はてなキーワード: 脊椎動物とは
それは取り立て助詞を変えただけで主語はでかくなってないよね。
人も筆の過ちとか脊椎動物も歩けば棒に当たるとかならわかるよ。
書かれていない。
この作者は、自分が書いた設定を忘れている!
忘れていないと思う。
以下、簡単に異論を述べておこう。
まず最初に、すでにはてなブックマークのコメントなどでかるく指摘している人もいるようだが、実はこの小説のエンディング近くの箇所(以下、「エピローグ」と記す)では「全人類の意識がハーモニクスされた」とははっきり記されていない。
そう読むことも可能だが、べつの読み方をすることもできるのだ。
おそらく、上記の文章の書き手が「全人類の意識がハーモニクスされたように書かれている」と考えたのは、結末間近の以下の箇所から推測したからだろう。
これが全世界数十億人の「わたし」が消滅した日。
「人類の意識最後の日」ということは、この日を境に全人類が意識を喪失したはずだ。おかしいじゃないか、矛盾しているじゃないか、破綻しているじゃないか、こんなものを崇めるSFファンなんてろくなものじゃねえ、と考えることはわからなくはない。
しかし、ここでは「人類」とは書かれていても「全人類」とは書かれていない。したがって、この「人類」という表現には解釈の余地がある。ここで書かれている「人類」は「一部の人類」のことなのでは?
いや、何も言葉遊びをしようというわけではない。ほんとうにそう読む余地が残されていると思うのだ。というのも、このエピローグでは、かなり慎重な書き分けがされていると考えるからだ。たとえば、この箇所。
トァンが下山して間もなく、老人たちは意識の消滅、社会と構成員の完全な一致を決断した。権限を持つ老人たちそれぞれの部屋で、端末にコ ードと生体認証が入力される。瞬間、その調和せよという歌を天使たちは携えて、WatchMeをインストールしている人々の許へ、あまねく世界へ、その羽を広げていった。天使の羽が人々の脳をひと触れすると、もうそこに意識や意志はなかった 。
ここでははっきり「WatchMeをインストールしている人々」と書かれている。また、以下の箇所。
皆それぞれが思い出したかのように社会システムに戻っていった。WatchMeをインストールしていた世界数十億人の人間は、動物であることを完全にやめた。
ここでも「WatchMeをインストールされた世界数十億の人々」と限定的な表現が使われている。これらを読む限り、作者は「ハーモニー・プログラム」の効果がWatchMe使用者に限定的であることを自覚しているように思われる。
そう考えることのほうが、作者が突然健忘症にかかって自分の書いた設定を忘れてしまったと考えるよりも常識的ではないだろうか。
しかし、このエピローグでは再度「人類」という表現が出て来るところがある。
今からは推測することも難しいが、かつて「わたし」や「意識」「意思」が選択において重要な役割を果たすと信じられていた時代は決して短くなかったのだ。システムに完全に準拠した現在の人類にとって、旧人類がヒーローや神と呼んでいたようなアイコンはまったく不必要だが、それを知っておくことも無駄ではない。
完全な何かに人類が触れることができるとしたら。
おそらく、「進化」というその場しのぎの集積から出発した継ぎ接ぎの脊椎動物としては、これこそが望みうる最高に天国に近い状態なのだろう。社会と事故が完全に一致した存在への階梯を登ることが。
といった箇所、そして、ラストの、
とても、
とても。
という結びのことである。これらの「人類」をも、「一部の人類」のことだと強弁することができるだろうか。
実はできると思う。というのも、二番目に引用した個所でさりげなく「現在の人類」と「旧人類」が分けられているからだ。
