はてなキーワード: 梅田望夫とは
父はPC98の時代からパソコン通信をやっていた。通信中に動かすと回線が途切れるだかで、よく近くではしゃぎ回っては叱られていた記憶がある。
それからwindows95が出た。私が高校生の頃だ。父は相変わらずオタクだったから、地元のケーブルテレビの常時接続のサービスを探し出して契約していた。ISDNの出回る前からネットが使い放題だったのはかなり贅沢な高校生だったと思う。
仲間はテレホマンが多かったので深夜から明け方まで毎日交流した。自然と学校は寝る場所と化したがなんとか卒業させてもらった。
遊んでいた人達には大学生が多かった。研究室という場所から接続している人も多いらしかった。またプログラマーを生業としている者もいた。当時よく一緒に同じゲームをしていた奴の一人は院で大層な論文を書き、今はグーグルに勤めていると聞いた。
もちろん中には普通のOLなんかもいたが、今から思い返すと今ほどには普通の人はいなかったと思う。あの頃、インターネットにたどり着くだけでかなりのふるい落としがあった。PCも高価だったし、普通の人がなんとなくインターネットをやれることは少なかったように思う。
それから10年が経って、インターネットはかなり一般化したように思っていたが、今から振り返ればまだまだそんなことはなかった。多くの人はガラケーを通じてimodeという閉じた世界に隔絶されていたし、それが紛い物であることにも気付いていないようだった。
思えばインターネットがたしかに存在していたといえるのは、このあたりまでかもしれない。我々は明らかに隔離されていて、その状況を好ましく心地良いものとして享受していた。
そしてスマートフォンが現れた。ジョブズの大発明は全てを変えた。ジオシティーズやxreaを借りてhtmlを書き、自分の書いた文章が世界に発信される感動を知ることもなく、普通の人がごく当たり前にツイッターやインスタグラムを使うようになった。
もはや、ネットで通じ合うのはそこら辺ですれ違う普通の人たちだ。かつてあったインターネットは消滅して、代わりに現実社会の写し鏡が出来上がった。
ネット空間で人々は毎日諍いを起こしている。口を開けば論争になる。承認欲求や共感がより鋭い言葉を生み出す原動力となり、思想は狭量の免罪符に取って代わり、主義主張は単なるコミュニケーションの手段に成り果てた。
ウェブ空間はアフィリエイターが占拠し、ブログビジネスは大量生産されたゴミの山の大きさを競うゲームに変質した。SNSでは情報商材のようなマイルドな詐欺が横行し、それをインフルエンサーが後押しする。
製品はマーケティングの付録に過ぎなくなり、人々のコンプレックスにはターゲティング広告が容赦なく食い付く。今日もまた、データ至上主義の起業家が全能感を振り撒いている記事が流れてくる。
集合知に感激し、Wikipediaに感謝していた頃、インターネットにはすべてがあると思っていた。だが必要な情報を得るコストは際限なく膨れ上がり、グーグルという神の掌の上にいる我々にはもう何が真実なのかを知る術もない。
インターネットに雷鳴を受け、人生を大きく揺さぶられたあの頃に若者だった人達に問いたい。あなたたちが夢見た世界はこんなものだったのかと。
もしかすると梅田望夫さんはとてつもなく未来が見えていた人なのかもしれないと今更にして思う。
このインターネットに対する深い失望が、日本の困難な時期と重なってしまったことは本当に悲劇だ。分断と先鋭化を生み出すこの装置によって、我々は団結することを阻害されている。
この一、二年でインターネットが有害なものであることはかなり認識されてきたと思う。でも、そこまでだ。問題の存在がわかったところでこのひどい現実を変える方法は見つかりそうにもない。
