はてなキーワード: 脊椎動物とは
これはつまり、殺したり食べたりしなくても苦痛を与えてはいけない。食べたり、苦痛を与えたりしなくても殺してはいけない。苦痛を与えたり、殺したりしなくても食べてはいけないということである。
何が動物かとうのは、ヴィーガンにとって都合良く決める。あとで変えることもある。哺乳類だけが動物→脊椎動物は動物→多細胞動物は動物……。
>必然的に対象は痛みを感じる動物、基本的には大脳を持ち自由神経終末のある脊椎動物に限られてくる訳です。(対象の範囲についてはいくつか議論あり)
あのさ、植物についてはこの際置いといて、
アニヲタwikiには「動物を脊椎動物と無脊椎動物で分けるのは、日本のアニメキャラをサザエさんのキャラとそれ以外で分けるようなものだ」って言われるくらい
ゴキブリもカイメンもチンウズムシもみんな動物。脊椎動物に限るってんなら、動物の権利じゃなくて脊椎動物の権利と言うべきだ。
まぁ、「エビや貝は食べていい」ってビーガンは見ないし、ハチミツやシルクも禁ずる宗派があるから本当に「いくつか議論あり」なんだろう
(カイメンで作られた天然スポンジは避けられてるのだろうかと思って「ビーガン スポンジ」で検索したが、ビーガン食のスポンジケーキしか出てこなかった)
確かに犬猫と植物の扱いは同じではない。ビーガンがよく言うように、牛や豚の解体シーンと植物を切るシーンの扱いは同じではない。
それと同じように、牛や豚や猿が殺されるシーンとネズミや魚が殺されるシーン、蚊やゴキブリが殺されるシーンの扱いは同じではないんですよ。
同じ動物なのに。脊椎動物に限るっていうならネズミや魚は立派な脊椎動物だ。
「どうです!牛や豚を殺すのは残酷でグロいでしょ!なら動物を食べるのはやめましょう」(グロ映像拡散しながら)
いいって言うなら、何も言わないですよ。
功利主義に基づいて苦痛の計算をしているのなら、功利主義の問題点もまた抱えているのがわかるはず。
命に関わる事態では我々は功利主義をとらない。5人犠牲になるトロッコを止めるため、隣のおデブを線路に突き落とすか?
ヴィーガンを支持することは、ここで躊躇なく突き落とすことを意味する。サイコパスだろ。
(その他、功利主義は臓器移植で5人を助ける代わりに1人の犠牲を正当化する)
トロッコ問題で功利主義と対立する義務論に立つなら、我々は無為に殺しているのか、食べるために殺しているのかという意思を重視すべきだ。
殺して食べるのは道徳的だが、なんの目的もなく殺したり食べずに残すのは道徳に反する
俺はこの義務論に立つ
→食べる前にいただきますと言って残さずたべよう
植物や無脊椎動物も痛みへの反応があることは知られている。これに対するヴィーガニズムの反論は主として
「痛みへの反応と苦痛は違う」だ
なるほど
その論が成り立つとして、脊椎動物の苦痛が我々人間の苦痛と同等である保証は?
同等でないものを同じように計量し、人と
もちろんそこまで考えると人間同士だって同じ苦痛を感じているかどうかは本当はわからない。(クオリア問題へ)
なら、初めから道徳に苦痛の計量という概念を持ってくるべきではない。
なお、我々が今までの社会で育ててきた人権などの思想は、功利主義や苦痛の計量などから導きだされたものではないはないため、
【人と動物の取り扱いの差について】
野生動物は自分達の倫理を「理解できないもの」として放置するわりに
非ヴィーガニストに対して同じ倫理を持つよう強要する者がいるからだ
先ほどの例にも上げた奴隷解放、これは「自分は奴隷を扱わない」というルールを守る他に
「自分達の社会内で奴隷制度をやめさせる」という一貫性を持っている
自分の意思でルールを守る能力のない者をルール外にするか?という疑問にも答えはあり、
例えばルールの知らない赤ん坊が他の赤ん坊にケガをさせるような場合
保護者がそれを止める行為をして「自分達の場」のルールを徹底させるだろう
ヴィーガニストは野生動物が肉食を止めるため、なにか手だてを考えるのだろうか?
