はてなキーワード: 拡散とは
https://twitter.com/decinormal1/status/1417082065032335363?s=21
私が考えたシチュでは、元ツイとは違い、見てるだけの傍観者も存在する。
これを見てて思ったのだが、見て見ぬふりをする人は犯罪者という理屈を使えば、進学校に行こうとするために、大人しく傍観に徹した学生を絶望させることができると思った。今まで努力してきたとしても、クラス全体の名前を公開して、それがさらに拡散したら進学先は入れたくなくなる。だけど、残念ながら傍観者は加害者だという理屈は強い。自分のために無視をしたことは事実ではあるのだ。ひきこもり、もしくはレベルが低いところに行って後悔することしかできない。最高や。エロい。
小山田圭吾がイジメ記事で五輪作曲を辞退することになったのをTwitterとかで「20年近く拡散続けた人の成果」みたいに褒め称える言説が拡散している。
いや、コピペ拡散の成果ならもっと前に謝罪させることができているし、NHKも教育番組のメインに起用することもなかった。
どんだけ内容が拡散しようとも、公の謝罪はなかったし、人前に出る仕事も尽きなかったからこその五輪起用である。
コピペ記事だけで五輪開会式直前にメインスタッフ変更ということは日本社会的にあり得ない。
なぜ今になって小山田圭吾にイジメ記事で謝罪させ、五輪辞任させることができたかといえば、#MeToo以降に世界の常識が変わったからだ。
#MeToo運動では、どんなに過去のことであろうとも被害者は傷ついていることを表面化した。昔のことでも告発して加害者に制裁を加えられる風潮ができた。
BLM運動を通じても、差別に正面から反対し、弱者が自分の人権を堂々と訴えられるようになった。
そうした世界的ブームに、日本を含めて多くの政府、企業が賛同する社会に、ここ数年で劇的に変わった。
アメリカでは何十年も前のハラスメントや差別行為で多くの大物有名人が失脚した。
韓国でも今年五輪代表選手に昔のイジメ行為が発覚し代表剥奪となった。
そうした流れで小山田圭吾の五輪起用が発表され、炎上し、失脚した。
だから東浩紀のような普段からポリコレ批判をしていた者は早々に逆張り意見を投稿したのである。
一方で昔からのコピペ自体は2chを中心に拡散していたこともありネット右翼、反フェミとも親和性は高く、彼らが小山田批判を投稿しているように、アンチ・ポリコレたちでも騒動に対する見方は分かれている。
悪質なのでこのまま各企業から締め出されてほしい。記者を名乗ってる分まとめサイトより悪質だと思っている。
なお行動を反省せず開き直ったり出禁後に各企業に対してアンチめいた捏造記事&発言がみられるので、任天堂に対してそういった発言もしくは記事がではじめたら何らかの注意を受けたと思ってよさそう。
2015年に新作発表会の招待状に書かれていた情報(DQ11制作発表)を公式発表前にTwitterに投稿したため。
2018年に写真撮影およびSNS拡散が許可されていない講演(FGO関連)の情報をリアルタイムでTwitterに写真付きで投稿したため。
私は主張したい。
決してメインストリームになれない「陰キャ」上がりの当時の業界人がメディアを介して間接的なマウンティングを行い「陰キャ」の聴衆が受け入れた結果なのである。
実際のところ、小山田が過去に障害を持つ同級生を虐めたか否かは大した問題では無い、何故なら日本全国で小山田の行為に類似したいじめはどの年代でもどの地域でも珍しいとは言えない内容だからである。
だが、普通はそんないじめの経験は、武勇伝としても自慢話としても公の場で話す類の内容では無い。
何故、小山田は25年前に積極的に悪質な虐めを全国誌で語り、その内容がそのまま出版され、多くの読者が受け入れたのだろうか?
