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はてなキーワード: たまたまとは

2024-08-17

anond:20240817143857

むかーしは倉庫だったイメージ

TSUTAYA書店とかの前ね。

PlayStationがギリ出てたくらいの頃。

スーパーファミコン中古ソフト売ってた頃のTSUTAYA倉庫だったなー。

たまたま俺のいった店舗がそうだったのかも知らんけど。

ゆるく絶縁したい

家族ってか兄弟や親戚、従兄弟たちと

実家近くで一人暮らしから実家はよく帰ってるけど遠方で生活してる兄家族とは会いたくないし、正月お盆もあえて実家にも祖父母宅にも行かない

兄は詳細省くけど私からしたら虐待加害者で、成人してからしっかりそうだと認識できるきっかけがあったので、そこから精神衛生的に良くないし、兄と関係性がある義姉も姪も気持ち悪くなったので連絡を断ち、兄から年1くらいでくるLINEも未読スルー

親族はイエ制度、家父長制大好き、旦那ちゃまと子どものためにこんなに頑張っちゃう肝っ玉母ちゃんの私!✌みたいなマインドの従姉妹とか、自分の孫抱えて子どもかわいいだろ?いますぐ生みたいだろ?みたいなこと平気で言うおじさんとか殺してえな〜ってなるから正月とかも帰らないしたまたま祖父母宅で会っても会話しないし従姉妹の子もも存在をすべて無視して過ごしてる。

とはいえ親との縁を切るつもりはないけど、今後親の葬式とかはあるだろうし都合よく兄弟あたりとだけ縁切るのって難しいよな〜

今後実家どうするとか法事がとか実家近くにいる私がやるのか?

やるなら親戚と顔合わすことに?全員まとめて殺せば解決ではあるけどさ〜〜

親族とゆるく絶縁してる人いねえかなあ

中学時代オタク女子との交わり

 本を読んでいるときにふと思い出した。

 そういえば俺は中学時代オタク同級生女子と親しくしていた時期があった。

 俺にとって中学時代はあまりいいものではなかったのだが、オタク女子との関わりが一時的にせよあったという事実は、中学時代自分像に多少の変更を迫ることを意味した。今の今まで忘れていたということは、彼女との関わりは本当に短く、密度も薄いものだったということだが、それでもこの記憶の想起は俺にとって少なから意味を持つ。

 俺は今も昔も一貫して非モテ陰キャだ。特に中学時代友達も少なくわりと孤独学校生活だった。そんな中、中学2年でクラスが同じになったのが例のオタク女子小野だった。といっても、彼女との関わりで記憶にあるのは、掃除時間中、『よくわかる現代魔法』というラノベの話をしたことだけだ。それでも友達すらろくにおらず、厨二病を拗らせて周囲を拒絶していた俺が女子趣味話題で会話していたことは自分でも驚きだ。

 今思えば、もう少し小野とは関わりを深めておけばよかったと思う。彼女は小柄で小動物のような見た目をしていて、顔だって悪くなかった。もしもっと親しくしていれば、非モテ陰キャの俺の人生も別の姿になっていたかもしれない。

 もちろん、当時の俺に女子と親しくするなんてことは土台、無理だった。ただでさえ中学生なんてもの女子と親しくしていればからかってくる生き物だ。スクールカーストでいえばナード枠だった俺のような男がたとえ近い階層とはいえ女子と親交を深めるなど社会的にも許されなかった。

 というか、そもそも俺は小野に異性としての興味を抱いていなかった。小野の方からなんらか恋愛的なアプローチがあれば話は変わったかもしれないが、もちろんそんな素敵イベントが起こることもなく、小野との関わりはいつの間にか幕を閉じた。本当に俺はダメなやつだと思う。