ただ、ルールとは必ずしも一貫させる必要があるわけではなく、説明可能であればよい
「理解が及ばない相手には行動を強要しない」という別ルールで上書きしてもよい
であるなら、その「理解が及ばない相手」に、野生動物と共に我々非ヴィーガニストも含めてほしい
野生動物でも非ヴィーガニストでも、変わらず権利と慈悲を保証してくれるのだろう、ヴィーガニズムとは。
命に関して功利主義をとらない我々は当然
愛玩動物と家畜に扱いの差を設けるのだが、ヴィーガニストも同じ差を植物につけているのではないだろうか?
例えば人が大事に育てている花は踏んだり雑に扱ったりしないが、路上のタンポポは特に気にせず踏むだろう。
無脊椎動物でいうなら、誰かが飼っているカブトムシと部屋に侵入したゴキブリに扱いの差を設けないのか?
ここでは直接的に対象の苦痛やら命を問題にしているのではなく、その持ち主の意思に対して倫理を発動させている
今までも反論で、動物の権利とはかつての人間への人権思想と異なり、
偏務的で適用範囲が非常に限られていることがわかったかと思う。
であれば他の財産権利と同様に権利の衝突として扱い、パワーバランスに任せた方が
みんな納得がいく。
再び義務論に戻ると、動物の権利を主張したとしても建物や施設を壊したのなら、それ相応の処罰が下るべきだし
法で裁かれない程度のいやがらせ(残酷なパネルの設置)をしたのなら
(俺は積極的にしないけど止めもしない)
なるほどねー。
議論すべき内容か否かは兎も角として論点は整理されてたのでわかった。
とはいえ、ここは増田なので致し方ないとしても、元増田はこの記事で自分のスタンスを明らかにしてないよね。
この記事の書きようからするとヴィーガンではないのではないかと思ったんだけど、勘違いかな。
それは兎も角、まず一つ目の論点の苦痛を感じるかどうかということだけど、本当にそれが論点であるなら、屠殺の手法にフォーカスが向くはずであって、現在の運動の方向とは必ずしも同一ではないよね。
そもそも先進国の屠殺場では屠殺される動物に苦痛を与える屠殺方法は用いることができないことになってる。
大脳を持ち自由神経終末のある脊椎動物に限られるのであれば、大脳が苦痛を知覚しないブロックされた状態であれば、当該動物は苦痛を感じていないと結論することができるわけで、既存の屠殺手法を攻撃することはできない筈だよね。
また、家畜におけるアニマルウェルフェアをどう評価するかについては議論がわかれるところだけど、飼育方法は兎も角として産ませ育てることすら否定するのだろうか。
生老病死の四苦を知る仏教的観念なのだろうかね。そんなわけないだろうけど。
植物がどうのっていうのを「稚拙」と論じるのは勝手だけど、日本的な宗教史観に基づいて考えた場合に、逆に植物が苦痛を感じないのだろうかと考えることは自然なことだとは思うのだが。
振り返って、人は植物・動物問わず、生命を食べずに生きることができない(無機物のみで生存することができない)ことに気付けば、命に対して線引きをすることの愚かさに気付けそうなものだが。
だからこそ、感謝をもって食す、食物を大切にするという風に考えを昇華できないところに思考の限界が見える気がするが、これは宗教的なバックボーンの問題なのかもしれず一概に否定することもできない。
これね。
本当に毎度毎度アニマルライツやヴィーガンの話題になると同じ稚拙な反論をする人たちが次から次へと湧いてくる。
何度説明してもどこ吹く風で延々と無知の再生産がなされてる状況、いい加減どうにかならんもんかね。
という事で、ブコメにある典型的な無知や勘違いに基づく反論たちをピックアップして解説していきます。
もうさ、これに関してはヴィーガンに関するブコメ・ブログ・Twitter等様々な所で説明されてるので
知らないなら少しは自分で調べろよと。相手の意見を理解してから反論するなんてのは最低限のマナーでしょうよ。
とは言え、せっかくなので説明するとそもそもアニマルライツ運動やヴィーガンは「命を大切にしろ」なんて主張していないです。
大体「命」って何?定義できないでしょう。そんなあやふやな運動や主義ではないんですよ。(仮に一部にそういう人がいたとして決して主流ではない)
じゃあ彼らが主張しているのは何か?それはあらゆる動物における「苦痛の回避」です。
なので、必然的に対象は痛みを感じる動物、基本的には大脳を持ち自由神経終末のある脊椎動物に限られてくる訳です。(対象の範囲についてはいくつか議論あり)
更にこの「苦痛の回避」の元になってるのは、皆さん大好きトロッコ問題でお馴染みの「功利主義」という考え方で
最大多数の最大幸福とは何か?→それは苦痛の最小化ではないか?→苦痛を感じるのは人間だけではないのでは?という発想から。
まあ、この辺については掘り下げると大分話が逸れるので、興味のある人はそれぞれで調べてくみて下さい。
とういうか「植物も~」系の反論する人って実際自分が植物の権利を主張してるわけじゃないよね?
