はてなキーワード: 導師とは
母の話によると父はタバコの吸い殻をダンボールにためていたらしい。なぜ父はそんなことをしていたのかは分からないし、なぜ母もそれを危険視しなかったのかはわからないが、とにかくそのせいで燃えた。
僕の昔住んでいた田舎の実家はそうやってなくなった。次に見た時には簡単に整地されており、何を入れているかはわからないが小さな物置だけが建てられていてぽつんと建っていた。整地するためにお金が足りないということで僕も30万円を母に渡していた。
その後、父と母と、一緒に住んでいた次男は一時的に市営住宅のようなところに住んだ。向かいの家ではうさぎが放し飼いにされていた。しかしボロすぎて辛かったらしく、最終的に家を買った。今もそこに住んでいる。その家は2階建てで部屋もたくさんある広々とした家だが、前の住人が物置で首を吊って亡くなったため1千万円弱で購入できたらしい。
父はぶっ壊れていた。
僕が小さい頃の記憶を思い出してみると、父と一緒にファミコンの難しいステージを試行錯誤しながら一緒に攻略したり、将棋で対戦したりしていた。父の仕事場が家から歩いていける距離にあったため、小さな僕はたまに仕事場まで歩いていき、父が仕事が終わった時に一緒に原付きに乗せてもらって家まで帰ったりしたこともあった。
しかし父は脳に異常があった。その関係で度々入院したり、手術を行ったりしていた。何度も仕事を辞め、何度も新しい仕事をしていた。
そのためうちは母がメインで働いている。働きに出ている母のかわりに家事はおじいちゃんがメインで行っていた。食事、洗濯や、子どもが病気になった時に病院に連れて行ったり、雪で学校へ行けそうにない時は車で送って行ったり。
父は特に前頭葉に異常があり、理性を保てずふとした拍子に豹変することがあった。僕らがゲームをしていたら急に部屋に入ってきて怒り出したり、部屋で普通に過ごしていただけなのにちょっとした発言で急に説教をはじめたりしだした。
一時期はおじいちゃんが目の敵にされていて、おじいちゃんのやることなすこと全てに文句をつけて自分のやり方を強要したり嫌がらせをしたりしていた。ある日次男は父に「殺いたる!」と言われながら追いかけ回されてトイレに閉じこもって避難したりしていたこともある。僕もある日「ボケてるんじゃないの?」と父にいったらそれは禁句だったらしく、急に後ろから思い切り殴られ、しばらくの間耳が内出血した状態で過ごしていたことがあった。
あとは理性が効かないためパチンコにもハマっていた。生活費をほとんど持ち出してしまったこともあるらしい。そのため家族は色々と対策をしていたようだ。とにかく数え上げればきりがない。家族みんなが何度もひどい目にあっていた。いつ何で発狂するかわからない父と過ごす毎日は地獄だった。僕は本当に父のことが大嫌いだった。
中学、高校の頃は僕も思春期を迎え、なぜ僕だけそんな境遇なのかと自分の人生を呪った。特に僕は人と接するのが不得意だったこともあり、なぜみんな日々学校であんなに楽しそうにすごしているのに僕は何もうまくいかないのだろうかと感じていた。そして僕はきっと父親のせいでこんな風になってしまったのだろうから全てが父のせいだと思っていた。
高校で1日が終わったあと、僕は毎日夕方遅くまで部室でだらだらとすごしていた。やることがあったわけではないが家で父と顔を合わせたくなかったからなんとかむりやり時間を潰していた。そうして父がご飯を食べ終えて2階の自分の部屋に閉じこもるあたりの時刻に帰宅するようになっていた。たしかそのあたりでは父に話しかけられても全て無視するようになっていたと思う。正直、早く父がこの世から消えてほしいと思っていた。
進学は田舎から遠い関東の大学を目指した。高校での人間関係は何一つうまくいかないし、家に帰っても狂った父親が家にいることが耐えられなかった。とにかく全てを捨てて新たな地で心機一転新しい生活をはじめたかった。
結局僕は関東の大学に合格し、そっちで一人暮らしをはじめた。自分以外誰もいない家。好きなことを好きなだけでき、誰からも急に理不尽な文句を言われることが決してない、人生ではじめての心から落ち着ける空間だった。
外での人間関係が決して完璧にうまくいくわけではなく苦悩も多くしていたが、それでも大学のサークルに入ってみんなと普段から活動し、その中でいつも遊べる友達も出来てそれなりに充実はしていた。
そんな4年間を過ごし色々なことを経験する中で、僕の心も徐々に溶けていった。
色んな失敗をした。失敗をする中でなぜ僕はこうもうまく行かないんだろう? と考えた。一生このままで生きていかなければならないのだろうかと思った。そんな人生に何の意味があるのだろうかと思った。何もないのであれば死んだほうが良いのではないかとも思った。何かある度にすぐ父のせいだ、と思った。しかし、父のせいにすることは何の意味もないことにある日気づいた。たとえ本当に父のせいだったとしても、この先幸せになりたいのであれば、僕自信が変わっていくしかないのではないかということに、運良くたまたま気づくことが出来た。
それに気づいてからは父のことが頭によぎることがなくなった。自分にとって重要なことは、今後自分がどうしていくか、ということだけとなった。過去は何も関係ない。ただひたすら未来を描いて進むことだけが重要なこと。ひたすら考えて、考えて、考えるようになった。
そうやって過ごしているうちに、いつの間にか父のことを許していた。正確には、父に対しての興味を一切失った自分がいた。
僕は性格的に、一つのことに極端に集中してしまう傾向がある。大切な物は愛おしい。しかし自分に全く関わらないものには興味が無い。ちゃんと考えて話している人の言葉は気になる。しかし思考停止で人を傷つけるだけの言葉には全く興味が無い。嫌悪ではない。そんな人は世の中にたくさんいることが当たり前だからどうでもよすぎて興味が持てない。だから父のことも興味が持てない。しかし形はどうあれ、許すことも興味を失うことも同列だったため、僕の中で父のことは全てが解決した。
僕は自分の普段の生活のことばかりを優先して考えていて、あまり実家にも帰らなかった。たまに帰った時やたまたま母から電話が来た時に話をするのだが、父は窃盗もするようになっていた。窃盗と言っても数千円を盗むくらいだったらしいが。
とはいえ特に意外性はなかったし、その後どうなったのかなども興味はなかった。しかし一緒に住んでいる母としては大問題だった。家族が盗みを繰り返すのを放置してはおけない。
結局そのあたりから、母は自分が不在の時は時々父を介護施設に入れるようになった。もちろんはたから見れば早くそうしとけばよかったじゃん、みたいな話だろうと思う。事実母も父と離れる時間が増えることで精神的にはかなり楽になっていたのではないかと思う。
しかし、施設の費用はそんな安いものではない。時々だけとはいえそれなりの費用がかかる。家のローンに加え、介護費用。そのころ母はもう60近かったがとにかく定年まで働かねばと嘆いていた。
そしてなんだかんだで月日が過ぎ、父はどこかの溝に落ちて負傷してしまったらしく、自分で体を動かせなくなってしまった。完全な要介護者となった。
僕はといえば、そんな話を聞いても全く興味が持てず、帰省したときにも特に会いに行こうとは思えなかった。というかそういった発想すら出てこなかった。もう僕の中では全てが終わったことだったため、このままもう二度と会わなくても別にいいと思っていた。会ったほうがいいんじゃないかと兄弟に言われたりすることもあったが断っていた。
それから数年が経った2019年の年末ちょっと前に母から連絡が来た。父がもうそろそろ長くないとの話だった。丁度正月前後に亡くなるかもしれないということだったため、喪服などを購入して準備をした。
しかし、年末近くになり、再度連絡が来た。どうも結局峠を超えて今のところ問題ないということだった。
年末になり、実家へ帰省した。正月はだいたいいつも帰省し、子どもたちを妹の子どもたちと遊ばせたりしている。
さすがに状況が状況だったため、自然と父のところへ行く流れとなった。僕は別に行かなくてもいいと思っていたが、妻が子どもたちと父を合わせてあげたいという事を言っていたため、それもまあ子どもたちにとって何かの意味があるだろうと思い、特に拒否もせず行くことにした。
母と僕の兄弟とその家族でそれぞれ数台の車に乗り、大人数でぞろぞろと介護施設へ行った。
部屋に入るとベッドに横たわっている父がいた。父はもう当然自分では動けない状態で、しゃべることもできないため、うー、うー、とずっと唸ったりしていた。目が合うような気もするが特に変わった反応もなく、何を考えているのかは分からないし、そもそも何かを考えることが出来ているのかもわからない。結構多い人数で来たためぐるっとみんなでベッドを囲み、ぎゅうぎゅう詰めとなる。みんなで父の様子を見て、きっと大勢来ているから父もびっくりしているだろう、とか、喜んでいるときの声だわ、みたいな話をしていた。