その雰囲気を醸成したのが体育会系文化の下位互換としての90年代サブカル文化だったのである。90年代サブカル文化は、00年代以降のオタク文化とは似て非なるものであった。
00年代オタク文化はハレとケの、褻に当たる存在であることを自認しており、また、それは属性ではなく役割である。つまり、普段は「陽キャ」として振る舞う一般的な大学生が熱烈なオタク文化のファンになることも、役割であるが故に成立するのである。
90年代サブカル文化においては、これは成立しない、何故ならサブカル文化は属性であるが故に、メインストリームになり得ない存在であることが所属と同時に確定するからである。
多くの者が成長と共に就職等で、サブカル文化という属性から自然に離脱することにはなるが、留まり続ける者もいる。それが、メディアを牛耳る業界人だ。
今でこそ高収入で社会的地位が高いイメージだが、当時、サブカル文化属性の業界人はメインストリームに対して劣等感を抱いていた (※ ハリウッドでも似た話があるので、これは珍しいことでは無い)。
この劣等感は金銭的な収入では満たされない感情だったのだろう。社会的な地位が上がるにつれてサブカル属性の業界人は、メインストリームの体育会系の強者に匹敵するようなエピソードが欲しくなる。
しかし、人間は正直な生き物なので、完全に空想の嘘は付けない。結果生み出されるのが、90年代に公放送や出版物で繰り広げられた下劣ないじめ体験談につながった。
これは、小山田だけの問題ではない、小山田の経験を自らと同じサブカル属性の強者の武勇伝と位置づけ誇示するように掲載した雑誌関係者、自らと同じサブカル属性の英雄の功績として希望を感じた読者は、皆等しく文化を醸成した因子なのである。
陽と陰が協調し一つの目的に向かう初めての機会は、学生時代の文化祭である。(※ 24時間テレビが近いと思うかもしれないが、24時間テレビは、テレビ業界に所属している者が中心であるためにサンプリングに偏りが生じている)。
五輪はこの文化祭以来の、初の世代を跨ぐメインストリームと非メインストリームの協同作業だったのである。
この機会に、90年代サブカル文化の代表的な負の象徴である、小山田の過去が全国規模で炙り出されたことは決して偶然では無い。
少なくとも拡散されているようなオナニー強要やウンコ食べさせる描写はなく、
Twitterはある発言が拡散、言及されればされる程正義マンの目につきやすいようになっているので、「理性的な人々を対象とした煽り」に対する理性的な反論もまた「叩ける大義名分がある不用意な発言」が正義マンの観測範囲に入りやすくなる機能を持っている。これは他人に見えるし残るしアーカイブできる場所で発言をする限りはどうにもならない。
たとえるなら治安の悪さよりも土地の気候の悪さや土壌の悪さに近いんじゃないか? どうやっても在り方としてそうなっているんだからやはり「そらそうなるだろ」としか言えない
先に言っておくけど、以下の内容はただの愚痴でお気持ち表明ってだけなので、これを読んだ諸兄が今後の言動に何かしら気を使わなきゃいけないってことは一切ないからね。
ウマ娘黎明期に執筆された上記エントリでは、URAに優勝したもののレジェンドレースで勝てないサイレンススズカに対して
みてくれだけだ。
ハリボテエレジーで検索して動画を見てこい。おまえのそのサイレンススズカはそれだ。お前はハリボテエレジーを育てて「Aランクいきましたよ」と言ってると自覚しろ。
脆いんだ。
と言われてしまっている。この後に綴ってある育成論が、サービスイン当初に書かれたものとしては完成度が高かったのも相まって拡散され、それに伴ってハリボテエレジーも絶対的弱者として名が広まっていったと考えている。
当エントリのタイトルとは矛盾するが、弱い殿堂入りウマ娘を差しての「ハリボテエレジー」という表現を用いることにはある程度の合理性があると考えている。
ハリボテエレジーがどういった馬であるかは後で詳細に述べるが、知っている人の大半は「いきなり出遅れて、しかもカーブで転倒してバラバラになる馬の形をしたハリボテ」という印象を持っているだろう。
また、知らない人間からしても、その名前の響きの珍妙さから、何となく雑魚そうなイメージが湧くことが大半である。
