はてなキーワード: 大成とは
なぜだかまったく分からないのだが、名古屋界隈を活動範囲にしている人はほかの地域の人より圧倒的に「勝手な俺理論で推測を重ねて、外れていることがわかると激昂しそんなのおかしい有りえないと言い募る」率が高いと感じている。(サンプル数は当該地域の人20人程度とそれ以外50人程度なので微妙だけど。)
単にあいつらドアホなのかなと思った時もあったけどその傾向がある以外はそこまで会話ができないわけじゃない。
そこで思ったのは、これはつまりロジックの客観視が絶望的にできない土地柄なのだということだ。
こういう人ができないゲームは将棋のような理詰めで解ける要素が多いゲーム(=勝手読みをしてしまって自爆するので勝負にならない)なので、ほかの地域に比べてgdgdになる率が高いのではないだろうか。
しかし少数ながらもいるであろう論理的整合性の検証が得意な人は周囲からの疎外感からかえって傾倒して上達が早いかもしれず、競技人口の裾野が狭いことはあってもそれによって大成する人がどの程度出てくるかは一概に言えない可能性もある。
しかしながら、「その逆をやれよ」というのは少し酷だとも思いますし、
私は人間の不完全さを信じているので、このような形で日記を書こうと思います。
もうとっくに始まってる人、決まっちゃった人、最近始めたばかりの人、もっと後からだと思ってた人、色々いると思います。
私はいわゆるクリエイター系の会社で働いている者ですが、自分の経験やこれまで出会ってきた学生さんのことを思い出しながら、
こんな学生、ほしいです
と思われるケースをいくつか紹介したいと思います。
知ってますか?
例えば大手企業に務めるクリエイターが何かを知りたいと思った時、どうやって調べるか。
違うんですよ。
「なんでだろう?」と思いました。
そこですぐに調べる。グーグルさん教えて。
これが出来れば素晴らしい人材です。
的確にほしい情報を掴むのが逆に難しい程です。
そんな「ネットの知識」という名の引き出しを自在に扱えるなら、
あえて言おう、ググレカスと。
何かを取捨選択する時、或いは2つのパーセンテージという天秤を上下させる時、
あなたは双方の目線に立ち、どちらも尊重し、その上で判断を下さねばなりません。
ゲームであれば、多くの(そして旬の)ゲームをプレイしなければ「鋭いユーザ目線」は培われないでしょうし、
多くのゲームを製作しなければ「鋭い開発者目線」は培われないでしょう。
経験が深ければより鋭く、経験が多ければより多角的に物事を捉え、判断する事が出来ます。
あなたがクリエイターを志すのなら、多くの目線を身に着けなさい。
ゲームであれば、体力ゲージのUI一つをとっても多くの目線は磨けます。
・そのゲージは見やすく、直感的に「現在の危なさ」が分かりますか?
どういう作品を作り、世に送り届けたいのか。
どんな部分に関わりたいのか。なぜそれを魅力的だと感じるのか。なぜ憧れるのか。
これから自分がどうなりたいのか、その「道」が明確な人は、どんな面接も突破します。
成長したいと思い、その手段を調べられる人が大成しないわけがないですからね。
「何を作りたいのか」「どうなりたいのか」が明確になる頃には、『道』も作れるようになります。
しかし、仮としてゴールを設定してしまっているうちは、『道』は明確化されません。
「とりあえずアニメ作りたいから、ゴールは監督だな」みたいな感じではダメです。
あなたが真に「やりたい」「なりたい」と思えなければ、『道』は見えてこないからです。
今できる事で、自分が目指すゴールは何かを探して下さい。
文脈からお察しの通り、私はゲーム業界でクリエイターをしている者ですが
しかし、クリエイターだからこそ彼のにじみ出る優しさが理解できますが、
業界経験の浅い人(就活生)たちには酷な書き方かもなあ、とも思いました。
そこで、まだまだ重鎮とはとても呼べない私ですが、このような形で日記を記した次第です。
この日記が一人でも多くの学生のケツに火を付ける事になれば幸いです。
あと、関係ないですがウメちゃんの公演がビビるぐらいタメになったので、是非観てください。
当たり前を当たり前に出来る人って、少ないんですよ。当たり前ですけど
水戸の小学校で「歩きスマホ助長につながる」という市民の声を受けて、二宮金次郎像を座らせたニュースの反応がどうも納得行かない。
時代背景違うのにアホか。
時代背景の違いを理解しないバカがモンスタークレーマーになっている。
毅然とした態度で断ればよい。
みたいな反応が大勢を占めているようだが、私は正当な改善提案だと思った。
二宮金次郎像って子供に、寸暇を惜しんで勉学に励んで大成した二宮金次郎という偉人がいるから、
小学生の皆さんも見習って勉学に励みなさい、真似しなさい。
子供なんて、ひとの話聞かないし、自分の都合のいいように話捻じ曲げるじゃん。
寸暇を惜しんで勉学に励めというメッセージ伝えるのに、必ずしも二宮金次郎像が立つ必要はない。
余計な誤解を招かないように、座らせるのはありじゃん
と思ってしまった。
製品開発すると、説明書読まずに適当に操作するユーザをどう対応するかって
って考えるより
そもそも問い合わせ起きないようにするにはどうするか?
