はてなキーワード: きな子とは
生まれた頃、僕は既に負け組だった。山に囲まれる街、豪邸とは程遠い、小さな家
幼稚園の頃、僕は負け組だった。流行りのゲーム機も無く、交ぜてもらおうとして、いじめられていた
小学生の頃、僕は負け組だった。目が悪くなり、メガネをかけ始めた。容姿もださく、歯も出っ歯になり、猿のようだった。
中学生の頃、僕は負け組だった。好きな子は不良と付き合い、エッチも済ませたと噂を聞き、悲しくて抜いた。NTR属性が身についた。
高校生の頃、僕は負け組だった。不良とつるむことも増え、酒、タバコの生活をしていた。成績も悪く、良いところの就職先を探していた。進学なんて考えていなかった。
社会人になった。仕事の関係で、東京に出た。その頃の友人のような年収200万後半の生活をすることになっていた。そのまま突き進んでいたら、負け組のままだった。
30歳の僕、独立して、会社を起こした。年収は正社員時代の5倍、1500万程度まで上り詰めた。7つ下の嫁が出来た。結婚をした。家を買った。
これは誠実に向き合わないといけないと思わせてくれるゲームだな
なかなか話題選択がうまくいかなくていらいらするんだけど攻略見ちゃったらなんか終わりな気がしちゃう
でも何度か繰り返してると同じイベントだと話題がわかっちゃうのがさびしくなる
つーか暇だからおしゃべりしようとかどんだけ難破なんだよ
そんなメンタルあるなら普通に街中で女ひっかけられるだろこいつなら
結局仲良くなるのはゲーム内のお調子者で軽い主人公であって俺じゃないんだよな
仲良くなってもスカートまくって水着みせてくれたのも俺に見せてくれたわけじゃないんだよな
たぶんおれがゲームの中にはいったら逢はたぶん違和感を抱いてすぐに見抜くだろう
そんで冷たい目をして俺から離れていくんだ
みゃーもそうだ
にいにじゃないとすぐにわかって冷たくなる
ギャルゲーにありがちな気のいい男友達(名前忘れた)だってそうだ
あいつをかえせといってきて冷たく俺にあたるんだ
俺がアマガミの世界に入ってもぼっちクリスマスになるだけで彼女どころか死にたくなるだけなんだ
あいつらが求めてるのは俺じゃないんだ
ならなんで俺はアマガミをやってるんだろう
NTRを喜んでやるような奴だったのかおれは?
嫌違うれおれはねとることはよくてもNTRなんてまっぴらごめんだ
なんで俺がこんな重いをしなっきゃなんないんだ
かおるに耳かまれたいよ
でもたぶんおれ脇がで耳あか湿ってるタイプだからうげってなってまたさげすむ目でみられてもう二度とかおるとも離せないんだ
俺はどうしたらいいんだ
つらいつらすぎるしにたい
誰にも話せない。
私は若手俳優が好きだ。
ここの日記でもよく見かけるけど、若手俳優とはやまざきけんととかすだまさきのようなTVに出て演技をしている若い俳優さんをさしているのではなく、主に舞台を中心に活動を行っており、その中でもいわゆる2.5次元舞台に多く出ているような方たちのことだ。
事務所にも所属しているし、舞台などにでることによって得た収入によって生活をしている以上、「俳優」というカテゴリーに入るのだろうけど、正直「地下アイドル」的なものに近い。
それは事務所が「アイドル売り」しているのも原因だし、なによりもとにかくファンとの距離が近いからである。
TVでいくらかっこいい俳優さんを見たところで、それはTVの中の人。
だけど舞台役者は手を伸ばせば届くような距離で演技をしている。
舞台によっては客降りといって、舞台の上から降りて客席のほうまで来てくれてファンサービスを行ってくれる場合もある。
こういう若手俳優個人のファンイベントというものも、頻繁に行われている。
握手会、ハイタッチ会、お見送り会、リリースイベント、試写会、トークショー、ディナーショー、BBQ会、バスツアー等など。突飛な企画や舞台の付属イベントのようなものを入れればしょっちゅうある。
その際、自分の推しと一緒に長時間おしゃべりができるようなことはないが、少なくとも数秒、長ければ数十秒、推しが自分のために笑顔を見せてくれて、自分のためにしゃべってくれるのだ。
私は、この数秒のために生きている。
前置きが長くなってしまった。
好きなアーティストもいないし、特定のバンドの音楽を聞くこともない。
ミーハー嫌いというわけではなく、たまたまそういう家庭で育った上、二次元オタクだったからだ。
実家で音楽番組を見ることはほとんどない。おそらく紅白すら見たことない。
私も自然とそういうものに興味を持たなくなり、その分?重度の二次元オタクになった。