ここから、これら一連の引用個所で書かれている「人類」とは「現在の人類」だけを指し、「旧人類」とその子孫を廃した言葉であると推測できる。
「現在の人類」とは、当然、ハーモニー・プログラムによって変容した人類のことを指しているから、つまり、エピローグで書かれている「人類」はすべてハーモニー・プログラムを受けて変わった人類「のみ」を指していると考えることができるだろう。
ようするに、そのプログラムによって一段階「存在への階梯を昇」った人物にとって、もはやそうでない存在は人類として認識されていないと考えられるということなのだ。
これは、エピローグの書き手がプログラムを受けて「進化」した人類のひとりであるらしいことを考えればさほど無茶な想像ではないと思う。
つまり、エピローグにおいてもなお、広い意味での人類すべてがハーモニー化したわけではないかもしれないということである。
そう考えれば、この結末に特に大きな矛盾はないし、破綻しているわけでもないということができる。
老人たちがそれぞれのコードを入力し、ハーモニー・プログラムが歌い出した瞬間、人類社会から自殺は消滅した。ほぼすべての争いが消滅した。個はもはや単位ではなかった。社会システムこそが単位だった。システムが即ち人間であること、それに苦しみ続けてきた社会は、真の意味で自我や自意識、自己を消し去ることによって、はじめて幸福な完全一致に達した。
「ほぼ」すべての争い、と記されていることに注目してほしい。
これを読みかえると、「(人類社会から)完全に争いがなくなったわけではない」というふうに読める。
それでは、いったいなぜ争いが残っているのだろう? ハーモニー化して「たましい」を失った人類に争いの種があるわけがない。考えられる結論は、ひとつだ。
少なくともこの時点では「人類の外部」との戦いがまだ残っていたのだ。その「外部」とは何か? それはまだWatchMeをインストールされていない子供たちかもしれないし、WatchMeが普及していない地方の住人かもしれない。真実はわからない。
いずれにしろ、ハーモニー・プログラムがエピローグの時点で完全無欠でないこと、そしてどうやら作者がそのことを意識していたことはこの箇所を読めばはっきりしていると思う。
あるいは作者は、さらなる続編を意識していたのかもしれないが、いまとなってはすべての可能性は失われてしまった。しかし、
この作者は、自分が書いた設定を忘れている!
この作品を日本SFのオールタイム・ベストに挙げることが正しいかどうか、その成否はぼくが決めることではないが、少なくとも作者が自分の作品の設定を忘れているに違いないというのは、端的に正しくないと考える。
ぼくとしては最低でも上記に引用した箇所はみな作者の計算の範疇であると読むほうがよほど常識的だと信じる。
裸の王様なんていなかったのだ。
そう思いませんか。
あなたの意見の方向そのものにどうこう言う気は無いが根拠とする事実認識が間違っている。
具体的にはこの部分
子孫を残すことができない同性愛に対して気持ち悪いと思わない奴が増えたら、人間は終わった生物になってしまう。
少なくともほ乳類と鳥類においては同性愛行動は普通に存在する。
鳥類なんかは自然状態で詳細に観察された種のほぼ100%で同性愛行動が見られるとさえ言われている。
一定の割合が子孫を残さない同性愛行動を取る方が高等動物では普通の生態なのに、それを「終わった生物」というのは事実誤認だ。
元増田は5%とか書いてるけど、そんなにいたら欠陥生物だから。本来はそんなにいるはずがないんだよ。
これも認識がおかしい。そもそも(少なくとも雄については)9割以上も子孫を残す高等脊椎動物なんていない。
結論ありきじゃなく、本当に「生物としての自然なあり方」を根拠に主張したいなら、
むしろ「一部の適者以外も子孫を残せる人間という種のあり方は間違っている」と主張すべきだ。
