はてなキーワード: 内向的とは
小さくうつってる写真でも男に見せたら九割がたがこの可愛い子誰?と食いついてくるレベルだ
でも死ぬほど内向的なので幼馴染達の居ない大学の入学式でリア充空気に耐えられず名前を呼ばれて返事できなかったトラウマとかで不登校になり引きこもってしまった
これ、見た目のことを出さずに、内向的な自分の性格のことだけ話せばいいのに、容姿が優れてるとかいう余計な情報が乗ってるせいで、くそうざそうな感じしか伝わってこない。
もし、大学院への進学や就職で悩んでいる大学生あるいは大学院生の目にこの文が届くかもしれない。
そのとき少しは参考になればと思っている。
あくまで基礎研究をする学生の偏った主観で記載していることには注意されたし。
特に工学系研究科には適応できないかもしれないことはあらかじめ言及しておく。
進学を望む大学生のモチベーションはどこからくるのだろうか、と私は常々疑問に思う。
自分の中にある知的好奇心、学問的探究心がおそらく大多数を占めるのだろうと思うが、それに一生ないし大学院生活を賭けることにどうして踏み切れるのか?
ライフサイエンスと化学の中間のような研究室だったことから、この研究が将来誰かの健康を守ることにつながればと考えていた。
しかし、アカデミアの世界にはこのような情熱は不一致であったように思う。
私は高学歴・知的の権化として彼らを認識していたが、それはあくまで学問という極めて内向的な世界においてのみである。
彼らは学問を中心に生活し、休みや遊びをごく少量しか要求しない。
仕事(=学問)が生活の8~9割を占めることが普通で、それを学生にも平気で要求する。
学問的な正しさに目が向くばかりであり、研究を活かして企業へ就職する事への理解は乏しい。
誤解を生みたくないがために、少し補足するがこれは私がさぼり魔であるからこのように感じているわけではないということだ。
一応大学も大学院もそれなりに努力して入るところに入ったつもりだし、この感覚が著しく逸脱しているわけではないと思う。
だからこそ、アカデミアにはびこる理不尽とそれを容認する上役に疑問があるのである。
話をもどそう。
アカデミアに残り、博士へ進学する人はこの環境下が好きだということでよいのだろうか。
あるいは、このような環境をマイナスとしてとらえていても、補ってあまりある何かモチベーションがあるのか。
私にはわかりかねる。
これは私の価値観だが、上記のような点を踏まえて、かつ運が悪ければ重要なポジションにつくことが難しいアカデミアにいるよりも、企業に行って高給取りになった方が良いのではないだろうか。
私と同じくらいの年齢の学生に問いたいのは、本当に進学(あるいは就職)するという選択が自分にとってベストなのかを十二分に考えてみたのか、ということである。
進学を希望する場合は上記のようなアカデミアの性格を十分にとらえた上でのことなのか、よく考慮してみてほしい。
幸いなことに、修士課程は二年と程よく短い。
故に、入ったことを悔いても二年だけ何とかやれば博士と違って就職するのにもなんら特殊な工夫が必要になるわけkではない。
それにつらさ以外の部分で大いに収穫になることも多々あることも事実だ。
現に私はつらいとは思うもののいまのところ何とかやっているし、大学院に来てよかったと思うこともある。
先日、どこにでもあるチェーン店のカフェでコーヒーを飲んでいた時の話。
私は隣に座ったおばちゃんに声をかけられた。
「お嬢さん、この辺で働いてるの?」
「まぁ、そうっすね」
「飲食店?」
「あらそうなの。綺麗だからお店で働いてるのかと思った。私、○○(大手保険会社)の支店長してるのよ。ほら、すぐそこのビルに入ってる」
「へー、すごいっすね」
「よかったらうちの営業にならない?うちも人手不足で大変なのよねー」
「いえ…営業とか向いてないんで」
「大丈夫。営業っていうのは第一印象が重要なの。お嬢さんみたいに綺麗なら向いてるのよ」
ものすごい勢いで喋りまくるおばちゃん。突然知らない人に話しかけられてビビる私。
その後、なんだかんだで結婚しているのか彼氏はいるのかと聞かれた挙げ句、今度会社で婚活パーティーをやるので来ないか、と誘われた。結婚願望はないので大きなお世話である。
おばちゃんはなんども「お嬢さん綺麗だから」「そんなに綺麗な人は営業向きで貴重だから」とものすごい営業トークでスカウトを始めたが、私は今の仕事に未練があるので断った。
名前と連絡先を教えてほしいと言われたところで、これはまずいと思い丁寧に断ってから急いでコーヒーを飲んで店を出た。
その前は、撮影スタジオが入っているビルでエレベーター待ちをしていたときに「もしかしてモデルさんですか?」と話しかけられたこともある。他のフロアに用があっただけなのだが。
