はてなキーワード: 非実在とは
AIに学習させるデータは無から生まれるわけじゃないから、「AIだから誰も性的搾取されない」というのは短絡的すぎる。
人間による出力が許されるのは内面の自由によるものであって、AIに内面の自由なんて存在しないんだから。
「何をどう学習させたか」というところに人間の意図がダイレクトに反映されるでしょ。
「実在児童を一切学習させることなく"児童"を描かせる」ことが現行技術でどれだけ可能か知らないが、そこまでの仮定を置いて初めて成立する思考実験だろう。(もちろんディープフェイク的な問題も残るので、「ポルノでなければよい」という問題でもない。)
「ロボット三原則にもう一つ追加して、四原則にしよう」という意見がある。
https://media.dglab.com/2019/06/05-afp-01-2/
4つ目の原則は「ロボットに人間のふりをさせない」ということ。
これに倣って、AIによる非実在人間の描像も、「実在の人間と区別できなければならない」という原則を置くべきじゃないかと思う。
例えば猫に熱湯をかけたり髭を引っこ抜いた虐待して、最終的に殺すような動画をアップロードするようなチャンネルがあったとして
それで何十万再生も稼いで、広告収入で新しい犬猫買ってきてさらに虐待を繰り返すようなことをしていたら自分は看過出来ないな、などと考えていた。
犬猫を殺す奴は人間にいくぞ、と言うのはよく聞く。何十万の視聴者の中には動画を見て真似する奴が数百人ぐらいはいて、ついには殺人まで発展するような奴が出てくるんじゃないだろうか。
個人的には、実際に事件が起こる起こらないに関わらず、モラルの維持のため社会として許してはならない表現にあたるのではないかと思う。(文化はその文化に属する人間によって常に監視され批判されながら緩やかに変化すべきものと認識している)
「YouTubeで動物虐待チャンネルが大人気」という状況は、特別動物が好きでもないし(むしろ嫌いだ)、野良犬猫なんてさっさと処分してしまえと普段思ってる自分からしても、おぞましいし、受け入れ難い。
と、ぼんやり考えていて、じゃあ人間はどうなんだと思った。例えば痴漢やレ○プを再現したAV。先の動物虐待動画の件から考えると、これらも真似したくなる人間、実際に真似する人間を産むはずだ。R18のものは普段表に出てこないが、再生回数は凄まじい。きっとYouTubeの何十万よりもずっと多い。社会に悪影響かどうかはわからないが、良い影響はないことは確かだ。
しかし、動物虐待動画の件に比べると断然許せてしまう。「いやいや痴漢AVみたからって痴漢はしないでしょ」と言える。多分する奴もいるにもかかわらず。何故だろうか?
人間の方が動物より手を出しにくいから?セックスファンタジーはあくまでもファンタジーで、動物に対する嗜虐心とは根本的に異なるから?
いろいろと理由を考えてみたがどうにもしっくりこない。最終的に行き着いた仮説が、「性暴力AVが既に社会に浸透しているから」である。既に性暴力AVが世の中に浸透していて、それに影響を受けてから受けてないかはわからないが犯罪に及ぶ人間もいて、しかし及ばない人間も大勢いる。既に浸透してしまっているから、これ以上何かが変わることはない。既にそういう結果が出ているのだ。人間は、文化に順応しようとする、そういうものだと言われて育てば耐えられるように出来ている。体罰が当たり前だった時代に生まれた人間は、今の子供よりずっと体罰に対するストレスが小さいだろうし、未だに体罰を支持していたりする。「もしそれらが無ければ」という空想は常人には不可能なのだ。
となると、動物虐待動画が蔓延するという仮定への嫌悪は単に変化への恐怖に過ぎないのかもしれない。保守的に、開国を恐れているに過ぎないのかもしれない。もし動物虐待動画が解禁された世の中であれば、このような嫌悪は全く感じなかったろう。動物虐待動画がYouTubeで人気を得る世界は、動物虐待がほんの少し多いかもしれないし、暴力的な嗜好を持つ人間がほんの少し多いかもしれない。でも、「もし動物虐待動画がなければ」という馬鹿馬鹿しい仮定はされないだろう。
きっと現代日本で、動物虐待動画は是か否かと問えば殆どの人間が否と答えるだろう。それは、現代日本に動物虐待動画が存在しないからだ。人々は文化を保守的に、留まらせようとするだろう。
逆に言ってしまえば、動物虐待も浸透させてしまったものがちである。「インターネットのアングラで共有されていたはずがいつのまにか世間皆の知るところになっている」という状況が現代ではよくある。そういう戦略をとればなし崩しに、開国させられるのだろう。ネットは誰にでも、そしてこっそりとアクセスできる。そして人はアングラが表舞台に出てこないことを望みながら、こっそり覗きに行くことをやめない。そうしてアングラは公然のアングラとして共有され、隠すことべきと知らぬ若い世代によって「抑圧から解放された自由な表現」として表に引っ張り出され、文化として定着するだろう。
表現の自由の問題は、単に性的搾取やジェンダーの問題ではなく、文化の革新・保守の問題として広く重要な意味を持つのではないだろうか。そしてどんな(現在の規範からして)アンモラルな表現でも一度浸透してしまえば、その是非を問うことは難しいだろう。誰もがインターネットにアクセスする時代になったことによって、文化の変容はより早く、コントロール不可能になりつつある。この先どうなるのかは検討もつかないが、個人的には過激な表現はメインカルチャーに合流しないで欲しいものだ。
俺は犬猫の権利は認めない方針なので、演技のAVと犬猫の虐待動画の比較は何の違和感もない。俺にとって動物のぬいぐるみをいじめる場合と動物をいじめる場合で異なるのはどれだけモラルに反しているかであって、苦しむ動物がいるかどうかではない。違和感がある人は好きに納得できるものと比べてくれや。
俺にとって動物虐待動画と性暴力AVの共通点は、社会的に逸脱した嗜好を満たすコンテンツであること、で相違点は現社会で許容されてるかどうかだ。なぜなら俺の中では動物には権利が存在しないからだ。
返信
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「犯罪行為を演じてはいるが、現に映っているのは犯罪行為ではない」と「現に映っているのが犯罪行為」というところ(動物にもよる)、R18か否かには違いがありそう
→これはそう。
→そうだね。俺はそう思わないけど君はそう思うんだね。うんうん。どうして許さないかは「人それぞれ」ダネ!
