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2015-06-13

マスダ・モナムー

男――きみはマスダで何も書かなかった。何も。


女――わたしはすべてを書いた。すべてを。

   だってホッテントリを、あれを、わたしは見た。それは確かなこと。

   はてブにはホッテントリがあるから。どうしてそれを見ずにいられるでしょう。


男――きみははてブホッテントリを見なかった。きみはマスダで何も見なかった。


女――四回も、マスダに……


男――マスダの、どのエントリ


女――四回も、マスダに行った。人びとがブコメを打っているのを見たわ。あのひとたちは考えこみながら、いろいろな記事や、なにかを再現する体験談や、だってほかには何にもないのだから、いろいろな記事、また別の記事や、なにかを再現する体験談や、だって他に何もないのだから、他の人のブコメや、そんなものあいだを、ゆっくりと眺めていった。だって他に何もないのだから

   四回も、マスダに行った。

   ブクマカたちを眺めた。わたし自身も、考え込みながら、炎上を眺めた。焼け焦げたジェンダー問題。打ち砕かれた非モテ実在しているかのように傷つきやすくなった処女の心。ブクマ数をあらわす数字が真っ赤に燃え盛るのも見た。まるで死人花。そんなこと、誰が思いつくでしょう? ふわふわになって、まだ生きているような、苦しみの生々しさに耐えているtwitterアカウント。いろいろなSNS。焼け焦げたアカウント。粉々にされた発言

   マスダたちが朝、目覚めたときに、ごっそり漏らしていたという、誰のものかわからぬクソの山。

   ホッテントリで、わたしは熱かった。ホッテントリは1000usersを記録した。そのことをわたしは知っている。ホッテントリにあったのは、太陽の温度。そのことを知らないなんて言える?……ブクマカなんてたしかに半分は単純なボットから……


男――きみはマスダで何も見なかった。何も。


女――ねえ、聞いて。あなたと同じに、わかっているの。政治というものが。


男――いや、君はわかっていない、政治というものが。


女――あなたと同じに、わたしも思考する力はもっている。わかっているの、政治というものが。


男――いや、君に思考する力はない。


女――わたしはわたしなりに闘った、その日その日、力のかぎり、戦わなければいけない理由すっかり失うことの恐ろしさに負けぬよう闘った、あなたと同じに、忘れてしまったの……?

   ブクマ数は10000usersを超えるでしょう。 一万個の太陽のよう、と人は言うでしょう。インターネットアーカイブスは焼失するでしょう。

   底なしの大混乱があたりを覆うでしょう。ひとつまとめサイトが、匿名大衆にもちあげられて落下し灰になるでしょう……。

   あたらしいバイラルメディアが灰からまれてくる……。

   ライター運営者も読者も批判者も、いっしょに仲良く死んで伝説になるのを待っている……。


女――……わたしはあなためぐり逢う。

   あなたのことを思い出す。

   あなたは誰?

   あなたに殺されてしまいそう。

   とってもいい気持。

   想像もしなかった、この匿名ブログが、愛にぴったりの大きさにつくられていたなんて。

   想像もしなかった、あなたが、わたしのアナルにぴったりの大きさにつくられていたなんて。

   あなたが気に入ってるの。なんて思いがけないことかしら。あなたが気に入ってるの。

   不意に訪れる、なんともいえぬ緩やかさ。微温さ。

   なんともいえぬ甘やかさ。

   あなたには、わかりっこない。

   あなたに殺されてしまいそう。

   とってもいい気持。

   あなたに殺されてしまいそう。

   とってもいい気持。

   時間はあるの。

   お願い。

   わたしを食べ尽くして。

   もみくしゃにして、醜くなるほどに。 

   わたしのidを隠して、あなたidといっしょに溶かして。

   あなたであってもいい。

   あなたであってもいい、このマスダで、この夜に、いくたびもあった昔のはてなの夜に戻ったみたい、そう間違えるほど、そっくりだもの

   お願い……

   

2015-06-11

スプラトゥーン戦略考察2(ガチエリア編)

前回の記事http://anond.hatelabo.jp/20150602010807)を書いたちょうどその日,ガチマッチが解禁された。

ナワバリバトルが楽園に見えるほど苛烈なバトルが繰り広げられてるここで,クソザコの自分なぞ介入できる余地なんてあるのか?と思っていたが,それでも自分のチームを勝たせる(足を引っ張らない)立ち回りみたいなのはおぼろげながら見えてきたのでまとめてみたい。ちなみにこれはせいぜいBー~Bランクまでの話な。B+ランクやAとかい天上界の話はもっとうまい人がまとめてくれる。

1.ガチエリア内で戦わない

自分の体内には敵色のインクが詰まっている。

ガチエリア内でキルされるとそれだけで敵に貢献してしまう。自分被弾が原因でカウントストップしたり,まして敵のガチエリア確保が決まってしまうと,申し訳なさ無限大だ。とにかくエイムに自信がなければガチエリアにはなるべく入らず,外や上から塗るべきだろう。

ありがちなのが,エリア確保されてあわてて取り戻そうとガチエリアを塗り戻そうとする行為。あれはやめたほうがいい。絶対敵が潜んでいて返り討ちにされる。敵の残りカウント差し迫ってるならまだしも,敵に長時間ガチエリアを確保されても取り返せたときの敵側ペナルティが大きくなる(敵の精神ダメージ大)ので取らせておけば良い。攻勢は味方が集合してからかけよう。

2.エリア周辺を固める

ガチエリア内攻防はエイムの上手い方に任せるとして,クソザコの自分はとにかく周囲を塗って,味方の行動範囲の拡大に努める。このとき,ただ焦って撃っているだけだと簡単に位置バレして簡単にキルされるので,たとえば「3秒以上連続で撃たない」とか決めておく。

自分場合は,3秒撃ったら潜って周囲を360°確認問題なさそうなら,作業を進めてる。もし敵に気づかれてたり前方に死角があればボムなどのサブウェポンで牽制ボムに気を取られてるその間に,別の味方が別角度から急襲してくれれば最高。おそらくガチマッチはナワバリバトル以上にサブウェポンの使い方が重要になってくるはずだ。頻繁に潜っていればインク切れの危険は防げる。頭は下げておいた方が良い。

3.キル数を増やすんじゃなくてデス数を減らす

ガチマッチで相手のカウントを大幅に下げさせてしまう要因は2つある。

1つは数の暴力。同じ方向から単騎で突っこみ,返り討ちに遭う。これを延々味方全員が繰り返すパターン

これを防ぐにはガチエリア周辺のホットゾーンに突っ込む前にゲームパッド確認しておくことか。有利な立ち位置になったと判断してから攻めていこう。

もう1つは全滅。一瞬でもエリア近辺に誰もいないという瞬間があると,味方がスーパージャンプができず,一気にエリア確保までもっていかれる。

これを防ぐには誰か一人でもエリア周辺に居続けることが大事。そのためには死なないことがとにかく重要

数的不利の際に,敵に気づかれたら牽制しつつ逃げよう。自分自身ガチエリア近くの安置にいるだけでも有意義なんだ(味方のジャンプ先的な意味で)。逃げよう。逃げればまた来られるから(味方が)。