植物に権利があると思うなら「動物も植物も共に食べるな」と主張すればいいだけだし
そんな主張する人がいない以上それは屁理屈以下の空論に過ぎず、その虎を屏風からだしてみろってな話ですよ。
- 本当に何を言ってるかわからない。その守りたいとかいう動物も他の動物しょっちゅうこれよりこれのが美味しいって種を選んで食ってるんですが…。そっちは尊い生命活動…?誰が一体ジャッジできんの…?お前…???
- 草食動物を捕食しているライオンの前で主張してほしいですね。もちろん無防備で。
- 肉食動物が他の動物を殺して食べるのは良いの? 良いならなぜ人間だけだめなの? それとも殺生全てを禁ずるの?それなら地上全ての肉食動物を束縛して代用肉与えるの? 神の代理人を気取るのは傲慢だと思うんだが。
- 人権と人権の衝突に偽装してるけど、これはあくまで人間と動物の権利の衝突。その意味でVeganの人権は侵害されてない。またアニマルライツが認められるなら、別のアニマルからもアニマルライツを守らなくてはならない
- 野生の肉食動物の前で御高説垂れとけ。
これもよくある反論なんだけど、そもそも「どうすべきか」という価値判断ってのは人間の行為への言及でしょ。
野生動物の行為に人間の価値判断を押し付けようったって不可能だよね?言葉が通じないんだから。
「人間がどう行為すべきか」の話だからこそ「人間が動物に回避可能な苦痛を与えるべきではない」と言ってるんですよ。
それに野生動物が捕食するから人間もしていいって理屈なら人間が人間を捕食しても構わない事になるけどそんなはずないよね?
ここまで説明すると次に出てくるのが「動物と植物の間に線引するなんて恣意的だ」という反論。
これも「だからなに」としか返せません。人間が人間社会にある倫理的線引をするならそれはどうやったって恣意的になるでしょ。
あなたは猫を食べますか?野菜とクジラは食べるけど猫は食べないってのは恣意的ですか?
日本には動物愛護法ってのがあり、野菜のように生きたまま茹でたり切り刻むような事を動物にしたら逮捕されるんだけど
それは恣意的だから不当な権利侵害ですか?だったら動物と植物を同等に扱えるよう主張・実践してくださいよ。陰ながら応援しますので。
- 馬鹿だなあ。権利が衝突する以上、片方を優先させる理屈こそが問題なのに、一言も触れていない。そして他人の食欲を邪魔するんだから相当なものが必要。せいぜい、アリを無益に踏まないために引きこもってるべき。
- 他者への畜産物利用禁止強要までいくと、潔癖をこじらせて他人に押し付けようとしているようにしか見えないのだけど。「いつ自明なものでなくなるかわからない」なら、むしろ的外れじゃなく必要な反論だろう。
- 自明ではない新しい権利を獲得しようとする活動はあり得るが「そんな権利になり得ない主張のために自分の権利が侵されるのは認められない」の反対活動も当然許される。的外れとは言えないのでは。
- 権利運動するなって話じゃないし、反デモを起こすのもただの権利運動でしょ。だからどっちが正しいという話じゃない。
する権利とされない権利、侵す権利と守る権利、これらが衝突した時に後者を優先してきたのが我々の文化の進歩だったでしょ?という話。
例えば「Aが他者を侵す権利」があったとして「Bが他者に侵されない権利」があったら「Aが他者を侵す権利」が肯定された所でAはBを侵せないですよね?
