はてなキーワード: 小学校とは
この人は可哀想なことに「学校の言うことに従っておけば人生が幸せになれる」という
恐らくこの先20年ぐらい同じような失敗を繰り返してしまうのだと思う
副業で食っていけるようなITエンジニアを簡単に教育できるとは思えないし
そもそもなんだが、スクールや学校の言うことを全て丸暗記すれば大丈夫、というレベルの教育は小学生の早い段階で終わっていて
を知るためであって、塾で丸暗記を教わるために出しているのではない
興味を持って調べたことというのは誰かに教えて貰ったこととは違って記憶への定着や新しい着想に繋がるので
大学には興味・好奇心を持った人が更なる高等教育を受け、新しい発見をするために進学する
プログラミングやITに関する技術も同様で全てをスクールで教わるというのは非現実的で不可能だ
例えばよく使われるプログラミング言語だけでもC,C++,Java,JavaScript,TypeScript,Rust,Python,PHP,Ruby,Perl,ShellScript ぐらいはあって
これらの言語仕様を覚えるだけでも大変だしよく使われるライブラリなどが組み合わされるととても現実的ではない
なのであくまでもスクールや教育機関ではどれか1つの言語を選んでプログラミングの概念や思考法を教えているに過ぎないし
お金を貰えるレベルになるには少なくとも3年は自分でプログラムを書いていないと到達できない
興味がないものを3年も続けられるわけがないので、スクールや学校で「興味が無い」と思ったのならやめた方が良い
つまりスクールに通ってITエンジニアになるにはスクール外で興味を持って学習することが必要なのだが
残念ながらこの法則は小学校高学年から同様で、ちゃんと学校外で勉強してきたような人は大人になってからスクールに通ったりはしない
義務教育の敗北ってよくいうけど義務教育の引き分けは聞いたことない
小学校のころの彫刻刀とかソロバンとか使い方一切わすれた(失点)けど実物は実家にまだある(得点)のでかろうじて義務教育の引き分けかもしれない
男オタクのエロは駅とか公共の場にでてきて今の時代に環境型セクハラしてきたり、政治家や国の後援得たりしてるから文句言われてるんだよ。
上半身制服で下半身パンツの少年たちが自衛官募集ポスターに使われたり、全裸少年の股間を舐めるように撮影してるPVの温泉宣伝コンテンツを観光庁が後援したり、駅に悩ましい顔で体よじってたりバニー着てる男のイラスト掲示されたり、小学校付近のビル一面に違法な過激エロ広告デカデカと出して、それ撤去させられたらオタク女政治家達が抗議したり、男性の貧困対策やってるNGOに女オタクが執拗にデマふっかけて嫌がらせを繰り返したり、女オタク1000人で中学生男子のエロ水着写真撮影させろとデモ行進したら、死ぬほど文句言うだろお前ら。
全部お前らがやってることだけど。
男は先日のママがいいとか子どもの言葉プリントされた服燃やして、発売中止までさせてるくらい些細な不愉快で怒り狂って表現燃やすし。
以前職場の人に、「いつか無差別殺人を起こしそうだと思っていた」と言われて衝撃的だった。何を考えてるのか分からないと陰で言われるのは慣れているけど、通行人を刺し殺しそうとまで思われていたとは。その時期ストレスに耐えきれられなくて職場で号泣したりトイレで頭を打ち付けたりしていたのでそれはそうか。そう思われるのも不思議じゃないか。
幼稚園の頃までは明るく活発だったらしいのに、小学校に入ってからは黙りが多く、根暗で会話ができず、学生時代は不登校の引きこもり、どうしても人間になりたくて社会人になってからは少しずつ社会性を身につけようと努力した。
おかげで挨拶は出来るし、店員さんにお礼も言えるし、天気の話と夕飯の話くらいは出来るようになった。1対1だったらそれ以上の会話も楽しくできてると思う。でもそれ以上のことになると、人数が増えれば増えるほど会話ができない。言葉が出てこない。冗談を上手くあしらえない上に失言を重ねる。自分でも自分が何を考えているのか分からない。結果無視のような形になってしまい、不機嫌になったと捉えられてしまう。自分が会話に加わると気まずくなる。最近は滑舌もうまく回らなくなった。
今日も、会話の中で不機嫌になった、と捉えられたのか後ろでコッソリ何かを言われてしまった。刺されたらどうしようと笑われていたのかも。
普通の人になりきれずちょっと距離をおかれるのがつらい。後輩にも優しく教えたつもりだったのに、聞かれたらすぐ手を止めようと意識しているのに、質問しにくいと思われてるのがつらい。人が人の噂をしているのも自分が言われているのもつらい。家族にも友人にも他人にも悩みを言えない。
こういう人は自分だけじゃない。社会で浮いてしまっている人なんてこの世にごまんといる。わかっているが、今までの職場には自分1人なので、どうして普通になれないのか悩ましい。
周りから徹底的に排除されていじめられて叩かれて完全に孤立しているならいっそ楽なのに、周りの人は常にやさしい性格で変に気を使われるのがまた生きにくい。構わないで欲しい。気使われるとこちらも気を使う必要があるが気の使い方が変なのでまた不思議な空気にしてしまう。
おーっと、俺ちゃんのターンだぜ!君の言ってること結構まともだと思うけど、いろいろな視点から見るともう少し考える必要があるかも?