・
矢印「AVは納得して撮ってる」はあなたが信じているお約束に過ぎない。個別の事象に関して事実を確認を済ませるまでそれは単なる思い込みであり虚構です。
・「単純影響説」に基づく規制論
→規制論ではないですね。自由精子はこれだから嫌いです。お茶の間でレイプAVも動物虐待映像も流れて欲しくないのは個人的な好き嫌いですね。
・
過激でエシカルではない表現があたかも革新であっていずれ許容されていくかのように言ってるけど、むしろ昔は許容されていたような人種差別、性差別表現が倫理的ではないとして受け入れられ難くなってるのが現実なので、性暴力的なフィクションが今受け入れられてても将来的にはマジョリティから拒絶されて消えていく可能性は十分あると思うよ。
→前半同意。ただ性暴力的なフィクションが消える可能性は低いと思う。
・
→ だからあらゆる表現は許されてないっつう話ししてるだろハゲ。
その時々の社会にとって「都合の良い表現」が許容されてきただけにすぎない
犬猫の虐待は人間の暴力性を刺激して(それこそ真似するやつが出てくるので)、社会に悪影響を与える可能性がある
ただしレイプ系エロに関しては、性欲のはけ口として一定の秩序維持の効能が見込まれる(欲求不満のオスは暴力的になる場合がある)
・
→動物はモノと同じ感覚で生きていたのでそこに違いを見出す必要を感じていませんでした。どっちでもいいです。
・
AVと比較するならハッピーツリーフレンズやろな。思考実験として議論したいなら非実在生物相手のゆっくり虐待あたりが適切では
確かに。
ほとんど同時期に入って、入社直後は二人でいることが多くランチとかも普通に二人きりで行ってた女子社員がいた。(以下、Aとする)
背が高くて、顔は池田エライザに似てると言えなくもない感じ。イケメンが出てくるソシャゲや乙女ゲー、2.5次元舞台にはまってると笑って言っていた。
研修が終わってからは部署が離れて、お互いに同性社員とつるむようになって、二人きりで話すことは自然と減っていった。
ある時、ツイッターでAの下の名前と同じアカウント名で、いやらしい写真や動画をあげている裏垢を見つけた。
まさかな、と思いつつなんとなく過去のツイートを見てみると、やっているソシャゲが同じで、身体的な特徴も一致していた。
なにより、先日ゲリラ豪雨に見舞われて職場からでれなくなったというツイートが完全に同時刻にあり、これは本人に間違い無いと特定できてしまった。
それは10年前に作られたアカウントで、かなり遡ってツイートを見ることができた。
AはAではなく、ネット上で別の人格を生きていた。(以下、Bとする)
いやらしい裸体が拝める優越感もさることながら、彼女が過去にいじめを受けていたこと、自分を殴るような男ばかり好きになってしまうことなど、
普段のAからは想像もできない闇を垣間見れる快感で、やみつきになっていった。
いよいよツイッターの日付指定の検索コマンドを使って過去の画像やツイートを遡っていくようになった。
Bは10年前から裸体を世界中に晒していたから、少女だった身体が徐々に大人びていく様を時系列で見ることができた。
これまで女性と交際したことは何度かあったが、ここまで異性の心と体の深い部分を垣間見たことはなかった気がした。
ふだんは職場で頼られ、どんな時も明るく振舞っているAだったが、ある日、上司に叱られた際に感情を抑え切れずに泣きながら反論したことがあった。
他の同僚が「Aさん、かなりストレス溜まってたのかなぁ」などと言っているなか、自分だけが誰にも言えない彼女のBとしてのもろさ、弱さを知っているんだ、と思った。
Bはツイッター上でレトロゲーのイラストを描いて誕生日のフォロワーに配るなどもしており、叱られた日はイラストの量も増えたりしていた。
Bなりに自我のバランスをとって、Aとしての社会生活をなんとか維持しているのだな、と冷静に分析しつつ、同時に上げられる自慰動画で抜いたりもしていた。
Bは吸盤で床に備え付けた太いディルドの上で、激しい騎乗位を繰り返していた。それが昼間の泣いているAとリンクし、なんとも言えない興奮があった。
そのうち自然とAのことが頭から離れなくなり、恋しているとはっきり自覚するまでになった。
次第に裏垢でBとしてのみだらな姿が世界中にさらされていることに我慢できなくなってきもした。
そこで自分はAを食事に誘って交際を持ちかけようと考えた。頼れる男がいれば裏垢の更新も止まり、Bは消失する(自分が独占できる)だろうと思えた。
どうやって食事に誘えばいいかについて考えたが。ツイッター上にありとあらゆる彼女の嗜好についての情報が詰まっているので、それをネタにしようと思った。