他人の容姿を見て遠慮なく声をかけてくる人に出会うと、内向的な私にとってはものすごい恐怖である。
容姿を見て声をかけてくる人は信用ならない。そもそも街なかで声をかけられるのはたいていヤバイ人か道に迷っている人くらいなので、どっちにしろ関わりたくない。
服装はカジュアルで地味めにしているし、髪を伸ばして顔を隠しているのだが、それでも見ている人は見ているらしい。
見た目が良ければ人生安泰、という主張をよく見るが、内向的な性格だとそれがデメリットに感じるときもある。恋人がいて、結婚できれば人生全てハッピーというわけではないのだ。違う人生を望んでいる人もいるということだけ書いておこう。良い容姿を望む人も、望んでいないのにそれを持っている人も、所詮は無い物ねだりなのかもしれない。容姿が良くてそれを武器に世渡りしている人は、たまたま見た目と性格が会っていただけなのだと思う。容姿がいいということだけでは順調な人生は歩めない。
あれ、もしかして改善すべきは内向的な性格のほうなのでは?とこれを書いていて思った。
しかし性格を変えるというのは困難だし、内向的なことが悪いとも思っていない。
最近転職して、都内でも特にパリピが集まる街に出勤することになってから、知らない人に声をかけられる事が多くてビビっている。
私はただ、余計な人と関わらず平穏な生活を送りたいだけなのに。
【以下追記】
どうせ自慢乙とか自意識過剰とか書かれてんだろうなーと思って見に来たけど案の定だった。
保険屋のおばちゃんは確かにセールストークかもしれない。が、それ以外に
アメリカでいうキャットコールの陰湿バージョンみたいなものかも。確かに顔の美醜は関係ないかもですねー。年齢と性別だけですかねー。
リアルでこんなこと言える友人いないし、ネットで書いても勘違い乙扱いだし、やってられねー。増田に書いたらちょっとスッキリするかと思ったけどそんなことなかった。人生マジでクソゲーだわ。キャラメイクどころか性別選択も失敗してるし。二分の一の確率なのに。現実でキャラメイクできるなら今頃ジェイソン・ステイサムになってるわクソが。
「人生がよくなる云々」っていうのは「見た目さえ良ければ人生ハッピーなのに」という類の意見をネットでよく見かけるから。私自信が「こんなに美人なのに人生うまくいかないムキー」と思っているわけではないですよ?さすがにw
それと「年取ったら〜」とか書いてる人いるけどこんなクソゲーあと何十年もプレイする気はない。
【追記の追記】
クソ雑魚な自分の増田史上一番伸びててサッカーグラウンド並みに草が生えまくりました。もう芝生です。コメントくださった皆様ありがとうございます。
深夜にちょっと冷静になって自分の書いた文章とコメントを読み返してました。これを書いた理由は、増田には書いてないちょっとヤバい人に関わってしまってアドレナリンが出てたのと、仕事で詰まっててストレスが溜まってたからです。でも、やっぱりホッテントリに上がってもストレスの解消にはなりませんでした。はてブは中身も残念な人が多いということを知ってがっかりしたので、週末富士山の麓あたりに遠征して頭を冷やしてこようと思います。まぁ、はてなのID持ってる自分も同レベルなんですがw
ざっと見たコメントの質問に回答すると、容姿で得したことはないです。お酒を奢ってもらえるとか、そういうのはあったけれどもれなくセクハラと引き換えなのでプラマイゼロだと思ってます。学生時代は告白されまくりでしたが上記の通り自分の性別に違和感があるのと、男性が(女性も)恋愛対象ではないので得とは思えませんでした。むしろ吐き気がするくらい。「モテてるのに贅沢言うなよハゲ」とか思ったそこのあなた。確かにそのとおりなんですが、先祖代々受け継いだ外見と性格の不一致のせいでうまくいかない例外的な人間も存在するので、世界にはあなたの身の回りの観測範囲だけでは納得できない人もいるということをご理解いただければと思います。
外野から冷静な意見をくださった皆様、ありがとうございます。垢バレ防止のために星は心の中だけでつけましたが、IDは覚えておきます。
私は反出生主義者なので今後も一人で生きていくことを決意しています。これ以上不幸な子どもたちを増やしてはいけない…それが自分の人生の役目の一つだと思っています。それから的はずれなアドバイスを書いてくださった方々。全然参考にはなりませんでしたがありがとうございました。非表示ユーザーが多いのでどれがトップブコメなのかわかりませんが、今後も人気ブコメ入りを目指して頑張ってください。
DTのように振る舞えるやりちんクソクソ男と付き合う権利が贈呈されました💝
なぁに、経験豊かなダメ男のほうが、増田さんのような傲慢な欲望にあわせてくれて、
