はてなキーワード: きな子とは
うちの犬の様子がおかしくなったのは、3年前の秋、私が高校1年生のときだった。
後ろ脚だけがもつれる。ふらつく。地面に脚を擦って歩く。何か、様子がおかしい。その時点でそれなりに年を取っていたこと(当時12歳)、以前子宮系の病気になって九死に一生を得たこともあって病院の先生にもよくその存在を知られていたこともあり、すぐに動物病院へ連れて行った。
というのも我が家には昔、その子と一緒に飼っていて、小学生の頃に白血病で死んでしまったもう一匹のコーギーがいたのだが、異変に気付いていたのに大丈夫だと高をくくってしまったが為に病院へ行くのが遅れてしまったという過去があったからだった。
最初に獣医さんが言ったのは、ヘルニアかもしれない、とのこと。コーギーのような胴長短足犬がヘルニアになりやすいのはよく知られた事実である。実際に、昔読んだ様々なコーギーの飼育本のどれもが、ヘルニアという病気について取り上げていた。発症を防ぐために階段の上り下りはさせない、だとか、そんなようなことが書かれていたことを覚えている。実際に、レントゲン写真を見せつつ説明もしてくれた。
ただ、それと同時にちらっと言われた、別の病気の可能性。現段階では確定できないけれども、もうひとつ「これかもしれない」という病気がある、と、何気なく言われた。後ろ足からどんどん動かなくなっていく病気。ヘルニアと違って痛みはないけれども、だからこそ犬自身は気づかず普段通り歩こうとする。今考えると、あれは変性性脊髄症(DM)のことを言っていたのだろう。
とりあえず当面はヘルニアの疑いとして治療を行っていきましょう、という方針になったが、その後の病気の進行は今考えるとまさしくDMそのものであった。
まず、自力での散歩ができなくなった。後ろ脚が本格的に動かなくなってきても、犬はそれに気づいていない。だから、後ろ脚を引きずって前脚だけで歩こうとする。ちょうど、お座りの姿勢で移動しているような格好になる。そうなると、お腹のあたりが傷ついてしまうため、介助ベルトを使って後ろ脚を持ち上げて歩かせる必要がある。だけどそれはかなり負担で、かつうちの犬はあまりそのベルトで釣り上げられつつ散歩するのを好んでいなかった。もともと散歩が大好きで走り回るのも大好きな子だったから、なおさらだと思う。
またこのころ、排便がうまくできなくなってきた。後ろ脚でふんばることができないからとのことだった。獣医さん曰く、自力で出せないが為に腸の中に便がたまっており、新しい便に押されるようにして出てくるしかないため、コントロールができなくなっていたらしい。
もともと排泄はすべて散歩のときに済ませトイレシートなどは使わないのが常だったので、仕方がなくおむつを履かせることになった。ここでうっかりしていたのが、犬用おむつ。コーギーは例外的だが、ほとんどの犬にはしっぽがついている。そのためおむつにもしっぽを出す穴が付いているのだが、コーギーの場合はそれが仇となった。しっぽがないために、排泄物がその穴から出てきてしまうのだ。結局、赤ちゃん用のおむつの中でもとりわけ大きいサイズのものを着用させる方向に落ち着いた。
また、病気になる前からも誰かが家にいるときは基本的にケージから出してリビングの中を自由に動き回らせていたのだが、病気になり外へ散歩に行けなくなってからはほとんどケージを使わなくなっていった。以前のように階段を昇って行ってしまう心配もなかったし、そこまで部屋の中を動き回らないだろうと思ってのことだった。だが、そのすぐ後に問題に直面することとなった。
脚を擦って歩くと、おむつが脱げてしまう。これではどんなに今のおむつに優秀なポリマーが入っていても意味がない。そう考えた私たちは、仕方なく犬に服を着せてその服とおむつとをガムテープで結ぶことにした。見栄えも何もないが、仕方がない。
本当はうちの犬は服を着るのが嫌いで、幼いころに着せた時には気づいたら自力で脱いでしまっていたのだが、この時ばかりは何の不満げな様子も見せずにいてくれた。その後タンクトップスタイルの服から介護用の多機能ベストのような服を着せるようになっていったのだが、その時も何もなく受け入れてくれた。人間と同じで、犬も年を取ると丸くなるのかな、なんて考えたりもした。
ともあれ、私たち家族も犬自身も、病気とうまいこと付き合いながら、いつも通りの生活を続けていっていた。
