はてなキーワード: 降板とは
性別が逆だったら女性有名活動者相手に二股かけてた一役しか持ってない男性声優のLINE流出だからその場合降板しなかったら女性活動者のダメージがデカすぎない?
ぬるい。
人気商売っていうのはな、例え本人に責のない何かに由来する評価だったとしても『人気が落ちたらアウト』なんだよ。
それはもうジェンダー論がどうこうの話じゃない。
結果が全ての世界の話なんだ。
そういう意味では、逆に人気さえ維持できるなら、たとえこれが本人に問題がある不貞行為でのスキャンダルだった場合でも、俺は役を継続して良いと思っている。
彼女が降板させられることが不当だと思うなら、お前が本当にするべきことは「わたしのりそうのしゃかい」を実現するための都合の良い戦士になってくれと彼女に対して他力本願することではなく、離れていったオタクの分、お前とそのお仲間が彼女を買い支え、彼女の人気維持に貢献してやることだ。
そうすれば、お前の言うところの「自由を象徴する女神」にも需要があることが証明され、そうしたスタイルの声優も雨後の筍のようにドンドンデビューしていくことだろう。
人気とかけた真剣勝負の芸の道に薄っぺらで一方的なジェンダー論が介在する余地はないが、需要と供給の理屈の中でならお前の望みが叶う可能性はある。
某ソシャゲの某女性声優が素行の悪い男のセフレであるとの噂が流されて炎上している。
噂がすべて事実であるとすれば、演じているキャラを降板するのは不可避と当然のように語られているが、彼女が仕事を奪われるのは不当である。
以下の通り、某女性声優は契約を解除されるべき不正行為は何も行っていない。
・本人も相手の男も独身とのことなので、不貞行為による民事上の損害賠償責任も発生しない
・ゲームの未公開情報を交際相手に教える等のコンプライアンス違反も犯していない
そして見落としがちだが、今回のセックス・スキャンダルは彼女自身が意図的にあるいは過失で公開した情報ではない。
第三者である男の恋人が当てつけとして暴露したものである。某女性声優自身は望まずしてプライバシーを晒された、いわばリベンジポルノの被害者である。
――もちろん、ビジネス上の理由で某女性声優は降板するしかないであろう。
今や某女性声優が演じるキャラに課金していたファンは激減し、アイドルユニットで売っている某ソシャゲの特性から同じユニットの他のキャラへの課金額にも影響し、ひいては某ソシャゲ全体の売上の減少にも繋がりかねないからだ。
しかしそれでも、某女性声優に降板を強要するのは不当であることに変わりはない。
考えてもみて欲しい
「犯罪行為も、ビジネス上の不誠実な行為もしておらず、独身者同士の自由恋愛を第三者に暴露されたことを理由に仕事を奪われる」
これほどの不正義があろうか?
フェミニズムの立場からは、女性が保守的な性規範から逸脱して性愛を楽しむことに対してことさらに社会的制裁が加えられるという女性差別の一形態「スラット・シェイミング (slut-shaming)」であると批判するべき状況であろう。
――おそらくは、月曜にでも某女性声優の体調不良による降板がアナウンスされるであろう。過去の声優のセックス・スキャンダルのように。
しかし私は彼女に徹底的に闘って欲しいと思う。降板を強要するゲーム会社や事務所による契約の解除は不当であると裁判で争って欲しい。役を続けることはないとしても相応しい金銭的な補償を勝ち取って欲しい。その後も女性に性規範を押し付ける世界と戦い続ける闘士になって欲しい。
オタクくんにとっては聖女や天使しかいない純潔な世界を破壊したフェミニズムやポリコレを象徴する悪魔として、
しかしながら多くの同業者や女性にとっては自由を象徴する女神として新しい偶像(アイドル)を人生を通して演じ切って欲しい、そう心から願う。
(追記)
私はこの件について某女性声優を擁護する意見を表明しないフェミニストを今後一切信用しない。沈黙している者は自由恋愛をしただけの女性を罰する家父長制権力に服従している差別主義者の一員とみなす。私はひとりのフェミニストとしてここに意見を表明した。あなた方はどうする?