つまり、「ハリボテエレジー=弱い」というイメージがユーザーの間で共有されやすい、と言うことだ。
もしもの話だが、弱い殿堂入りウマ娘に対するスラングが実馬を元にしたもの(例えば史実で現役時代に勝利経験のないハルウララや、大逃げからの逆噴射が印象に残りやすいツインターボ等)だったらどうなっていただろうか。
当たり前だがその馬の馬主や実馬のファン、あるいはそれが元のウマ娘のファンからいい顔をされないのは想像に難くない。二次創作の扱いが他と比べてセンシティブな「ウマ娘」というコンテンツなら尚更である。
ところが、ハリボテエレジーは史実に由来しない架空馬であり、その出自でも明確なやられ役、出オチ枠として扱われているため、弱者として扱ってもほぼ誰も気にしないのだ。デリケートなウマ娘と言うコンテンツを語るうえで、これは非常に大きい。
ハリボテエレジーにオタクの大好きな「文脈」を感じてしまったから。これに尽きる。
これを書いてるオタクは、ウマ娘をはじめとした今どきのオタクコンテンツのネームドキャラには大抵備わっている「他者の心を動かすストーリー」を、不幸にもハリボテエレジーに見出してしまったのだ。
だからこそ、ハリボテエレジーが負けることしか出来ないという認識に異を唱えるのであり、脚質すら異なるサイレンススズカの育成結果で引き合いに出されることを嫌うのである。
これを読んでいる諸兄は「ハリボテエレジーにそんな御大層なテーマがあるわけねえだろダボハゼ」とお思いのことだろうが、冷静に考察すると「ある」のである。
という訳で、以下ではハリボテエレジーについて詳細に語りながら、どこに物語性を感じているかを挙げていこうと思う。
ハリボテエレジーは、「スキージャンプ・ペア」を世に送り出した映像作家の間島理一郎氏とJRAのコラボによって生み出された「CINEMA KEIBA/JAPAN WORLD CUP」シリーズに登場する馬(?)である。
外見は、最初は段ボールで作られたハリボテだが、シリーズ2作目以降はボディにドラム缶を採用したものにアップデートされている。
曲者揃いのJWCの中でも一際異彩を放つ彼だが、彼が走り出せばどうなるかについては、当該作品に造詣のある諸兄であればその脳裏に焼き付いているだろう。
スタートで出遅れたかと思えば、コーナーに差し掛かった瞬間に盛大に転んで破壊される。これこそが彼の様式美なのだ。
当然こんな有様なので勝つことはほぼない。一応全馬に勝ちパターンが用意されているため、彼の勝ちパターンも存在するのだが、
というように、他の馬が起こしたアクシデントに便乗する形でしか勝つことが出来ない。
ちなみにバーニングビーフが草を食まずに駆け抜けたりピンクフェロモンが輪になって踊らなかったりするとハリボテエレジーの勝ちではなくなってしまう。
と言うより、バーニングビーフやピンクフェロモンが本来勝つはずのパターンを投げ捨てないと勝てない。ひどい有様だ。
しかし、これらの勝ちパターンを見ると分かるように、転んで分解し、出遅れが致命的なものになっていたとしても、彼(ら)は勝利を諦めずにゴールまで走り続けるのだ。これを踏まえて、3作目の勝ちパターンを見て欲しい。
3作目においても大半のパターンでは彼は(メカハリボテを巻き込みつつ)転倒してしまい、その後のレースに関与することはない。しかし、彼(とメカハリボテ)の勝ちパターンでは
これまでずっと転び続けてきたハリボテエレジーの姿を見ていると、曲がっただけで喜びもひとしおだろう。
2作目以降はハリボテエレジーがコーナーに差し掛かっただけで「曲がれえええええ!」と激励の言葉が聞こえたり、3作目で曲がった瞬間には歓喜のどよめきが上がるためなおさらだ。しかし我らがハリボテエレジーの快進撃はこれで終わらない。
無事コーナーを曲がり切り、ラスト400mに差し掛かったハリボテエレジー。彼の勝ちパターンでは、なんととんでもない末脚を発揮して他の馬を全てぶっちぎって勝ってしまうのだ。
「何故出場できるのか分からない」「今日も勝てそうにありません」なんて言われ続けた馬が、いや馬ですらない何かが、世界の強豪を相手に一歩も引けを取らないレースを展開するのだ。こんなに心躍る展開もないだろう。
また、この作品で実況を務める茂木淳一氏がハリボテエレジーの勝利の際に放った言葉が以下だ。
ハリボテエレジー、やっと目的地にたどり着きました!!
