はてなキーワード: 素粒子とは
人文系の文献の取り扱いとか業績についてちょっとだけ - dlitの殴り書き
確かに異分野の事情をお互いにわかっていたほうがみんな幸せになりますよね。パーマネントや学振の採用とか。
素粒子分野は大きく分けて
に分かれています。これらの間には超えられない壁がありまして全てをまとめるのはちょっと難しいのですがなんとか書いてみます。
間違いを見つけたら教えてください。
素粒子の論文は全て英語で書かれます。国内雑誌としてはPTEP(旧PTP)がありますがこちらも英文です。当然どれも査読があります。
業績リストの論文(査読なし)には国際会議や研究会の proceeding を載せたりします。
素粒子分野には論文投稿前に arXiv に載せる慣習があります。
これは投稿前に業界の人たちに意見をもらい論文を修正するためです。accept 後に査読済みの論文に差し替えます。
arXiv に載っているのは基本的に 投稿前/査読中/査読済み の論文及び国際会議の proceeding です。
特に素晴らしい研究は Physical Review Letters (Phys. Rev. Lett) に投稿されます。IF8.839 です。
Nature や Science に投稿することはまずありません。
おそらくは [ 業界の人数 ] x [ 1年間に発表する論文数 ] に依存するはずです。まあ人数の少ない分野は引用数も少なくなるでしょうね。
同じ素粒子業界でもその専門ごとにかなり違うはずですが、とりあえず Inspires によると以下のように分類されています。
# of citations | |
---|---|
Renowned papers | 500+ |
Famous papers | 250-499 |
Very well-known papers | 100-249 |
Well-known papers | 50-99 |
Known papers | 10-49 |
Less known papers | 1-9 |
Unknown papers | 0 |
自分で確認したい人は Inspires で fin a s Masukawa などと打ってみてください。
素粒子実験、特に高エネルギー方面ではなかなか論文が出せないことがあります。
理由は簡単で実験計画から結果が出るまで多数の歳月がかかるからです。
例えばLHCは計画からヒッグス発見まで20年弱かかりました。論文の著者数は5000人を超えました。
このような事情なので「博士課程単位取得満期退学後に研究を続けて論文を出すと同時に博士を得る」というような方がたまにいらっしゃいます。
博士号をもっていない素粒子実験の人に出会っても決してバカにしてはいけません。
まず 場の量子論/超対称性理論/群論・リー代数 あたりは三分野共通で勉強すると思います。
加えてそれぞれの分野の専門的教科書、例えば弦理論なら String Theory (Polchinski) 格子なら Lattice Gauge Theories (Rothe) など。
分野によっては位相幾何学、微分幾何学を勉強しなければなりません。共形場理論もですね。
この辺りでようやく基礎ができてきましてこのあと30年分くらいの論文を読みます。
研究に入るまでの勉強に時間がかかるので修論はレビューになることが多いです。
当然学振は出せない・・はずだったのですが最近どうも事情が変わってきたようです。
学生の方が学振(DC1)に固執して勉強も途中に研究を始めてしまう、勉強途中のM1に研究できることなんてたかが知れているので
必然的にあまり重要ではない研究に貴重な時間を費やしてしまう、というような話をぼちぼち聞くようになりました。
学振についての考え方は人によるとは思うのですが、ちょっと危うい傾向だなと私は思うことがあります。
そこでちょっとお願いなのですが
「学振は研究者の登竜門!取れなかったらやめよう!」などとblogに書いて煽るのをやめていただけないでしょうか?
いや書いてもいいのですが主語を書いてください。「情報系では」「生物では」とかね。
「博士号は足の裏のご飯粒」と言われて久しいですが、弦理論では博士号を取るのはまだまだ難しいと思います。
まあとったところで「足の裏のご飯粒」なんですけれどもね・・・
放置していてすみません。まさか今頃上がるとは思っていませんでした。
new3 言いたいことはわかるけど、普通は「ヒッグス発見」を博論のテーマにせずもうちょっと控え目な研究に留めるものでは?日本でもJ-PARCからSuper-Kにニュートリノ撃てるんだし10年に1本はさすがに少ないと思う。
どうもありがとうございます。文章を少し修正いたしました。他にも間違ったところがありましたら教えてください。
niaoz 懐かしい。補足するとストリングやるなら一般相対論がベースの重力理論も必要/場の理論は確かに簡単じゃないけど楽しい。量子力学と特殊相対論(電磁気学含む)を修めたらやってみるとよいです。
monopole 素粒子理論分野では修士で論文書きにくいけどDC1の枠はあるので、採用者は実績によらずほぼランダムだったり有名研究室に偏ったりする。まあ論文なしでも通る可能性あるから学振は気合い入れて書け
kowa 素粒子系は知性の墓場だと感じてる。優秀な人材があまりに何もできなくて、消えている。魅力はわかるが、1/5000のcontributionだかでいいのだろうか
専門によって全く状況は異なります。
例えば同じ素粒子理論でも String と Lattice では博士をとる難易度も就職状況も大きく違ってきます。
あなたの指導教官はたぶん、世界的に有名な研究者だと思いますがそれでも若い頃は苦労しているはずです。
昔は学振もポスドクを雇う費用もなかったので若手は本当に苦しい生活を送ったそうですよ。
だからみんなあなたの気持ちはわかるし親身になって相談に乗ってくれるでしょう。
私たちは学問の前に平等です。どんな相手でも対等に議論するよう訓練を受けています。
仮にあなたが間違ったことを言ってもバカにする研究者はいないでしょう。
(もしいたらその人は未熟な人です)
ブコメは何も知らない人たちがめちゃくちゃを言っているな。
海外にも全くポストがないからこんなことになっているのだというのに。
物理学科で,素粒子ではないですけど,その例だとString寄りです.