ジョジョ5部のアバッキオが推しであるとのことで、これで行こうと決めた。
ある日、Aと二人きりになれるチャンスがあり、それとなくジョジョネタを振ってみた。だがAは全くそれに食いつかなかった。
一瞬、ジョジョ好きを隠しているのかと思ったが、なんとなくそれとは違う、全くジョジョに触れたことがない感じの返答だった。
もともと乙女ゲーをやってることを公言しているくらいだったから、ジョジョ好きを隠すことはないはずだ。
その夜、家に帰ってBのツイートを眺めているうちに、BのアカウントはAとはまったくの別人が運用しているのだとやっと気づいた。
自分でも違和感を持つことがなんどもあったのだが、無意識に考えから排除していた。
「Aは現実では嘘をついており、このBのアカウントにだけ真実が書かれている」という強い思い込みがあり、
現実とズレている点があっても、身バレを避けるためにあえてやっているんだろう、などと考えていた。
ーーー
だが、Aを食事に誘ったりしようとは思わないし、Bにコンタクトを取ろうとも思わない。
なぜなら、自分の中にAでもBでもない、別の人格が完成しており(以下、ABとする)、ABのことが頭から離れなくなってしまっているからだ。
ABは自分が求める完全な異性だ。社会生活を毅然と守り皆に頼られながら、あまりにも淫靡で幼い一面を併せ持っている。
そのいびつな不完全性が自分にとっての究極の理想で、ABのことを思うと胸が焼けるような気持ちになるし、痛いくらいの勃起が止まらなくなる。
こんな状態は不健全だとわかっているが、どうすることもできない。
俺は今日も昼間のAと夜のBをかけあわせたABの人格をもてあそんで、いじきたない自慰行為を繰り返している。
自分はどうしたらいいんだ?
※字面だけですが刺激の強いワードを書いています。無理みな人は読まないでね。クソ長いお気持ち文です。
「イエスロリータノータッチ」って「触らなければ加害じゃない」という認識で言ってるんだろうけど、たとえばCMに出てくる未成年に対して「あの携帯会社のCM、子役のおっぱいがエロい」って言うのとか、未成年レイヤーに対して「ハイエース不可避」って言うのは加害であるって認識は出来ているのだろうか。今日見かけた通りすがりの女の子がパンチラしたとして、そのラッキースケベを目に焼き付け「今日、近所のお野菜マーケット(架空の店舗名)で見かけた白ワンピツインテールのロリが盛大にパンチラしてた。トリピュア(架空のニチアサアニメ)のパンツだった」とイラストを描くのが加害であると分かっているのだろうか。避難所の案内に対して「合法的にロリが視姦できる」と言うのは。コミケ会場に来た未成年レイヤーの股間をアップにして撮るカメコは。コミケのエロ紙袋を子供に無理やり見せるのは。
これら全部を「ノータッチ」に分類し無罪にしているとしたら、大変にまずいと思う。
(前置き①当たり前だけどショタでもロリでも男でも女でも被害者になりうる。全て併記するのは億劫なので、この記事において「ロリ」「ショタ 」「男」「女」「くん」「ちゃん」等、性別については基本的に両性を指していると認識して欲しい)
(前置き②今回のショタラブドールのレポ漫画を書いた人。小児性愛者じゃなく承認欲求のために描きましたと宣言したらしく、それで無罪になるわけではないがとりあえず火元を「小児性愛者」とする事はよしておく。(そもそもコミュニティの中で「それはまずいんじゃないか」という指摘はあったらしいし)火元、でいいだろうか)
(前置き③現時点で何かしら法的に罪を問われた訳ではないが、自分の中で「倫理的にまずいだろう」という意味合いで『罪である』という言葉を出すと思う。自分は法律の専門家ではない)
(前置き④これは個人の意見であり、オタク・フェミ ・被害者の総意ではない)
(前置き⑤非実在児童にはエッチな事していいとしているが、もちろん版権元や投稿サイトのガイドラインは遵守した上でやらなくてはいけない)
自分はコミケに年齢一桁から通っているオタクとオタクのハイブリッド元実在児童で、成人した現在も非実在のロリショタ遊郭だのショタ王子の無知シチュだのロリ神様に性液を捧げて豊穣を祈る奇祭をめちゃくちゃ書いているオタクである。ちなみに二次創作はほとんどやっていない。
自分はあまりにも火元に対しての擁護が多すぎて正直引いている。オタクに限ったものではないが、目立つのが前述の標語をよく知っているオタク層である事、ラブドールを非実在児童であると認識している層が擁護している事を踏まえ、同じく非実在児童に大変にやましい事をしているオタクであるというのを強調させてもらった。