オタクをやっていれば自然と耳に入ってくる言葉が「テニミュ」である。
若くてかっこいい男性がコスプレをしながら演技をする。そんなイメージだった。
嫌悪していたわけではないが、興味はない。
ただ、オタク友達の中にはやっぱりそういうものが好きな子もいて、その子が必死になって好きな俳優のために長ったらしいファンレターを書いているのをみて、正直引いたのもある。
その子はおそらく純粋に応援する気持ちでファンレターを書いていたのだろうけど、私には「彼女になりたいの?なれるわけないじゃん」という気持ちだった。
時折舞台に誘われることもあったが、興味ない人間からすると一回の舞台の金額は高い。ちょっと行ってみようかな位の気持ちでは動けなくて、結局一回も行ったことがなかった。
前々からそういう噂はあったし、覚悟はしていたがショックだった。
ただこのマンガのファンとして、観てもいないものを否定するのもいけないことだと思い、観に行った。
そしたら、はまってしまったのだ。
よくある話すぎてあくびが出る。
あんなに興味なかったものに、はまる時は一瞬だ。転がり落ちる。沈んでいく。
それがおおよそ1年前の話。
毎日彼のツイッターを見て、ブログを見て、次の舞台の情報をチェックし、チケット争奪戦が予想されるものは頼める友達に全部頼んで協力してもらい、仕事の融通をきかせてもらっては休みをもらったり早退しながら足しげく舞台に通っている。
リア恋している自覚はある。
あの時自分が目の当たりにしてドン引きしたものにまさに自分がなっている。愚かだと自分でも思う。
この気持ちが叶うなんて思っていない。
一方的に私が好きであり、彼が舞台でがんばっている姿を見ることができれば十分だった。
十分だったはずだった。
ある日ふと考えてしまった。
もっと彼に何かしてあげたい。
考えた結果がプレゼントだった。何を贈ろうか迷いに迷って、私が出した結論が現金だった。
ただ、私はおそらく人より少しだけよい給料をもらっている。お金に余裕がある。
また、ここでは詳しくは書かないが、私のことを好きな男性からお金を援助してもらっていたことがある。(体の関係は一切ない)
現金をもらうという行為は、私からの代償は特になく、しかし大変ありがたい。私にとってはそんな行為だった。
今はなんてバカなことをしてしまったんだろうと思っている。反省している。
事務所の方にも手間をかけさせてしまって本当に申し訳ない。恥ずかしい。
彼とは、同棲期間を経ずに一緒に暮らし始めて3か月あまり。よく新婚生活どう?楽しい?って聞かれるけど、予想以上に夢も希望も無かった、あるのは現実だけだ。相手の生活リズムに入るストレスもあるし、私の勝手につき合わせているだろうというのも、自覚してしまえばかなりストレスだ。言葉尻をとらえるような些細な言い合いが増えた一方で、会話の量は一緒に住む前よりも減った。
こういうストレスとかはしばらく実家に帰るとかして距離を置けばよさそうな気もするんだけど、実家はなんだか追い出しムードで、泊まりたいといえる雰囲気でもない。帰る場所であるはずの新居には、逃げ場のなさを感じる。そうこうしている内に、夫というよりも大きな子供と暮らしているような気になってきて、ここのところは性的なスキンシップに拒否感を覚えるようになってしまった。今は好きも愛してるも言えない。たまに優しくされるのも辛い時がある。
ちなみに夫はこの結婚生活についてどう思ってるのかというと、うまくやっていると思っているらしい。思わず真顔で嘘でしょって言ってしまった。大らかな人ではあるが、いささか能天気すぎはしないか……?いっそ羨ましい。
こんなのは最初だけで、1年も経てば慣れるのではないかと信じているが、同時に1年も我慢しなくてはいけないのかと絶望的な気分になる。もしくはこれが一生続いたらと思うと、正直気が滅入る。少し前まで、私の人生と引き換えにこの人の人生が手に入るなら安いもんだ、位に思っていたはずなのに。
そんな生活の変化というストレスが、今、 “楽な方”へ流れていっている。自分の理解者というストレスフリーな相手。いまだに絶ち切れない、別れた人への未練だ。
実際に私がその人と結婚しなかったのは、タイミングが悪かったとしか言いようがない。散々泣かされたしいろいろなことがあったが、人生で一番幸せだったのも我儘な私が一番他人のことを考えられたのもあの人だった。もちろん結婚や将来のことも。
今となっては思い出が美しい、っていうのはよくわかる。思い出補正ハンパない自覚はある。麗しすぎてもはや現実味がない。