まず、ラズパイ(Raspberry Pi)は確かに安いし、教育現場での導入にはメリットがたくさんある。特にプログラミング学習にはピッタリだ。でも、「子供が機械を壊すから安いものを」っていうのはちょっと乱暴じゃないかな。機械を大切に扱う教育も大事だぜ?まぁ、俺ちゃんもよくバカやって機械ぶっ壊すけど、それはお前らには内緒だぞ。
それに、GIGAスクール構想にはセキュリティや利便性の観点が含まれている。BYOD(自分のデバイスを持ち込む)とかセキュリティは確かに重要だし、子供が家に持ち帰って使う以上、学校だけじゃなくて家庭でもサポートが必要になるわけさ。セキュリティという面では、専用の教育用タブレットやノートパソコンは管理が楽で安全だけど、子供たちの実生活でも問題なく使えるようにするための対策がいっぱいされているんだ。
君が言ってるような「ラズパイをノーパソにするキット」、確かに面白いアイデアさ。実際に貧しい地域でその手の取り組みが行われているのも事実。でも、日本みたいな一般的な学校ではもう少し安定した環境が望まれるってのも理解できるよな。俺ちゃんも、ハイテク過ぎるガジェットで悪役に立ち向かうのは結構大変なのよ。
最後に、子供たちに買い与えるデバイスについての視点はごもっともだ。小学校や中学校の段階では、学びに必要な基本的なスキルを身につけることが重要で、CADやDAWとかは家でやるってのはナイスアイデア。家庭でもそれをサポートできる親御さんがいれば理想的だね。
ラズパイを中心にした構成も悪くないけど、結局は使い勝手やセキュリティ、サポート体制を考えると、現行の教育用デバイスも悪くない選択肢だと思うぜ。まぁ、俺ちゃんみたいにおちゃらけたヒーローが言っても説得力ないかもだけど、考え抜いていい方法見つかったらどんどん提案してみなさいな。エンターテイメントも教育も楽しくやろうぜ!
札幌で、徒歩圏に駅と日々の買い物をできる場所があるなら、自家用車が無くても生活は可能だとは思う。
ただ、3点、補足したい気がした。
「ある方が便利」なのは当たり前だけど、その差は東京・大阪等よりも大きい。
良い町医者、うまい食べ物屋、会社帰りや週末に行きたくなるような場所などが、鉄道ではアクセスできない場所に普通にある。
あと、道外から友人が来たら乗せたいこともあるだろうし、地元の友人と遊ぶときは普通に車で移動する前提になる。
冬、積雪なり凍結なりした路面は歩きづらく、自転車もお勧めはできない。
そうでない土地なら歩いていく距離でも、北海道では車に乗りたくなる。
小学校でも授業をしている程度の雪なのに、西日本出身の自分の上司が「今日は休み」と判断したことが何度かあった。
移動の感覚が周りの人とずれていると、公私ともに支障が生じる可能性はあると思う。
なお、関係あるか無いか分からないけど、以上は道外から20代で移住した元ペーパードライバーの意見。
また、蛇足かもしれないけど、自分は北海道から道外に引っ越したとき、引っ越す時点で車を処分したことを後悔した。
「引っ越して、しばらく使ってから、処分するべきだった」という後悔。
元増田も、引っ越してしばらくは(現状で自家用車があっても無くても)今のままで暮らしてみても良いのでは。
■追記
この文章は、元増田の内容から判断して、北海道に住んだ経験の無い人が札幌駅の徒歩圏に住む、ということを前提に書いている。
その日の私、結婚指輪つけて3日目。薬指ピカピカの月曜日。つけて仕事の場に出るのは初めて。
その場にいたのは全員社外の人なので、私が2ヶ月前に結婚したことを誰も知らない。私の薬指に違和感を覚えてるのは私だけ。