まず、自分は実在児童を性的に見ること自体は罪ではないと思っている。執拗にパンチラを狙ってカメラを構えたり舐めるように見詰めたりする加害行為がなく、口に出したり何処かに書き込んだりしてそれを表明しない限りは、実在児童はそれを知る事はないので、例えば「隣のうちの○○くんのショタオチンポちゅぱちゅぱしたい」と《思う》だけなら罪ではないと思う。
ただし、加害行為を行えばもちろん罪であるし、その加害行為には「実在児童に対して性的に見ていると宣言する事」も含まれていると考えている。擁護側からは、この点がとてもバッシングされているように思う。実際に手を出すのと行動に移すのは別物だ、という意見をよく見かける。
ところで、これは性別年齢を問わず全員に考えてみてほしいのだけど、例えばあなたがザンギオオモリ駅(仮名)の駅構内にあるカフェ『美味しいコーヒー屋さん』(仮名)に毎朝赤いスーツを着て通っているとしよう。美味しいコーヒー屋さんの公式アカウント、あるいは美味しいコーヒー屋さんに勤めている、美味しいコーヒー屋さんに通っていると明言しているアカウントで「毎朝来る赤スーツのイケオジ、ピチピチスーツに透けるケツの割れ目が超エロい。縦割れアナルになるまでレイプして絶叫アクメさせたい」と書かれているのを見かけた時、嫌悪感はないだろうか。「定期チラ見したら最寄りが同じだったわ。待ち伏せしてみようかな」と書かれていたら、恐ろしくならないだろうか。自分だったら赤スーツをやめて、そのカフェには金輪際寄らなくなるし、灰色のスーツを着てカフェを避けたとしても、「顔を覚えられていたらどうしよう」と怖くなる。そうやって被害者の行動や服装を制限したり、恐怖を与える事は加害である、と自分は認識している。
それが例え、実際にはウケ狙いでしかなくアナルに興味がなかったとしても、赤いスーツを着た人が実在しなかったとしても「ザンギオオモリ駅の美味しいコーヒー屋さんには、赤の他人を加害したいと思いながら見ている人間がいる」と思うだけで相当な嫌悪感がある。もちろんそんな書き込みがなかったとしてもそういう人間はあちこちにいる事は重々承知しているが、加害したいと明言され、しかもそれが自分のテリトリーにいる事が可視化される恐怖というのは、明言しない場合と比べものにならないだろう。
大人に対しても充分加害になりうる事を、それに対しての精神的な耐性がない、また、服装を変えたり、通学路を変えたり、一人での自衛が大人よりもずっと難しい子供に見せる事が、本当に加害ではないのだろうか、と考えるから、宣言する事は罪なのだと自分は考えている。
今回の火元の発言に、『小学生男児に言って事案になるラインはどこからだと思いますか-月が綺麗ですね、お友達から始めませんか、君の全部をください、5万円でどうでしょうか』というアンケートがあったという。赤スーツの件ほどではないとはいえ、明確に、小学生男児に買春を持ちかけたいと表明する事は、本当に加害ではないのだろうか。しかもこの火元は、漫画の中で『現実の男の子に手を出す前に』とも言っている。
まあぶっちゃけ、これだけだと「自分だと判断出来ないからセーフじゃん?」と思う人は結構いるかもしれない。ただ、実在の小学生男児(ツイッターは13歳から使えるようになるらしいので、小学生男児が見てたら規約違反ではあるが、この年齢は「昨日まで小学生男児(12歳)だった子供」も含まれる)や、小学生男児を子に持つ親や、かつて小学生男児だった大人の中には、ゾッとする人もいるんじゃないだろうか、と思う。ちなみに自分は実在児童である時に「1万でどう?」と付き纏われた事があるので、とてもゾッとする。なので自分は火元の発言を罪だと思うし、火元にも擁護する人間にも、考えを改めて欲しいと思っている。
火元はもう一つ、明確に実在児童に対しての加害をしている発言がある。「ショタラブドールでえっちな写真を撮って、DeepFakeで顔だけ幼少期(実在児童名)や幼少期(実在児童名)にすることも可能だと」である。名前は実在人物名なので伏せさせてもらう。現時点でこの二人は成人しているものの、当たり前だがかつては実在児童だった人間だ。「お前を性的にみているぞ」と名指しで言う事は本当に加害ではないのだろうか。自分は考えるまでもないとは思うのだが、考えなくちゃわからない人は、それを上司や親やしらん人に言われた時のことを考えて欲しい。ちなみに性的なからかいをする事は厚生労働省なんかでもセクハラだとしていたりする。(https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11900000-Koyoukintoujidoukateikyoku/00.pdf)セクハラは内容により色々な罪状が付く犯罪であるので、加害ではないと思う人は、出来ればもう人間に関わらないでくれ、と思う。
