に行き、CTとレントゲンと血液検査をしてもらう
心配しすぎか?大の大人が咳ごときで大騒ぎして情けない……。薬も足りてないと言うのに…
医者「レントゲン見ても肺炎じゃないね。蓄膿症もなし。でも血液検査だと炎症してるね。
マイコプラズマや百日咳もありうるかなあ?そっち対応の薬も出しとくね」
ありがとうございます!!!!百日咳…まさかそんなレアな病気になるわけないよな……
あ、うーん。どうしようかな……。別にいらない気もする……。でも貰っておこう……。
ただでさえ薬が足りてないというのに、ただの風邪でこんなに薬を貰って情けない……。
やっと固形物を食べられるように
早めの方が薬が効くらしい
肋骨折れるやつもいるらしい
今のEV業界は中国需要がなさすぎて地獄の値下げ合戦になってるのがネック
業績はBYD以外イマイチ
ただ、BYDはEV専業メーカーではなく、HVが売れたから好成績だっただけというね
で、そういった情勢を嫌忌して今EVメーカーの株は安くなっている、しかも利上げで金もそんなにないからみんな現実志向になっている
ただ、金利下がって金余りになるとまたEV!とウェイウェイし出すだろうからそれ待ち
個人的にEVはバッテリーのエネルギー密度が低く電費を下げないといけないのに、走行距離稼ぐにはバッテリーたくさん載せないといけなくてそれでクソ重くなって電費が下がって、それで下がった分をバッテリー増やして補おうとして更に重くなって価格も高くなって…という現状ちょっとバカな乗り物だから普及するのは時期尚早だと思うけどね
俺はhunter×hunterの念というアイデアに熱中しています。
アニメの念は誇張されており、おそらく存在しないことはわかっていますが、もう少し弱いバージョンは存在する可能性があります。
そして科学は、実際に起こっていることよりもはるかに遅れていることがあります。
どう思いますか?
意見をどうぞ。
僕は弱者男性プログラマーだ。コードを書いて金をもらっている。
そんな僕が、社会学や政治に興味を持つ人が多いこのような場で物申すというのはちょっと変だと思うかもしれない。
実際、社会学なんて僕の専門じゃない。
僕はコンテンツを収集するクローラを書いたり、それを検索できるようにインデクシングしたり、あるいはコンテンツのクリック履歴に基づいておすすめを表示させたりするプログラムを書いている。
このようなプログラムにも、社会的側面というのは存在する。利用者が何らかの目的によってその検索ツールを利用し、調べたいものにたどり着く。コンテンツプロバイダー、ユーザー、システムという3つのアクターの社会が形成されている。
社会学者がコンピュータについて語ることがあるぐらいだから、プログラマーが社会について語ってもいいだろう。
僕が常々思うのは、人々の目的だ。
つまり「この検索ツールを使う人は、一体なにがしたいんだ」「コンテンツを提供する側は何が目的なのか」ってこと。
もっと状況を限定するために、「ブログ検索」というツールについて考えてみよう。君がクエリを投げてブログを調べようと思うのは一体どういうときなのか。あるいはブログを書こうと思う人たちの動機は?
