はてなキーワード: ホームステイとは
魔法使いと副店長を読んだ。泣くわ、こんな話。物語における光と影の対比が終始絶妙で鮮やかな物語だった。
作者の越谷オサムは、似たような話として陽だまりの彼女を書いているけど、それより今作の方が面白かった。
冒頭、単身赴任中の中年男性のアパートに、見習い魔法使いのアリスが飛び込んでくる。続く、出会いのあれこれを描写した一連の流れは少々ありきたりで、事実を受け入れられない主人公の葛藤がわずらわしく感じられた。けれど、そこを乗り越えてからはするすると話にのめり込めたし、何度か目頭が熱くなった。
魔法界では落ちこぼれで、言動がいちいち幼稚すぎるアリス。武者修行のために、人間界にホームステイしに来た彼女が何者であるのかは早々に想像ができたし、物語の中盤では呆気なく明かされてしまう。けれども、それゆえに終盤での精神的な成長や、彼女が触れ合った人々との関係性が生きてくる。現代の社会が抱えている影を絶えず漂わせているキャラクターがいるからこそ、彼女が起こす魔法の数々がまばゆく映るお話だった。
エピローグには物悲しい雰囲気が静かに広がっていたように感じられたけれど、同時にこれからの人々の幸せを願う希望に満ちた終わり方でもあったと思う。
高校2年生のある秋の日の放課後、夏休みに国際交流をした生徒による報告会が開かれていた。
私はそれまで、ヨーロッパの国々に何カ国か、そして2週間ほどサンフランシスコの初心者向けの英語教室に通っていたことはあったが、国際交流には参加したことがなかった。勉強をしなければならないとか、部活の予定があるとかの言い訳を考え、どこかで参加してみたいと思いながらも、なんとなく避けていたからだ。そうした思いがあったから、どんな形でもいいから国際交流に関わりたいと思い、同級生の報告会を見に行った。その他にも自分の高校に留学してきたアフリカやアジアからの生徒の発表会なども見に行き、ついに翌年の春、ヨーロッパのある国との国際交流に参加することが決まったが、あの厄災のせいでそれも叶わぬ夢となった。
中学2年生の時に、ろくに英語も話せないのに2週間もアメリカにホームステイをしたのが考えられないほど、高校生の私は臆病になってしまっていたのだろうか。高校生もまだ若いとはいえ、中学生の無知で、無責任な身軽さ、そして活力は素晴らしいものだと改めて思う。
昔カナダのエドモントンで短期のホームステイをしたことがあったんだけど、お世話になったホストファミリーの家にこれとコーラが常備されていた。両方缶のやつ。
コーラがそこまで好きではないので専らスプライトを頂いていたんだけど、これが信じられないくらい美味しかった。こんなに美味しい炭酸飲料を何故今まで飲まなかったんだろうと思った。
しかし、不思議なことに帰国後日本でスプライトを買って飲んでもあまり美味しいと思えなかった。不味くはないんだけど特別美味しいとも感じない。
追記:指摘されたので調べてみたら国によって味が違うらしい。不勉強で申し訳ない。どっちみち取り寄せるなり現地にカチコミするなりしないとあれは飲めないのか…
日々新型コロナウイルスの感染者が増えていくなかでもはやグダグタなGo to キャンペーンが強行されたり、とか毎日めちゃくちゃだなぁ、と感じますが皆様如何お過ごしでしょうか?
東京では今日も過去最高の感染者数だそうで4連休の不要不急の外出を自粛するよう呼び掛けがあったとかだけど連休だけ外出自粛して平日はまた満員電車で通勤になってほんとにそれ意味あるの!??
夜の街もそうだけどウイルスって夜と休日だけ感染するわけじゃないですよね!??
しかも休日に外出する人を相手に商売とかする人はどうなるの?その日の売り上げは?生活は?
その辺りの補償はせずに自粛だけを呼びかけて感染が減らなかったら自粛するように言ったのにみんなが感染対策しなかったから、みたいになるのいくらなんでもセコくない???