想像上の「清らかさ風味」を存分に堪能させてくれるでしょう。
増田さんに倖多かれ。
本当に清らかな人は媚びたりできないし朴訥で真面目、からかわれると本気で怒ったり
自分なんかに声かけるのは冗談に決まってるなど、内向的で取り付くしまがないもので、
たいがいのあなたのような好事家に、好かれるようなしぐさを身に着けていませんし、
逆に隠そうとさえすると思います。
親に恥をかかせたくなくて、ひきこもりから脱出。専門学校出て就職。半年に1回くらい、通勤中にパニック発作が起こるようになったので転職。イマココ。
まともに人生歩みたくて30まで頑張ってきたんだよ。頑張れば変われると思って。
まともに人間関係築いて、まともに就職して、ほどほどに昇進しつつ、いいタイミングで結婚して子宝に恵まれ、月イチくらいで実家に遊びに行って「わー○○(子供の名前)またおっきくなったねぇー」ってトーチャンカーチャンに笑ってもらって。そんな人生になりたかった。
コミュ障だけど頑張って人の話聞いて相槌うって、全然興味無いのに掘り下げて質問してさ。へーそうなんですねーって言うんだよ。30まで続けたら流石に訓練されて、それなりに外面だけ良くなったし、仕事もそれなりにできるようになった。でもこんなの全然自分じゃないのだ。理想の自分に近づいているはずなのに苦痛でしかない。こんなに頑張ってるのに!?!?
かなり内向的な元ひきこもりニート、でも社会復帰してエラい!って自分で自分を褒めながら頑張ってきた。親を悲しませないために。
でももう限界。頑張れば変われるなんてナイナイ。今までの努力を無駄とは言いたくないけどこれ以上頑張りたくはねーわな。
消えてなくなりたい。でもでも自殺は駄目だ!迷惑をかけるし、なにより親が悲しむ。
あーあ。
35歳、既婚者、子有りのボヤキ
最寄駅の近所に個人経営のプラモ屋があるので、仕事帰りに立ち寄ることが多い。
という感じなので、amazonやヨドバシと同程度の価格ならここで買う事にしていた。
だが、個人経営のプラモ屋である以上、仕方の無い事なのだが、常連は居る。
こんな奴らが同時では無いが、絶えずレジ前に居る。店主も暇なのか会話を楽しんでいる。
もちろん、彼らが定期的に安定した利益を店に落としている可能性もあるが、残念ながら彼らが買い物している姿を見たことは無い。
こちらも別に常連の一員にはなりたくは無いが、聞きたくもない自慢話を聞かされながらプラモの箱を開けて中を見たり、塗料を探したりし、気まずそうにしながらレジに行って、盛り上がっている会話を中断させて会計を済ませ、話を中断させた罪悪感と品定めされるような常連の視線を背中に受けつつ店を出る。
もちろん、amazonやヨドバシというより安く、気楽な購入方法はあるが、カードを持てない子供にはハードルが高過ぎる。自分も小中学生の頃から街のプラモ屋に通い、買ったりショーケースの見本を見て育ったし、何より通販とは違い、『実物を持ってその場で買う』楽しみは子供の頃には重要だと思っている。なので、街のプラモ屋は今後も頑張ってほしいし、子供が将来プラモに興味を持ったら、安い通販より実物を見れる実店舗で買わせたい。
ただ、今通っているプラモ屋の雰囲気に子供の頃の自分は果たして入れただろうか?レジに商品を持って行けただろうか?記憶は曖昧だが、自分の子供の頃はレジを占拠する常連は居なかったと思う。居たとしても空気を読んで粋に立ち去っていたのだろう。(もしくは時間帯が合わなかっただけか)
プラモ屋に来る人なんて、自分も含めてほとんどが内向的で承認欲求に飢えている人が多いと思うが、もし可能なら自分の話を聞いてくれる店員がいる居心地の良いプラモ屋のレジを、少し開けてくれないか?それが、次世代の育成にも店全体の雰囲気改善にもなると思う。
個人経営の居酒屋のカウンターに座って、常連と盛り上がっている店主に注文出せるだろうか?多くの人はそれならチェーン店に行くという。もし、プラモ屋に行く人みんなが、常連と混じって盛り上がれる人ばかりなら、あと100年は模型業界は安泰だろう。
進路決めるときになってやっぱりだ。親糞苦。
昔から思想が合わず、勉強しても役に立たない、金が無いと言われ続けた。
そんなこと言われると、勉強ができてもこの親がいるし、諦めるかと思ってしまう。
それでも勉強は頭に入れる作業で入ってくる。楽しいから?いや、現実から逃げられるから?数学はやらなくてもそれなりに解けるしなんとなく感動する。
本当は何?一人で生きる力を手に入れるため?いや、家を出るため?逃げるため?自分のためになるのか?誰の金を使う?金って本当に問題?本当は自分のそばに置きたいんでしょ?離れたことないからこんなこと考えるんでしょう?