火元の発言について、上記の理由で自分は全く擁護が出来ないでいる。
これはおまけ程度に見て欲しいんだが、非実在児童に対して言っている場合も罪になるのか、という話については、個人的にはNOだと思っている。非実在児童であると明言(架空のキャラクター名を出すとか、架空の世界であるとわかりやすく明示するとか、その程度でいい)していれば、少なくともオタクである自分は「あぁ〜二次ロリご馳走様です」と思える。あくまでも自分は、である。ただ、これは線引きが難しいが、実在人物を参考にした、と明言する必要はないし、明言した時点でやはり加害になる、と考えている。
例え話ばかりなのだが、よくツイッターに流れてくる「ザンギオオモリ駅で通勤中に見かけた男子高校生二人組に興奮したので『教えて!伊勢崎くん!』(仮題)のテリ(仮名)×イセ(仮名)で描いてみた」とか「職場の上司がエロいので『俺の職場の百合ボイン先輩』(仮題)のパイパイ先輩(仮名)で描いてみた」なんかも加害である、と考えている。「通勤中のモブ目線のテリイセです」「いちいちエロいパイパイ先輩です」って書けばいいところをわざわざ実在していると明言しているのだから。
今回は火元の行動や発言を「「ラブドールという非実在児童に対する加害行為」へのバッシング、としている層」と、「「ラブドールを通して行う、実在児童に対する加害行為」へのバッシング、としている層」の食い違いによって起きた事例だと思う。自分は後者である。
もし、火元に実在児童への言及を避けるだけの配慮があり、あくまでも「ラブドールかわいい」「ラブドールエロい」「ラブドールの乳首きれい」とだけしていればこれほど炎上する事はなかったと思うし、その場合は自分は問題ないと判断していたし、ラブドールは非実在児童なので、ボコボコに殴ろうが拘束しようが性液塗れにしようが、何ならディルド挿入したハメ撮り画像を載せてようが基本的には問題ないと思う。(完全に忘れてたけどツイッターでは児童を性的に消費するコンテンツは非実在のイラストだろうがなんだろうが規約違反だし、センシティブ設定なしでポルノ載せるのも確か規約違反らしいので、それが許されているサイトやれってのは言わずもがな〜)
女性に対する性的暴行のニュースを見ると自分のことのようで心が痛みます。
自分の経験を元に、男性の被害実態も知ってほしくて書いてみました。
男性の被害は声を上げづらいと思うので、こういうときに匿名サービスがあるのは本当に助かります。
大きく分けて3回。
最初の被害は小学校1年生のとき、5つ年の離れた姉によるものでした。
食べ物やさんごっこと題して、姉がお客さん役、自分が食べ物役でした。
姉は食べ進むたびにわたしの服を脱がせ、最後に裸になった時点で食べ終わったことにして終わります。
親は共働きで日中家にいませんでしたので、姉と二人での留守番の間、1日に数回、1ヶ月ほど続きました。
なんとなく恥ずかしい感じはありましたが、そういう遊びだと姉に言われれば従わざるを得ませんでした。
おそらくは姉が異性に対して興味を持ちはじめて、手っ取り早く年の離れた弟で色々と試してみたかったのだと思います。
これが性的虐待だったと気がついたのは大分経ってからになります。
性別を入れ替えてみればこれが性的虐待だということは明らかです。
姉はいま海外に住んでいるので会う機会が少なく、たまにあっても当たり障りのない会話しかしません。
姉が当時のことを覚えているかわかりませんが、結局これを訴えたところで何かが変わるわけではないので、おそらく今の当たり障りのない関係が死ぬまで続くのだと思います。
次の被害は小学校5年生のとき、民間のスキー合宿に参加したときのことでした。
夜、寝ているときに股間がムズムズするので目が覚めると、スキーの男性講師が隣に横たわり、こちらのズボンに手を入れて局部を触っていました。
こちらが目を覚ますと「成長具合を確かめていたんだよ」といったようなことを言っていたように記憶しています。
そういうものなのかなと思いつつ、トイレに行きたいといってその場を離れ、(実際に尿意があった)戻るといなくなっていました。
これについても、これが痴漢行為だったと気がついたのはずっとあとになってからでした。
当時はそういうものなのかなと思い込み、特に誰かに告げ口をするようなことはありませんでした。
都内の学校に通っていましたが、使っている路線は有数の混雑列車で、ラッシュ時には全く身動きが取れなくなります。