悲願の1着を獲ったことにこの言葉を当てはめるセンス、そして茂木氏の情感あふれる実況。初見時の私は思わず「天才すぎんだろ……」と天を仰いだものである。
長くなってしまったのでまとめると、ハリボテエレジーという馬は
「周りから見向きもされずとも、勝ち目のないレースに挑み続け、最後には自分だけの力で栄光を掴み取る」というサクセスストーリーを持つ馬なのだ。
しかも、ハリボテエレジーの中の人は人間であるため、キン肉マンにおけるジェロニモのように、「逆立ちしたって勝てないはずの上位存在に対して真っ向から立ち向かった」という文脈も生まれてくる。
これが、ハリボテエレジーは固有の文脈を持つ馬であり、ただの絶対的弱者ではないと私が思う根拠であり、同時に弱いだけの殿堂入りウマ娘を「ハリボテエレジー」と表現することを忌避する理由である。
これだけ力説したはいいが、、結局のところ伝わりやすくてすでに広まっている通称を改めろと言うのは土台無理な話であるし、私も無理にそうしろとは言わない。
ただ、自分の好きなキャラクターの名前が、本馬の活躍を顧みずに絶対的弱者の通称として広まってしまったというだけなのだ。哀しいオタクがここに一人いるだけなのだ。
https://devblog.thebase.in/entry/2021/07/16/085751
サイトでHSP診断をやると毎回「あなたはHSPの可能性があります」って言われる自分としては、オフラインでの体験はやっぱり大事だよねっていう考え方があるのは理解できるけど、自分の中では全然あんまり納得がいってない。
心の支えになるのは隣の席の同僚だったり、同期入社した人だったり、即座に小さなコミュニティを構築し、雑談をすることが心のクッション
そもそも雑談がそんなに好きじゃなくって、用もないのに隣の人と話していいのか?仕事中にアジェンダのない会話をしていいのか?会議の感想を隣の人とそんな毎回共有するか?という考えが頭の中をぐるぐるしている。私語はNGだけど雑談はOKなのか?雑談と私語の違いはなんなのだ?言い回しを変えたらOKになっちゃうのか?
そりゃ自分も話が脱線したり拡散したりすることがあるからアジェンダに関係のある話しかしないわけじゃないけど、明らかに仕事と関係ない雑談をしているのが聞こえてくると、仕事中の私語っていいの?ってなっちゃう。
雑談って結局何を話したらいいのかわからない。みんなそんなに話をするのが好きなのか?おしゃべりすることが好きなのか?そんな職場の人間の人となりとか家族構成とか休日の過ごし方って興味あるか?
コロナ禍においてフルリモートのような状態で働くと、自分の部屋でパソコンを閉じても、隣の人と雑談をして共通見解などの意見を交わして、息を抜く所がありません。まして真面目に自粛していて、外にも全く出歩かない独身の方だと、プライベートのネットワークが補完することもできず、どうにも仕事モードを発散できないような人もいるのではないでしょうか。
パソコン閉じたらYouTube見れるから息抜きになるし、会社と関係なくディスコやツイッターでやりとりする人もいるし恋人もいるから、「プライベートのネットワークが補完」っていうのがちょっとよくわからない。仕事、というか会社のなかで生活とか人間関係とか完結しすぎじゃないか?
確かにインターネットの人間関係ってとても希薄でリアルで会うことほぼないしなんかあっても助けてくれる関係じゃないけど、じゃあ会社や会社の人間はなんかあったら助けてくれる関係なのか?業績が悪化したら会社って想像以上にドライだぞ。諸々のリソースを全部ベットする値打ちが会社にあるのか?