誰かも書いてましたがまったく潰しがきかないです.きかなすぎて笑えるくらいのやつです.
偉そうなアドヴァイスは何も言えません。ただ、共感するしかない・・
String寄り(数理物理かな?)なのにM2で成果が出ているのはすごいですね。
あなたはとても優秀な方なのではないですか?だからこそ迷うのか・・
やっぱりいちど指導教官に相談してみた方が良いように思いますね。
率直な評価を聞いて、就職と研究の道を決断する deadline を決めてもらって、その日まではひたすら研究に没頭するのはどうでしょうか?
このままだと集中もできないでしょう。
おそらくあなたが進学を迷うのは博士過程に進むと就職が厳しくなるからですよね。
私があなたに伝えられることは少ないのですが、少しでも役に立てそうなことを書いておきます。
私の知っている範囲ですが String の博士過程の学生やポスドクで就職に成功した例は主に海外の企業もしくは外資系が多いように思います。
傾向として外国企業を受けた人は就職先が決まり、国内の中小企業を受ける人はとても苦労しているようです。
普通の人と競うとどうしても年齢で不利なので数学能力を買ってくれるところにいくしかない・・・
売り込めるのはこの辺りでしょうか。
僕は現在修士課程2年の学生で,博士進学をする予定だ.ちなみに理系.
研究はめちゃくちゃ捗ってるわけじゃないけど,週5で1日10時間程度研究・勉強をしているのでじわじわ進んではいる.
修士での発表は国内3回で終わりそうだ.海外での発表と論文を出すのは叶わないだろう.
先生は,理論系にありがちだと思うがやや放置気味で,でも質問とか議論には何時間でも付き合ってくれる.
でも,毎日わからなくて行き詰ることばっかりで,こんな馬鹿が博士課程に進むなんてあっていいのか?とふと苦しいほどの怖さにときどき襲われる.
僕は自分に自信がない.頭もよくない.
先生と話すときもびびってるし,先輩につっこまれたりアドバイスを受けるときもびびってるし,何なら後輩に質問されるときもびびっている.
本当にこのまま進学していいのか?やっていけるのか?院に進学したときからずっと考えている.
そんな心持なら進学なんてやめてしまえ,生き残れるはずがないと皆言うだろう.だから人にはこう思っていることを黙っている.
だけど一番の不安を自分の内にずっと溜め込んでいるからどんどん辛くなってくる.
そんな状況で飛び込んできたのが件のニュースだ.
この事件のせいで震え上がってメンタルずたずたになっている院生・ポスドクはめちゃくちゃ多いと思う.
僕は旧帝の院生で,浪人をしているので人より遅れて大学に入っている ということも重なって余計に動揺してしまった.
正直言って,何してくれてんだよふざけんなと思った.そういう目立つ破滅の仕方はやめてくれ.
僕はあれが,僕の前に伸びている道のどれかであるような気がして仕方がない.
じゃあ就職すればいいじゃん?と言われると思うけど,
うまいこと今の時期から就職できたとして,ニュースでびびって研究を放り出したことを一生後悔するのは目に見えている.
でもこのままでいるのもつらい.
もう博士課程だったら,色々な意味で達観することができたのだろうか?
それにしても,焼身自殺なんてものすごい自殺方法を選ぶなぁと思う.
僕は痛いのも熱いのも怖いのも嫌なので仕方なく生きているが,もし万が一同じ状況になったとしても首を吊るかなぁ.
彼が睡眠薬とかお酒を飲んで前後不覚であんまり感覚もなく意識もぼんやりした状態で焼かれたことを願う.