そして2年前の初夏、ちょうど私が定期考査を終える頃に、犬が体調を崩して入院した。それと同時に、獣医さんからDMのことを聞かされた。そして、DMにかかっている犬の献体を受け付けている大学がある、ということも聞かされた。現段階ではヘルニアではなくDMの可能性が非常に互いが、この病気は脊髄の病気だから生きている間にその検査を行うことはできないため、除外診断的にしか分からないこと、また今はまだ治療法どころか詳しいメカニズムさえも明らかにされておらず、病気の進行を見守るしかないということ。だからこそ、もしも亡くなったときには献体に協力してあげてほしい。そう、言われた。
私はその時点から亡骸を献体として提供することをある程度は覚悟していたが、家族の思いはもっと複雑だったらしい。今年の春先にようやく意見が固まったぐらいだったのだ。かくいう私も、それが本当に犬にとっても良いことなのか、最初は迷った。もちろん遠い目で見れば、病気が解明されて多くのDM犬が助けられるようになったほうがいいだろう。
だけど、そんなそろばん勘定ではものごとは片付かない。臓器移植云々で色々な意見が出ているのと同じだ。当人の意思を省いた周りの勝手なエゴで、犬に嫌な思いをさせてしまわないか? 何度そう考えたか、分からない。
それと同時に、家の中では車いすの話が持ち上がった。自宅から少し離れたところに、犬用の車いすを取り扱っているところがあるらしい。それを聞きつけてほんの少し後の2年前の7月初旬、本当に車いすを作ってもらうことになった。まだ前脚がまったく動かなくなったわけでもないし、車いすを使えば昔のように走り回ることができて犬も喜ぶだろう、という考えだったそうだ。
車いすを使い始めてすぐは慣れておらずたびたび角にぶつけたり私や家族の足を車輪で轢いて行ったりしたこともあったが(笑)、犬は車いすを気に入ってくれたようだった。昔のように散歩ができることを、何よりもうれしそうにしていた。体力が落ち、徐々に前脚にも力が入らなくなってくるまでずっと、その車いすと共に外を歩き回ったことをよく覚えている。
車いすに乗らなくなって少ししてから、悪い癖がついた。目に留まったものを噛んでボロボロにしてしまう癖だった。それまではほとんどそんなことをする子ではなかったが、動けないことへのストレスがたまっていたのだと思う。新聞に始まり、プラスチック製のかご、障子、畳まで噛むようになった。少し目を離したすきにやられてしまうのでどうしようもなかった。帰ってきたら新聞がバラバラになって床に散乱している、なんてのはしょっちゅうだった。
同じころに、褥瘡が見られるようになった。いわゆる床ずれだ。お腹のあたりを中心に、毛がなくなり、代わりにかさぶたのようなものができていった。とても痛々しく、見ていてもかわいそうだった。せめて早く治るようにと、患部を清潔に保つことを心掛けるしかなかった。
受験勉強で私しか家にいないときは同じ部屋に犬を連れてきて、冷房の効いた部屋にいさせて熱中症を防ぐと共に様子を気にかけつつ勉強する、なんてこともあった。基本的に昼間はずっと寝ているので、そのいびきに少し腹が立ったこともあったが、それもいい思い出だ。
私が高校を卒業し実家を出たころから、呼吸がおかしくなっていった。この頃には胸ではなくお腹で呼吸をするようになっていて、呼吸自体も荒くなったりすることもよくあった。また、それより前ではあるものの、鳴き声も以前のように太いものではなくて、かすれたような声で鳴くようになっていた。
息を引き取る二日前、お水もご飯も摂らなくなった。大好きなおやつやミルクにも興味を示さなくなり、いよいよか、と覚悟した。DMは基本的には食欲の低下は見られない。ただし、終末期を除いて。病院で点滴を打ってもらってから少し食べ物を食べたりもしたそうだが、嫌な予感は当たっていた。次の日の昼、呼吸がおかしくなり、そのまま息を引き取った。
学校からそのまま急いで実家へ帰り、亡骸とようやく対面した。寝ているときの様子とまったく変わらない、いつも通りの表情をしていた。そのとき、以前獣医さんが言っていたことを思い出した。DMは、たとえ進行していても犬自身は痛みを感じない。白血病で亡くなってしまったもう一匹のコーギーは最期のその瞬間以外はずっと苦しそうだったけれど、この子は苦しまずに逝けた。それだけでもずっと幸せだったのかもしれない、と思った。
翌日の朝にDMのコーギーの献体を受け入れている大学へと訪れ、病気の経過を伝えるとともに献体として提供した。褥瘡の少ないからだを見た大学の動物病院の獣医さんに、よく介護されていたんですね、と言われ、自分たちのやってきたことは間違っていなかったんだとようやく一安心した。