って考えるでしょ?
そう考えたら、座らせるのもあり、むしろ座らせるべきってなるのかと思ったら、
一部共感できるわ。
特にやりたいこともなく、だらだら過ごして大学は安く上がるからってだけの理由で地元国立を選んだ。
学部学科も特に考えなしにはやってるから就職しやすそうだからってだけで工学部情報工学科を選択。(0年代初頭)
プログラミングとか特に好きでもないし、コミュ障なので常に社外で常駐してる状態なのもつらい。
趣味に割く時間さえあればストレスなんてどうとでもなると思ってた。
甘かった。すげー甘かった。
忙しくなると、なくなるのは時間だけじゃなくて気力もなんだって初めて知った。
いまからでももっともっと世界を広げればきっとなりたくてなれる職業だって見つかるよ。
開き直れるくらいなら、気力が尽きる前だろうし、まだまだ全然大丈夫だよ。
ある画商が絵が売れずに貧困にあえぐ青年画家から絵を買うように懇願されるのだが、
画商は「君のような凡才は生きている間に大成できないだろう」とを酷評して買おうとしない。
そうは言うものの、画商は青年の相談相手として、二人の間に緩い友情のような繋がりができる。
それでも画家は絵を買おうとしない。
まったく絵が売れない青年画家は、貧困のあまり絶望し、餓死するよりはマシだと自殺してしまう。
偶然その場に居合わせた画商は、青年の死を確認すると、すぐさま彼の絵をほとんど全て持ち去り、
それらの作品を「現代フランス新進気鋭の画家」のものとして高値で売りさばき、
それなりに頑張ってこうなればユーザーは幸せだっていっぱい考えるんだけど
途中で「なんで俺が苦しんでこんなことしなきゃならないんだ?」ってたまに覚めることが増えた
生活犠牲にしてまでやってると、じゃあ自分の幸せは誰が考えてくれるんだろうとか考えてしまう
そう考えると結局
私生活が充実してるような奴とか
超絶に頭のいいやつとか
実際に起業するようなやつって何だかんだ言って超高学歴みたいな人多いんだよね
失敗しても余裕そうな人が多い
意外と経営者は家族も持ってて、私生活は順風満帆に見える人が多い気がする
根暗で陰キャ
そいつらも普通に家庭を持って私生活充実してたりするからイラッとくる
俺みたいに半端者だと
疲れてくると次第に「土日は普通に休んだ方がまだ人生楽じゃね?」っていう考えがずっとついて回る
不幸せであることや、富や名声がほしいなどの理由は現代においてはモチベになりにくいんだ
そういえば投資家っていうのはそういうモチベの部分とかをちゃんと見るらしい
俺はきっと見透かされるだろうな
でもこのまま諦めるのもすげー癪なんだ
「見てろよこの野郎クソ野郎すげーもん作ってやるぞクソ」っていうマインドに近い
根性ではない
自分に自信がなさすぎて、プロダクトくらいでしか自己肯定できないんだ
ユーザーや周囲に「これ良いね」って言われて、ようやく自分が存在して良いんだって感じになるんだ
なんか、そういう根性みたいなマインドで成功したら、何故か美談になることが多いけど
鬱々しながらラノベで成功しようとするニートみたいな心理状に近い
いつまでこの状態を続けるんだろう
こういうのにリセットを掛けてくれるのは、子供だったりすると思うんだけど
はぁ、とにかくやるか
わかってる、一時の気の迷いだ
もう何年もやってきたんだ
考えるのを辞めて手を動かそう
一発当てて、その後でゆっくり考えよう
____
追記
ちょっと気づいたけど、やっぱ週末起業みたいなのがダメなんだと思う
会社でもサービスやユーザーやチームのこと考えて、週末もサービスやユーザーやチームのこと考えて、休まらない
前者はまだ給料が発生するけど、後者は成功するまで無給とかマイナスだからモチベ維持がとにかくキツイ
やるならいっそ起業しちゃったほうが良いんだろうな
ってところまで考えるんだけど、やっぱり器じゃないよなっていう結論にぶち当たる
ベンチャー界隈の経営者とそれなりに話したことあるけど(面談とか飯とか)
そういえばあるExit後2社目の社長が「とにかく成功するまで根気よく続けられることが大事」って言ってた
続けるってことは日常にしてしまうことで、プロジェクトに終わりが無いってことだ。考えるだけでしんどい
できる気がしない、バイタリティが違う
やめた、わからん
手を動かそう
鬱ではないんだよね。仕事終わりにお酒を飲むのも楽しいし休日にぜんぜん釣れない川に行って竿をたらしながら読書するのも楽しいし夏には海が綺麗だし冬はスノボも最高だし。