で、ここで問題にされてるのは「Bが他者に侵されない権利」についてなので、「Aが他者を侵す権利」は反論にもなってなければトレードオフの関係でもないんです。
ここに関して「B本人がそれを望んだのか?ヴィーガンは第三者じゃないか」という反論があるけど
だったら子供の権利については子供が集まって主張しなければ獲得出来なかったのかと、動物には自主的に主張する術がないからこそ擁護するべきであって
子供の権利獲得を大人が主張したっていいわけですよ。権利は当事者以外が主張できないなんて勘違いは一瞬で更新してください。
あと、「動物はおかずだデモ」に関して言えば、動物の権利を主張してる人たちの前でわざわざ肉を焼いて食べるなんてのは
愛猫家の前でわざわざ「猫を食べる権利を行使」したりヌーハラが苦手な外国人の耳元で蕎麦をすすったりするようなもので
これらは権利の主張ではなく相手に不快感を与える事自体が目的となった加害行為で、ほとんど暴力だよね。
仮に2つの権利がぶつかり合い拮抗したものであったとしても、こんな明確な悪意・嫌がらせが肯定される事はないでしょう。
まあアニマルライツ(動物の権利)とアニマルウェルフェア(動物福祉)、ヴィーガンとベジタリアン、そこには実際様々な主張のレイヤーがありますよ。
なのでそれぞれに反論するには、具体的に相手がどんな主張をしているか文脈含めまず知らなければならないし、それはとても大変なこと。
でも、理解できない以前に知る気もないって言うんなら一丁噛みしてくるのはやめようよと、議論のノイズにしかならないんだから。
「生まれた時からそういう環境だったからそれが正しい」という動物的な気持ちもわからなくはない。
けどせっかく人間なんだから一定の折り合いをつけるために建設的な議論をしたってバチは当たらないでしょう。
それにはまず知ること、知ってるよって方はどうもご苦労さまでした。
押し付けんなって話じゃないの? 知らんけど
権利の衝突ではないという部分読んでいただけましたか?Aの権利自体を直接否定してるなら押し付けだけど、AとB両者の権利を肯定してるだけなので押し付けではないです。
トラバにも書きましたがAの権利はBがいないと成立しないがBの権利はAがいなくても成立する事からAとBは入れ替え可能の概念ではなく
どちらかと言えばAこそが権利侵害的だという話です。自然権など他の生得的な権利もそうだったでしょう。
ちなみにヴィーガンがその主義に基づいた生活をする事と、社会に対しアニマルライツ運動をする事の是非はまったく別なので。
よく分からんけど苦痛が回避されれば屠殺でもオッケーって主張なの? ネットの論争ってなんでもそうだけど人によって「ここが論点」つって挙げてくるものそれぞれ違って反応に困るんだよな
苦痛は屠殺だけに伴うものではないので強制給餌や狭いケージなど飼育環境の改善を社会に求めている場合がほとんどかと。
ネットに限らず例えば「保守主義者」と議論しようとしても個人によって経済・外交・安全保障などイシューごと考えは様々ですよね。
なので○○主義者個人と議論する事は可能ですが○○主義そのものについて論じようとするなら、その主義すべてを網羅する知識が必要なので研究者レベルでないと不可能でしょう。
えっじゃあ苦痛を与えなければ肉食っていいって主張なのって読めるんだけどこれ。ペットや子供への菜食強制問題とかも華麗にスルーしてるね
功利主義で扱う「苦痛」は単純な痛覚だけではなく五感・感情を含めたものです。植物にも感情がある!とか水にも感情がある!系の人はちょっとわかりません。
ペットや子供への栄養ネグレクトについてはヴィーガンだけに存在する問題ではないですよね。
植物に関してはこういうのがあります。>食べられると野菜も痛みを感じる?米国でヴィーガン論争を巻き起こした日本人研究者の大発見
「多くの人に伝えたい。だから論理的には飛躍しているかもしれませんが、「痛い」といったキャッチーな言葉を使って説明しました。」と研究者本人が言ってる通り
脂肪を蓄える能力に優れているという才能がマイナスになる日が来るなんて、脊椎動物が初めて二足歩行を始めた時には誰も想像していなかっただろう。
ルールの変化に遺伝子がおいつかないというだけでここまで責められるなんて。
頑張って東大に入ったアスペが就活で打ちのめされながら何とか入った会社で「東大卒の癖に使えねーな。大卒だからって調子乗ってんなよお坊っちゃまがんよぽぉ?」とイビられるようなもんだ。