 しかし、実を言うと中学卒業後、小野と関わる機会が一度だけあった。高校1年の頃、地元友達の通う高校文化祭に行った時、たまたま小野と再会したのだ。その際交わした言葉は「久しぶり~」くらいな軽いもので俺は友達と会う用事があったのですぐに小野とは別れてしまった。男子校だった俺からすれば女子と関わるまたとないチャンスだったのに、もったいないと今では思う。ホモソーシャル環境にどっぷりと浸かり過ぎて女子と関わるという発想が薄かったのだ。青春時代時間の使い方にもう少し気を配れていればと思わずはいられない。

 そんなことを思い出していたらムラついてきた。

 いい年して中学時代を思い出して抜くなど恥ずかしいことだと思いつつも、俺は小野のことを思い出して一発抜いた。

 あぁ、青春よ、帰ってきておくれ。

2024-08-16

戦争責任者の問題伊丹万作) 1/2

 最近自由映画連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見ときくようになつた。

 そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。

 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。

 すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのであるしかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。

 このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組警防団婦人会といつたような民間組織いかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである

 たとえば、最も手近な服装問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき普通のあり合わせの帽子かぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れない。もともと、服装は、実用要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想表現ではないのであるしかるに我が同胞諸君は、服装もつて唯一の思想表現なりと勘違いたか、そうでなかつたら思想カムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。そしてたまたま服装をその本来意味に扱つている人間を見ると、彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、自分立場の保鞏(ほきよう)につとめていたのであろう。

 少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外百姓の顔であり、あるいは区役所郵便局交通機関や配給機関などの小役人や雇員労働者であり、あるいは学校先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。

 いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。

 しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。

 そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君戦争中、ただの一度も自分の子うそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそ意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。

 いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである

 もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。

 しかし、このような考え方は戦争中にだました人間範囲思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。

 ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間範囲を最少限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい。

 もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたもの責任が解消するであろうか。

 だまされたということは、不正者による被害意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。

 しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つのである」ことを主張したいのである

 だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。我々は昔から不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである

 もちろん、純理念としては知の問題は知の問題として終始すべきであつて、そこに善悪観念の交叉する余地はないはずであるしかし、有機生活体としての人間の行動を純理的に分析することはまず不可能といつてよい。すなわち知の問題人間の行動と結びついた瞬間に意志感情コンプレックスした複雑なものと変化する。これが「不明」という知的現象善悪批判が介在し得るゆえんである

 また、もう一つ別の見方から考えると、いくらますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである

 つまりますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである

 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実のものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力無自覚、無反省無責任などが悪の本体なのである

 このことは、過去日本が、外国の力なしには封建制度鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実個人基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくそ本質を等しくするものである

 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配にゆるした国民奴隷根性とも密接につながるものである

 それは少なくとも個人尊厳冒涜、すなわち自我放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である

 我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察官僚にの負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣反省しなかつたならば、日本国民というもの永久に救われるときはないであろう。

「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。

「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである

 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣自己反省努力がなければ人間進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在日本必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである

 こうして私のような性質のものは、まず自己反省方面思考を奪われることが急であつて、だました側の責任を追求する仕事には必ずしも同様の興味が持てないのである

 こんなことをいえば、それは興味の問題ではないといつてしかられるかもしれない。たしかにそれは興味の問題ではなく、もつとさし迫つた、いやおうなしの政治問題にちがいない。

 しかし、それが政治問題であるということは、それ自体がすでにある限界を示すことである

 すなわち、政治問題であるかぎりにおいて、この戦争責任問題も、便宜的な一定規準を定め、その線を境として一応形式的区別をして行くより方法があるまい。つまり問題性質上、その内容的かつ徹底的なる解決は、あらかじめ最初から断念され、放棄されているのであつて、残されているのは一種の便宜主義による解決だけだと思う。便宜主義による解決の最も典型的な行き方は、人間による判断を一切省略して、その人の地位職能によつて判断する方法である現在までに発表された数多くの公職追放者のほとんど全部はこの方法によつて決定された。もちろん、そのよいわるいは問題ではない。ばかりでなく、あるいはこれが唯一の実際的方法かもしれない。