5chのなんJで定期的に立ってるスレで昔はオレも参加してたさ(過去形)
なぜ参加しなくなったかって?
・新アイドル礼賛
・誹謗中傷デマ拡散対立煽りアフィブログの養分に自ら進んでなる輩共
・声豚のゴミだらけ
以上の4つの要素からフラストレーションが溜まっていき、嫌悪感しか感じなくなったので自然と参加しなくなった
・新アイドル礼賛…黒崎ちとせ・白雪千夜(以下、白黒と呼称)実装当時の2019年、なんJのデレマススレは、この二人を散々バッシングしていた
まともな感覚のデレマスファンならこの二人のことは大嫌いなはずだ アイドルもPも不快感の塊
しかし時間が経つにつれ、白黒が嫌な層はデレマスから黙って身を引いていき、(デレマススレからも消えていき)、いつしか「新アイドル信者」がデレマス界隈全体に広がる癌細胞のように侵食していった
知ってる?2018年当時デレステは常時40万~50万人ほどのアクティブを誇っていたのにも関わらず、今や15万~20万人ほどしかいない事を
新アイドル実装から3年半の間、破滅的な速度で昔からのユーザーは姿を消していき、2019年以降に新たなデレステユーザーになったのはほとんど新アイドル信者のみという事を
今や、デレステの20万アクティブの4分の1ほども新アイドル信者なのではないだろうか、オレはそう思う
新アイドルで少数の新規ユーザーを獲得しても、昔からのユーザーが根こそぎ去ったからら新アイドルは癌細胞なんだよゔぁーーーーーーーかw
でもさ、新アイドルでもりあむと凪だけは認めてやるよ 最初から人気あるから
白黒は大嫌い あと久川颯な はーちゃん(笑)Pってどこ行っても存在自体キモいよね
あいつらどこでも口を揃えて「SSR来なくてイベント来なくて不遇だよ~~~~」だってさ
どこが不遇なんだ?お前なんか一生出なくてもいいんだぞ? みんな困らないから(笑)
デレマススレの連中はこぞってゴリ押しアイドルばかり好きな奴だらけだ、今のデレを楽しめるのは少数の寵愛担当だけだから
・誹謗中傷デマ拡散対立煽りの悪質アフィブログ対立煽りアフィブログの養分に自ら進んでなる輩共
そのアフィブログの管理人、本名・顔写真・通っているカードショップ・オナペットにしているアイドル・割っているAVまで全てバレているのによくブログ続けられてるよね!牧●内くん!
・声豚のゴミだらけ
あいつらアイドルより声優の話をしている 今の自称・デレマスプロデューサーに多い最低で見下している連中だ なんでアイマスコンテンツなのにアイドルじゃなくて声優に夢中なの?キモいよな
昔だったら(笑)美嘉Pと呼ばれる人達の大半は、一言目には「るるが~るるが~」って 今はそういう人達消えたけどね、、なんでだろう(笑)
そもそもプロデューサーと呼ばれる連中で声豚な奴らは軽蔑してる 姿勢として声優>>>アイドルとかアホじゃねえの?プロデューサー名乗るな
声豚のあなたは担当アイドルに顔向けできますか?(とりあえず言っておくテンプレ文)
前に文香の声優降板しろという増田だかnoteだかが炎上していたけど、デレマスに限らずアイマス全体がばんばん声優交代していいと思う
アイマス運営はもっと木谷をお手本にしろよ バンドリにラブライブにあっちの手腕は、アイマスと比較にならならないほど上手い
デレマスのライブって他のアイマスPから「お遊戯会」って揶揄されているの知ってる?アホみたいにクオリティ低いんだよ?デレマス界隈はデレマスしか知らない井の中の蛙ばかりでそれが最高だと思ってるんだろうけど
それなのに「声豚じゃない!声優をリスペクトしてる!」って…せめてミリMマスレベルにクオリティ高かったら分かるけどさ
「降板させたゆ●しーがアイマスに憑いた悪霊になったからアイマスにおける声優交代は絶対反対」とみんな言うが、あのお方は声優界でも100年に1度レベルの人材でしょうに
ともかくオレたちは声優のプロデューサーじゃねえんだよ、アイドルのプロデューサーなんだよ 声豚は全員ラブライブに行けよ!な!?