「人間は動物じゃ無いから同性愛は排除しよう」という主張なら、(適否はともかく)事実には反していないが、
あなたの主張はその逆だ。
いちおう医師。一心房一心室が本質的にまずいっつーことはないです。
むしろ二心房二心室の複雑な配管のせいで人類は心奇形に悩まされてるわけで、一心房一心室なら今ほど心奇形は多くなかったんじゃないかなーと思います。
もっとも、現生人類の体をいきなり一心房一心室にするといろいろ無理ありますけどね。血管抵抗とかがそういう風に最適化されてないから。心室→体循環→肺循環→心房とかすると静脈が滞って全身むくんじゃうだろうし、心室→肺循環→耐循環→心房はもっと最悪で肺血管が血圧に耐えられなくて狭窄しちゃいます。
ま、もとから一心房一心室ならそこらへんきっちり最適化されてて問題はなかったでしょう。なにしろジンベエザメの巨体だって循環させることが可能なんですから。
別に生物は、“効率的な”二心房二心室を目指して進化してきたわけではありません。そのときそのときで、環境にあうように少しずつ変化してきたんです。進化の弱点なんですが、完全な最適よりも「今の姿の近く」で最適なところに落ち着いてしまいやすいんですよ、局所最適といいまして。
もともと脊椎動物は一心房一心室・エラ呼吸。それが、干潟とかの環境に適応して口腔とか食道の粘膜でガス交換できるようになったのが現在の魚類の祖先です。消化器だから、ガス交換するといっても体循環の一部。でもこれが発達して肺になっていきます(魚類では浮き袋)。
ガス交換器なんだからエラと同じで体循環と並列でなく直列になればいいじゃんと思うわけですが、進化はあくまで偶然の積み重ねで、別に設計方針とか意図とかないのでそういうドラスティックな再配管とかできないまま陸上適応が進みます。まあ、再配管はできなくても少しずつ仕切りができて「肺方面」「肺以外方面」の区別ができてくるわけですけどね。はい、一心房二心室。
一心房二心室にもメリットはありまして。ワニとかカメとか、水中にいるときは別に肺に血液流す必要ないんですよ。そういうときに自由に肺血流オフにできる。これはこれで便利です。
で、水中生活と縁を切ったほ乳類は血流バランスの自由度とかいらなくなったので完全に仕切って二心房二心室にしたと。機能的には一心房一心室と同じに戻ったんだけど今さら作り直せないから二心房二心室です。
消化管粘膜から肺が発達した件が尾を引いてるわけです。この件、他にも大問題がありますよね。食物の通り道と呼吸の通り道がのどのところで交差してる。飲み込むときは息止めないといけないししゃべれないのも、のどの機能が低下すると食物とか唾液が気道に落ち込んじゃうようになるのもこの進化の歴史の気まぐれが原因です。
今、何してるの?
そこで何してるの?
午後は何してるの?
今日は何してるの?
今週は何してるの?
今月は何してるの?
秋は何しててるの?
今年は何してるの?
二十代は何してるの?三十代は何してるの?
これを読んで何してるの?
その場所で何してるの?
その地域で何してるの?
その都道府県で何してるの?
その国で何してるの?
あなたは何してるの?
女は何してるの?男は何してるの?
子供は何してるの?大人は何してるの?
一体、何してるの?
そもそも何してるの?
脊椎動物は何してるの?
動物は何してるの?
そ れ ぞ れ の も く て き は あ る の ?
命は何してるの?
物質は何してるの?
あなたは何してるの?
私は何してるの?
地球の方々は何してるの?
情報は何してるの?
空間は何してるの?
イメージは何してるの?
何かが何かしてるの?
何 が 何 なのか 知りたい
あなたが 私 に与えていること は何 なの?
私があなたに感じさせた事は何なの?