日本がまだ保っている間に、人々はインターネットの正しい使い方を学び、この地獄から抜け出すことが出来るのだろうか。もう残された時間はほとんどない。
再考・『涼宮ハルヒの憂鬱』のどこが新しかったのか - シロクマの屑籠
p_shirokuma氏に記憶を刺激されたので、『涼宮ハルヒ』シリーズのいちファンとして、個人的にも振り返ってみたいと思う。
大ヒットした作品には「総決算」タイプと「新開発」タイプがあると考えている。
すなわち、過去の流行を上手くまとめたものと、新しい流行を提示するものである。
80年代・90年代のジュブナイルSFや超能力ものをベースに、
きわめて表面的かつ類型的な萌え要素を配置したものが『ハルヒ』である。
西尾維新のように、萌えを理解した上で過去の作品を換骨奪胎するのではなく、
ベタに古いものをやりたいので萌えをまぶして新しくみせかけた、といった印象を受ける。
Web小説でVRMMOものを流行させた『ソードアート・オンライン』などと比較すると、
『ハルヒ』はヒットの規模のわりにフォロワーの少ない作品と言っていいだろう。
ライトノベルの「萌え化」「学園ラブコメブーム」の原因とみなされることもあるが、
『ハルヒ』の大ヒット以前からMF文庫Jなどにはその傾向が見られたし、
直接的には2000年代前半に全盛期を迎えていたエロゲの影響のほうが大きい。
ちなみに『ハルヒ』フォロワーなら『いでおろーぐ!』がオススメだ。
難しい問題だ。
アニメ化前から巻割10万部を突破しており、これは当時の出版状況からしてもヒットではあったが、飛び抜けた大ヒットだったとは言い難い。
「スニーカー文庫のエース格」とは言えても、「業界を代表するエース」ではない、といった感じか。
第一巻の『憂鬱』は話題になったものの、『溜息』『退屈』がいまいちだったため、作品評価としては賛否が入り交じる状態。
『憂鬱』は当時の2chの人気投票で21位(そのときの1位は『撲殺天使ドクロちゃん』、2位は『バッカーノ!』)。
『消失』は同じく2chの人気投票で6位(1位は『ALL YOU NEED IS KILL』)であった。
ただし、2004年11月発売の『このライトノベルがすごい!2005』で『ハルヒ』は1位を獲得しており、
(この結果は少々の驚きをもって迎えられたと記憶しているが)やはり一定の人気は獲得していたことがうかがえる。
勘違いされることが多いが、アニメ『ハルヒ』放送時(2006年4月〜7月)には、まだニコニコ動画(2006年12月12日〜)は存在しない。
「ニコ動によってヒットしたアニメ」を考えるなら『らき☆すた』(2007年4月〜9月)のほうが適当だろう。
また、「アニメの視聴体験をみんなとリアルタイムで共有する」という点については、
YouTubeよりもニコ動(のコメント機能)の果たした役割が大きいと考える。
『ハルヒ』の場合は「話題になったシーンを後から確認する」という使い方がまだ多かったのではないか。
(このあたりは個人的にYouTubeを敬遠していたという理由もあり、実際には本編をまるごとYouTubeで観ていた人も多いかもしれない…)
当時のYouTubeでは、動画の長さに10分の制限が設けられていたことも考慮したい。
2006年といえば、我らが梅田望夫の『ウェブ進化論』が発売された年で、「Web2.0」ブームの真っ盛りである。
はてなダイアリーが2003年1月。livedoor Blogが2003年11月。アメーバブログが2004年9月。FC2ブログが2004年10月。Yahoo!ブログが2005年1月。
2004年ごろのブログブームを経て、2006年にはすっかり普及しており、オタクたちも盛んに長文を書き散らしていた。
