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はてなキーワード: 抗うつ剤とは

2023-05-03

寝る前に抗うつ剤吐き気止め飲んだら、猛烈な吐き気

何回も吐こうとするが、胃液しか出てこない

時間くらい経って吐き気はあるけど、寝た方が楽だし寝る

1ヶ月前もあったんだよなぁ

いつもは大丈夫なのに

寝る前じゃなくて夕食後に飲まないと胃に負担何だろうか

2023-04-11

抗うつ剤副作用がキツい

3日前からレクサプロというSSRI一種抗うつ剤を飲み始めた

そうしたら胃が常にムカムカして気持ちが悪い

SSRI典型的副作用みたいだが、食事をする手が止まるくらいQOLが下がっている

これ勝手に中止してもいいの?

2023-03-14

漠然とした。多分私の人生の話。

急に昔の話をしたくなったので衝動ではてぶに登録した。

多分春だからだと思う。これは花粉症の症状の一つ。

そもそも、真夜中にこのブログを開設するあたり、私はもう正気じゃない。

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漠然とした。多分私の人生の話。

5歳の頃、家族旅行アメリカへ行った。国外旅行へ行くのはこの20数年間でこの一度だけ。知らない言語に囲まれて、知らない文化に触れた、初めての経験

私はそれまで、父親よりも背の高い人間がこの地球にいるなんて知らなかった。

幼稚園キリスト教系だった。でも園の中に十字架とかそういう「偶像」がなかったので、私が日々の中に神の存在を感じる機会は非常に限られていた。お弁当を食べる時になると手を合わせて祈りを捧げた。「神よ、日々の糧に感謝いたします。アーメン」。この時間くらいじゃないだろうか。

先生たちは定期的に聖書の話をしてくれたけれど、当時の私には理解できなかった。そして多分先生たちも私たち理解することを求めていなかった。卒園式で綺麗に装丁された聖書記念品にもらった。字が読めるようになり、心に哲学概念が沸いた年齢になった時に初めて読み返した。そしてようやく何かしらは理解できたと思う。多分。…。時間差があるね。

でもこれだけは覚えているのがある。園長先生という方は非常に柔らかいお話の仕方をなさる方だった。わかるようなわからないような、でもそれはそれとして言葉がスーッと染み込んでいくようなお話をなさっていた。

先生はいつもこうおっしゃっていた。唇に歌を忘れずに。光の子として歩みなさい。

前半は知らない。でも後半は聖書の一節だ。「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。光から、あらゆる善意正義真実とが生じるのです」

小学校の頃は全く覚えてない。

中学時代勉強はできるような、できないような子供だった。

英語音楽国語だけできた。でも国語担当教師と年がら年中喧嘩してたので評定に定期テストの点数が反映された記憶がない。

英語は楽しかった。小さい頃漠然定型分だけ覚えて旅行に行ったあの「英語」が、形ある理論知識として目の前に再び現れた。いうなれば、旧友との再会のような。互いに少し成長していたけれど。

音楽は、心の拠り所を得るために気まぐれで合唱部に入ったら急に歌えるようになった経緯がある。何それって話なんだけど、私もよくわからない。ただ、ある日ある時急に突然「声の出し方、響かせ方」が分かった。2年生の時、ソプラノソロパート担当させてもらった。嬉しかった。あれは、私が自分の実力だけで勝ち得たもので、そして私にもできるものがあるのだという証明になったから。音楽先生卒業式の日私の母をとっ捕まえて手を握ってこう言ったそうな。

お嬢さん音大に行きたいと言ったら、どうか止めないで入れてあげてください」と。

周りの子供たちは「自由」が増え、レンタルショップビデオを借りた。麓の街に行って、友達同士で服を選び合った。私にもそんな自由が欲しかった。漫画の貸し借りをしてみたかった。アニメ情報を共有してみたかった。

ある日、一緒にピアノを習っていた友人から楽譜を借りた。

彼女は「あなたが弾きたい曲が入ってる楽譜、家にあるから貸してあげる。家まで来て」と言った。彼女の家は私の家とは少し離れていた。やや逆方向寄りなのだ。でも私は彼女について行った。そして楽譜を借りた。

家に帰ると母は非常に機嫌が悪かった。ただいま、という挨拶に対して返ってきたのは「どこほっつき歩いてたわけ?」だった。確かに帰宅時間は通常より20分ほど遅かった。

正直に話した。友人の家に寄って楽譜を借りてきた、と。楽譜没収された。

ちなみにその友人は時々漫画も貸してくれていた。しかし母はそれを目敏く見つけて隠した(母はよく私が学校にいる間に私の部屋に入って物を漁っていた)。そして3週間ほど経った頃にクロゼットから出してきて「あの子に返してきなさい、今すぐに」と言ったのだ。

少し考えればわかること。この家は、何かが少しずつ狂ってる。

私にも自由が欲しいとゴネた事がある。他の女の子みたいにガーリーな服(当時は少し露出があるのが流行っていた記憶がある)が着たい。髪を伸ばしたい。休日友達とお出かけをしたい。バレンタイン友達チョコレートの交換をしたい。