[追記1]
こうやって見知らぬ人に心の内を吐露するだけでも少し楽になって驚きました.
今日はあまりにも気持ちが乱れすぎていたので,久々に平日に大学を休んで,海を見てぼうっとしています.飛び込む気はありません.
たとえ匿名であってもアウトプットしたことと,休んで海を眺めているおかげで少し落ち着きました(一時的なものかもしれませんが).
理科だけですが,教員免許は一応取得しています.真剣に教員を目指している人には失礼なことですが,ビビりなので保険のために.
学部時代は教職+専門科目で忙しすぎて,もうやめたいと思いながら結局最後までとることになりました.
こうやって保険をかけるところとか,優柔不断で一度はじめたことを辞められないところに僕の駄目な性格が顕著にあらわれていると我ながらあきれます.
専門によって全く状況は異なります。
物理学科で,素粒子ではないですけど,その例だとString寄りです.
誰かも書いてましたがまったく潰しがきかないです.きかなすぎて笑えるくらいのやつです.
[追記2]
https://anond.hatelabo.jp/20180919121421
https://anond.hatelabo.jp/20180919191533
今後の身の振り方・過ごし方についてのご助言を書いてくださった方ありがとうございます.
自分で自分に見切りをつけるタイミングを定めるということはとても重要であると思いました.
あのニュースは,一般的な院生やポスドクなら誰しも動揺せずにはいられないだろうと決め付けていましたが,
それは「メンタルがやられている」院生やポスドクに限っているのかもしれないなと気がつきました.
僕は心療内科に行ったりカウンセリングを受けた経験がありません.
もし行ったら色々なものが決壊しそうで怖かったのと,何より自分の弱さを認めに行っているように思えてならなかったからです.
(通院している人を蔑んでいるわけでは決してありません)
しかし自分でも気がつかないうちに,精神的によくない状況が慢性的に続いているのかもしれません.
[追記3]
https://anond.hatelabo.jp/20180919125143
きっと研究者の方ですよね.僕のような半端者の愚痴に対し時間を割いていただいてすみません.
ものすごく丁寧にアドバイスしてくださってありがとうございます.
論文にまとめられるほどの成果は出ていません.優秀だったらたぶん迷ってないと思います.
これまでの学会も,とりあえずのひとまとまりの経過を発表しているにすぎません.
僕の指導教員は,出来がどうであれ発表したい学生には発表させるタイプの人です.
迷っているのは,就職が厳しくなるからというのももちろんありますが,
ニュースを見てショックを受けたせいでどっちつかずになってしまったからです(そんなんで折れるような熱意だったのかと自分でも悲しくなりました).
修士で就職した自分が,研究を続けていれば発見できたかもしれない色々のことを考えて焼け付くような気持ちになるのが容易に想像できます.
でも「研究が大好きでたまらないか?」と言われるとわからないです.
だから,この感じでしがみついて博士に進んだ自分が,結局研究が何にもならなくて,
博士課程の途中で,僕みたいな阿呆がいっちょまえに思い上がってたんだと死にたくなるのも容易に想像できます.
やっぱりいちど指導教官に相談してみた方が良いように思いますね。
率直な評価を聞いて、就職と研究の道を決断する deadline を決めてもらって、その日まではひたすら研究に没頭するのはどうでしょうか?
このままだと集中もできないでしょう。
仰るとおり,あのニュースを見てから色々なものが手につきません.
集中して論文を読んだり勉強したりができないので,あんまり頭をつかわなくてもできるプログラムの修正作業しかほとんどやってません.
これは本当にそう思うな。
中性子星の大きさを東京ドームで表してくださいと言われたときは困惑した。
わかりやすさのために身近なもので置き換えなければならないらしいのだけれども
かえってわかりにくいでしょうに。
加速器というのは粒子を光速でぐるぐる回して衝突させる装置のこと。
1TeV(1兆電子ボルト)みたいなエネルギー単位がピンとこないから身近なもので置き換えなければならないらしいのだけれども
そこでひねり出した表現が「ビッグバン直後 ? 秒後」「宇宙誕生の ? 秒後」みたいなフレーズ。
でもこのフレーズのおかげで「素粒子屋は宇宙の研究をしている」と勘違いする人が続出してしまった。
小林、益川さんがノーベル賞受賞後のインタビューで「宇宙の研究なんですよね?」と問われ
小林さんは苦笑し、益川さんは「違います」とぶった切るもインタビュアーは怪訝そうだった。
加速器はビッグバンを起こしているわけではないし、素粒子屋の研究目標は大統一理論ないしその先の理論であって宇宙ではない。
20XX年、透過力の強い特殊な素粒子ビームを放射性元素に当てると
一瞬で核崩壊が進行して無害な元素に変化する…現象が発見されて、
チェルノブイリやフクシマはもとより、劣化ウラン弾で汚染された地域も一気に清浄化された。
ビームのおかげで、半減期数万年間を待つ必要もなくなったことに、人々は安堵した。
このビームを核兵器に当てれば、遠隔から核兵器を無力化できるのでは?