 しかし、それなら映画場合もこれと同様に取り扱つたらいいではないかしかもこの場合は、いじめものいじめられたもの区別は実にはつきりしているのである

 いうまでもなく、いじめもの監督官庁であり、いじめられたもの業者である。これ以上に明白なるいかなる規準存在しないと私は考える。

 しかるに、一部の人の主張するがごとく、業者の間からも、むりに戦争責任者を創作してお目にかけなければならぬとなると、その規準の置き方、そして、いつたいだれが裁くかの問題、いずれもとうてい私にはわからないことばかりである

 たとえば、自分場合を例にとると、私は戦争関係のある作品を一本も書いていない。けれどもそれは必ずしも私が確固たる反戦の信念を持ちつづけたためではなく、たまたま病身のため、そのような題材をつかむ機会に恵まれなかつたり、その他諸種の偶然的なまわり合せの結果にすぎない。

→ 続: 戦争責任者の問題伊丹万作) 2/2

https://anond.hatelabo.jp/20240816214517

anond:20240816172323

まあ昨今の潮流的には「案件」とか言ってバリュー笑にコミット失笑してない時点でそりゃそうでしょ

「昨今の潮流」なんて関係ねえよ。いつの時代でもああいプログラマーは大半がクソ。たまたまクソでも食える時代があったってだけの話。

anond:20240816100853

とりあえず法律を見ると、道路交通法第13条第1項に以下のような条文がある。

(横断の禁止場所

十三条

歩行者等は、車両等の直前又は直後で道路を横断してはならない。ただし、横断歩道によつて道路を横断するとき、又は信号機の表示する信号若しくは警察官等の手信号等に従つて道路を横断するときは、この限りでない。


ということで、元増田の挙げた例での飛び出しは同条違反となる。それで同条違反場合、どんな罰則が科されるかというのを見てみると、以下の条文がある。

(通行方法の指示)

第十五条

警察官等は、第十条第一若しくは第二項、第十二条若しくは十三条規定違反して道路を通行している歩行者又はこれらの規定若しくは十四条の二若しくは十四条の三の規定違反して道路を通行している遠隔操作型小型車の遠隔操作を行う者に対し、当該各条に規定する通行方法によるべきことを指示することができる。

第百二十一

次の各号のいずれかに該当する者は、二万円以下の罰金又は科料に処する。

七 第十五条(通行方法の指示)又は第六十三条の八(自転車の通行方法の指示)の規定による警察官等の指示に従わなかつた者


この条文を見ると、法第13条第1項に違反した者についても、たまたまそこに居合わせた「警察官等」の「指示」が無ければ罰則が科されることは無いようである

また、罰則が科されたとしても「二万円以下の罰金又は科料」に過ぎない。

なお、元増田の例によれば「誰かを助けようとして」という事実があるので、緊急避難刑法第37条第1項)の適用問題になりそうだが、上記事情でさして問題にならなさそうなので割愛する。

ここまでが刑事の話で、民事については過失割合問題となるが、これはもう状況により結論が区々となるので、「飛び出し 過失割合」とでも検索してくれれば色んなケースにおける過失割合相場観が出てくる。

anond:20240815174732

そういうことやね

たまたまそれらに同性愛が入ってたからLGBと一緒にされてるが、本来クィアは反倫理思想なんよね

からトランスアライは倫理観が破壊されていくし、言うことが支離滅裂になる

Amazonのせいで苦しい論を見て

思い出した。

本屋じゃないけどさ、初音ミクビッグカメラに買いに行ったのさ。

Amazonで買えば翌日には届くんだけど、まぁ街の電気屋さんにも貢献してやるか、って。

たまたま通りががったからね。

んで、5分くらいかけて売り場で見つける訳よ、

ふと買おうと思って歩いて店入って5分。

パッケージレジに持って行ったら、

「取り寄せになります

は?

ってなったよね。

パッケージかよ。

メルカリの無在庫転売と何が違うん??

