はてなキーワード: 架空とは
この増田はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、
駅前でレンタカーを借り、見慣れた風景の中を懐かしく思いながら車を流していた。
その風景の中に味気ないクリーム色をした小学校の校舎が見えてきた。
「あ、ここ俺が行ってた小学校なんですよね」
「ふうん、そうなんだ。あ、でも『俺の母校めぐり』はしなくていいからね」
里子はそう言っていたずらっぽく笑い、いつものクシャっとした笑顔を向けた。
俺も里子と、その背後に見えるクリーム色の建物を見ながら笑って応えた。
「校舎裏に原っぱがあってカマキリたくさん捕まえてさ」
こういった類の話は得てして、その時間、その土地にいた者以外にとっては
そういった性格的な了解が里子と俺の間にはあったため、冗談を言い合い
じゃれあうようにしながら目的地の温泉地へ向けアクセルを踏んだ。
仮にこの妻を良子としよう。
良子の提案で、彼女が大学院時代にすごした地方都市へ旅行に行くことになった。
「このカフェがとってもお気に入りで、ほとんど毎日来てたんだ」
「あ、ここが昔住んでたアパート。ぼろいけどまだ人住んでるね」
「この飲み屋はね、BGMが素敵なの。あ、今日はお休みみたいね」
軒先のビールケースと使用済みのおしぼりがただじっと回収を待っている。
良子は、里子が言うところの『俺の母校めぐり』をほぼ無自覚に、
いやここでは無邪気に、と言った方が正確に思えるが、行っていた。
良子を愛しているし、俺にはないその無邪気さが
より一層彼女を魅力的にしている数多くの要素のひとつだということも分かっている。
ただ、たまに、里子のことを懐かしく焦がれる瞬間がある。
岐阜県の30代男性に「FXの自動売買システムのモニターに当選した」「必ずもうかる」などと電話で架空の投資話を持ちかけ、現金約130万円をだまし取ったなどとされる。府警は7人の認否を明らかにしていない。
府警捜査2課によると、庭瀬容疑者らは、取引で使用するスマートフォンのアプリを加工して、顧客に利益が出ているように偽装していたという。実際に取引は行われていなかった。府警は投資に興味のある人を標的にしていたとみて調べている。
ハーマイオニーは朝刊を読みながらつぶやいた。
自分は鬼滅の刃アンチでもファンでもないものである。が、鬼滅にクソデカ感情ポエムをしたためる者である。
にわかファンでいられなくなった者として、アンチにだけはなりたくないものとしてポエムを書いて去ろうと思う。
黙って去れよと自分でも思うが、なんか大げさなテンションでお別れを世界に発信しないとずるずるひきずってタチの悪いアンチになりそうなのでクソデカ感情の供養として誰かがみてくれるんじゃないかという期待と誰も見ないから大丈夫という慢心のバランスが最高なはてなに投稿させてもらう。
まず初めに、作品及び制作陣、宣伝も含め関わる全ての人におめでとうございますを述べる。正直ここまでのコンテンツになるとは思っていなかったので、凄いとしかいいようがない。おめでとうございます。
次に、鬼滅の刃に初めて触れたのは去年くらいで、その後もファンだったかといわれると怪しいし、ファンが闇堕ちしてアンチになろうとしているというある種同情できる立場でもない、本当になんだお前という立ち位置の者でしかない。我ながら苦しんでいること自体が意味不明だ・
私にとって、鬼滅の刃は動物園で大事にされているうつくしく高級なうさぎのような作品でした。一見同じようなうさぎはいるけれど、一線を画す上等な毛並みで手入れも一級品。柄も独特で動きもダイナミック。動物園まで見に来るにふさわしい素敵なうさぎでした。新聞の一面を飾ってもおかしくない、どこに出しても恥ずかしくない立派なアニマルだったのだ。私は特別うさぎが好きではなく、詳しくもなかったけれど素人目にもその評価はゆるぎなかった。でも、世界で数頭しかいない絶滅危惧種とかではなかった・。