そう考えた学者が核兵器にビームを照射したところ、核兵器は爆発した。
濃縮されたウランやプルトニウムを一瞬で核崩壊させたのだから当然の結果である。
やがて、核兵器は敵を攻撃する兵器ではなく、敵がリモートから爆破できる危険な地雷という認識が広まり、
家庭環境が主な原因だった!!
そりゃそうだ。当たり前。
書きなぐった物そのままなので、非常に読み辛いけれど、
こんな人間も居るということを、ここに垂れ流しておく。
言いたいことはこの後に書いてあるので、
面倒くさくなったら飛ばしてください。
生まれてから今まで、直ぐに感情的になる癇癪の権化みたいな姉を持つと、
こういう人間が家庭にいなければ、もっと余裕のある生活を送れたのになあと思ってしまう。
女ばかりの家で、説得しようにも長い話ができず、本当に辛い思いをしたので、上のような性格の人間は苦手すぎる。
本当に家庭は選べねえなあと思った。
仕事漬で鬱になり家にいる父、姉妹の長女で人の話を聞かない割に偉そうにする母、
その場に行かないと飯が出なかったので仕方なく行ってた。
周りのように旅行に連れていけという姉が言う。
金は無いが時間があるので、結局車で大型ショッピングモールに行く。
姉は一時的に満足するが、しばらく経つと金がない、旅行に行きたいと同じように繰り返す。
自分のせいではないものを指摘することで、自分の弱さを隠している。
毎日同じようなこと、くだらないようなことを言い合う。
翌日には忘れ、繰り返す。
感情的で閉鎖的な家庭で育ったことが、いかに自分の精神に影響し、
自分の進路に影響して、今の今まで悩ませていると思うともう嫌になる。
小学校3年までは小説や子供向け科学雑誌を学校でよく読んでた。
将来の夢は科学者だった。物質が小さい粒のようなものでできていることに感動した。
そんなことを親や先生に言っても取り合ってもらえず、科学者なんて無理と言われた。
誰からも肯定されないし、好きになっても、役立たないものだと思えてきた。
小説も読まなくなった。誰も読まないし、話題にならないからだ。
そして何より現実味がない。あっても雑学程度にしかならないと思えてきた。
感動するものもあったが、自分の環境を見直したときの絶望感が怖くなった。
誰も何も誰しも自分の気持ちなんてわからない。他人を理解しようとしない。
そうなった子供はどうするかというと、周りに頑張って迎合しようとする。
文脈が薄い一時的な笑いと理解しつつ、こうしなければ普通になれないと自己暗示をかける。
中学まで続けると割と周りが自我が芽生えてきていることに気づく。
自分はどうなったかというと、自己暗示を解けきれなくて、自我が地中に埋まってしまって、
ぼーっとすることが多くなった。何をやっても楽しくない。
全てがくだらない。
絶望的な気持ちを査読する先生に気づかれないように書いたのをよく覚えている。
でも、周りと馴染めなかった。
何いってんの、うちには金が無い。高校卒業したら働くって行ったでしょ?
人間の考えが変わらないと思いこんでいる親に対しめちゃくちゃ腹を立てる。
自分より頭が良くていい環境で育って塾とか行っている人間なんだろうな。
うちに生まれた時点でそんなものできないことは決まっていたんだ。
満足できない思いを反芻しながら、納得行かない家庭から与えられたことを無理やり正当化しようとする。
そんなことをしながら、何のために勉強しているかわからなくなったまま勉強を続け、高3までそれなりの成績をおさめる。
勉学というよりは社会に出る前に、自由な身と力を手に入れられると思った。
難しい話は通用しないことはわかっていたので、
家から出て、高校の延長線上の分野で、大学でしかできない勉強をしたいというが、反対される。
金がないから、心配だから、不景気だから、あんたのために言ってるから。
は?結局オメーの都合だろうよ。俺の何を見てきた?
大卒の就職率が低いってニュースでやってたし、高校卒業して安定した職を付けたほうが良いんじゃないと言われる。
お前、45年間、何を見て生きてきた?本当にいってんの?
ニュースで得た情報と自分の身の回りを見て、適当に集めた情報から意見を言っているだけじゃん!と返す。
めちゃくちゃ怒って、お前は社会の何もわかっていないと返される。
お前じゃい!