あと、令和になって「私はコレで会社をやめました」を実体験したくないので、あんまり職場の人間に深く関わらないようにしている。
疎外感や寂しさと言った無用な感情を埋めてくれる存在は、同じ部署のメンバーやプロジェクトのメンバーなのですが、まだ人間関係ができていないと難しいですし、仕事の中で培われるというよりは、一緒にランチに行く時に路上やエレベーターで会話するシーンや、タバコ部屋の議論とか、仕事の隙間に培われていいた何かというのは確実にあったような気がします
疎外感や寂しさと言った無用な感情って、オフィス出社しててもあったりする。まず飯は1人で食いたい。なんならYouTube見ながら飯食いたい。そんな毎日誰かと昼食したいのか?みんなどうやって一緒に飯食う人見つけてるの?声かけるのめんどくさくない?何食いに行くの?店選ぶのもめんどくさくないか?喋りながら飯食うのめっちゃしんどいんだけど。飯くらい1人で静かに食いたい。
あとエレベーターで会話するの?他の会社の人もいるのに?コンプラやコロナがどうとか言われてるからエレベーターで会話は極力しないようにしているんだけど。
リモートやったりオフィス出社やったりして思ったのは、やっぱりオフィスってうるさくて集中できないってこと。耳を塞がないで仕事していると周りの人間の会話が勝手に聞こえてくるんだけど、頭がつい勝手に「これって自分に関係のある話なのかな」みたいなのを無意識に処理しようとするのよ。一瞬ならいいけど、これが8時間以上断続的に続くと夕方くらいからものすごくヘトヘトになる。同僚の来週のデートの予定とか家族構成とか興味ないし、自分に関係のない情報をあんまり知覚したくないなって思っちゃう。
あと自分の周り、特に怖い上司がウロウロしていると「なんかあったのかな」ってつい目で追っちゃうのよ。よせばいいのに。これも職場で自分の神経をすり減らしてしまう要因の一つで、「この人の動きは自分に関係あるかもしれない」みたいなのを無意識に頭が処理しようとして、やっぱり疲れてしまう。あと他人が怒られているところを見るのが自分が怒られているみたいですごく嫌なので、そういうのを省略できるからリモートワークはありがたい。
だからオフィスではイヤホンしてみたりフード被ったりして余計な視覚聴覚を入れないように頑張ってる。
うるさいのクッソ苦手だから懇親会とか飲み会とかもそんな楽しめない。既に出来上がってる懇親の輪の中に入っていくのがしんどいし、2時間だか3時間だかしゃべる相手を見つけないといけないのってものすごく苦行だし、うるさい場所での会話が聞き取りづらいから会話も楽しめないし、あと単純に数時間会話し続けるのがだるい。3時間の飲み会だったら2時間半くらいは寝てるか動画見てたいし、なんなら帰りたい。
オフィス出社時代ですらそんなに職場を楽しめていない状況だったから、ウィズコロナリモートワーク時代になって「やっぱりオフィス出社も大事だったよね」とは残念ながらならんのよ。
中長期的に見れば、有用な人脈の構築って大事なんだろうけど、そこに至るまでに無駄なものが多すぎてとてもじゃないが自分は職場で良い思い出ってやつが作れそうにない。
結局、一週間全部勝ちとなった。もちろんこの予測は、毎日の新規陽性者を見通すというよりは、Knoa氏の最新の予測が2週続けて小さくない上振れになったことで羹に懲りて膾を吹いたのか、パッと見ですごく大きな下方修正をしたな、少ない予測に変えすぎたな、と思って出したものである(Knoa氏の予測と見比べたら何をしているのかは一目瞭然だろう)。実際、新規陽性者の実現値は一週間以内の部分だけでもKnoa氏予測を2割程度も上回ってしまった。毎週更新されているので二週目以降の予測の評価はどの程度の意味があるのか不明だが、この2割も少ない予測から伸ばしている以上、当たらないだろうし、仮に当たっても間違いを2回やったら元に戻った的な偶然であって予測としての意味は乏しいだろう。
