はてなキーワード: ウェブ時代をゆくとは
衆知のとおり、久谷女子は現役の大手メディア関係者やOBの集まりで、クックパッドやjkondoや山本一郎、tsudaほか多数とも他人じゃないし、残念ながら、ただの一般人は壁にぶつかって割れるしかない卵のようなもんだね。あきらめるしかないね。恐ろしい恐ろしい。
久谷女子様は内容証明の送り先を教えて下さいませんでした。 - 一人暮らし・フリーターでも30歳までに1000万貯蓄出来たアンビバレント女々がはてなユーザーの力を借りて高学歴になるブログ。
10年くらい前のはてな勃興期を報道メディアを使って長年のあいだ支えた元ITmediaの岡田有花も久谷メンバーだし、mixiやtwitter, facebookその他に負けない成長をはてながしていれば今頃はてなシンジケートと呼ばれても大袈裟じゃなかっただろう、自分たちに都合のいい文書を上手いことネット上でバズらせる言論界の既得権益エリアだった。はてな。
ttp://mojix.org/2009/06/08/umeda_shinkaron
『ウェブ時代をゆく』の第4章「ロールモデル思考法」で、梅田さんはこう書いている。
<日本の若い人たちのブログを読んで思うのは、「人を褒める」のが下手だなということである。つまらないことで人の揚げ足を取ったり粗探しばかりしている人を見ると、よくそんな暇があるなと思う。もっと褒めろよ、心の中でいいなと思ったら口に出せよ、と思うことも多い。「人を褒める能力」とは「ある対象の良いところ」を探す能力」である>。
久谷女子の岡田育さん「オトコのカラダはキモチいい」Amazonサブカルチャーベストセラー1位おめでとうございます。 - はてこはだいたい家にいる
梅田望夫氏の著書「ウェブ時代をゆく」を読んで氏が述べている「文系のオープンソースの道具」という物に期待してたんですよ。
でもそれを実現する為の片鱗がはてなのサービスで見られるかというと全然ない訳です。おそらく、それに一番近いと思われるはてなグループも大分前にリニューアルがあったという話を聞いたきり、音沙汰が無い。
僕個人の勝手な思いとして、はてなにはネットの「コクヨ」になってほしいと思うのです。現在のネット上には大学ノートもホワイトボードもキャビネットもありません。今はなんとかハックみたいな伊藤家の食卓的テクニックを使わないとまともに使えないWebサービスしかなくて、どうかそれを埋めてほしいのです。
以前、教育機関向けにはてなのサービスをアピールする広告を出していたのを目にしました。でもそれをまともに受け止めるだけのものがいまのはてなにあるでしょうか。僕はとてもそうは思えないのです。
「ウェブ時代をゆく」を読めば、そんなあなたの疑問も解消?
ここ数ヶ月、ずっと心に残っていたが忙しくて書けなかったことを書く。
梅田望夫氏は、新著『ウェブ時代をゆく(http://d.hatena.ne.jp/asin/4480063870)』の発売を記念して講演会を開いた。その様子はリアルの世界に生きる人は、ウェブ時代をどう生きたらいいのか--梅田望夫氏講演:前編:コラム - CNET Japanと「たいしたことない自分」だから、本を書いた--梅田望夫氏講演:後編:コラム - CNET Japanにまとめられているが、僕が気になったのは、後編での来場者からの質問に対する梅田氏の返答である。
――米国大統領選挙において、ソーシャルネットワーキングサービスやブログをどのように活用しているか、実例を教えて欲しいのですが。
あんまり知りません(笑)。これは重要な問題で、僕が米国に住んでいるから大統領選挙について語れるという前提が間違っている。肝に銘じてほしいと思います。
そういうことは自分で調べたらいいんですよ、すぐできます。Googleがあれば、調べてみましょうか、というだけです。ウォッチしようと思ったら、そこに壁なんてない。心から知りたいなら僕に聞くのは間違いで、Googleに訊いてください。もちろんGoogleだけではないけど、そこをとっかかりにいくらでも調べられますよ。
旧世代の人には多いんですよね。昔は情報が少なくて、米国選挙で何がおきているかを知るには英字新聞とかから情報を得るしかなかった。
時間の使い方の違いだけなんだよね。僕は(大統領選挙について)ウォッチなんかしてない。自分の優先順位に従ってやってるから、いくつか優先順位が高いと決めたもの以外には語る資格がないんです。
そういうものに対しては、答えないことが僕にとっての倫理観なんです。適当なことなら答えられるけど、それなりに自信があるもの以外は質問に答えない。そういう時代なんですよ。本当に知りたいならGoogleに行ってください。それがウェブ時代ということです。