父はたしか僕の子たちを見たことがなかっただろうと思うので、子どもをそれぞれ抱きかかえて父の目線の先に連れて行った。特に反応もなく、自分の孫だと分かっているのだろうか、分かっていないのだろうかもよく分からなかった。
そんなこんなでそこで少し過ごし、写真を撮ったりして帰ることになった。
最後に大人たちがうちの子に「早く元気になってね」と言ってあげて、と促した。7歳の長男と5歳の次男がそれぞれ父に、まだ幼い可愛らしい声で「早くおもちゃ買ってね」「早く元気になってね」と一生懸命伝えた。すると突然、父が今までと違うかなり大きな声であー、あー、と言った。みんなびっくりしていた。一応子どもたちの言葉は伝わったのだろうか。詳しくはわからないがそれっぽかった。
それから半年ほど経った。コロナが流行し、緊急事態宣言が発令されて終了した頃。2020年6月29日、朝起きたら妹からLINEで父が3時頃に亡くなったという連絡が来ていた。月曜日。
妹に電話してみたところ、コロナのこともあるし別に来なくてもいいよ、ということを母が言っているとのことだったため、僕は葬儀には行かないことにした。僕も正直葬儀には興味が無いし、それよりも子どもたちに学校に行かせたり普段の生活をおくらせてあげたかった。
しかし妻が不安になって再度母に連絡をとってみたところ、そんなことは言っていないらしく、来いと言われた。一体なんなんだ。
とはいえコロナのこともあるし、妻もちょっと体調的にウロウロできる状況ではないため、僕一人だけ行くことにした。
葬儀は7/1。朝からだったため前日に仕事を終えたあと実家に帰った。弟や甥っ子たちも実家に来ていた。大切な父……というわけでもなかったため、みんな普通に過ごしており明日が告別式ということも忘れそうだった。
次の日、起きて甥っ子たちはフォートナイトをしたり、みんなでだらだらと朝ごはんを食べたりしていた。そうこうしているうちに時間になり、葬儀場へ向かう。
葬儀場は宿泊できる部屋があり、実家にいなかったメンバーはそこにいた。しばらくすると大阪のおじちゃんとおばちゃんがきた。それぞれ父の兄弟で、夏休みや冬休みには僕の兄弟と同じくらいの子どもたちをつれて実家に遊びに来ていた。大勢でマリオカートをして遊んだりしていた。おじちゃんにはいつも海につれていってもらっていたし、おばちゃんは逆に夏休みに大阪に泊まらせてもらっていたため二人とも馴染み深い。
おじちゃんによると、父は子どもの頃に事故で頭をうったという。当時は額あたりの怪我の治療は前頭葉があるため、簡単にはいじれず、医師にも難しかったという。誰もしっかりとした治療はできなかったらしい。その後父は元気にスポーツをしたりしていたらしいが、大人になって障害が出始めたのはもしかしたらそのあたりが原因だったのかも、という話をしてくれた。とはいえ母も僕の夜泣きが原因だったのでは、と言っていたりするので何が原因かはよくわからず、おじちゃんの話も懐疑的だった。
しばらくして葬儀が始まった。みんなが部屋に集まる。何もよくわからない状態だったが言われるがままに並んで椅子に座った。部屋が暗くなる。導師さんが念仏を唱え、みんなで繰り返す。
その後も式が進行し、導師さんが話を始めたりした。誰なのかもよくわからないし、何を話していたかももう忘れてしまった。
導師さんの話が終わると、今度は親族代表ということでおじちゃんが話をすることになった。おじちゃんは前に出てきたのだが、マイクと全然違うところで話をし始めた。式場のスタッフを見るとあわてておじちゃんのところに駆け寄ってマイクのところに連れて行こうとするところだった。おじちゃんはいわれるがままにマイクのところまで行ったのだが、なぜかマイクを背にしてマイクがない状態で話し始めたので再度スタッフが誘導したのがおかしかった。
おじちゃんはおじぎをしたあと、先程のように事故の話をし始めた。頭をうち、前頭葉があるため治療もできず、でもスポーツをしたりしていた、ということ。
そのあと、父が大勢の人に迷惑をかけるようになってしまったこと、そして、その父のことを母が最後まで面倒を見てくれたことを話した。すると突然、何か急にこみ上げてきたものがあったらしくウッと声を止めて泣き始めた。それを見て母も泣いた。なんとなく空気が変わった。
元々そんな雰囲気はなかったためびっくりした。僕はもらい泣きもしなかったし悲しくもなかった。ただ、みんな何かしらそれぞれ思うところがあるのだなと思った。おじちゃんからすれば身内がとんでもない状態になってしまって、父が元々赤の他人である母にひどい仕打ちをたくさんしてしまったことに申し訳ないという気持ちが非常に大きいのだろう。
母は実際にひどいめにたくさんあい、この年までずっと働き詰めで大変な思いを今もしている。しかし、お見合い結婚だったとはいえ、楽しく幸せな時期も経験し、僕らがまだ生きて経験したことのない年数を父と一緒に過ごしてきた。詳しいことはわからないが、そこには本人にしかわからない無数の思いがあるのだろう。自分と妻も一緒に生きてきているが、子どもたちはそこであった多くのことを何も知らない。当たり前のことなのだが、不思議なことだ。
そして、ここにそれぞれの思いを抱えた色々な人が集まったことも不思議に感じた。みんな何を思ってここにいるのか。僕には分からないが、何かを思っている。
その後告別式は終わり、父の棺にみんなで草花を詰めた。父の顔は処理を施されてつやつやしており、蝋人形のようだった。
その後棺を閉じ、それを男たちで車へ運んだ。そしてみんながそれぞれの車で焼却場の方へ向かう。
焼却場は僕が今まで行ったことがあるような汚い場所ではなく、きれいな施設だった。コロナの影響で焼却場には15人だけが入れるということらしい。父に近い15人が部屋に入る。部屋の中にある等間隔に並んだ足のマークの上にそれぞれが立った。
次に、父が入った棺が焼却する空間に納められた。スタッフがボタン類をアルコール消毒したあと、閉じるボタンを押した。機械により扉が閉じられる。
そしてどのボタンを押すと焼却が始まるかの説明を受け、準備が出来たら押すように説明があった。しかし誰も反応しないため僕が母に押しなよと促した。しかし、どうも嫌だったらしく、いやいやという手振りをしたので僕が押した。
その後は1,2時間ほど時間がかかるということで休憩の時間となった。密をさけるため、どの部屋も人数制限があり適当にバラけることとなった。弁当が用意されていたためそれを食べて過ごした。
しばらくするとスタッフから声がかかったためみんなで部屋に集まった。中央には棺の台を収めるスペースがあり、今は空いている。そのそばに長い箸がたくさんあり、それぞれがその箸を手にした。
しばらくして台が運ばれてきた。まだ熱く、気をつけるよう注意があった。その上には骨が置かれている。葬儀は何度か経験したことがあるため特に新たになにか思うということはなかった。そういえば昔妻が飼っていたうさぎを看取ったのだが、その時に焼却されて出てきた骨を見た時はとても悲しくて泣きそうになった。
スタッフに説明されながら、足から順に骨を入れ物に詰めていく。みんなで行ったり来たりしながらそれぞれ骨を詰めていった。思ったよりもポロポロともろい。頭の方になると、大きすぎるため箸で割って詰めていく。頭には手術の跡の金具がついていたりした。それも母が詰めていた。
そして一通り詰め終わり、葬儀の全ての工程が終わりとなった。皆それぞれ準備をし、帰宅した。僕も一度実家に帰って着替えをして荷物を整理し、車で帰路についた。
僕は仕事もあったし、あまり車で長距離移動をするのは事故で死ぬ可能性もあるし好きではない。そのためとにかく早く全てを終わらせたいと思っていた。なんとか生きて帰ってくることができたが、かなり疲れ果てていた。とにかくいつ始まるのか分からなかった大変な出来事が一つ終わり安堵した。
父が亡くなったが、母は元々次男と一緒に住んでいる。近くには妹の家族もおり、しょっちゅう甥っ子や姪っ子たちと遊んだりしている。三男もわりと話が好きで母によく電話をかけているらしい。僕は離れていて長期休み以外は音沙汰も無いが、それでも母はみんなのおかげで楽しく暮らしているように見えるため特に心配はしていない。
父がいなくなったことで母は父の介護費用を払う必要がなくなった。だいぶ生活も楽になるのではないかと思う。僕は本当に良かったなと思っている。
昔「家、ついて行ってイイですか?」という番組を見ている時に、一人の若い女性の家に行く回があった。