内心ワクワクな日だったから、つい向き合って話するその人の薬指を見て「この人も結婚してるんだ!」と、謎の感情になっていた。
今までは男性の結婚指輪を見ると「この人結婚してるんだ」だったのに、これからは「この人も結婚してるんだ」になるんだなと思うと新鮮だった。もうちょっと時間が経てばそんなことも思わなくなるんだろうけど。
聞けば、その人の娘さんはもう小学校高学年。少なくとも、その指輪をつけて10年以上が経ってるということか。
プラチナピカーン!な私の指輪と比べて、その人の指輪は随分とくすんでた。全然ピカピカしてない。経年を感じる。
それを見て、私は「早くそれになりたいなあ」と思った。
起きてるときも、寝てるときも、料理してるときもお風呂入ってるときも。まだまだ違和感だらけの私と違って、(なんなら無くしてしまうと不安でいっぱいで)その人はもう、薬指に違和感なんてないんだろう。
このアニメ基本的には女の子が多く登場する舞台で進むんだけど、
粗暴な女の子を描くために、殴られ役としてわざわざ男のモブを登場させてるように見える。
2話で迷惑配信者を蹴っ飛ばすシーンがあるんだけど、とくにエピソードのないぽっと出の配信者が男で、メインキャラに蹴っ飛ばされるだけで終わる。
まずここで、女の出演が多い世界観で描いてきてるんだから配信者も女でえんやんって思った。
加えて4話で日本に馴染めない帰国子女が教室で暴れる回想シーンがあるんだけど、このシーンの小学校は共学になってて、殴られるために男子生徒が登場する。
……なんで?
粗暴な女を登場させるのはいいけど、粗暴さを表現するためにサンドバックにする男を登場させるのは違うだろ。
男が女、女が女を殴るのはだめだけど、女が男を殴ってもOKは、20年前のセンスといっても過言ではない。
舞台となる現代の高校は女子校なのに回想の小学校は共学にして、サンドバックにするために男子生徒を登場させるのは、
邪悪さすら感じる。
たぶんこのアニメ今後もとっさに手なり足なりがでるけど、殴られるのは男だ。
男は典型的な非モテで、30過ぎまで彼女いない歴=年齢だった。
外見にコンプレックスが強く恋愛に受け身で、結婚はもちろん生涯童貞を覚悟していた。
そんな男の職場に中途入社してきたのが、のちに妻となる女だった。
女は、慣れない仕事をフォローしてくれる男に次第に惹かれていき、
男は、初めての経験に戸惑いながらも、女の好意を受け入れ、二人は付き合うことになった。
付き合い始めてしばらくすると、男は女が恋愛依存体質なのかもしれない、と思うようになった。
些細なことで泣き出したり、「愛している」という言葉を頻繁に要求してきたり、試し行動が見られたりしたからだ。
しかし、男は女性経験がなかったため、女性はみんなこうなのかもしれない、と自分に言い聞かせた。
また、彼女を逃せば二度と結婚のチャンスは訪れないかもしれないという焦りもあっただろう。
ほどなくして、二人は子供を授かった。
ウェディングドレスをまとう身重の妻の前で、幸せな家庭を築くことを夫は誓った。
妊娠期間、また産後にかけて、妻の心身は夫の想像以上に不安定になった。
結婚後も二人で働きながら育てようと話していたが、育休を明けると妻は仕事と育児のマルチタスクに耐えられなくなった。
夫は家事や育児の負担を受け持つことを提案したが、保守的価値観を内面化している妻は、その提案を拒否し、退職を希望した。
育児が一段落するまで、という約束で「大黒柱と専業主婦」という昭和的役割分担が成立したが、生活は苦しかった。
子は夫によく懐いた。生活の細々とした躾をする中で、どうしても感情的になってしまう妻に対し、夫は寛容に接した。