アニメも一挙で見て漫画も借りて読んだけど満足感と共にブラウザを閉じて、Twitterを空けてキーワードを打ち込んだり連続ツイートをしたりすることはなかった。
いい作品だと思う。でもどうしても、ワンピースやBLEACHやジョジョと同じカテゴリには入れられない。
それらの作品の持つ、本当に世界がもう一つあるような、悪魔の実やスタンドや斬魄刀といった架空物が実在の遠い国の首相の名前と同じように一般名詞として存在感のあるものと感じられる気分にはなれなかった。面白いとか面白くないとかそういう問題じゃなくて、コンテンツとしての質量の大きさが違うのだ。現実の世界観を侵食してしまうような、作中世界の物理法則や法律や人種差別問題が好き嫌い以前に自然に頭に入ってしまうような、そんな性質の作品だと思えないのだ。もっと素朴で、たまに頷くような、そんな作品だった・
全く関係ない作品だけど、ちょっと前に終わったサンデーのムシブギョーとかと同じ立ち位置だった。大きなヒットはしなかったけど、メジャー少年誌に載るにふさわしい面白さで、派手じゃないけどグッとくるシーンがあって、キャラのことを穏やかに愛していられた。
でも、今の鬼滅の現状を見ると視界がぐるぐるしてとてもとてもいたたまれない気分になる。
高級ですばらしい兎を、そろそろ種の存続が怪しいホワイトタイガーとして売り出しているような違和感。
そんなに無理をしなくても立派な価値があるのに、これこそ当世イチのスーパーアニマルでござい、と売り出しているようなちぐはぐさ。
そういう売り出し方やマスコミを批判するつもりにもとてもなれない。不景気きわまる昨今、ここで売らなきゃどうするのかとすら思う。迷惑だとかしつこいとかいう記事を見るたびに、難民船のSOSに文句をいう様なものではないかみたいな感想が出る。理性がたしかにそう叫んでいるのだ。
でも、それでもジブリを越えるかもといわれると宇宙を背景にした猫のような顔になってしまう。
そんなことを考えている自分も嫌だ。好きか嫌いかならいいものの、それとは別に「作品としての格」みたいな厳然とした基準を勝手にもっていたことを痛感する。
スラムダンクと黒子のバスケが比較された時、どちらも素晴らしいといったのはきれいごとだったのだと、今は思う。
自分は黒子のバスケが大好きだ。初めて単行本を買い、はじめて二次創作を書き、コラボ商品を欲しがり、劇場へと足を運んだ。今でも心の大事な部分を占めている作品である。しかし、もしも黒子のバスケがニュースで「スラムダンクを越える」と言われていたら、きっと同じような気持ちになっただろう。個人的に思い入れがあるぶん、もっと苦しかったかもしれない。ファンの誰かが「スラムダンクよりすごい」というたびに「それは作品の為にならないからやめてくれ」と思ったのは、謙虚さへの希求ではなく比べられたら困るというある種の逃げだったのだと思う。
私はこのところおかしい。もはやニュースから紅蓮花が聴こえれば耳を塞ぎたくなり、緑と黒の市松模様が目に入ればブラジャーファンアートだとしても笑顔にはなれない。
バラエティにゲスト出演する花江さんの笑顔すら、もう穏やかな気持ちでは見れない。
土曜プレミアムの特別編は二週ともフルで見た。いい作品だった。一緒に見ていた初見の家族の質問にも逐一答えて、CMに入れば解説をした。最後まで楽しめた。どうだ私はファンなのだと胸を張れるんじゃないかという気分になった。でも、翌朝のニュースで鬼滅を見ると、やっぱりくるしかった。
自分にはもうこの熱狂の内側に入ることはできないのだと実感して、さびしさが半端ない。妬ましさと惨めさで、ファンの泣けたという素朴な感想まで胸が痛くなる。
進撃の巨人も、鬼滅と同じようなキャンペーンの経緯で見た。ハマったか、好きだったか、と言われるととても楽しませてもらったけどファンといえるほどのめりこみはしなかったと思う。でも「とんでもないぞ」と思った。好き嫌いじゃなく、えらい生き物が発見されてしまったと思った。世界が変わってしまうのも仕方ないと納得せざるを得ないような、そんな理不尽なエネルギーを持つ作品だった。