その女性の家には父親がいるのだが、要介護のため自分では動けない。女性はその父親の介護をしていた。自分では動けないため、あらゆる事を補助してあげなければならない。朝起きてから、昼食、夕食、風呂、トイレ、あらゆることだ。もちろん生活のため仕事もしている。ヘルパーさんがいたのかもしれないが、それでも何もなく普通の生活をしている僕らには想像できないレベルの大変な毎日であることは間違いない。
女性はまだ若く、色々なことがしたい年頃だろう。彼氏を作ってデートをしたり、友達とショッピングに行ったり。インドア派であればゲームをしたり、ゲームのキャラにハマって腐女子をしたり、好きなアイドルのライブにも行ったりしていたのかもしれない。しかし、全て介護のためできない。ただひたすら介護をしなければならない。夢もあったのかもしれない。でももう諦めてしまったのかもしれない。
父のため仕方がない、と思いながらも、女性が毎日どれだけ苦しいかを想像をするだけでも苦しくなる。
その父はどう思うだろうか。自分の娘が自分の介護のために全てを犠牲にし、尽くしてくれている。ありがたいと思うだろうか? 僕だったら死にたいと思う。一生懸命育てた自分の娘。小さな頃から育てながら思うことは、この子が楽しいことも辛いことも含め色んな事を経験し、苦悩しながらもそれでもたくさんの素晴らしいことを経験しながら歩んでいき、やりたいことをやって自分の未来を掴んで幸せになってくれればいいなということ。どんな未来でも自分が進みたい方向に進んでいってほしい。
しかしその全ての未来を自分の手で摘み取ってしまう事になったとしたら。耐えられる自信はない。すぐに死に、失いかけていた大切な未来を与えてあげたいと思う。若い娘がそのような境遇にさらされて多くの時間を失ってしまうことは世界にとっても大きな損失だ。
でも、死ぬということは難しい。自分で死ぬ覚悟ができるものかどうかは全くわからない。さらに介護されている状態で自分で死ぬこと自体がそもそもできない場合もあるだろう。
この世には安楽死が必要だと思う。死にたくても死ねない人を助ける制度が必要。綺麗事だけでは救われない人達がいる。その人達が救われる世界になってくれればいいと思う。しかしどうすればそういう世界にできるのかは壮大すぎて僕にはわからない。とにかく僕にはこうやって苦しむ人達がいるということを文字にして発することしか出来ない。
とにかく、その一つとして父が死んで本当に良かったと思う。
https://mizzenmain.zendesk.com/hc/ru-ru/community/posts/360060344051-01-04-2020-Колл-центр-8-серия-в-хорошем-качестве-от-1-апреля-
https://mizzenmain.zendesk.com/hc/ru-ru/community/posts/360060344511--Корни-20-серия-01-04-2020-смотреть-бесплатно-в-хорошем-качестве-
https://mizzenmain.zendesk.com/hc/ru-ru/community/posts/360060335311--Женский-Стендап-13-серия-Тнт-01-04-2020-онлайн-сериал-смотреть-от-1-апреля-
https://mizzenmain.zendesk.com/hc/ru-ru/community/posts/360060427112--Патриот-17-серия-01-04-2020-хорошее-качество-смотреть-от-1-апреля-
https://mizzenmain.zendesk.com/hc/ru-ua/community/posts/360060419472-01-04-2020-257-причин-чтобы-жить-4-серия-последние-серии-смотреть-от-1-апреля-
https://mizzenmain.zendesk.com/hc/ru-ua/community/posts/360060334611--Последний-герой-Зрители-против-звезд-2-сезон-9-серия-01-04-2020-в-хорошем-качестве-от-1-апреля-
https://mizzenmain.zendesk.com/hc/ru-ru/community/posts/360060343891-01-04-2020-Заступники-9-серия-все-серии-сезона-
https://mizzenmain.zendesk.com/hc/en-us/community/posts/360060426692--Доктор-Вера-23-серия-01-04-2020-последние-серии-смотреть-
https://mizzenmain.zendesk.com/hc/ru-ua/community/posts/360060343291--Патриот-17-серия-01-04-2020-смотреть-в-хорошем-качестве-
タイトルを見て何の話か察したひとも多いだろう。ちなみに自分はわからなかった。
「友人葬」とは創価学会特有の葬儀の方式のことである。亡くなった親族は配偶者が熱心な信徒であり、本人も一応入会していたらしく、そのこともあって葬儀も友人葬で執り行われた。そして、実際にそれに参加してみたら、創価学会が一定の信者と、一定の反発を呼び起こす理由を体感することができた。
通常の仏教式の葬儀(といっても増田自身まともに知らないのだけれど)と、友人葬の違いはいくつかある。
一つ目。葬儀は創価学会員が全部仕切る。遺族とか親族とかの意見は特に聞くことなく、葬儀の段取りを全部創価学会のメンバーがやる。
二つ目。前の方で読経するひとが複数人いる。勝手なイメージだけど、仏教式の葬儀はお坊さんが一人で前の方に座るものだと思っていた。友人葬では「導師」が2-3人前に座って読経する。
三つ目。参列者の創価学会員が全員一緒に読経する。よくある葬儀では、お坊さんが一人で読経するだけである。しかし、友人葬は参列する創価学会員全員で読経する。もっと言えば、おそらく物故者本人とそれほど交友があるわけでもない人たちがやってきて、読経して帰る。
四つ目。関係者から弔文とかが届く。たとえば、「導師」の言葉の中で、池田大作名誉会長と原田実会長からの言葉が読み上げられる。あとは国会議員・市議会議員とかからも。
参列する前から、よくある仏教式の葬儀だと思ってたんですよ。それがこれ。色々な思いが脳裡を通りすぎていった。
まず、「意外と普通だな」ということ。基本的に仏教だから、読経の内容自体はただのお経である。あと簡単。「南妙法蓮華経」って三回唱える・あるいは何度も繰り返し読み上げる。方式の簡略化。難しい教義とかなしに同じ言葉唱えていればいいんだからそりゃ信徒獲得するわなと。
その次に思ったのは「なんだこいつら」ってことです。物故者はもうボケてて、友人が遊びにきたりすることはまずなかった。だから参列者とか絶対知らない人なんですよ。なのにいきなり葬儀に集団でやってきて何から何まで仕切り始めるの、はっきりとむかつきますよね。お前ら他人だろ、死ねよ、くらいの気持ちです。
でも、その後に思ったのは、「これはこれでありがたい人もいるんだろうなぁ」ということです。まず、遺族にとっては煩わしい葬儀の手続きを全部学会員がやってくれるの、そりゃ楽ですよ。受付に座ったり、葬儀における各種手続きを全部、本当に全部学会員が勝手にやってくれる。この簡便さは、一つのメリットなんだろう。学会員がいきなり押し寄せてくるのも、見方を変えれば「淋しい葬儀にはならない」という利点がある。みんなで読経するのも一緒だ。見ず知らずという意味では普通の仏教式の葬儀でも別に住職さんとかと普段から仲が良かったり会ってたりするわけでもないのに、それをありがたがるのも不思議な話で、そういった特権的存在一人が読経するより「仲間」(物故者の配偶者の言葉を借りた)が一緒にお経を唱えてくれる方が嬉しい、と感じる人がいるんだろう。
小学生の時にプレイしたファイナルファンタジー3をiOS/Android版でやったら、結構面白かった。他に書くところもないので、プレイ記録をこちらに(ネタばれ全開)。
<全滅記録>
こちらはもういい歳をした大人だ。FC版より簡単らしいiOS版、慎重にプレイすれば、全滅なんてしないだろうと思ったが、それなりに全滅した。
・封印の洞窟に行く前にミスリル坑道でお宝拾ってやろうと思ったらガイコツ強すぎて全滅。
・グッコーなんて地味キャラだし余裕でしょと思ったら、サラマンダーの炎に焼かれて何回も全滅。これが一番死んだ。強すぎだろ!