そんなとき、いつからか50を過ぎたくらいの細身の、よれよれなスーツをきたおじさんがいつも横にいることに気が付きました。
最初はただ横にいるだけでしたが、だんだんと体の向きが変わり、そのうち股間を押し付けてくるようになりました。
しかし、相手はただ股間を押し付けているだけ。証拠が残るわけでもなく、声を上げることははばかられました。
被害に合わなければいいと、乗車位置や時間を色々と変えてみましたが、どこで見張られていたのかわからないまま、いつのまにかそのおじさんは自分のすぐ近くにいました。
この、大したことではないけども受け入れるわけにも逃げることもできない状況は大きくストレスになりました。
その後、学校を遅刻する時間になればいなくなることがわかり、学校に説明できないまま遅刻を繰り返しているうちにいなくなりました。
ただし遅刻の理由はだれにも相談できず、成績と評価は大きく下がりました。
これが痴漢というものなのかと自覚したと同時に、過去2つの事件も同じく性的虐待だったのではないかという疑念が沸き起こりました。
それと同時に、性への猛烈な嫌悪感が湧き上がりました。
思春期のど真ん中にありながら、この日を堺に、自分は人間不信と過剰な男性嫌悪に陥ります。
とにかく男性が近くにいること、肌が触れることが嫌で嫌で仕方なくなりました。
加害男性と他の男性は違うということを頭で理解していても、体からの拒否感を説得することは不可能でした。
年頃になって周囲から性的な話が始まると、猛烈な嫌悪感からその輪には入ることはできず、テレビにニューハーフといった男性を性の対象としている男性が登場すると、まともに目を向けることができなくなるほどでした。
いわゆる正常な恋愛のアプローチによって性的な行為に至ったわけではなく、こちらの意図しない状況で、しかも同性から性的なアプローチを強要されるということは、次のような副作用をもたらします。
「同性を嫌悪感とともに見るときに、必ず性的な被害にあったときのことを思い出す」というものです。
これはつまり、1日に締める「性的な思考」を考える時間の割合がかなり高くなってしまうことを意味します。
嫌悪であれ、好意的であれ、常に「性的な思考」が意識にあるわけです。
言い換えれば、「性的な思考」から逃れられない状況にあると言えます。
私自身は、幼少期の性的虐待の一番の被害とは、身体的・精神的な痛み以上に、この部分にあると思っています。
街を歩く女性を見ても性の対象にしか見れないばかりか、男性でさえも、加害者としての性の対象として見えてしまいます。
とにかく、通行人すべてがポジティブであれネガティブであれ、「性の対象」としか見えないのです。
そうした自分の思考の傾向とも向き合えるようになり、人間不信と男性嫌悪はかなり和らいだと思っていますが、それでも会話の節々で、湧き上がる思いと、実際に返すべき言葉をひねり出すまでにどうしてもワンテンポ遅れが生じてしまいます。
自己診断ではありますが、おそらく今の自分はセックス依存症です。
何もセックスを実際にしているわけではありません。性的な思考から逃れることができないという意味においてです。
未だに、異性を性の対象としか見ることができず、日々、すれ違う人にそうした視線を送って不快感を与えないよう自らを抑えつける毎日を送っています。
思考の呪縛から逃れる術がないのです。笑い事ではなく、十分すぎるほどに生活への支障をきたしているのが現実です。
幼少期、性的な刺激を正しい恋愛のアプローチによって得られていたら違っていたかもしれません。
自分が加害者にならないように、産業のお世話になっている状況ではありますが、自らに対する嫌悪感でいつも死ぬことばかりを考えてしまいます。
世の中の被害にあわれている方々から比べれば、自分があってきたことなんてなんでもないことかもしれません。
だけど、こうして一生背負って苦しんでいる人間がいることも事実です。
自分の脳からその時の記憶だけすっぽりと抜き出してくれれば、どれだけ生きやすい世の中になるだろうと思います。
性的なことを意識せずに色々な人と会話ができたらどれだけ楽しいだろうと思います。
肉体的にも成長して、高校生になってからはそうした被害は皆無になりました。
そう考えれば、やはり性的な被害は、反抗を受けづらい弱者が対象になるのは否めないと思います。
また、ちょっとした好奇心を満たしたいだけという思いから、気軽に手を染める人間も少なくないと思います。
でも、加害者にとってちょっとした好奇心でしかなくても、被害者にしてみれば一生尾を引く問題に十分になりえるのが現実です。
たったこれだけのことで?