鬼滅にはそれはなかった。何度見ても、高級で毛並みがよくてすてきなうさぎだった。それから何度も鬼滅の話題のニュースを見て、うさぎの毛並みすら褪せてみえるようになってしまった。
グッバイ鬼滅。自分の知らないところで幸せになって、というとおかしいのでみんなを幸せにしてください。いつかこんなめんどくさい気持ちが死に絶えたら何らかの形で気持ちよくお金を落とします。
日本語においては「架空の物語=フィクションであるストーリーのなかの配役(主人公だったり脇役Aだったり)」って意味で
主につかわれている。とくにキャラ、キャラと短縮形でよばれるときはその使われ方が多い。
架空の人物だと絵師によっては正面と横向きとで髪型がくいちがう(cf.ドラ●もんのスネ夫)なんてことが普通に有り得る。
でも記号で共通性があれば同一キャラとみなされる。「口と前髪が尖っていてツリ目でcvが関智●の小学生男子がドラ●もんにでてたらそれはスネ夫」
そのとき資料集をトレスとか、作画監督に統一的な絵がらになるように修正でもされていないかぎり
だから二次創作でキャラを描くときはただちに著作権侵害とはいえない
(余談だが二次創作と二次的著作物とは根本から違うと解釈すべきだとおもう。法文よんでみろ)
そんで増田のいうリアクション集ってのも一応内面の設定に関する話ではある
内面なんてものは外見とくらべるとあまりとっちらかったことにはできない
たとえば意思の疎通がめちゃくちゃ難しい、理解できない理由で勝手に怒ったり泣いたりしているキャラクターをつくったとしても人気がでないからだ
逆に恋愛に奥手な高校生くらいのよくあるキャラはトラックにひかれて転生するやつみたいな定番になっている
どちらにしても、このキャラはこういう外見でこういう内面をもっているはず、というのは膨大な枚数のセル画にcvつけたりして視聴者を洗脳することにより脳内にリアルに描き出される幻=脳内映像=裁判所のいう「アイデア」だ
鉛筆をもって手をうごかして脳内のもやもやを紙に吐き出して、始めて著作権の土台に立てる
医療ドラマや刑事ドラマも医療や警察への誤解・偏見を生むし、なんなら不信感すら醸成するけど、だからといって制作側に適切な描写をするよう求める意見はあんまり聞かないよね。
それって結局、ドラマで描かれる描写がファンタジー(非現実)であることを視聴者が理解してるからだと思うんだよね。
じゃあミッドナイトスワンの観客は性別適合手術を理解してないのかというと、そんなことはないと思う。
今ならネットでいくらでも調べられるし、肌感覚として「本当にSRSの後に『サボっちゃった』せいでああいう予後になるのか?」と疑問に思うくらいはできるはずだから。
ということは、ミッドナイトスワンの制作側にMtF SRSの『正しい』描写を求める人達は、架空の作品における描写を無批判に信じ込む人達への配慮を求めていることになる。
要するに、「トランスジェンダー・性同一性障害者を作中に登場させる時は、バカに気を遣って正しい表現だけをしろ」という主張になるわけ。
それおまけでかくんじゃねえとか本編でかけと言うんだったら早く脳内から鬼滅という存在を消した方がいいね笑
愚痴垢に愚痴を言う人のことを頭おかしいみたいに言っているけど
だったらもはや何が来ても怨毒しか吐かないジャンルのキャラのモンペ(架空の存在を擁護する活動家笑)するのやめな~?笑
アニメで黒死牟戦やってもグチグチ言ってサジェスト汚染するんでしょ笑笑
商業誌の単行本の幕間を垂れ流しとか夢小説とか言うほど精神が荒んでるんだったらもう鬼滅がノットフォー・ユーだったんだよ笑
わざわざ嫌いなジャンルに住み着いて、ワタクシが作者・編集者だったらこうする!!てぼくのかんがえたさいきょうのきめつのやいばやってるのを見ると
原作でやったともやっていないとも書かれていないことをやったと断定してクソ野郎認定してヘイト創作してる感じ笑笑