「カトゆー家断絶」「かーずSP」「ゴルゴ31」に代表される個人ニュースサイトが、それを拾って拡散してくれるサイクルがあった。
また、いわゆる「2chまとめブログ」も2005年ごろから増加しており、考察や話題の拡散を手伝うこととなった。
(ただし現在有名な「やらおん!(今日もやられやく)」「はちま起稿」「オレ的ゲーム速報@刃」などが台頭してくるのは2007年以降である)
ついでに2005年2月には「はてなブックマーク」も開始している。「mixi」のブームも2005年くらいか。
ちょうど『ハルヒ』の放送直前に、これらのツールが出揃ったわけである。
アニメ『ハルヒ』のヒットに最も貢献したのが京アニの超絶作画だったことは疑うべくもない。
自主制作映画を完璧に再現した第一話、EDでの滑らかなダンス、『射手座の日』の艦隊戦、『ライブアライブ』における楽器演奏。
時系列シャッフルや公式サイトの作り込みなどと併せて、とにかく話題性が抜群に高かった。
2006年の『ハルヒ』、2007年の『らき☆すた』、2009年の『けいおん!』で京アニブランドが確立されて以降は、
他のアニメでも異常に作画のクオリティがアップしていったことだし、
やはりアニメ『ハルヒ』の特徴を挙げるならキャラデザよりは作画だと思う。
アニソンあるいはキャラソンについては、2005年のアニメ『ネギま』の主題歌『ハッピーマテリアル』の影響が最大で、
『ハルヒ』の「ハレ晴レユカイをオリコン1位にしよう」などはその後追いにすぎないという印象が強い。
ただ、『けいおん!』をはじめとして「作中で歌われるキャラソン」が増加したことについては、
『ハルヒ』のそれが売れた影響は大きいのだろうな。
1997年にアニメ『スレイヤーズ』のテレビ放送が終わり、そのブームが落ち着きを見せて以降、
世間的な注目度でいえば「谷間」の時期を迎えたライトノベルが再び注目を集めるようになったのは、
2004年に相次いで発売された『ライトノベル完全読本』『このライトノベルがすごい!』などの「解説本」がきっかけとされる。
それを追うようにアニメ化も増加し、2004年に3本しかなかったラノベ原作アニメは、2005年に8本、2006年には18本にまで膨れ上がった。
つまり、『ハルヒ』の大ヒットはアフターバーナーのようなもので、ラノベブームの「きっかけ」そのものではなかった。
とはいえ『ハルヒ』によってラノベブームが一気に拡大したこともまた事実である。
あとはSF設定によってファンによる考察がはかどったというくらいだろう。
やはり外的な要因に求めるべきだと思う。
京アニの台頭、キャラソンの増加、動画サイトの登場、ブログの普及、ラノベへの注目…
これらがちょうど上手いタイミングで噛み合ったからこその流行だったと言えるのではないか。
あ、『ハルヒ』の流行が終息したのは「エンドレスエイト」のせい。
これだけは間違いない。
はてなブックマークでは、コメントやタグにネガティブな意見や罵倒が並んでブログやウェブサイトのオーナーが傷ついたり、炎上を引き起こすことがある。池田信夫は、はてなブックマークのユーザーを「はてなに集まるネットイナゴ」と呼び「悪貨が良貨を駆逐する」と批判した[40]。そのため翌月に褒めることしか出来ず、コメントのハードルが高い「はてなスター」が始まった[41]。しかし池田は納得せず、翌年も「匿名の卑怯者」「暗黙の言論弾圧の装置」と批判した[42]。そのためかオーナーがmetaタグを設置すれば、『コメント一覧の非表示』が出来るようになった[43]。それでも池田は納得せず、次の年も「チャレンジしないでストレスを飲み屋やウェブで発散するサラリーマン」の「卑怯者に「ガス抜き」のプラットフォーム」を与えていると非常勤取締役の梅田望夫を批判した[44]。はてなブックマークのユーザーは、はてな平均より男性(9割)や中・高所得者(年収500万円以上が6割)が多いようで[3]、池田はそれを念頭に発言したようである。この批判に応えてエントリーページでは、はてなスターの付いた人気コメントが優先的に表示され、池田が求めたようなシステムになった。またtwitterやmixiなどのSNSとの連携機能を整備する要因になったようである。