敵をキルできる可能性が高いのは,敵を背後や側面から撃てるとき。お互い視界は狭いので,正面以外の角度から攻撃には簡単には対応できない。というかまずどこから撃たれたのか分からない。

こういう確信を持って殺れるときのみ,退場してもらおう。

こんな感じで進めていけば,Bランクくらいまでなら上げられるはずだ。ただここから先の暗黒大陸人類の戻る場所じゃない。

上位ガチランク 五大厄災

・謎の中央高台を守る正体自明の球体 兵器 リッター3K

バリア共依存 ゲス生命体 わかば

殺意を伝染させる魔物・双尾の蛇 デュアルスイーパー

・命と命の等価交換 人轢きの獣 ダイナモテスラ

希望を騙る底なし絶望 不死の病 通信エラー

こいつらどうにかしろ。もう知らん。

2015-05-14

皿回し癖は一生治らない、のか?

おれは小さい頃から何でも皿回しにするたちだった。

皿以外のことからはとことん逃げて、でも結局逃げ切れなくて、最後最後に痛い目を見る。

夏休みの最終日、徹夜宿題やるあれだ。右手腱鞘炎になるくらいに皿回して、つらくて、次はちゃんとしようっていつも誓うんだ。

いま大学4年になったけど、その傾向は改善されるどころか、よりひどくなっている。

授業休んでも大丈夫だって単位来るって、どっかで安心してんだよな。

学校バイト適当に休んできた。4年になってから授業ほとんど出てない。

でも結局家にいても皿回してるだけで何の生産性もない。

家でゲーム回したり、マンガ回したりしてたら1日なんてあっという間に過ぎてる。

しかも、1回回すと次行くときの労力は何倍にもなる。

わかってても回しちまう。そんで、もういよいよやばいってなったら動き出すんだよ。

単位留年はしないくらいにはとってるし、変な余裕があるのかもしれない。

就活もなんかわからんけど、とりあえず内定でた。まだ続けるつもりではあるけども、そこ入ってもいいかなと思ってる。

でも皿回しにしても、結局どこかでそのことがひっかかって、何も楽しめないんだよな。

生ぬるい底なし沼にはまったみたいで抜け出せなくなる。

おれは皿回し癖のせいで、人に迷惑をかけたこともあるし、失敗したこともある。

でも、おれの人生や人の人生台無しになるようなすごい大事はいままでなったことがないんだ。

甘えだといわれると思うし、自己中乙って感じだと思う。

でも、結局帳尻合わせられるってどっかで思ってんだよ。

誰か皿回し癖の治し方教えてください。

2015-05-13

後回し癖は一生治らない、のか?

おれは小さい頃から何でも後回しにするたちだった。

やりたくないことからはとことん逃げて、でも結局逃げ切れなくて、最後最後に痛い目を見る。

夏休みの最終日、徹夜宿題やるあれだ。右手腱鞘炎になるくらいに書いて、つらくて、次はちゃんとしようっていつも誓うんだ。

いま大学4年になったけど、その傾向は改善されるどころか、よりひどくなっている。

授業休んでも大丈夫だって単位来るって、どっかで安心してんだよな。

学校バイト適当に休んできた。4年になってから授業ほとんど出てない。

でも結局家にいてもだらだらするだけで何の生産性もない。

家でゲームしたり、マンガ読んだりしてたら1日なんてあっという間に過ぎてる。

しかも、1回さぼると次行くときの労力は何倍にもなる。

わかってても休んじまう。そんで、もういよいよやばいってなったら動き出すんだよ。

単位留年はしないくらいにはとってるし、変な余裕があるのかもしれない。

就活もなんかわからんけど、とりあえず内定でた。まだ続けるつもりではあるけども、そこ入ってもいいかなと思ってる。

でも後回しにしてることがあると、結局どこかでそのことがひっかかって、何も楽しめないんだよな。

生ぬるい底なし沼にはまったみたいで抜け出せなくなる。

おれは後回し癖のせいで、人に迷惑をかけたこともあるし、失敗したこともある。

でも、おれの人生や人の人生台無しになるようなすごい大事はいままでなったことがないんだ。

甘えだといわれると思うし、自己中乙って感じだと思う。

でも、結局帳尻合わせられるってどっかで思ってんだよ。

誰か後回し癖の治し方教えてください。

2015-01-07

http://anond.hatelabo.jp/20150107203606

ですよねー

でもそういう奴がいるおかげでこっちも古参ぶって「昔からこんなもんだ」と言えるわけで

まこと人間古参ぶりたいという欲望は底なしであることだなあ

2014-11-03

一日、家族奉仕して、最後セッションに行こうとしたらそれだけで底なしに機嫌が悪くなる。結局断念だ。クソッ!!