なんでこんな答えの出ないこと考えてんだ。問は出てくる。でも答えられない。ただ文字列として浮いて、頭をズキズキさせる。
こんな悩み絶対親のせいだ。あと周りのことを大量に受信する自分の頭がバカバカしい。普通を探しているのか?
誰も相談相手がいない。バカ高校、バカ教員、バカ同期。内向的すぎるからこう思うのか?信頼の置けるメンターをくれ。
そして今日も姉と母の口喧嘩が始まった。寝れない。普通の家庭ってなんだ。自分はこの先生きていけるのか?家のせいかいろいろ無機質に感じる。自意識過剰の思春期だからというわけでもないだろう。
あーなんで生きてんだ。
生まれる家庭を間違えた。
とりあえず肉親皆どこかいけ。いや、もう手遅れだ。この考えを変えた先が見えない。
欲しいのは金と時間。いろいろ本を読みたい。5年ぐらい。
あと騒音がないところで生きたい。
で、どうすんの。
静かなところでひっそりと…死ぬ?
こんな18歳生きていけるのか?
もうだめみたい。この脳は手遅れです。
だれかたすけて。
大好きだったアイドルマスターミリオンライブ!というゲームコンテンツが今日の正午に終了した。
去年の10月30日(サービス終了が発表された日)からずっと時が止まっているような気持ちでいる。今でもまだ納得できないし受け入れられない。本当に大好きなゲームだった。ミリオンライブのどういうところがどのくらい好きなのかについては語りきれないので割愛するけど、ミリオンライブがきっかけで内向的だった自分にプライベートでも遊びに誘えるような友達も出来た。ミリオンライブのいろいろなものが作用して、一緒に自分も大きく成長できたと思えた。そのくらい自分の中でミリオンライブはとても大きな存在だ。
Twitterのトレンドには #ありがとうミリオンライブ のタグがランクインし、ツイートが何件も投稿される。
タイムラインを見ていたら、ふと目に付いたツイートがあった。まぁざっくばらんに言うと
"ミリオンライブのこと全然わからないけどなんか今すごくつらい。お疲れ様でした"
そんな内容のツイートだった。
呟いていたのは、他事務所のPだった。
偲ぶ気持ちを否定する権利が自分にはないのは重々承知だが、それでもモヤモヤしてしまう。無責任な安い同情で私の大好きなコンテンツを気持ちよくなるための道具にした奴らのことをこれからも自分は忘れないだろう。おわり
言葉が足りなかったみたいなので追記
自分の中のミリオンライブはこれからもgree版ミリオンライブだけなので地球最後の日という表現を使いました
>断言する 一年後にはもう違うゲームにうつつぬかしてるよお前 もうあずにゃんに会えないんだな・・・→ちょwww大正野球娘きたー!!これは期待!!のコピペと同じで
コンテンツに執着して変な方向に拗らせるくらいならコピペみたいになったほうがマシだと今回のことで学習したよ 自分もそうなれたらなと思う
>IP生きてて新作も出てるのに何腑抜けたこと言ってるの? たかが1サービス終了で地球最後とか、お前の方が自己憐憫で気持ちよくなるための道具にしてるだけだろ。本当にクローズしたIPのファンの気持ちがお前に!(血涙
悲しみの尺度が人それぞれ違うのは当たり前のことだからお前より俺の方が辛いフガフガって話しなら他所でしてね
いつでも自分にできる精一杯の課金でコンテンツを応援してきたけどその結果がサービス終了だったのでそれを言われちゃうともう何も言えない
「デレマスは宗教」という言葉をよく耳にするが、私はその言葉にいまいち合点がいかなかった。
というのもデレマスPは必ずしも運営を是とする訳ではないからである。
例えば、デレステでコンセントレーションという特技が実装されたとき、あまりの使い勝手の悪さに「コンセを早く修正しろ!」という意見が多数上がったうえ、それらが排斥されることはなかった。その甲斐あってかコンセントレーションは多少使いやすいように改善された。
以前某はてなブログの筆者が「アイマスは宗教」という言説を唱えて話題となった。私もその記事を読んでみたのだが、やはり「デレマスは宗教」というワードには納得がいかなかった。