そして、ご協力ありがとうございます、と何度も感謝された。大学のほうにはかかりつけの獣医さんに連絡してもらっていたそうなのだが、そのどちらからもすごく感謝されたことをよく覚えている。DMのコーギーは大学付属の動物病院でも何匹か診ているそうなのだが、あまり献体を提供することに協力的な飼い主さんはいないらしい。最後の最後に、苦しい思いをさせるかもしれない。そんな気持ちは、誰だってあるだろう。
献体提供後、検査をした後にはペットの葬儀社で個別に火葬してもらい、お骨はこちらに戻ってくるとのことだった。私が実家を出る日の朝、ちょうどお骨が家に届いた。大学を訪れて3日後だったと記憶している。人間の葬儀の時のようにしっかりとした骨壺と骨袋に入れられて帰ってきたそれは、他のペットたちの写真と一緒に今も実家に大切に保管されている。
俺、凄い好きな子ができても、付き合う前にオナペットにするとなぜか嫌われたり、縁が無くなったりするジンクスがある。
そもそも付き合った人数自体がすくないんだけど、その少ない人数に限って言うと、
好きすぎてそんな事できなかったり、ジンクスを感じ始めて我慢したり、成り行きで付き合う事になったりって時。
別にオナニーしたまま、風呂にも入らず会いに行ったりしてないからね、イカ臭いだなんだって予想される突っ込みはいりません。
ジンクスなのか、何か女性特有の霊的なもので相手に悪寒がはしるのか、超常現象的なものなのかはわからんが。
こんな話他ではしないので、共感えられるといいなとおもってここ書いておく。
…まず言いたい事が有るなら直接言えやコラ。好きな子に告白する恥ずかしがり屋の小学生じゃねえんだぞぼけが。
めちゃくちゃ好きだけど結ばれなかった、そして今もずっと好き、みたいな人がいた場合みんなどうやってそれを乗り越えてんの?
1年半くらい前、好きな子ができた。
大学の関係で知り合ったけど、友達の紹介でもなく何かのコミュニティでの出会いでもなく、共通の知人もいないので出掛けるときははじめから二人きりだった。
酒も割と強い子で同じペースで飲めたし、お互い地方出身だから方言の違いできゃっきゃしたり、将来の事を真剣に話すこともあったり、とにかく楽しくて尊敬もできる人だった。
バカな俺は、こんなに楽しそうにしてくれてるし誘いも毎回来てくれるし、これはいけるだろって思ってた。
結末から言うと、告白しようと思ったその日、彼氏がいることがわかった。地元にいるんだって。悲しみを通り越して笑うことしかできなかった。
彼氏がいるかの確認を怠った俺も悪い。でもクリスマスに会いたいとか言われたら彼氏がいるなんて想像できねーよ。
当たる前に砕け散ったけど、気持ちだけは正直に伝えた。ダサくても真っ直ぐでいたかったし、自分勝手だとしてもこの気持ちは伝えておきたかった。
あんなに可愛くて明るい子に彼氏がいないはずもないし、いつも誘うのは俺から、連絡も俺からだった。向こうから何かあったことはおそらく1回もない。
そこで怪しむべきだった。共通の友人がいなくて情報もなく、しかも恋愛経験がほとんどない俺は彼女の笑顔に従って完全にいけると思ってたんだよね。
こうして文章にすると、俺が勝手にいけると思って入れ込んで勝手に落ち込んでるだけだな...。確かにその通りなんだけど。
彼氏とはうまくいっている、別れるつもりもない、だけど増田くんと一緒にいると楽しい、付き合うのは今は無理だけどまた遊びに行こう?
相変わらずバカでその子のことが大好きだった俺は、このまま友達としていればいつかは自分の番がくるんじゃないかって本気で思ってた。
もちろん俺の番が回ってくることはない。数ヶ月後にその彼氏と婚約したよ。今頃地元で新婚生活満喫中だろう。
婚約が決まってからも何回か食事に行った。彼女の誕生日も一緒に過ごしてる。
都合よく使われてるだけだって分かっていながらも、だけどもしかしたら?この真っ直ぐな気持ちにいつか振り向いてくれるんじゃ?って思い続けてた。バカだよなぁ、でも大好きだったんだ。
3月、笑って見送りたくて最後に飲みに誘ったけどいろいろ理由をつけて断られた。そうか、向こうはもう俺に会う気はないのか。そう思われちゃ俺ももう連絡はできない。ただただ毎日楽しく幸せに暮らしていてほしいと願うだけ。
文章が下手で断片的でうまく伝えられてる自信はないんだけど、とにかく俺はずっと好きだった。でももう付き合える可能性はない。それは諦めてる。連絡さえもできる立場にない。だけど忘れられないんだ。どうすればいい?