もちろんお断りして、

普通に帰りの電車の中でAmazonで注文したよね。

実質0分。

タイパ良過ぎ。

次の日には来たよ。

それがビッグカメラに買い物に行った最後の思い出かなぁ?

もし今後、ビッグカメラが潰れてもそれは当然だと思うわ。

歴史的米不足

たまたま買い占めが起きる前に「高いけど仕方ない」と思って米を買ってたから助かったけど少し遅かったらもう二度と米を食えないところだった。

今回はタイマイを輸入する流れにもなってないし、じゃあ他の炭水化物はというとじゃがいもも高いしウクライナ戦争と円安ダブルパンチで麦も高い。

こりゃ強制的糖質制限ダイエットできちまうな。

自炊だけ胃もたれする

最近の悩み。

しかに油の量レシピに書いてるよりちょっと多めにしちゃいがちなんだが、それでもファストフードとかよりは油使ってないはず。

なのにジャンクフード類食べた時よりも自分で作った料理食べたときのほうが胃もたれする。

原因の考察

2024-08-15

虫除けスプレーと間違えて、蚊がいなくなるスプレーを腕にふりかけしまって慌てて水で洗い流そうとしてたんだけど、

水道のあるところに辿り着く前に、その腕にたまたま止まった蚊がソッコーでポトリと落ちたのを見てこれはこれでありなのではないかと思った

2024-08-14

八田與一に似ている人を仙台市会社で見かけた

仙台建設系の会社なのだ

たまたま従業員顔写真を見たら

八田與一にめちゃくちゃ似てる人がいた

これ画像を手に入れて比較してみても似てる

入社はここ1~2年くらいと聞いた

これ、画像付きで通報するにはどうしたらいいんだろうか?

大分県警電話番号に連絡するよりもメールで連絡できたらと思うんだが

誰か方法を知らないか

anond:20240814170317

別にホルモン基準にするならそれでもいいが、たまたま別の大会で引っかかったボクシング選手だけでなく、全選手適用する必要が出てくるんだよな

2024-08-13

におい問題,騒ぎすぎだと思ってたら”本物”に出会ってわからされた

タイトル通りだ。

ネット上で「男性でくさい人がいるかケアしろ」みたいな投稿炎上した。

炎上はどうでもよかったが,「確かににおいが気になることはあるが,そこまで目くじらを立てることか?」という疑問もあった。

というのも,私は建設現場監督をやっていて,日常的に汗のにおいを嗅いでいる。

かに汗をかいているとくさい。外から帰ってきて,エアコンのきいた現場事務所の中でも空調服の電源をつけている人がいる。

空調服の風に乗って汗のにおいが部屋中に充満するわけだが,くさいなとは思う。

しかし,我慢できる。エアコン涼しい風で体を冷やすために空調服をつけっぱなしにする気持ちもわかるだけに,

コンビニとかの一般の皆さんがいる場所は別として)熱中症が防げるならまあいいか,と思える程度だ。

それに,汗のケアは意外と面倒だ。そもそも現場では10分外にいるだけで汗でびっしょりの状態で,服が汗を吸うのは必然だ。

夏場の現場作業では飲料水を日に4~8Lは用意するので,ボディシートとか制汗剤なんか用意すると経済的負担が大きい。

対策として大抵の人がやっているのは,昼休憩か仕事終わりにタオルで汗を拭いて着替える程度だと思う。

から,「汗をかいている奴はくさい!ケアしろ!」とかいう論争があるたびに,「汗をかく職種事情も考えてくれ。大量の汗をかいている状態でも我慢できるのに,言いすぎじゃないか?」と思っていたわけである