良い影響
@awaikumo
http://q.hatena.ne.jp/1121527958
この質問を、未だに忘れられないでいる。自分にとっては目新しい疑問ではなくて、幼少の頃からたまに思考が向けられるよな、比較的ありふれた問いかけの類型だ。深遠で、しばしの間は自分を虜にするが、決して答えに辿り着けない問題の一つってだけ。たまに心を向けて、すぐに飽きるだけ。
印象に残ってるいるのは何故だろうか。盛り上がってたから、って理由はまず有るだろうな。盛り上がる、つまりはそれだけ関心を呼ぶ疑問ってことだ。なるほど、自分も関心を寄せてるが、同時に他者も関心を寄せてるのだと一つの事実でもって知ることが出来たから。そして、一定割合の人には、問いが根本から理解されないのだと、これもまた一つの事実でもって認識することが出来たから。最後に、自分ははてな界隈って自分より遥かに優れた思考力を持った人間が集う場所だと認識しているが、それでも最終解には至らないのだなと。
当時の自分は、↑の問いかけを考えながら、上-下軸のことを連想した。いや、天-地軸と呼んだほうが適切か? 地球上において、天と地は全く異なっている。ほとんどの環境において、光は天から降り注ぐ。足場は基本的に地の側にある。だからなのか、進化の過程において、脊椎動物の多くは上下で構造が異なる。自分はそこに、脊椎動物のご先祖さまが天=海面側に視界を向ける必然性があったからだと感覚的に推測してるが……いや、これはヒトという種の身体構造を説明するには不要だろう。光学機器は高い場所に設置したほうがいい、だから目は天の側にある。脳が天の側にあるのは、頭部もしくは顔面が果たしている何らかの機能が天側に置かれる必然性を持ち、そして脳と短距離で接続される必然性があるから、かな? ああ、眼に着目(w)しても解答可能かもな。眼は単に眼球のみで構成されるにあらず、接続された神経・血管、保瞼とそれを駆動させる筋肉、そして眼球を駆動させる筋肉が要る。コンパクトに仕上げるなら埋め込む方がいい、骨で囲めば破損の確率も減らせる。エロゲの触手ばりに可動性を実現させるのは、設計として無茶だろう。(でも、中立進化としては絶対に無いとは言い切れない、かも)
頭部が天の側に配置される必然性があるとする。これで、天-頭-体-足-地という軸が固定される。ただ、これは1本のマッチ棒が出来たってだけの話だ。「下に空があって、重力は上に働いていて、物は上に落ちていく」って世界は、言語的・主観的な違和感を除外すれば、一応成立しないだろうか? ……と思っていたが、しない理由を一応提示することは可能かも? 人間の視界は上下で広さが異なると聞く。これが事実なら、後は重力方向を身体で感知できるのだから「ある視界の偏りを重力方向と一致させる」と規定すればいい。つまり、生物としてのデフォルトが規定可能ってことだ。視覚を長方形、空間を長方体と捉えるから「長方形Aを長方体の面A'に重ねた時、長方形の辺Bと長方体の辺B'が重なる確率を答えよ」みたいな疑問が湧くのだろう。そりゃ、1/2だよな。だが視覚が台形であれば、長辺と短辺の区別が生じる。重力方向によって規定される昇-落のどっちかと、長辺と短辺のどっちかを合わせれればよい。これならプログラミングが容易だよな。(もちろん、視界が台形であるって推測が外れてたら覆る話だけども)
これは、つまり「初期条件の設定が誤っている可能性」も含めて、思考を進めるべきって観点だ。で、最初に挙げた「波長と色覚細胞と意識される色」の問題に当てはめると……色相環を思考条件に用いるべきなのかどーかって疑問が湧く。一般的に色はキレイな円環構造で把握しがちなのだけど、別の構造化も可能なんだよね。
http://www.icoffice.co.jp/zukan/c_color.htm
色を円環構造で捉えれば「(中略)正三角形の頂点Aが円周上の点A'と重なる確率を求めよ」的な疑問が湧く。だが、置かれた図形と重ねる図形が共に歪な三角形(等辺を持たない三角形)であれば、重なる面積を最大にするための解は1つに近づく。もちろん、仮定してる条件は色々とあるわけだ。
(1)人類は脳機能的に、特定の色構造を持つように出来ている=生得的色構造
(2)色覚細胞の数には、生得的に偏りが生じる(R>G>Bの順だっけ?)
