はてなキーワード: 無責任とは
暑気厳しき折柄、参議院選挙まことにお疲れさまでした。これで亥年選挙も、年末解散とかいう法螺が実現しなければ概ね終了、何人の同志が再び議席を得、何人の同志が涙を呑んだことでしょうか。一部には議席の食い合いに終わっただけという評もありますが、ともかくその努力には敬意を払いたいと思います。
戦勝気分に水を差すようですが、共同通信試算によれば、この参院選、同日選だったらもう一回2/3の議席を自公側に与えるような大敗北です。いえ、もちろん同日選だったらもうちょっとうまくやっていたでしょうが、それはいつもの死児の年を数える行為です、生産性がない。
独裁安倍政権が樹立されてから、彼らの主張するには国政選6連勝と驕っているそうです。とりもなおさずそれは野党系にとっては6連敗。いや敗北はないとおっしゃるかもしれませんが、打撃を与えるほどではありませんでした。思い出してください、あなた方は嘗て政権を取っていた。にもかかわらず、今や議会の1/3を抑えたことに狂喜乱舞して勝利と喧伝する、この精神的退廃は一体なんでありましょう。
加えてこの選挙で明らかになったのは、国民の政治不信が飽和点に達しつつある、という点です。左右のポピュリスト政党が急激に伸長したのはひとえに「もはや既存政党、就中旧民主党系が占める野党勢力は過去の経緯から全く信が置けない」という国民的な意志の発露です。これは少なくとも近代民主政治の信奉者としては看過できません。これが飽和点に達した時どうなるか、まさか過去に欧米に学べないとは言いますまい。
思えば、私たちはあなた方の政権に3年間耐えました。さらにあなた方が何も考えずにアベガーアベガーと玉砕選挙を繰り返し、空費したこの年月も耐えてきました。もう沢山です。
今度は私たちが要求する番です。せめて3年ぐらい「アベガー」を言わないで、粛々と政策論争をする、そのぐらいのことはしていただけないでしょうか。
無論悪の権化極右安倍政権からは今にもまして罵詈雑言が飛んできましょう。内調のハッカー部隊がネトウヨを煽って卑劣な攻撃を仕掛けてくることでしょう。それによって次なる選挙もまた劣勢に陥るかもしれません。しかしそれに対して歯を食いしばって只々無言の抵抗をする、憲法9条を正に生かすが如くの気高い精神性は必ずや国民に受け入れられましょう。同時にきちんとした政策を練り上げることで、次期政権の受け皿たる力があるということを示してください。
競うべきは政策であって、トップ屋が持ち込む怪しい不祥事のケツを嗅ぎ回ることではありません。そんなことは共産党にでもさせておけばいい。アベの首さえ取れればいいのですか?で、取った後どうするんですか?取った後考える? またこの前の3年を、劣化させて繰り返すんですか? 地に足の着いた議論はできないのですか?
次の参院選は3年後、総選挙は間に挟みますが、そこで勝っても参院の構成が変わらななければ何一つできません。ならば石の上にも三年、真っ当な言動というモノを見せてください。
繰り返しますが、もう沢山です。無論今までの運動律から逃れるのは困難でしょう。無責任な社会党の地位は確かに楽しいでしょう。分派行動をしたあいつらは憎いでしょう。結局は取れもしない一人区の擁立国盗り合戦は面白いでしょう。ぬるま湯に浸り続けるのは楽です。現に国民も今の体制というぬるま湯から暑いとも冷たいとも知れぬ次の湯に入ろうという気概は湧きません。ましてその湯の色すら、湯船が現にあるのかすら判然としないのです。そんな霧の中にそこに清水の舞台から飛んで入れ、とは誰にも命じられる謂れはありません。せめて湯がちゃんと入ってるのだ、ということは見せてください。そのために土台を作り、まきを割り、水をくむ、そういう作業をちゃんと見せることが必要です。
あなた方はこの間政権を嘘と妄想で簒奪した時言いました。「一回試させてください」と。我々は試し、そして失敗しました。
ならばこんどはこちらが言います。「一回、政策議論をちゃんとする道を試してください」と。あなた方はそれを容れる度量すらもう失いましたか?人に要求するだけですか?妄執の繰り言をいつまで続けるつもりですか?