しかし私は”本物”を知らなかった。今にして思えば,現場人間代謝がよく健康的で,毎日入浴と洗濯をするので,あまりくさくならないのである

朝8時からすでに30度を超えている夏のある日,たまたまバスに乗った。くさい,と言うよりは「毒ガスが充満している」という感覚だった。

においが目にしみる。せき込みそうになる。涙と鼻水が出てきた。においの主の詳細はあえて書かないが,一目でわかった。

冷房が効いていたが,たまりかねて窓を開けた。これか,と思い知ることになった。

おそらく彼は気づいていない。自分自分体臭口臭認識するのは難しい。

(その日は)風呂に入っているし,着ている服は(その日は)洗濯したので,くさくないと思っている。

違うのだ。不健康食生活だと体臭は酷くなるし,その日だけ風呂に入っても蓄積されたにおいは落ちないし,雑菌が繁殖した服は消毒しないとくさくなる。

においのキツさと冷気を外に逃がしている申し訳なさとで,永遠かと思う時間が過ぎ,バスから降りた。

自分では気づけない。だからこそ,健康的な食生活を心がけて,入浴と洗濯とをきっちりやっていこう。そう思った。

anond:20240813133734

それだとたまたま猿がシェイクスピア書けちゃったのと区別がつかないから、

敢えて間違ったことを書いて赤くするのでないと反例にはならんよ

年収1300万以上稼いでて、家事育児共働きの嫁と分担してるのに、たまたま風呂掃除をしなかっただけで、嫁に「価値ない」って言われたのマジで解せない

2024-08-12

エロ漫画を描き続けた結果、女に嫉妬する化け物になっていた

俺はエロ漫画家だ。

と言っても専業ではない。所謂兼業作家で、エロ漫画イラストを描いている。

アカウントがバレたら本当に生きる糧を失うため割合はボカすが、本業作家業で去年は1300万円程度稼いでいた。それくらいの規模のアマチュアだ。

増田投稿しようと思ったのは、自分感情思考を吐き出せる場所をどこも作っていなかったからだ。俺の過失なのに、本当に申し訳なく思う。

女々しく、醜く、気持ちが悪いと自分でも理解しているが、感情吐露したくてこの日記を書いている。

結論から言う。俺は女創作者やそのファンが許せなくなった。

正確に言うと、女であることを武器にしている女創作者とそれに群がる男たちが許せない。

それは作家業に限らず、配信者やVtuberなど全てにおいてだ。

そして、それに嫉妬している自分自身が何より許せない。

ことの発端は、とある創作アカウントを見つけたことだった。

執筆の休憩がてらX(旧:Twitter)を覗いていると、ひとつのR18系の創作アカウント投稿が目に留まった。所謂ちょっと攻めた性嗜好の開示イラストだった。

その投稿からアカウント本体のページに飛んでみると、本格始動から三カ月程度で、フォロワー数は三桁台。先ほどの投稿フォロワーからすれば十分に伸びていた。

俺はメディア欄を漁り、そのほとんどが一次創作であることに驚いた。

いまどき、一次創作にこだわる奴は馬鹿だ。名を上げたければ二次創作をやったほうが遥かに効率がいい。YouTubeで有名な某絵師もそれを認めているし、推奨している。

からこそ、俺はこのアカウントに好感を持てた。

昔、一桁イイねがザラだった時代に数百のイイねがついたときを思い出した。その時はフォロワー数のエグい有名作家たまたま俺の投稿をリポストしてくれた影響が殆どだったが、それでも、俺の絵が認められたような気がして本当に嬉しかった。今では数百数千のイイねなんて当たり前だ。

から二次創作勝負しないなんて骨のあるやつだと。俺は勝手シンパシーを覚え、応援気持ちを込めて、フォローしてリポストもした。

それから1か月後、件のアカウントが気になり、メディア欄を確認した。

その中にネイルアートを施した色白で細い指の写真があった。

まぁ、分かっていた。描き文字の癖や画面の構成的に、女だろうとは予想していた。

俺は人じゃなくて、作品を観て評価しているのだから、こんな投稿別にどうだっていいはずだった。

不意に、自分の指を見た。ごつごつとした男の指。幼いころの習い事で出来た傷痕。冬場だったからか、少しささくれが目立つ。

俺が同じ投稿をしたらどれくらいの反応が貰える?