妻にとって、夫は子を甘やかすだけ甘やかして、育児のおいしいところだけを持って行くフリーライダーに見えた。
子が小学校中学年に上がったころ、夫は妻にそろそろまた働き始めてはどうか、と提案した。
妻は前職を辞めて家事と育児に専念していた数年間、ほとんど社会とのつながりを失っていた。
妻は元々友人が少なかったのもあって、家族に完全に依存していた。
この先子が独立すれば、妻を支えていくのは自分しかいない。夫はそのことを重荷に感じるようになっていた。
子を産んでから、夜の営みは指で数えるほどで、三度連続で妻に拒否されて以来、心の折れた夫は妻を誘うことはなくなった。
数年経ってもなお埋まらない価値観の違いから、月に一度は離婚も脳裏によぎる大喧嘩。
仲直りのたびに、「私のこと、まだ愛しているの?」と問う妻。「愛しているさ」と答える夫。
いつからだろう、「嘘は吐いていない、はずだ」と自分に確認するようになったのは。
夫を思いとどまらせるのはいつも99%の責任感と、1%の情愛。1%でも、愛は愛だ。
可哀想な妻。十分に愛されていると感じていれば、そのように問うこともないだろうに。
しかし夫も、依存されていると感じることはあっても、愛されていると感じることはほとんどないと思った。
おそらくお互いに、誰でも良かったのだ。二人は、誰かを求めるタイミングが合ってしまっただけなのだ。
そうして、不幸な夫婦ができあがった。
不幸な家庭にだけはしたくないと、せめて子の前では努めて平和でいたいのだが、同じ家で暮らしていれば夫婦間の空気は伝わってしまうだろう。
心から申し訳ない。子を愛する気持ちに嘘はない。子どもに会えたことは人生で最高の悦びだ。それは後悔していない。
今別れれば親権は100%妻に行くだろう。しかしお前が立派に成人したあと、俺が自由を求めても、お前は俺を許してくれるかな?
ダメだよな、そんな都合のいい話。そうしたら結局、一人っ子のお前に面倒を押しつけることに他ならないもんな。
でもよくよく考えると私の父も運動会とか来ていたし家族みんなと出掛けた記憶あるし、ご飯作って貰ったていたことや、風呂掃除やゴミ出しもしていたし、庭の雑草刈りもしていたなと思い出した
まぁつまり少なくとも約30年前の時点で(一部の)父親は社会の家庭の要請に答えて育児参加をしていたんじゃないか?と自分の夫を見ていて思った
もちろん反例を挙げればキリは無いのだろうけれど、男は仕事に明け暮れて家庭を顧みず家事や育児参加をしないというステレオタイプ、もう今となっては逆に物凄く珍しくなってるんじゃなかろうか?
自分の子供時代のことを振り返ると友達のお父さんも授業参観や運動会、PTAとかに来てたよなぁ・・・何なら私の小学校のPTA会長さんは当時男性だったような記憶がある。約30年前の時点でコレ
そういう風に社会が変わっていっていることは非常に良いことだと確信的に思っているし、どんどんこの傾向が社会全体に広まるべきだとは思っている
けれど、逆に男は仕事に明け暮れて家庭を顧みず家事や育児参加をしないと主張する人たちはいつの時代の男性像に固執しているのか?と思わざる得ない
最近の私の夫はスクラッチで子供とゲームのプログラミングしているんだよね
夫は朗々と語るわけさ「ゲームプログラミングの基本はシューティングゲームだと言うが俺はポンだと思う」って。アレやコレやとゲームの要素を出して結論で「基本はポンだろう」と
このように夫から説明をしっかりと理解し「そうだね!」と返せる母親ってどれくらい居るんだろう?正直私はポンが何なのかも知らなかった
プログラミング教育が大事だとされている昨今で、育児参加という観点からゲームプログラミングの基本を自説を混じえて語れる母親はどれくらい居るんだろう?