みんなさ、手洗いうがい三密を避ける、とかもう普通にやってるでしょう…
何よりこの流れ3ヶ月くらい前も見た!!!!
ここまで書いたけどわたしは都民でも何でもなく近畿地方のそれなりに田舎に住んでるOLなんですがそれはそれとして田舎もつらい
すぐに特定されるとか家に石を投げられるとか
信じられる?令和2年だよ?嘘であってくれ
そんな田舎でもぽつぽつと感染が確認されて最初はこの広い田舎で一人感染が確認されたぐらいで騒ぎすぎでは?と思ったけどやっぱり周りの雰囲気に呑まれて息苦しさを感じてきた
わたしは実家住みだけど家族も周囲もみんな県外に出かけるなんてありえないって感じでGo toなんてとてもむり
隣県に買い物に行くことすら叶わない
あ〜〜〜つまらん!
でももしどこかに出かけて感染、なんてなったら会社にも居場所がなくなるしとても怖くて出かけられない
やだよ〜〜〜都会に遊びに行きたい
会いたいは友だちはみんな都会に住んでるから全然会えない、寂しい……
去年週一くらいのペースで遊んでた都民の友だちにはもう半年会ってない
あまりに友だちに会いたくても会えなさすぎてツ……テ4章のラストで泣いたもん
もちろんそんなこと言ってもこんな状況だから我慢しろって言われるんですよ
毎日Twitter上で会話してても普通に会って話したいわ!!!!!!!!!
なんかさ?緊急事態宣言が明けたあと、テレビとかで少しずつ日常が戻ってきて、とか新しい日常が始まって、とか言ってたけどさ、ほんと?
ほんとに日常戻ってきてた?わたしは全然!なんにも!戻ってきたって感じてない!!
わたしにとっての日常っていうのは毎月夜行バスに乗って東名阪を行き来するとか
そのままいろんな地方から集まってる友だちとファミレス行って今日も楽しかったね〜、て話したり写真見てあ〜今日もかわいいね〜ってキャッキャして終電までの時間を潰すとか
友だちと夢の国に行くとか
もちろんすぐに全部戻ってくるなんて思ってなかったよ?
でもせめて7月とかになったら東京だって大阪だって会いたい友だちに会えて一緒に笑って話せると思ってたよ……
遊びたい!!!!!!とにかく遊びたい!!!!!もうずっと仕事しかしとらん!!!!
仕事なんてわたしにとってはソシャゲの周回みたいなもんなんですよ
周回も必要かもしれんけどストーリーはそこにないの!休日に友だちと会って、ライブに行って、そこがストーリーなの!
周回しか出来なくてストーリーが楽しめないソシャゲなんてすぐユーザー離れてくわ!!!!!!!ばーーーかばーーーか
ていうかさ〜〜〜〜あの緊急事態宣言の2ヶ月間は結局なんだったの?
ねえ???あんなにみんな大変な思いして家に篭ってたのにさぁ???今あのときより感染者数も増えてしまってあの期間の頑張りは何?虚無では???
感染者数が増えたのも最初は検査数が増えたから(これってもっとはやく増やせなかったんですか?)とか重症者数は減ってるから、って言われてたけどここまで増えてしまってまだ大丈夫って言えるの?
緊急事態宣言中は芸能人とかもみんなステイホームステイホームって言ってて
今あの頃より感染者数が増えても誰もステイホームって言わないけどそれでいいの??
あのとき頑張ったのは虚無じゃない、ステイホームはしなくてもいい、て言うなら安心できる根拠を説明してほしい
あの2ヶ月さ、わたしは遊びに行く予定がなくなったくらいだけど新入学とか新生活を始めるタイミングだった人や結婚式の予定があった人やメジャーデビューが延期になったとかもっと人生にダイレクトに影響与えられた人もたくさんいるじゃないですか……
2ヶ月っていう長い時間の生活をこんなに踏みにじられてていいの?わたしは踏みにじられた、と感じます
そこにとても怒ってます
この先イベントやライブなんかも少しずつ発表されつつあるけど本当に開催できるんだろうか?