タイトル獲得経験者(通算1期)。羽生善治七冠王を崩した棋士である。
顔つきは朴訥とした雰囲気が有るかもしれない。野武士という異名をとったこともある。なぜかニコ生で人気(だった?)。
ソフト指しが疑われているA級順位戦の三浦ー渡辺戦は角換わりの序盤早々にポンと▲4五桂を跳ねる将棋であった。前例はあって無いようなもの。話題になったお陰で棋譜は検索すれば簡単に見つかる。ちなみに将棋の棋譜に著作権は無い。素人目にはこの桂馬は、後手が△4四歩と伸ばせば簡単に取れそうである。プロから見てもそうであったらしく、順位戦の渡辺はそう指した。その後は後手は期待通りに桂馬を取り、引き換えに先手は馬を作り2歩を得た。以降は10手ほど穏やかに進み、先手が戦端を開き一気に後手陣を攻め潰した。馬と歩得の時点で形勢は先手が良かったようだ。実際、今日の竜王戦第一局(対丸山九段)で渡辺はほぼ同局面から△4四歩を見送り、ponanzaはこの選択をそんなに悪くないと評価した。
三浦の▲4五桂にはソフトによる研究が伺える。駒損して歩得と馬を主張するところがソフトっぽいと言われる。同時に三浦の棋風も伺える。端的に言えば研究将棋とはハメ手であり、毒饅頭を目の前にチラつかせる将棋なのだ。渡辺はまんまと引っかかり、自然と思われる桂取りの△4四歩からほぼ一直線の流れで、気づけば形勢を損なった。
行方尚史八段は三浦を表して「局地戦になると異常に力を発揮する人」「狭いところでの三浦君の計算力はすごい」と評した*1。一見して選択肢の狭い局面に誘導し、そこで相手を罠に嵌め、自身の計算力を頼りに仕留めるのが得意である、というわけだ。そして三浦はこの棋風を維持するために、自身の研究に加えて他の棋士の研究をも吸い出してきた。圧倒的な研究量が三浦のウリなのだ。
第68期名人戦(2010年)において三浦は羽生善治名人(当時)に挑戦した。梅田望夫「羽生善治と現代」ではこのシリーズの第二局を通じて、三浦の棋風すなわち研究将棋の極北について論じている。三浦はここでも羽生相手に罠を仕掛けた。当時流行の横歩取り8五飛戦法の、その最新型に一撃必殺の罠を仕掛けた、のだが、この罠は関西有力若手棋士(行方は豊島将之現七段か糸谷哲郎現八段か、誰かは知らないが、と言う)を二晩ホテルに缶詰にして聞き出した研究の成果であると言われる。
自分が出席しない研究会の成果をその日の夜に電話で聞き出したりもする。後日有力棋士に公に批判された。
三浦の将棋脳の特性と、それを活かせる狭く罠を仕掛けやすい展開を収集する研究力・人脈、これによって三浦はトップ棋士たりえた。
近年ではソフトが鬼強いので、誰でも棋力に関係なく高度な研究ができるハズだ。では三浦の強みが無くなったかというとさにあらず。現に順位戦で渡辺は三浦の研究手▲4五桂に対応できず、自然な手に乗って形勢を損ねた。プロより強いソフトが行き渡った現代でも、三浦の研究力は存分に発揮されている。
つまりカンニングしなくても、三浦は十分強い。序盤は優秀な研究があるので仮にカンニングするとしたら中終盤だが、この将棋は優勢な局面から一方的な攻め将棋で終わった。カンニングが必要とは、個人的には思えない。
ちなみに羽生との第68期名人戦、三浦は4タコで無残に敗退した。形勢良しの将棋を勝ちきれず、善悪不明の将棋を手品のように負けた。
第二局で羽生は三浦の罠を看破し、三浦の研究の隙の隙を掻い潜り、見事勝利した。