ことごとく跳ね除けられた。

おしゃれがしたいなら家でやらないで外で自己主張して頂戴。学校お菓子を持ち込むのは校則違反でしょ?(それをバレンタインの日だけは黙認されてるから私にもやらせてくれと言ったのだが。)お出かけして遊ぶ暇があるならピアノ練習して勉強したらどう?アンタは目の前の遊びを取って将来を失うつもり?それに私たちがアンタのピアノ習い事にどれだけの月謝を払ってると思ってるの?その分ちゃん練習してよ。

そんな言葉で私の心はポッキリだった。でもその時はまだ幼かったので「高校生になったらきっと変わる」と思っていた。

ちなみに上記言葉を言われた後で私は一度だけ地域お祭りに友人と行ったことがある。

一言で言えば、つまらなかった。目に映る何もかもがくだらなく見えて、そんなくだらないものにはしゃげる友人たちが寧ろ一周回って羨ましく思った。その日の私はピアノ練習もしなかったから、鍵盤が恋しかった。結局皆より一足早く帰宅したはずだ。

…そんな私の感想に、母は非常に満足げだった。こればかりは癪にさわる。

高校私立女子校入学した。良い大学に行くことだけが目標だった。それさえ達成できたなら、きっと私の人生は報われると思った。おしゃれらしいおしゃれをしなかったことも、友人と行ったお祭りを楽しめなかったのも、バレンタインの日にお菓子作りをしなかったのも、全部全部。

周りの友人は有名らしいアイドルにどっぷりとハマっていた。週末になれば電車に乗って遠くへ行き、グッズを買い、ブロマイドを買い、皆で見せ合って楽しんでいた。

街のお祭りを楽しめなかった女は、アイドルの良さもわからなかった。女の子たちが「ねえねえ、このひとカッコいいと思わない?」と見せてくるのを適当に「ほんとだ、カッコいいね」と返した。

ちなみにミュージカルをやる部活に入ったが、言わずもがな母は私がそこに入部するのを死ぬほど嫌がったし、門限は昔よりもシビアになった。当然遊べなくなったし、部活も毎回早退していた。それは舞台本番の1週間前でも変わらなかった。先輩も同期も私の家の事を理解してくれていたことだけがいである。あの人たちは皆優しかった。でもその優しさに永遠に甘えるわけにもいかなかった。当時私はスマホを持っていなかったから「今日だけは門限を伸ばして」と公衆電話から家に電話をかけた。「それなら家に入れてやらない」とだけ返されて電話を切られた。私は職員室の前で泣きながら「どうしろって言うんだよ!」と叫んだ。

その部活は1年生の冬に廃部になった。まあ色々あったのだ。晴れて私は本当に勉強しかすることの無い暇人になったのである

英語にのめり込んだ。きっと海の向こうの人たちが喋ってる言語は私の住む世界を広げてくれると思った。

音楽は私の心の拠り所だった。親には「私たちがアンタのピアノ習い事にどれだけの月謝を払ってると思ってるの?その分ちゃん練習してよ」と言われていて、それでよくピアノが嫌いにならなかったな、と思わないでもないが、それはひとえにピアノ先生の教え方が非常に上手かったからだ。あの先生は一生の恩師と言っても良いだろう。ピアノ技術だけでなく、音楽を体全体で楽しむことの大切さを教えて下さった。

必死勉強して、そこそこ良い大学に受かった。当時は大学入試の定員規定が厳しくなったばかりだったか絶対浪人すると思ってたけど、受かった。第0志望、希望希望通りの学科

高校生の頃(というか小学校中学から)ずっと母は私に「アンタみたいに頭の悪いやつは、私の時代なら商業高校に行ってたよ。今はいいね、アンタみたいなバカでも人並みに高校に入れて受験できるんだからさ」と言っていた。

何度も娘をバカだと言わなくて良い。言われなくても本人がちゃんと分かってる。

大学は色々な地域から色んな人たちが入学していた。

同じ地域に住み、同じ景色を見ていた小中、その延長線上にあった高校とはまるで違っていた。私のような実家住まいもいれば、一人暮らしで頑張る人もいた。

でもこれだけは断言したいが「明日屋根心配しなければならない人」は私以外あの空間には存在しなかった。

大学講義は遅くて6時に終わっていた。母は言った。

「7時半には返って来れるでしょ」

まり、7時半が門限だということだ。大学生の、門限が、7時半。

あんまりだよ、と泣いた。父を説得しようとし、父方の祖母を説得しようとした。大学生なんだよ、大人だよ?と。でも父は母のイエスマンだったし、祖母(と叔母)は如何せん価値観が若干古かった。「7時半は十分遅いよ、お母さんは譲歩してる方だと思う」と言って譲らなかった。