わたしはそこに行けるんだろうか?
地方から都会に行けない、都会から地方に行けない、医療関係の仕事をしてるから諦めざるを得ない、そういう人もたくさんいると思う
じゃあイベント開催をやめろ、延期しろ、というのもそこで働いて生活してる人がいることをわかってるからそんなこととても言えない
よく政府の偉い人が断腸の思いで、っていうけど聞くたびにほんまにか!?と思う
3月にオリンピックが延期になって急に東京の感染者数が取り沙汰されて家族に反対されたり仕事のことを考えて考えて悩んでボロ泣きしながら推しの出演する舞台を諦めたときのわたしの方がよっぽど断腸の思いだったわば〜〜〜〜〜〜〜(略)〜〜〜〜〜〜〜〜か!!!!!!!!!
(ちなみに推しは先月所属事務所を退所したので例え再演があっても推しの演技はもう見られません!こんなことから行けばよかったね悔しいね!!!!!!)
この先あと何度こんな思いをしなきゃいけないんだろうな……ライブやイベントじゃなくても友だちに会う予定でさえ
9月に夢の国に行きたいなぁ…
結局のところ今後どうなっていくのが正しいのかわたしにはわかりません
ただまた緊急事態宣言が出るなら(各業界や国民に必要な補償がされる上で)それに従うだけ
前回の失敗や抑え込みに成功してる諸外国から学んでしっかり徹底的にやってほしいと思う(とは言っても前回の給付金も緊急事態宣言終わったから振り込まれたしそのあたりに全然期待できないのが悲しい…)
とにかくもう思いつきみたいなその場凌ぎの政策はやめてほしいし一人一人が感染に気をつける、は当たり前としてそれには限界があるのをわかってほしい……
わたしたちみんな生きててそれぞれに大切なものとか少しずつ犠牲にしながら今生きてるので
一人一人の足並みを揃えるように手配して足りない部分を補う
久しぶりにメール送るか〜〜
幼い頃から機会は何度かあったものの全てフイになっていました。
マリンジャンボの抽選は外れたし、スーパーの懸賞旅行は「金がない」と両親だけが行った。
狂人のハイジャック事件が起きて、修学旅行は長野県のスキー場になってしまった。
送迎や仕事で空港へ行った事は数あれど、家族の中で空を知らないのは僕だけとなっていました。
もうこりゃ空と縁がないのだろうと思っていたし、「今更何だってんだ」と意地にもなっていました。
職は変われど働き詰めであまり余裕も暇もなかったのです。
無人のカウンターで発行されたチケットは簡素なレシートのような紙。
画面や本の中で数え切れぬほど見て聞いて読んできた風景です。
現実感の無さと過去の巡り合わせの悪さと興奮がない交ぜになりつつ搭乗を待ちます。
椅子は硬めで前後は広いとは言えませんが、おっさんは車が好きなのでこうしたタイトな空間は苦になりません。
アナウンスが鳴り安全の確認、続いてCAさんの救命胴衣の実演。
時間にして数分後、後ろから轟音が響き窓の外の風景がゆっくりと動き始めました。
これがジェットエンジンなのかと思っていたら、続けてさらなる轟音が響き渡ります。
窓の外の景色も移り変わり、そして止まる。
いや、それ以上です。
僕にとって飛行機は今まで乗ったのりものでは最速のはずですから。
縦揺れを感じながらの加速を経て、浮遊感を感じました。
あっという間に窓の外から地面が消えて離陸。
すごい、飛んでいる。
それまで自分が情報とデータでしか知らなかった速度で、みるみると機体は上昇していきます。
窓の外の風景はあっという間に航空写真や衛星写真のような風景に…
こうして初めて、おっさんは空を飛んだのでした。
隣席の同行者曰く、まるで子供を見ているようだったと。
座席を譲ってくれた同行者には頭が上がりません。
こんなよくわからない文を読んでくれて有難う。
https://togetter.com/li/1531572