【この日記はフィクションです。登場する人物・事象・名称等は全て架空であり、実在のものとは一切関係ありません。】
6年間、探し続けていた女の子がいました。
勝ち気で、自信に溢れ、最強を自称し、経験に足り、緊張を度胸と努力で飼いならし、誰より自分に真剣な――
探し続けていた女の子でした。
夏の終わりに出会って、冬。
春。夏。冬。春。秋。春。秋。春。秋。夏。
長いのか短いのか、判断がつかなくなる程度の時を過ごして、
初めて振り返ってくれた彼女は、
想像とは少しだけ違う形姿をしていました。
その日から、寝る時以外はずっと彼女を見て、彼女の言葉を聞いていました。
仕事をしている合間、お風呂に入っている間、食事をしている間、家事全般、日常の可能な全ての時間で。
その全ては何一つ無駄ではありませんでした、が、実を結ぶことはありませんでした。
眉間から9cm。そこにいる、少しだけ形姿の違う彼女は、何日も楽しそうにこちらへ不敵に笑っていました。
週末、友人と共に晩酌を楽しみ、少しだけその事から心を離しました。
家に帰った後、眠る気にもなれず、出会ってから彼女に貰った言葉を1つ1つ確かめます。
夏が去り、日が沈むのは早いもので、結局丸1日経ち、静かに目を瞑りました。
東から差し込む日差しと、早足にやってくる冬の寒さに起こされた今朝。
彼女の声は聞こえなくなっていました。
これは嘘です。
ただ少しばかり、聞こえてくる距離が変わりました。
折り合いの付け方としては上等ではないのかもしれません。
忘れない。でも思い出さない。
掛け持ちは不利じゃない。取り巻く全ては輝く糧に。
その言葉を、改めて噛み締めました。
そうしてまた1つの季節を迎え、
どうしても食べられず、冷凍していたカレーを、やっと火に掛けました。
(了)
男性向け創作の女キャラにやらせるのは主体性が描かれていてもNG
⇒ラッキースケベや覗きなんて考えられないハラスメント、NGに決まってる
都合よく去勢され自己決定を奪われた妄想の産物イケメンが壁ドンするのはOK
現実で壁ドンとかマジ勘弁(ファンがジャニタレにされるのがギリOK?)
駆け引き()
⇒女性が「イヤ」と言ってるのに無理やりやるのは強姦(フェミニスト)
女性が「イヤ」と言ったから何もしないのは空気読めないヘタレ(恋愛脳女)
女性が「イヤ」と言っても強引にやって許されるのは去勢された女向け創作のイケメン
なんならレイプも許される
なんの特徴もない男が惚れられるとかありえないし
女向け創作のイケメンはなんの特徴もないたぬき女に惚れる聖人だけどー
女を男みたいに活躍させる
⇒置き換えただけでそれは男
フェミニズムのために、創作物が改変されるかもしれないことに、言いようのない恐怖を感じている。
女性が女だからという理由だけで不当な扱いを受けるのは当然嫌だし、男性が男だからという理由だけで不当な扱いを受けるのもおかしいと思う。
そういった、現実に蔓延る性差別を無くしていくためのフェミニズムは、支持している。性による違いは出来る限り理解し合い、なおかつただ性別のみによって差別されることのない世の中になっていってほしいと思っている。
でも、そのために創作物を捻じ曲げるのは、恐ろしいと感じてしまう。
ここで言う創作物は、フィクションを取り扱ったエンタメ作品くらいの意味合いだと思ってほしい。エンタメ作品にも色々定義があると思うけど、「こうしなければならないというような教材ではなく、視聴者読者プレイヤーといった受け手が『楽しむ』ことを主目的とした作品」くらいの気持ちで、この文章を書いていることを念頭に置いてほしい。
ジェンダー観が見直されつつあり、従来の慣習に対して、こんな扱いは不当である、性差別である、という声が上がるようになった(これは良い)からか、創作物に対して向けられるこんな声が目に留まるようにもなった。
「この作品の○○という表現は、ジェンダー観が古いからやめるべき」「この作品内で女性を活躍させるために□□するべき」「この登場人物の△△という価値観は男尊女卑だ」etc.