・さあ、ペースもつかめてきて余裕余裕と思ったら、時の神殿でメイジキマイラ3体がバックアタックしてきて、いかずち3連発。白魔導士がお亡くなりになり、そのまま全滅。時の神殿ではバックアタックされると漏れなく全滅か瀕死に。どんな確率ゲー!
・レベル40ぐらいでバハムートに戦いを挑んだら、瞬殺される。攻略上は順当なタイミングのはずなのにおかしい。
・古代の民の迷宮を順調に進めていると、キングベヒーモスが出現。お、体がでかくてグラフィックがかっこいい!と余裕をかましていたら、メテオ連発され全滅。キングベヒーモスってそんなキャラだったっけ??
バックアタックされると瀕死になるのは、終盤まで変わらなかった。確かに、このあたりの難しさはFC版を彷彿とさせるが、やはりFC版の暗黒の洞窟で増殖しまくる分裂キャラのが恐ろしい。
<あっさり倒せた記録>
反対に、あっさり倒せて子どもの頃のトラウマを解消できたボスたち。
・ネプト神殿のおおねずみ。ちゃんと黒魔導士3人+白魔導士1人で行ったらあっさり勝てた!FC版では、面倒くさがって物理系のシーフ+戦士を変えず、シーフでとんずらしまくっていたので、ジョブも小人向きでなくレベルも低く死にまくった。横着するな、子どものころの自分。
・まどうしハイン。もちろん、学者を加え、今回は風水師にも初チャレンジ!学者で調べて弱点を黒魔法!…あれ、黒魔法がたいして強くないぞ?風水師の地形!「シャドウフレア!ダメージ4000!」ハインを倒した!…ポカーン。な、なんなんだ風水師!風水師の強さとランダムな面白さを気に入り、しばらく風水師を使い続けました(その後、シャドウフレアを見ることはめったにありませんでした)。
・ガルーダ。竜騎士の装備を揃えるのが面倒だったので、編成を変えずにとりあえず突撃したところ、2ターンの間1度もいかずちを使ってこず2ターンの総攻撃で撃破!いかずち使ってこないガルーダって何だよ!
・暗闇の雲。ちゃんとレベルを60ぐらいに上げていったら、それほど苦労せず倒せた。片方の職種が物理攻撃通らず焦ったが、放っておいて結果として問題なかった。熟練度99のシーフでキングベヒーモスからまもりのゆびわを人数分回収していたのも良かったっぽく、いかずちがそれほど痛くなかった。
<ジョブ>
・シーフ:熟練度を上げようとはじめから使い続けたら、エアーナイフ(海底洞窟)とベヒーモスナイフ(時の神殿)を手に入れたあたりから攻撃が異常に強くなり無双に。忍者と防具も大してかわらない(頭リボン、鎧ふうまのころも、腕まもりのゆびわ)ので、個人的にはシーフ押し。
・ナイト:ずっと使っていなかったが、戦士/ナイト系がいなかったので後半で加入させたら、熟練度は低いは素早さは遅いは弱い弱い。しかし、武器が謎に充実しており、アルテマウェポンとエクスカリバー持たせておけば熟練度が足りなくてもマイナス点をすべて吹き飛ばす。
・風水師:上記のとおり、ハイン戦でびっくりしてから後半まで使ったが、明らかに黒魔導士より使える。弱そうな見た目なのに前衛に立ててベルで殴るのも楽しい。シーフの無双化あたりから攻撃力が物理攻撃に負けてきて、古代の民の迷宮の前で引退。ランダムで安定はしないが、最後まで使うのもアリかと。
・黒魔導士:おまえ、弱いよな!強いのは序盤のみ。もう少し、黒魔法に見せ場を作ってあげて欲しかったかも。威力も大したことない上に、利用回数制限があるとやっぱりキツイ。中盤で物理系ジョブを風水師にして黒魔導士を残していたのだが、黒魔導士をクビにして風水師にすべきだった。
・吟遊詩人:終盤で加入させて鍛えた。回復して補助して攻撃して面白いぐらい役立つ。役立たずから主力に昇格、おめでとう!
最終パーティは、シーフ+ナイト+吟遊詩人+導師。召喚魔法を使う機会は1度もなかった!3の召喚魔法はストーリー性もまだそれほどないし、まあいいか!
<鉄巨人>
・見に行ったら、2ターンで全滅。物理攻撃で3000くらうのでまったく勝てない。レベル80~90は必要と見た!が、レベル上げするヒマがないので、YouTubeでバイキングを活用して倒している人の映像を見て満足して諦めた!
<総評>
・十分に楽しめた。思い出の中にあったFC版が色鮮やかによみがえった感じ。
・グラフィックの制限上仕方なかったのかもしれないが、モンスターが6体(8体?)ワラワラ出てくる理不尽さはもう一度味わいたかった。
・ジョブ的には、風水師と吟遊詩人がツボだった。黒魔法の使いやすさがもう少し良ければもっとバランス良かったかも。
・FFは回数制限のない回復手段の有無でプレイ難易度が相当変わるよなあ。吟遊詩人(と長老の杖)ありがとう。
最後になるが、スクウェア・エニックスには、FF4をDS版オープニングムービーのクオリティでフルリメイクすることをいつか期待したい。
其名曰。阿若?陳如。摩訶迦葉。優楼頻螺迦
訶迦旃延。阿?楼駄。劫賓那。?梵波提。離婆
多。畢陵伽婆蹉。薄拘羅。摩訶拘?羅。難陀。孫
三藐三菩提。不退転。皆得陀羅尼。楽説弁才。
転不退転法輪。供養無量。百千諸仏。於諸仏
所。植衆徳本。常為諸仏。之所称歎。以慈修身。
訶薩。八万人倶。爾時釈提桓因。与其眷属。二
倶。有四阿脩羅王。婆稚阿脩羅王。?羅騫駄
阿脩羅王。毘摩質多羅阿脩羅王。羅?阿脩
礼仏足。退坐一面。爾時世尊。四衆囲繞。供養
義。教菩薩法。仏所護念。仏説此経已。結跏趺
坐。入於無量義処三昧。身心不動。是時天雨。
遍。下至阿鼻地獄。上至阿迦尼?天。於此世
当以問誰。誰能答者。復作此念。是文殊師利
界荘厳。於是弥勒菩薩。欲重宣此義。以偈問
曰
どんくらい強いかというと0.8ヴァルキリープロファイル2くらい。雑魚敵でもこっちの体力を一撃で半分削ってくるくらいは余裕でしてくる。
ついでに、装備が手に入らない問題。今回ふしぎな鍛冶というシステムが導入されたのが原因。鍛冶のレシピを見つけて素材を集めてトンテンカンテンしてようやく装備が手に入る。でも、無えよ、素材。
レベル上げが嫌いなのであんまりレベル上げしなくって、ウルノーガを倒したのも主人公レベル43ぐらいだったのだけれど、今レベル45で導師の試練に挑みに行ったらボスに手も足も出なかった。5ターンくらいで全滅。つらい。
レベル上げしなくちゃなー、と思うけど、レベル上げめんどいなー、とも思うし、まぁ頑張るんだけど、もうちょっと敵が弱くてもよくね?とうっすら思っている。
日陰が寒そうだったから、こっちにおいでよ、と日なたに連れだした。
いやだ、日なたは暑いから、というあなたは、太陽から顔をそむけながら、
それでも日なたを楽しんでいるように見えた。
日なたとは、こういうものなんだと、語るわたしに耳をかたむけながら、
しばらくあなたは、日なたですごした。
そして一区切りついたところで、もう十分だ、といった。
もう、日陰にもどるのだという。
わたしは、あなたを日なたに連れだす役目があるのだ、と伝えたところで、
あなたはふふっと嗤う。
あなたは、こういった。
その役目とやらで、アイデンティティをつくりだしているのね、と。
そういわれて、どこかで、なにかがずるりとむけた。
ちょうどライチの固い皮がむけるみたいに。
強烈に。強制的に。
わたしの役割とか、わたしのやるべきこと、とか試行錯誤しても、
ほんとうはそんなものありはしなくて、
ただ生きてるという時間の概念だけが存在しているだけなのかもしれない。
そうして、わたしの中で、よりどころがなくなった。
心地よいほどに、消え去った。
ふとおもいだす。
どう生きればいいのですか、という壮大な問いに、
やりたいならやればいいし、やりたくないならやらなきゃいい
と導師は、こたえた。
どうやら、そういうことらしい。
どうやら、
そういうことらしい。
さあ、どっちに歩いていこうか。