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1531572
しかし、ふと気になった。
かつてホームステイした家の兄貴が団体のリーダー?的なことやっていたのでフェイスブックを覗いてみた。
マスク姿で略奪しているコスプレをしていたら面白いと思ったのだが、そこには笑顔でゴミ掃除をする彼の姿だった(心の中で思いっきり謝った)
しかも団体で強奪に対して反対し、強奪にあったお店に協力をしていた。
一方日本のリベラルを名乗るのは「馬もろともやっちゃえ」とか強奪する群衆に感情入っているらしい。
お前らリベラルとかじゃなくて黄巾党の一員だろ
ご遠慮頂きたいなって思ったんですがタイトル長すぎて切れましたてへぺろ☆
平田オリザ氏炎上にみる、コミュニケーション教育は「他者と相互理解する能力」を害しているという現実
https://note.com/hirayama_t/n/n9ee3544db3b0
これ見て「伝える力偏重のコミュニケーションはパッと見だとうまくいってるように見えるけどちょっとしたきっかけで破綻する」ってのはその通りだよなーと思いつつ、どうしてもひっかかることがあったんですよ。
そもそも「日本のコミュニケーション教育は伝える力偏重」ってマジなの?ってとこです。
自分、職業柄コミュ障のくせに他者との会話が必須なので教育で得たスキルでどうにか人並みの仕事をできるようにしてるんですけど、そのコミュニケーションのための教育で教わることって「相手の話をちゃんと聞こうね」なんですね。
相手の話には適切に相槌を打つことで相手に安心感を与えよう、だとか、相手の言ったことを再確認することで齟齬が起きにくくなるだけでなくて相手からも信頼してもらいやすくなるから言われたことはちゃんと「○○ですね?」って聞き返そうね、とか。
もちろんこっちから話しかける時の注意として分かりやすく簡潔に、とか、伝えるためのスキルってのも教わりましたよ。でも相手の言いたいことをちゃんと把握するための技術はきちんと教わりましたし偏ってるなんて思ったことないです。
そもそもこの平田オリザって人、コミュニケーション教育ナントカの座長で第一人者って言うけど今回の炎上まで名前も知らなかったんですよね。もちろん自分のアンテナが狭いってのはあると思いますが、それだけ重鎮のはずの人ならそれこそテレビの御意見番とかで出てきて名前くらい聞いててもよさそうなのになーとか思ったり。
そんでちょっとググってみたんですけど、この「コミュニケーション教育推進会議」って悪名高い民主党政権時代に発足してて、しかも文科省のWEBサイトを見る限りでは会議も自民党政権に戻った後は開かれてないっぽい(議事録が4回目までしかないしその後の活動も特に掲載がないし資料も見当たらないし)感じなんですよ。いや活動継続してるなら教えて欲しいのでリンク下さい。
もちろんその2・3年ほどのせいで日本の教育に深い爪痕を残したっていうのであれば理解できなくはないですけど、そういう方向の話でもなさそうだし。
日本には昔から「話し上手は聞き上手」っていうことわざだってありますし、いわゆる陰キャと呼ばれるようなタイプの間でリア充の人のコミュスキルの高さの話が出る時って「真のリア充は自分らみたいなコミュ障でもうまく会話を誘導して話を聞き出して広げてくれるからすごい」って話であって「リア充の話っていつまで聞いてても飽きない」みたいな方面の話はほぼ聞かないです。自分は。
時間の都合とかスキル不足で教育が足りてないという現実はあるにせよ、コミュニケーションには自分の意見を正しく伝えることも重要だけど、相手の意見を引き出す能力であったりその為の傾聴能力であったりもすごく重要だよね、と思ってる人の方が多いんじゃないかなあ。少なくとも自分の観測範囲だとそうです。