中学生でプロになった。20歳で棋界最高峰の竜王を取った。タイトル通算17期、史上初の永世竜王資格保持者。名人挑戦者に未だなれない。
生え際は若くして後退した。歯に衣着せぬ実直な物言いも人気。
自玉を固めて細い攻めを繋げて一方的に殴るのが一般に渡辺っぽいとされるが、最近はどんな将棋でも単純に強い。
研究家。ソフトを使用しているがソフトの評価値はあんまり重用していないとも語る*2。
渡辺は単純に強い棋士である。2000年以降、渡辺は将棋界のトップ3以上の実力者でありつづけた。研究家であっても、三浦のような極端さは無い。
人望の厚さが伺われるエピソードも多い。佐藤天彦新名人にも慕われている。
渡辺は正義と公正の棋士である。ゆえに、三浦の若手搾取が許せないらしい。村山慈明現七段から三浦に電話で研究会の成果を根掘り葉掘り何時間も訊かれたと愚痴られた渡辺は、NHK将棋講座誌上で三浦を名指しで、質問三羽烏として痛烈に批判した。
とばっちりを受けた残り二羽の烏は深浦康市九段と丸山忠久九段である。深浦は「羽生善治と現代」にて三浦の研究将棋を擁護し、丸山は今回の将棋連盟の決定に不服ととれるコメントを出した。前述の通り、丸山ー渡辺で開幕した今期竜王戦第一局の序盤は、件のA級順位戦三浦ー渡辺戦とほぼ同じ将棋であった。丸山の意趣返しであるが、渡辺の対策が良く封じ手時点では丸山苦戦の模様。
三浦のカンニング疑惑の聞き取りに、渡辺は理事に混じって同席した。
5人前後の三浦に負かされたと推察される棋士が三浦を告発したという。根拠はつまりプロの直感である。正義の棋士渡辺は告発者の一人であり、卑劣なカンニングを許せず、またタイトル戦の直接の対決者であるから、聞き取りに同席したのだろう。
聞き取りは聞き取りだけで終わり、証拠は一切示されないが、あるともないとも知れない。
三浦からしたら、タイトル戦の直前にタイトルホルダーが連盟を味方につけて、盤外戦術を仕掛けてきたようなものである。
三浦がカンニングしていたのなら、怖くて大舞台には出れないだろう。
三浦がカンニングしていなくても、怖くて大舞台には出れないだろう。
つまり三浦相手に連敗中の渡辺が三浦を竜王戦欠場に追いやったとも言える。
まさしく陣屋事件に勝るとも劣らぬ怪奇事件。なんと命名したらよいだろうか。
幹事である俺があたりまえのように会場の予約を忘れたため、集合後の流れで適当な居酒屋を探すことに。
おっ、徒歩二分の場所にワタミがありますね、とみんなを導こうとすると「あんなブラック会社で飲む酒がうまいはずはない」とみんな不満顔。さすがみなさん、公共性が高い。というわけでワタミのとなりにあった温野菜なんとかいう居酒屋に入りました。
「いらっしゃまいませ。何名様ですか?」
案内係のお姉さん(メガネにウェーブがかった長髪。ちょっと人間を人間と思っていないような目をしている)に人数を伝え、「白熊や犬も混じっているんですけど、大丈夫でしょうか?」とおそるおそる尋ねると、満面の営業スマイルで「大丈夫ですよ! はてな村では五族協和人類みなサラダボウル!」
しめやかに満座が着席するや、「ご注文は〜?」とにこやかに聞いてくるお姉さん(さっきの案内係と同一人物。感情の一切こもらない、抑揚のない口調でしゃべる)にみんな我先にと「ビールビール!」「生中生中!」とまるで社会人とは思えないがっつきかたを見せる。
俺が誰の頭にも残らないような薄っぺらい乾杯の辞を述べると、あとは無礼講無礼講。
「なーんで持ってるの?
なーんで持ってるの?
は〜い、おそろしいおそろしいおそろしい♪」
「のーんでのーんで どんどん飲んで♪
飲むのは?
\ サバー /
飲むのは?
\ カレー /
あー!
いー!
うー!
梅田望夫って結局今どこにいるの?
えー!
笑顔です!
おー!