2014-10-03

日本人ってほんと偽善って言葉が大好きだな

個人的には善と善人に対する底なしの甘え精神(搾取精神)をそこに感じるのだが

悪人には逆らえないから善人に鬱憤をぶつけよう

善人だから黙って叩かれてくれるだろう

そうでなきゃ偽善者だ!って感じで

2014-07-13

残響のテロル』はすべての過去アニメにする神アニメ

なんでもいいから書くといいよと精神科先生にいわれたので書いてみる。

いままで「すべてのアニメ過去にする」傑作アニメはたくさんあった。たとえば絶賛放送中の『アルドノア・ゼロ』もそうだ。『アルドノア・ゼロ』は間違いなく今期最大のヒット作になるだろう。虚淵玄ドイツではゲーテ以来の天才詩人といわれ、フランスではデリダ精神後継者といわれ、ロシアではプーシキンの再来といわれ、アメリカではリアルホイットマンとたたえられ、日本では村上春樹をしのぐノーベル文学賞最有力候補だと一部ではいわれている。だがわれわれはあえて『残響のテロル』に注目している。なぜなら『残響のテロル』は「すべての過去アニメにする」神アニメからだ。「すべてのアニメ過去にする」傑作アニメというのは「すべて」というところからわかるように、それ自体自己言及的になっている。したがって「すべてのアニメ過去にする」傑作アニメというのはすべてのアニメ過去にした瞬間に、それ自身自己言及的に自己自身によって過去に追いやられてしまう。すべてのアニメ過去にした偉大な新時代アニメがその誕生と同時にすでに死んでいるというアイロニカルな構造になっているのだ。このアイロニーから逃れられないのが「すべてのアニメ過去にする」傑作アニメなのであり、従来の傑作アニメというのは生み出されたときにはすでに陳腐化しているというアイロニーから逃れることができないでいた。「すべてのアニメ過去にする」傑作アニメはそれ自体の内に過去を含んでいるのだ。真に創造的な作品から未来志向にも見えるのだが、じつは過去という底なしから伸びてきた腐食した手にからめ取られて引きずり込まれてしまう。そしてその暗黒の沼に自己自身を見る(その手ははるか昔に、生まれる前にすでに死んでいた自分の手だったのだ。死産した胎児の声なき叫びだ)。「すべてのアニメ過去にする」アニメはそれ自身過去にし、過去は更なる過去へとひきずりこまれ、原初過去へと向かい宇宙開闢の瞬間へ向かおうとする意志を持つ。すべては過去になる。すべては過ぎ去る。そして無へと潰れる。だから傑作アニメには一種の悲哀がともなう。そこには悲観しかない。われわれはわかってはいたのだ。傑作アニメを見たとき、それはすでに未来によって乗り越えられているということが。われわれはわかってはいたのだ。結局われわれは無を愛撫していたにすぎないということが。なにもかも過ぎ去って、すでに終わっていた。時間は凍結し、空間から熱が引いていった。だがわれわれの前に『残響のテロル』が現れた! ついに現れたのだ! 『残響のテロル』にはすべての過去が含まれている。便所飯はなにを意味するだろうか。それは食事と排泄の同時性だ。われわれはまだ口と肛門を区別していない。そうだ。これは生命誕生なのだ。きわめて創造性の高い、無垢なる、自由な、永遠意志無限未来への飛翔! 二元論の生じる前のカオスカオス、混濁した幻覚的な性感帯のおそるべき幸福絶頂感のみがみなぎった世界。なぜテロリストアヒル口なのか。アヒルという牧歌的存在にこそ破滅の種がやどっているからだ。戦士戦士によっては倒されない。戦士死ぬのは娼婦の前でだけなのだ。これは歴史証明してきたことだ。アヒル口テロリスト歴史に巣食ってきた処女性に含まれた亀裂、多産性と引き換えに失った平和象徴である射精的安楽こそ世界火種なのだ。「すべての過去アニメにする」神アニメはすべてをアニメとして書き換えていく、外部へと環境へと働きかける力を持つ。すべてをアニメにしていく、そしてそのアニメさらなるアニメをうみだしていく。アニメアニメによって置き換えられ、アニメアニメに繋がることによって、それは永遠に進んでいく。アニメ無限行進。アニメの爆発的連鎖。それはアニメ時空ともいうべきものを作り上げるだろう。それ自体でのびつづけるアニメの網だ。それはもう冷える宇宙ではないだろう。次元を超えた愛だろう。絶頂を越えた世界でわれわれは天使になるだろう。耐えなければならないその圧倒的幸福人間のままでいることは許されないのだ。『残響のテロル』はすべてをアニメにするだろう。なぜ都庁爆破があんなに簡単にできたのか。それはアニメからだ。そしてそれは過去アニメ出来事、つまり主として911の余韻があるわけだが、まさにそのことによって、アニメ出来事現実ととけあい911はたしかにいままでは現実として語られがちだったのだ)、その境界はここにいたって不分明になり、アニメ時空が現実侵食してくることになるのだ。すべてはアニメ的になるだろう。幼稚さという狂気。短絡的な世界崩壊。理性の不発。それは『魔法少女まどか☆マギカ』によって予告されていた悪夢でもあった(Gen Urobuchiは惜しいところまでいっていた。だがかれにはまだ愛が足りなかった。かれは健全すぎたのだ、良識的すぎたのだ、大人すぎたのだ、成熟しすぎていたのだ)。鋭敏な鮮烈な想像力は退化して、茫洋とした曖昧模糊とした神話を呼び寄せる。そこに召喚されたアニメ時空が境界侵犯して現実に襲い掛かってくるだろう。すべては妄想によって形成され、妄想はすべてとなるだろう。きみはやがて逆立ちして排泄するようになるだろう。もちろんわれわれにも恋人ができるようになるだろう! われわれはひとつの体験をすることになる。それは存在のあり方を変えてしまう圧倒的な体験だ。これを見てしまったらもとのままの自分はいられないだろう。なぜならわれわれはひとつの真理を悟ることになるのだから二次元妄想によって書き換えられた世界はどこに行くのだろう。すべてはギャグ様相を呈してきている。われわれはいつも嘆いている。やれやれ子供だましなアニメだな子供向けというのは子供だましということではないのであってうんぬんかんぬん。だがしかし現実のほうがアニメ的であり、アニメ時空的であり、アニメなのではないか。だれがこんな世界にしたのだ。どうして美少女は空から降ってこないのか。いやそれこそアニメではないことの証拠ではないか、いやいや、むしろ美少女が空から降ってこないのは非現実的なのだ。ああとわれわれはさらに嘆く。きみは美少女が空から降ってきたところを見たことがないのか。もちろん『残響のテロル』では美少女が空から降ってくる。ヒロインジャンプしたと見せかけて空から降ったのだ、まさにすべての過去を、すべての飛び降り美少女たちの意志アニメにするために。美少女が空から降ってくるという古典的アニメ表現は『残響のテロル』にいたって、ついにアニメ現実境界をまたいでしまった。これまでアニメ表現アニメ表現しかなかったが、いま彼女飛び降りたことによってすべてはアニメ現実になった。それはたんなる表現ではないのだ、もはや現実なのだアニメなのだ。これまでにうまれた数々の傑作によってすべてが過ぎ去ってしまったが、ついにすべての過去アニメにするアニメが生まれた。アニメ表現がついに次元の壁を越えたのだ。すべてはアニメになるだろう。太陽の死の後、人類が生き残るにはもうアニメになるしかないのだ。われわれは新しい太陽を作ることはできない、だが、新しい太陽アニメにすることはできる。銀河という足枷からわれわれが羽ばたくにはアニメの力がどうしても必要だったのだ。人類はついにアニメを本当の意味で獲得した。と同時に、われわれはアニメになった。われわれの想像力現在認知のありかたをテロリストのように破壊して、すべてをアニメにするだろう。人類はいまやっと白内障から脱して、真に世界を見ることになったのだ。諸君世界は美しいか。

2014-05-04

人の手が足りない、ニートを働かせたいなんて言うけど矛盾してる

実際に面接に行くとニートの期間を攻撃してくるじゃん

胸張って言えることではないし後ろめたさもあるけど

今この瞬間は働こうと決めて動いてるのにニート期間があるだけで落とされる

それなのに世の中はニートを働かせようとしてるなんて話を聞くと納得がいかない

人の手が足りてないんじゃないの?