自分には少し理解が出来ない考え方であるため、あくまでも想像だが、このようなことを主張には「この創作物を真に受けて、現実に同じ考えを持ち込む奴がいるから、創作物を正した方がいい」という考えや、「この創作物内の女性を不当な差別から救わなければ」、「この表現によって自分あるいは他者が傷付く」というような考えがあるのではと思っている。間違っていたらごめん。
私は、前者の意見には「正すべきは創作物ではなくて創作物内の話を現実に持ち込んだその人本人や、世間のの考え方だ」と思うし、後者であるならば「救うべきは架空の存在ではなく現実の人間だ」「誰も傷付けない表現は無い」と思っている。
フィクション内の誤った価値観が創作物に氾濫することで、現実への影響を危惧する気持ちは分かる。
よく議論される題材として「暴力及び性描写のある創作物の影響で、犯罪が誘発されないか」という話がある。この辺の話はこれまでにも散々議論されているので割愛するが、私自身の個人的な見解は「影響があろうがなかろうが、最終的にやってはいけないことをやった人間が圧倒的に悪い」だ。
暴力も、性犯罪も、性差別も、やってはいけないことをやった人が悪い。その行為が現実に可能かどうか、その難易度を問わず、やってはいけないことをやってはいけないのだ。その責は当人にある。
所謂良くないジェンダー観に基づいた描写で、傷付く人がいるのも理解できる。
フィクション内の人物に対して「こういう扱いはこの人物を蔑ろにしている」と言う人に対しては「なんでお前がこの人の感情や幸せを決めつけるんだそれこそ偏見だろうが」くらいの気持ちで憤るが、例えば同じような扱いをされた経験がある現実の人間が辛い感情を追体験して傷付くことは想像に難くない。
それはもう、「この人物は貴方ではない、この扱いや言葉は貴方に向けられているものではない」と言う他ない。出来れば誰にも傷付いてほしくはないが、正直、「誰かが傷付くから」という理由で表現を止めさせることは非常に難しい。
誰もが傷付かない表現は無い。私自身、「こんな表現で傷付く人はいないだろう」というような表現が、一度見ると尾を引くレベルで苦手であるため、創作物で傷付く人の感情も理解できる。
世間的に評価され、CMで何度も流れるドラマの感動的な一台詞が、しばらく脳にこびりつくくらい嫌だった。でもだからと言ってそれを無くしてほしいとは思わない。
世間的に認められているドラマだからではない。自分の感性が少数派だからではない。
私が苦手だから、嫌だから、という一個人の感情で創作物を捻じ曲げたり、押しやったりすることが認められてしまえば、この世から創作物が消えてしまう。
誰も傷付かない表現、創作物は無い。どんなに「誰にとっても傷付く要素の無い、正しい物語」に見えたとしても、傷付く人はいる。少なくとも、私はそれに傷付いたことがあるから。
文句は言ってもいいと思うけど。嫌だと思う気持ちを抑圧してほしいとは思わない。それを理由に創作物を変えたり無くしたりしようとすると、キリが無いのだ。
思ったよりも長々と書いてしまっているが、要は「それがどんなに正しい思想であっても、現実の人間の思想のみを理由に創作物を改変することが認められれば、創作物の世界は完全に変わってしまうのでは」という恐怖を感じているということが言いたかった。
「現実と照らし合わせたときに正しい表現、正しい倫理観である」ことが、創作物の良し悪しを決める価値観となってしまうことが恐ろしい。
これは何もジェンダー観に限った話ではない。
ジェンダー観的に正しい表現であることが、正しい創作物の基準であることになれば、きっと、創作物の世界は一変するだろう。性や暴力、争いを扱うような創作物も、正しく、倫理的で、現実世界のお手本となるようなものであることが求められるようになるだろう。
ジェンダー観を正す思想がどんなに正しいものであっても、それに基づいて創作物を改変することが認めれれば、それ以外の分野においても、基づくものが正しい思想であれば創作物を改変可能になるからだ。
きっとそれが、これから先の社会に求められる「こうあるべき創作物」なのかもしれない。そういう創作物に満ちた世界が、正しいものなのかもしれない。