遊ぶことはなかった。化粧もしなかった。ファンデーションだけだった。化粧なんてね、若いうちは要らないの。それが母がいつも言うことだった。

少し考えれば分かること。あの時の母は、私を完全にコントロールたかったのだ。

大学2年生の時、母に内緒彼氏を作った。

その年の秋、私はこれまた突然、手首を痛めた。関節炎だった。ピアノの弾きすぎ、PCの打ちすぎで利き手ではない左手に過度の負担がかかったらしい。もうピアノは弾かないでください。と言われた。

あの時の絶望といったら。私は身近な人を突然亡くした経験はないけど、多分親友がある朝突然死んだらこういう気分なんだろう、と思った。うまく使えない左手、もう弾けないピアノ。虚無感、なんて言葉じゃ補いきれないものだった。

私にとってピアノはそれほど大きな存在だった。嬉しい時も辛い時も一緒にいたのが、ピアノであり、音楽だったから。

その時急に現れたのが昔の知り合いだった「彼氏」だった。

少しずつお互いのことを話す中で私は小さな打ち明け話をした。休日が大嫌いなんだ、と。

当時母は土日のたびに癇癪を起こしていた。やれ私の歩き方が気に食わない、やれ私の話し声が気に入らない。どうしてアンタは私の気に入るように振る舞わないの?と。当時私は土日の早朝6時〜9時でコンビニアルバイトをしていたので、その早朝勤務の後に母の喚き声を聞くと言うのはどうにも「来る」ものがあった。

さて話を戻すと、私の打ち明け話を聞いた彼は私を週末のお出かけに誘った。電車の向こうの街でかれこれこういう催し物があるらしい、行ってみようよ。気分転換にさ。と。そういう具合に。そして私はその誘いに乗った。

母には「友達と出かけてくる」とだけ言った。情報は不足しているかもしれないが、嘘はついていない。少なくとも当時は彼はまだ「友達」だった。

そしてその友人は彼氏になった。

から告白された時、私は一種のチャンスを感じた。きっと私は自分証明できるとお思った。私の人生は私のもので、私の人生の決定権は私が握っているのだと。

しかも、当時の私が心から欲していたのは「絶対的な安全」だった。そして痛めた手首によって失われた「心の拠り所」だった。

きっと彼ならそれらをくれるだろうと思ったので、私は彼の告白同意した。

まりにも、身勝手


彼はそれ以来ちょくちょく私を外へ連れ出した。

その度に私はまるで世間一般に溶け込んだ気分になっていた。世間一般の「普通の子」になれたように思った。そしてその時私は心から喜んだ。「生きてる!」と無邪気に思えた。

私が勝手に出かけ、挙句彼氏まで作ったので、母は怒った。最初父は「別にいいんじゃないか?」と言っていたが、母があまりにも怒るので父も手のひらクルリと返した。

彼の名前学歴を言わされた。ひどく侮辱された。

母は私から家の鍵と財布の金、銀行カード没収した。お前に鍵と金を渡すと碌なことにならない、と言いながら。(ちなみにこの銀行カード、取り返したら今度は月に3万、家に入れる事を要求された。当然今度は私の生活費が足りなくなってバイトを増やしたら、要求される金額がまた増えた)

母は、アンタがどこへ行ったか全部わかってるんだからね!と怒鳴った。最初意味がわからなかったが、どうやらあの時の母は私をスマホGPS機能で追跡していたらしい。それが判明した時、私は泣いて彼氏に詫びた。どうしようもないものに巻き込んでしまったと思った。ざっくり言えば、母のやったことは犯罪に近いのだ。

彼は「気にしてないよ」と言った。

私は「いや、そこは気にしてくれ」と思った。というか、そう言った。

彼は「お前がかわいそうだ、どうにかして救いたい」と言った。

その心はありがたかったが、ありがたがると同時に私はそれを拒絶した。

「かわいそう」と軽々しく言えた彼はどこまでも温室育ちだった。4人家族ペット付き、平均的かそれよりも幾許か上の環境で、ぬくぬくと、二親に愛されて育ち我らが王子様のような扱いを受けてきた彼が言ったのは、永遠に「かわいそう」な立場にはならないであろう人間の、無意識傲慢だった。

「救いたい」と言った彼は、きっと人間人間を救えると信じていたのだろう。確かに信じるものは救われるとは言うけれども、彼氏とはいえ第三者立場人間他人を救えるのなら、今頃イエスキリスト聖母マリアもこの世から用済みだろうし、仏典聖典も要らない。でも世界にはそういうもの存在するのだ…。彼はそれをちゃんとは理解していなかった。