梅田氏は「僕が米国に住んでいるから大統領選挙について語れるという前提が間違っている。」と言うが、これはまさにその通りであって、僕の姉夫婦はアメリカに住んでいるが大統領選については私の方が余程知っている。しかし、この質問は正確には大統領選挙について聞いたものではない。「大統領選挙においてSNSがBlogがどのように活用されているか」を聞いている。『ウェブ進化論』や『ウェブ時代をゆく』を読んで梅田氏を知ったにすぎない私などからすれば、梅田氏は一般的抽象的にいえば「ウェブの専門家」である。その「ウェブの専門家」でありアメリカ在住の人物に対し、「大統領選挙においてSNSがBlogがどのように活用されているか」を聞くことは不合理なことだろうか。私はそうは思わない。
私は梅田氏が大統領選挙におけるウェブの使われ方について知らないこと(答えないこと)を非難しているのではない。優先順位の低い情報をダラダラと摂取することは無意味だし、調べようと思ったらGoogleに聞けばある程度のことは分かる。確かにその通り。正論だ。「優先順位が高いと決めたもの以外には語る資格がないんです」。これも正論。「そういうものに対しては、答えないことが僕にとっての倫理観」。大いに結構、尊重しましょう。
だが、専門家は自分が知っていることだけ答えればいいのだろうか。「詳しくは知らないけど一応の返答はする。情報の手掛かりだけは教える。もし間違ったことを言ってしまったら訂正して謝罪する」。これも専門家の責任のあり方ではないか。
例えば、カリフォルニアのバークレー在住の町山智浩は映画評論家である。彼は当然映画評論が専門であるが、問われれば大統領選挙についても答えるし、キリスト教原理主義についても答えるし、ウェブについても答える。なぜか。皆が彼にそれを期待しているからだ。町山さんは話を大きくし過ぎるところがあって、時には間違ったことも言う。放送禁止ギリギリの発言もする。でも、間違えばきちんと訂正して謝罪する。そして彼は信頼されている(少なくとも僕は信頼している)。それが彼の責任のあり方だ。
他の専門家はどうか。例えば、弁護士は様々な法律相談を受ける。弁護士の業務も今では専門分化されているので、全ての領域をカバーできるわけはない。では、知らないことを相談されたら彼らはどうするか。まずは知っている限りのことは答えるだろう。そして、その問題に詳しい他の弁護士を紹介するとか、しかるべき専門機関を教えてたりする。そこまで含めて、弁護士としての責任の果し方だろう。「本に書いてあるから自分で調べて」と言うことなどあり得ないはずだ。
さて、梅田氏である。梅田氏が「大統領選挙においてSNSがBlogがどのように活用されているか」についてフォローしているか否かはここでの問題ではない。問題なのは、梅田氏が「ウェブの専門家」として期待されているところについて無自覚であることだ。無自覚でなければ、わざわざ講演会にまで出かけて行って恐縮しながら質問をした人に対して(ここは想像)、こんな冷たいことを言い放てるはずがない。「Googleで調べて下さい」で済むなら専門家など存在する意味はない。Googleで調べればいろんな情報が得られる時代だからこそ、専門家には水先案内人としての役割が求められる。
それがウェブ時代ということです。
(支離滅裂なのは理解している)
梅田さんは、ご自身の発言や著書に対するネットでの反応には目を通されているそうです。そして結構ぽんぽんとスターをつけているようです。でも例えば「ウェブ時代をゆく」について語られたエントリにも梅田さんのスターがついていたりついていなかったりします。そこでスターをつける基準を勝手に考えてみた。
・単に「読んだ」と書いただけのようなエントリにはつけない
・自分を褒めるエントリにはつける
・自分にツッコミを入れたり批判的・懐疑的なネガティブ(笑)エントリにはつけない
・自分の意見に懐疑的・批判的なエントリでも「大企業」ネタになるようなエントリにはつける
他にもあればよろしく
「好きを貫く」よりも、もっと気分よく生きる方法 - 分裂勘違い君劇場
前から思っていたが、分裂勘違い君の書く文章には、意識的に多くの仕掛けが施されている。
今回、あまりに手放しの賞賛が多いので、ちょっと違った視点(意地悪な視点)から斬ってみたいと思う。
それにしても、名文である。
これだけ罠や仕掛けが多い文章を、誰にでも読みやすく書ける才能には脱帽。
このエントリの罠はいくつかあって、全てがはてなブックマークにハマってしまうタイプの人に、向けられてる。