何も週休二日、高給な手取りボーナスを求めてるわけじゃないよ

自分能力に見合った待遇でよいし、ニート期間を怪しんでるのなら

3ヶ月くらいは研修としてバイトみたいな待遇でも構わない

チャンスがほしいだけ

ニートっていっても、いろんな種類がいて底なしの体力がある人もいれば技術を持ってる人もいる

それぞれが見合った仕事をしたいだけなんだよ

相応の働きをすれば会社にとってもプラスになるはずなのに

まるでニート期間が会社の癌にでもなるかのような扱いをされる

年齢だってそうだ

再就職をする際の年齢はニート期間と同じような扱いを受ける

もし、これがアスリートならうなずける

世界トップを決める戦いの中、年齢は体力や集中力に直結するからほんの1年でも大きくかわるだろう

だけどニートは、ただ働きたいだけなんだ

必要なら年下の上司に頭を下げることだってできるし新しい業務を覚えるために

頭を柔らかくすることだってできる

せっかく入ってきた人間を育成するなら若い方が良いという割には即、辞められて困ってる企業も多いじゃん

幸運にもこれが人事のあなたの目に止まったらならニート期間を攻撃するのではなく

「今なにができるか」「これからなにができるか」

真っ正面から向き合ってほしい

そうやって対話した上で意にそぐわないのであれば不採用とすればいい

ニートにでも、会社にとってプラスになる人材は必ず存在する

そして、もしニート必要ないのであれば、その旨を事前に記載してほしい

企業ニート期間や年齢ではなく目の前にいる人間をきちんと見てくれる日がくることを願う

2014-04-24

オシャレ心こそモテない

オバマ帰った?

【服装がダサい人の特徴と、唯一の改善策】

ttp://anond.hatelabo.jp/20140413020052

これ読んだの。


からでアレですけど、良いエントリーだと思うの。

なんか偉そうとかオナニーキモいとかプリン食ったのだ誰だとかタケノコ派の陰謀だとかブコメではけちょんけちょんですけど、元増田の言ってることはわかる。

でも僕もちょっと乱暴だなぁと思うの。


なぜかって、動機が書いてないから

例えば車を勧める時に、日産しろとか、アウディしろとか、ルノーはやめとけとか言うなら、そのメリットを同時に提示しないと人は納得しないと思うの。

おまえ車の知識ひけらかしたいだけだろとかすぐ言われるの。

増田ベーシック商品を推す理由をもっと丁寧に説明するべきだと思います


んでじゃあ僕はっていうと、この増田の言ってることは大枠では正しいと思ってるんだけど、僕なりにベーシック商品を推す理由を書くっす。

おまえ誰やねんて話でしょうけども。何様?ねぇ何様なの?って話でしょうけどもちょっと聞いて。

こっちきて。


ベーシックを推す理由は、当たり前なんだけど汎用性です。

てかこれしかないんだよね。

家具でもなんでも、シンプルものって、どんな部屋にも合うじゃない。

でもゴシック調の飾りのついた猫脚のキャストは、どんなに価値があっても部屋を選ぶじゃない。

軽井沢バンガローには合わないじゃない。明けない夜はないじゃない。

無印キャストなら、まぁ、100点では絶対ないけど50点以下にはならないじゃない。

でもさ、でもだよ?

ちみたちはアレでしょ?モテ=オシャレでしょ?んでオシャレ=デザイン性っていう筋肉直結バカ右脳でしょ?

オシャレ=デザインじゃないよってことを今日は思い出して帰って欲しいな先生は。

君たちはできる子だから、そんなのわかってると思うの。

これ読んで、何を今更wwwとかプックスしてるとおもうの。

普段そんなデザイン性高い文具とか、食器とか選ばないはずなの。

でも洋服屋さんに行くと、ついついカッコ良さげなギミックとか、カラフルな切り替えとか、可愛らしいフリルとか、ちょっと捻りのきいた柄物を、これくらいならいけるかなー?って選んじゃうの。迷子なの。子羊なの。知ってる。神様は見てる。


じゃあもういい。

知ってるから。どんなに言っても、君たちがそういう服選んじゃうの知ってるから

オシャレ心が君たちを殺してるの見てきたから。モテ目線で言うならね。

楽しい目線ならドンドンいけ。

じゃあ、今日連れて帰ってきちゃったそのエッジのきいたちょっと派手目なパーカー、何に合わせんのって、その臭そうなクローゼットを覗いて見て欲しい。


先生は、UNIQLOTシャツ無印デニムと合わせたらよくね?って思います

元増田が言うような、ベーシックアイテムの追求ってのはその先にあると思うの。一歩先。

でもその一歩先は底なしの探求コースなの。エンドレス。一周回ってオシャレなの。

んでみんなも薄々そんなことはわかってるから元増田エントリーの端々から感じ取れるから、ムリ!ってなっちゃうと思う。

でもベーシックシンプルの良さって結局そこなんだよねー。

どんなじゃじゃ馬とでもパーティ組めちゃう社交性。

から僕はベーシックを買おうよって思うの。

別にUNIQLOは好きでもなんでもない。

でも優秀なのは認めないといけないと思う。

おかんに、シマムラよりUNIQLOで買いなよって、僕なら言う。


尊敬するデザイナー秋田道夫氏の言葉で「機能を増やすには技術がいるが、機能を減らすには哲学がいる」という言葉があります

哲学を持って完成されたシンプルさには、必ず美が宿っていると思っています

僕の文章は一向にシンプルになりませんけども。

2014-04-13

下りはほんとに底なしだな。

おととしより去年、去年よ

り今年。悪くなってる。死

までその調子なんかよ。く

だらねーな。シリア人間

と俺くらいだろうな。こん

なの。つまんねーよ。全く。

2014-03-23

対人スキルが高いかまってちゃんの新しい環境友達を作るスピードは異常だ。

なんだかんだでかまってちゃんという人種は多数存在する(大抵レベルの高いかまってちゃんはかまってあげるちゃんを兼ねている)らしく、当事者同士需要供給が一致すれば当然距離が縮まるのも早い。

そんなエリートかまってちゃん達を見ながら最初は立派な特技を持っていて羨ましいと思っていたが、自分かまってちゃん当人と少し親密になってみてわかったのは、あくまである程度の距離まで近づくスキルが高いだけであって、その後の信頼関係を構築する段階になると急に頼りなくなるということだった。

要するにかまってちゃんは、そのある程度の距離(一般的にはかなり仲が良いとまで認識されそうな距離)にまで近づく相手は「誰でも良い」ので、かまってちゃんととても仲良くなったように思えても実は個人としては認識されていないままなのであった。

「かまわれたがってるからかまってあげてる」「かまってあげることでかまわれたい」そんな言葉を口にする。おそろしいほどに徹底されたギブアンドテイクの世界がそこにあった。「あなたが好きだからかまいたい」わけではないのだ。