おーつねさんもパコパコパコパコ♪」
皆飲んでいる。
皆酔っている。
皆吐いている。
俺は限界だとおもった。
衆知のとおり、久谷女子は現役の大手メディア関係者やOBの集まりで、クックパッドやjkondoや山本一郎、tsudaほか多数とも他人じゃないし、残念ながら、ただの一般人は壁にぶつかって割れるしかない卵のようなもんだね。あきらめるしかないね。恐ろしい恐ろしい。
久谷女子様は内容証明の送り先を教えて下さいませんでした。 - 一人暮らし・フリーターでも30歳までに1000万貯蓄出来たアンビバレント女々がはてなユーザーの力を借りて高学歴になるブログ。
10年くらい前のはてな勃興期を報道メディアを使って長年のあいだ支えた元ITmediaの岡田有花も久谷メンバーだし、mixiやtwitter, facebookその他に負けない成長をはてながしていれば今頃はてなシンジケートと呼ばれても大袈裟じゃなかっただろう、自分たちに都合のいい文書を上手いことネット上でバズらせる言論界の既得権益エリアだった。はてな。
ttp://mojix.org/2009/06/08/umeda_shinkaron
『ウェブ時代をゆく』の第4章「ロールモデル思考法」で、梅田さんはこう書いている。
<日本の若い人たちのブログを読んで思うのは、「人を褒める」のが下手だなということである。つまらないことで人の揚げ足を取ったり粗探しばかりしている人を見ると、よくそんな暇があるなと思う。もっと褒めろよ、心の中でいいなと思ったら口に出せよ、と思うことも多い。「人を褒める能力」とは「ある対象の良いところ」を探す能力」である>。
久谷女子の岡田育さん「オトコのカラダはキモチいい」Amazonサブカルチャーベストセラー1位おめでとうございます。 - はてこはだいたい家にいる
はてなにいた頃はツッコミどころ満載の記事でブックマークを荒稼ぎした。
「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」が250万部超の大ヒットとなり、はてな村民を土下座に追い込む。
当時からライター、小説家として活躍。「ロスト・ケア」「絶叫」はこのミスなどでも高く評価される。
小説家として「虐殺器官」「ハーモニー」などを送り出し、日本SF界に多大な影響を与えるも夭折。
ブログは「My Life Between Silicon Valley and Japan」。
はてなの取締役として積極的にブログを更新し、また一般にもWeb2.0の伝道師として名を上げる。
映画評論家。雑誌「映画秘宝」を創刊。実写映画「進撃の巨人」の脚本を執筆。
ブログは「【A面】犬にかぶらせろ!」。
以前ネトゲが1000時間だの2000時間だのをあっという間に吸い尽くす極悪の娯楽として挙げられていましたが、
ニコニコ動画やpixiv、ピアプロの隆盛で一気に認知されることとなった「創作行為」も凄まじい勢いで人生有限の可処分時間を吸い取っていきます。
以下に理由を挙げていきます。
趣味で創作をすると言っても、ネット全盛の今の時代。少しは他人に評価されたいと思うでしょう。
作った作品を全て非公開にしているような人は希少種です。
そんなわけで、人の評価を得ること=人との競争です。
梅田望夫がかつて語った「高速道路効果」は今でも顕在で、プロは勿論、素人アマと競うことですら、今は前提とされるスキルレベルの平均が上がりすぎています。
pixivで高校生・大学生ユーザーが商業ラノベ絵クラスの絵をホイホイ描いているのがいい例です。
彼らはアマですが、ド素人が彼らのレベルまで追いつこうとするとそれこそ500時間や1000時間では効かないくらいのスキル鍛錬投資を求められます(時間的な意味でも金銭的な意味でも)
初音ミクで楽曲を作ろうにも、2007年頃のニコ動初期とは比較にならないクラスまで初音ミク曲のレベルも上がっており、当然視聴ユーザーの耳も肥えまくってるのでまともに聴いてくれる人を確保しようと思えばこれまた途方もない長い鍛錬の日々の始まりです。
とにもかくにも、今ネット上やコミケでまともに戦えるレベルまで創作趣味のスキルを鍛えようとすると、半端なネトゲが泣いて謝る感じの時間投資が必要です。
しかも、一定時間プレイしていれば誰でも強プレイヤーになれるネトゲとは違い、創作趣味は2000時間鍛えようが3000時間鍛えようが、伸びない人はあまり伸びません。それが恐ろしい。