つまり、ウェブについての知識や興味があるが、いわゆる一個人として「コトを成していない人」。
つまり、自分の境遇にあまり満足していないが、努力の方向が良くわからず、情報収集ばかりを病的に繰り返してしまう人。
第一の罠が、そう言うはてなマニアが素直にこのエントリを批判する文を書こうとすると、自分が無能なことを
少なくとも、一度は筆者を持ち上げないといけない罠。
第二に、このエントリは、馬鹿馬鹿しいくらいの「正論」を、巧みに味付けしてみせただけの文章だということ。
中身は、これだけ。
「その時々にやりたいことを、好きなようにやれるのが一番幸せ。俺、出来てるし」
後半の「出来てるし」の部分でさえ、履歴書チックにそれなりの成果があれば、主観的なことを判断基準にしているから、
外部の人間が「やれてねえだろ」と証拠をあげて突っ込むのが難しい。
「それ、好きじゃないから」「その時点で飽きたから」っていわれたら終わりだし。
あと、手抜きしてもこんだけ出来るぜ自慢は、がむしゃらになれる人への嫉妬の裏返しだよね。
第三に、繰り返される「好きなステーキでも毎日食ってたら飽きる」という極端な比喩。
これは、この程度の比喩で素直に納得してしまうレベルの人をメインターゲットにした上で、
おかしいと見抜いてもそこをツッコむと、ツッコんだ人がレベルが低そうに見えてしまう、
という二重の罠。
とりあえず、馬鹿っぽく見えることを承知で、真っ正面からツッコんでみる。
そもそも、食事の比喩は、感覚的に強烈でわかりやすい錯覚を覚えるが、大抵において的確ではない。
何故なら、食事は毎日繰り返される本能的な欲求で、習慣や仕事や趣味と同次元で語れるものではないから。
つまり、一生ステーキしか食えない、って聞いた時のウェッと来るような感覚的な気持ち悪さは、
一生プログラマーの仕事を続ける、と言う感覚と、全く関係ないってこと。
それを前提にした上で、レベル感の違い、構成要素の複雑さの違い、そもそもステーキを毎日食べたい、
と言う言葉自体が誇大表現のレトリックであるということ、などなどツッコミどころが多すぎる。
レベル感ってことで言えば、「ステーキ」って「プログラマー」に対して、範囲狭すぎるでしょ。
そもそも、「プログラマー」などの「業種」を、「ステーキ」という「素材そのものの一品料理」と
一緒にするのがおかしい。そりゃ、想像するだけで気持ち悪くなるよ。
せめて、「肉料理をメインに一生食べ続ける」、くらいのもんでしょ。
それくらいなら、実践している人も山ほどいる。
それに仕事なら、役割も内容もどんどん変わって行くわけで、成長も変化もある。
テトリスを一生やり続けるのと、FFオンラインを一生やり続けるのと、くらいの違いがある。
ああ、やっぱり馬鹿らしい反論になってる気がする……。
正論や極端な比喩に、とって付けたような(しかし、批判の対象になるプログラマー層が小耳に挟んだことはあるが
詳しく知らなそうな分野のネタを広範囲から)引用や巧みなレトリックをまぶして、見事な文章に見せかけている。
第五に、褒め殺し。
ポストモダンで解決案を提示出来なかった課題にも、梅田さんなら何らかの解決策を出してくれるかと
期待した、なんて誉め殺しもいいとこ。もともと趣旨違うし。
そうすることで、自分が解決策を提示出来るわけでもないのに、相手を褒めつつ批判することが出来る。
勘違い君も、「自分は好きな時に好きなことをやる人生が実現出来てるよ」ってことは言えていても、
多くの人が実現出来るような解決策を何も提示出来てない。そしてそれを巧妙に隠しているってことだ。
今までのエントリがそうだったように、「はてなブックマークで話題になること」である。
つまりこのエントリは、自分を持ち上げつつも、自分よりも自己実現が出来ていない層から共感や賞賛を
得るために書かれたもの、ということになる。
繰り返し言うが、「その時々にやりたいことを、好きなようにやれるのが一番幸せ。俺、出来てるし」ってこと。
まず、梅田望夫が自ら名言しているように、「ウェブ時代をゆく」は、あなたのようにウェブの世界に精通し、
それをわかっていながら、こきおろしている。
まるで、ベテランが新人の基礎研修を見に来て、古典的で四角四面な内容に茶々を入れてるみたいだ。
けものみちの生き方を目指しつつ、ひろゆきや梅田望夫になれず、はてブのヒーローに留まってしまうのは、
論破出来そうな権威に噛み付いて、自分より格下の相手の称賛だけで満足しているだけの器の小ささではないかと思う。
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20071209/1197232409