その後担任との三者面談をしたり、大学説明会に足を運んだりして、
勉強は続けたが、やはり高1のときに高校をやめればよかったと言う思いが引っかかる。
何より自分の大学進学を許した親に対して、姉が私も家を出て学校生活送りたかったと毎日激昂し、
何をやってんだかわかんなかった。家にいるのは人間じゃないとわかってていても、
もうなんだかよくわからなかった。救急車も警察も呼ぶ気になれなかった。
30分ぐらいしてから、ようやく呼ぶ気になる。
パニックと言うか、この状況に対して自分は何を考えているのか、全くわからなくなった。
恨み積もった家庭にどう抵抗してやろうかと思っていた矢先の理解できない死。
もう何がなんだかわかんなかった。
自殺した父に対して、苛立ちが積もりに積もって吐く。血も吐く。
悪気がなく、自然法則のように動く肉親に腹が立って仕方がない。
自分が違うのか?田舎に生まれた自分は田舎に埋もれなければいけないのか?
精神科に行ったが本当に自分が何を言っているのかさえわからなかった。
自殺したのはもちろん原因だったが、そればかりを話すだけで、
正直父が死ぬ前に、無理やり不登校になって、心療内科に行くべきだった。
もちろん今まで書いてある期間は絶え間ない感情を浴びせられている。
周りの人間が信頼できないこともあり、相談できないことがどれだけ苦しいか身を持って感じた。
子離れできない親から親離れできない。
毎日感情的な刺激を受けてきたせいで、隣の部屋の騒音などの刺激に反応してしまう。
頭の血管が触ってわかるほど浮き出て、ズキズキして、眠れなくなる。
さらに自殺した父の死体をよく思い出して、生理的に気分が落ち込む。
実家を出て数年経った今でも、文を書きながらこの症状が出ている。
あーもう何もしたくない。考えたくない。
人の気持ちを考えるってことはこんなにもよくわからないものなのか。
悩まない人間にとって悩んでいる人間の気持ちなんかわからない。
逆もまた然りだ。一生分かり合えない。
自分は具体化しすぎなのだ。人間とか今見える環境とかを具体化しても、精神が辛くなる。
記憶を消し去りたい。
昔からある不満が積もるとこうも気分が落ち込むのか。
降り積もる不安は階差数列のように増え、それが積もっていく。
この問題は解決するのか?本当はどこか解決策がわかっているんじゃないか?
わかっているけど、この先の未知の刺激に耐えられるか不安で仕方ないんじゃないか?
なんでこんなこと考えるようになったんだ?
最近になり、かなり昔から、閉鎖的実家からの膨大なストレスが、
自分の性格にかなり影響しているということが、かなり明確に示すことができた。
納得いく解釈を探しつつけてたのは、
親との思想が合わなかった事実をどうにか納得したかっただけである。
でもこうするしかなかった。
こうしないと、その場に居なくても襲ってくるからだ。
自分の気持ちを書いてそれを見直し、また書く、という生活を数年繰り返してわかったのは、
早々に自分の気持ちに蓋をして、自分の気持ちに嘘をついてきたということだ。
頭の中身をタイプしたり、図に書いたりして、ようやくわかった。
気持ちが落ち着いてくると、文字をよみ、抽象的なものも冷静に理解できる様になる。
他人が書いた物語を見て感動する。専門知識が頭に入って感動する。
俺はここまで何も知らなかったのかと落ち込む。
でも、今までよく生きてきたと、無条件な自己肯定感が芽生えてくる。
そんなことが少しづつできるようになることが、大学に入ってからの生きがいである。
「自分本位で生きたことがない」人が、心から人に好かれるということは難しい。
皆どこかで「他人に従ってもどこか違う」と思い、自分の表現をするのだ。
それを乗り越えてこなかったことが十分、身にしみてわかる。
素粒子でできている肉体に、生きる意味なんて無いってことは十分わかった。
だからこそ本能が指す、好きなことをしていいと思えるようになった。
ほどほどに好き勝手に生きていいと思える。
結局こうするしかなかった。
よくもまあ何日もこんなに長くて下手な文章を書き連ねられたもんだ。
最近落ち着いてみると、なんで落ち着いていなかったんだろうと思ってしまう。
その場しのぎで余裕がなかった。
これに関しては納得行くようになってきた。
書いてみると1ページで終わるような話を、どうしていままで耳にしなかったんだろう。
これは終わったことだし仕方がない。
見直すと、気が合わない肉親と18年間いたことが原因だったと今見返すとよくわかる。
原因がよくわからない鬱と診断されて、4年経ったが、
自分が書いたことは超悲観的だが、これまで経験してきたこと全てではない、
と納得できるのは、自分自身に対する姿勢が変わったからだと思う。
何度か兆しを見たが、今度は本当に、今までになく楽になれそうな気がする。