今こそが、国政はちゃんと議論ができるのだということを示す最後のチャンスです。極右安倍政権は変わりません。ならば変わる一歩は社会の前衛である勢力こそが踏み出すべきです。
出来ないなら?ならば、滅びるだけです。しかし、それが単にあなた方だけの自死だけで済むでしょうか。あなた方が無残に死んだあと、その生態ニッチを埋める者が果たして何者か、良くお考えください。それが果たして我が国のためになるのでしょうか。
御英慮を期待しております。
もともと、夜に目が覚めてしまう断眠の傾向があったので、家の近くの心療内科に通ってたのね。んで、そこでルネスタを貰って寝る前に服用してたのよ。ルネスタ自体の効き目は、まあまあって感じ。
んで、元々仕事の進め方に悩みがあって、指示されたことができない、好きな仕事しかできない、最後までやりとげられない、みたいなことに悩んでて、自分はADHDなんじゃね? って思い始めたのが2年ぐらい前。
で、その心療内科で「ADHDなんじゃないかと思うんですが」と言ったらそこの医者は「ネットに出てる診断とかはテキトーなものだから、あんまりあてにしないほうがいいですよ」とか言ったわけ。
最初は先生の言うことだし、そういうもんだと思い込んだんだけど、どうも自分の悩みをどう解決したらいいかわからんもんで、大人のADHDについて診断してくれるクリニックを妻が見つけてくれた。
で、言ってみたらいろんな質問にあてはまるかあてはまらないかの回答に〇を付けるタイプのテストを何パターンかやった上で、見事あなたはまごうことなきADHDですよ、と診断された。
そこの先生はもう70オーバーのおじいちゃんなんだけど、言ってることの筋は通ってる感じなので信頼できると感じた。
最初に処方されたのはテトラミドだったんだけど、これを飲んだら、次の日の朝がすごく静かだったのを覚えている。
週1ペースで通院して毎度テストを続け、しばらくしてからストラテラを処方された。処方の時に「この薬は長く飲み続けて効果が出る薬だから、忘れないように飲んでくださいね」と言われた。たしかにそうだった。飲み始めた当初は何も変わらなかった。2~3週間ぐらいしてから、朝起きやすくなった。起きた直後の体の軽さが段違い。ストラテラ服用する前は、朝起きるのがとてもしんどくて、体を引きずりながら会社に行っていたのが、今は人並みに歩けている感覚がある。少なくとも引きずっている感覚ではない。
仕事について。仕事ぶりはあまり変わらないように思える。好きな仕事から手を付けがちだし、やらなきゃいけない仕事をほったらかしにしがち。ただ、深く考え込まないようになったと思う。以前は一つの物事に対して色々考え込んでしまい手がつかない、みたいなことがあったんだけど、それは無くなった。あと、いい感じに無責任にもなった。アサイン過多でできなかった仕事について、堂々と出来ませんでした、と言えるようになった。逆に、「これは絶対にやらないと詰められる!」!みたいなのにも嗅覚ができて、そういう仕事はきっちりできるようになった。そうか、これがタスクの優先順位というものか。
というわけで、ストラテラ自体は服用し始めて1年経つ。自立支援も申請した。毎晩寝るときに薬飲むのが面倒だけど、これをやらずにいたら、次の日がすごくぼんやりしたことがあったので、絶対に飲むようにしている。
同性愛は悪じゃないから腐女子はもう隠れなくていいっていう理論が流行り出してるのを見て、余りにも怖くなったので書き散らす。あくまでも私の解釈だから、そのつもりで読んで欲しい。
腐女子が隠れなければいけないのは、『同性愛が悪で人を不快にさせてしまうから』じゃなくて、『過度のキャラクター改変を含んでいるので人を不快にさせてしまうから』だ。つまり二次創作のBL以外には隠れなくていい理論は通用するし、実現していると思う。現実問題、アニメイトの入り口の大きなテレビではBLアニメの宣伝がされているし、オタク系でない本屋でもBL漫画や小説は普通に売られている。アニメイトでも本屋でも隔離されていることが殆どだが、それはBLの殆どが年齢制限モノだからであって、寧ろゾーニングされない方がおかしい。オープンに言えないのも同じ理由だと思う。年齢制限モノが多い分、高らかに好きですと言うのには勇気がいる。別に同性愛の偏見のせいじゃない。