(3)生得的色構造と入力されてくる色覚の差異を照らせば、認識色と波長帯が一致する
(1)は、人類がデフォルトで持っているバイアスの傾向とでも言えるか。「この波長が重要だから優先的に処理するよ!!」みたいな。もち、上で述べたように円グラフ状のモデルではなく、歪な多角形、あるいは多面体で表せるよに思っている。総じて言えば、太陽光下に生きる人類種は進化の過程で培った視覚処理のバイアスを持ってて、想定された通りの太陽光下で生育すれば、大体は最高のパフォーマンスを発揮しますよ、ってなとこか。また、通底してるのは、脳みそにあんまり初期構造を設定したくないって発想だな。自分の予想では、目から脳みそにつながる神経配列を取り替えてしまっても赤ん坊は、赤を赤いと認識するだろうと思ってる。「RGBの3色ピンを正しく接続してね!」なんて家電製品みたいに融通効かないハードじゃねーだろうと。重要なのは刺激の量で3色を区別できることだけで、ここは生得的にも正しく学習が進むように予防線があるのではないか。多少、自然光より偏った光の下でも正常に育つように出来てるのではないか。
さてはて、長駄文すぎるな。文章の最初でリンクを貼った質問に対して、現在の自分が抱く思考で、出来るだけ短く答えるなら、以下のよな感じだろう。
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私も解答を知りませんが、自分なりに考えついた着眼点を提示いたします。
貴方は色を一般的な色相環のイメージで捉えていませんか。自分には貴方の問いかけが、まるで、色相環の円筒の内側で、RGBの三角柱を回転させ続けているように思われるのです。そして、円筒上の一点とある角が一致する必然性を求めているように思われます。
ただの思考実験ですが、主観上の色を、単純な色相環で捉えず、非点対称・非線対象の多角形もしくは多面体で構造化されるものと認識するはどうでしょうか。同様に、目から脳へと送られる色覚情報も、色覚細胞の数といった要因により、3種の刺激量が異なるように思われます。例えば白は、はたして生身の人体にとって(255,255,255)という具合に3要素の一致を表しているのでしょうか。視神経レベルで見ると、実は(255,240,200)といった数値であるのかもしれません。主観上の色にしても、視神経レベルでの色にしても、歪な形状で構造化できるのかもしれません。もし歪な形状を適用できるのであれば、視神経レベルと主観レベルの色構造を重ねたとき、一つの解を導ける……かは今の自分にはよく分かりません。
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ちっとも短く纏められない件。加えて、長文過ぎて誤字脱字を探す気力もない件。
将来というよりも未来って言ったほうがいいのだろうか。
「誰だって、将来は不安なものだよ」←それは知ってる。 それはちょっと置いといて、書かせてください。
オレは、下垂体機能低下症で、毎週2回くらい自分のふとももに注射打ってる。
下垂体機能低下症ってのは、下垂体がうまく機能してないって病気。
下垂体とは
脊椎動物の体に存在する器官のひとつで、多くのホルモンを分泌する内分泌器官。
脳に接して、脳の直下(腹側)に存在し、脳の一部がのびてぶら下がっているように見えることからこの名がある。(wikipediaから引用)
つまり、成長ホルモンとか甲状腺ホルモンとか、様々なホルモンが体の中で生成されないというわけ。
下垂体機能低下症になるとどうなるのか
身長が伸びない、精子が生成されない、チ○コが大きくならない、声変わりしない(低年齢時に発症した場合)、おねしょをしてしまう(かかりつけの医師によると体のなかの水をためる所が機能しなくなるらしい)などの症状がある。
たぶん一番辛いのは精子が生成されないのとおねしょすることだろう。
精子ができなければ受精もできない。←これを有利だと思う人もいるだろうけれども
で、何が言いたいのか
毎週2回も注射するのは嫌だってこと。まぁ治療だからしょうがないんだけども。
今毎週注射してるのは成長ホルモンの方で、このホルモン注射は80とか70くらいになるまでやらなきゃいけないんだって。
しかも毎日。(今は様子を見るために週二回なんだけど)
辛くてたまらないわ。
週に二回でも辛いのに、毎日やるとか耐えきれない。
しかもどうして発症したのか原因不明だしね。生まれた時からそうだったって医師に言われたけど、それじゃぁ八つ当たりできる所もない。
母親に当たるのは間違いだし、母親は毎日普通の顔してるけど相当参ってる。たぶんずっと責任感じてるんだろうと思う
話をもとにもどす
治療をやめたいと思っても、将来生まれるべくして生まれてくる自分の息子(娘)に頭があがらない。
まぁこんなブサメンが結婚とかできるのかっていうのは別問題なんだけど、
ここで治療をやめて、生まれるはずだった息子(娘)が生まれなくなる、というのが僕はどうしても可哀想でしかたがないんです。
じゃぁ治療続ければいいじゃん、とか言われると思うけど、
とにかく辛いです。本当に。もうほとんど愚痴になっちゃったけど、つか言いたいことがまともにいえてない気がする
文章かくのとか超できないからなぁ
オチが見あたらないけど、この気持ちをどこに吐けばいいかわからなかったので
今日が暇だったから、前々から興味があったはてな匿名ダイアリーに日記を書くことにしてみた。色々調べていると、初心者のための増田講座みたいのもあって世の中は平和だなと思った。せっかく書くのだから、たくさんの人に読んでもらえると嬉しいなと思った。だから、いかにもなタイトルを付けてみたが特に内容はない。それでもいいんだよね?