デブは可愛そうだ。
栄養価(炭水化物と脂肪分以外の)が高くてカロリーの低いものを食べるようにするだけで、朝多めに食べて夜は少なくするだけで状況は変わるのに、ただそれだけの事が出来ないリテラシーの低さがただただ不憫だ。
カップ麺なんてバランスの悪いものは食べなければいいのに、小腹が空いたときはまずは水を飲んだり飴をなめて胃を少し膨らませるだけで事足りるのかを確認するだけの落ち着きを持てばいいのに。
彼らはただ、ちょっと頭が悪くて、我慢が効かなくて、不幸を嘆くばかりです対策を講じる気がないだけなのに、こんなにもぞんざいに扱われるなんて。
ステゴサウルスの背中にある板はなんの役に立っていたのか。また、尻尾の先にある棘は、武器になったのかどうか。そういったことは、長年の論争の的だった。
大阪市立自然史博物館の林昭次さんは、骨の組織学的アプローチで、これらの論争にピリオドを打った。思い切り乱暴な言い方をするなら、手足の骨、背の板や尾の棘をぶった切って中を観察することで、結論を導いたのだ。
それは、どんなふうだったのか。まずは、あの巨大な板をめぐる研究について。
最初に確認しておきたいのだが、ステゴサウルスの板は、まじまじと見ると本当に大きい。大阪市立自然史博物館にあるレプリカ(本物はニューヨークのアメリカ自然史博物館にある)など、本当に立派で圧倒される。なにしろ、一番大きな板は、幅が1メートル、高さ1メートルもあるのだ。
「ステゴサウルスって、体が大きくなると、どんどん板も大きくなるんです。体に比べてこんなに大きな板を背中に持っている動物は、脊椎動物の進化史上ステゴサウルスだけなんです」と前置きしてから、この方面の研究史からまず説き起こしてくれた。
「化石の内部を研究するのに、まずは非破壊で内部の組織を3次元で観察します。中身を見るにも、破壊せずにすめばその方がいいわけです。ステゴサウルスの板の中を見る先行研究は1976年にやられていて、その時はレントゲンを使っていました。板の根本だけを撮るくらいのレベルで、今からするとかなり大ざっぱなものでした。その後の研究で実際に骨を切ってみる研究もあったんですけども、血管が途中で切れてるというんですね。途切れてるから板中に血が通っているわけではないという結論になったんです。それで放熱板としては役立たない。そういうふうに言われたわけです」
いーね、そういう思いを馳せるのは。
俺にも教えてもらいたい。
ただ残念ながらというのか、ご存知の通り、
貝には脊椎動物のような、考えるような脳は無い。
光を感じる目や、身体を動かす神経節は有るらしい。
ただただ生きるために動き、そして生きているらしい。
なんだか羨ましくも有る。
堕天翅族がアトランディアの地(南極)に高度な文明を築いていた(創聖のアクエリオン)
プレデター南極に降り立つ。人類に建築技術を与え神として崇められた
神殿を建造させ100年ごとに成人の儀式のために地球を訪れ、エイリアンの宿主となる生贄を求めた。しかしある時繁殖しすぎたエイリアンによって敗北し、全てをリセットするため自爆装置を用い南極の文明を消滅させた(エイリアンVSプレデター)
全盛期のキスショットが南極大陸から日本に渡る。衝撃で南極大陸を破壊しかける(鬼物語)
アーサー・ゴードン・ピム、友人オーガスタスの協力のもと帆船グランプス号に密航する
様々なトラブルを乗り越え辛くも南洋を目指す貿易船ジェイン・ガイ号に救出される
そのまま南極探検に向かい「テケリ・リ」と鳴く動物に遭遇する(ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語)
ノーチラス号は資材補給のため南極の秘密基地へ向かう。基地は南極の地下にある大空洞に、2万年前に古代アトランティス人が建造した巨大なドックだった(ふしぎの海のナディア)
ミスカトニック大学のダイアー教授率いる探検隊、南極大陸に向かう
生物学者のレイク率いる分隊が狂気山脈を発見。「古のもの」の化石を数体発見するがショゴスの襲撃を受ける。最終的にたった2名の隊員のみが帰還する(狂気の山脈にて)
ナチスの残党が宇宙人との戦闘に勝利し、遺跡から聖杯を手に入れ新たな帝国を南極に築く(ADVANCED WORLD WAR 〜千年帝国の興亡〜、難局!ED)