なおどうしてこういう予測になったかを少し書くと、デルタ株への置き換わりはそれが終了するまで実効再生産数の上昇として表れるはずであり、今がその真っ只中なら実効再生産数は基本上昇トレンドにある、そして新規陽性者として捕捉できるのは数日前の感染であるが、その数日前の夕方から夜間の人流や外食データから実効再生産数の上昇トレンドを打ち消すような接触削減は起きていないと見た上でのKnoa氏は下方修正し過ぎたという判断である。なお東洋経済などで計算されている実効再生産数は7日間平均がベースなので、データは滑らかだがラグも発生しトレンド変化も見誤りやすいから、手元で時系列処理をちょこちょこかけたりはした。Knoa氏のやっている、データ豊富なアルファ株で大まかな予測を作り、そこに感染力がx倍のものとしてデルタ株を足し込むという手法は、足下のデルタ株の比率があやしいことと、x倍の数字も怪しいこと、またおそらくウイルスそのもののx倍の数字は固定的でもそれが社会的に実際に拡散する程度としては不安定で変化するだろうこと、などからおそらく上手く機能せず数割の誤差を生む原因となると思う。
https://anond.hatelabo.jp/20210716171924
火751 勝ち
水1147 勝ち
木1102 勝ち
金1041 勝ち
土1170 勝ち
日795 勝ち
月591 勝ち
普通に「こんな発言する人は五輪・パラの理念から開会式に関わるのにふさわしくない」の一言で批判できるのにね
そういった、対象の事実に勝手に妄想を重ね合わせる様が匿名言論を通じて拡散していくのがネット炎上の特徴で、非常に気持ち悪く先の米大統領選でのフェイクニュース、Qアノンの問題にも通じる
うん、だからイジメていたことは否定してない。ただ小山田も被害者も当時はその意識が希薄だった可能性が読み取れる。
それと、そんなに長々と書いてくれてるけど、「小山田が障害者にウンコ食わせてオナニーさせた」具体的な記述どこにあるの?
雑誌のインタビュー全文についてはググっても見当たらないので、下記のブログ記事に引用されている原文抜粋からの解釈になる。
いじめられていたとされる村田さんにバックドロップしたエピソードが出てくる。
その中で、突然現れた先輩が村田さんを洗濯紐でグルグルに縛ってオナニーさせたので、小山田はその先輩の行動を見てヤバイと思ったと語っている。
なんかそこまで行っちゃうと僕とか引いちゃうっていうか。だけど、そこでもまだ行けちゃってるような奴なんかもいたりして。そうすると、僕なんか奇妙な立場になっちゃうというか。おもしろがれる線までっていうのは、おもしろがれるんだけど。「ここはヤバイよな」っていうラインとかっていうのが、人それぞれだと思うんだけど、その人の場合だとかなりハードコアまで行ってて。
世間ではあたかも小山田が「全裸にして紐でグルグルに巻いてオナニーさせた」かのように拡散されているのだが、やったのは先輩。
そして小山田は先輩と一緒になってやったわけではない。逆にその先輩の行為を見て引いていた。
そしてこの村田さんについては、後に定時制の高校へ通いパチンコ屋で働いていたとは書いてあるが、
村田さんが障害者とはどこにも書いてないし、原文抜粋だけではわからない。
「ウンコ食わせた」については、確かに冒頭で小山田が発言している。
うん。もう人の道に反してること。だってもうほんとに全裸にしてグルグルに紐を巻いてオナニーさしてさ。ウンコを食わしたりさ。ウンコ食わした上にバックドロップしたりさ
ただ、上記以外で小山田自身が障害者にうんこを食わせたという描写は見当たらず、
悪ノリで誇張して話していた可能性も否めない。(もしくは編集サイドが盛っている)
実際あったのであれば、それこそいじめのえぐさをアピールするために詳細を語るはず。
痛いニュース(ノ∀`) : 【悲報】小山田圭吾さん、障害者の息子と母親が一生懸命書いた年賀状を雑誌に晒して笑い物にしてしまう - ライブドアブログ
この年賀状の送り主である沢田さんについては、実際に雑誌インタビュアーが沢田さんへ会いに行くエピソードが綴られている。
「卒業してから、ひどくなったんですよ。家の中で知ってる人にばかり囲まれているから。小山田君とは、仲良くやってたと思ってましたけど」と答え、
沢田さん自身は「小山田さんとは、仲良かったですか?」と訪ねられると、「ウン」と回答している。
もし、実際に小山田と沢田さんがいじめっ子いじめられっ子の関係であれば、このような受け答え方をするだろうか?