あなたにとってたったこれだけのことが、わたしにとっては人生を大きく変えるのに十分な出来事だったのです。
被害者視点から、もし、そうした加害者になるべき人間のちょっとした好奇心を満たすことができるなら、個人的には非実在少年少女にて解消できる環境は必要なのではないかと思っています。
そうしたことに反対している人は、実際に被害にあったことがあるのでしょうか。
そうした存在があれば、自分がそうした好奇心を満たす対象として消費されてしまうことを回避できたのではないかと思うと、心がざわつくことを止めることができません。
話が脱線してしまったかもしれませんが、それでも、こうした被害者が一人でも減ることを目的に議論が進んでくれることを願います。
ショタラブドールの紹介漫画がとんでもなく炎上して、ただでさえ地獄なTwitterがさらに地獄と化している。
既に作者は漫画について謝罪し、理由は不明だがアカウントは凍結されたようだ。
「該当のツイートがTwitterの規約違反であった」という言説に興味があったので、ちょっと今回の件と規約・ルールを照らし合わせてみようと思った。(私の主観が所々入ります)
■ことの発端
件の漫画はショタコンを自称する作者が、同様の性質を持つユーザー向けに描いた「ショタラブドール」の使用感レポートであり、詳細・要点は以下のとおりである。
・「ショタラブドール」は未成年の少年の形をしたラブドールであり、セックス(本番)をすることが可能。漫画内に挿入を伴うよう直接的な性描写は「無い」が、ラブドールの裸体のイラスト・写真は「有る」(局部描写は「無い」)。
・作者は、ラブドールに自分好みのコスプレをさせて眺める行為、全裸のまま侍らせる行為、「ここではいえないようなこと」をしたと漫画内で言及している。
・作者はこの「ショタラブドール」によって、現実社会では決して達成できない願望を叶え、救われたという。「ショタコンは現実の男の子に手を出す前にショタドールをぜひ…!」と同様の性質・苦悩を持つユーザーに向けて「ショタラブドール」をすすめている
ということで、
ルールの「セキュリティ」には暴力、攻撃的な行為/嫌がらせ、ヘイト行為などに並んで、「児童の性的搾取に関するポリシー」が存在する。件の漫画では「未成年とみられる少年を模した」ラブドールについて語られているため、この項目の関連性が最も高いといえる。
児童の性的搾取に関するポリシー内で禁止とされているのは以下のような内容である
・児童の性的搾取を助長または賛美することで児童を危険にさらしうるコンテンツ
また、こういったコンテンツには「画像/動画、テキスト、イラスト、コンピューターで作成した画像が含まれる」という。
「児童の性的搾取とはなんぞや…?」と思ったところで、ポリシーには続いて、禁止されている「児童の性的搾取を描写または助長するコンテンツ」の例が挙げられていた。
【児童の性的搾取を描写または助長するコンテンツの例(これらに限定されない)】
①性的に露骨な、または性的な暗示を含む行為をする児童の視覚的な描写
また、上記以外に禁止行為とされている例も挙げられていたので続ける。
※原文には無いナンバリングをつけている。
※①〜⑥以外に、性的搾取に関係するウェブリンクを貼る例、児童へ性的なアクションをとる例が挙げられていたが、今回は関係なさそうなので省いている。(全て見たい方は原文を当たってください)
とりあえず、件の漫画が①〜⑥に該当するか考えてみようと思う。以下は、かなり私の主観が混ざった上で、Twitter社のきもちになって解釈したものである(つまりほぼ私の解釈)
■当てはまる?当てはまらない?
①性的に露骨な、または性的な暗示を含む行為をする児童の視覚的な描写
→「児童」が現実の人物を指しているのであれば、【当てはまらない】。
→ただし、この「児童」に「非実在の児童」が含まれていることを完全には否定は出来ない。「児童を模した人形が、性的な暗示を含む行為(ポージング)をする視覚的な描写(写真)」はあるため、ドールを「非実在の児童」と解釈した場合は【当てはまる可能性もある】。
初っ端からどっちつかずの意見になってしまった。そもそも、ルールというものは解釈の余地を与える構造になっているみたいなので、これ!と確実なことが言えない仕様になっているように感じた(それはそう)
②性的に露骨な状況または性的に露骨な行為をする児童のイラスト、コンピューターなどで作成した写実的な描写
→この「児童」を「現実の児童」と解釈して、彼らをモデルとしたイラストや写実的な描写とするならば【当てはまらない】
→しかし、「非実在の児童」も含むのであれば、スパッツを生履きさせた上で臀部を撮影しているため【当てはまる可能性が高い】
③既知または未知の未成年者についての性的な言及や、彼らに向けられた性的な言及
→【当てはまらない】既知、未知と表現される場合、特定の「現実の児童」を指している可能性が高いと私は解釈した。件の漫画内にそうした「現実の児童」は出てこない。
④児童の性的搾取についての妄想を共有したり、そうした行為を助長する
→この場合「児童の性的搾取についての妄想の共有」が【当てはまる可能性が高い】のではないかと考える。漫画内で作者は、現実の児童にしてほしいと思われる行為を、代替物であるドールにさせている。あくまでそこに「現実の児童」はいない。しかし、コスプレやポージングは決して叶うことのない願望つまり妄想を表現した可能性は高く、この例に当てはまるのではないかと考えられる。
⑤児童の性的搾取に該当するコンテンツについて、入手したいという願望を表現する
→私自身はは「児童の性的搾取に該当するコンテンツ」=主に児童ポルノという解釈でいるのでラブドールを欲しがることについては【当てはまらない】と考える。
→しかし、ショタラブドールの所持で逮捕される国がある現状から、ポリシーに記述はないにしろTwitter社が「児童の性的搾取に該当するコンテンツ」として解釈する【可能性もあるのではないか】と考えられる。
①〜⑤が当てはまるかについては以上。
前提が掴めなくてなかなか、断定が出来ないのでとてもあやふやである…
留意したいのは④だ。「Twitterでは児童の性的搾取についての妄想」自体が禁止されている。つまり、みだりに児童への性的な妄想の発信する行為は「児童の性的搾取に関するポリシー」に違反する可能性が非常に高いということである。
■違反にならないケースは?