でもせっかくだから、タイトル通りの内容を書いてみることにした。意見とかもらえたら嬉しいのだけど。まぁなくてもいいや。書きます。「人に説明をする時に気をつけているたった一つのこと」。
とかさ、何一つ間違ったことは伝えてないんだろうけど、分かった気がしないよね。これ、多分説明してるんじゃなくて、定義をしてるだけだからなんだと思う。数学の教科書も似たような構造をしていて、最初に公式の定義があって、その後に延々と証明があって、最後には定義通りの式が導出できてて、「ほら簡単でしょ?」、じゃあ次。ってな風に説明されているよね。これで分かる人もいるのだろうけど、苦手な人、多分多いです。数学嫌いな人は特に苦手なんじゃないかな。これは、「○○ってなに」とか「○○ってなんだろう」みたくチャレンジ一年生的やさしげな言葉に置き換えたところで、その分かりづらさは何一つ変わることはない。
だからこそ、人に何かを説明する時「とは」に頼りすぎないように気をつける。じゃあどうするのかというと、よく練り上げた比喩で説明をはじめる。いいお手本として参考にしているのが、「郵便と糸電話でわかるインターネットのしくみ」という本。内容は別にどうでもいいから、目次だけは見てみてほしいです。「通信の基本はのろしと糸電話」といったように、ほとんどの人が実体験として持っている、もしくはかなりの人が常識的に知っていることばによって説明をはじめる。そのことばを軸にしつつも、比喩の部分をだんだんと削ぎ落としていき、説明すべき事項に慎重に近づいていく。そのように説明が展開されるように気をつけています。説明の最終段階として、ことばを持ち運びしやすいように定義づけるのは別にいいことだとは思います。説明の流れのイメージとしては、マトリョーシカ人形などどうでしょう?一番外側はよく知っている顔なのだけど、一個ずつめくっていくうちにいつの間にか違う顔のマトリョーシカになっているという感じ(この比喩がわかりにくいよ!)
もちろん定義という手段が必要になる場面はいくらでもあります。そして「とは」を使った表現が有効な場合だっていくらでもあります。ただ、無自覚・無意識に「とは」を使って説明した気になっているようなやつには、十分反省してほしいです。以上。
[死刑][飯塚事件][無期懲役][足利事件][DNA][MCT118型DNA鑑定][目撃]
科学的に物を言うには、「ブラインド(二重盲検査法)」という手法を使わなければいけません。その検体が誰のものか分からないという設定でなければいけません。
写真から指紋を複製、認証システムをスピード突破可能に… : ギズモード・ジャパン
脊椎動物:祖先はナメクジウオ ヒトと遺伝子6割共通 国際チーム、ゲノム解読 - 毎日jp(毎日新聞)
ナショナル ジオグラフィックチャンネル:番組探検 - 人間とチンパンジー:DNA2%の相違
DNAがまったく同じである。
相変わらず証拠は“DNA鑑定” (つづき) - JUNSKY blog 2015
チンパンジーなら9割以上(99%以上?)DNAは一致するという。
人間に誰でも共通する部分を比較して見せて、『DNAは完全に一致した』と言えば、
はてなブックマーク - 足利事件菅家さんが刑事補償請求 再審無罪で8千万円 - 47NEWS(よんななニュース)
PCR増幅法の特徴は、僅かな資料からでもDNA鑑定ができるという点である。
血痕で2ミリメートル四方、精液斑で1ミリメートル四方、毛根鞘のついた毛髪なら1本から2本とのことである(清水1992、p.20)。
また、プロープを使わないため、それほど設備がなくても鑑定が可能であるという利点もある。