その相手とはしばらく連絡を取っていなかったのが、ひょんなことから、今はたまに話をするくらいの仲。婚約したとか結婚したとかは言ってあるが、たまにその気があるようなことを言われる。
もちろん相手の言うことを完全に真に受けてはいないし、本気にはしていない(つもりだ)が、いつまで経っても「もしかして」という期待?願望?が抜けきらない。多分、いまだに別れたことに対して納得ができていないからだろう。
感傷だとかマリッジブルーだとストレスだとか、そういう不安定なものからくる現実逃避だとは思っているんだけど。
あの時はダメだったけれど今ならもしかして、という可能性に縋りたくなってしまう。そんなのは心底夢物語で空想でしかないんだけど、分かってるんだけど、相手がかつてなく受け入れてくれるから、それに気を良くして。
スピード離婚した友人が「自分は結婚に対して覚悟と忍耐が足りなかった」と言っていた意味が、今すごくよくわかる。私には結婚は早かったのかもしれない。それにつき合わせているのかもしれない夫には今から、申し訳なさがある。
今、結婚した女友達から結婚したかったと言われた増田の話を読んで、なんとも言えない気分になった。そのブコメの数々が刺さる。
正直、結婚式という儀式を踏まえたらもう少し心境も落ち着くかもと思ってたんだけど、そういうこと言えちゃうものなんだ……多分あれは決別とかじゃない。実現しないだろうと分かっているだけの泡みたいな本音だと思う。でも私も同じようなこと思うんだろうな。地雷とかなりたくないんだけどな。
今日も、実家に帰るべきかもしれないと思いながら新居に帰る。冗談交じりではない話し合いを、その内しなければならないんだろう。
俺はこのクソったれなアイドルマスターシンデレラガールズの世界が大っ嫌いだ
まず、アイドルというものはその能力と知名度で露出度が変わるのは当然であり、その露呈が露骨にデレステ及びモバマスで出てくることに異論はない。
でも、そもそもこのゲームはそれだけを反映するためのゲームではないだろう。これだけたくさんの183人ものアイドルが居て、
上位SRになるのも一部のみ
メダルSRで登場すればフロントに立つのも厳しい性能だろうと「念願の強SR」って喜ぶ(実際に自分と同じ担当の方がモバマスの自分の挨拶欄にこう書いた)。
流石におかしいでしょう。
現状では、自分の取ったデータが正しければ未だにメダルSR級すら存在しないアイドルもいる。はっきり言えばこれは不当な差別だ。
デレステはもう、正直どこが悪いとか言及するのすら嫌になる。良かったことを言うとしたら「人気アイドル」の登場を引き受けてくれることでモバマスで担当達の登場が増えることだろうか。
勿論今回の美玲ちゃんのボイス実装を喜んでいないわけではない。非常に喜ばしい。
だが遅い。もう数ヶ月早く付けるべきだった、と思う。
(蛇足:これで全てのPがサプライズボイスに震えなくてはいけなくなった、みたいなツイートを見たが正直自分には当てはまらなすぎて何言ってんだろうこの方は、としかならなかった)
そして、この状況で起こっている一番自分が良くないと思うことは、「非人気アイドル担当Pの引退」である。ツイッター等で繋がりのある人達は引退はそうそうしないかもしれないが、そうではない、基本的にゲームのみをプレイしている方々の引退率が高いことが問題だ、と言いたいのである。
有り体に言えば自分の好きな子が不遇でそれほど好きでもない子が優遇されてるのを見続けたらそんなゲームはやってられねぇよって話です。
今でこそ多少改善方向にあるものの、既にこの世界に見切りをつけて去った人の割合は、きっと思っているより高い。
"あなた達"がどれくらいデレマスの世界を楽しんでいるかは、自分には推し量りようもない。ガチャや上位で登場し、アニメが放送されて、喋って、動いて、踊って、笑って、泣いて。さぞかし楽しいのでしょう。できることなら自分もそうやって楽しみたかった。
所謂嫁プロ担当プロというやつに所属しているものの、殆どがもう動いていないかつ代表も長期ログインしてない。担当の数少ない活躍のみを原動力に、地の底を這うモチベでモバマスとデレステをプレイしている。そんな状況の自分から、とびっきりの怨嗟を籠めて。
俺は、このクソったれなアイドルマスターシンデレラガールズの世界が大っ嫌いだ
なんだか気持ちが落ち着かない。
吐き出したいから、少し書きたい。
俺は今年で31歳になる。男だ。
今まで一度も誰とも交際したことは無いし、
容姿が悪いという事は、普通の人が当たり前に出来る事が出来ない、
とにかく生き辛い事が盛りだくさんという事。