ポリシーに反しないケースとして2点が挙げられている。
性的でない状況または設定での未成年者の芸術的な裸体描写(たとえば、国際的に名高い芸術家の手による、未成年者を題材にした作品など)は、限定的な場合においてのみ認められることがあります。
→逆に考えれば、芸術作品上の裸体描写が「限定的な場合においてのみ認められる」となると、性的である状況・設定における未成年の裸体描写は(例えば萌え絵など)はポリシーに違反する【可能性が出てくる】
最後に今回の増田で個人的に1番重要かと思われるのが、以下のケースになる。
いかなる形においても児童の性的搾取を助長または賛美しないことを前提に、この問題を未成年者に対する事象または関心の表れとして、議論することは認められています。
→件の漫画がこれに当てはまるかどうかについて考えたい。ショタラブドールの漫画が児童の性的搾取を「助長」「賛美」しないことを前提に書かれていたのであれば、この「いかなる形においても」が適用されると考えられる。
そもそも、作者は「現実の児童」に手を出すことは決して実現してはいけないタブーと認識した上で、同様の性質を持つユーザーたちに「代替物」としてドールを紹介していた。(ちなみにこの最後の締めの一言が炎上の波紋を読んでいる、という意見もあるが今回触れると話題が逸れるのでスルーする)
これは、実在の児童への加害つまり性的搾取を「助長」しないことを意識していると考えられる。ただし、漫画内では、代替物であるドールへ欲望をぶつける場面が少なからずポップで肯定的に描かれており、それが「賛美」であると解釈される【可能性はある】と思われる。「現実の児童」ではなく「代替物」への発散は「賛美」では無いという解釈と、ぶつける相手が「代替物」であるにしろ「児童への性欲」をポップに肯定したこと自体が「賛美」という解釈がどちらもありうるのではないか。ここはかなり人の主観によるのではないかと思う。
■まとめ
件の漫画は、「児童の性的搾取についての妄想を共有」という点で、児童の性的搾取に関するポリシーに違反していた可能性が非常に高い。
■最後に
始終、「でも、Twitterはどう思うかな…?」みたいな文章になってしまったので反省している。
Twitterルールを読んでいたら、今回の件に関して、どちらの陣営にしても暴言が多くて、ヘイト行為あたりのルール違反者だらけでなんとも言えない気持ちになった。
というか、普段から各方面ルール違反者だらけなんだなあと思った。
以上。
ショタ用ラブドールの話が燃えているので自分を思ったことを適当に吐き出そうと思う。
まだ本格的に燃える前にリツイートされてきたのであのレポ漫画にはしっかりと目を通している。
感想としては、「配慮の行き届きにくい性的嗜好にもちゃんと捌け口があるんだな」というのと、「なんか主語デカくね?」だった。
前者は書いてる通りだ。もともと規制反対派なので、まだ日本は寛容でよかったな、この先も自由が守られるといいな、って感じ。
元ツイはもう見れないので適当な書き方になってしまうが、確か『ロリ/ショタコンは実在の児童に手を出す前にラブドールを!』みたいなことが書いてあったような気がする。
この書き方が妙に気に障った。なんか、「世のロリコンは全員現実の児童に手を出したいと思っている」という風に受け取ってしまったからだ。
私はロリコンではないので彼らに完璧な理解を示すことはできないが、全員が全員そうではないだろ、と思った。非実在あるいは非現実だから安心して手を出してるだけで、現実でどうこうする気はそもそもない人だっているだろ、と。AVのレイプ物好きとガチのレイパーは違うだろ。
そこを区別せずに書いたから、側から見るとショタコン=現実で小児を犯したい欲求を持っている人みたいに見えてしまったんだと思う。
せめて、もっと真面目に書いてくれてたらな。このように犯罪防止に役立っていますみたいな書き方だったらまた見方も違ったのに。まあレポ漫画だから軽いノリで書いてしまうだろうし、ここまで大きな話題になると予測してたわけじゃないからそこは責められないだろうけど。
件のツイートが炎上した後にあげられたnoteも話題になっている。そちらの方も目を通した。
そこでは、未成年を性的に見ているからこそなお一層の未成年に対する人権を尊重するべきだ。みたいなことが書かれており、この意見に対しても、小児性愛に対する人権差別だという意見がわいている。
はっきりいって、小児性愛の達成は罪だと思う。そして、この意見が小児性愛者の人権侵害と言われる理由が分からない。
そもそも、性交というのは両者の合意がなければ致していいものではないだろう。異性だろうが同性だろうがお互いがこの人とならSEXしてもよいと思わなければしてはいけないものだと思う。だから性の知識が不十分な小児に合意がとれるわけがない。
同性間の性交が罪に問われず小児との性交が罪に問われるのは小児性愛差別ではなくて、性交についての知識を有していない者、性交することへの合意が得られない者との性交は認められないだけだ。
性的嗜好うんぬんの前にやりたがらない相手や、やることの意味を分かってない相手にやろうとすんなってだけの話だ。
最後に重ねて言っておくが、やりたいという気持ちの否定ではない。実際に手を出すな。それだけ。
長々と書いてきたけど、私の意見にもいくつか穴はあると思う。性的嗜好なんて個人によって違う曖昧なものに正解はないだろうし。でも規制反対派として、法を犯していない者に対しては寛容になってほしいなと願う。