彼女が結婚すると分かってからは、他の子とデートもしてる。もう彼女に依存してちゃだめだって思ったから。でも頭の中は彼女のことばっかりなんだ。あの子と来たかったな、あの子ならこんな時こう言うんだろうな、って考えてばっかり。
一緒に行った店の前とか通ると胸が苦しい。楽しい思い出がよみがえるのと、どうにもならない現実に打ちのめされる。このまま電車に乗ってればあの子が住んでた町に着くのかー、とか無意識に考えてしまう。
自分で自分がやばいと思ってる。一人の女に遊ばれただけで何こじらせてんだよって思う。完全に非モテコミットしてただけだったのもわかってる。
だからこれを乗り越えたいんだけど、あとどれくらい時間がかかるんだろう。いつか誰かと結婚した時に、本当はあの子と結婚したかったのに、とか思いたくないんだ。それは奥さんになる人に失礼だと思うから。
だけど思いそうで怖い。いつまでも自分の中の1番が彼女のままになりそうで怖い。
どうすりゃいいんだ俺は。
周りに言わなけりゃ、心の中で好きだって叫んでてもいいのか?
女々しい自分が嫌になるよ。
中3だったかな
ネットみてたら原作の絵柄とめちゃくちゃ似てるやつ見つけてめっちゃ興奮したわ
ADSL全盛なのにうちの回線まだISDNだったからすげー遅かったけど
一番最初に同人誌すごいと思ったのはクリムゾンのティファ本「あなたが望むなら私~」だったけどな
たしか中学生なのにパソコンパラダイスかbugbugを買える店があって毎月買ってて、それの通販コーナーにのってたんだよ
(最初は電撃王っていう一般ゲーム雑誌で後半にエロゲコーナーがあったからそれで我慢してた)
そんでよみてーなーと思ってたらクラスの男がもってきてて興奮して読んだら中身は微妙でがっかりした記憶がある
でもいまだにタイトルは覚えてるなあ
パソコンパラダイスはモザイクじゃなくて金塊マークでかくされてたから邪魔くせえといつも思ってた
あと画像少ない
あとはじめて読んだエロマンガはアンソロで冒頭のカラーページがれん・しゅぽるとだったっけ・・・
当時はすごく衝撃うけてえろくかんじたけど、最近みてももう自分の好み変わってて全然微妙だったなあ・・・
いつかやるんだと思ってゲーム攻略記事スクラップしてたっけ・・・
airとか鬼作とか・・・鬼作は自力攻略無理だったからすげー役に立ったなあ
bugbugとかパソパラの二次元の絵を顔の部分折り曲げて卒業アルバムの好きな子の写真に重ねてたっけ・・・
その道の人が喉から手が出る程欲しがる賞なんかも受賞して、
傍から見ると画家として順風満帆な人生を送ってきたように見えると思う。
戦争で家が燃え盛る中、貴重品には目もくれず画材だけ持って逃げたり、
駆け出しの頃余裕のなさからちょくちょくヒステリーを起こしたりとか、
そのせいでうちの家系はアート関係の仕事に対して風当たりが強い。
父が美大ではない一般の大学を出、一般企業にサラリーマンとして就職した際は
孫の私は小さい頃よく祖父の家に預けられていた。
(私も祖父も都内住みなので、母が忙しい時、面倒を見てもらっていた)
父が幼かった頃はまだ生活に余裕がなく、祖父が子供の面倒を見る事はなかったが、
絵が売れるようになってからできた孫の私の事はかなり可愛がってくれた。
祖父は私にお古の画材をくれ、好きに絵を描いていいと言ってくれた。
幼稚園児の絵なんてプロの目から見なくても下手くそだし、祖父から絵を褒められた事は一度もない。
それでも下手な絵を量産し続ける私を見る祖父の目がとても優しかったのは覚えている。
やがて私は外で鬼ごっこをするよりも絵を描く方が楽しいと思うような子供に育った。
放課後はその事一緒にスケッチブックを持って公園に絵を描きに行くのが定番のコースになった。
小学生の頃、近所のお絵かき教室に行きたいと何度頼んでも全部無視された。
でもテレビでみかけた新体操の選手を見て一言可愛いと言った次の日には新体操の教室を探してきてくれた。
数学が苦手だとぼやいたらすぐにそろばん教室に行かないかと勧められた。
家族は私が絵を描く事以外に興味を持ってほしかったのだと思う。
一回だけ口を滑らせて「美大とか美術系専門学校に行きたい」と言ってしまった事がある。