なんとなく、その投稿無視した。

俺の中でこと切れたのは、そこからまた1か月後のことだった。

そのとき、俺は1時間くらいかけたカラーラフイラスト投稿していた。

少し手心を加えたカラーラフは労力の割に結構伸びる。フォロワー勝手に完成形を想像、補完し、期待を膨らませる。

すぐさまイイねがつく。いつも通りの伸びだ。いまだに通知欄に溜まる数字を見ると心が高鳴る。この数字は俺の努力に対する報酬だ。

作品が売れるのも嬉しいが、拡散され、俺を知る人間が増えるのはもっと嬉しい。

肯定でも否定でも、コメントがつけば心が躍る。それがアンチでも、無視されるよりよっぽどいい。

通知欄を眺めていると件のアカウントもイイねをつけてくれていた。この前のネイル投稿以来、考えないようにしていたのだが、久々にアカウントを覗いた。

フォロワー数は四桁に達していた。ファンボックスなんかも始めている。いつも通りメディア欄を確認した。

そこには、セーターとスカート姿の首から下の自撮り写真があった。

どこぞのテーマパークに行ってくると、添えられていた。

300イイねくらいついていたか

俺が、それくらいのアカウント規模の時は、300イイねも貰えなかった。

俺は、その300イイねを貰うために、様々な努力を重ねた。

受験勉強に耐え、そこそこの大学に進学した。

学歴はある種のリスクヘッジになると考えていたから。

休みが多く経営の安定している大手メーカー内定を何とか勝ち取った。

安定した生活創作の基盤になると考えていたから。

二次創作はしてはならない。

それは才能のない弱者のやり方だと考えていたから。

創作者は自我を出さない。

消費者作品を求めるのであって作者を求めていないと考えていたから。

それなのに、コイツは生まれ持った性別だけでこんなにも注目されているように思え、心底妬ましくなった。

そして、コイツにとって創作とは人生の一側面に過ぎず、それ以外は幸せで満たされ、煌びやかで充実しているとさえ思えた。

瞬間、今までの人生で抱いた不満や違和感連鎖が始まり、俺の狭い世界は毒で溢れた。

どこもかしこも、脳死で女を持てはやすばかり。

女を強調したコンテンツばかりが伸びている。

卵子に群がる精子が如く、釣られた馬鹿な男たちが挙って金と時間を注ぐ。

自分に才能があると錯覚した女が調子づく。

俺のような男は才能があっても誰も見向きもしない。

結局は男の配下となり生きていくのに、どうしてそんな無慈悲なことをするのか?

大人しくしていろ。

卑怯だ、下劣だ、妬ましい、羨ましい。

全てが俺の妄想なのに、真実のように思えて仕方がなかった。

そして、憎悪と同時に俺は自己認知の歪みにも気がついた。

俺が努力と呼んでいた全ては、創作にとって何の関係がある?

俺が勉学に励んだこと、自身を抑圧することに一体何の関係が?

俺は、世界は常に公正で秩序があり、自身は報われるべき存在の一つである錯覚していた。

自身正当化するため、自分の置かれた現実さえ捻じ曲げながら生きていた。

時間にして数分だったと思う。何か夢を見ていたような気がした。

そして、今までの人生がとんでもなく惨めに思えた。

自分創作人生を顧みる。

エロ漫画家になりたいと思ったのは、学生時代寮生活で貸してもらったペンギンクラブというにエロ漫画雑誌に心を動かされたからだ。

エロ漫画家に憧れるなんて変な話かと思うかもしれないが、モテない男たちが漫画雑誌を片手に賑やかに談笑する様を見て、もし俺の描いた漫画でこんなに楽しいひと時を作れたらどれだけ幸せだろうと思えた。本当に当時はそう思った。