仮に小山田が我が息子をいじめていたと考えているのであれば、怒りのあまり息子をこの場に同席させるようなことはしないだろう。
つまり、沢田さんとお母さんは小山田にいじめられていたという認識は無かったと考えるのが自然。
そして、この年賀状には「手紙ありがとう」と書かれていることから、小山田は以前に沢田さんへ手紙を送っていたと思われる。
さらに雑誌掲載当時の小山田は26歳だと考えられるが、鬼畜であるはずの彼がその年齢まで年賀状を大切に保管するだろうか。
小山田自身も沢田さんをいじめていたという自覚がなかったと考える方が自然ではないだろうか?
そして最後に、このブログ記事にはコメント機能がついており、過去に下記のような投稿も残っている。
さえ
いじめ話がロッキンオンに掲載された時は、編集アホかと思った。小山田氏をずっと好きだったのでショックだったけど、ただ私が昔行っていたコーネリアスのライブには毎回車椅子の重度の障害の方が見にきていて、必ず小山田氏はその人の前でギターを弾いていた。長いこと。まるでその人のためだけにというように。羨ましかったのを覚えています。ほんとの彼は根っこは優しくていい人だと思う。ひねくれていたのが魅力だったのもあり、彼はちょっとおもしろおかしく過激な表現をしたがるきらいがありますから。とにかく、活字にして載せたロッキンオンが馬鹿
「小山田」が「障害者」を「全裸にしてウンコ食わせてバックドロップした」というのはミスリードである。
インタビュー記事について、本人は悪ふざけの延長でやってしまい、おそらく雑誌記者の誇張もあるだろう。
もちろん嬉々として語る様は悪趣味であり、それについて擁護するつもりはない。
本人も認めているようにいじめていた事実や障害者を軽視した発言は避難されて当然だ。
だが、原文も確認せずメディアのミスリードに煽られるがままに激昂し、あまりにも冷静さを欠いた集団リンチも見ていて気分が悪い。
それどころか、被害者の年賀状を晒すような痛いニュースの記事を咎めるものもいなければ、
何故いじめが起きてしまうのか、今後どうしたらいじめが無くなるのかについて建設的な方向で議論しようとする人もいない。
ーーーーーー
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/17/020800002/021400005/?P=2
「間違った心理学で、男性がこう、女性がこうとか、世の中ではよく言われていますね。例えば、男女の脳の違いとして、男性の方が左右の脳の連携がよくないとか。これには、元になった論文がありまして、1982年に『サイエンス』誌で発表されています(※)。男女それぞれ、脳梁の太さを測ったら、女性のほうが太かったと。でも、この論文のデータは男性9人、女性5人からしかとってないんです。それだけで、女性のほうが左右の脳の連絡がよくできてるっていう結果にしている。そもそも信頼性がないし、その後、いろいろな研究者が再現しようとしたんだけど、結局できてません。今さすがにこれを信じている脳科学者はあんまりいないんですよ」
現在の知見では、少なくとも形態上、男女の脳に違いはない、ということになっているそうだ。しかし、「男女の脳」「脳梁」といったキーワードで検索すると、驚くほどたくさんの結果がヒットして、「脳梁が太いから女性はおしゃべりで、感情的」みたいなことが平気で書いてある。
http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-736.htm
▼ 女丁持:庄内米歴史資料館
http://www.city.sakata.lg.jp/bunka/bunkazai/bunkazaishisetsu/syounaimai_siryoukan.html
イルクーツク国立研究技術大学(IRKUTSK NATIONAL RESEARCH TECHNICAL UNIVERSITY)の考古学者らが14世紀に住んでいた30歳~40歳の女性戦士の墓地を、