色んなデッキがあってそれぞれのコンセプトで楽しめればいいのだが、(低予算、単色、部族など)
しかし、現実には同じようなデッキとカードが出回り、結局はパワーカードと札束で殴り合うというパターン。
ゼンディカーの同盟者、ギデオン 3600円×4=14400円
何よりも致命的なのが、フェッチランド
一枚3000円はする。それを8枚デッキに入れるだけで24000円
大会で勝とうと考えたら、5万ー10万近い出費がかかる。
ハッキリ言って異常だと思う。
まあ、安いデッキも作れるけど、白黒戦士とか今だったら2000円ぐらいで作れると思う。(もちろん、ゼンディカーの同盟者、ギデオンなんて入れない、ソリンすらいれない)
勝てないよはっきり言って。あとは赤単で12000円ぐらいだと思う。
カードゲーム界隈の人間は平気で一枚3000円のカードを買っていくが、普通の人から見れば異常だと思うよ。
「カード一枚で3000円!」
しかも、最悪なのがカードの価値が下がっていく事、一枚3000円だったカードが2年たてば300円ぐらいになるこなんてざらだしね。
こんなこと書けば、「じゃあ止めたら」「ビンボー人」というコメントが来そうだけど(笑)
でも、よれよれのシャツを着て、カードゲームをやってる姿を見ると「おい、1ボックス買うお金をファッションに回せ!」という気持になる。まあ、オタクやマニアはファッションや食費をあまり重要視しないけど、mtg界隈の独特のノリは特殊だよ本当。
あと、ルールも複雑だから初心者が分からないことも多い。大会とかで初心者に優しく教えてあげれば良いんだけど、酷い対応する人が多いと思う。
複数クリーチャーが並んだ時のブロックの処理とか分からないよはっきり言って。
一枚400円ぐらいのカードを使えばそこそこカジュアルレベルでは強いデッキが作れると思う。
デッキ総額1万以内や3万以内、単色大会、カジュアル大会とかが多ければ良いと思うけどほとんどない。
あるカードショップのコメントに囲碁や将棋やマンガは価値下がるけど、mtgならレガシーやヴィンテージで1枚1万のカードは値段が下がらないからお得ですって書いていたけど
その感覚が特殊だよ。ほとんどの趣味は初期投資に3万ぐらいかければながなが遊べる。
でも、mtgは初期投資3万ー5万でスタートしてもせいぜい2年間で最初に買ったカードが使えなくなる。
大会である程度勝とうと思ったら、カードを買い足していかないといけない。
今、話題のグラブルと同じだよ。データに3000円回してガチャやるか?カード一枚に3000円払うか?
ただの好き嫌いの話で、長い思い出話。
思い出話で恥ずかしいから、特定されないように細かいことをごまかして書いた。
長えよ、と言われる前にまとめると
「ただの長い思い出話で、宗教が原因で好きな景色が無くなったから、俺はこの宗教が嫌い。」
というだけの話だ。具体的な宗教名は書かない。
六月になると亡くなった祖父を思い出す。祖父が亡くなったのはずっと前の年の瀬、来年は会えないかもと入院中に見舞ったのが最後になる。
田舎に住んでいた。両親は同じ地域で出会い結婚したので、母方の実家もチャリンコで必死に行けばたどり着く距離だった。車では20分くらいか。
思い出す祖父というのは母方の祖父。母はパートがあったので、小さい頃は週の半分以上、学校から帰ると姉と一緒に預けられていた。
その頃は祖父との思い出はあまりない。働き者だったので、俺と姉が預けられるとすれ違いで仕事に行ってしまう。あとから聞けば介護施設のボランティアみたいなことをしていたらしい。祖父が出勤前、早めの夕食をとる食卓で、俺と姉が一緒に座って、その日の出来事を喋ったりしていた。たまに仕事のない日には、ご機嫌、というかんじでビールを飲んでいた。この家は小さな商店だったので、好きなジュースを選んで良いぞと言われて、俺たちは普段の食事時には飲めないジュースを喜んで飲んでいた。
もちろん遊んでくれた記憶もある。夏休みはクラスでただ一人乗れていなかった自転車の特訓に付き合ってくれた。川で泳いだりとか。姉ちゃんと喧嘩して両成敗でゲンコツとか。
母方の実家、小さな商店をやっている、ややこしいのでA家としよう。
A家に頻繁に預けられたのは小学生の頃で、中学高校と成長するとそういうのは無くなった。
頻繁に預けられたA家は、よくある、たまに帰省するじいちゃんばあちゃんち、になっていった。
祖父はある病気になった。不調を誤魔化しごまかし過ごしていたのが、発覚したというか。A家の家の中は帰省するたび介護向けに変わっていった。母の兄弟、俺の叔父の趣味が日曜大工だったので、楽しい変化だと思ってた。(おっちゃんスゲー!階段つけ直したの?!みたいなかんじだった)
手すりが付く。急な階段は段数が増える。トイレが洋式になる。手すりが増える。掘りごたつからテーブルになる。布団がベッドになる。自動で昇降するベッドに変わる。喋れなくなったのでナースコールのボタンが付けられる。指先で押せなくなったから顔の横にボタン。
じいちゃんはどんどん悪くなる。ばあちゃんのやっている介護は、自宅介護でそんなことするんだ、というくらいプロみたいな作業までこなしていく。詳細は省くけど、いま思い返すとあんなことを無給で、かつ無休でやっていたのは驚く。もちろん医者やヘルパーさんが来てはいたけれど。
中学の後半くらいから、俺はデジカメを触るようになって、ホームページを作って風景や花の写真を載せていた。季節ごとにA家に顔を見せる程度の帰省をしていたので、A家の裏の田んぼだとか、家の軒先にあるバラだとか、そういう写真を撮った。本当にきれいだった。通り雨のあとの、雫が付いた葉っぱとか。俺には写真の才能があるんじゃねーのかと、進路相談の時、ニヤニヤを隠しながら担任に見せたら、景色やバラを褒めるので、あ、俺じゃなくて被写体がよく出来てるんだな、と気付けた。(担任も良い趣味だね、とだけ言う程度のレベル)
それでも見せれば褒めてくれる祖母にプリントアウトして渡した。次に帰省すると写真立てに入れてあって、寝たきりの祖父が見るテレビ台の横に飾られていた。
正直に言うと、帰省してもすることが何もない田舎の家で、あんなに元気だった祖父が寝たきりの様子を見ていたくなかったから、理由をつけて外を散策するために写真撮影を趣味だとしたんだった。そんな写真を、飾っている。申し訳なく思った。
大学に進学して実家を出た。一年に一度か二度、実家に帰省するついでにA家にも顔を出す。時々A家ではなく病院だった。
大学二年の頃だったか、帰省するとバラがなくなっていた。A家は小さな商店かつ小さな農家でもあったが、家の裏手、裏庭のようなスペースはすっきりとなにも無いような、更地というほどじゃないけど、なにも、なかった。
母に尋ねると、手入れがねぇ、みたいな答えで濁す。そりゃあ、あんなに大変な介護だ。仕方ない。でもどうしても寂しい。友達が知らぬ間に引っ越していた、という感覚が近いかもしれない。A家の周りががらんとして、入院しているため家の中もがらんとしていた。窓の外から見える裏庭みたいな農地の緑がない。小さなぶどう園は支えの柵だけになっていた。姉は俺よりは多く帰省していて、草花を刈った話は聞いていたらしいが、目の当たりにしたのは初めてらしく、ショックを受けていた。というかちょっと泣いていた。俺よりずっと思い入れがあったらしい。その時まで知らなかったが、初孫である姉が生まれた年に植えた木があって、その木までも全部なくなっていたのだ。
それから数年も経たないうちに、祖父が亡くなった。小学生の時、きげんよく晩酌していた祖父に○○ちゃんが大きくなったらこれを飲もうなと言われた。俺は本当に未成年のうちに酒を飲んだりしなかった。でも成人したところで、祖父は寝たきりだったし、普通の食べ物すら食べられない状態だった。