動機は基本的にneedとwantによって分類されると考えて良い。needの場合、例えば確定申告書の書き方について調べていて、適切な情報を知りたいと言ったケースがそうだ。
wantというのは社会的な本能に結びついている場合もあるし、退屈しのぎということもある。承認欲求は基本的に社会的欲求だし、ハッカーが自分の知見を公開するのはちょっとした挑戦だろう。
リーナスの法則というのを聞いたことがあるだろうか。マズローの欲求解創設と似たようなもので、「生存」「社会」「娯楽」という3つが人の行動原理だとリーナス・トーバルズは言っている。
ブログを書くのが「生存」目的という人はどういう人だろうか。きっとそれ以外に職がなく、必死にアフィリエイトで稼ぎを得ている人だろう。
ブログを書くのが「社会的目的」という人は、すごいことをして認められようとか、専門家とつながりたいと考えているかもしれない。
しかし「娯楽目的」というのはもっと崇高なものに思えてくる。ブログの文章を書くのが単純に「楽しい」といった人たちのことだ。
生存、社会、娯楽という3つの階段によって、コンテンツの質というものが判断できるのではないかと、僕はそういう仮設を持っている。
アフィリエイトで生存的目的の発信をしている人たちのコンテンツは、お世辞にも良いとは言えない。クリックベイトであったり、感情を煽ったり、SEOをクラックしたり、初心者的だったりする。
社会的目的の人たちはもう少しマシで、認められようとして努力をする姿勢がある。でも、「たくさんの人と繋がりたい」という目的の場合はちょっと注意が要る。結局、そういう人は手当たりしだいにアクセスを増やそうとするから、コンテンツの質は下がってしまう。
「文章を書くのが楽しいけど、人に評価されることはどうでもいい」という人たちのコンテンツを探すことは難しいが、こういう人たちのコンテンツは奥深いことが多く、表面をなぞったようなアフィカスブログとは一線を画している。
しかしこれはコンテンツを提供する人の観点である。これらのコンテンツをクロールし、検索できるように整備している「システム」の観点から見ると、どうしても「広告利益」のようなものが重要視されやすい。
Googleであれば、Googleの広告利益に貢献するようなコンテンツを検索結果で優先表示するかもしれない。そしてそれはまさに生存欲求のためのアフィカスを優先しているのと同じことなのだ。
インターネットがつまらなくなったと言う人たちがいる。僕は次の喩えでこれを説明しようと思う。
昔のインターネットというのは、水の上に白いピンポン玉が浮いていた。この白いピンポン玉は良いもので、楽しいものだ。
ところが徐々に黒いピンポン玉を投下する人たちが増えてくる。黒いピンポン玉は悪いものだ。手を使って沈めようとしないと、白いピンポン玉が見つからない。
そして今のインターネットは黒いピンポン玉が一番上に浮かんでいて、白いピンポン玉はその下で見えなくなっている。
白いピンポン玉は純粋な娯楽精神を持ったコンテンツのことで、黒いピンポン玉は「アクセス数を増やしたい」がために鬱陶しいことをしているコンテンツのこと。
つまり、インターネットでは年々白いピンポン玉を見つけるためにエネルギーを使う必要が出てきてしまっていて、疲れているときは必然的に黒いピンポン玉を見るしかなくなっているということだ。
リーナスは「文明は、生存、社会、娯楽という段階に進んでいく」と言っていたが、インターネットは「娯楽、社会、生存」という逆の階段を降りている形になっているように思える。
現段階では、アテンションの総和が一定であるために、ネット人口が飽和し、広告企業の利益は落ち込んでいる。純粋な娯楽ではなく、企業の生き残りをかけた戦争に突入してしまっているのだ。
僕は今のインターネット社会では、意識的に面白いコンテンツを見つけるためにエネルギーをかけることがかなり重要だと思っている。ダラダラとやっていたらアフィカスとバズ目的しか目につかない。
例えば人間が一日に読める文章量なんて限られているから、本当に面白い人を見つけたらRSS購読しておいたほうがいいと思う。
うるさいハエがクソに群がっている。「クソを美味しくないと思うなら、お前がつまらない奴だからだ」と左翼思想家が指摘するかもしれない。
「ファクトフルネス」は、ハンス・ロスリング氏による著書で、データに基づいて世界を正しく理解するための方法を提唱しています¹²³。その中で、以下のような主張があります。
1. 収入を対数変換していることについて: ロスリング氏は、世界を「低所得」「中所得」「高所得」の3つに分けるのではなく、1日あたりの所得ごとにレベル分けすることを提唱しています²。これにより、所得の分布をより正確に捉えることができます。対数変換は、所得のような指標が広範囲にわたる場合によく用いられます。しかし、この方法が全ての状況に適しているわけではなく、特定の文脈や目的によっては無理があると感じることもあります。
2. 人口増加と文明発展が環境問題を悪化させているという事実に直視していない: ロスリング氏は、世界人口が増え、エネルギーの使用が増えた場合に世界がどうなるのかについて、具体的なデータを用いて説明しています¹。彼は、「エネルギーのほとんどは先進国の一握りの人間が消費している」ことを指摘し、省エネ技術を含む経済発展こそが問題解決の鍵であると主張しています¹。
3. ビル・ゲイツの押し売り: ビル・ゲイツ氏は「ファクトフルネス」を高く評価しており²、その影響力を使って本を推奨しています。しかし、それが「押し売り」と感じるかどうかは、個々の読者の主観によるところが大きいでしょう。
以上の点を考慮すると、「ファクトフルネス」は、データに基づいた視点から世界を理解するための一つの方法を提供していますが、その解釈や適用には注意が必要であると言えます。また、批判的な視点を持つことは、情報をより深く理解する上で重要です。⁴
(1) 『FACTFULNESS』著者に聞く 世界を正しく見る習慣 | NIKKEIリスキリング. https://reskill.nikkei.com/article/DGXMZO40385070T20C19A1000000/.