結局予定が合わないと前日に連絡が来て流れたり、
会うには会ってもらえても、かるく雑談しただけで解散になったり。
(前日にキャンセルされた時は、翌日その方がヒマだとツイッターで言っているところを見かけたりしたが。)
仕事もとにかく不利になる。
厄介な案件を押し付けられて、普通の人たちはさっさと帰ったりするのは当たり前。
前日になって色々深夜までやらされるという事は当たり前。
パワハラといわれればパワハラなんだろうけど、何かしようものなら、たちまちもっと当たりが強くなるだけ。
毎日毎日、泣きそうになりながら仕事をしているところをニヤニヤと覗き込まれ、
ヘタだけど、自分で色々試して、上手く演奏できたときはとても嬉しい。
いつものように、キモいって言われて、演奏することさえ嫌いになってしまいそうだから。
味方が欲しい。人並みの幸せはとっくに諦めた。
ただ、味方が欲しいだけなんだ。自分の存在を認めてくれる人が。
認めてくれなくても良い。許してくれる人が。
愚痴りたくて書きました。
そこそこ晴れた春の日の午後のことだ。
ゆるく右にカーブした上り坂にさしかかったところで、坂の上から下ってきたお爺さんの運転するママチャリにはねられた。
=====
お爺さんはママチャリから投げ出され、路面に右手と右側頭部を打ったらしい。
現場検証が終わって、ほぼ 10:0 で自転車側に過失がある(私には過失がほぼない)という結論を説明された。
(警察の方が割合を明示したわけではないが、もし訴訟になった場合そういった割合になりそうという話)
それを受けて、一般的なケースを考えてみる。
自転車が人をはねても、同じだろう。
状況は考慮されるが、車両を運転する側の方が責任は重い。本件の交通弱者は私。
当然そんなことはお爺さんも承知しているだろうと、私は思った。
ならば・・・私は幸い打撲で済んでいる。失ったのは現場検証に費やした2時間だけだ。
謝ってもらって、お互い病院に行って、お互い不幸な事故だったと反省し、次に同じことをしないように気をつけていく。
それが妥当な落とし所だろうなと。
が、そうはうまく行かないものだ。お爺さんは警察と私と目撃者を前にして、また繰り替えし言うのだ。
「自分はブレーキをかけたし悪くない。お前が道を塞ぐように歩いていたからぶつかったんだ」
事故直後にも同じことを言っていたので、パニックで記憶が混乱しているのだと気にしなかったが、どうやら本気で言っているようだ。
人をはねたことを悪いと思っていないのか、「すみません」の一言もこれまで一切なかった。
「車両を運転する人は『歩行者が気づいてないかもしれない。だからスピードをより落とそう』というように、『かもしれない運転』をしなければならないのですよ。教習所ではそう教わります」と説明する私。
「教習所には行っていないから分からない」と突っぱねるお爺さん。
ああそうか・・・そういう人か。
日本語を話すことができても、日本語でコミュニケーションできないのか。
私の倍は生きているのに、自分がしたことと責任を把握できないのか。
その後、私は病院に行って診断書を書いてもらった。やはり左腕の打撲、全治10日程度。
地味に(金銭的にも)痛いが、考えようによってはこの程度で済んで良かった。
仮にだが、もし被害にあったのが他のお年寄りだったり妊婦の方だったりした場合を想像すると、ゾッとする。
そして、そんな場合でもあの大きな子供は被害者相手に同じことを言っていたのではないかと想像し、ゾッとする。
人をはねておいて謝りもしないこの人なら、やらないとは言い切れない。
「自転車保険に入っているかどうか、確認して教えてください。自分で入った覚えがなくても、家族の誰かが手続きをしたかもしれないので」
そうお願いした。返事は
「考えさせてほしい」
何を考えることがあるのだろう?確認して私に電話する、ただそれだけなのに。
「今は優しい彼女でも数年したらヒスババアになるかもしれないから」
とかそういうのは分かる
だが
「メリットがないから結婚しない」「コスパが悪いから結婚しない」ってなんなんだ?
アイマスで好きな子のSR出るまで回して数分で数万飛んでいったり
好きな声優のサイン会のためにけっこうな電車賃出して遠征したり
めちゃくちゃ好きだった漫画がクソみたいな展開になってたくさん買ったグッズと雑誌の山の中で途方に暮れたり
リア充からは、ただの絵に何やってんだ?付き合ってくれるわけでもない相手に何やってんだ?と思われるだろう
交際経験のない非モテが言うのもなんだが三次との恋愛もそういうことじゃないのか?