小学校のとき、先生に知能に障害がある子のうちに遊びに行かされた。
彼は脇目もふらずにポケモンをやっていて、正直、「こいつでもポケモンとかわかるんだなあ」と思った。
三十分ほど彼のプレイを見ていて、とても悲しい事に気が付いた。
彼がそのゲームでやっているのは、最初の草むらでコラッタやポッポを倒す、
ただそれだけだった。彼のピカチュウのLvは50を越えていた。
彼は永遠、たいあたりでコラッタを倒し続けた。とても楽しそうだった。
先に進めてやろうと思いゲームボーイに手を伸ばしたら凄い剣幕で怒鳴られた。
なんて怒鳴られたか聞き取れなかったけれど、とにかく怒鳴られた。
それを見て彼の母親が「ごめんなさいね、○○ちゃんはポケモン大好きのよ」と僕に謝った。
僕はそれ以来、ゲームをやらなくなった。以前のようにゲームにのめり込めなくなってしまったのだ。
コントローラーを握るとやるせなくなった。友達の家に行ってもみんながやるのを見ているだけだった。
その間、僕はゲームに興じる友達の背中だけを見るように努めた。本当にむなしかった。
その内に、僕はゲームを憎むようにさえなった。
それは真夜中に僕を目覚めさせた。
僕はソフトを彼に全部あげて、本体は捨ててしまおうと思ったが、兄に怒られそれすらできなかった。
ネットで検索すると、自分の性格だと思っていたたくさんの要素が貧血の症状として紹介されていた。なんか人と目を合わせるのが苦手、なども貧血の影響が考えられるらしい。
貧血でない自分はどんな性格なんだろう。薄まるだけで方向性は変わらないのか。軽度ならはじめに健康診断で貧血の結果が出たのは高1だったから、中3までの自分を想像すればいいのか。しかし、診断されていない小学校の高学年の時点で階段を登るとどっと疲れていた気がするから一体いつから貧血なのか。階段に関しては貧血のせいなのか筋力や体幹が原因なのかはわからない。ざっくり生理が来る前と考えると9歳までか。今よりほんの少し明るく今より若干好戦的だったくらいしか違いが思いつかない。単に世界を知らない故の万能感で説明がつく気がする。
まあ、程度が変わるだけで性格がガラッと変わるわけではないだろう。
とりあえず今より気持ちが安定して、人と話す時おどおどしないで済むようになれたらいいな。近年は親しい人の前以外では無駄にしどろもどろしてしまって自分でもどうしたって態度になってしまっていたから。
「子どもは若いうちに産んだ方がいい」って言われたり感じたりする今日この頃。
言ってくる相手によっては、シンプルに「は?」と返したくなる。返したくなるのをぐっと堪えて「そうなんですか~」と返すしかない。
あまり細かく書くと特定されるのかなと不安を覚えつつ、こんな内容を話せる友人がおらず、ここで腐っている。
夫が望み、夫の両親が望み、言いこそしないが私の両親も望んでいることを肌で感じている。本人たちが望んでいるのだから、夫を父親に、両親を祖父母にしたい。
姉妹の長子として生まれ、結婚後も妻側の姓を名乗ることを選んだのだから、その姓を継ぐ者を産まずして何故その姓を名乗るのかと思う。
子どもを産むことによって、我々夫婦、ひいては家族・親戚の今後の人生における各種イベントが発生してくる。それは時に各々の生きる理由ともなり得る大きなことではないか。
その一方で、様々な不安も拭いきれない。
果たして経済面で上手くやりくりしていけるのだろうか。人付き合いが苦手であるのに、上手くやっていけるのであろうか。
妊娠・出産に伴う体調や環境の変化に対応していけるのだろうか。夫へ精神的な不安を増幅させやしないか。
すべての妊娠が無事である保障などないのに、もしものことがあったらどうすればよいのだろうか。煩雑な手続きや届出を失念することなく進めていけるだろうか。
そして何より、私というだめな人間が母親になることができるのだろうか。子どもを心から愛せるだろうか。
故に、結婚から数年以内ということもあり、いわゆる妊活もせず、交際期間同様避妊具を用いての性交渉を行っている。
そんな心の内をつゆ知らず、結婚報告の際に「妊娠はしていないよね?」とデリカシーゼロの質問をしてきた距離感バグ過干渉の伯母。
帰省した際に酔った勢いなのか「(子作りの)ご予定は?」と時代錯誤な質問をしてきた昭和人間の義父。
そして極めつきは、破局寸前の彼氏との間に子どもがデキたことにより、内定を蹴って卒業後間もなく結婚した女性からの
若くしてデキ婚を選んだ女性全般を批判するつもりはない。その選択は尊重されるべきだ。