飲み込みの早い人は1000時間でレベル80くらいになるのが、向いてない人だと5000時間投資してもまだレベル40とかです。
長い修行の末、ようやく戦えるレベルまでスキルが上がったとしましょう。ですが、ここからがようやくスタート地点なのです。
ニコ動やpixivの人気ユーザーは多産でもあります。つまり、彼らがそれだけ創作に限りなく時間を割いているということです。
「ネトゲは遊びじゃない」という名言がFF11あたりで生まれましたが、上記サイトのトップユーザーのクオリティの高い多産ぶりを見るに「創作は遊びじゃない」と言えるでしょう。
そんな彼らに少しでも追いつこう、ましてや競おうとするなら、それはもう、一定スキル獲得後も終わりのない新作制作に休日を全て投げ込む勢いを求められるということです。
別にそんなハイレベルユーザーと戦わなくていい。自分の好きにやっていたらいい……そう思われる方もいるでしょう。
自分の好きに創作するのも、これまた時間を取られるのです。既に一定程度スキルが上がった状態では、自分の好きに作ったとしても、自分が納得のいくレベルまで作品の質を高めるのに時間がかなり吸われていきます。
初音ミクでの作曲はどうか知りませんが、絵を描く場合ですと、まともに線画整えて綺麗に塗って…と普通レベルの完成作を求めた場合、20~30時間は最低でも必要です。こだわりだすと100時間は普通に越えます。
ド素人の頃からのスキル獲得の修行に1000~2000時間近くかかり、さらにそこから自分の好きなものを描くのに一作ごとに100時間……。怖いですね。
資格がどれだけ取れるでしょうか。
副業してたらどれだけ稼げることでしょう。
ネトゲでは一度レベルが上がれば1ヶ月放置しててもそのままですが、創作趣味の場合は違います。1ヶ月ほっとけば目に見えてスキルは落ちます。
つまり、特に表現したいものがない状態でも、何かしら継続して描く・書く・作曲する……等していなければ、あっという間にこれまで苦労して身に付けた能力はなくなります。
これは実際キツいです。ネトゲの方がまだ救いがあります。廃人を脱して社会復帰した後、ふと以前のセーブデータを呼び起こしてもレベルも装備もそのままで再開出来るのですから。
苦痛を伴いながらも、毎日、あるいは毎週、スキル維持のための時間を捻出しなければなりません。「創作」以外の趣味に手を出すことに恐怖を覚える頃です。(一日中ゲームをするなど)
そんな感じで、ネトゲの次にというか…ネトゲ並というか…ネトゲ以上というか…創作は恐ろしい趣味です。
健全で文化的なはてなユーザーの皆さんにおかれましては、くれぐれもこのような破滅的な趣味に手を出さないようお願い申し上げたい。
実際、趣味というのは「消費」してるのが一番です。
梅田望夫の「ウェブ進化論」で羽生善治が語る学習の高速道路論でも似たようなことが書いてある。
ITとインターネットの進化によって将棋の世界に起きた最大の変化は、将棋が強くなるための高速道路が一気に敷かれたということです。
将棋も格ゲーもインターネットという情報の高速道路によって、多くのプレイヤーが便利で効率が良く強い戦法を習得し、ワンパターン化が加速した。
多くのプレイヤーが一気に強くなって大渋滞になったが、他人と同じことしていても大渋滞を抜け出せない。
だからこそ、その渋滞を抜けだ出した本当に実力のある強いプレイヤーが注目され、今の格ゲーは史上最高におもしろい時代になってきていると思う。
ここまでインターネットが普及すると、誰でも知っていることが多くなる。
例えば、このやり方が相当強い、それを知らない人にはだいたい勝てるといった戦い方もかなりの量流布している。
ある格闘ゲームのあるキャラクターだけが使える便利な技があるとする。
すごく性能が良くて、それを使えば強いのは誰の目にも明らかといった技だ。
すると、みんなその技を使いたがる。そして、みんな同じプレイになる。
誰にでもできる戦法は選ばないし、それによる不利を苦とも思わない。
ウメハラのようにストイックに上を目指すのは常人では無理なので、とりあえず、便利で効率が良くて強い戦法を使う人の真似をしてみるといい。
そういったいわゆる格ゲーのセオリーを完全に習得できたとしても、それでも勝てない相手がいつか必ず現れる。
その相手との自分の差は一体何なのかと考えることができるようになると一気におもしろくなるはずだし、たとえ全くプレイできなくてもセオリーさえ知っていれば、将棋やプロスポーツの試合観戦と同じように、上手い他人の試合を見るだけでも楽しめると思う。