(2) 『FACTFULNESS(ファクトフルネス)』の要約と解説 | 経済ノート. https://keizainote.com/1017/.
(3) 「可能主義者」の希望あふれる遺言『FACTFULNESS(ファクトフルネス)』 | 本がすき。. https://honsuki.jp/review/14629/index.html.
(4) 書評:『ファクトフルネス』を読んだ感想 | 筋トレ&ダイエット以外. https://liftingdiet.firebird.jp/2019/03/14/%e6%9b%b8%e8%a9%95%ef%bc%9a%e3%80%8e%e3%83%95%e3%82%a1%e3%82%af%e3%83%88%e3%83%95%e3%83%ab%e3%83%8d%e3%82%b9%e3%80%8f%e3%82%92%e8%aa%ad%e3%82%93%e3%81%a0%e6%84%9f%e6%83%b3/.
(5) 「FACTFULNESS(ファクトフルネス)10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣」ハンス・ロスリング:本ナビ. https://1book.biz/2019/12/10/factfulness.html.
日本人にとっては「ジェミナイ」より「ジェミニ」のほうが言いやすいからってだけで、ジェミニが言語的に正しいからとかではないよね。経緯はよくわからんが複数の音写がそれぞれ正解として採用された外来語はたくさんある。
逆に日本人が認識しづらい外来語というのもあって、「ユグドラシル」「タイコンデロガ」あたりは昭和のオタク達を大層悩ませたと聞く。往年の人気シリーズ「それゆけ宇宙戦艦ヤマモト・ヨーコ」シリーズに「聖夜のユグドシラル」という本があるくらいだ。インターネットがなかった当時は資料集めも大変だったということなんだろうが、じゃあ現代は手軽に英語動画で発音を確認できるから表記揺れの問題もなくなったかと言えば全然そんなことはなく、たとえばこないだのOpenAIお家騒動で話題になったIlya Sutskever氏は「サツキバー」「サッツケーヴァー」「スツケヴェル」など6パターンくらいの表記をされていた。ポッと出のマイナーキャラだし表記が定着してないんでしょという意見もあろうがまあその通りである。じゃあいずれ正しい表記に落ち着くのかといえばそうはならないのが面白いところで、たとえば10年来エンジニアを悩ませてきたKubernetesは英語圏では明らかに「クーバネーティス」なのだが日本語では「クベルネテス」「クベ」に落ち着いている。だからGeminiはジェミニに決まってるのだが、しかしあらためて見てみると「ルクソール」と「ラクソー」、「アテナ」と「アシーナ」のようなアクセントの位置が変わるやつにくらべれば、「ジェミニ」と「ジェミナイ」の発音には然程の差がないようにも感じる。根本的には発音が難しいというより「巻き舌とか恥ずかしいし・・・」というのが理由なのかもしれない。