あ、そうだ5chのデレステスレ、モバマススレは声豚こそ少なく純粋にアイドルの話してるし、コブラの養分のおーぷんモバマススレも純粋にアイドルの話してるけど
ひとたび「うちの担当の○○ちゃんが不遇、運営はカス」的な話題が出れば即座に豹変して
「不遇なアイドルとかいない、運営批判は一切許さない、運営批判する奴はみんなデレアンチ」みたいな運営担当的レスだらけになって気持ち悪いです
デレステ運営は普通に見たら腐ってるよねって話 ミリシタシャニマス運営の爪の垢を煎じて飲め
ミリシャニと比べて、デレステだけやたら運営担当が目立つし、そういう輩のせいでデレステのアクティブ減少速度が破滅的なんじゃねえのって話
界隈全体が運営批判できる空気なら、逆にみんな団結して辞めなくなるよね
デレほどゴリ押し寵愛が目立つアイマスは存在しないし寵愛担当はえてして運営担当になるもの
ともかくあんなクソアフィにネタ提供する養分に進んでなっている、新アイドル信者だらけ声豚だらけのなんJデレマススレは真剣に滅んで欲しい
内輪でずっとやってるだけならいい、あんなスレ固定100人ぐらいしかいなさそうだし
しかし、そのクソスレを牧野●ブログがまとめるせいで、掃き溜めの汚物な思想が拡散してしまっている
完全にアイマス界の癌細胞 対立煽り・アイドルや声優やミリシタを誹謗中傷、
そんなデレマスアフィブログがアイマスカテゴリランキング1位 悪質な記事で対立を煽り、コメント欄で養分共をレスバトルをさせることでPV数を荒稼ぎ やらおんを100倍ほど姦邪にしたようなアフィブログである
カードゲーマー
今日発表された橘真琴役・鈴木達央氏の起用継続のお知らせを見て、初めてはてな匿名ダイアリーを書いてみました。
喜んでいる人はたくさん見たけど、自分みたいに嫌だと思う人はあんまり見ないので、嫌だ〜!!!と思う人がいてもイイじゃんと思って書きました。
嬉しい〜!!!と思ってる人は、祝酒とか飲んで良い気持ちでゆっくり休んでくださいね。
先に言っておくと、自分は『Free!』ファンの鈴木達央氏アンチなので、橘真琴役は降板してほしかった。
アンチになった理由としては、2013年にあった『Free!』のイベントでの発言だった。
このイベントの中で、出演声優がそれぞれのキャラを演じてマネージャー(観客)を喜ばせるセリフを言おう、というような企画があった。
鈴木達央氏の順番になると「う〜ん…う〜ん…。えっ?何に悩んでるのかって?うん、明日のリレーの順番をどうしようかって考えてたんだ」といったセリフから始まった。
このセリフに対して素直に「は?」と思った。
メドレーリレーって順番決まってんじゃないの?
この企画の前に自身が思い入れのあるシーンを紹介するコーナーで、小学生時代のメドレーリレーを挙げてたのにメドレーリレーの順番わかってないの?