私の状況も、世界の状況も、「聞いて知ってはいる」けど「理解」はしていなかった。

彼氏母親という人は、息子から私の家の状況を聞いて、こうコメントした。

「あそこの大学の子だと聞いて安心していたのに。それじゃあ全く、訳アリのお嬢さんを拾ってきたってこと?」

…ってうちの母がいうんだ、面白いよな、訳アリだなんて。と彼は笑いながら言った。少なくとも彼の中で「訳アリ」という言葉一種ネタとして消費されたらしい。

私は彼氏ができた、とか勝手に出かけた、とかそういう「罪」で度々家を追い出された。そんな時私を匿ってくれたのは大学の友人たちだった。

追い出されるたびに顔色が悪くなる私を見て友人は私の目を閉じさせ耳を塞がせ、その間に家中刃物という刃物を知らない場所に隠した。彼女曰く「今のアンタに刃物を見せたらすぐさま死んでしまいそうで怖い」。当時の私は一体どんな顔をしていたのだろう。

結局、私は彼と別れた。

彼は普通の家で育った普通人間だった。そんな温室の彼を「私」という人間に巻き込み、異常なものを見せ、その一部だけでも経験させてしまたことは、私が負うべき「罪」のように思った。そして、そんな異常な場所から彼を一刻でも早く遠ざけようと思った。「かわいそう」という言葉も「訳アリ」という言葉も、ネタとして理解できる世界に戻そうとした。

それが正しいかどうかは本当にわからない。でも身勝手だったとは思えど、あの時の私にできた「最善」の判断は、それだった。

どうか彼には「普通」の彼女ができていてほしいと思う。そして、私の視界に入らないところで幸せになってほしい。

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大学3年生になり、2つの喪失、「普通」の概念について考える日々、加えてコロナ禍。最悪だった。それでも秋までは保った。そして秋になって体調を崩した。

感情がわからなくなった。楽しいとか、嬉しいとか、悲しいとか。

指先から血の気がひいた。四六時中まるで体全体が後ろから引っ張られているような感覚だった。

ほんの少し正気に戻ったその瞬間に病院に行き、うつの診断を貰った。ついでに精神安定剤も貰った。(本来抗うつ剤をもらう予定だったが、そういう精神に効くタイプの薬を飲んだことがなく不安だったため、安定剤からスタートになった)

家族はまるでお手本のような否定言葉をぶつけてきた。

仮病だ、とか、考えすぎだ、とか、甘えだ、とか。診断をした医者はヤブだ、とも言った。そして私から保険証現金没収した。よって私は途中で治療が止まっている。


正直、大学3年4年をどう過ごしたか記憶がない。

ちなみにかの「原神」を始めたのは4年の最初だったか、それくらいだったはずである。(タブレットデバイス様様で、こういうゲーム自分スマホに入っていれば「実体」が無いので、両親は私が流行りのゲームを始めただなんて夢にも思っていない)





うつの診断を受ける前だったか後だったか、とにかくその辺りの時期に私は数回手首を切った。そのうちの一つだけ、鮮明に覚えている。

衝動に任せて切って、うっすらと血を滲ませた。最悪だったのはそれが金曜日で翌日にはバイトがあったということだ。(※この時は体調の限界やらシフトの都合やら色々なものが重なって、私のシフトは早朝6時〜9時ではなく、9時〜12時に移っていた。そこには私の幼馴染の男の子も一緒に働いていたので、早朝から働いていた時よりは幾分気が楽ではあった)

さて左手首を切って血を見て1時間、なんとなく冷静になった時に気が付く「待てよ、明日バイトじゃん」は本当に最悪だ。急いで薬をぬり(強めのステロイドだった気がする)、ガーゼを乗せて包帯を巻いた。

翌朝幼馴染の彼は「それ、どうしたんです」と聞いてきたので、私は笑って言った。

「関節炎の湿布


この幼馴染、私が怪我をしたとなるとまるで問診か何かのように問い詰めるのである。どこで怪我をしたの、どうして怪我をしたの。その時何があったの、いつもと変わったことでもあったの。

手首は数回掠った。そしてもし、もう一度でも金曜日にそれをやった上で「どこで、どうして怪我をしたの」と問い詰められたら、私は誤魔化せる自信がなかった。

そもそもコンビニアルバイトなんて、いつヘルプ要請が入るかもわからないものなので、それが金曜日じゃなくても、手首を切るのは普通にアウトだった。いつか誤魔化せない日が来ると思ったし、その調子で切ってたら取り返しのつかない事になるのは目に見えていた。

それ以来、手首を切るのは自制している。少しばかり、褒めてほしい。

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先日、この幼馴染と少しばかりの遠出をした。

出かける予定を作ったことを正直に母親に白状し、許可を得た(これがまたハードルが高かった。)母は私たち電車で行ったと思っているが。

私は彼が運転する車に乗って遠出した。





帰りの移動だった。彼は、夜の暗闇が一番好きだと言った。

私も夜が好きだと返した。夜は良いなと思う。あの暗闇も、程よい明るさも好きだ。

その日すっかり疲れてしまっていた私はぼんやりと、彼に少しばかりの昔話をした。

まだ私が早朝6時のバイトシフトに入っていた頃、5時に起きて支度をしていたから冬の早朝は真夜中みたいに真っ暗だったのだと。そして少し季節が春に近づくにつれて日の出時間も早くなり、西の空は暗く、東の空は明るくて、私はその真ん中に立っているような錯覚を覚えたのだと。まるで、昨日と明日の境目にいるような気分だったと。