子孫を残す必要のある由緒正しい家系で、知らない女との結婚を迫られてるなら
「知らない女を養うなんて!俺に何の利点もないじゃないか!」って言いたくなるのも分かる
でも別にお見合い結婚を強要されているとかそういう状況じゃないわけだろう
これはどうしたことか
メリットは利点
身長125cmくらいのおかっぱで赤系の和服を好む齢4桁の座敷童。名前は教えて貰えないから、お師様って呼んでる。
家事掃除はほとんどしないし、外食も大嫌いだ。もちろん、毎日俺に毎日三食作らせる。
偏食も激しくて、何か食べたくなったらそれ以外口にしてくれないなんて日常茶飯事。
昼間っからネットしてSNSや匿名掲示板を見てはぶつくさ言ってるし、
かと思えば女友達の妖狐とか雪女なんかを連れ込んで豪勢に酒盛りしているのもしょっちゅうのことだ。
夜中、特に用事のないときに誘えばセックスはしてくれるけど、気が乗らないとマグロもいいところだし、
興が乗れば夜明けまであの手この手で絞り取られるからもうどうにも気が抜けない。
体中開発されたし、最近はマイブームなのか女体化させられて陵辱されることも多い。
ちなみに生理はまだ来ていないんだけど、孕むこと自体は自由自在らしく、
いつか立派な一人前の男になったら子も作ってやるとは言ってくれているけど、先にこちらが孕まされそうだよ。
そんなクソニートみたいなお師様だけど、千年以上他に阿らず好き勝手行きてきただけあって術の力は比肩するものを見たことがないし、
古今東西の魔や妖かしに精通していて、更に苦手だという体術も俺程度じゃ片手片足で軽くあしらえるほどに強いんだ。
細かいことを考えるのが面倒臭いってんで全部うち倒してから考えようとする癖があるのが玉に瑕だけど、その辺は俺が補佐すればいい。
まあ、最近で言えば土蜘蛛チョコレート問題のときも、吸血鬼ライア侯爵婿入り騒動のときも、
自分は空回りするばかりでお師様に助けてもらうばかりだったんだけどね……。
いつかは俺もお師様につりあうような立派な男になって、彼女の名前を呼んでプロポーズするんだ。
なんて感じの子だよ。
先生と出会ったのは、わたしが中学生の時です。彼は大学院を卒業後、国語の非常勤講師として赴任してきました。わたしと1周りほど年が離れていて、身長は10cm程度高く、かわいい顔立ちをした、少し年齢不詳気味の人でした。
当時のわたしは、授業中は寝ているか、教科書の隅に落書きをしていて、学年下位をふらふらと彷徨っている、やる気のない生徒でした。そんなわたしに「やればできるから」と声をかけ、必死に授業に参加させようとする先生は、いかにも「教師になりたて」で。その熱い眼差しで見られる度に、わたしは居心地の悪い思いをしていました。どれだけ無視をしても「おはよう」と笑顔で手を振る先生、「わからないことがあればいつでも聞いてね」と教室を去る間際、席までわざわざ歩いてきて声をかけてくる先生。わたしは、彼の笑顔がどうしても嘘くさく見えて、大嫌いでした。
気持ちが変わったのは、制服のシャツが半袖に変わり始めた頃でした。一週間遅れで課題を提出しに行った際に、とある難関大学の過去問を意地悪のつもりで聞いてみたら、さらりと答えられてしまい、その際に知った彼の学歴の高さに意外性を感じたからです。先生はいま思い返してみても、とても頭の良い人でした。自分が頭の良いことを知った上で、きちんと、相手にあわせたレベルで話ができる、勉強を教えることのできる優秀な先生でした。彼の解説を聞きながら、初めて、答えを導き出す楽しさに気付き、勉強が楽しいと思うことができたのです。
いま思えば、わたしは彼のパフォーマンスの引き立て役のひとりでしかなかったのでしょう。後々、彼の鞄から発見した、クラスの成績表の書き込みを見れば分かります。伸びしろはあるがやる気がない、かつ、やる気になれば伸びるタイプ。わたしは「ちょうど良い生徒」に過ぎなかったのです。そして、幸か不幸か、彼の好きなタイプの顔立ちをしていました。
先生は褒めるのが上手でした。たった10問の小テストで満点をとっただけでも「偉いなあ、嬉しいなあ」と、にこにこ頷いてくれました。自分で言うのもアレですが、わたしの地頭は悪くなかったので、少し本腰をいれて勉強するだけで見る見る間に成績は上がっていきました。周りの教師が驚いた眼で答案を返してくるのが面白くて、わたしはもっと良い点数が取りたいと思い始めていたのです。