そして私が愛した創作物は、私を楽しませてくれたフィクションの世界は、おそらくそこには無い。
それが正しい世界だと言うのであれば、私が好きになったものが間違った創作物で、それがあるべき姿になったのだと言うのであれば、私も淘汰されるべき間違いなのだろう。それが正されるということなら、仕方がない。
ただせめて「ジェンダー観の正誤が創作物の価値基準であり、創作物は現実の手本となるよう正すべきという自分の主張は正しいものである」と思っている人達が、ほんの少しでも「本当にこれでいいのだろうか」と考える切欠になってくれたらいいなと思う。
例え真に「創作物を、現代的な正しいジェンダー観に合わせること」が正しい思想であっても、自分の思想が絶対に正しいものであると信じ込むことは恐ろしいことであるから。
私は、現実世界のお手本になるようなジェンダー観の作品も、そうではない作品も、平等に創作物という舞台に上がってほしいと思っている。全ての創作物が、現実の見本になる必要はない。だって創作物はフィクションなのだから。
勿論フィクションなら何をやってもいいという話ではないが、フィクションなら必ず正しくあるべきだという話でもないだろう。私は、そう思う。
偉そうに書いてしまったが、私も自分の考えが絶対に正しいものだとは思っていない。きっと間違っているだろう(そもそも、良い方向に改善しようという思想に反発している時点で、間違っているのは私の方だろうという不安も当然ある)し、もっと良い考え方もあるだろう。
だからこれを見て、「こんな考えは杞憂だ」「間違いだ」でもいいから、現実の思想のみによって創作物を改変することの是非を考えてみてもらいたい。正直滅茶苦茶に叩かれて炎上してでもいいから、一石を投じたいとさえ思う。
私一人が、自分の中でぐつぐつと考えを煮えたぎらせても良い結論は出ない。ああでもないこうでもないと、考えを走らせてくれる人がいてくれればと思う。
そして、現実のジェンダー観がより良いものになることと同じくらい、創作物の未来が少しでも良いものになることを願っている。
<9/22追記>
反応ありがとうございます。
言いたいことが上手く伝わっているような反応も、いないような反応もありますが、とにかく少しでも誰かに考えてもらえたり、考え方のヒントをいただければと思っていたので、どれもありがたい限りです。
私の書き方が悪いために、認識の齟齬がありそうな反応に対する擦り合わせは、大変申し訳ありませんが割愛いたします。(まだ見てくださっているかどうか不明なので……)
>銀英伝
すみません、銀英伝は未読・未視聴のため、その話ではないです。でも件の騒動は話に聞いていて、自分の不安に近い話だなと感じました。
元になる原作がきちんと残されていて、時代に合わせて物語表現のレパートリーが増えるのは私も良いことだと思います。でも現在進行形未完の作品の変容だと、これで本当にいいのだろうかと思わざるを得ない部分があります。
例えば「主人公の男の子が、幼馴染の女の子を救うために戦う」という話があるとして、「戦う力を持たない女の子を守りたいという、単純な動機のために懸命に戦う少年の姿を描く作品」だったものが、やがて「女の子だから守りたいという動機は不純だ、女の子に戦う力が無いのは女性軽視だ」という声を受けたことで「幼馴染と主人公が平等に戦う作品」へと変容していくのも、時代の価値観に合わせた変化なのでしょう。(勿論、元々物語の構成として、やがて後者へ変化する予定だった場合は別です)
「戦う力を持たない女の子を守りたくて戦う男の子の物語」も、「女の子と男の子が平等に戦う物語」も、どちらも素敵なストーリーであって、どちらもあっていい物語のはずだと思うのですが、前者のストーリーは現在の価値観的に間違っているからという理由で、後者に方向性を修正していくべきであるという変容の流れを、受け入れ難く感じてしまいます。私の考え方が凝り固まっているからなのかもしれませんが。
前者の物語が前者の物語として完結していて、リメイクなどで後者バージョンの物語が展開されるなら、単純に「リメイク後もいいけど、私はリメイク前の作品が好き!」で済むんですが。難しいですね。
>ジェンダーだけじゃない