ある時私は親に家を追い出されて、月曜火曜ならまだしも金曜日に追い出されたのなら翌朝のバイトは始発電車に乗らないと間に合わなかった。まだ空が真っ暗な時間にそっと友人の家を出て、電車の窓の外がうっすらと明るくなるのを見ていた。

そう言った。話し終えてからようやく自分が一体なんの話をしたのか、一体彼に何を聞かせていたのか気がついた。

変な話してごめん。私の家の騒動を知ってて私を家に泊めてくれた友人くらいしか知らない話だ、多分他人に初めて話した、幼馴染の女の子ですら知らない話だ…。と途方に暮れながら謝罪したところ、彼は「そうだろうね」と言い、こう続けた。

「よく、怪我しませんでしたね。危ないでしょう、色々と」





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今も私は「普通ってなんだろう」と考えている。

家では相変わらず母がつまらないことで喚き散らしているし、私の髪の一本一本にすら執着し干渉している。そして相変わらず父は母のイエスマンだ。


幸せになりたいな、と思う。

でもまず私は「幸せってなんだろうな」から思考を巡らせなければならい

そもそもはいまだに感情の生成についての問題解決していない。

たぶん私という人間も私の家族も、私の家の一族も何かしらが「おかしい」のだ。皆が皆で、それぞれ違うベクトルで狂ってるから、その異常性に気がつきにくい。

でも気がついた人が気がついた時に「終わらせなければならない」。母は自分自分母親と絶縁した。もしかしたらそれはいつか来る自分未来だと思う。

それはそれとして、もし誰かが私の幸運をほんの少しでも願ってくれているのなら、多分、私はまだ幸せだ。

2023-03-02

anond:20230302144023

この前、覚醒剤を取るとドーパミン出す所が不可逆的に死ぬっていう話聞いたんだけど

抗うつ剤とかは大丈夫なんだろうか

anond:20230302134807

ダイエット薬や筋力増強剤なんかはちゃんと調べて個人輸入すりゃいいけど、

抗うつ剤系はやめといた方がいい

ダイエット薬デビュー

半錠から始めてみる

やっぱり初めて使う怪しい薬は緊張する

 

バイアグラ系は慣れた

 

最近抗うつ剤気になってる

健常者が飲んでも良いのかな

いや普通に駄目か

メンタル漢方が効きすぎる

うつ病じゃないんだけどうつっぽくなりやすいというか常に自律神経失調中と言うかで引きこもり体質で、

睡眠導入剤が(今はもう使えない)サイレースしか効かない、抗うつ薬セロトニン?これ苦いラムネじゃん?という薬効きにくい人間なんだけど、

柴胡加竜骨牡蛎湯が異常に効く。

今まで飲んできた数々の抗うつ剤はなんだったんだってくらい効く。

あんまり効きすぎて休薬するほどだったし、3年ぶりのメンタル真っ暗も二日ほどちゃんと薬飲んだらどっかに消えてしまった。

しかもこれなんだか即効性があって、自分場合飲んだ後30分以内に効いてくるんだ。半日くらいで効果が切れる感じもわかる。

何がどうなって効いてるんだろうな、これ。カキフライ大好きなんだけど関係あるのかな。

あんまり効きすぎて、飲んだら絶対テンション上がるなんてヤバい薬なのでは???って飲みたくなくなるほどだ。

漢方すごいなあ。もし叶うなら、20年前にこれを処方されたかったなあ。漢方だもん、20年どころじゃなく太古から存在してたのになあ。

というわけで、漢方効く人にはめちゃくちゃ効くぞ

2023-02-06

俺がいつも楽しく見てるVTuberメンヘラかと思うと

抗うつ剤かき込んで一生懸命かわいこぶってるの、痛々しくてちんちんに響く

2023-02-03

anond:20230202232852

自分かと思った。

23適応障害、無理矢理働いて30で休職

その間もちらちら精神科に通ってた。

ずっと自律神経系ダメだった。

常にどこか怠くておっくうだった。

フェリチンも亜鉛もやってみたけど改善しなかった。

1番ダメだったのはどうやら睡眠のようで、

多分睡眠相後退症候群なんだけど、

それを無理矢理誤魔化して社会時計に合わせて生きていたので身体にかなりストレスだったみたい。

休職期間の残りがなくなりそうなのに睡眠相が整わずそのままで退職になりそうだったので1ヶ月入院して医者管理の元で睡眠相ずらして誤魔化して復職したりしたよ。

で、今はどうかというと、なんと子供が産まれて育ててる。

妊娠がわかった瞬間に医者相談してハイペースで抗うつ剤を減らし、産後ついに全部なくしたが元気。(元々量はかなり少なかった)