葬式が終わって、A家から実家へ帰った。親戚が父と俺と姉を車で送ってくれた。母はA家に留まった。父は禁煙していた煙草を吸いながら、運転手をしてくれた親戚のおばちゃんとコーヒーを飲みながらぽつりぽつり喋っている。姉はその輪の脇で黙って座っている。俺はすぐにでもスーツを脱ぎたかったが、とりあえずその部屋からは出ないでおいた。葬儀のあとの食事?宴会?で、これでもかと酒を飲んだので、半分寝ながら部屋の隅にいた。従兄弟が下戸で、その分まで飲んでたからほんとフラフラになりつつも、みんなまだ着替えないから着替えちゃ駄目とかそういう決まりがあんのかなと寝そうになりながら携帯をいじる。
変な葬式だねとか、やっぱり○○だねとか、そういう話から、姉も会話に加わる。
「たぶんね、そういう仕組みはよく知らない」
「○○の木を切れって言ったのあいつなんだ」
なにそれ。俺は隅っこで携帯をいじってたけど、思わず声になった。
祖父が寝たきりになってから数年して、仏壇の雰囲気が変わった。その頃俺は中学とか高校くらいのガキなんでよく分かってなかった。いまでも詳しくは知りたくない。
有名な、ある宗教だ。この長い思い出ばなしはこの宗教が嫌いだと言うだけの長話だ。たんに俺の好悪の話なので、具体的な名称は伏せる。
経緯は分からないし知りたくないが、浄土真宗だとかのいわゆるよくある宗教から、その宗教に変わったそうだ。祖父が寝たきりになったところにつけ込んだような気がしてしまう。
祖父が患ったのは国の指定を受けるような難病で、そんな夫と共に生きるためには、新たな宗教は必要なのかもしれない。それは仕方ない。祖母が生きるためには必要だったはずだ。
その宗教の、導師さまとかいう地位の人が、A家に来てくださって、アドバイスをくださったらしい。
伝聞の伝聞くらいのことしか俺は知らないため正確にはどう言ったか分からないが、そいつは、A家にある緑が祖父の生命力を奪っていると言った。
だから草花を切りなさいとまで言ったかは知らない。じゃあ切らなきゃねと祖母が感じただけかもしれないが、そいつはそんなことを言って、次にA家へ来たのはじいちゃんの葬式の時だけ。
俺だって、風水で西に金色のものを置くと金運アップと聞いたらなんとなく西に金色を置きたくなるし、ラッキーカラーは青ですなんて言われたらメモを取る時のペンを青にしようかななんて思う。ただ俺の機嫌がよくなるだけだ。その程度でいい。
祖父は、ALSだ。筋萎縮性側索硬化症。根本を治すような、有効な治療は確立されていない。指定難病だ。
導師さま曰く、祖父の健康を吸い取っているのは、ぶどうの木や、小さな露地栽培の野菜、姉の生まれ年に植えられた木、雨露がかかると一層美しいバラたちだそうだ。
腹が立つというより、呆然、というかんじだった。
A家周辺の景色や、草花の写真がきれいに撮れたから、嬉しかった。ばあちゃんも褒めてくれた。寝たきりのじいちゃんが見るテレビ台の所に飾ってくれた。姉ちゃんが泣いたくらい思い入れのある木。いろいろある。いろいろあった。
祖父が亡くなって一人になった祖母は、田舎の狭いコミュニティの中で孤立したりしなかった。宗教のおかげだ。会合に参加したり、そこのひとたちとバスツアーで旅行に行ったり。それだけは、よかったと思う。
それでもあの宗教は、嫌いだ。祖母も草花を刈ることで病気になにか影響すると真に思っていたのではないと思う。俺の撮った写真だけでなくほかの人が撮ってくれたバラの写真も残していたし。本当に病状に関わっていると信じていたら、写真すら残さないと思う。
祖母も亡くなり、何年も前から、このA家にまつわる話をぼんやりと思い返しては、増田にでも書こうかなあと考えていたが書き切れたことはなかった。
五月や六月の、バラがきれいな時期になるとどうしても書いておきたくなった。
あんなにきれいな景色が寝たきりの祖父の生命力で育っていたらロマンチックだ。ファンタジーだ。ふざけんなあり得るか。
先日、姉が結婚した。なにか特別に贈ろうと写真のデータを見返していたら、姉と同い年のあの木が写った、緑豊かな写真があった。あげたらすんげー喜んで泣くから俺も泣いちゃったよ。
じいちゃんもばあちゃんも大好きだ。病気はどうしようもないし、ばあちゃんの選択は過ちではない。必要だった。生きる上で、大切な指標で、手段なのだろう。
先日久しぶりに、自社ビルの脇道に猫の餌(ドライフード)が置いてあった。
◇ ◇ ◇
総務のハイミスYさんは、通称「猫の引導師」と呼ばれているだけあり、猫がとにかく嫌いで、
これまでも猫の餌を見る度に処分し、猫が嫌がるようにペットボトルを置き、画鋲を巻くなど、
Yさんの考え得る「猫の嫌がること」は全て実行していた。
◇ ◇ ◇
しばらく猫にとって受難の日々であったが、Yさんにとっては平穏無事な日々であった。
そうして数ヶ月後、野良猫たちは新天地を求めたのか、徐々に姿を消しいき、
我々社員達も猫がにゃーにゃーと徘徊していた時代を忘れかけていた。
◇ ◇ ◇
そんな時に例のキャットフードである。
Yさんは忘れかけていた記憶が蘇り、猫への憎しみで一杯となった。
餌をまいている誰かさんが餌を用意すればするほど、猫たちは苦しみを味会うことになるのである。
Yさんも、仕事中であろうがランチタイムであろうが、猫への憎しみと復讐心で満たされていた。
「猫が・・・・・・猫が・・・・・・」とブツブツつぶやく姿を見た者はその晩、夢にうなされたそうである。
Yさんも「餌まき氏を見つけて注意する」とか「張り紙で注意を促す」といった理性的な感情を失い、
ただただ猫をいぢめる事のみ考えていた。
◇ ◇ ◇
そんなこんながあったとはつゆ知らず、エレベーターでYさんと同乗した際に、
にたにたと笑うYさんを見て寒気が走った。
その姿は皮肉にもチェシャ猫のようだとわたしは思った。
そしてエレベーターが1階につくと、
「ぐぬぬんうぬぬぬぬううんんおおおーーーんおんおんおん」
受付嬢に「何事?」って聞くと、「さぁ?」とかえってくるばかりなので、
◇ ◇ ◇
会社のビルの脇道は人が一人かろうじて通れるかどうかの細い通路で
そこをYさんは四つんばいになって、
「うぉおおおおんんんん、うぉんんうぉん」と低い声で咆吼をあげ走っていた。
そして奥まで走っていったYさんが折り返して、こっちに戻ってきた。
「だ、大丈夫ですか・・・・・・?」目があったので思わず聞いてしまった。
『今までいろいろ試してきたけど、これが一番猫には聞くの。猫も怖がってしばらくは寄りつかいないでしょ。』
Yさんはどこか誇らしげだった。
わたしは「そ、それはよかったですね」
とだけ答え、先輩に頼まれたキャットフードを買いにコンビニへ向かった。
【匠接頭辞表】【匠接尾語表】
111:1/25の 11*:【小要素表】の 1**:【小要素表】と【小要素表】の 22*:【空間要素表】の 23*:【住要素表】の 244:【小要素表】の心の 245:コントラストの 246:アップテンポの 255:断面構造の 256:バリアフリーの 266:吹き抜ける風の 333:京町家の 334:体感面積の 335:間仕切りの 336:多機能の 344:寛ぎの 345:機能美の 346:境界線の 355:潤いの 356:自然素材の 366:温もりの 444:廃材の/健康庭園の/花と木の 445:夢の館の 446:森の木の 455:【好きな形容詞】機能の 456:迷宮の 466:節約【初期獲得スキル】の 555:【1d6-1】次元の 556:【王国名の通称】建築に魅せられた 566:【王国の特産品(無ければ【相場表】)】使いの 666:【今現在現地時刻で午前0時台の好きな都市名/地域名】の