ネット上のコミュニケーションが発言重視のコミュニケーションになってしまうのは、どちらかと言えばどうしても対多人数への発信が主になりやすく、かつ相手の反応が返ってくる(相手の反応を確認できる)のがリアルタイムではなくてタイムラグがある(ブログなどだと記事の投稿⇒読んだ誰かによるコメント⇒更にそれを書いた本人が確認するための時間差がある)という対話方式の構造上の問題であって、教育がどうこうじゃないと思うんですよね。
いや、そういう1対多数のコミュとか発言からレスポンスまでにタイムラグがある場合の対話術とかを教育できちんとやるべきではって話であるならやった方がいいでしょうねとは思うんですけど、それって傾聴能力を軽視したからコミュニケーション教育は失敗したんだ、っていう話とは別の話じゃないですか。別の話に平田オリザを混ぜ込まれると問題点が見えなくなるのでは?っていう。
十数年前の道徳の教科書には既に「英語が得意な『私』と得意でない友達がそれぞれ海外にホームステイに行ったけど、『私』はステイ先の同年代の子供と話が合わずギクシャクして、友達の方が海外の友人と仲良くなっていた」っていう話がありましてね。喋るのが得意でもそれだけでは相互理解なんてできないというのはずっと前から教育者も理解してると思います。(まあこの話の本題は自分の国に目を向ける、自国に誇りを持つことにあるっぽいですが)(ちゃんと最後には仲良くなれるのでごあんしん)
でもって傾聴能力そのものは教育である程度まではどうにかなります。何せ自分が仕事できているので。
もちろんそこには仕事だからこそ相手の話をちゃんと聞こうという意識が働いているという部分があり、相手の話を聞こうとしなければ傾聴スキルをいくら磨いてもコミュニケーションできないってのはその通りです。ですが「相手の話を聞こうと思えるようになるためには何をすればいいか」についてはこれもやっぱりある程度までの話になりますけど教育で賄える部分かと思います。
という横の話はおいといて、やっぱり平田オリザ氏のコミュニケーション論を軸に日本全体、あるいは主軸のコミュニケーション論が伝える力偏重であるという論調で話を進めるのはちょっと乱暴でないかなーと思うのです。
昨今の英語教育だって四技能、読む、聞く、書く、話す、と受け取る能力が盛り込まれてます。
日本のコミュニケーション論が伝える力偏重になっているのでは、という話をするならそんなごく一部かつ負けた政権の人間で今は開催されてないっぽい会議の議長の話を出すんじゃなくて、もっと他に今話題の方とか継続して活動を続けておられる方とか現在全国で取り組まれている試みとかを例として提示しないといけないんじゃないでしょうか。
あとググって出て来たここのページ
http://web.iec.ehime-u.ac.jp/reinelt/2018JCAcsComp/2018JCAcs3WakiTadayuki.pdf
とかを見て当時の会議資料のありかを知ったんですが、確かに2000年代初頭の資料については伝える力について主題として扱っているんですが、これはそもそも国語力とコミュニケーション能力の関係性について語られているのであって主題になってるのは国語力の方では?というあたりの問題もあって一概には言えない気もするなーとか。
(国語力は円滑なコミュニケーションには重要です、という話とコミュニケーション能力とは高い国語力のことです、では話が違いますよねってことです)
それにこれって「意見を発信する時には相手への尊重が必要不可欠だよね!だから敬語を大事にしようね!」みたいな話なので(雑すぎる要約なので詳しく知りたい方はちゃんと一次資料を読んでね)相手にこちらの話を聞いて貰えるようにするための警戒心を解いてもらう話術の話だと思うんですよ。