どうもかまってちゃんには、近づけば近づくほど底なし沼のような闇を見ることになる気がしてならない。

2013-11-29

わがこころベアトリーチェ観月小鳥さんへ

 この手紙をどうはじめたらいいだろうと蝉の鳴き声もかまびすしい夏からずっと考えていましたが(伝えるって本当に難しいです)、結局気の利いたすばらしい挨拶が見つかりません。ですからはじめまして小鳥さん、とだけわたしはいいたいと思いますあなたに伝えたいことがあって今回このお手紙を書くことにしました。突然のことで申しわけありません。

               *

 あなたはまず思ったことでしょう。お気に入り自転車のかごに放り投げられた、飲み口にまだ内容物のこびりついている中途半端につぶされた空き缶みたいな不躾で無礼なこの恋文を送りつけてくるわたしが誰なのか。

 わたしは現在36歳、独身、職歴なし(アルバイト歴はあります)、童貞アニオタ精神のほうをわずらっており、精神障害2級、まったくありがたいことに障害基礎年金も受給させていただいており(2級。786,500円/年)、日々社会復帰に向けて努力している(作業所で時給200円で働いております。内職系の作業です)日本に確実に数%は存在するありがちな中年男性です。若いころのあだ名は塩昆布です。キモオタAAを想像していただければおわかりになると思いますが、この世の悪意を集中的に浴びてきたせいか皮膚が月面のクレーターのようになってしまっており、細身という点ではまだ社会的に許容されうる生物なのかと思ってはおりますが、実際かなりの醜男です。野良猫般若の面をかぶせて火をつけてみれば、野良猫はおそらく面を残してなに食わぬ顔で逃げていきますが、ちりちり灼かれていくその面に残った放火魔殺意怨念と哄笑こそがわたしの顔からにじみ出ているといってもよく、わたしはそのような人間とは正反対の人見知りでおとなしい男であるにもかかわらず、買い物先のイトーヨーカドー出会った幼児には顔を見るたびになにか恐ろしいものでも見たかのようにびくっと反応され、かならず泣かれてしまうのです。

 小学生のころから容姿からかわれいじめられてきたわたしは他人に自分の姿を見られるのが恐ろしく、友人も恋人も作らず、いや、作れずといったほうが正確でしょうか、人生に絶望し、引きこもり勇気を出して面接に行っては人事担当にお祈りされ、ついに自殺未遂をしたあとでは、家族にもうなにもするなといわれ、こうやって小鳥さんのことを考えて毎日すごしています小鳥さんの腋を見ると、わたしのあのひからびてしまった棒状の物体(その先は言う必要ないですよね)も突如として復活し、さらさらとしたそれでいて粘性のある透明な液体が山奥の新鮮なわき水のようにちょろちょろとあふれてきて止まりません。そんなしょうもない中年のわたしですが、小鳥さんは「わたしでしていいよ(・ω<)」といって顔をほんのり赤らめほほえんでくれます。ああ、なんて天使なんだ!

 鉄男さんと以前小鳥さんについて語りあったことがあります

小鳥のやつはさ」と鉄男さんは眠たげに足を組むと、たばこに火をつけていいます。「遊馬のことが好きなんだ。だけど遊馬のやつはED(勃起障害)でさ。超越論的跳躍(かっとビング)しすぎた副作用らしいけど。小鳥も酬われないよな」

「わたしは遊馬のことが許せませんよ。小鳥さんを情熱的に愛撫すべき立場にいながら、なめらかな肌といやらしい声と絶妙チラリズム天使無視して、蜜蜂のように扱ってはしっしっと追い払ってしまう」

「そこなんだよ。たしか処女から声は出ていないが、間違いなくあいつは処女だぜ。でも遊馬はEDなんだよ。詰みだよ、詰み。チェックメイト。E、N、D」

「EDになってから幽霊アストラル)が見えるようになったとか」

霊感商法ってやつだよ」

「まったくひどい!」

「その通り」鉄男さんはそういうと、たばこ排水溝にはじき飛ばして立ち上がり、ふうとため息をつきました。その背中がとても男らしかったです。

 鉄男さんは遊馬と親友という噂でしたが、実はそれほどでもなく、微妙距離感を保っているらしいですね。ちなみに鉄男さんには璃緒さんという統合失調症未来恋人がいるらしいので、小鳥さんには興味がないということでした。よかった!

               *

 わたしは小鳥さんの魅力を語りたいのです。

               *

 まずは腋です。小鳥さんはことあるごとに片手を突き上げてその美しい腋を全世界に全宇宙に見せつけています小鳥さんの腋のくぼみ方はミケランジェロも参考にしたといわれるほどの芸術的な曲線美で、腋汗が溜まりやすく、舐めると南国の風の爽やかさとやや辛めの塩味が感じられてとても美味です。安い発泡酒を飲みながらちびちび舐めるのがとくに好きで(まずい酒のほうが腋汗のうまさが引き立つ)、まるで食べて応援することによって日本社会皮肉っぽくも明るくなるように、わたしの鬱々とした気持ちも小鳥さんの腋汗によって応援されるようなのです。鬱病患者に「頑張って」は禁句だと世間はいますが、それは世間のしょうもないオッサン、オバハンからの善意という名の嫌がらせについていうものであり、火星の砂粒やミトコンドリアすら愛するような天使からの励ましはわたしを勇気づけてくれます。「増田くん、頑張って!」「いいですとも(`・ω・´)」

 鉄男さんは小鳥さんの腋について以前こうおっしゃっていました。

小鳥の腋はすげえよ。おれが小鳥決闘デュエル)で勝てないのはあれのせいなんだ……」

「というと?」

「見たらわかるだろう? あの肉感的な陰翳、くぼみに渦巻く官能的な黒い風。あの腋が生み出す磁場ファルスを屹立させる特殊効果を持っているんだ。おれは決闘に集中できなくて、それでどこに意識を集中してるかっていったら……」鉄男さんはちっと舌打ちすると、それにつづくことばをためらっているようでした。

「なるほど。でも鉄男さんは璃緒さん押しなんですよね」

「もちろんそうさ。璃緒さまは小鳥とは違うよ。璃緒さまは性的なものを超越していらっしゃるからな。でも小鳥やばい

「ですね」

小学生のころ、夢のなかに小鳥が出てきてさ、『鉄男くーん』とかいって頭の上で手を振ってるんだよ。まだ毛も生えてこない腋がちらちら見えてな。そしてあの磁場がおれのファルスにとりついて、シェイクスピアの生み出したあの世紀のアホ、リア王とでも比べればいいのか、情けないことにおれは下着を濡らしてしまった! とんだ娼婦だよ、あの女は!」