それは自分以外も感じたようで、周りの席からも「順番…?」という声が聞こえたのを覚えてる。
そのままぐだぐだと何か言ってたけど、最初で引っかかってしまった観客から黄色い歓声が上がることはなく、鈴木達央氏の「あー!!もう終わり!!!」という逆ギレした発言で強引に締められた。
その鈴木達央氏の発言に「みんな萌えすぎちゃって声も出せてないよ〜」といったようなフォローをすかさず入れて、場の空気を良くしようと動いた共演者はプロだな〜と思った。
それと、このイベントの最後で2期の発表がされたときに鈴木達央氏が「見たことのない景色、見せてやるよ!!」って言ったのもすっごい嫌だった。主役を差し置いて、真琴のセリフでもないことをオレがオレが、って前に出て言うのおかしいでしょ。
このイベント前から『Free!』のラジオでの「凛のファンが真琴のグッズを燃やしてるからかも〜」的な発言で、すでにげんなりしてたけど、このイベントがアンチになる決定打になったし、これ以降の鈴木達央氏の発言を聞いても薄っぺらいな…としか思えなくなった。
それでも演技が良ければ、嫌いだけどまぁ…と思えたかもしれない。けれど、2014年公開の『ハイ☆スピード』(遙や真琴が中学生時代の話)で、真琴の声が安定しないのを聞いたら、どこも好きになれないなってなった。
そこで今回の情報漏洩がきて、心の底からもう本当に無理、降板してくれって思った。
自分にとって『Free!』は本当に大好きな作品で、この作品があったから頑張れたことや楽しかったことがたくさんある。
映画の前売券を40枚買ったけど全然足りなかったのも、仕事終わりに他県の映画館まで行ったのも、1日に5回同じ映画を観たのも、新車を数台買えるレベルでグッズ買ったのも、キャラクターのために口座開設したのも、8年間ずっと好きでいるのも、全部『Free!』が初めてだった。
個人的に今回の鈴木達央氏の行動は『Free!』という澄んだ綺麗な水にゴミをぶちまけたようなものだと思ってるから、もう『Free!』にかかわってほしくない。
だから、橘真琴役を続けられるのも本当に嫌。橘真琴というキャラクターは大好きなのに、声を聞くたびに嫌な気持ちになるのがわかってるから。
切り離して考えろと言う人が出てくるかもしれないけど、『Free!』に対して熱い思い(らしきもの)を語っておいて、本人が公(『Free!』の曲を)私(不倫相手に聞かせた)混同してるんだから、切り離せるわけがない。
調子のいい時だけキャラクターや作品を使って、調子が悪くなると別物ですっておかしい。
制作側が決めたんだから、っていう意見もあると思うけど、それでも今回の騒動に対する本人の言葉もないまま、鈴木達央氏を橘真琴役で起用継続するのはモヤモヤする。
もし、言葉を発することができない状況で、その状況を自ら選んだのだとしたら、それこそ本人がちゃんと橘真琴役を続けていきたいという意思を示さないままでいいって思ったってことじゃないのかと。
なんにしても、自分は今も橘真琴役を降板してほしい気持ちしかない。大好きな『Free!』を見るたびに鈴木達央氏のことがチラついて、嫌な気持ちになるから。
こんな風に思ってる『Free!』ファンもいるってことを形にしたくて、こんな長文を書きました。
8月23日はココスコラボのために有休を取ったので、エコバッグとコースター買って、対象メニューを食べて、クリアファイルをゲットしようと思います。
このところ常に死にたいとうっすら考えているような感覚で生きている
楽しいことがあってもふと「そういや死にてえな」と思い返して楽しさが冷めていく感覚。
そしてそれは大体みんな同じような感覚を抱いているんだろう、死にたいと思っていない奴はむしろ相当の楽天家か馬鹿の少数だけと思っていたが、どうやらむしろ死にたいと思っている人の方が少数派らしい。
別にいじめられているとかブラック労働がとかじゃない。それなら別にそうじゃない人は死にたいと思わないだろう。理由はSNSを始めとする社会に蔓延する憎悪があまりに重苦しく苦痛だからだ。
最初に断っておくとこれから出てくる加害者たちを擁護する気は無い。