11:狭小 12:和/和み 13:家 14:モダン/モダニズム 15:人 16:ゆとり 22:笑顔 23:心 24:時 25:風 26:影 33:水 34:光 35:暮らし 36:空 44:収納 45:動線 46:明かり 55:安心 56:迷宮 66:やすらぎ/安らぎ
11:ゆとりの空間 12:機能空間 13:空間演出 14:狭小空間 15:居住空間 16:住空間 22:空間連鎖 23:空間構成 24:安住空間 25:立体空間 26:癒し空間 33:空間攻略 34:空間 35:時空間 36:空間方程式 44:四季彩空間 45:【好きな形容詞】空間 46:【小要素表】空間 55:【現在/過去/未来】空間 56:迷宮空間 66:【ランダムに選んだ王国内に設置済みの施設の名前/略称】空間
11:ゆとり住宅 12:元気住宅 13:懐古住宅 14:健康住宅 15:古き良き住まい 16:感動住宅 22:個性派住宅 23:住機能 24:住構造 25:住環境 26:住空間 33:生かす住まい 34:住まい 35:住風景 36:【小要素表】と住まい 44:【小要素表】住宅 45:【温暖/寒冷】住宅 46:【プレイヤーの足下の素材】住宅 55:【好きな形容詞】住まい 56:迷宮住宅 66:【感覚表】住宅
1:視覚 2:聴覚 3:触覚 4:味覚 5:嗅覚 6:五覚
111:親子/層造者 112:ストーリーテラー/語部 113:アルピニスト/フリークライマー 114:主治医/救命士/セラピスト 115:栄養士/整備士/療養士 116:若き志士/風雲児/野心家 122:未来予報士 123:アーティスト/芸術家 124:パティシエ/ソムリエ 125:奇才/天才 126:開拓者/開拓師 133:継承者 134:伝導師/説法師 135:時代考証人 136:造形師 144:融合者 145:仕事人 146:リベラリスト/自由主義者 155:保証人 156:伝承者 166:細工師 222:ヘルストレーナー 223:スペシャリスト 224:操縦士 225:発明家 226:旅人 233:詩人/俳人 234:魔術師/錬金術師 235:探求者/探検家/探訪者 236:印象派 244:ライフプランナー 245:エンターティナー/演出家 246:アテンダント/アナリスト/ナビゲーター 255:調律師/ハーモニスト 256:請負人/代弁者 266:調光師/調合師 333:赤ひげ先生 334:エコガイド/エコロジスト 335:アスリート 336:マエストロ 344:改革者/革命家 345:交渉人 346:仕掛け人 355:智将/戦略家 356:【(何も付けない)/動線/生活】【仕立屋/仕立人】 366:奏者 444:熱血講談師 445:粋人 446:解放者 455:渡し人 456:迷宮【匠接尾語表】 466:【好きなカタカナ語】アーティスト 555:スタイリスト/療法士/ソムリエ 556:空間【匠接尾語表】 566:カリスマ【クラス名】【ジョブ名/ジョブ名の英語表記をカタカナ化】 666:ランドメイカー
2010/04/17(土) 16:00 からスタートしています
http://live.nicovideo.jp/watch/lv14744006
の法話に感動したので文字起こししてみた。
(なお、「えー」は読み易さを重視して取り除いてありますのであしからず)
はい、本日はご参列の皆様、そしてまたご視聴の皆様、献花を頂きまたいろいろと温かいコメントを頂きまして本当にありがとうございます。
また、長らくのご長座、誠にお疲れ様でございました。
本日導師を務めさせて頂きました。削除動画の供養祭と聞いておりましたら、動画供養ということでございまして、少々焦った蝉丸Pと申します。本日はよろしくお願い致します。
動画供養ということでですね、法話の方を一つということで言われましてですね、さて何を話したものかなと考えましたけれども、今回ですね動画供養ということで、供養というものについてですね、一つお話ができたらと思っております。
よく一般的に供養と申しますとですね、今このように皆さん黒い服を着られましてですね、喪服を着て亡くなった方のためにする、それが、供養というふうに一般的にイメージが有るかと思います。
お坊さん呼んで、ワケのわかんないお経聞かされて、焼香やったらやることがなくて、しまいに足がしびれて、あ~やれやれと。
ま、こういうね、仏式の辛気臭いイメージと言うのがあるかと思いますけれども、供養というものの種類にですね、亡くなられました方の後生安楽、次の世がね、どうか無事で平和なものでありますようにと、ま、このように拝んでいただく供養や、法の供養、こうやって教えを説くという法の供養。そして、歌舞音曲、歌や、舞や、芸能というもの、これは元々宗教行事でございました。
そういったものを捧げてですね、賑やかに供養をする、供養と言っても、一口にいっても、これだけ種類があるわけでございます。必ずしも亡くなった方のためだけのものではないと、こういうことでございますが、世の中、この供養ということをですね、脅し文句に使う人が結構いるわけでございます。
あんたが不幸なのは、先祖の供養をやっていないからだとか、七代前の先祖とかですね、水子さんがとか、こういうようなことを言ってですね、アレを買いなさい、コレを買いなさいと。こういうような人達もおりますので、供養という言葉、なんとなく、まぁ胡散臭いというか、疑ってかかんなきゃいけないのかなと、こういう世知辛いことになっておるわけでございますけれども。
今これ見ていただいているユーザーの方の中にもね、自分だけはそういうもんには引っ掛かれへんでと、ま、こういう風に考えている方もおるかと思いますけれども、人間ですね、アイドルマスターの2が発売になるとかですね、いや取りやめだとかですね、Twitter上のTL(タイムライン)にそんなものが流れますとですね、一気に心の隙を突かれまして、右往左往する。
われわれ、自分のリテラシーというもの、情報のリテラシー、これをこう過信している方もおられますけれども、案外、簡単に釣れるもんでございます。
あんまり、自分自身のね、目と耳、コレを信じ過ぎるというのは、よろしくないですよと。
話がずれましたけれども、このようにですね、供養ということ、一般的には、じゃ、なにをやったら供養なのかなと。
手合わせて、お仏壇の前でやれば供養なのか、お墓に行けば供養なのか。逆にそういうことはしてないけれども、心の中では手を合わせてますよと、やってない方に限ってこういうことを言いますけどね。
ですから、この供養ということ、一つ覚えておいていただきたいのは、仏教の本来的な意味ですね。
本来的な意味で、供養というのが何かと言うと、手を合わせて、拝んでいただきますときにですね、亡くなられました方をはじめ、自分や、自分の身の回りの人や、生きているこの世の中の他の関係のある、全てのものが、皆どうか幸せで苦しみから逃れますように。
こういう風に自分の心を養っていただく。
ここが、一番最初のですね、仏教的に正しい、一休さんの歌ではなくて、仏教的に正しい供養と、いう事になるわけでございます。
今風に申しますと、他のものに対する思いやりの気持ちや慈しみの気持ち、これを育てていただく。
心のトレーニングをしていただくというのが、仏教でいう供養の一番重要な部分なわけでございます。
ですからですね、こういう風に、動画の供養とかですね、亡くなった方のためだけのものではなくてですね、他の全てのものに対してのそういう想いを心に養うということ、この養ったものをお供えするから供養でございますと、このように言われているわけでございます。