父は大激怒、あんな鬼のような形相をした父親を見たのは後にも先にもあの時だけだ。
「お前に祖父のような才能はない」
「美大に行くような奴はそれしか生き方を知らないろくでなしだけだ」
「お前は絵の為だけに人生を棒に振れるのか、そうとは思えない」という電話がかかってきた。
でも「美大楽しそう」は中学に入ったばかりの小娘の言葉だったのだ。
隠れてノートに絵を描いてはいたものの、普通の大学に入って普通にOLとして就職をする道を選んだ。
それでも社会人になっても絵を描きたい欲が抑えきれず画塾に通い始めた。
この頃になるともうこれから芸術の道に進む事はないだろうと安心したのか、家族から白い眼で見られる事もなくなったし、
祖父のコネでもらった展覧会のチケットも興味があるのなら、とくれるようになっていた。
画塾に通い始めた事も「社会人になって趣味を持つのは大事な事」と肯定的な目で見てくれるようになって、少し認められた気がして嬉しくなった。
ただ一言「お前、絵描くの好きだったんだな、知らなかった」と言われるまでは。
あぁ、幼稚園・小学生の頃あんなにお絵描き教室に行きたいと頼み込んだの覚えていないんだ。
後、大学で一人暮らしを始めてから同人漫画も描き始めた。もちろん家族には言っていないけど。
同人イベントで金銭のやり取りをするようになってから、絵一本で祖母、父、そして父の妹を食わせ、大学まで行かせた祖父のすごさを再認した。
親戚が私に才能がないと言った気持ちもわかる。私は祖父になれなかった。なろうとする事すらおごましい。
でもこの趣味で出会った友人達には美大とかアート系の専門学校に通っていた人も多くて、やっぱり羨ましくなってしまう。
そしてその人達のほとんどは家族の言う「芸術の道に進むしか能がないろくでなし」ばかりではないし、
卒業後普通のOLとして社会人をやっていけている人にもたくさん出会った。
祖父が自営業の画家として生計を立てていたように、フリーランスとしてやっている人もいる。
何より皆、人より絵を描くのが得意な「社会常識のある普通の人」だったのだ。
美術を専攻するとOLという道は閉ざされるから絶対に稼げないという親戚の言葉は
嘘だった。
そして思ってしまうのだ。
正直言ってしまうと同人誌はそこそこ売れているので、私に絵の才能が全くなかった訳ではないと思う。
もし美大に行けてたら…祖父の様に専業画家として大成功する事は無理でも、デザイン系のOLとかで生活できる程度に稼ぐ事はできていたのかな…と。
甘い考えだってのはわかっているけれども。
父の口癖はこうだった。
「本当に何かをやりたい人はどんなに反対されても勝手にやる。祖父は家が燃え盛る中、泣きながら画材を持ちだして死にかけた。手塚治虫は戦争中、絵の具がなかったから自分の血で絵を描いた。芸術の道に進むというのはそういう事だ。」
きっとそうなのだ。
私が本当に美大に行きたかったのなら、親戚中に反対された中学の時点で家出でもすればよかったのだ。
バイトをできる年齢になったらお金を貯めて、学費は自分で賄えばよかったのだ。
そうしなかったのは心の底から美大に行きたいと思っていなかったからなのかもしれない。
ないとは思うけど、明日北朝鮮のミサイルが東京に降ってきたら、私は真っ先に通帳とか印鑑とかを持って逃げると思う。
そして、足腰が弱ってあまり歩けなくなってしまった祖父は、それでも若かった頃と同じようにパニクりながらカンバスと絵の具を持って避難するだろう。
そういうところなのだ、親戚が「芸術家はろくでなしだ」と言うのは。
明日のおまんまがなくなって、家族全員打ちひしがれていても、スケッチブックが燃えなかった事を泣いて喜ぶような人だから。
本物のミサイルなんてそうそう見れるもんじゃないと喜び勇んでスケッチを始めるかもしれない。
因みによく一緒に公園へスケッチに行ってくれた幼馴染は高校から画塾に通う事を許され、無事美大に合格。卒業後は有名なゲーム会社に就職した。
彼女がものすごい努力をしていたのを私は知っているし、就職の報せを聞いて私も嬉しかった。
でも北朝鮮のミサイルに対して彼女はどういう行動をとるだろうか?
私が趣味の世界で出会ったデザイン系の仕事に就いている人達は?
紙と鉛筆を持って逃げるだろうか?