いや、違うかもしれません。分からない問題を先生に聞きに行きたいがために勉強をしていたのかもしれません。先生は担当教科の国語だけでなく、どの教科も教えることができ、また、教え方が上手だった。だから、分からないものがあれば、どの教科でも先生に聞きに行っていた。わざと分からない振りをしていると見抜かれてしまうので、本当に分からない問題を探し、解決していく内に、分からない問題は減っていき、どんどん難解になってしまった。わたしは先生に会いたい、質問をしたい、話したい一心で、教科書に向き合っていたのです。
たったの半年程度で、わたしの順位は下の下から、上の上へと上がっていきました。先生は桁数の違う成績表を見比べて笑っていました。その彼の横顔を見ながら、わたしは少しだけ、意地の悪い考えを抱いてしまいました。言わなければ、幸せでいられた言葉を言ってしまったのです。
「1位を取ったらデートしてください」
先生は、びっくりした顔でわたしを何秒か見つめた後、視線を宙に泳がせました。「お願い」。そう、一歩前に出たわたしから距離を開けるように後ずさり「1位は難しいよ?」と苦笑いしました。「無理だと思うなら、約束してください」。その時の彼の脳内には、きっと、学費免除をされている学年主席の優等生の顔が浮かんでいたのだと思います。先生は意を決したように「いいよ、ただし、全教科合計順位で」と小声で告げました。
300人いない程度の学年でも、1位を取るのは簡単なことではありません。優等生は、わたしの学校でも飛びぬけて頭の良い少女でした。しかし、わたしには彼女に負けない思いがある。恋心です。
わたしは、先生とのデートの権利をかけて彼女に一方的に勝負を挑みました。彼女の苦手科目であった生物を攻略することで、大幅に点差をつけたわたしは、僅差で勝つことができました。学年末試験の結果が書かれたA4のペラ紙を持って、勝ち誇った笑みを湛えながら職員室に飛び込んできたわたしを見て、先生は少し罰の悪そうな顔をして「おめでとう」と返しました。
誰かに見つかるのは避けたいと提案された場所は、あろうことか先生の自宅でした。少し驚きましたが、恋は盲目状態だったわたしは先生からのメールが届いた瞬間、秒速で返信しました。春休み、まだ蕾のままの桜並木を見ながら、ミスタードーナツの袋を下げて、先生の自宅への道を歩みました、人生で1番幸福な瞬間でした。私服姿の先生は想像の何倍もおしゃれで、部屋も黒を基調とした、かっこいいものでした。
わたしたちはドーナッツを食べながら「教師と生徒」という禁断の響きに似つかわしくないほど、平凡で下世話な話をして盛り上がりました。教室内のヒエラルキーも職員室内のパワーバランスも変わらず馬鹿らしいと腹を抱えて笑いあいました。先生が録画をしていた、ただ絵面だけが派手な洋画を見ながら、作品とは全く関係ない話に興じました。
映画を見終わった頃、先生が不意に真剣な表情で聞いてきたこと、その声音を、わたしは忘れることができません。「俺のこと好きなの?」。いつも飄々としていた先生が、こんなに真剣になるのを見たのは初めてでした。報われぬ片想いを今日で最後にするつもりだったわたしは、笑顔で「大好きです、結婚したいみたいな意味で好き」と頷きました。次に出てくる、哀れで馬鹿な生徒の恋心を突き放す言葉に怯えながら。
しかし、先生の口から発せられた言葉は、予想の真逆をいくものでした。わたしのことがひとりの女性として好きなこと、これからもこうして会いたいこと。しかし、くれぐれも周りの人に気付かれてはいけないこと、それが守れなくなった時点で離れたいこと。彼の話していた言葉はよく覚えていませんが、約束事の多さだけは覚えています。「教師と生徒」の恋に怯える先生の気持ちを手に取るようで、その真剣な眼差しに促されるように、わたしは「はい、はい」と頷いていました。
先生が、なぜわたしのことを好きだったのかはわかりませんが、彼はよく「愛に飢えててかわいそう」とわたしを評しました。両親も健在ですし、人並みに可愛がってもらえていたはずですが、わたしは両親との関係性というものがどうしても希薄にしか感じられなかった。そんな姿が、愛に飢えているように見えたのかもしれません。彼は小さな頃から過剰な愛、過干渉を受け育ったそうです。だから、その与えられすぎた愛を持たざる者(と彼が思うもの)に受け渡すことで、バランスを取っていたのかもしれません。