そのかわり、PCR法で増幅できるのはある程度短い部位だけなので、YNH24やCMM101などの部位はこの方法では鑑定できない。
また、少しでも別のDNAが混入すると混入したDNAまで増幅されて結果が狂ってしまう可能性もあるので、資料を慎重に扱う必要がある。
このDNA鑑定は極めて初期の方式に基づいて行われたものであり、
「科学の名による冤罪—足利事件」再審無罪を求める東京集会参加報告−JanJanニュース
SさんのDNAは「16-26」という型ではなく、「18-29」の型であることが判明しました。
弁護士によると、型の違いはB型とA型のちがいほどの違いであり、当時の技術水準は低かった、と語りました。
S受刑者の受刑者の髪の毛から採取したDNA型が違うという鑑定結果を出した。
O教授は言う。
「可能性は2つある。1つは当時のDNA鑑定が間違っていた。
もう1つは真犯人でない人を捕まえていた。
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これが我が国におけるDNA鑑定の名誉ある第1号であると同時に、
それはまたDNA鑑定の足枷をはめられた被告の長くて苦しい冤罪の闘いの始まりであった。
「俺は、事件など起こしてはいません。DNA鑑定は間違っています。もう一度やってもらいたいものです」
被告の願いは2審結審後、弁護団独自の再鑑定という形で実現する。
Aちゃんの死体は,本件の被害者Mちゃんの死体が発見された渡良瀬川の河川敷から
約200メ-トル離れた対岸で発見されていたため,
最高裁の段階で,Sさんの髪の毛を使って,MCT118法の型判定をしたところ(日大のO先生による鑑定),
SさんのDNA型は,18-30ではなく,18-29だということがわかりました。
「F・Mちゃん事件」の捜査が難航したまま、半径2Km圏内で幼女の失踪・殺害事件が続発する。
’86年にH・Yちゃん(5)、’90年にはM・Mちゃん(4)が、ともに衣服を脱がされた状態で、遺体で発見されたのだ。
だがその内容は、矛盾だらけだった。
足利幼女殺人事件の再審棄却への疑問: 教育に情熱をかける教師のために
棄却理由は、今回提出された鑑定に使用された毛髪のDNAが請求人の毛髪から採取したものであるとの証拠がないとのことであった。
だが、そういう疑いも考えられるかも知れないが、それなら、裁判所の職権において再鑑定すればよいと思うのだが、なぜそこで終わってしまうのだろうという疑問が残る。
Amazon.co.jp: 魔力 DNA鑑定: 佐久間 哲: 本
第二審でDNA鑑定で逆転無罪になった大分短大生殺害事件 について知りたいです
はてなブックマーク - 5号館のつぶやき : 政治に翻弄される科学者 (横田めぐみさん遺骨事件)
刑事裁判を考える:高野隆@ブログ:プッテン殺人事件 - livedoor Blog(ブログ)
DNA鑑定で無罪、全米で200人 - 弁護士 落合洋司 (東京弁護士会) の 「日々是好日」
【海外】強姦罪で服役19年、DNA鑑定で無罪判明 「誰も恨んでいない。自由に感謝している」
<かくも多き冤罪事件>米の死刑囚ら188人、DNA鑑定で続々、無実を証明(朝日新聞)
愚慫空論 無実の“死刑囚”124人の衝撃 ~冤罪に揺れるアメリカ~
内科開業医のお勉強日記 : オリンピックレスリング選手では汗による感染対策すべき
ボンソワール書房日誌 Éditions Bonsoir Journal: B型肝炎ウイルスが汗から発見、感染の可能性も?