※ブクマ数が100ぐらいになったら、↓このへんに 書き手が現れる予感。
「わたしが書きました」 くろいぬ(Shields-Pikes)
■種明かしエントリーはこちら
「省略 たとえば日本の研究者や大学教授で、ブログを書き、自分の論文や著作の背景にある発想や思考過程をネット上で公開し、リアルな授業を録画・録音して不特定多数に向けて発信しようとしている人はほとんどいない。ウェブ進化などまだ始まってもいない段階なのだとも言える。」
いや、これは違う。
これはウェブ進化がどうこういう問題では無く、ただ自信が無いだけだ。この先もずっと同じだろう。
これはただ日本人の内面が表れているだけなんだだ。
タレントのよくある日記的なものではなく、著名人が実名でブログ上で書評をしたり批判したりして自分の意見を外に出して、一方通行ではなくコメント欄を用意している人達は凄い。
これは自信がある事と優秀である事の証明でもある。
某民主党議員の震災が起こった被災地への配慮の足りない記事の件のように、お馬鹿さん達の煽りや暴言もたくさんあるが、そのブログの内容と180度違う真面目な批判が圧倒数を占めた場合、結局は自分で首を絞めてしまうからだ。
池田信夫氏、梅田望夫氏、小飼弾氏、山形浩生氏、他にもたくさんいるが特に池田信夫、小飼弾氏は匿名のコメントにたまに返答もする。
これって大学の教室だけで自慢したり、自分の言いたいことをぶちまける教授とはケタ違いの強い責任感と高い能力が試される非常に勇気がいる行為だだろう。
当のご本人達はそんな事思ってないかもしれないが、ここ日本で影響力のある人がこうやってオープンに自分の発言を書き残せるのは傍観者の私からすれば本当に立派だ。
例えば、『これからを生き抜くエンジニアの在り方』のような記事は、
主に、団塊Jrを中心にした氷河期時代にIT系エンジニアになった人たちが
読んでいるんだろうなあ、とか思う。(違うかも)
だから、その層が年をとると管理職になったり、独立したり、心や体を壊してIT業界から去ったり、心や体を壊してIT業界から去ったり、あるいは、心や体を壊してIT業界から去ったりするわけで、その後輩達は、2chでいかにひどい業界かを思い知ったり、ブログでいかにひどい業界かを思い知ったり、mixiでいかにひどい業界かを思い知ったりしているわけだ。
要するに、将来的には、そういう記事を読む人間が少なくなるということだ。
あと、『ウェブ時代をゆく』は、欝の人間に「がんばれ!がんばれ!」言っているような気がした。
以上。
今日、「ウェブ時代をゆく」を読んできた。本の内容は納得できる部分がほとんどだったが、読んでてだんだん憂鬱になってきた。
なぜなら、自分がこれから生きていく上でのビジョンが全く見えないことに気付いたからだ。
4年前に読んだらきっとやる気が出てきただろう。しかし今の自分には逆効果だ。4年前の自分には希望があった。しかし今の自分にはない。
以前はなりたい自分というものがあった。4年前はちょうど趣味でOSS活動をやっていて、その関係で友人も何人か出来た。いつかは有名になろうという目標があった。実際、作ったソフトはそこそこ名を知られるものになった。仕事でそれが認められることはなかったが、仕事に充実感はあった。
しかし2年前から全てがダメになった。
原因ははっきりしている。何度も失敗を繰り返したり、人に裏切られたりしたからだ。リアルだけではなくネットでも。それまで人に裏切られたことのない自分は混乱した。そのためにblogは閉鎖し、ノイローゼになって休職する羽目になった。幸いにも今は病気の方はほぼ回復し、会社も復職して仕事の方も以前と同じくらいのパフォーマンスは出るようになっている。blogも再度立ち上げ直して細々と続けている。
しかし、今は何かやろうとすると自分の心が自分に対してブレーキをかけてしまう。何か没頭することに対して怯えてしまっている。自分の考えや本心を空かすことがなくなった。他の人と接するときは気丈に振る舞っているので誰も気付かない。常に仮面を被り続けている。友人とも会うことがほとんどなくなった。自分なんかと会っても何も楽しいことなどないという考えがよぎってしまう。転職も考えたことがある。しかし希望が持てない自分に居場所があるのだろうかという考えがよぎってしまう。そういう考えはやめようと頭では分かっててもだ。
学習された無力感という言葉がある。検索すると、縛り付けた犬に電気ショックを与え続けるという実験についての話が見つかる。自分の今の状態はこれに近いのだろうと考えている。