われわれ、普段何気なく動画を見ていたりですね、歌を聞いたり、また人に会ったりと、こういう事をしているわけでございますけれども、その人が、その動画が、その歌が、自分の前に届くまでにですね、どれだけ、苦労や、喜びや、いろんなものを経て今自分の前にあるんですよという。これがですね、心というものをちゃぁんと使っていないと、ぼーっと見ているだけで終わっちゃうわけでございます。
体と同じように、心というものも鍛えていただきませんとですね、どんどん鈍くなるんですね。心が鈍くなるとどういう風になるかと言いますとですね、斟酌(しんしゃく)、いわゆる人の思いを読み取ってあげたり、人の感情を汲み取ってあげたり、「おい大丈夫か」というこういう気遣い、これが出来なくなってくる。
いわゆる、空気の読めない人っていうのはですね、気を使いすぎて空回りという、こういう場合を除けばですね、だいたいそういう部類なわけでございます。
どんどん心が弱っていくわけです。
そして、この心がどんどん弱りますとどうなるかというと、素直に物事を受け取ることが出来ない、感動することが出来ない、心を震わせることが出来ない。
そのうちに、不満と、怒りで自分自身すら支えることが出来なくなってしまう。
ですから、この心をね、鍛えるというこういう供養という意味は、かなり重要なわけでございます。
体の異変はね、お医者さんに行けばRGT-γとかですね、数値は出てきます。
言葉の方は、これもぐっと確率低くなりますけども、親しい人や、自分を心配してくれる人だったら、注意をしてくれます。
でも、心というのは自分自身でよほど気を付けないとですね、誰かが手を貸してくれるものではないんです。
ですから、仏教では自分自身の、あなたの良い心を育てるようにしてください。
供養ということ、手を合わせてね、まんまんちゃーん、チ~ンと、はいこれでおしまいと、まぁこういう方もおられますけれども、そうではなくてですね、自分自身の、他のものに対する思いやりの気持ち、慈悲の心、これを育てていくんですよと。
ここを一番、知っておいていただきたいと。
お金を払えば供養か、物をね、買えば供養か、何かをすれば供養か。何をすればいいのか分からない。
一番重要なのは、心を育てていただくということ。
このようにですね、動画再生の少ない動画ということでまた日の目を見ますようにということをですね、今村先生の故事に習って今この歌供養ということをいたしたわけでございますけれども、日々、日常の生活の中でですね、そういったものに、あたかも消えては浮かび消えては浮かびのですね、ホントに諸行無常のような、このニコニコ動画のですね、この動画の群れの中で、縁があってクリックしたわけでございます。
縁があってクリックしてですね、自分の気に入るものもある、気に入らないものもある。
指摘をしたり、批判をしたり、こういうこともある。
あるけれども、その最後に
「GJ!」
の一言か、「お疲れ!」とこういう風にですね、書いていただけるだけで、作る人間としてはですね、作り手の方としては、それを励みに、画面の向こうの見ず知らずの誰かのために、それを思ってですね、「また明日から動画作ろう!頑張ろう!」とこういう風になれるわけでございます。
なかには、純粋にね、自分の楽しみだけということで、誰得という動画もあるわけでございますけれども、作り手の方がニコニコしていただき、また受け手の方もニコニコして見られるという、こういう環境を目指していきましょうと。
そのために色々と言いたいこともある、批判したいこともある、指摘したいこともある。
それを言った後にですね、で・も、ツンデレ風にですね、
「GJ!」
「お疲れ!」
こういう風に言っていただきましたらですね、みんながニコニコしながら動画を作成してやっていけるんではなかろうかと。
ですから供養ということね、心を育てるということ。
こういう形式は、定期点検みたいなもんです。普段一番重要なのは、日日(にちにち)のご修行、一日のうちのどこかでもですね、そういう心を育てていただきまして、習慣としてください。
習慣にならないと、どんどん悪くなります。
仏教では、人間てのは善でもなく悪でもないですよと。慣れ親しんだ方向に行っちゃうんですよと。
悪い方に慣れればどんどん悪くなるし、良い方に慣れればどんどん良くなる。
心を良い方へ持っていく、そのための気持ちを養う。
ここを一つ覚えておいていただきまして、これが一番重要なことでございますのでですね、覚えていただいて、日々ご精進いただければなと、思っておるわけでございます。
さすがにそのー、そうそうたる面々を前にしましてですね、ちょっと足の震えが止まらないなということでございますけれども、これを以ちましてですね、ニコニコの動画供養の方を終了と、させていただきます。
それでは、ご床座お疲れ様でございました。
二次元と三次元の優劣を議論し、吹き上がっている人々を時々見かけるが、これはいかがなものか。
古来より「我思う、ゆえに二次あり」という言葉もあるように、思考する事によって二次の良さが成立しているとも言える。また、三次は三次でそれはそれはめくるめくように気持ちよかったりもする。大事な事は、二次元であろうと、三次元であろうとどうやって自分の脳を刺激し脳に快感をもたらす物質を発生させる事が出来るかという事である。そのポイントさえ抑えていれば、四次元であろうが五次元であろうが構わない。
『いかにして自分の脳を快感に導けるか』という事を命題として考察した場合、「三次はファンタジーが足りない」「二次は得られる情報が限られている」などと、二次元派、三次元派の双方が揚げ足取りのように罵りあっていても、不毛でしかない。それぞれの派閥は、それぞれの派閥にあった形で、確固たる快感へのプロセスを持っていて、それが自分の脳を最も興奮させうるのである。相手に自分の派閥の素晴らしさを伝えようと頭ごなしに罵倒しても、それは相手の態度を硬化させるだけだ。相手の派閥の偶像を罵って貶める行為はさらに愚劣であると言える。
ならば、どうすれば良いのか。その答えはシンプルで明確だ。自分がいかにして二次元なり三次元で脳を快感に導いているかという事を訥々と語れば良いのである。まさに太陽と北風作戦だ。北風のように相手を罵倒しても相手は何も聞き入れはしない。「二次の素晴らしさはね、まずはここからこういう感じで入って行くんだよ。ここでこのキャラがこういうシチュエーションでこんな感じになっちゃったら、果たしてどうかな?」と自分の快感を導くノウハウを語ってみるのである。相手が「むう。それは!」とでも言おうものならもうほとんど陥落しかかっている。二次元派の布教活動はめでたく成就するわけである。立場が変わって三次元派が二次元派を説得する場合も同様である。
相手をこのように説得できるようになれば、それまで2chや増田で『二次厨』と疎まれてきた方も、たちどころに『二次の導師(グル)』とあがめられる事、請け合いである。三次元派の場合も同様である。
ただ、いかんせん向き不向きという物がある。いかに太陽と北風作戦を実行しようとしても、説得すべき相手の脳内が、すでに完成されたダイヤモンドのようにピュアな二次元脳であったりすれば、三次元派の説得工作は徒労に終わる場合も多分にして存在する。もう三次元のいかなる刺激でも、一ナノグラムの脳内快楽物質が分泌されないのだ。これは訓練や教育でどうなるものでもない。もちろん議論などおこなっても無駄中の無駄である。触れてはいけない世界というのも世の中にはあるものだ。これは、アマゾンの奥地に残る最後の秘境のように、そっとしておこうね。
二次元派、三次元派はそれぞれ説得が行えそうな人々に対し、有意義な説得を行うべきである。説得に応じる人が増えれば、その派閥のコンテンツは繁栄していくのである。