昭和30年代、敗戦からの復興を進める日本は戦勝国を中心とした国際地球観測年による南極観測への参加を表明する。しかし、他の参加国からは敗戦国であることを理由に罵倒される。そして日本に割り当てられた観測場所は「inaccessible(接岸不可能)」とされていたプリンス・ハラルド海岸であり日本は全く期待されていなかった。その中で倉持たちは日本が世界と肩を並べる時が来たとして南極観測のために尽力する(テレビドラマ「南極大陸 」)
第二次越冬隊を乗せた南極観測船・宗谷が例年にない悪天候と氷河に阻まれ立ち往生してしまう
その4ヶ月後、往生したままの観測船から飛行機が基地に降り立ち本日中に全員が昭和基地から撤退し帰国するよう命令が下る。しかし犬達を連れていくことは許されず、潮田達は苦渋の決断で数日分の餌を与え南極に犬たちを置き去りにして帰国する
犬達は鎖から逃れ、1年後に生き残っていた兄弟犬タロとジロに再会する(南極物語)
南極に生息する怪獣ペギラが南極観測隊の基地を襲撃したが、南極の苔から取れる物質ペギミンHが弱点であることがわかり、それを搭載した気象観測ロケットで迎撃されると黒煙を吹きながらどこかへ飛び去る(ウルトラQ)
イギリスの細菌研究所で開発されたウイルスがスパイによって盗み出されたが、スパイの乗ったセスナはアルプス山中で吹雪のため墜落しウィルスは流出してしまった
ウイルスは全世界に蔓延し半年後には35億人の人類を含み地球上の脊椎動物がほとんど絶滅してしまう
わずかに生き残ったのは南極大陸に滞在していた各国の観測隊員約1万人と、海中を航行していて感染を免れた原子力潜水艦ネーレイド号やT-232号の乗組員たちだけであった。過酷な極寒の世界がウイルスの活動を妨げ、そこに暮らす人々を護っていたのである。隊員らは国家の壁を越えて「南極連邦委員会」を結成し絶望の中から再建の道を模索する(復活の日)
南極の奥地にある機械の城ネオグラードを拠点とする、メカ人間の帝国「新帝国ギア」が人類への攻撃を開始する(超電子バイオマン)
「私」が氷男と結婚、南極旅行を持ちかける(村上春樹「氷男」)
学会で使うテープを間違って娘たちに送ってしまった江崎教授のために両津勘吉と中川圭一が協力して世界中を駆け巡る。冬子がいた南極で両さんは制服のまま海に落ちたり白熊と格闘する(こちら葛飾区亀有公園前派出所「絵崎教授80時間世界の旅の巻」)
西村淳、昭和基地からも遠く離れた陸の孤島、南極ドームふじ基地に料理人として派遣される(南極料理人)
セカンドインパクトで南極大陸が消滅する(新世紀エヴァンゲリオン)
南極の氷山から生まれた極寒爆竜コンビを、アバレンジャーと正義の爆竜たちが迎え撃つ(爆竜戦隊アバレンジャー DELUXE アバレサマーはキンキン中!)
新人サファーのペンギン「コディ」がサーフィン・ワールドカップで優勝を目指す(サーフズ・アップ)
オルタンス、南極のフランス観測基地で料理人となり1年間の任期を無事に終える(大統領の料理人)
碇ゲンドウ・冬月コウゾウ両名が南極に出向きロンギヌスの槍を回収。NERV本部地下のリリスに零号機によって刺された(新世紀エヴァンゲリオン)
18歳のジン・カイザワは、南極海の氷山曳航を計画するシンディバード号にオーストラリアから密航する。乗船を許されたジンは厨房で働く一方、クルーや研究者たちのために船内新聞をつくることに(氷山の南)
戦士としてヒイロとの決戦を望むゼクス。ノインはヒイロとトロワを連れゼクスの待つ南極へと向かう(新機動戦記ガンダムW 第15話「決戦の場所南極へ」)
脊椎動物はおろか、昆虫でさえも性的アピールをするのはオスがほとんどです。果ては植物でさえ、オスが花粉を一生懸命飛ばして、メスはそれが来るのをひたすら待っているという関係が保存されていますから、増田さんのいうとおり生物の基本的な特性かも知れませんね。
ヒト以外の動物の性欲を調べるのは簡単ではありませんが、一般的にオスの方が性欲が高いと考えてまず間違いないでしょう。ヒトでは男性の方が、女性に比べて10倍ほど性欲が高いと考えられているようです。私自身は男性ですが、本当に四六時中すけべなことばかり考えていますが、それをおくびにもださずに社会生活を送っているのです。増田さんはどうですか?
女性が性に積極的だとはしたないと言われることがあるようですが、これは文化的なものであると考えられます。生理的な特性を反映している可能性はありますが、詳細はわかりません。私の想像では、ほとんどの男性はエッチな女性はウェルカムですから、「はしたない」と言うのは女性(母親・祖母)主導で形成された文化ではないかと思います。増田さんの意見はどうですか?