でもいつしか、その目的手段に成り下がっていた。

できない、やらない理由創作押し付け自分人生犠牲にして皆を笑顔にしているのだと本気で思っていた。

結果、エロ漫画を利用してチヤホヤされたいだけの、小さな世界に閉じこもった醜く浅ましいミソジニストに成り果てていた。

疲れても苦しくても、ネームを描き、作品を仕上げていたのは読者のためではなく、肥大化した自己愛をどうにかして慰めたかたからに他ならない。

俺はただ、誰かに認められ、愛されたい人間であることにようやく気がついた。

俺は今でも創作を続けている。もう習慣になってしまっているから。

自分で作った毒が消えない。いまだに女の作るコンテンツ直視できない。

承認欲求をこじらせた無名のうわ言に付き合ってくれてありがとう

anond:20240812220501

そーゆークソムーブトドメってことに気付かない程度の知能でTV出てたんだから必然

たまたまやす子だっただけで、もともとも消えるべき存在だった。

からGoogleにも消しゴムマジックされた。

2024-08-11

anond:20240811211504

そのふたり別に社会変えたくて行動起こしたわけちゃう

結果としてたまたま

日本人みっともなさすぎる

4年に一度たまたま見ただけの競技日本人が負けたらルールおかし競技おかしい騒ぐ

恥ずかしい

anond:20240811063219

これそのまんまお前のことで笑った

その動画ってインドの人が自分で上げてるだけで、動画のものにはバイアスかかってないんだよ

たまたま見た動画たまたまそうなってた、という偶然性に面白みを感じていたところにいきなりぶっ込んできて草

相手に(悪い意味で)こうあってほしい、という願望に沿ったものを見せる、悪意や偏見増長して小遣い稼ぎする界隈には近づかない方がいいよ

増田の読解力下がるから

anond:20240810154643

いいことも悪いこともけっきょく己の劣等感へと思考リンクしてしまう。

それはまあ「失敗の先取り」の一つの形態でしょうね。

自分の運や実力を信じてどこまでもポジティブでいられるならそれはそれで病的といえる。普通の人はそうならないように適度に自らを不安に浸す。上手くいってるのはたまたまでは?自分は本当は不運で無能なのでは?と。つまり逆説的だが不安に浸ることには精神安定作用がある

その安心作用依存すると最初からブレーキを踏むのが癖になる。自分ダメダメだ。でもそのことに気づかずに調子に乗るほど危険状態ではない。最悪よりはマシな現状だ。…そのように自分ディスカウントして自分を見失ってるわけではない自分」の最低のラインを死守することで、本当の最悪というものから自分を遠ざけておける気がする。

そういう思考の癖がついている。

しかしそういう思考パターンメカニズム自体別に重要ではない。なぜならクセはクセであって本質ではないから。

あらゆるモノに質量があり慣性が働くように行動や思考にも習慣性というものがある。ドカ食いをどうしてもやめられない人も、それはそういうパターンにはまり込んでしまったのであり生まれつきドカ食いを宿命づけられているのではない。

では思考の癖を剥がすにはどうすれば?というと言わずと知れた話で、訓練により別のくせをつけていくことしかない。

セルフディスカウントでないリアリスティックな物の捉え方考え方を。

しかしこれ言うは易いことであって、心を守るための悪い癖を脱ぐのは死の不安を生身で抱きしめることであり生存本能への挑戦です。

過食嘔吐とか自傷とかも反省したらすぐなおるとかありえないように。

からこそ近道はない。本能をなだめるために、例えばスモールステップを設定し小さな成功体験を積むとかのテクニックを思いつく限り駆使しつつ、結局は自分覚悟次第ということになるでしょう。根性論「だけ」では何も解決しないが、根性論抜きでもやはり何も解決しない。「自己改革死ぬ気でやらないと無理」身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ…というのはそういう意味でしょう。

とりあえずの「精神安定のコツは?」みたいな話にいきなりの叱咤激励というのもあれだけどどうせどっかで行き詰まってイヤでも勝負かけるしかなくなるのは予感してるのではないでしょうか?