「でも、その……、よかったんでしょう?」

「まあな」鉄男さんはそういって照れくさそうにくすくす笑うと去っていきました。こちらを振り返らずにあばよと手を振ってよこしたのが夕陽の逆光のなかで見えました。

 おそらく小鳥さんの腋からはなんらかのフィールド魔法が自己言及的に発動していると思われます。腋が下半身に絡み付いてくる、ちょうど異星人の触手美少女戦士をしめあげて離さないように。そこでわたしは腋地獄という概念提唱しました。小鳥さんの腋はバウムクーヘンのように七層構造になっていて、そのそれぞれが自律的に動いています。そして腋全体も螺旋状に回転していて、ちょうどウロボロスの蛇のように、リビドーが第七層の腋まで達すると今度は第一層の腋に連結され、循環され反復されることによって小鳥さんの腋地獄さらに磁力を増すのです。もがけばもがくほど深みにはまる底なし沼、負ければ負けるほどやめられないギャンブル、呑めば呑むほど呑みこまれるアルコール。そうです、小鳥さんの腋とはあらゆる依存症メタファーなのです。小鳥さんの腋はやめられない。前立腺指圧師! 快楽の大銀河

               *

 つぎに太ももについてです。これについても新概念を導入しましょう。それは不可視のパンティです。あるとき鉄男さんはつぶやくようにいいました。

「なあ、増田ちゃん」

「なんです、鉄男さん」

「お前、見えてるパンツをどう思う?」

「どうってどういうことです?」

「いやな、おれくらいになると見えてるパンチラに興奮しないんだよ。わかるかな。見えてるパンツはただの布だよ、増田ちゃん」

メモっておきます」わたしはあわててオタク風の黒いリュックサックから黒い手帳と黒ボールペンを取り出しました。「でも、パンチラとは見えるからチラなのでは?」

「そこなんだよ、増田ちゃん」鉄男さんは少々呆れたように笑います。「パンチラはいうが、チラってしまえばパンチラではないんだ。パンチラとは一種のパラドクスことなんだよ。パンチラとは非パンチラのことだ。おれたちはその見える“かもしれない”という可能性に人生をかけているのであって、布に人生をかけているわけではないのだ。見えそうで見えない、でもよく見ると見えているかも、いや、見えていない。それがパンチラというものだ。わかるかい増田ちゃん」

「うーむ。なるほど。あ、すみません、鉄男さん。このボールペン、インクが出ないのでメモれません」

「書けないボールペンとな!」そういって鉄男さんはぼくの手からボールペンを引ったくると大事そうにズボンのポケットにしまいました。「見えないパンティこそ美しい。書けないボールペンを使えば時空の果てでも恋文が書ける。そして璃緒さんはうるわしい!」

 わたしは小鳥さんのパンティを見たことがありません。あ、どうか勘違いしないでください。わたしは見たいと言っているのではありません(それでは変態さんですね)。見えそうな状況でも見えないということが小鳥さんの魅力だといいたいのです(しかし絶対に見えていないともいいきれません)。小鳥さんはパンティを見せないことによって、自分存在が布へと矮小化されてしまうことを一種のヒロイン生存本能によって防いでいるのです。布ならば手に取りじっくり見て分析解釈考察することもできますが、小鳥さんはそのような研究対象から逸脱した、科学的な尺度によっては測ることのできない超越者だということなのです。小鳥さんの太ももには慈悲があり永遠平和がある。そこにわたしは神を見たのです。

               *

 小鳥さんはとても明るく元気でまるで熱帯雨林のように表情豊かな方です。明るい陽射しのなか丘の上に立ってこっちに手を振って鈴蘭のように笑っている顔も、土砂降りのなか服をびしょびしょに濡らして蒼白になって泣いている顔も、誰かさんテストの点数のように真っ赤になって恥ずかしがっている顔も、遊馬を心配している顔も、感じている顔もすべて素敵です。そしてその表情のすべてが一回きりのもので、ふたたび同じ表情が現れることはありません。小鳥さんの表情は数によって大小を示せるようなものではなく無限のものなのです。これは誇張でもメタファーでもありません。小鳥さんの顔は見ていて飽きません。

増田おい増田」誰かと思って振り向くと雑居ビルの影から鉄男さんが呼んでいました。

「鉄男さん、どうしたんですか。てか、そんなところでなにやってるんですか」鉄男さんの首にはひもがかかり、その先端にカメラがぶらさがっています

「いいからこっちこいって」あの穏やかで紳士な鉄男さんがいつになく興奮しています

 雑居ビルの影に隠れると、わたしは十数枚の写真を渡されました。そこには璃緒さんが写っていました。

「美しいだろう?」

きれいなひとですね。で、なにやってるんですか」

「これから璃緒さまが病院に行くんだ。ここはその通り道になってるってことだ」渡された写真をよく見てみると、どの写真雑居ビルの薄汚れた壁と特徴的なお掃除ロボットが写っていて、まさにこの場所だとわたしにもわかりました。璃緒さんは写真ごとに異なった服装です。

「璃緒さま、今日はどんなお洋服なんだろうな」

「鉄男さん、これってストーカーってやつでは?」

「おれには愛がある!」

 璃緒さんの無尽蔵の洋服が鉄男さんのコレクター魂を刺激し惑わせ堕落させたように、わたしも小鳥さんの表情に吸い寄せられ離れられなくなってしまいました。でもこれは愛なのです。

               *

 小鳥さんの声はわたしの敏感な部分に海底トンネルのようによく響きます。よくあるきんきんした味気ないテンプレート萌え声ではなく、ロリであるにもかかわらずエロいという特徴があって、少女として見ると大人っぽく、大人として見ると幼女っぽいという絶妙バランスとなっております。尿検査では中間尿を採取しますが、それと同じようにわたしたちが最も注目すべきなのは少女でもなく大人でもない、その境界線を肉付きのいい脚でまたぎ、ふくらみかけの乳房突き出しながら居心地悪そうに立っている半熟の女の子なのです。小鳥さんの声はまさにその時期を繊細に表現しているいってもよく、この世でもっとも貴重な声のひとつであるとわたしは断言いたします。

               *

 最近の女子は料理が作れなくなってきたといわれています。そんな現代社会ですが、小鳥さんは決闘飯(デュエルめし)を作ることができるとても家庭的な素敵女子なのです。小鳥さんの体液、通称小鳥汁がしみ込んだ決闘飯とはいったいどんな味がするのでしょう。鉄男さんによれば、小鳥さんの決闘飯は「バイアグラの味」だそうです。

               *

 ああ、どうしましょう、くだらないことを書いてしまいました。申し訳ありません。わたしはどうしたらいいのでしょう。生きているとつらいことばかりです。すべてがむなしいです。幼女を見てもかわいそうだと思うようになってしまいました。こんな不完全な世界の重圧をその春風のような無垢なほほえみで受け止めなければならないなんて。世界グロテスク悪臭を放っていますが、迷信のごとき科学技術や洗練された(!)法治主義社会たくみに見せかけの清潔さで覆い隠してしまます。それは合成着色料のようで、すべてはフォトショップ的ともいえる一種の嘘で塗り固められていて、どこにも真実はなく、しかし虚偽すらなく、ただひたすら軽薄で浅薄希薄で、原初の一点から湧き出たあの宇宙的エネルギーはどこにいってしまったんだと、この時代無意味さ、無価値についてわたしは考えるわけですが、わたしのそんな行為ともいえない似非行為すらまったく意味のないことで、わたしが死ねばすべてはどうでもよくなるのだと思ったりもするのです。