そんでもって平田オリザ氏の例の発言が炎上したのってその「相手への尊重」が欠片も感じられないんですけど、ってところが起点じゃないですか。
発信する側としてのコミュニケーションスキルである相手への尊重とそれを実際に示す態度、話法というのができてない時点で「平田氏のコミュニケーション論には問題があるかもしれないけれど、そもそもとして平田氏自身が自分の主張するコミュニケーション技法を守れていないので、今回の炎上を元に平田氏のコミュニケーション論が間違っていたかを論ずることはできないのでは?」という。平田氏のコミュニケーション論が正しいか否かには別のサンプルを持ってこないと駄目なんじゃねっていう。
なんかこう、平田氏の失敗を直接的には関係ない仮想敵への攻撃に便利に使っているように見えてしまって、伝える力偏重のコミュニケーション教育はよくないって主張そのものについては同意できるだけになんかむずむずするなーと思いました。
【「大人の責任」とは、次世代に差別のない社会、より良い社会を引き継ぐことだ。】
→【私は古い常識を覆すような作品、新時代のヒーロー、アップデートしたジャンプ】がみたい
おれはね、元記事の著者のアルテイシアさんの記事はそこそこ読んでるんです。
この人の筆力・知性なら、
「女性主人公の活躍を!」って主張でジョジョ6部に触れないとかマジでありえないし、「差別のない社会」で幽遊白書の終盤の展開に触れないってありえないんですよ。
桑原の家に雪菜がホームステイすることになって、桑原パパが言うんです。
「異文化のコミュニケーションは底辺の理解と努力が肝心だからな」
「いわれのない差別をうけるかも知れねえ、そんときは誰かがタテになってやらなきゃな」
知ってるでしょう?
要するに「チェリーピッキングしたな?」ってことですよ。「雑な記事だな」って批判です。
・ジャンプ側も同様に時代に合わせて作中のキャラクターや描写を変化させてきたこと
教育に金かけられた層と無理だった層の格差がえげつないことになる。
今自分は年収900万で、子どもを無理して学習塾に入れてるけど、周りの親の金のかけ方に冷や汗が出る。
夏休みのたびにホームステイさせてたり、海外の中学生に進学させてたり。
小学生に将来の夢を聞いて、たとえば宇宙飛行士だったらじゃあアメリカの大学のこの学部がいい、そのためにはこの高校がいい、そのためには今これを勉強しとけ、と逆算させてロードマップを作って、金をかけて達成させていく。
周りもそういうのばっかりだから、子どもたちの意識も高い。親も日本の将来が暗いのはわかっているから、海外に行かせることが前提。子どもも同じ気分。
こういうのがゴロゴロいる。
それに比べて、塾なんて行かない、進路は親の言ったところに行く、毎日何となく過ごして高校も大学も行けるところに行く……こういう子らとの格差がえげつなきことになると思う。
「私の為に争わないで!」の逆が「争え、勝った奴だけを愛してやる」だと気付き思わず真顔に
プリクラ「偽りでも、これは紛れもない君だ」
証明写真「おら、見ろや。これがお前や。なに撮り直そうとしてんねん。なんべんやっても結果は同じや。現実見ぃや。顎引くなや目線ずれてるやないか」
同僚の女の子が「日本の国旗って何であんなマークなんだろうね」って話に
・相談員「この人なんてどうでしょうか?年齢は41歳で年収は260万 結婚後は家事を優先して・・・」
クリーニング屋のおばさん。お客さんが「今、セール中ですか?」と聞いたのを
「今、生理中ですか?」と聞き間違えて
「いえいえ、もう去年終わりました」と正直に答えてしまった。
って書いたら配点5点のところ10点くれた
非常食「ひもちいい///」
これに負けた
埃「吸いたいんだろ?体は掃除機だな」
「性が変わりました」と書かれていた。
いまどき、ただの漢字の間違いとは限らない!
面接官「ちなみにどちらへ?」
俺「自宅です」
電車で?