今夏にフブスグル県で発見した。オルドヒャル1号という発掘ゾーンから当時の女性より体格が大きく、つまり高さ180センチの女性戦士の墓が発見された。
女性を男性と同様に武器と共に葬っていた。調査団団長のアルトゥール・ハリンスキー教授は「モンゴルのアマゾンとも言えるこの女性の男性を勝ち抜ける力持ちだった」と話している。
大きな体格の女性をロングナイフと、斧、弓、銅のボール等の武器と一緒に葬っているのが非常に稀なケースだという。
戦士女性は戦争による負傷痕はなく、重症により死亡したのではと推定されている。女性の歯がほぼ全部落ちており、歯根に生じた穴が顎骨までに進んでいた痕がある。
考古学者らは骨盤と顎に形から女性だと予測し、遺伝調査により判定するという。
ロシアの考古学者らは女性戦士の墓のほか、オルドヒャル2号の発掘ゾーンからもう一つの富豪の女性の墓を発見した。
その女性の墓からヨーロッパ製のアクセサリーが見つかった。学者らは西ヨーロッパ戦争から帰ってきた夫から恋人に与えられた戦利品だった可能性が高いと、
ハリンスキー教授が結論付けている。今回の発掘調査にはモンゴル側からウランバートル大学の教員と学生のチームが参加した。
[MONTSAME] フブスグル県から女性戦士墓地、発見
https://montsame.mn/jp/read/221297
坂本龍一でも松本人志でも「大御所」になっても過去の暴言、やらかしについて深くツッコまれないのは、炎上させる側が彼らの過去の作品、番組で育ったチルドレン世代だから。
過去に何をしたからと言って「親」に対して一方的に否定する「子供」は多くないだろ(最近は「毒親」ブームで親攻撃する「子」が増加してるように見えるが、あくまでネット内のシケたブームだ)
当時彼らの曲やコントを体験して笑顔になってた良体験があるから、その後にどんなに意識がアップデートされても「当時は面白かったけど今だとドン引きだなぁ」と過去形で語れる
一方で小山田圭吾は、個人名でテレビでフィーバーしたことはなく、リアルタイムで子供だった世代でもバンド名だけはわずかに聞いたことあるが何をやってる人かは全然知らないってのが大多数。
過去体験が全然ないから「無名のサブカルクソ野郎がイキった発言して舐め腐ってやがる」って感想にしかならない
それが00年代初めに最初に記事のコピーが拡散された時でも、最近になって再炎上した時でも変わらない炎上させる側の感想なのよ
然るべき制裁を受けたあとでも延々と粘着され。すべての人生を破壊するようなネトストはたしかにどうかと思うね。
いじめに対する是非を関係者が裁判などで決着させ、それ以降周囲はノータッチでも良いと思う。
ただ、そこまで醜聞が広がってしまうと業界では生きられなくなってしまうかもしれないが。
そこはもう自分たちが関与することじゃない。
この問題の難しいところは、本来なら一対一の訴訟や戦いになるところを、学校という場が提供されているがゆえに社会性が高まり、かつ個人的な体験記などが重なって心理的問題と野合してしまうところ。いじめとなると集団性が発生する。
つまり、いじめ問題自体が社会的問題として拡散した挙げ句、社会的な集団による制裁に発展しやすい。もちろん制裁側にも問題はあって、例えば光市母子殺人や女子高生生き埋め事件の犯人たちへ未だに精力的に凸しようとするやつはいない。本当に恐ろしい犯罪者には何もしないが、そこそこ攻撃しても安全そうな人物にはいくらでも凸する。小山田は現状犯罪者でもないし、某弁護士も犯罪者どころではない真人間だが攻撃を受け続けている。攻撃しても当人たちになんの問題がないからだ。
今YouTuberで数年前に恐喝事件を起こした元反社の瓜田純士に攻撃できるやつは何人いるだろうか。彼は表の人間にも裏の人間にも顔が利くので、攻撃したほうが不利になりかねない部分もある。そして誰も凸なんてしてない。
小山田を免罪してほしいとは思わない。心情的には潰れてくれという思いはある。しかしオーバーキルする権利は我々にはない。オーバーキルするなら真に恐ろしい人物に立ち向かってこそだろう。違うだろうか?