出産したら女性ホルモンとは不思議もので、赤子の泣き声ですぐ起きるけど短時間でも寝れればとりあえず死なない身体になる。

おかげで睡眠時間帯をあまり気にせず生活できる

自分のことを二の次にして赤子の世話ができるのでありがたい。

今のところなんか妙に健康生活してる。

ただ、今後、女性ホルモンのバフがなくなったときと、子育てひと段落したときにガクッとこないか心配

割と特殊な原因なので参考にならなさそうだけど、ひとつだけ参考になるかもしれないとしたら、

小学生の頃から続く困りごとはないか?」を思い出してみること。

自分小学校真ん中頃から入眠できなくて困ってた。

ささいなことでも思い出すとヒントになるかも。

あと、子供産めるまで回復したのは頭の良い女性精神科医が的確にサポートしてくれたからなので運要素もかなりあった。

しっくりこなければ当たり引くまで何回か転院するのも手。

なんか似てたのでついに長々と語っちゃった。

これが参考になるかはわからないけど、

増田好転するキッカケが見つかりますように。

2023-01-22

女だけど痴漢しそうになった

ダウト

「私とは無縁のところで、私とは違って鬱屈とせずに生きているOLが腹立たしかった。」気づいていると思うけど、これ典型的思い込みだし、認知が歪んでいるよね。そのOLだって何か抱えてるかも知れない。

健常と障害のいう苦しみはちゃうよ。明確に違うもの。断言できる。常習的に首に縄かけて2時間迷ったりしてないやろ。

ま、「あなた認知は歪んでますね」と、ウエメセで偉そうなこと言えるのは、健康鬱屈とせずに生きてるからだよ。よかったね。嫌味半分だけど普通に羨ましいよ。

それと。

こーゆー人認知の歪みとか行動認知療法とかほんま好きよね。自分が正しいと思っててさ、葛藤も苦悩もない。ずるいからほんまきらいです。

薬飲んで寝るね。おやすみ。元気でね。

 

状況

会社に行くバスの中

仕事などストレスが溜まっていた

対象

・着飾ったOL

・同い年ぐらいだと思われる

・背筋が伸びていてキラキラした感じ

詳細

憂鬱な気分で座席に座っていたところ、満員の通路から押し出されたOLのお尻が接近してきた

・ちょうど視界に尻があったので眺めていた(尻を見るのが自然位置に尻があった。不可抗力である)

OLが着飾っていてムカついた

ストレスフルでまともに洋服を買えていない、化粧も適当であることに負い目があったことが原因だと思われる

・うまくいってそうなOLが嫌な目にあって欲しいと思った(妬み)

バスがあまりに満員なので、ここでテロが起きたらどうだろうと思いを巡らせていた

憂鬱通勤日常を打破する出来事が起きて欲しかった

OLが急に殴られたらどう反応するか考えた

テロはなくとも痴漢ぐらいならありうるだろうと思った

・ふとOLの尻を思いっきり揉んだら人生終わるやろなあという考えが浮かぶ

・急に尻を触りたい衝動に襲われた

痴漢衝動は初めての感情で若干の感動があった

痴漢衝動に感動し、しばらくは「初めての衝動」をテーマに思いを巡らせる

・昼食のことなどを考えていたところ、バスさらなる乗客が乗り込んできたことで、OLわたしの鞄に尻をぐいぐいと押し付けてきた

・鞄の中の書類がくしゃりと音を立てた

書類が曲がったことへの苛立ちを感じた

・鞄と尻を見ていると、鞄を押し付ける「バレない痴漢」が可能であることに気づく

・鞄で痴漢したい衝動を強く感じる

キラキラOLスポイルしたいと思った

バスが最寄りにつき痴漢せずに済んだ

考察

ストレスフルな日常への無力感があった。

マスクで表情の見えない乗客は、満員のバスの中で押し合いへし合いしながらも身を縮め、スマホの中に没入し、誰にも迷惑をかけない置物のように並んでいた。

こちらに干渉してこない、こちらも干渉できない、バスの一部のような乗客に囲まれていることに気持ち悪さを感じた。

私の力の及ばない、ときには眺め、ときには耐えるしかない「秩序ある社会」。

姿勢の良い着飾ったOLはその象徴のようだった。

私とは無縁のところで、私とは違って鬱屈とせずに生きているOLが腹立たしかった。

OLが嫌な目に遭って欲しいという妬み。出社したくない・全てを放り出したい・日常など壊れて仕舞えばいい、という逃避願望。その2つが合致して痴漢衝動になったと思われる。

幸い痴漢には至らなかったが、今の3倍程度のストレスがあればやっていたかもしれないと思う。

気ままな独り身ではなく、養うべき子供や払わねばならないローンがあれば。役職について仕事の重圧に押しつぶされていれば。

ストレスから痴漢に至る」その身勝手さは、女の立場として重々承知だ。しかし、ストレスを溜め込み痴漢衝動におそわれた人間には、(痴漢欲求を持つ)自己否定も、衝動を抑え込むことも難しいのかもしれない。痴漢気持ちがわかり、哀れに思った。