で、問題は二次創作のBLだ。そして、腐女子の多くがここに属している。オリジナルのBLだけ好き!二次はしない!なんて腐女子は存在しないと思う。大抵最推しは二次元のBLカップルだ。これは絶対に隠さないといけないので、腐女子は隠れることになる。何故なら前述の通り、過度のキャラ改変を含むから。ある思考がないキャラに無理やり植え付けてしまっている創作なので、検索除けも鍵も必要だ。わかりやすく言うなら、仮面ライダーと検索した時に、仮面ライダーが逃げ惑う市民を襲っているイラストが出てくることは好ましくない。じゃあ血も涙もない殺人犯キャラの名前で検索して、そのキャラが逃げ惑う市民を襲っているイラストが出てきたらどうだろうか。これはセーフだ。この二つの違いは、そういったことをするキャラか否かということだ。キャラクターの名前で検索するということは、当然そのキャラの創作やコメントや情報を求めている。それなのに、キャラの見た目で、そのキャラが絶対にしないことをしている紛い物創作が引っかかるのは、年齢制限が掛からない内容だったとしてもまずい。検索した人を不快にしてしまう可能性が非常に高いし、仮に検索する側にミュートなどを求めたとしても、作者や出版社が設定を過度に改変した創作を見て、『この創作が原作に悪影響を与える、悪いイメージを与える』と判断されたら二次創作自体が終わる。だから隠れる。BL漫画の二次創作で、サブキャラの女の子と恋愛するNL創作を作るなら、それは検索除けや鍵が必要になる。女体化や男体化が隠れないといけないのと同じ理由だ。
だから頼むから、隠れなくていいなんて無責任なこと言わないでほしい。こちらの界隈には何も考えていない頭お花畑キッズがごろごろいる。そちらの界隈にいるようなジェンダー問題や男女平等について日々考えられるような高尚な人間はいない。そんな奴らが理論を読めば間違いなくやらかす。そして腐女子が叩かれて、下手すれば二次創作は終わりを告げる。余計なことをろくに知りもしないのに言わないでくれ。腐女子は永遠に隠れていないといけない。他のファンや作者に不快な思いをさせないために。
暇になって考える隙を作ると
朝から22時まで働いてたから、平日は家に帰って倒れるだけだったから良いけど
休日は一歩も外に出ることも、食べることもせず、ただベットの上で待ってた。
できるだけ何も考えないように、ネットサーフィンと寝るだけ。
目を背けても、一番目を背けたい自分はそこにいるのに、一生懸命逃げていた。
今考えると鬱だったのかなとも思う。
結果的にすごくよかった。
子育てはすごい。
自分の戸惑いや考えとは別に、勝手にお腹が大きくなって勝手に子供が大きくなる。
考えている暇などない。
今、私の命は使われている。
自分に似た子が生まれたら可哀想という気持ちが無くもなかったが、
半分は旦那なのだから、子供の悪いところも半分は旦那のせいだ。
無責任だが、子供が頑張って克服してほしい。子供は自分の分身ではない。
まだ、正直心の泥は底にあるし、蓋をしているだけだけど
生きていると思わぬ方向に舵がきられることもある。
今は、舵がきられるのを待っていてほしい。
私は結婚とかそういうのだったけど、何かのために命を使うことがくると思う。
あと、病院行って。
一留と一浪、そして大学院に進んで26歳になって社会に出ることになった。
大学院に行ったと言っても、目的があるわけでもなく、勉強するわけでもない。周りがそうしていて、親が金を出してくれるというからモラトリアムを延長しただけ
世の中では18から働いてる人もいるのに、自分はこうしてずるずると働くことから逃げ続けて、そういう立派な人と比べると8年も遅く社会に出ることになってしまった。思えば親に迷惑をかけ続けている。兄や妹はあまり親に頼らず立派に社会人として暮らしているのに。
実家、高校や予備校の環境、大学名、あと逃避癖から来た多少の虚言や誇張。そういったもので大学に行くことも、就職する事も出来てしまった。何も価値のない自分が。臆病で、利己的で、無責任で、何もできない自分が。
25歳に死のうと思ってたのに、しょうもなく生きてしまった。
今すぐ死ぬ準備して死ねば良いんだろうけど、それも怖くてできない。なんでも先延ばしする逃げ癖が自分で首吊るときにも出てる。
今は30になったら死のうと思ってるけど、ずるずる生きてしまうかもしれない。なんで生きてる価値がある人は死んでしまうのに、生きてる価値がない自分は生き続けているのだろう?