女「ねぇねぇ、暇だからなぞなぞしようよ♪いくよ☆私の好きな食べ物ってな?んだぁ??」
女「ぶっぶぅぅ!!正解はカレー(彼)だよぉ?」
男「ばかやろう///家に帰ったら召し上がれ?」
こいつ等に台風直撃すれば良かったのに
小学生の頃の思い出です。夏休み中、私の家にやってきてずっと過ごす、親戚のお姉さんがいました。痩せ型で強い目を持つかっこいいお姉さんでした。中学生だと言うのに、家の裏でこっそりタバコをふかしていて「おじさんおばさんには言っちゃだめだよ」と私にもタバコを咥えさせて共犯にしたり、一緒にお風呂に入って「女の子なんだからちゃんと髪を綺麗にしなきゃだめだよ」とコンディショナーの使い方なんかを教えてくれました。優しいお姉ちゃんだったんです。あんなにドキドキすることは未だに無いくらい大好きでした。
そんなお姉ちゃんは父子家庭で、大変だろうからと夏休みの間はうちで預かっていたんですね。彼女のお母さんが早くに病死して、親戚一同結構心配してたようなんですがみんなでなんとなくの援助しながらをつづけてたんです。
そして本当に急なことでした。彼女のお父さんが事故で亡くなってしまいました。彼女は高校卒業したあと近所の農協で事務仕事を始めたというタイミングだったそうです。葬式のときわんわん号泣している彼女は今でも忘れられません。喪主もつとめられる状態ではなかったのですがなんとか周りも手伝って葬式は一通り終わったんです。
妊娠していたそうです。
夏休み、どうして私の家でずっと過ごしていたのか当時はわからなかったんですが、
彼女の父親が娘を抱いているという話を親戚の集まりでおっぱじめた事があって、真偽はともかくちょっと距離取らせようと夏休みホームステイが計画され、彼女のお父さんと親戚での話し合いが有り、そんなわけ無いでしょうで解決って事になってたみたいなんですよね。
そうじゃなかったんですね。親戚一同もう口を閉ざしています。
僕はこの『ヴァリアブルオリジナル』を読んで、正義とは何か、愛や平和とは何かを学びました。
まず序章では主人公ヴェノラの、現世での日常生活が丁寧に描かれます。
そんな疑問も長くは続かず、主人公は5ページ目あたりで幼馴染をかばって大型の貨物自動車に轢かれます。
そして、どっかの神様が彼の決死の行動に感動し、異世界で新たに生きるチャンスを与えて序章は終わります。
異世界での冒険を早く読みたかった僕は、最初この話を余計だと感じていました。
異世界行くんだから現世の話を長くやる必要はないんじゃないかと思ったのです。
だけど後になって、この序章は主人公の人格を早めに読者に印象付けつつ、彼が異世界へ行くことに説得力を持たせるためのものだと気づきました。
おかげで僕は自然とヴェノラのキャラクターに魅了され、彼が異世界で冒険することに何も疑問を持たなくて済んだのです。
続く第一章では、主人公を通じて異世界がどのようなシステムかが描かれました。
異世界は彼が元いた世界とは違う世界であり、勿論そこで生きる人々や動物も似て非なるものです。
ロールプレイングゲームのような魔法やスキルもあって、まさに異世界なんだと伝わってきます。
そんな世界の違いに戸惑うヴェノラの姿にはとてもリアリティがあり、僕は「外国にホームステイしたらこんな感じなんだろうな」と思いました。
だけど、生きていくためにヴェノラは試行錯誤してシステムを学んでいきます。
僕は読んでいて最初は「うわー、勉強イヤだなあ」と思いましたが、ゲームのような世界観のおかげで分かりやすくて、スラスラ読むことができました。
ヴェノラが魔法やスキルを理解するのと同じスピードで、読者である僕も世界観を感じていくので、何だか二人三脚で走っているような気分でした。
僕はこの第一章で、自ら進んで何かを学ぼうとする姿勢の大切さを知りました。
普段、韓国人や黒人差別への不満ばかり喋ってるそのリベラルの友人は、お前がそんな国行ってるのが悪いと自己責任論を押し付けてきた
深く聞いてみると、どうやら日本批判に繋がるような差別じゃないと意味がないらしい
こいつらマジかよと思ったね
本当クソだわ
高校生の時にホームステイしたカナダで街中をただ歩いているだけでオープンカーに乗った同年代の白人のガキに生卵ぶつけられて「ギャハハハハッ」と笑われた。
このブコメでもポツポツ似た経験・伝聞が書かれているように、白人国家にアジア人がいれば特に珍しくもないことなんだろう。
はてなブックマーク - NZ銃乱射事件で差別的発言の豪議員 生卵投げつけられる | NHKニュース
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20190317/k10011851281000.html
俺はその時あのオーストラリアの議員みたいにとっさに反撃することはできなくて、そもそも人から卵を投げつけられた認識も最初は無かった。
だって日本じゃありえないでしょ、ただ歩道を歩いてただけで他人から卵投げつけられるなんて?