もちろん悪い事をした人が悪いのだが、ことある事に槍玉にあげてその都度完膚なきまでに叩く多数をみて「ああ嫌だな」と何となく感じた。
スキャンダルに対してその当事者がネットで槍玉に上がったことはそれまでにもいくらでもあった。
思い返せば小保方氏や野々村議員もその例だろう。ただ彼らは音MADにされたりクソコラを作られたりと、もちろん本人してはたまったもんじゃないだろうが、スキャンダルをコメディとして消化しようとするものだった。
もちろん、ひき逃げの加害者を音MADにしろという訳では無い。こちらは明確に被害者がいる以上そんなことが許されるわけが無い。
それでも、一人の人間が憎悪の対象として消費されるのを見て擁護はなくても同情はしてしまう。
あまつさえ、上級国民とかいうこれまでなかった言葉まで使って高齢者富裕層まで主語を広げて叩く日には、「フランス革命でラボアジェを処刑した国民はこういう人達だったのかな」と思った。
オリンピックの諸問題の方々、金メダルを噛んだ市長それがし、不倫した芸人なにがしや声優なにがし等々。取っかえ引っかえの回転寿司状態だ。そしてその度に地獄のようなコメントが溢れる。これを書いてる途中に声優それがしが死にかけているらしい。書いている途中に知ってめちゃくちゃ偶然だが、遅かれ早かれそういうことが起きるのは明白だっただろう。
なぜそんなことになったかといえば、これらの人達は「わかりやすい自分と関係ない悪」だからだ。
家族や上司などといといった簡単には解決できない問題、更にはウイルスなどといった実体のない敵によるストレスは人類全体に重くのしかかってくる。「正義をもって悪を誅す」というのはそのはけ口としてとてもよく働く。自分のストレスや不安から目をそらすことに精一杯な人達はますます想像力が欠如して盲目になり、ましてや、加害者の心情なんて想像しない。
要はストレス解消のために叩いてもいい大義名分を持った人が求められているのだ。
こういう人達が活動を自粛したり降板したり表舞台から退いたり、ましてや自殺したら「責任を果たせ」だとか「逃げるな」だとか言われる。
そして決まって「被害者を思うと…裏切られたファンを思うと…」とかがくっついている。その綺麗事、大義名分になんの意味があるのか。
「次の悪者が現れるまで後腐れなく叩かせ続けろ」って言え
大体そういう人たちは何を以て責任を果たしたと認めるのだろうか。謝罪しても当事者でもないのに「誠意が足りない」だの「被害者には許さない権利もある」とかいうくせに。じゃあ目に見えればいいかといえば「金で解決しようとしてる」とか「上級国民が」とか言い出すくせに。
そして死んだら「責任から逃げるな」とかいう。むしろ自分が死の遠因になったという責任から逃げているのはそっちだろう。
開会式のいじめがどうとかいうミュージシャンそれがしを集団で叩くといういじめの構図をもって成敗した気になっているのは、悪趣味すぎるコメディかと思った。
もちろん自分が知らないずっと前からこういうことはネット、リアル問わずあっただろう。でもそれはメインストリームではない。
しかし、一億総発信社会/コロナ禍となってユーザーが生成するメインコンテンツが憎悪になってしまった。
そこに需要が存在すれば当然供給も発生する。メディアも問題があった人たちが如何に極悪人であったかを強調するために過去を漁って露悪的な記事を量産する。
もう現代においてピカソやワーグナーのような人はもう出てこないんだろうな。そして悪事はバレたら社会的に抹殺されるのだからますます陰湿になるか一撃必殺になるかのどちらかだろう。
膨れ上がった憎悪は関係ない人をも蝕むようになる。こんな社会に耐えるくらいなら消えた方がいい。いわんや当事者にしては想像を絶するものだろう。
こういうことを言うと起こりそうな意見に先に返しておく
・「悪いことをしたのは向こうなのだから当然だろう」「報いは受けるべき」
別に自分は「誹謗中傷はやめよう」とか「加害者にも人権はある」とか道徳の先生みたいなことを言うつもりは無い。これは絶望の言語化であって啓蒙ではない。
そもそもそんなことずっと言われ続けているのに悪くなる一方なのだから無理なのだろう