「お前らはインテリぶって与党支持者をバカにしてる。見下してる。だから勝てるわけないんだ。」とのネトウヨ先生からの有り難いアドバイスだったが、実を言うとこれは完全に逆のことを言っている。その調子でもっとバカにされたら無視できなくなってしまうという意味だ。安倍自民はまごうことなき衆愚政治、トランプも裸足で逃げ出すレベルの世界最先端のポピュリズムであり、もっぱらデマを中心に回っている。こんな感情でしか動いてない猿は、やはり感情にしか動かされないのだ。民主主義の危機だ、公文書破棄隠蔽・統計不正は国家の根幹を揺るがす重大犯罪だと、いくら正論を聞かされてもそもそも理解することすらできない。でも「バカにされてることは分かる」のである。ここが重要だ。
何故冒頭のように「左派はもっと礼儀正しくしろ」「左派はもっとおとなしくしろ」「でなければ誰も左派の言葉なんかに耳を貸さない」と、真逆のことを言ったのか。それはひとえにポピュリズムを独り占めしたいからに他ならない。“効果的だから”やめて欲しいのだ。
だからもっとネトウヨ猿をバカにした方がいいし、検証に手間のかかる無責任なデマを流した方が効果的だし、感情に訴えるべきなのだ。
面白かったから、ちょうど元増田の倍の年齢である私が呼応してみる。(確かに便乗してしまっているので、元増田が気分を害したならら、その点は多少申し訳なくは思う)
日本の福祉は北欧諸国程ではなくとも、その規模は小さな政府とは呼べないほど大きなものだ。特に問題なのは医療費の増大で、今の負担率のままでは試算の結果2050年には年間50兆円を超えると警鐘がならされている。一方で、福祉国家と言われる諸国の消費税率は軒並み20%近くであることを思えば、福祉を今のまま維持したいのならば増税は避けえないし、一時的な人気取りのために「増税をしない選択」を提示する政党、求める有権者は、将来に対して無責任な大人であるとすら思う。今回、自民党はしばらくは増税しない事を明言したが、それすらも国民の顔色を伺う妥協でしかないと思う。子を持つ世代として、自分たちの痛みをある程度受け入れても、次の世代にまともな福祉を維持できる財源を残したい。故に増税は賛成だったし、消費税増税は景気を悪化させるから凍結して、もっと経済を悪化させるであろうに企業から税金を取ろうなんてのは問答無用で支持できなかった。隣で韓国が時給を急激に釣り上げて大失敗してるのを目にしてた事で、企業と労働者の関係について考えさせられた事も影響があったかもね。
私の父親などは月々の年金は一切必要としてなくて、貰った金額をそのまま孫に残す気で、毎年贈与している様だ。私もそれに近しい考えを持っていて、リタイアまでに少なくとも1億程度の資産は残せる見込みがあるし、その計画に基づいて資産運用を行ってきている。年金そのものを当てにしてない。だけど、年金は必ずもらえるものとの確信はある。年金の資産運用は非常に優秀で、トータル46兆円の利益を出しているのだけど、それでも現在の支給額と支給開始年齢では、高齢化に対応できないと言うだけの事だ。払った金額と貰える金額との収支が合わない事になっても、仮に月に1万円程度になることはあったとしても、貰えないという事はないだろう。もしも支給0円になったとしたら、その時の日本はデフォルトしていて年金なんて心配するような事態でないだろう。そもそも余り選挙の争点としてまともな議論がされていたと思えないけど、支給額と支給開始年齢が、どの様にバランスされるか?もう少し、展望を示してほしかったとは思う。支給開始年齢繰り上げに伴って、70を超えても好きな仕事が出来そうなのは有難い事だ。2000万円がどうとかこうとかで、自民党を批判するのはナンセンスな話だと自分は思っていた。