しかし最近なんだか無性に生きている意味なんか僕にはないんだろうなと考えることがある。社会的な成功っていうのとは程遠いしなにか大成したものがあるわけでもないし、結婚どころかいまは彼女もいないし・・・
仕事がなくなっても無職でマネタイズする能力というか知識はあるので一生飢えることはないだろうしご飯もおいしいんだけど僕がいま生きているのってなんのため?誰のため?なんて・・・中学生のころに抱えていた原理哲学のようなものを考えてしまう。
なんだろうな。生の欠落感というのかな。死にたいとかそういうわけじゃないんだけど生きている意味もまったくないんだよなあ。
子供ほしいな。彼女すらいないんだけど。子供に人生を託すなんてまったく無責任な親だと考えてきたけどたぶん今の僕のような人生の無意味さを抱えてしまった大人が子供に夢を託すんだろうな。だから僕は子供を授かってはいけないのかな・・・でも子供欲しいな。彼女すらいないんだけど
私は、昔からレベルの高い本物が好きで、ハードルの高い難問を長期の試行錯誤の末に解決したりする人とか、そういう人を尊敬するタイプで、そういう人から学ぼうとする欲求が強かったのだけど…
どうやら世の中は、この逆の人が多いことに気づいてきた。
レベルの高い本物を見るのは嫌いでレベルの低い方が親しみやすく好き、だとか…ハードルの高い難問を解決してるような人を見るのは、簡単な道を歩んでる自分と比べると劣等感を抱くから嫌い、とか…
そういう感情が回るんだということが分かってきた。自分には無い感情だったので衝撃だった。私は逆に、人生イージーモードの人を見て嫉妬することはあったので、そちらの方はわかるのだけど…その逆の感情が本当によくわからない。
まさか、イージーモードの人も、神様から過酷な試練を与えられる人を見て嫉妬するんだということが驚きだった。そんなに嫉妬するなら、谷底に自分で落ちればいいのに、落ちれないことに嫉妬するのだ。
上位2割には間違いなく入るくらいの美人。
年齢は26歳。
しっかり始業前に出勤して、応接のテービルとか拭いてくれるし、必要があれば残業も厭わない(ほとんど残業の必要はないが)。
外見だけ見ると、美人で、非常に賢くて、しっかりしている感じ。
あ、まったくできないというわけじゃない。
こういう女性は早くお見合いでもして家庭に入ってくれればと思う。
少子化で若い人が減った職場にポンコツがいるとまったく仕事が捗らない。
このまま教え続ければいつか使えるようになるのか?
その見極めが難しい。
こういう人って「教え方が悪い」と開き直るようなゲスな人なら分かるけど、
常に初見の外部評価>自己評価で悩んでる場合ってあるんじゃないかな。
単なる大器晩成型なのか。
晩成型なのであればいつ大成するのか。
このままずっと辛抱の時期が続くのか。
http://kutabirehateko.hateblo.jp/entry/2016/07/19/000927
要約
はてこ「スパーン!話は聞いたぜ!それは違う!」
みんな「全部は聞いてないだろ」
はてなはもともと理系ユーザーが多くて、理系知識の前提ができている人が多かった。
今も理系専門家としてリアルで職をもった上で余技でブログを書いている人が多い。
ただ、今は特にリアル職業上必要でもないのだけれど、門前の小僧として、
まとまった時間が取れないのに「次はあれをおしえて」と、理系でもかまわずに、言って回る。
そして、「なんで!わからない!」と揚げ足(にもなっていないけれど)をとって騒ぎ出す感じ。
ここでいう「まとまった時間」とは、たとえば、前期講義90分×15単位=座学一単位。
はてこさんは、学ぶ姿勢を見せることでブロガーとして大成したいのかもしれないけれど、
民衆向けの本一冊でえられる知識なんて、授業の1回分かその半分くらいにしかならない。
残りの14回分の知識を同時にバリバリかみ砕ける状況なら当然にわかるだろう。
のこり14回にしっかり出席してくれれば残りもおのずから理解できる(学生もいる、
文系にとっては意味なしナンセンスにみえる定義とか、法則の部分を
500回くらい読んで深く理解しなければ。
専門家にとっては今更「1+1=2ってなるのはどうして?説明してよ私の感覚では3なのよ」と
きかれたようなもので、準備もないし、当惑とか迷惑の対象になる。
それは15冊分の本にわけて書いたから読んでね。高い?知識の対価はいつでも高いよ(義務教育の教科書以外)。
はてこさんの決まり文句は「仲良くしてね」なんだけど、仲良くもなにも、