しかし、筆者が感じていたであろう「なんらかの歪さ」には共感していた。
その正体は、つい最近に起こった「ツインテール騒動」を目の当たりにしてようやく明らかとなった。
私自身いじめを体験したことがあるから分かるのだが、よく言われる「いじめはされている側にも問題がある」というのは本当で、内向的で風変わりな者、所謂「異端児」がいじめの標的になることが多い。
いじめが発生したとき、必然的に前者がいじめられる側に、後者がいじめる側に立つ。
残りはいじめに加担する者、陰口を叩く者、そして静観するものに分けられる。
誰もいじめられる人を助けることはない。なぜなら自分がいじめの標的にされることは明らかである。
人は誰しも正義感をもっているものだが、いじめをされる恐怖には勝てない。
それこそ魅上照のような異常なほどの正義感がなければ進んで助けることなどあり得ないのだ。
だからいじめはなくならないし、いじめられっ子が不登校になるか最悪自殺するまでいじめは続くのである。
そもそもこの騒動は、とあるPが担当の髪型をツインテールにされたことに憤慨し、「これを許容したら、今後も俺のように趣向が否定される危険性があるから、みんなもイベントをボイコットしよう!」とツイートしたのが発端である。
私は正直言ってこの人の意見に賛同できなかったし、ボイコットの呼びかけも褒められるものではなかったと思っていた。
しかし、問題はそのツイートではなく、そのツイートに対して反応したPたちの言動である。
ある者は、「こいつ頭おかしいこと言ってるぞ」と明確な悪意を持ってツイートを拡散した。
またある者は、陰で「この人頭おかしい」と呟いた。
デレマス絵師は時流に乗るかの如く髪型変更のイラストを描いた。
その凄惨な光景は、さながら1人の「異端児」を寄ってたかって叩き潰す「いじめ」であった。
炎上したPは「いじめられっ子」、中傷リプを送った者は「いじめの中心人物」、RTした者や絵師は「いじめに加担した人々」、陰で呟いた者は「陰口を叩いた人々」、そして何も語らない者は「静観していた人々」のように見えた。
まさに地獄絵図であった。
と同時に、炎上したPを助けず、黙ったままでいた私自身を強く恥じた。
さて、ツインテール騒動からは少し脱線するが、過去に「城ヶ崎美嘉がロリコン」である2次創作がパタリと消えたことがあった。理由は明確で、中の人である佳村はるかさんが「美嘉をロリコン扱いするのはやめて欲しい(要約)」と発言したからである。
これは個人的な意見だが、2次創作者がロリコンネタを扱わなくなったのは、「佳村さんの意見を尊重しろ!」とPたちから袋叩きにされるのを恐れていた、すなわち自分が異端者扱いされることを恐れたからではないか、と思っている。結果的に佳村さんの発言はまさに鶴の一声となったわけである。
根本的に人付き合いが苦手な気がする。嫌いじゃないんだけど、得意ではない。
何か目的を持っていないと一緒にいてもつまらないと感じてしまう。DVD見るとか、カラオケとか。
仲良い人なら話すことを目的にできる。
でもそうでない人とはご飯行くとか苦痛に感じる。無理やりつなげる会話は楽しくないし、相手もそんな感じがする。
そんな人たちと一緒に過ごすくらいなら一人で自由に過ごしたいと思って、仕事の休憩中はいち早く外に出たり、前歩いてるの見かけても追いついたりしない。
でもやっぱり誰とでも仲良くしたいと思ってる。いざ誘われないと寂しい。
いっそ仲良い人だけ仲良くしよう!と貫けたら楽なんだけど、なんでそれができないんだろう。
誰といても楽しく過ごせる人なんていないってわかってるんだけど、限りなくそれに近い人は何人も見てきた。そして彼らは良い人と呼ばれる。
そんな人たちみたいになりたい。良い人だと思われたい。でも根本的な性格が全然違うってこともわかってる。
諦めたいのに諦められなくて、中途半端な感じになってる。