若い時に目にする事もあったし、関連した書籍も随分読んだし、自分でも調べてみた。その時に主張し懸念していた事が、現在そのまま実現されている。韓国は徴用工関連で日韓基本条約を事実上なかったことにしろと日本に求めているも同然で、慰安婦問題が取りざたされていた当時も、韓国が条約を軽く見ていることに対する懸念は指摘されてきていた。この20年くらいの間に懸念されてきていた事は、韓国が日本に依存しきった工業体制であることも含めて、それほど的外れでもないし、まとめブログにかいてある情報そのものを否定するのは違うだろうと思う。ゆえに、19歳の増田が、それに影響を受けて悪い訳ではない。ただし、感情までそれに引きずられて嫌悪感だけを募らせるのは良くない。情報の正誤は自分で調べて見ればいいのであって、まとめブログだからと否定する側の方が未熟だろう。
韓国というのは国そのものがどうしようもない事は、20年も前から指摘されてきたし、今まさにその通りになっている。韓国に対して日韓基本条約を事実上反故にする様な妥協を求める政治家がいるとしたら、それは無責任を超えて政治家でいて欲しくないと思う。もしもそれを認めれば、北朝鮮との国交修交時には、韓国にまとめて払ったはずの補償金を改めて5兆単位で要求されてもしょうがなくなる事を少なくとも理解しておけといいたい。現在の自民党の対韓国の対応は高く評価できる。
鳩山政権の事を思い出すと吐き気がする。選挙公約の埋蔵金からしてナンセンスだったが、執権後もCO2削減25%公約とか、事業仕分けとか、何を考えてるのか分からなさすぎて死ねばいいと心から思ったし、それまで回復基調にあった株価が一気に底を打ち始めて、我が家でもっていた金融資産の価値が現在の半分以下にまで落ちた事に対する怒りは拭っても拭いきれないレベルで湧き出てくる。今後も民主党だけは絶対にない。民主党政権は経済の一点でトラウマだが、戦争法案騒ぎを見ても、外交面でもなんら期待できないものがあるし、モリカケ騒動の時の言動を振り返っても政権を担える力があるとは期待できない。好きなだけ、自分たちが政権をもっていた時のことを忘れて強制採決だと騒いで審議拒否してればいい。
日韓請求権協定まわりの共産党の主張をみるだけで100%支持できない。政治家未満の無責任なアホに票を投じるほど間抜けにはなれん。
野党の中ではまともといっていい政党ではあるけど、だからといって現在の段階で政権を任せられる状態にはないし、今後に期待するという感じだ。個人投票は維新、比例は自民と言うような有権者もいただろうし、結果としてそれが音喜多議員の当選に繋がったとみている。今後、野党として受け皿になり得る政党に成長してくれたらいいなとは思うが、現在は支持しない。
というか、早く滅びろ。何も知らなかった選挙権もない子供の頃は、野党連合内閣が権力を打倒した事にロマンを感じもしたけど、大人になって再評価してみると自分が子供だったことを思い知らされる。あんなゴミみたいなものを今後二度と産んではならない。
教育無償化とかは有難い話なんだけど、基本的に金銭的な支援を求めようという気はさらさらなくて、保育園の充実や、共働きがしやすい体制を作って欲しいとは思う。幸いにして現在勤めている企業は、育児休暇もとりやすいし、子供の送り迎えで早退しても、こどもの急病で在宅ワークにさせてもらっても、対応してくれる企業だし企業に保育施設がなかったとしても働きやすい環境だ。でも、これは民間努力によるものでしかないので、保育施設の充実や全ての企業が弊社の様に対応できる様に国が支援するという事はしてほしいと思っている。子育てにかかる金なんてのは親がどうにかすべきもんだが、親が保育施設をたてることはできないし、企業に託児設備を作れなんて命令もできないのだからね。
金をばら撒くよりも少子高齢化対策をすべきだろうと思う。この点でも、年金に関する福祉問題についても、どこから財源を確保すべきなのか?という課題が付いて回る。結局、そこに対して実現性の高い、有権者の人気取りだけでない責任のあるアイデアを示した党が自民党だけだったという事に尽きると思う。
昨日の参院選比例区で私は「山本太郎」と大書して投票した。数年前まで彼を声だけデカい無知で無責任な芸人崩れだと思っていた人間とは思えない投票行動だった、と自分でも思っている。
山本太郎が福島の食品を「ベクれてる」と言った時は、被災地を侮辱するな、と大いに憤った。園遊会で天皇陛下(現、上皇陛下)に直訴の手紙を渡すという不敬な暴挙に出た時は、田中正造にでもなったつもりか、と不気味さを禁じ得なかった。小沢一郎と組んだ時は、オワコン同士仲良くやってろ、と嘲笑した。