幼馴染とは今でも仲がいい。
同人活動を通じてできた友人の中にはジャンルが変わっても付き合ってくれ、一緒に旅行に行くような仲の人もできた。
積極的に美大とか専門の話はしないけれども、そういう話題になっても自分の知らない世界の話を聞くのは単純に楽しいし、新刊のネタになるかもとワクワクすることもある。
でも嫉妬心を全く覚えないと言ったら嘘になる。
日本が火の海になった中で、紙と鉛筆でなくて通帳と印鑑を持って避難するような人だったとしても、彼女達が美大進学を許された特権階級である事は変わりないのだ。
一時期このもやもや感から逃れたくて、絵を描く事を伴わない趣味を探した事がある。
スポーツをしてみたり、美味しいご飯屋さんを探してみたり。
このスポーツ団の制服が可愛いから模写したいとか、肉の「照り」の部分を絵の具でどう表現しようかとか気付くと考えてしまっていたけれども、頑張って思考の外に追い出していた。
お気に入りだったのが音大出身で抜群の歌唱力を売りにしている子。
彼の美しい歌声に乗った異国の言葉は心地よくて、生まれて初めて海外アーティストの曲を買った。
ある日、彼が番組の企画でファンの為にイラスト色紙を書いてくれる事になった。
その日の彼は機嫌が良かったのか、普段はあまりしないプライベートな話をしながら色紙を書いてくれた。
小さい頃から歌う事が好きだった事。
歌手を目指し挫折した経験を持つ母が、音大に合格した時泣いて喜んでくれた事。
色紙を書き終えた彼はそれを満足そうにカメラに見せ、言葉をつづけた。
「歌も好きだけど…絵を描く事も好きです。上手くはないけどね。僕の従姉妹がこの絵を見たら笑ってしまうかも、彼女は美術大学に通っているんだ。」
頭を鈍器で殴られたような感覚がした。
今までアイドルと言うのは自分とは全く別の世界に住んでいる人間だと思っていた。
この世に存在しないくらい見た目が美しくて、スタイルが良くて、歌やダンスが上手で。
だからどんなにイケメンのアイドルを見てもこんな人と付き合いたいとか、
どんな美人アイドルを見てもこんな風に美しい女性になりたいとか、そういう気持ちが湧いてきた事はなかった。
特に彼は外国人だったので、そうした傾向が強かったんだと思う。
でも彼の口から「美術大学」という言葉がでてきた瞬間、一気に身近な存在になってしまった気がした。もちろん悪い意味で。
音楽も芸術だという当たり前の事を思い出し、生まれて初めてアイドルに対して悔しいという気持ちが湧いてきてしまった。
彼は芸術家になる事を親から応援されてきたんだ。従姉妹さんも美大に通っているという事は、きっと一族の大半が協力的なんだろう。
美大に行きたいという言葉を発した時に、罵詈雑言を浴びせられるのではなく、彼の母親の様に応援してほしかった。
彼が歌うのが好きだと気付いた母が、彼を合唱団に入れてくれたように、お絵かき教室に行きたいとせがんだ私の事を父に認めてほしかった。
お絵描き教室が駄目なら新体操も駄目だろうと思って発した言葉だったのに、すぐに新体操の教室を探してきてくれた親に対してショックを覚えたんだ。
美大コンプレックスから離れる為に始めた趣味だったのに、またもや同じ気持ちを味わったあの日、結局このコンプレックスはどこに行ってもついてくるんだなという絶望感を覚えた。
もちろん、高校から画塾に通って美大進学をした幼馴染、趣味を通じて知り合った美大出身の友達。
皆親を説得するために苦労をしたんだと思っている。
そしてただでさえ狭き門である芸術系の就職活動を成功させる為に、
血反吐を吐く様な努力をして作品ポートフォリオを作り上げたんだろう。
きっと私には想像もつかないような辛い道のりだったに違いない。
大好きなアイドルと彼の従姉妹だって、日本よりさらに厳しい学歴社会と言われる韓国で音大・美大進学を決めるのには相当な覚悟があったはずだ。
音大に合格して彼の母が泣いたのだって、その一悶着があったからという事もあるかもしれない。
でも。本当に悪いけど。その内誰だって祖父のレベルに達しているとは思えない。
祖父が彼女達と同じ年齢だった頃に描いた絵を見ると、素人目から見ても月とすっぽんの差がある。祖父の様な天才じゃなくても美大に行かせてもらえる彼女達。特に幼馴染は「本当は美大に行きたかった母親が大賛成」してくれて、祖父の様な絵に対する執着心もないのにすんなり画塾に通わせてもらえて、本当に羨ましかった。
家出なんかしなくたって、絵の具の代わりに血を使わなくたって、北朝鮮のミサイルが降り注ぐ中、愛用の画材を泣きながら探し回らなくたって。