 

最後に、今回性犯罪者にならずに済んだ勝因として

・性衝動比較的薄い「女」だったこ

ストレスで性欲があまりなかったこ

犯罪経験がなくハードルが高かったこ

ストレスに対し、通院と服薬という適切な対処をしていたこ

があると思われる。特に抗うつ剤と某衝動を抑える薬がなかったらやっちまってたかもしれない。

2022-12-18

anond:20221218191345

数分に一回ではないが、1日に何十回とオーガズムに達する病気?になったことはあるよ(男だけど)

でも、ちんこはたたないし、なーんも出ないし、脳イキっていうの?そんな感じ

多分メンタルをやられてたんだろうな、精神科に行って抗うつ剤もらって飲んだら、治った

どこでもイクし、突然前触れなく来るし、仕事中も車運転中もコンビニでも電車でもオーガズムに達するんだ

それも強烈なやつで、頭の血管が切れそうなやつ。息もできない

気持ちいいんだけど、死ぬかと思うときもあった

今は無事治った。病院行くのに1年くらい耐えてたから、長かった

原因は不明だけど、脳内物質が変に分泌してたんじゃないか

発達障害かと思ってたけど抗うつ剤が効いた

10年前、10代の頃から特別親しい人以外とのコミュニケーションが下手で、すごくコンプレックスだった。

どうしても会話に頑張ってる感が出てしまうというか、人と仲良くなるっていうのが下手で、何度頑張っても上手くいかず、人と積極的に接することがトラウマになってしまった。

それでも学生時代はごく僅かな友人がいれば楽しかったのでやれてたけど、社会人になって日々いろんな人とコミュニケーションを取らざるを得ない環境に置かれ、1年も経たずに精神的な限界が来た。

人とうまく話せないのがもう本当に嫌で嫌で、自分を呪うあまりに起き上がるのが辛くなり、会社にいけなくなる前にと考え心療内科受診した。

コミュニケーションを取ろうとするとあまりにも頭が緊張して動かなくなるから発達障害だと思っていた。

自分では発達障害だと思っていて、その二次障害として抑うつ状態になっていると思うと話したところ、まずは抗うつ剤を初めて、発達障害についてはこれから一緒に考えていきましょう、ということになった。

学生時代にも似たような状況で一度心療内科に行ったことがあったが、幼少期の多動や極端な知能の特性が無かったこから発達障害とは診断されなかった。

かに典型的発達障害ではないのかもしれない、でもそれならこの生きづらさは何なんだ?と不満ではあったが、とりあえず抗うつ剤を始めた。

それから1年弱が経ち、薬も時間をかけて当初の2倍に増やして今に至るが、ふと自分普通に会話ができていることに気づいた。

普通タイミングで、普通テンションで、普通のことを話せている実感がある。

感動した。薬を始める前は、自分のことを地球に迷い込んだ宇宙人のように感じていた。なんとか周りと同じようにやろうとしてるのに、なぜか噛み合わない。なにかずれてる。そんな違和感がなくなって、周りと同じ人間になれた感覚だった。

会社員に慣れたとか、薬の影響で精神面が強くなっただけで別に今もずれてるとか、そういうのも多少はあるかもしれない。

でもやっぱり前と明らかに違う。

薬が効いたメカニズムとかは全然からないけど、とにかく自分の中での大きな変化だったので、文章に残しておきたい。

2022-12-17

anond:20221213123802

私はメンタルクリニック忌避感はなかったけど、当時メンタル不調の原因になっていた人間関係のなかで「私が薬を飲み始めたら=精神的に問題あるとはっきりしてしまったら今の人間関係さら悪化する」っていう思い込みが強くて、医者に「お願いだから抗うつ剤のんで」って言われて「あーやっぱり無理なんだ」って薬飲み始めた。

奥さん家族や周囲に迷惑かけたことに対する負い目とかいろいろあるのかもしれないからそこ相談できない状態強制的に連れて行ったりすると信頼関係が損なわれてしまうのでできればやらないほうがいいと思う。

家族のためにお願い」とかおそらくフィジカルも悪いところあるだろうからまず総合内科からとか、アプローチはいくつか考えられるけどどれも奥さんのこと、増田家の家族構成関係性、地域にどんな機関があるかによっても変わってくるから、まず増田自身が一人で精神科やメンタルクリニック相談に行くのがいいんじゃないか。自分結構消耗してると思うから。そこで専門家相談して、どうやって受診してもらうか一緒に考えるのがいいんじゃないかな。

薬飲み始めた時は「あー私ビョーキなんだ、薬漬けになるんだ」とか「いやいやこれは骨折したときにギプスや杖を使うのと同じなんだ」とかいろんな感想がごっちゃになってた。

とにかく生きていれば何かが変わる可能性があるから増田が倒れないようにね。特に年末年始メンタル不調が悪化することが多いから、暖かくして温かいもの食べたり飲んだりしてね。