そんな彼が「れいわ新選組」を立ち上げると発表した。最初はああ、そういえばコイツまだ国会に議席があったんだっけ、程度の認識だった。だが、早い段階で反緊縮に目を付けていたのは慧眼だった(当時は山本太郎が本気で反緊縮を標榜しているとは思っていなかった)。奨学金徳政令や消費税廃止は実現性は至難であるものの、既存の与野党揃って緊縮寄りである経済政策のアンチテーゼとしては、これくらい大きく出てもいいだろう。素人意見なのは承知だが、立憲民主党や国民民主党は優等生的な聞こえのいいことは言っているものの、腰砕けで本気で自民党に挑む姿勢がなく、煮え切らなさを感じていた。
私にとって山本太郎は本邦の国会の景色を変えるための武器だ。山本太郎を利用して自民党に脅威をもたらし、一強の体制を揺るがせたい。同時に地位に安住している腰砕けの野党にも危機感を持たせたい。山本太郎はそのための手段なのだ。本音を言えば、もし今後他の党が本気で反緊縮や消費税減税・廃止を訴えるなら、それが自民党だろうが共産党だろうが応援はするつもりである。政策の切磋琢磨は望むところだ。
政治に熱心な人たちはすごく攻撃的で、自分と対立している人を罵倒してばかりいるイメージが強い。関わりたくない。
②選挙が多い
国政選挙、地方選挙合わせるとやたら多い。しょっちゅう選挙している。そのたびに投票に行って自分の時間を使うのがしんどい。
③候補者の差がわかりにくい
暮らしを守るって全員が言う。なら誰が通っても暮らしが守られないとおかしいと思うが、そんな実感はない。
「この政策は賛成だけどこれには反対」というのがあると投票できなくなる。
⑥「投票しない」ことを悪しざまに言われる。
「投票率が低いから政治が良くならない」とか「棄権するのは無責任」とか。
じゃあ今まで投票した人たちは政治が悪くなったことについて何か責任とったのか?
うんざりする。
「一票は小さくても一人一人の票が集まることで…」と言われても実感が持てないものは仕方ない。
⑧結局、政治に関わる時間を他のことに使った方が自分の幸せが増えそう
気持ち悪いし、関わっても何も得になりそうなことがない。
疲れてるし休日は寝たい。
こないだノリで
「よっし!俺も自分がアスペなのかADHDなのか調べるやで!」
「お兄さんこういうお店初めて?ごめんなさいね。いっぱいなの。3ヶ月後には開いてるかも知れないけど予約する?もしかしたら半年ぐらいか・か・る・か・も」
と帰ってきたので
と電話切った。
いやー俺みたいなグレーゾーンがそう易易と精神科にかかっていいのかな。
本気で困ってる人の診察が1日遅れて、その人が暴走して取り返しがつかなくなったら寝覚めが悪いもんな。
ゆうて俺、大学中退した後は今の会社で5年普通に働けてるから割とセーフな方の自閉傾向だしな。
あくまで心理テストで内向性が0%や-100%に確実になる程度の引きこもりなだけで、人と会話できないわけじゃないので。
まあたまに取引先から「てめー何いってるか分からねーんだよ!頭整理してから電話しろや!」ってガチャ切り喰らうけど、それはまあ相手の虫の居所が悪かったっつーか単に誰でもいいから八つ当たりしたいタイミングで俺がネギ背負ってきただけな気もするし。
どうっすかなー。
こうさ、医者に罹らずにお試しで薬だけ試すとか、療法だけ真似する方法とかないのかねー。
まあ自分で歯石取るようなリスクばかり高いごっこ遊びで終わりそうだけどな。
精神科一度かかってみてーな。
一応、大学中退したばっかの頃にカウンセリングは受けたんだけどさ、お前程度は病気ってほどじゃないよ単なる内気な陰キャだよって言われたんだよね。
だからまあセーフだと思ってるんだけど、でもやっぱ不安じゃん?
セカンドスコーピオンだかインディペンデントコンセントだかをしておきたいじゃん?
俺の人生だしさ。
占い師みたいな格好して適当に話聞いてウンウンそれもアイカツだねみたいにずっと頷いてるだけの赤べこオバサンの言葉に全てを託すのも無責任じゃん?