 しか自殺しようかなと思ったとき毎日小鳥さんがわたしにほほえみかけてくれます。「増田くん、超越論的跳躍(かっとビング)よ!」なるほど、たしかにわたしの眠っていた愚息は雪融けのように感動的な反応を見せ、天上の世界アストラル界)を目指してぐんぐん伸びていきます、蛇玉さながらに。そしてわたしは今日も生きようと思うのです。EDになるまでは。小鳥さん、あなた存在していてくれてありがとうございます

(以上の文章は主治医から自分のことを表現してみるといいと助言があったため書いてみました。長文失礼しました)

2013-09-26

ネオヒルズ族はなぜ詐欺でつかまらないのか

彼らの情報商材に中身は無い。少なくとも対価の1/1000の価値も無い。

 

にもかかわらず「必ず儲かる」といったようなキーワード宣伝ができるのはなぜだろう?

「利率50%保障」や「必ず幸運が手に入る!」という表記は詐欺罪景品表示法違反でしょっぴかれる。

彼らはなぜ捕まらないのだろう。

 

このあたりに彼らの巧妙さがある。

彼らが売る商材は「情報」であり、これを使えば儲かるという。

ただし、「この情報を上手く使いこなせればね」という前段がつく。

場合によっては、この「方法」とやらを、やはりセミナーコンサルティングと称して売る。

いったん数十万はたいて商材を買った人は、元をとりたい。だからそれらを追加で買う。そして気づいたら底なし沼にどっぷり...。

 

中身ペラペラゴミを大枚はたいて買い、半信半疑セミナーを受けるも具体性が無いか実現不可能な話ばかり...。

詐欺だ!」と訴えようとすると彼らはこう切り返す。

「それはあなたのやり方が悪いんですよ、現に○○さんは稼いでいるじゃないですか。もっと頑張って下さいよ...」

うまくいかないのは努力不足だと切って捨てるのだ。

 

教材に否は無い。サポート完璧。なぜなら、それで儲けている人がいるでしょ?目の前に。

こうやられると、判断力が鈍っている(またはもともと鈍い)カモは反撃できない。

 

 

そもそも彼らが売っている情報とは何だろう?

たとえば、「お店のはじめ方」という本があったとして、中に書かれているのは土地選びや届出など実務的なことばかりだとする。

この本が「(上手くやれば)絶対もうかる方法」と称して売っていたら...、どうだろう。

 

確かに、嘘ではない。

上手くお店をやれれば、確かにもうかる。

問題はそれがとてつもなく難しいということだ。

 

で、彼らの情報商材もこれと同じだったりする。

中身はサイトの開設方法SNSでの宣伝方法など、ごくごく常識的な手順ことばかり。それをSNSとかブランディングとかの飾りで覆っているだけだ。

 

 

そもそも「上手くやる」才がある人はこんなマニュアル必要が無い。

たとえば、借金して適当サイトを作り、そこに高級車をのりまわす自分の姿をアップし、やはり借りた金でガンガン広告を出し、「こうなりたければこのマニュアルを買いましょう」と広めて集まってきた情弱クズ情報を売るなんて商売を思いつく天才には、全く必要が無いんだな。

2013-08-04

「人それぞれ」「人による」

性質でもなんでも「人それぞれ」「人による」なのは、まぁ当たり前なのだ

人間や男女の差違、性質や傾向について発話するときは、そんなことは前提にしたうえでだいたいの人は発話していると思う。

からこそ、それへの反論として「いろんな人がいるから例外もあるよね」「人それぞれだよね」はそんなに意味を持たない。

そういうところを乗り越えて議論したほうが実りあるだろうに、無限の偏差の底なし沼に引き寄せようとする人は何なんだろうか。ドロヌーバか?

2013-06-17

http://anond.hatelabo.jp/20130617145707

底なしの恐怖がずっと付きまとう。

子供底なしの恐怖がずっと付きまとうかもしれない人生を歩むかもしれないよ。

なので、底なしの恐怖を紛らわせる為に子供を作るというのは鬼畜の所行とも言えるでしょう。

こちらを一読することをおすすめします。

子供を作るのは鬼畜所業。それか馬鹿

http://anond.hatelabo.jp/20130613154103

元来子供に興味が無かったので作らないと言うこと前提で去年結婚した。

夫は子供好きだから申し訳ない気持ちはあったけれど産んで育てる事が嫌になったらそれこそ一大事なので何度も話し合ってそう決めた。

私は30歳半ば、そもそも子供を産むにもタイムリミットが近い。

それなのにふと昨晩自分死ぬ時の事を考えて怖くて仕方なくなってしまった。

私には夫以外に身寄りがない。

夫が先に死んだら私は天涯孤独になるだろう。

ひとりで生きていく事はいつまで出来るのだろう。

たとえばそこに子供存在があったら、何か変わるのではないだろうか。

一人悶々と考えて気づけば朝になっていた。

産むならばもう決断をしなければならない、夫はきっと喜ぶだろう、けれど経済面で様々な不安があるし、そもそも子供に興味の無い私が産み育てられるのか。

高齢出産は色々なリスクもある、たとえば障害のある子供だったらどうなる?