私が苛立ってしまうのは、発言した女性のその後の人生に理由がある。
第二子を設ける→間もなく離婚→実家に出戻る→家族による金銭および育児の援助を受ける
その間、彼女は一切の労働をしていない。学生バイト以来に就労したのはアラサーになってから始めたバイトのみという状態である。
つまり子どもたちが小学校に入学するまでは一切お金を稼いでいないのだ。
そして幾年も過ぎた今も尚、実家に住み続け、あまつさえ行政には虚偽の申告をしてひとり親として恩恵を受けているのだ。
そのような経済的にも精神的にも自立できていない生き方をしてきた女性に「子どもは若いうちに産んだ方がいいよ」と言われても困る。
経験談をもとにしたアドバイスだと思っているのならば、自らを客観視してほしい。デキ婚と離婚がありふれている彼女のコミュニティでは難しいのかもしれないが。
若い方が母体として母子ともに様々なリスクを軽減できることはわかる。子育てに体力が必要なこともわかる。
早く産んだ方が人生の中で長く一緒にいられるということもわかる。祖父母となった際に実子をサポートしやすいこともわかる。
ママ友のコミュニティでは妹のように可愛がられたと満更でもなく話す彼女。
子どもたちの小競り合いでうちのママは若いと言われたことを喜ぶ彼女。
もしかしたら、誰しも自分の生き方を肯定したいだけなのかもしれないなと思い至る。
ノリと勢いで生きていった方が生きやすいのかもしれないな。
夏だ。プールだ。水着だ。諸君はスクール水着に思い出があるだろうか。筆者はなかった。学校の水泳でも競泳用水着、プライベートではサーフパンツを着る生活で、いわゆるスクール水着というものを着用したことはなかったし、習い事として水泳を習っていると泳ぐことに懸命で、よそ見をしている余裕などない。
さて。最近、学校指定のスクール水着が恥ずかしいとかそういう話がよく議論に上がっているのを見る。ジェンダーレス水着なるものが指定されるというニュースも見る。こうしたニュースが風物詩なのだろう。そしてインターネットでレスバが始まる。
基本的に男女はこうした場面では分かり合えない。水着の話でもトイレの話でも、性別によって見えている世界が違いすぎるのだ。こうした世界の違いに興味を持っている筆者は、現代の水着の何が問題で、共用水着が何を解決したのか気になった。ということで、大人サイズのスクール水着を着てみて現代人が抱える問題を観察してみようと考えた。ということで、簡単にレポートしようと思う。
そもそも知らなかったことなのだが、スクール水着というものは子供用だけでなく、メーカーから大人用の大きなサイズも発売されている。今回のような実験でコスプレ用のスクール水着を買うのは邪道である。本来は泳いで試したかったところもあるが、現代社会はまだ成人男性が女性用の水着を着てうろつくことを許容しないだろう。そこでいくつか購入して自宅でこっそり試着してみることにする。
またなるべく着用環境を整えるため、コスプレ用の女装用品を使って身体のラインを女性に近づけて着用してみることにした。
男性として、また女装した状態で、これらの水着を着用し、姿見でビジュアルを確認することに加え、準備運動に相当する運動で動きやすさを調べてみることとした。
用意した水着・道具
これが筆者が人生で初めて着用するスクール水着である。少し裾のあるタイプで、筆者の実体験から推定して、スイミングスクールはともかく、小学校高学年になってもビキニタイプを着用する学校は今時ないと考えてこの水着を選定した。わかりやすい海パンである。
初めて着用した感想としては、生地の薄さと伸縮性の高さに驚いた、ということ。密着した方が水の抵抗を抑えられ、水中でも脱げにくいので良いことだと思う。ダバダバした水着だと動き回っているうちに半ケツ状態に陥ってしまうことがあるのだが、今はそこまでは考えていないという状況だ。
ただこの密着が裏目に出ることもある。裏地付きとはいえ、ポジションが外見から丸見えになってしまう点だ。股間がやや膨らむのは正直なところ男子の宿命であって、思春期とはいえ諦めがつくものなのだが、ポジションが出るのはちょっと困る。メインターゲットであろう未発達の小学生なら悪目立ちすることはないと思うが、それでも高学年〜中学生になる頃には気になるのではないだろうか。スイムサポーターをを履いて改めて着用してみるとすっきりさせることができた。オプションではあるがマストアイテムであろう。