学校も肉親もただランダムに振り分けられた人間が配置されていただけと、やっと、心から解釈できた。
本を読むのを辞めてしまったのがいけないなあ。
あれもこれも、過ぎたことだと思えるようになれた。
自分の気持ちを書き表さないと立ち止まってしまうことも、よくわかった。
やっと人間らしさを取り戻した気がする。
今までどこか、頭を何かのタイミングでリセットできると期待していた。
まあ解決しようにもできないもんな。
わからないから。でも、もがかないと、掴めるものがあっても見逃してしまう。
自分に近しい人にアドバイスするなら、誰もいない、静かなところで正直な気持ちを書きなぐるということかなあ。
自宅が嫌なら喫茶店でとかでいい。
環境が用意できたら、書き始める。媒体は紙でもPCでもなんでも良い。
初めてみると止まらなくなって、気がついたら4時間以上立ってたということも珍しくない。
時間がもったいなかったとは思えない達成感がある。
見直すと何に悩んでいたかよくわかって、どこか整理できていないことが悩みの種だっとことに気づく。
苦しいとは思うが、自分の内面で見てこなかったことに対して、対面することだ。
対面して初めて分かるものは自分だけの発見であり、自分で掴んだものだから信頼できる。
こうしてどうにもならないことに納得し、物事への姿勢は変えられる。
あと、外部の情報に目を向けるべき。
漫画喫茶で見たことのないジャンルの漫画を手にとって、一日過ごすのも悪くない。
まあとにかく、映画館や図書館など、場の空気を感じられるところに行く。
そうすれば外部に注意が向く。
自分一人がこんな思いをしているというわけじゃないということ、
そうすると、だんだん自分に近しい物がわかってくると、信頼できる著者という対話相手が出てくるので、どこか楽になれる。
結局他のことを考えてもいいということ、その行為自体が自分のためになっていると思うこと。
そんなことで、案外心が落ち着いて、人間そんなもんだと思えてくる。
とにかく、今の気分がずっと続くことはなく、
人は変われるということを知るには、自分の頭で行動することだ。
書きなぐるだけでも、十分自分の頭を使っている。考え方も変わる。
そのことを忘れないでおきたい。
(追記)
終わりに
(内面の気づきを報告するとフィードバックを貰えるのは非常にありがたい)
全体を見ると、自分の内面にあるものがわからなくなっているという状態に対し、
気になるものを自分の中で見つけ、解釈し、納得していくかということをひたすら繰り返していた。
ネットや本にあるものは参考にはなるが、それをすっぽり当てはめて自分が治る。というわけじゃない。
趣味などの気分転換でやっていけるなら、その対処法も良いと思う。
湧き出てくるものは人によって違うし、参考になる意見も人によって違うし、考え方も違う。
これを理解するのは、自分のような人間にとって難しかったし、これが頭になかったから病んだとも言える。
どういう形であれ、このような考え方を獲得することは、生きる上で重要だと思う。
素粒子が逐次入れ替わって意識だけ残っている自分自身の体や心についてどう思っている?
生きる意味なんてないのは分かって、感情なんて長い目で考えればいっときのもので、
たまに絵画や音楽を鑑賞したり、作ってみたり、自然現象の動きを考える。
でも結局死ぬ。
自分が死ぬまでにやりたいことは何?と聞かれれば、まだ認識していないものを認識したい。
家族や教師に不快な思いをぶつけられたり、そういう人間が自殺して、死体を見せられたりして、でもどうにか立ち直れた。
その時無限に湧き出てくるものをどうにかしたくて、自然科学や宇宙物理学や世界史や哲学の本を読み漁り、いろんな小説、漫画も読んだ。
勉強という形でなく、気持ちをどうにか、とりあえず自分の疑問が解決出来るようになるまで突き詰めた。
今までにないダメージを受けて、頑張って自分で考えてきたから、もうそういう経験は慣れすぎた。
話題になるなんてどうでもいい。自分が認識できるのは自分が思う他人のみなのだ。
自分がもっとうまく伝えられるような、物語とかの表現をしたつもり。
文字や絵や音というものから、本能やありそうな経験に語りかけてくる自然現象、その表現が好きだ。
それを追求することを職にしている人はすごいなあと思う。
自分は何も気にしないまま表現するのがやはり好きなのだ。表現は表現として割り切りたい。
年増の研究者とかそんなことを考えるのかなあ。何考えてんだろ。
最近そんなことを考えて書き連ねて、1日が終わる日も少なくない。
今のところやりたいことは、グランドキャニオンとかオーロラとか、
生で見たことない自然現象を、今分かっている自然科学の知識を得た上で見てみたい。
より満足感を得られる行為を続けていきたい!