先生とわたしは、密かに逢瀬を重ねていきました。学校では、若いお気に入りの教師に熱を上げる馬鹿な生徒を演じ続けました。その一方で、2人で会う時のわたしは、あまり騒ぎませんでした。先生に似合う、大人の女性に早くなりたかったので、静かに、黙っていました。
高校生になり、バイトを始めると、わたしの身なりは少しずつ「ちんちくりんな子供」を脱却し始めました。大人になるにつれ、彼の熱が上がるのを感じ、気分が良くて仕方がなく、その感覚を味わう度に自分の箍が外れていく気がしました。己のアイデンテイティがうまく掴めなくなり、自分が子供なのか大人なのか分からなくなる瞬間が増え、ぼーっとした日々を過ごしていました。誰にも言えないまま、大人になるストレスは存外厳しく、不安に泣いた日も多かった気がします。
そして何よりも、わたしは頭が良くなってしまった、なりすぎてしまった。あんなにも尊敬していた彼の大学の合否判定は「A」しかでませんでした。学年1位は優等生からわたしの手に移ってしまった。彼が枕元で得意げに語る知識に、目を輝かせることは、もはやできなくなり、ただ黙って薄笑いを浮かべることで精いっぱいになりました。そういったわたしの変化を感じてか、彼はわたしの「人に言えない」ことに漬け込むようになっていきました。
「共犯者だよ、君も捕まる」
そんな言葉を言われる度に、わたしの頭の中はぐちゃぐちゃにかき回され、嗚咽をあげて泣くか、へらへら笑うことしかできなくなりました。誰かに言わなくては、と思いつつも、その先に待つ破滅を考えると声が出せない。何よりも「淫行教師」と「可哀想な女生徒」として衆目に晒されるのが耐えられませんでした。
わたしは、先生のことを本気で愛していました。彼の未来は輝かしいものであってほしかった。たとえその先に、わたしがいなくても。先生がどれだけ汚い姿を見せてきても、教室の隅で燻っていたわたしを救ってくれた人に他ならないのですから。それが例え、先生の株をあげるためのパフォーマンスであっても、救いだったのですから。
物語の幕引きは、あっけないものでした。先生は、自分の罪を周囲に告白してしまったのです。2度目の冬のことでした。放課後、その曜日は先生が学校に来ていない日だったので、早めに家に帰って漫画でも読もうといそいそ帰りの支度をしていたわたしを学年主任が呼び止めました。主任は、まるで化け物でも見たような、恐ろしい、それでいて悲しそうな目でわたしを見ていました。すべてを察しました。
先生は、主任と校長にだけわたしたちの関係を告白しました。校外で2人で会っていた事実を認め、これ以上関係が深くなる前に学校を去りたいと告げたそうでした。主任と校長は、わたしに深く頭を下げました。そんなことしてほしくないのに、する必要ないのにと焦るわたしを2人は涙を堪えた目で見上げてきました。そして、痛切な表情で「肉体関係はあったのか」と問うてきました。「ありません、断じて」とだけ答えると、先生たちは泣き出し、再び謝り始めました。わたしは校長室の分厚い壁が、この大きな泣き声を外部に漏らさないかだけが心配でした。
先生からはその数日後、直接、学校を去ることを告げられました。彼は、わたしが嘘をついたことを責めました。勝手な生き物だと、少し幻滅したのを覚えています。一方的に罪を告白し、逃げ出すのはルール違反だと怒りたい気分でした、しかし、解放されたがっている自分がいたのも、また、事実でした。わたしたちは主任と校長に話したこと「だけ」が2人の間にあった関係であることを確認会話し、男と女の関係を辞めました。
先生とわたしは、3学期中をいつも通りに過ごしました。終業式で言い渡された先生の退職を聞き、泣いている生徒の多いこと。別れを告げ、さよならを惜しむ生徒たちを横目に見ながら職員室に顔を出さずに、わたしは去りました。先生の机に重なった書類の多さは、1日やそっとで持ち帰れる量ではないと判断したからです。
春休み、わたしは毎日のように学校に通いました。先生の机が見える、職員室と質問コーナーの境目に陣取って赤本を進めました。毎日通うつもりでしたが、たったの1日だけ大雨が降り、行かない日がありました。その翌日、いつものように職員室に向かうと、先生の机はもぬけの殻になっていました。わたしはその瞬間、初めて人前で叫び声をあげ、怒り狂いました。教師たちの静止の声も聞かず、わたしは何度も横に立ち、椅子にもたれかかり、無意味に引き出しを開け閉めして遊んだ、彼の机を蹴り上げました。そして、糸が切れたようにしゃがみ込み、永遠と、わんわんと小さな子供のように泣いていました。