肩のあたりに軽い衝撃があってベチャッとした感触がするのは大きな鳥のフンでも落ちてきて、それが面白くて隣に止まった格好良い車に乗った白人の男女のグループに指さされて笑われてるのかと思った。
ポケットティッシュで汚れを拭くと卵のカラが混じっていて、やっと卵をぶつけられたことに気づいた時にはガキどもは飽きたのかオープンカーはいなくなっていた。
いやあ、殴ってやりたかったなあ。あの議員の容赦の無い反撃はあの日俺がやりたかったことをやってくれてて爽快だった。
過剰防衛との声もあるけど、あそこは安全な日本じゃないんだから金正男を殺したような劇薬を塗られた可能性もとっさには否定できないんだから、アメリカでモデルガンを向けてきた子供を警官が射殺する程度に容認すべき正当防衛でしょう。ガキ殴って取り押さえたのは。
俺の話に戻ると、日本と比べて乾燥しているせいかすぐに固まって服にこびりついた卵を少しでも取ろうと摘まんだり引っ掻いたりしつつホストファミリーの家に戻りながら考えていたのは、
「嫌われてるんだな」ってこと。
その街は本当に風光明媚で観光客に人気で昔から移民も多い、伝統的に外国人を歓迎する雰囲気があるということになっていた。だから高校のホームステイ先にも選ばれた。
それでこれだからね。
この件の数日前に、史跡見学を引率してくれた現地在住の日本人のガイドさんが「最近この街は中国人の移民や観光客が増えていてマナーが悪くて嫌われてるんだけど、カナダ人は日本人と中国人の区別がつかない人が多いから、とばっちりで日本人まで嫌がられることがあって困る」と軽い雑談っぽく話していた。
朗らかで優しそうなお姉さんがいきなり『差別的』なことを言い出して、俺はギョッとしたんだけど、卵ぶつけられた後は、ああこういうことね、と納得した。
俺は担任教師に卵をぶつけられた件を報告したし、その年は他にもトラブルに遭った生徒が多かったそうだ。
一番酷くて笑えたのは、ホストファミリーの両親がずっと出かけていて、その家の小さい子供の面倒を見させられたケース。ベビーシッター扱いって……でも、英会話学ぶには理想的な状況かも。
生徒の親もこのホームステイに何十万円か出していたので、さすがに問題になって、この年以来、母校のホームステイ先は俺の時のような「色んな人がいる」大きな都市は避けて、住民の所得水準も教育水準も高い大学街だったり、逆に町ぐるみでホームステイを受け入れる体制を整えている(そして住民のほぼ全員が綺麗な英語を話す白人の)田舎町だったりと「画一的で安全な」地域だけが選ばれるようになった。
これはこれで極端というか、そんな無菌室みたいな環境で白人の最良の面だけを見せられて欧米への夢と憧れを膨らませることが、本当に後輩のためになるのかは疑問。
俺は、自分の人格や進路が固まる前に、白人国家で暮らすと一定確率でああいう目に遭うんだなと知ることができたのは良い経験だったと今は思っているので。
俺はカナダで白人嫌いになったし、人に卵をぶつける行為も大嫌いになったんだ。やられた側だからね。
相手が誰であれ動機がなんであれ、人に卵をぶつける奴は、しかも録画して全世界の晒し者にしてやろうなんて根性の奴は、殴られてざまあみろとしか思わない。