2022-11-28

anond:20221127181316

抗うつ剤SSRI みたいなのをちょっと飲んでみる。

うつ病にちかいカタチで脳がガス欠を起こしているなら、抗うつ剤効果がある。

2022-11-27

復職して一年半が経った

去年の春、ストレスから体調を崩し3ヶ月休んだ。そこから復帰したものの、上司からの信用と信頼を失い、「お前は失敗した」と言われ、もう報告、連絡、相談、何れも出来なくなっていた。

幸いにも別部署の方が私の状態に気付き、引き取ってくれた。異動は揉めに揉め、「ふざけるな、お前はどこ行っても通用しない」とテンプレのような呪いを餞別に受け取った。

その半年後、上司も遠い所へ異動した。前から私以外にも同じ態度だったので評判は凄まじく悪く、会社機能しているのを実感した。引き継ぎもメチャクチャで今では誰もその名前を口にしなくなった。

さて私の方はというと、産業医カウンセリング心療内科抗うつ剤抗不安薬サポートを受けて、今は抗不安薬頓服で使う程度まで回復した。

ただ最近、気がかりなことがある。他人から批判否定に対して、前よりも酷く動揺してしまうこと。それに伴い、失敗自体を怖れるようになったことだ。前に産業医から復帰が早すぎるとも言われた。あれは体調だけでなく、考え方や捉え方が修正できていないという意味もあったのかもしれない。

心療内科から来なくて大丈夫と言われて数ヶ月、最後にもらった薬はあと10回分。段々と不安が増してくる。こういう時、一体どうしたらいいのだろうか。どうしたら不安や怖れ、動揺を抑えられるのだろうか。どなたか教えてください。

2022-11-20

希望を持ちたい。ここで終わりたくない。元気になりたい。

抗うつ剤飲んでるけど、3ヶ月経ってもよくならない。元気になって復職したい。途中になってた勉強再開したい。子供と遊びたい。

副作用で太ってきてるのも嫌。先生相談しよう。

2022-11-05

性欲は抗うつ剤副作用で減るよ

ジェイゾロフトとかパキシルとか。

毎日自慰してたのに、一週間しなくても大丈夫になる。

2022-11-04

anond:20221104160733

半年ほど良くならないかちょっと増やしてみますかって抗うつ剤が倍量処方されるようになって、それから一気に機嫌よくなって驚いてる

2022-10-26

はてなブクマカ増田感謝を伝えたい

休職して2ヶ月、抗うつ剤が効いてきてやっと楽になってきた。

一時は死のうかと本気で思ってたが、死ななくて良かった。

やっぱりうつ病って脳の病気なんだな。

治ってきたら死にたいという気持ちもなくなってきた。

2、3ヶ月前に、簡単メンタルクリニックを薦めるなみたいなエントリーがあってさ、それ読んでやっぱり病院行った方がいいなと思って行ったんだよ。

病院行ったら保険に入りにくくなるとか書いてたけど、それよりメリットが上回ると思ったから。

そしたらうつ病と診断されて、休職になった。

その後ちゃんと薬飲んだら、本当に楽になった。

はてな読んでなかったら今頃まだ苦しんでたと思う。

はてなブクマカ増田感謝だわ。ありがとう


追記

読んだのは、この増田ブコメトラバ増田自体煽りだけど。

ブコメとかで気楽にメンクリ勧めるやついるけど結構邪悪では?」

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220823120329

2022-10-08

anond:20221008204605

うーん、「うつ病治療が何年もうまくいっていない人」の血色が悪くて身だしなみが終わってて肥満になりやすいのって抗うつ剤関係なく当たり前だよね?

栄養バランスなんてロクに考えられずインスタント麺すら作る気起きないので袋開けて即食える菓子パンで3食済ませて、風呂に入れるぐらいの気力がわくのは半月に一度、

運動はロクにせず寝たっきりみたいな生活が何年も続いてたらさ

服装がみすぼらしいとか服装に気を使えない精神状態なんだからそりゃそうでしょ、新しく服買いに行く気も起きないし洗濯できる気力がわくのも週1あれば元気な方みたいな調子なんだし

anond:20221008203132

何年も飲んで効いてないんだから治療がうまく行ってないのはそうなんだけど、

それらの諸症状を「何年も抑うつ状態が続いていて、栄養状態が悪いし自己管理もできないから」ではなく「抗うつ剤副作用」と判断したのはどうして

逆にこんだけ凶悪副作用あるのに、抗鬱剤常用しながら正社員続けられてる人は凄いと思う。

職場にもいるけど、その人たち傍から見て「覇気がない」程度の違和感しかないもん。

と、抗うつ剤を常用しているのにそのような症状のない人がいることを自分で書いているのに。

2022-10-03

anond:20221003090654

いや、その感情脳みそバグしかない

抗うつ剤脳みそ機能が正常に近づいたら思わなくなることなんだよ

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