個人的にその原因は、歴史的に人類は「罰する」と「赦す」を神に丸投げしてきたからじゃないかと思う。
シャリーアを引き合いに出すまでもなく、法とは神が定めた道徳を人間にわかりやすくしたものだ。神の代弁者・執行者として悪人は裁かれ断罪された。逆に言えば、刑期を終えるとは「神が赦したのだから私達も赦そう」という理屈だろう。私刑が許されないのは、同じ理性の範疇内の人間が人間を捌くこと自体傲慢で歯止めが聞かないからだろう。
それが現代になって神が死に、ネットによって「罰する」と「赦す」が急に個人個人の人間の与えられたら上手く使いこなせるはずがない。何を以て許せば良いのかも分からない。だからこそ憎悪はどこまでも増幅し、終わりがないのだろう。
・「確かにクソなことはあるがネットにもリアルにも善意や楽しいことだってあるだろう」
それは確かにそう。実際自分もある程度いわゆるオタクなので「次のイベントが生きる糧」だの「2期を見るまで死ねない」だの思っていた。
でも最近ふと、なぜそれらが好きか理由を考えたら、自分は死にたいという感情を麻痺させる麻薬に過ぎないと思っていたことを悟った。一回そう思ってしまったらもうその麻薬は直ぐに効き目が切れるようになった。
これも確かにそう。ジャコモ・レオパルディという人も「世間とは立派な人間たちに対抗する悪人どもの同盟、あるいは寛容な人たちに対立する卑怯者どもの集まりだということである。」とか言っている。その通りだと思う。でもネットをやめたとてこの社会に逃げ場なんてあるのか。分断と対立・不寛容が加速するこの世界でネットのような憎悪が現実にも染み出していることはキャンセルカルチャーなんかを見るまでもなく明らかだろう。情報自体から隔絶された世界で仙人のように生きればいいのか。そうしたら確かに死ななくても良いかもしれないが、憎悪を撒き散らす人達が野放図に暮らして、そうでない人が隠れていきなければいけない世界ならますますこの社会はクソだろう。
・「この恨みにまみれた投稿だって憎悪を増やしているだろうブーメランじゃないのか」
その通り。だけど今更ネットにデブリがひとつ増えたとて誤差だろう。
繰り返すがこれは現実への諦念であって啓蒙ではない。だからこそ聞きたいのは、どうやってこの憎悪の中死にたいとも思わずに生きていられるのだろう?
自殺未遂の真偽も不明だけど、事務所との連絡を絶って雲隠れしてたのがマジならそっちの方がよっぽど問題では……
不倫に関する世間への謝罪はまぁ知らんけど、機密事項を漏らしてファン含め方々に迷惑かけたことは謝罪が必要でしょうよ
「謝罪しろ!」って言ってる人は何も不倫に対してだけじゃないと思うし、その辺大して考えずにギャーギャー言ってる人は馬鹿なのかな?
SNSで誹謗中傷されて仕事も全部降板になって追いつめられたのかもしれないけど、誹謗中傷はともかく仕事は全部自分のせいでしょ……
そして「死」というのはそんな軽率に選んでいい道じゃないと思うんだよね
ファンの声や、自分が演じているキャラクター、頂いてきたお仕事、様々な縁、すべてを蔑ろにしてしまうわけで、
これまでその道を選ばざるをえなかった人たちは、少なからず苦悩と葛藤があった
それは2~3日で踏み切れるレベルではないと思うんですけどね
元声優志望の身としては、そんなクソみたいな人がプロとして、社会人として声優やってるなんて思いたくないんで、例の記事はデマだと思うことにしますわ
不倫する人がクソなのはそうなんだけど、事務所の連絡ガン無視して仕事やファンよりも自分が楽になる道を軽率に選ぶ責任感の無さは、マジで声優として、芸能人として、社会人としてダメでしょ
特にファンでもアンチでもなく、興味本位で見てたけど、言葉の端々に「はぁ?」「え?そんな言い方する?」というのが耳について、解散という決断の正しさを確認してしまった。
ここで話したいのは、「オリンピックの開催の是非」になる。
オリンピックの開催の是非に関しては、時期によって異なると考えている。
人命は言わずもがな、政治を誤れば経済が揺るぎ、貧困による死や少子化があるためだ。
これらを前提とさせて欲しい。