私もそう思います。たまたま私の周りでジェンダーに関する話題が活発だったので、ジェンダー観に関する理由を元に表現やストーリーを変えてほしいという声が多く見られただけで、どこにでもある話だと思います。
切欠はジェンダーに関する話でしたが、それを元に「どんなに正しい思想であろうと、それを理由に創作物を現実のお手本のように整えていくことを、まるで創作物を正しく直してやっていることのように認識していて、本当に大丈夫なのか」と、少し立ち止まって考えてみたかったのです。
>正しいアップデート
必ず、全ての創作物を問答無用で正しくアップデートさせなければいけないのでしょうか。正しいアップデートであれば、創作物に現実世界の正しさという価値基準で手を入れてしまっていいのでしょうか。その必要が本当にあるのだとしても、その改変の先がどうなってしまうのか、私個人としは少し不安に思ってしまいます。
そうですね。批判も自由ですし、それを元に表現を変更するかどうかも自由ですが、表現を変更しなければ「現代の価値基準において正しくない、誤った作品」として評価され続けてしまうのは、なんだか勿体無いと感じてしまいます。創作物も商売の一つなので、売れるためには大多数の評価を取り入れないといけないのも理解はできるんですが……
私が好きな創作物も、「価値観が古い作品」「男尊女卑の作品」「誤った価値観を推奨している作品」というレッテルを貼られただけで終わっているので、そういった現実に照らし合わせた基準にとらわれない評価もなされたらいいなと願っています。
現代の人間にである私には充分魅力的な人物(ただし現実にいたら嫌な奴だと思いますが)に思えるのですが、現代の人間にとって魅力的な人物とは「現実の現代的な価値観において、現実にいたとしても魅力的に思える人」なのでしょうか。
フィクションでしか存在しえない魅力的な人物も、現実の正しい思想においては認められないからという理由で消されてしまうのでしょうか。創作物上でしか愛せないような登場人物が好きな人間としては、少し不安に思ってしまいます。
全くの杞憂かもしれない私個人の思いに対して、忌憚ないお話をいただけて大変助かりました。
自分の考えを一つの文章のみで齟齬なく伝えることの難しさも痛感しましたが、これだけ沢山の方に多角的なご意見をいただく貴重な機会となりましたこと、重ねて感謝申し上げます。
ちなみにこの件で増田投下は初だよぉ。他の増田諸氏とは違うから(目の裏原っぱじゃなきゃ読んでで分かるぞ)、よろしくねぇ~
んじゃ、今日は表題通り、津田教授があの時感想をどう言えばセーフだったかを考えていきたいと思いまーす。
大学で教えている、少なくともアカデミックな権威であることを誇示しています。「?」がついてるから無効なんてぇ言い草は通りません。しかも、リンク先を見れば、教授であることはすぐわかる。
さらに本人の言では「匿名でやってたけどこっちに変えた」との供述があり(https://twitter.com/brighthelmer/status/1305058021031030785)、
https://twitter.com/brighthelmer/status/1304248768896921603
銀河英雄伝説のリメイク。3期以降も続くのかな。もしそうなら、男女役割分業の描き方は変更せざるをえない気がする。旧アニメのままだと、さすがに時代にそぐわない。作品として大変に面白いのは踏まえたうえで。…なんてことを書いたら炎上するかな。
まず注意したいのはこの時はまだ、3期情報が来てないんだよねぇ(後日3期発表有)。でもキリがついたから発表は間近そうでもある。
もしそうなら、男女役割分業の描き方は変更せざるをえない気がする。
「変更せざるを得ない気がする」。これ、主語は何なんですかね。気がしている主語は津田だけど、津田に思わせているナニモノか、即ち教授様より「大きな力」が示唆されているわけです。さらに「変更せざるを得ない」先は直近で割りに見えてる代物なんですな。
この「旧アニメ」が何のことなのか(OVAなのか、2期までのノイエなのか、津田の頭の中にだけある架空劇なのか不明)ですが、時代にそぐわないと断言。時代ですよ時代。つまり、国民ひいては世界の総意にそぐわない、そう断言するわけです。エビデンス?社会学にそんなものねぇよ!