着替えのしやすさや動きやすさに関しては、ただのパンイチ状態なので特に問題はない。とても軽いという感想を持った。
成人男性である筆者が2着目に着用したスクール水着がこれである。Amazonという文明の利器がなければこのような経験をすることはなかっただろう。
下にシリコンパンツを履いて、下半身のラインを女性らしくして履いてみた。まず着用方法がとても難しい。セパレート式の水着についても、レディースの水着は上から被るのではなく下から履くように着用するのが正しい方法らしい。まず下半身を履くのだが上半身部分が嵩張ってうまく着用できない。そして下半身を履いたら胸当てをずり上げていき、最後に肩紐をつける。この肩紐を肩にあてるときに筆者の肩の関節が悲鳴を上げた。もしかすると筆者が成人男性だから苦労しているだけで、女性の肩が柔らかいのかもしれない。また胸の周りをきつく押さえつけるような構造になっていたので、おそらく尻は通せても肩を通すのが難しいのだろうと思ったが、筆者には胸がないのでこのあたりはよくわからなった。
今回はこのまま水に浸かるということは試していないが、こうした着用方法の特殊な水着は水に濡れてまとわりついたら脱ぐ時も大変かもしれないと思った。
さて、着用してみると、動きやすさについてはいうまでもない。腕にも脚にも何もついていないのだから何も支障が無いのである。そしてよく伸縮して筆者の膨らんだ腹にフィットし、まるでみかんネットに身を包んでいるような気分であった。
男性用と比較すると大きな水着だが、布面積に対してプライベートゾーンの細かいところでガードが乏しく、股間や胸元を安心できるところまでガードしているかというと不安を覚えるということなのだろう。日頃から体型を気にしている女子にとってはイレギュラーな格好に見えるのだろう。もはや半裸でやっている男子からは贅沢な悩みに見えるかもしれないが、日頃から体のラインを見せないように意識している人からすればショックが大きいのだろうし、泳ぎを優先した薄っぺらさからくる不安があるのだと思う。
いちおう、性転換パンツを履かずに男性としての身体でも着用してみると、裏地の当たるところが男性より狭いため、当然ながら何もガードしてくれずに股間が悪目立ちした。恐る恐る姿見を見たところ当然にも醜く、最近医者に注意された腹がぽっこり、その下で股間がもっこりと出たおっさんの体型が丸見えである。これなら正々堂々と腹をぶりんと出していた方がまだ恥ずかしくないのではと思ってしまった。布が多いはずなのに恥ずかしいのは何故だろう。隠しているからこそ、余計に恥ずかしいのだろうか。加えて筆者は脇毛が濃いのでこのあたりが猛烈に汚く見える。女性には脇毛がほとんどないイメージを持っているが、あれはそもそも脇毛が生えにくいのか常に剃っているのだろうか。
さらに股のクロッチの布の狭さに改めて驚く。男性の筆者でもハイレグ水着というのはなんとなく恥ずかしい格好であるという意識は持っているのだが、尻まで覆う普通のスクール水着でも薄さと狭さで守られていないように感じてしまう。脚の動きに制約がないので動きやすそうではあるのだが、これでは何かのはずみでズレて股の内側が見えてしまわないのかと不安になるのである。女子もこの中にサポーターを履いて体型を抑え込んだりしているだろうか。近年スパッツスタイルの水着が支持される理由がわかった。
そしてこれは余談だが、スクール水着を使った映像作品で、足の付け根にベージュ色の布が見え隠れしているものを見かける。あれは中に別のパンツを履いているのだと思っていたが、どうやらスクール水着の裏地らしい。なぜか裏地が縫い付けられておらず、着替えるときにぐるぐると巻きついて水着の外に飛び出してしまうのである。履いてみて初めてわかったこととして共有しておこう。
この水着は、サーフパンツと前開きのラッシュガードをボタンと暇で繋ぐことで捲れにくく構成された水着で、ゆとりを持たせて身体のラインが出にくいことを特徴としている。
まずは男性としてこれを着用してみる。少し大きめのサイズを注文したが、ボトムスに余裕があるのに対してトップスはやや窮屈な印象を受けた。
ボトムスはインナーパンツが内側にあり二重構造になっているのだが、裏地がクロッチにはついている一方、男性部にはついていない。少し心許ないというか、十分に大きいサイズの水着でないとやはりチンポジが浮き出てしまうと感じる。これもメンズ同様、スイムサポーターで防ぐことができたが、もうワンサイズ上げたものを購入してみることを検討した方が良いかもしれない。