もしかしたら、私にも美大に行かせてくれと説得できたのかもしれない。
彼女達が本当に羨ましい。泣くほど羨ましい。
祖父の様に絵を描く事しかできないわけでもなく、(少なくともデザイン系OLをやれる程度のコミュ力はあって)、でも祖父の様な並外れた才能があるわけでもない彼女達が
祖父が天才じゃなければ。数回頭を下げただけで私も美大に行かせてもらえたかもしれないのに。
祖父の事は聞かれない限り他人に話してはいない。父の職業ならまだしも祖父の事を聞かれる事は稀だし、自分から言いふらすような事でもない。
でもごくたまにある。お祖父ちゃんは何をしている人なの?と聞かれる事が。
そして答えると大抵「だから増田さんも絵が上手いんだね!」と返ってくる。
(もちろんお世辞だ。私は下手ではないと思っているけれども、上手くもないと思う。ただ、そういう仕事をしていない限り社会人になってまで絵を描いている人は案外少なく、相対的にそう見えるだけだ)
絵を描く楽しさを教えてくれたのは祖父。
お金にならないのに、今まで絵を描き続けてこれた情熱を持てたのも、祖父の遺伝なのかもしれない。
でもそれを仕事にしなかったのも間接的には祖父が関わっている。
そして何より、私には祖父ほどの才能がなかったのだ。
私は子どもが嫌いだ。
子どもというのは、弱い。
弱いということは、強いということである。
今、女で、若い部類に属しているが、たとえば銀行強盗などがあって、私の代わりに子どもが犠牲になったら、「いや子どもを守れよ」と言われるだろう。
今、私が子どもに嫌な目に合わされたとして、なにができるだろう?
大人である私が、子どもに対して、私のほうが圧倒的に被害者であると立件できるのだろうか?
一方的に惨殺されるくらいでないと、「大人の私ではなく子どもが悪い」とはならないだろう。
女の子どもというのは相当な弱い立場にいると思うが、それが最弱だから最強かと言えば、そうではない。
「男の子が女の子のスカートをめくるのは、好きな子に意地悪したくなっちゃったから、だから、許してあげてね」みたいなやつである。
なんで許さなきゃなんねーんだよ。
大人にとって、好ましくなく扱いにくい子どもは、許すことを強要される。大人になることを強要される。
こういう気持ちで、子どもながら「私は許されない」と思いながら、許される子どもを見ながら生きてきた。
そのまま大人になったら、無条件で子どもを許さなければならなくなった。
要するに、私は、うらやましいのである。
許される存在がうらやましい。
好きな子で抜けないってどんな感じなの?
男の人って好きって感情と下半身が直結してるイメージだから「本当に好きな子じゃ抜けない」っていうのが想像できない。
好きな女キャラのエロ絵が見られないって感覚はわかるんだけど、それと同じなんだろうか。
でも私自身どうして好きな女キャラのエロが見られないのか上手く説明できないから感覚の共有は難しそう…。
強いて説明するなら「エロいことするために生まれたキャラではないはずなのに、エロコンテンツとして使われている」っていうのが嫌なのかなと思う。(エロゲのキャラを好きになってもその子のエロは別に平気なので)(あとToLOVEるも平気)
リアルの女はエロいことするために生まれたわけじゃないと言い切ることができない存在なので微妙なとこな気がする。
好きな子で抜けないって男性がいたらその理由を教えて欲しいです。
「汚してる感じがするから無理」っていうのはよく聞くけど、抜くのは無理でもセックスは出来るよね?
頭の中でエロいことしてる相手を思い描いて抜くよりもセックスする方が物理的に汚してるじゃん!っていう違和感があるので、ここも疑問です。
エロい目で見たくないのに下半身が反応して死にたくなるっていうのは聞いたことあるけど、なんでエロい目で見たくないのか、なんで死にたくなるのかが知りたいとこ。
「神聖視」とは一体何なのかが謎。
河川敷でなんとなく君とサイクリングしたい、できることなら、Mr.Childrenが好きな子でいてほしいし、でも、1番好きな歌は「HANABI」じゃなくて、「箒星」がいいし、そんな理想の彼女を頭の中で作り込んで、寝れない日が続いてる。
流石にやる気がなさすぎると思う
中高で嫌な思いをして結果全く勉強せずに親の仕事も継がずに、昔からなりたかった医学部も行かずに今の大学を選んだのはなんだった?
一番を取って何が楽しいのか?