金は…まあどうにかなる?
後楽器を弾けるようになりたいなあ。
“Black hole explosions?” Nature 248 (1974) 30-31 (引用数 2592)
ブラックホールはあらゆるものを吸い込むだけで何も放出しないと長らく考えられていました。
ところで素粒子理論によると真空でも粒子が現れたり消えたりしていることが知られています。(対生成/対消滅)
ホーキングはブラックホールの表面付近を調べ、これらの粒子が放出されていることを発見しました。粒子が出ていく分ブラックホールの質量が減り最終的にブラックホールは消滅してしまいます。
“Particle Creation by Black Holes” Commun.Math.Phys. 43 (1975) 199-220 (引用数6991)
光さえ飲み込むブラックホールは熱放射をせず絶対零度であるとそれまでは考えられていました。
ホーキングは1. の研究に関連してブラックホールの「温度」と「エントロピー」を導出し、ブラックホールにおいて熱力学法則が成り立つことを示しました。
といういっけんすると奇妙な式でした。
本来ならエントロピーは体積(3次元)に比例するはず。それがなぜか表面積(2次元)に比例している。
ブラックホールーーー重力理論はひょっとして、1次元低い別の理論で表せるのではないか?
こうしてホーキングの導出したエントロピーの式から「ホログラフィック原理」の発見へとつながったのです。
“Wave Function of the Universe ” Phys.Rev. D28 (1983) 2960-2975 (引用数2143)
量子力学ではあらゆる可能性を足し上げて計算します。(経路積分)
一般相対論と量子力学を融合すると「あらゆる時空の”歪み方”(計量)について足し上げる」ことになります。
ホーキングはこの”歪み方”を足しあげるうまい方法を提案しました。
専門外なので間違いがあったらごめんね
適当にInspiresしてabst読んでまとめようかと思ったら
昨日寝る前に、嫁とこんなことを話してた。
嫁「そうだね。あの時、お義理父さんが気まぐれで(長いので略)」
俺「うん。でも、それだけじゃなくて膣の濡れ方や子宮内のわずかなひだ、どっち向きで寝たか、でも変わるよね」
嫁「それもそうだし、射精をどこまで我慢するか、だけでも違った結果になったはずだよ」
この調子で書いてるとえらいことになるので、はしょるが、要約すると
一卵性双生児ですら、違う人間だということ。つまり、Aが体験することはBは体験しない。
例えば、昔、アメリカの実験で、双子のうちAは貧乏な家に、Bは金持ちの家に養子に出す、ということをやったらしいが、
満足な教育も受けられなかった貧乏なAからしたら「なぜ俺の方がBじゃなかったんだ!!」と思うだろう。
同じ遺伝子でもこれなんだから、精子が違えば、もうそれは完全に別の人間だ。
極端なことを言えば、物質に影響を与えないはずのニュートリノのような素粒子の振る舞いが、わずかにでも違えば人類の歴史は変わってしまう。
例えば、ニュートリノ発見のされ方が少しだけ変わって、発見した人の振る舞いがわずかに変わる(例えばコップを置く位置が少しずれて、それを助手がこぼしたせいで電車に遅れる)などしたせいで生まれなかった人が存在する可能性はありえる。
それでも大きな科学の発見や、大きな歴史の流れは、もしかしたらそんなに変わらないかもしれない。
でも、そこで生きている人間は、完全に別の人で埋め尽くされてる可能性がある。
(いや、タイムマシンなんてないのだから、そんな可能性はないんだけども)
つまりそんなわずかな違いで、この子は生まれなかった可能性があるのだ。
素粒子の振る舞いは確率的にしか確定しないのだから、何もなくても俺が存在しなかった可能性すらある。
(いや、可能性はないんだけども、なんと表現するのが正しいのか。。。)
でも、本当にそんな、天文学的どころかグラハム数を使わないと表現できないような確率で俺が存在しているのか?!
と改めて驚愕しているのだ。
どうにも納得ができない。俺がいないってことは、俺的には世の中は存在してないってことだからね。
本当にそうなのか?