俺みたいな社会人で適応のグレーゾーンか判断終わってない野郎、他に、いますかっていねーか、はは
ま、それが普通ですわな
通せなくてもよいとかなんとかゴチャゴチャ言い訳するのは嫌い。それから、「今回は競争率が高かったから…」とかいう言い訳も大嫌い。
自殺はこの国では合法の行為だから、通せなかった奴にも自殺する権利はあるんだよ。それは認めろよ。
トップカンファレンスに通せた奴には生きる権利があった。トップカンファレンスに通せなかった人間には生きる権利がなかった。それだけ。
だから、トップカンファレンスに落ちた人間は好きな時に自殺してよいし、トップカンファレンスに通した人間が「競争率が高かったから…」とか言ってなだめるのは、通せなかった人間の命の重みを背負いたくないっていう無責任な行為だ。
トップカンファレンスに通した人間は、通せなかった人間よりも価値があるんだよ。だから、命の重みを感じて背負って生きていかなければならないんだ。それがトップカンファレンスに通した人間の義務なんだよ。
京アニ放火事件の容疑者の氏名が京都府警から公表された。もっとも公表の何時間も前からその名前はネットで取り沙汰されており、特定班の精度にも戦いたが、今回の本題はそこではない。氏名の公表により顕著になった、「事件を個人問題として容疑者を叩く」人たちへの違和感についてである。
事件が報道されてから、ネット上には事件に関する様々な感情が溢れていた。心配する人、怖がる人、悲しむ人、憤る人、放心している人。それらを目にする中で、なんとも言えぬ違和感と共に目に留まった言葉があった。容疑者が逮捕される際に発したとされる言葉に触れた上で、こう書かれたものだった。
「そんなことは人を殺す理由にならない。こいつほんとに許せない。」
よく見ると似たようなコメントは沢山あった。死刑でさえ甘すぎる、精神疾患で減刑とかなったらまじふざけんな、苦しんで死ね、等のかなり強い言葉が延々と流れていく。氏名が公表されるとそれらの言葉はさらに個人攻撃の色を増した。凄惨な事件に対する当然の反応と言えるかもしれない。だが、私にはなぜかどうにも不自然に感じられた。しばらく考えを巡らせた結果、違和感の正体はそれらのコメントの裏にある「事件の個人問題化」ではないかという考えに至った。
容疑者の名前を挙げて個人としてバッシングする。容疑者を悪人と見なしているからだ。常人の自分にはとても理解できない凶行を犯したから。被害妄想によって勝手に逆上した幼稚なやつだから。自分たちはまともだけどこいつはおかしい。しかし、その「おかしさ」を容疑者の問題として向き合おうともせず、単純に蔑むというのはあまりに筋違いではないか。その「おかしさ」は、本当に容疑者だけのものなのだろうか。私はそうは思えなかった。蔑む側の指摘する「おかしさ」が、容疑者の中に自然発生的に芽生え、ここまで爆発するというのは、かなり無理があると感じた。
最近のもののみならず、衝撃的な傷害事件の容疑者の年齢を見て「就職氷河期」や「ロスジェネ」という言葉がよぎる人は多いのではないか。その時代に就職をしなければならなかったというだけの理由で、一生不安定な生活を送る人たちは数多くいる。就職難が事件の直接的な原因であると言いたいわけではない。しかし、強い社会不安があったり精神疾患を持つ容疑者たちが、それらを始めとする社会の歪みの弊害を真っ先に受けて追い詰められていったことは容易に想像できる。
精神疾患を持つ人は社会を生きづらい。先天的/後天的に関わらず。疾患でなくてもどこか生きづらさを抱える人たちというのは存在する。しかし、生きづらい人たちが事件を起こすということが納得されて良いわけがない。それこそおかしいのではないか。そのおかしさはその人たちだけのものだろうか。その背景を理解しようともしない「まとも」な人たちのものでもあるのではないか。
何かが起こるには必ず原因がある。論理的な文脈を持つものもあれば、脳のここにあるはずのあれがない、といった物理的な理由の場合もあるかもしれない。何にせよ、自分が理解できないということを全て相手の問題にして蔑むということが果たして無責任でないと言い切れるのか、私たちは一度考え直してみるべきだと思う。全ての犯罪は個人のみの問題ではなく、社会の問題なのだ。