何かトリガーがあって、誰といても自分が楽しいと感じられるようになるか、いっそ諦めがつくか、どっちかしたい。
できれば、前者がいい。
話す前にイメージの中で相手のことを抱きしめるといい、って見て、それを実践してるけど、たしかに、こう身構える感じがなくなる。
でも一瞬だけだから、継続性がない。自分の癖になってないから。
嫌われないように良い自分を見せた結果、結局少し距離があるように思われて、それ以上仲良くなれないというのも問題だ。
でも仲良い人に対しては素の自分で居られて、楽しいんだよなぁ。
私は、自分の奥深くの方にある、人には見せたくない部分を知られたくない。
仲良い人は、細かいことを気にしない、本質的には私自身に興味を持たないような人だ。人の心を覗いたり、評価したりしないような(もしくはそう見える)人たち。
おじさんも同じような理由ですぐに打ち解けられる。
おばさんはその逆。聖人のような優しさのかたまりのおばさん以外仲良くなれた試しがない。
おばさんは属しているコミュニティにおける常識から外れた行動をすると途端にダメというレッテルを貼ってくる気がする。偏見かな。だけど将来的に自分もそうなってしまうような気がする。結局同族嫌悪なのか?
人を値踏みする時って結構ある。だからこそ、自分に似たような人に私もそう思われているかと思うと、見栄を張りたくなる。
問題はわかってるんだけど解決策がわからない…。いつも何か発言した後に反省するばかり。早いところ矯正したい。
>追記
良い人って言ってくれた人ありがとう。でも書いた思いは表では話してないから、ただの仏頂面です。
内向的なのはわかってる。MBTIのタイプ分析をお金払ってやったらISTPだった。自分の個性自体は認めてるんだけど、それでも憧れちゃうんだよなぁ…。
スクールデイズというゲーム、或いはアニメを知っている人は多いと思う。
ドロドロの三角関係の果てにまつバッドエンドが有名だろうし、アニメの最終回については放送されないと言う事態にまで発展した。無論、放送されなくて良かった代物なのは言うまでもない。
当時はその衝撃的なニュースに多くのネットユーザーが関心を寄せたもので、例に漏れず私もその一人だった。
スクールデイズでは、3人のキャラクターが主要登場人物と言える。
彼はどこにでもいるような少年で、後述する桂言葉に片思いしている。
性根は優しいものの、優柔不断かつ、面倒臭がりと言う面もある。
因みに性豪だ。
次に桂言葉。
内向的で大人しい黒髪ロングの美少女だ。そして巨乳。言葉遣いも丁寧で、育ちの良さが伺える、まさに正統派ヒロインと言ったところだ。
まあ、アニメにおいてのエンディグがアレだったためヤンデレ四天王の一人となってしまったが。
このスクールデイズにおいては、彼女が一番の立役者であり、一番のヘイト役になる。世界がアクションを起こさなければ誠も言葉も上手に進めないのだ。故にこそ、世界の一挙一動足が肝要となる。
この3人による愛憎劇が中心となって物語が展開されてゆき、加速し、最終話のnice boat.へと駆け抜けていく。
ここで本題に入ろう。
私は西園寺世界にはなれなかった。
誠は私の友人であり、趣味のコミュニティで出会った存在だった。時には愚痴を、時には趣味の話を、時にはぐだぐだした政治語りを共にできるような気楽な関係だった。
そんな誠に彼女が出来た。
当時の私と言えば「やったじゃん!幸せにしてやれよ!」などと宣い上機嫌だった。
彼女さんは趣味のコミュニティにいた私の友人でもあり、(便宜上『言葉』と呼称する)ブログでも幸せそうな様子が見て取れた。
それが狂ったのはいつだっただろうか。
私が進学して寮生活を始めた頃かもしれない。当時、家の事情で私はミッション系の学校に通い、その付属寮で暮らしていた。
それまで当たり前にやっていたインターネットも、何もかもを絶たれ、スケジュール詰めの毎日、土日も早朝から行われる礼拝、恐らくストレス過多だったのだと思う。
自宅から通う学生に、頼み込んで住所を借りて、宿泊届を出しては、毎週のように夜に遊び歩くようになった。