などと考えると、かなり強めな無心論者の俺ですら、魂という言葉を使って、こう言いたくなる。
俺「いや、多少の遺伝子が違っても、やっぱりそれは別バージョンの俺だったんじゃないかな〜」
嫁「別バージョン?何それ?」
俺「う〜ん、つまり魂は俺で、器が違うだけ、というか」
俺「だから、親父も俺も同じようなもんだと思ってさ。。。」
嫁「それは無理」
これからどうしよう。
追記:書き忘れてた。魂という言葉を使わずに、うまく俺の言いたいことを表現できる人います?いたらトラバでもブコメでも良いので教えて下さい。
なぜなら、ちょうどそのころ、高校時代から引きずっていた恋が終わって、カネが欲しかったからだ。まとまったカネと名声があれば、失った恋が戻るか、戻らなくてもちょっとは癒されると思った。
ちょうどファンタジー小説の文学賞ができたところで、じゃあこれに応募して大賞をとってやろうと思った。
とはいっても、書きたいことはただひとつしかない。失った恋のことだ。
だから、主人公はふられたばかりの若い男で、それが思いがけず別れた恋人と同じ屋根の下で暮らす、という設定にした。
主な登場人物は5人。2人はもう書いた。残る1人は弁護士かなんかをやってる中年男で、その年齢の離れた嫁さんが主人公の同級生。そして、この弁護士の大学時代の同級生で元カノでリケジョで大学に残って理論物理学やってる研究者。この研究者の研究室のボス博士が、「世界に穴をあける」方法を発見する。サイクロトロンかなんかで加速した素粒子をなんかにぶっつけると、この世界と並行して存在するいくつものパラレルワールドのどれかひとつとつながる穴ができる、というわけだ。
で、これはすぐに最終兵器に転用できる。その危険性を察知した彼女は、それを世の中に知らせようとするが、最初は研究の守秘義務がうんたら、そのうちにこれを国防に利用しようとする政府機関の手によって追われるようになり、ついには生命を狙われるようになる。
そして頼ったのが、弁護士である元カレだ。彼が法律の力で対抗しようと準備するのを知った闇の組織は、ボス博士の研究を利用して、この弁護士の家ごと二人をパラレルワールドにふっ飛ばしてしまおうとする。その家にいる嫁さん、そしてたまたま遊びに来ていた同級生も巻き込まれる。そして最後の瞬間、この嫁さんと電話をしていた主人公が電話回線越しに巻き込まれて、5人が家ごと奇妙なパラレルワールドに飛ばされる。
その世界は、重力が鉛直方向じゃなく水平方向に働く世界で、つまりは地面が垂直の崖。どこまでも続くこの崖にできた小さなテラスに家ごと引っ越しする。そこでなんとも奇妙な日常生活が始まるわけだけれど、その平穏な日常を脅かすようにこっちの世界から刺客が送り込まれ…。
とまあ、プロットだけ並べたらそこそこのラノベぐらいにはなりそうな気もするが、なんせ下手くそだった。ちなみに、この「どこまでも続く崖」の世界にしたのは、当時まだマイナーなスポーツだったフリークライミングに興味があったからで、山場で主人公が決死のフリークライミングをする場面を入れたかったから。そういう意味でも何十年たって感慨が深いものがあるわ。ともかくも、予選すらかすりもしない、惨めな駄作だったなあ。
当時、まだあんまり普及していなかったワープロで書いたんだけど、なにせメディアが1Dのフロッピーディスク(これが後に2D、2DD、2HDと進化していく)だったもんで、データを救出できなかった。だから、もう復元はできない。復元しても、あんまりにも下手くそで、顔を赤らめずに読めないだろうなと思うけどね。なんか思い出したんで、書いた。
「服従」を読んだ。色々とスキャンダラスで、フランスでは結構有名な本らしい。
フランスがイスラム教に支配されるって話なんだけど、主人公が40代の孤独な冴えない大学教師ってのも妙にリアリティあるし、
エログロの絶妙な味付け加減も素晴らしい。フランス人の性格の悪さをいい方向に発揮したなあと思える本。
それから「地図と領土」も読んだ。美術かじってる人間には結構クる内容だったが、成功した美術家の一生を描いていて、こんな人生送れたらいいなと思える内容だった。
劇中に登場する絵画作品や映像作品もかなり詳細に描かれている。自分もこういう作品を作ってみたい!と大いに創作意欲が湧いた。こんな小説は読んだことがない。
作中に作家自身が登場するんだけど、なんかいいキャラしてるし。
この作家は基本的に主人公が似通っているという批判もある。だが、それって別に悪いことじゃないし、むしろ違う主人公を描いている作家のが少ないと思う。
今「素粒子」を読んでいる。出だしからやっぱり惹かれてしまうものがある。
なんというかハマりすぎて、はけ口を求めているのだが日本だとやっぱりマイナーらしい。
ウェルベックは明らかにナボコフに影響されているけど、自分がナボコフ好きなんでそれでまた好印象を持った。(あの嫌味な文体ね。最高だね)
フロイト嫌いな点とか。
彼は昔に精神がおかしくなって精神病院に入院したことがあるらしいが、やっぱり精神がおかしくなるといい作品が書けるようになるのかな?
この作家に詳しい人いたら色々教えて欲しい。