1~半年前の決断であれば「延期」がベストであったと思うが、今年の4~5月、つまり2~3ヶ月前になると中止延長が難しくなると考える。
何故なら「開催に向けて対策を万全にする」という感じのことをだいぶ前に言っちゃったからだ。土壇場でここで「できませんでした」は政治的に難しいのは容易に想像できる。
直前すぎるため中止延長を申し出れば「今まで何してたん?」という話ができてしまうからだ。
そしてこの時点で日本という国は現場は頑張っているのにトップが変なところで悠長であったため、ワクチン接種は不十分、JOCの人事はグチャグチャという有様だった。
改めて上記の状況を鑑みてここでの中止延長を考えてみよう。
恥を忍んでという形にはなるが、人命も守れるし、政治的にはちょっと悪いがまあ言い訳は効く。
世界中から謗られたとしても五輪という挽回の場が残されているのだ。
中止は流石に厳しいだろう。人命の面では問題ないが、政治の面であまりにも悪い。
スポンサーとなっている世界的な巨大企業郡への背信行為というのは、資本主義が行き詰まっている今、社会主義でもなければできない。
そして、日本は社会主義国を掲げている国ではないし、できるような資本主義であることが良いが、そのできる資本主義は最近提唱されたばっかりで導入している国はない。
更に挽回の場もない。
つまりできないのだ。
では仕方なくするという形になってしまうのだが、その「するための準備」が全くできていなかったと感じる。
一番の問題はここだ。
つまり、行政、運営側に「ゴールをに対して最善を尽くす」という力が欠けていたのだ。
五輪の開催可否はIOCに一任されているが、彼らの意思を見定めてそれに対して開催するしないなりの対応をするのは日本及びJOCの仕事だ。
あらゆる可能性を想定しすぎ日和見的、かつ楽観的に構えてしまい、結果的に悠長で後手後手の対応になってしまったというのが実際のところだろう。
人命も政治も宙ぶらりんだと言える。
開催セレモニーも、MIKAKO氏が降板してから再構成したのであればかなり綺麗にまとめたなとは思ったが、そんなクソみたいな事情は見る側には関係ない。
JOCはオペレーションの簡略化に気を配るあまり、成果物のクオリティを下げてしまったと感じる。
結論としては、「やるとかやらないとかではなく、ギリギリまで動けなくて何もかもが間に合わなかった。」
だと個人的には感じている。
今回の開催は「やると決めた」ではなく、「なんかやる感じになった」なのだ。
対義語は「やらない」ではなく、「やる、やらない」そのものが真反対の意味になる。
そういう風に感じている。
→ でも、関西コレクションは加藤純一さんを降板させたけど、そのイベントは一回せいぜい四万人程度の動員で、ジャンプののべ購読者数より遥かに低いよ
→ でも、ヤマサ醤油は田辺さんを放逐したけど、眼目は「いじめ虐待人権侵害を容認しない」で、五輪憲章への適合性は関係ないよ
→ でも、田辺さんは謝罪さえもしたのに、容赦無くこれ見よがしに切り捨てられたよ
→ でも、五輪のショーディレクターを解任された小林賢太郎さんの問題になったコントはDVDにも収録されてないし、加藤純一さんのはファン向けのトークライブでの発言だ。田辺さんに至ってはすぐ撤回されたツイートで断罪されたよ
キャンセルカルチャーを止めたい気持ちは分かるし、世の流れに逆らって批判するのは偉いと思うけれど。
でも、そのためにダブルスタンダードになることさえ厭わないなら、せめて今日までは五輪への、いじめられ経験への鬱憤を晴らすために倫理観を恣意的に正義に転用して人を殴ってたってことを、認めようよ。パブリックエネミーに仕立て上げた人たちに、頭を下げようよ。
結局一番の問題は、不安だったり中止せよと言っている国民が多いなかで無理矢理開催させられていること、これに尽きるんだよ。
アスリートがどうこうとか、海外のスポーツ大会がどうこうとか、感染拡大に寄与するしないとか、反対だったけどオリンピック観る人とか、当日でも中止せよと言ってる人とか、それぞれに分岐して意見はあるんだろうけど
結局一番大きい問題は国民の声が少しも反映されてないこと、その不条理をひっくり返す仕組みも機能しなくなってることでしょ?