そんな私を心配してか、誠はよく気にかけてくれていたように思う。時々、他県なのにこちらに出向いてくれたり、私から会いに行くこともあった。
確かに言葉は、生真面目な性格で、思い込んだら一直線なタイプだった。
だから趣味のコミュニティでは頭角を顕している程だったし、愛も深かった。
本来ならば、私は誠にはフォローを入れながら言葉との軌道修正を入れるのが正しい対応だった。
だけれど、私はそんな誠を許した。
深まる依存、依存だったと思う。初めはそんな感じで私は誠に惹かれていった。
だが、誠には言葉がいる。どちらともの友人である私が壊す訳には、と自制をしようとしたが時既に遅し、私は誠の初めてを食べた。
勿論私だって初めてだった。だから、私はもう死んでも良いと思っていた。
でも誠は違った。極々当たり前の話だ。
まあ、誠は誠で3股だったのだが(笑)
そして、誠はコミュニティでもそれを告白し、メンバーにも謝罪したのだ。浮気相手のことは伏せたまま。
私は誠に守られてしまった。
結果、誠はうつ病に、言葉はメンヘラになった。なのに私はピンピンしていた。いやまあ、かなりダメージを喰らったが、病まなかったと言うべきかもしれない。
私は西園寺世界にはなれなかった。
私を断罪する人はもういない。
だから、私は一生この後悔を抱えて生きていくのだろうと思う。誠と一緒に。
見る人が見れば、わかるかもしれない。だから書いた。そんなところです。
自分が無くて、家族や友人に合わせるように、ふわふわ適当に生きてきた。交友関係は狭いが広げたいとは別に思わなかった。彼女に会ってはじめて変わりたいと思った。彼女は今まで会った誰よりも魅力的な人だった。自分もこの人のように社交的になれば、この人のような素敵な人と出会える機会も増えるだろうし、他人に過度に緊張してしまう今の自分より自分を好きになれるだろうと思った。そんな風に変われると信じていた。けどそう簡単にはいかなかった。何年間、他人を避けて自分を誤魔化してきたと思ってるんだ。今まで大人数で行動して楽しめたことなんて何回あったか。上手くいかないのなんて、冷静に考えればわかったはずだ。だけど1度変わりたいと願ってしまってから、内向的な自分が嫌で仕方なくて、趣味に逃げ込むように没頭自分も疎ましくて、けど内面外面ともに外向的になる方法がわからなくて、空回りしてずっと苦しい。出口をはやく見つけたい。
当人は辞めたいとも言っているにも関わらず「元不良」という経歴(おそらくは詐称)をアピールさせている人物がいる(もちろんそれは本人かも知れない)とするならば、その人物は何を考えているのだろうか?
ある人が指摘していたが今回反発した層(「良き母=自己実現」である人々)と従来の彼の顧客層(「良き母=自己犠牲」である人々)とは明らかに違う。従来の彼の顧客層(「良き母=自己犠牲」である人々)とはどういう人々なのだろうか?ここで思い出したのは「マイルドヤンキー」という言葉である。マイルドヤンキーとは若年の貧困層に付けられた名称であり、以下のような特徴を持つとされている。
彼らは結婚前までは「ヤンチャ」をしているが、子供ができたり家庭を構える段になるとそれを「卒業」して良い親になることを目指すという。
【参考】
マイルドヤンキーが繋がりの強いコミュニティであることは、様々な文献で繰り返し述べられている。言葉遣いはコミュニティ所属の証であるため、同じような言葉遣いをしておくことは、コミュニティに受け入れられるには重要であろう。元ヤン(で総長)という経歴もこのコミュニティであれば尊敬を得られるのかも知れない。彼の父親が彼の代わりに替え玉受験したという(高学歴からすれば)ぎょっとするようなエピソードの披露も、彼らの価値観では問題がないのかもしれない。
彼が、反発を受けてもその言葉遣いや経歴を修正しないのは、彼が対象としているこのコミュニティからの除外を恐れたためではなかろうか。(なお、経歴については、当事者からのコメントが出ているため今後撤回されるかも知れない)