これが個人の感想、なんですかねぇ。
ただの感想に見えるが、そんな簡単なものをわざわざ置く訳がないじゃないですか。ツイートを見たファンに「面白いものの続きがあるかどうかは、国民総意に背かないかどうかにかかってるんだぞ?」という念押しです。そうと思うならば、変えろ、さもなくば突撃隊を出してお前らを蹂躙する、お前らそれ守る価値あるよね、じゃあおとなしく城下の盟を結んで屈服しろよ?という言外の恫喝のためにわざわざここに置かれているといっていいでしょう。ここだけ取れば個人の感想ですが、全体を通した場合、意図のある発言で感想ではありません。
津田もかつて
https://twitter.com/brighthelmer/status/1169101430797389824
ヤクザに「月が明るい夜ばかりだとは思わないほうがいい」とか「お子さん可愛いですよね」と言われて、それは純粋に事実の表明であるから脅迫にあたらないと考える人が世の中には多いのだろうか。言葉の意味は文脈によって強く左右される。
ま、ヤクザじゃなくたって、「月夜ばかりじゃない」っつったら、普通恫喝ですけどね。お子さん可愛いも見知らぬ人間が何の文脈もなく言ったら、害意の告知でしょうよ。
で、津田は銀英伝に「可愛い子だねぇ」と言って納得できるほどの仲だったんでしょうか?検索すると
あれれ?一っ言とも触れてませんねぇ?
つまりは、おしめを変えて飯を食わせ好みも嫌いもよっく知ってる知り合いの小父さんが言った「可愛いねぇ」ではなく、通りすがりのおっさんがニソニソしながら言う「あの子、可愛いねぇ。さらわれないか心配だねぇ(ニチャァ」なんですわ。これ、文字通りの可愛い=「面白い」ですか?
…なんてことを書いたら炎上するかな。
これがまた小狡いから、燃料を投下してるわけ。しかも炎上する主体がどっちだか書いてないよね?ノイエが燃えてもこの予言は実現される。上手いなぁw
これこそチェーホフの銃で、ここに炎上と書くことによって、炎上を起こす意思があることが明確なのです。ただの感想を素人さんが言う時にわざわざこんなこと書かないよね?
つまりこいつは、燃えるか燃やされるか、完全な決闘モード宣言ですよ。勝った気になってますけど。別してパブリックエネミー「社会学者?」を名乗る以上はねぇ。放火の意図は、津田をファシストにしたい意図より明瞭にダダ洩れなのであります。
承認欲求もあろうから相互フォローと同アイコン使用までは認めます。さらに言えば、いっちょ噛みでないことを示すためにせめて何を視聴してるのか常々感想垢に一言書けば「ああ、初回から見てるな」というのが分かります。
さらに、時代とか大仰な主語を持ってくるようなことは止めましょう。お前の感想はお前の脳からしか出てなくて、それはお前ひとりの意見です。
そうすると、まあこんな感じすかね
銀河英雄伝説の新作。3期以降もあるといいな。
もしそうなら、僕としては男女役割分業の描き方は変えてほしい。2期のままだと、ヤンとフレデリカとかちょっと違和感があった。面白かったんだけどそこだけ残念。3期が早く見たい最終回だった
120台ぐらいのマシンを使って、SQLを処理するとだいたい 1分ぐらいまでは短くなるわけです。10台で1時間ということは。
かけざん、わりざん。
利用者臭がですね、7000万世帯+法人利用というのがありまして
+セキュリティー上 存在しない架空のデータというのもありまして
SQL1個で120台ぐらいで1分、というのと 7000万世帯で 10台で1時間というのは同じことをいっていてですね。
Google先生なんかは1秒を切ってくるわけで
サーバ台を察してほしいのとSQL1個で、これということは、データが7000万世帯ということと、利用者がですね 何個のSQLが同時に走ってですね