タレントの過去が云々問題も、五輪憲章に沿ってないとか国家プロジェクトに不適だとかまああるだろうけど、ぶっちゃけ今回の降板の根本原因は「オリンピックに納得行ってない人たちを直前まで放置してきたから」ってのが一番大きいでしょ。
だって演出に関わる人なんか前からわかってたし、小山田の件はネット民にはある程度知れた話だし、小林の件なんか極々一部の人間しか見られない状態だったわけで、それが前日、前々日に騒がれるって結局オリンピックにどうにか反発したい層がギリギリまで粘ってやっと見つけた糸口だったから、という要因が強いと思う。
それがいざ開催直前になったら、見事に細かい主張ごとで派閥に分断されてて(というか自爆してて)悲しい。
オリンピック後になぁなぁになるのが嫌なら、細部議論で敵対ばっかりしてないであらためて五輪反対という大項目の声を強めた方がいいよ。(細部議論が不要というわけじゃないけど)
というのも、さっき「ここ数日のオリンピック反対派の声に嫌気が差してきたから五輪楽しむつもり」とかいうブコメ読んであちゃー、と思ったので。
「ラーメンズはコントを無料公開して被災地に寄付してたのに、それは無視するのか」って?
いやいや、コーネリアスだって「デザインあ」での教育への貢献・評価は計り知れないだろうし、森喜朗だってラグビーや日露関係での功績はある。
小山田何某の炎上を発端としてオリンピック関係者が何人か燃えている件について。
別に小山何某の過去のいじめを擁護する気はさらさらないが、氏の過去の全ての業績を無視してオリンピックもNHKの番組も何もかも解任しなければならないことなのか?
日本の法律には時効もあるし少年法もあるのだ。過去の行動を、しかも未成年の学生の頃の行動を中年になってから断罪して社会的地位を根こそぎ奪い取るという所業は、とてもじゃないが法治国家のやることとは思えない。
雑誌のインタビューは成年になってから行われていて反省していないと言う人もいるだろうが、それすら20数年前の話だ。刑法だって無期懲役以上の刑でなければ時効は20年以下である。
そもそも20数年前の雑誌のインタビューを根拠に「反省していない」はないだろう。適切に発言者の意図が伝わっているかどうかなど当時のインタビュアーにすらわからないほどの年月が経っている。発言の語尾に(笑)をつけるかどうかなんて編集者のさじ加減でしかないのだから。
今の小何某が本当に反省しているかどうかはどうでもいい。根拠の希薄な理由で、現在の仕事を瑕疵なくこなしている人間の地位を不当に奪っている今の現状はただの私刑だということが問題だ。
インタビューと同時期に警察とカーチェイスして飲酒運転で逮捕された男がお昼のワイドショーでこの問題を他人事のように取り上げているが、坂何某が世間に断罪されて降板する気配は無い。私刑とはそういうものだ。罰する基準などなく、その対象は世間の雰囲気とそれを扇動するものの意図によって決まる。
想像力の働く人間ならば、過去の言動を何十年もあとに掘り返して社会的私刑を下す世間の所業を目の当たりにして、パンとサーカスの一環として捉えるよりもいつかそれが自らに牙を剥くことをこそ恐れるべきなのではないか?
ここ数日のSNS上では過去にいじめられた経験のある人間が、何某に個人的怨嗟という名の社会的五寸釘を打ち込んでいる光景に溢れていた。しかし彼ら全員がただ純然たる被害者として生きてきたとはとても思えない。人が誰かに抑圧されると他の弱者を抑圧することで精神の安定を図るというのはよくあることだし、現在進行形で虐げられている者こそ自分よりも下の立場の者に優しくはなれないものだ。自分を含め誰しもが被害者でありうるし加害者でもありうる。
むしろ自分はいつも被害者で、加害者になったことなど生涯で一度もないと考えている者が一番まずい。ここ数日SNSで腐るほど言及されていたように、「加害者はいじめを忘れるが、被害者は死ぬまで覚えている」のだから。
今回の何某の社会的焼死を容認するのならば、自分が立場ある地位についた瞬間にそれらをすべて唐突に失うリスクについても真面目に考えるべきだろう。この業火には誰しもが焼き尽くされる危険性があることを忘れてはならない。
小山田圭吾氏のいじめはひどい!! 自分の子供があんな風にいじめられたらと思うと耐えられない!
という声がある一方
「子供と一緒に『デザインあ』をよく見てたんだけど、すごくいい番組で、私は好きなんだよ。降板させるとか、ネットリンチはひどいよね」と上司からリアルで言われて「そうですね」と答えました。