メンタル面が極めて弱々しい私が人間を育てられるのか。

そもそも、子供が好き、欲しい、と思っていないのに、ただひとりぼっちになるのが怖いという気持ちで子供を産むことはとても罪深い事ではないか

考えてみても正解はわからない。

底なしの恐怖がずっと付きまとう。

2012-08-25

http://anond.hatelabo.jp/20120824184256

あのレンズの綺麗な円形ボケを使いこなしたいとか。

美しい夜景を撮る為にクッソ重い三脚が欲しいとか。

あの美しい光景写真に収めたいとか。

この構図を写真表現するには、とか。

引きずり込まれるんだよ。底なし沼に。

物欲二の次、撮る為に必要から仕方なく機材買うだけ。

2012-07-25

妊娠連想してしまうのが恐い

女だ。

安全日だしきちんと避妊もしている。

しかし万が一ということもありうる。

生理が1、2日遅れると恐い。

本当に底なしに恐い。

なぜこんな恐怖を感じなければならないのだろう。

学生には少々値が張るが避妊薬の摂取を考えてみようか。

セックスは男女の愛を深める手段であるとは思う。

しかし、人生を添い遂げられるであろうという相手とではあっても、

自分でない命に一生責任が発生する妊娠というリスクがある限り

一抹の不安はぬぐえない。

自分は「親」になれるのだろうか。

精神的、肉体的、情緒的、経済的にそのレベルまで達しているだろうか。

答えは否。

匿名ダイアリーではセックスしたいという匿名日記メモ?)を読み流すことも多々あるが

この恐怖心を味わえていないのであればそれは恵まれている。

2012-07-10

昨日、とあるおじさんが語ってくれた。

それは、おじさんが幼い一人息子をアメリカの高額な幼稚園に通わせていた時の話だった。その息子さんは私よりもかなり年上なので、相当に昔の出来事になるだろう。

ある日、おじさんはふと思い立って幼稚園での息子の様子を見に行った。探してみると、息子は部屋の片隅にポツンと蹲り、板切れを叩いていた。傍には先生が一人付き添っているだけ。そこでおじさんは父親として先生相談した。「息子にもう少し別のことを学ばせてもらえないでしょうか?何と言っても、ここの保育料はあれだけ高いのだし、板切れ遊びをさせておくのではいくらなんでも…あまりに…」先生の説明はこうだった。「ここではただ2つの事を取り扱っております。一つは子供達の安全保証すること。もう一つは、子供達に自分の好きなことをさせて、それからますことです。よく出来ました!と。こうして子供達に自信を持たせてこそはじめて、子供達のその後の人生はしっかり充電されたようになり、原動力に満ち満ちたものになるのです」


この話を聞いて、突如、私に足りないものが何であったのかに気付いた。これまでの人生の長い時間を何が何だかからないまま、孤独憂鬱の中に費やしてきたのは、私の人生には充電が無かったからだ。無いどころか、それと真逆マイナスものを持っているのが私だ。


裕福な家の子供が良質な教育人生加護を受けている時、私達が幼稚園先生に言われたのは背筋をピンと張って座っていることだった。余計な動作はしないよう両手は膝の上で、ちょっとでも他の動きをしたらすぐに怒られた。小さい頃の私は毎日毎日、どんな事でも先生に家庭へ報告されてしまい、何処に行っても何処からも歓迎されていないようだった。


また一方で、裕福な家庭では決してないけれど、よく気を配った両親に育てられた子供達もいる。彼らは成長していく中で、良い方向を向き、良い導きを受ける。おそらく小さな頃にはこの違いがはっきりと表れることはない。けれども、ひとたび二十歳くらいにもなれば、鮮明に痛快に現れ出してくる。キラキラ輝き始めた人生の中で、子供の頃に受けた導きこそが、すなわち、その人の力の源泉なのだ


そんな「充電されたことがある」人達は、真面目で継続的な努力家で、自分が何をしようとしているのか分かっている。それが私のように「負のエネルギー」に満ちている人間であれば、もちろん私は極端なケースなのだろうが、迷って困って、心配不安で、疲労困憊で生きている。私の両親は、私がどう思っているのかを気に留めたりは全くもってしない人達だった。父親は隣の家のおじさんと何ら変らず、よそよそしい存在だった。母親は気分次第で私の成績に介入したり、娘の健康に気づけなかったりだった。私が病気にかかると居ても立ってもいられなくなるものの、普段は何の躊躇いもなくジャンクフードを食べさせていた。昔から今日までずっと、母親は私の事に何でも手を出して支配したがっている。だから私は彼女に握らせ、彼女の好きにやらせる。私がどう思うのか、私の心を彼女は見落とし無視する一方で、取るに足らない些細な事は自分が握って操るのが大好きなのだ。私が病院に行くときは、必ず付いてきたがり、医師に向かって病状を丁寧に詳述し、一瞬たりともその口が閉じられることはない。だからこれまで私は自分で話さず、母親が話すに任せてきた。小学生時代記憶でも、母親ちょっとでも忙しくなると、すぐに癇癪を起こし態度や感情が激しく変わった。そういう人なのだ。私がまだかなり小さかった頃、母親自作お話をしてくれることもあった。私は母親の作ったお話を聴くのが好きだった。けれども、そんな幸せな事は小学校入学すると、どれもこれも終わりを告げた。まるで、最初から何も起こりはしなかったかのように終わってしまった。もしもそれを証明する母親直筆の手紙がなかったら、そういう幸せな出来事があったなんて私には信じられなかっただろう。実際、私は母親手紙を読みがら想像するのだ。存在しない幸せの思い出が、実は現実存在していた出来事かのように。


毎日、私が時間の約60%を費やすのは、怖れ、不安、苦しみ、理由もない悲しみ。私は自分を咎めるばかりで、その後、現実逃避世界を隠れ家にする。ドラマ映画二次小説。今だって相変わらずこんな逃避をしていて、その上、更にまた時間を大量に使っては自分の過ちを悔い改めねばとくよくよしている。かつて幼かったあの頃、私はあたか養鶏場飼育されているヒヨコのようで、爪と嘴を切り落とされ、均質な大集団と一緒に狭苦しいゲージの中に閉じ込められていた。互いに足を踏みつけあい、押し合い圧し合い振り向くことすらできない。食べさせられるのは成長ホルモン抗生物質。こんな画面が頭の中で鮮明になればなるほど、私の気分は少しマシになる。これは多分、ある種の自己憐憫であり悲しい自己陶酔なのだ。成年になれた私が如何に足掻こうとも足掻こうとも、結局は私もまた嘴を切り落とされたニワトリしかない。


自分の抱えているものを誰かにぶつけるのは重要なこと)


でも、誰にも心の中の思いを打ち明けられない。永久に。例え両親がそばに居たとしても、下の方に底なし孤独存在していると感じる。私の居る下の方では、深淵の底は覗き切れない。


とても苦しい、だが、こんなのは駄目あれじゃないと駄目とは言わない。両親や環境意味を責めたりもしない。もし心のなかに重い苦しみがなければ、こんな風に均衡を失った憂鬱の表情を絵筆で描けなくなる。生涯一文無しでも私は困りもしない。この苦痛に浸されきった精神をただ背負っているだけ。


私にはちょっと自己憐憫必要、ただそういうこと。

2012-03-31

夢とか憧れには重みがあるから下手に抱いたらぺっちゃんこになって自殺しちゃうことがある。

青年あるあるだね。

目標というのはただ存在するだけでは無意味で、大事なのは確かな道程があること。

スタートとゴールが繋がっていない双六だなんてやりたくないよね。サイコロ振る気にすらなれない。

どうすればいいかなんて自分で考えなさいっていうありきたりの批判は、言われなくても出来る。

だけど考えなくても分からないものは分からないし、むしろ考えるだけ泥沼に嵌る類なのかもしれない。

思考は泥沼の底なし沼で、運悪くそれに片足突っ込んだら終わり。あとはもがき苦しむのだけれども、溺れている当の本人にはその溺れていることにすら気づかない。気づいた時には時既に遅し。

考えてはいけないことリストがあったら便利なのにね。

出来ない奴に能力以上のものを求めると死ぬ。これは本当。

逃げ場はないもの自分自身から逃れることができるだろうか?

君には無理だから諦めなさいって言ってくれる人、いないかな。

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