一卵性双生児はDNAがまったく同じ。
DNAに左右されないところはある。
<遺伝子を操る>DNA鑑定、超微量でも 犯人像の再現も視野に
コピー用紙や感熱紙に残された指紋からDNAを解析する技術を確立した。
アルコール溶液に浸すなどして指紋の中にあった細胞からDNAを取り出す。
指紋から性別、嗜好、人種なども判別可能な新技術: Do you think for the future?
任意提出を受けた「男子学生の試料」(自宅を訪ね部屋から髪の毛を採取した模様)と、
「ひもに含まれた汗」のDNAを照合したところ、これが一致。
今枝弁護士が受け取ったとされる脅迫状から指紋・DNAが検出されたというのは本当なのか - TERRAZINE
未解決事件捜査班、31年前の事件解決も - 社会ニュース : nikkansports.com
14年前の殺人とDNA一致 女性下着を投棄の男、再逮捕へ (2/3ページ) - MSN産経ニュース
ひったくり未遂の18歳少年、バッグの汗のDNA型で御用 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
最近読んで面白かった本から。
脳はやっぱり面白い。少し前に「脳!??内なる不思議の世界へ」展を見てきて、面白かったのでいろいろ知りたいと思って購入した本。人間などの超巨大な脳の対極にある、昆虫の微小脳を取り上げた本。微小脳はわずか1mm3ほどしかないが、巨大脳に負けず劣らず、それ以上にうまく情報を処理し、昆虫族を現在の地位に引き上げた。
本書はこの微小脳についての最新研究を濃縮し、駆け足にまとめあげている。視覚、嗅覚、飛行制御、記憶のメカニズム、蜜蜂のダンス言語。どれもまだ全て完全にわかったわけではないが、実験を積み重ねて得られた仮説が紹介されている。知ってました?ゴキブリもパブロフの犬のように唾液分泌を条件付け出来るってこと(著者の水波はワモンゴキブリの研究者。といっても写真はほとんど出てこないから安心して)。
これを読むと、ゴキブリは時計のように精巧な心を持った生き物であることがわかる。自分はやつらを殺すのにちょっと躊躇してしまうようになってしまった。おそらく人がゴキブリをあれほど怖がるのは、やつらの強さを本能的に悟ってしまうからなんだろう。
水波は最後にまとめとして、巨大脳を持つ私たち脊椎動物と、微小脳の昆虫族との共通の祖先を挙げ、その行動様式による進化の過程を考える。昆虫の脳の研究はまだ始まったばかりであり、巨大脳を持つ人間が学べることはまだまだ多い、としめくくる。面白かった。買って読むといいよ。
http://www.amazon.co.jp/dp/4121018605
何気なく手に取って読んでみたらびっくりした本。為末 大は男子ハードル走のメダリスト。ふつうアスリートと言ったら、こういう新書は書かない、書けないもんだし、書いても編集者とのインタビューを一冊本にまとめたりする(いわゆる「バカの壁」方式( ゜д゜)、ペッ)。ところがこれは本人が自分で書いていて、しかもものすごく文才がある。驚いた(一人称の「私」にはちょっと面食らったが)。
為末はハードル走者として論理的な状況分析を行い、いかに速く走るかということを解説する。日本人という人種はなぜ走りが遅いのか、カール・ルイスはなぜ速いのか、それぞれ理由を挙げていく。そして、その遅い日本人が世界で勝つにはどうすればいいのか。為末はそのための奇策を自ら考案、実践し、成果を出している。読んでいて非常にワクワクさせられた。
そして、ここからがすごいのだが、為末はアスリートとして、自分の社会に対する立ち位置をちゃんと考えている。日本には様々なスポーツ選手がいるが、未だ「論理的なエンターテナー」はいない。そこで自分はスポーツの、ハードル走の面白さを論理的に社会に伝えられたら、と考えているという。それがこの本の題名につながるのだ。すごい。こんな人はめったにいない。
為末は北京五輪に向けて確実に「昨日よりも速い自分」を作っていっているそうだ。そこまでの過程を新書の形にまとめあげ、さらに社会に還元さえしようとする。それもエンタテインメント(娯楽)として。気がつくと一気に読んでしまっていた。自分も何か大きな目標に向けて頑張りたくなるいい本だった。買って読むといいよ。