寮生活で身につけたのは人の嫌な部分を見つけることか?
また逸れた
この大学入ってどうだった?きみがとった成績は一番になれるものか?一番どころか落単しまくってるだろ
確かに同級生を軽く小馬鹿にするくらいにはかけるようになったよなあ
だけど本当にできるやつからしたら滑稽でしかないほどの中途半端な知識
いや全くできてねえよ
てめえの妹は中学受験に失敗してから日に8時間以上はザラにやって医学部受かってるんだよ
友達もできず、部活も行かず、はたまた学校まで行かずそのうえ勉強までもしない
ほんとゴミだよなあ
そのくせ自分はできるだなんだと騒いで
ほんと存在自体がじゃまなんじゃねえの
多分お前はまた大学やめたいと言ってると思う
その原因はやる気がないから
そしてまた病むのか??
お前が病んだところで誰も助けてはくれないぞ
お前友達いないもんな
せめて少しはマシなことしろよ
せめて目の前の単位すら諦めるなよ
また後悔するんだろうな
ちゃんと単位取れよ
無駄に見え張って楽するなよ
おまえができてねえことはおまえが一番知ってるだろ
ちゃんとやらなきゃいけねえのはお前だ
誰も困らない
だめなら早く消えてしまえ
流石にやる気がなさすぎると思う
中高で嫌な思いをして結果全く勉強せずに親の仕事も継がずに、昔からなりたかった医学部も行かずに今の大学を選んだのはなんだった?
一番を取って何が楽しいのか?
寮生活で身につけたのは人の嫌な部分を見つけることか?
また逸れた
この大学入ってどうだった?きみがとった成績は一番になれるものか?一番どころか落単しまくってるだろ
確かに同級生を軽く小馬鹿にするくらいにはかけるようになったよなあ
だけど本当にできるやつからしたら滑稽でしかないほどの中途半端な知識
いや全くできてねえよ
てめえの妹は中学受験に失敗してから日に8時間以上はザラにやって医学部受かってるんだよ
友達もできず、部活も行かず、はたまた学校まで行かずそのうえ勉強までもしない
ほんとゴミだよなあ
そのくせ自分はできるだなんだと騒いで
ほんと存在自体がじゃまなんじゃねえの
多分お前はまた大学やめたいと言ってると思う
その原因はやる気がないから
そしてまた病むのか??
お前が病んだところで誰も助けてはくれないぞ
お前友達いないもんな
せめて少しはマシなことしろよ
せめて目の前の単位すら諦めるなよ
また後悔するんだろうな
ちゃんと単位取れよ
無駄に見え張って楽するなよ
おまえができてねえことはおまえが一番知ってるだろ
ちゃんとやらなきゃいけねえのはお前だ
誰も困らない
だめなら早く消えてしまえ
まずは食べ方が汚い。
いつもすごく急いで食べていて、スプーンとお皿がぶつかり合う音も大きいし、口の周りもめちゃくちゃ汚す。
それからパンツをはかない。出かけるときは毎回同じジーンズをはいているのに、それを滅多に洗わない。
風呂は3日に1回。(陰部だけは定期的に洗っているらしい)
万年床。よく布団の上で寝転びながらパソコンをいじっているが、そのときは全裸。もう一度言うが、風呂は3日に1回だ。
よく鼻をほじる。そしてそのまま指をキーボードへ。
言うまでもなく、キーボードは汚い。埃や鼻からの汚物がべっとり。最近ホテルに泊まったときに、自分のキーボードが汚いことに気づいたらしく、ティッシュで拭いていたが、取れた汚れがベッドの上に散在していた。おしい。
服をホテルの床に脱ぎ捨てる。そこはさっき自分が土足で歩いたところなのだが。靴を履いたままベッドにダイブ。
少しそれるが、字も汚い。なんと書いているか本当にわからない。ちゃんとした書類は私が書くようにしている。
お菓子を食べて、手がベトベトでも気にしない。もちろん指をそのままキーボードへ。
ここまでいろいろ書いてきたが、他にも細かいことで、えっと思うようなことが日常茶飯事。
私が少し潔癖なところもあるから、気にし過ぎなのかもしれない。
定期的に彼の手を手ピカジェルとアルコールティッシュで綺麗に拭きあげる。
彼は落ち着きがなくて、よく物をなくしたり、スーパーで買ったものを我慢できずに帰り道で全部食べてしまったりすることもしょっちゅうある。
最近では大きな子どもを世話していると思って付き合うようにしている。
そうするとなぜか愛おしく思えてくる。
自分の潔癖も以前より落ち着いてきた気がする。