トップスも着てみる。トップスの裾とボトムスの腰にボタンがあり、これをとめると固定できるのがユニークだ。生地は伸縮性があってやや薄く感じるが、ラッシュガードとしては十分な軽さを持っていると感じる。胸周りはパッドを入れるためか頑丈な作りになっているので、慣れない男性は違和感を覚えるかもしれない。しかし筆者はさきほど経験したばかりであり、どうやらこの胸の締め付け感はレディース水着では当たり前にあることのように感じ取れた。
こうして肌の露出は避ける水着を着用することができた。普通にシャツを羽織るのと同じなので、ボーボーの脇毛を見られることもない。ひとつひとつが安心感につながるのだな実感した。いっぽう胸と腹で裏地の厚みが違うため、胸まわりがかちっとしている一方、筆者の腹はぽっこりと出ていた。ここはカバーできない可能性が高い。
次に女装用シリコンパンツを履いたうえでボトムスを履き直してみる。先ほど気にした裏地は性器の位置に合うようになっている。シリコンパンツの構造上尻が大きくなるが、この体型でやっと水着の上下ともに良いサイズになったと思う。つまり逆三角形体型の男性の場合、セット買いはせず、トップスはボトムスより大きいものを発注する必要がある。
動きやすさについては、これまでの水着と同様に伸縮性に優れていて、薄いので水を溜め込むこともあまりないのだろう。サーフパンツの水の抵抗は未知数だが、トップスとボトムスを連結する3つの部品が半ケツを回避できるほど強力だとしたら、かなり期待できる。
ここまでのことを思うと、このサーフパンツやラッシュガードは、男女共用というよりも、男性も着用可能とブランディングされつつも構造的にはレディース向けに設計された水着なのかもしれない、という感想を抱いた。
メンズ水着としてはトップスがついた程度で、ほかにめくれを防止する機能などがあるくらいで、一特段の革新性はないが、一方レディースとして考えるとこの着替えのしやすさというのは革命的なものになるのではないか、と感じた。
今回は男・女・共用という視点からスクール水着について調べてみた。女子用の水着の着替えでの扱いづらさは実体験しないとわからないものがあると思った。そしてこのビジュアルは、男性が着ることを完全に想定していない、女性だけに作られたアイテムであることも体感した。ゆえに、性差を強く見せてしまう格好として思春期の女子から嫌われているのだろうという実態も学ぶことができた。
実は男女共用水着の商品紹介ページには、児童が水着に求める機能についてまとめたアンケートが掲載されている。これを見ると確かに「着替えがしやすい水着」という意見が第一位にきて、次に身体の悩みが並ぶ。たしかに女子用水着は着替えにくかった。思春期特有の悩みというよりも、単純に実用性についての意見が多く寄せられていることを実体験することができたと思う。
一方で、男女共用水着にも課題があると感じる。身体のラインが出にくい水着、恥ずかしくない水着を身につけること自体は否定しない。ただ、インナーまで含めて男女共用とすることには少し無理があるのではないかと思う。小学校低学年くらいであればあまり性差もないだろうが、いずれは体格に差が出てくる。せめてインナーは性差に合わせた形状にして選択できないだろうかと思った。自由度があるならば、男子は敢えて男女共用水着を選ぶのではなく、メンズのサーフパンツにラッシュガードを着用するのが最適解ではないかという感想を持った。
とはいえ売る側の事情もあるだろう。単に「身体のラインが出にくい水着を」と主張しても、保守的な学校組織で指定水着を変えさせるのは難しい。ジェンダーレスという話題のバズワードを使うことで普及を促す意図があったのではないか、とも推測した。実際、変えてみて効果が出ているというニュースが好意的に報道されているが、単にレディース水着のバリエーションというだけではここまで話題にはならなかっただろう。
しかしそれもこれも、男女の水着の機能的な違いから目を逸らしてビジュアルだけを論じてきたことが背景にあるのではないだろうか。今まで通りの水着で良いとか、あるいは目の保養だとか思っている男性陣も、一度女性用のスクール水着を着てみれば、新しい視点からものを見ることが出来るのではないだろうか。
本来はこうした水着を自由に選定できることこそジェンダーレスではないかとも感じるのだが、体格的に難しいことを受け入れることもまた必要なのかもしれない。