里帰りしたくない

吐き出し。

父がイスラエル擁護派で辛い。

コロナ時期から真実はこれだ系のYouTubeにはまったらしく、トランプを支持したりマスクワクチン意味がないなどと言い出したりして苦々しく思っていたが、ネット上でも似た事例を見つけて、ただ悲しいなと思っていた。

友人なら距離をおくなどを考えるが、親なのでそうもいかず、また自分大事にされていることは分かっていたので、衝突するであろう話題を避けることで乗り換えてきた。里帰りなどで一緒に過ごすのは年に数回だったので問題なかった。

真実系に染まったと思われるのは父だけで、それを日常的に聞かされる母や弟は本当に大変だな、と離れた視点で思っていた。

自分の中で何かが変わったと思ったのは長崎平和祈念式典のなりゆきを見てから

その前触れというか土台は、少し前に里帰りしたときに久々に父と言い合いをしたことにある。たまたま流れたニュースへに対して発したやりとりから始まったが、父がイスラエル擁護していることがわかった。そのときは、今後は徹底的に話題を避けるしかないな、と思うことで収まった。

だが、長崎の式典への各国の対応を知って、家族や知人には言えないが、こんな世界子供をもうけておらず本当によかったと思ってしまった。

個人の過剰な感想なので、気を悪くする人もいると思います。そのときすみませんが読み飛ばしてください。

実際には口が裂けても言えない。

それで今は、イスラエル擁護する父の顔を見るのが辛い。

なぜこんなにショックを受けているのか少し自分でも謎だったが、今日酔っ払いの頭でふと気づいた。

父はこちらに何か不安な事があるたびに「いつでも帰ってこい。お前たちの帰る場所はここにある」と言ってくれていた。私はその言葉にとても励まされていた。

ガザの人たちは、イスラエルの入植により帰る場所を奪われた人たちだ。追いやられた場所必死生活をするしかなく、なんとかやっていたのに、追いやられた場所で、今は一方的虐殺行為を受けている。イスラエルにより。

きっかけがハマステロだとして、民間人虐殺することがなぜ正当化されるのか。なぜ、そんな国とそんな国を擁護する人の言葉しか聞き入れないのか。

父は帰る場所があることの大事さを知っているはずなのに、なぜ帰る場所を奪い狭い場所に閉じ込め虐殺を行うことを肯定できるのか。

今回の長崎の件で、アメリカだけならともかく、そのほかの欧米諸国アメリカ同様にイスラエル支持の立場であることが明確になり、それに絶望した。安い言葉だが。

全然まとまらない。

父は欧米諸国寄りの思想なので各国情勢でいくと主流派にはなるのかもしれないが、長崎の件でそれがまざまざと見えてしまって、自分はそのことをまだ消化しきれていない、ということなのか。

全然関係ないが、ここまで父に会いたくという思いを持つことで、少しだけ宗教戦争に思いを馳せた。信仰の違いは戦争につながることがありえたんだな、と思う。信じるものが違いすぎると家族でも遠くなる。

これも全然関係ないが、自民党統一協会関係は、欧米諸国ユダヤ資本関係に似ている部分があると思う。

アメリカでも、若者の間ではイスラエルやばいよね、という意見が多いらしいので、そこは希望が持てる。

思うだけで自分は何も行動はしていなかったことを反省し、ガザ人道支援募金をした。

この行動のきっかけになった点は父に感謝できるのだろうか。それにしても、あーー里帰りしたくない。帰るんだろうけど。

まとまらないことに変わりはないが、理屈はおいといて、罪のない子供たちが殺されるのは許容できないと思うし、子供大事にしてくれる父にそんなことをしている国を擁護してほしくないのです。

2024-08-10

anond:20240810113151

そりゃその事務女性二人にとってはキモかったってことだし、お前にとってはキモくなかったんだろ?

お前にキモがられてない時点である程度の清潔感はあるんだよ、たまたまその事務女性二人のハードルがお前より高かっただけで

当然だが異性か同性か、恋愛対象として見るかビジネスパートナーとして見るか、そして個人の趣向によってハードルの高さは変わるぞ

それはTPO、つまり時と場合によるってやつだからそこに文句言っても仕方ないぞ

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