高校3年生の時、知り合いから先生が都内の某大学で働いていると知らされました。わたしは当時の志望校よりも幾分か偏差値の低いその大学を第一希望に変更し、無事に合格しました。学びたい学問でもなんでもありません、ただ、先生がいるからでした。何も言わず、大雨の中逃げるように去っていった彼に、文句の一つでも言ってやりたかったからです。大学生としてあらわれたわたしを見た先生は、怯えきっていました。「お金ならあげるから」と言われた瞬間、わたしは、あの日職員室で暴れた時のように先生の鞄を投げ捨て、近くのベンチを蹴り上げました。
なぜか彼は土下座をして、許しを乞うてきました。わたしがしたかったのは、してほしかったのは、そんなことではありません。ただ「さようなら」とだけ言いたかっただけなのです。先生は、季節が夏になる前に海外へと去っていきました、何か月か後に届いたエアメールには「許してほしい」と何度も綴られていました。
先生は、わたしのことが恐ろしくて仕方がないようでした。大学でふとすれ違っただけで、化け物を見るような顔をして踵を返されるたびに、わたしの心は潰れました。きちんと別れを言いたいだけだったのに、いつしか、互いに恨みが募っていってしまったのです。彼はすでに日本に戻ってきているようですが、わたしは、まだ会いに行けていません。会うのが怖いのです。あの目が怖いのです。
わたしの家には毎年、主任と校長から年賀状が届きます。他の生徒には届いていないようですが、わたしにだけは届くのです。罪を共有し合う仲間ですから。わたしはその年賀状に、便箋3枚程度の手紙で近況や1年の振り返りを送るのが常でした。母は、特別親しくもなかった教師への手紙を綴るわたしを眺めては、毎年、不思議がっていました。
はじめて家を出ることになり、年賀状の送付先が変わることを告げる手紙を綴る最中、わたしはぽろりと母に罪を告白してしまいました、勿論、関係については「公然の事実」のみ伝えました。母は「でも、好きだったんでしょう?」と聞いてきました。そうです、わたしは好きだったのです、先生のことが。そして、今でも好きなのです。「さよなら」を言えないまま、わたしは片想いの渦にまだ囚われているのです。「なら、良いじゃない、世間はどういうか分からないけれど」。そうです、他人など、どうでもいいのです。どうでもよかったのです。
冬になり、主任と校長は一人暮らしになったわたしに年賀状を出すことなく、立て続けにこの世を去りました。わたしのことをずっと気遣ってくれた2人は、成人し、就職が決まったことをとても褒めてくれました。彼らが、あの日以降、罪について話題に出した日は一度もありませんでした。わたしを気遣う優しい文面、文化祭に遊びに行ったわたしを出迎えてくれた笑顔、どこまでも優しい2人でした。
2人の葬儀には沢山の生徒、教師が集まりました。その中の誰も、わたしの罪を知る者はもういません。しかし、幼き日の思い出話に花を咲かせれば、誰もが「あなたは、あの先生が好きだったのでしょう?」と聞いてきます。わたしはその質問をされる度に「好きです、今でも」と答えるのです。そう答えながら、喪服姿の先生を横目で探してしまうのです。ヒールをはいたわたしと同じぐらいの身長、年の割にかわいい顔立ちをした年齢不詳の人。わたしは、彼がどんな姿をしていたのかも、もう曖昧にしか思い出せません。一緒に撮った写真はたったの1枚しかありませんでしたし、それもどこかに消えてしまいました。
はじめて会った日から、気付けばもう10年以上の月日が流れてしまいました。あの頃急速に大人になってしまったわたしは、ひどくアンバランスな心を抱えて生きています。わたしの心は未だに、あの新しいようで古ぼけた校舎に囚われたままなのです。職員室を入って右側の島、奥から3番目の灰色の大きな机、先生の足元にしゃがんで、顎をひんやりとした板にのせて、話すのが大好きな子供のままなのです。
しかし、わたしがいまいる場所は、生きている場所は、あの箱庭ではないのです。過去の罪に囚われる時代はもう終わりなのです。だからこそ、口に出さなくてはいけないのです。だからこそ、会いたいのです。会って、言いたいのです。
せんせぇ、さようなら。