これ以上からんでいっても基礎知識がないことによる溝が深まるばっかりに見えるけどね。
最終的にうやむやで放置されたブロガーとの対話、今までいくつありましたか。
はてこさんは一定の理解水準に達せず、言葉尻をとらえて「そういう意味ならばいいのよわかりましたさようなら」と勝手にご自分の中でけりをつけていらっしゃる。
理系じゃないほかの専門職ブログについても、同じことをやらかしていらっしゃるのをみかけた。
別にテリトリーを侵すなとはいわないのだけれど(いや言ったほうがいいな)、
ちょっととっつきやすいけれど実は小難しいことを砕いて書いているブロガーさんは
「うちだけはみつからないようにしよう、
見てもあなたには説明してもわからないなどといわずに3か月くらい知らないふりしよう、
そもそも「だれでも楽しめる面白い専門書」なんてうかつなことは絶対にいわないようにしよう」
と思うだけです。まあうちには絶対来ないんだけど。
(はてこさんからみて最初から文章や心が汚いっぽい人のブログにはあのひとは来ないw)
それにしても、覚せい剤で罠にはめられたという飛鳥とおんなじで、
あのくらいの世代の人は内輪話にでもなんにでも自分からつっかかっていくのね。
仲間はずれで寂しいならまず同じ土俵でゲームなり勉強なりをやればいいのにね。うそです、やらないで。
理系にもゲームにも一生来ないでいいし、あなたたちにはもとより別世界のことだし、
デジタルネイティブでない世代は本当にデジタル世界とかを気にしないでほしい。
そのままのあなたでいて。気にせずにね!
追記
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1463546664
このへんがわかりやすい。
http://anond.hatelabo.jp/20160714025621
どっちかっていうと人と違うことをしている自分に酔ってるタイプ。
大学にもよくいると思うけど、よくわかってないけど何らかの活動する人たちの行動力がすごい高いverなんじゃ無いかな。
ああいうのは自分をランク上の人間だと思い周りを見下しているから普通の学生は近寄りたいと思わないだろう。
っていう人間性に対する反発が一つ。
知識や能力不足なら勉強で補えばいいにもかかわらず、論理性が不安定なままで一見議論できてる風にみえて実は詭弁、というのが目につく。
一つの物事に対して複眼的に考えるのがまともな大人だと思うけど、彼らはそういう発想がほぼほぼ無いよね。
まあ学生でしかも低学歴だから仕方ないかもしれないけどさ。(あんまり学歴云々はいいたくないけどさ。)
特に政治なんて、国っていう巨大戦艦の舵取りに関わるから、そんな意思決定を頭の悪い連中に任せておけないという反発は、
自分の考えをうまく説明できない人もなんとなく心に抱いていると思うよ。
ただ、演説なりトークなりは上手だと思うから、社会に迷惑をかけない範囲で宗教家なんかになると大成すると思う。
あと、知名度と一部の偏った老人層にすごい人気があるから、講演やイベントで十分に食べていけるんじゃ無いだろうか。
ふだん「純粋に絵を描く行為を楽しめる人間だけが漫画家として大成できる」だの意識高いツイートしてた絵師連中が動揺しまくってるのが笑えた
4年前青二才のブログ記事に一回軽く駄目だししたせいでいまだに青二才に恨まれて絡まれ続けるゆうきまさみさんかわいそうに・・・・・・青二才こういうところは4年前から全く成長しない。
https://twitter.com/tm2501/status/747727284010881025
そうでしょ。俺の文章って好き嫌い別れるのは「好きな人がとことん好きになるように」しか作ってないからだよね。
たまに「お前の文章大したことないな」とか言う人いるけど、それはお前に合わせてないだけ。みんなに合わせてたら自分の作りたいものなんかできないし
https://twitter.com/tm2501/status/747730038561316864
あー鶉まどかと同じ方向に行くんだ…完全な上位互換だけど / 他4コメント http://b.hatena.ne.jp/entry/toianna.hatenablog.com/entry/2016/06/28/173000 … “オンライン相談所『恋愛障害の保健室』を開設します - トイアンナのぐだぐだ”
https://twitter.com/tm2501/status/747730449175318528
鶉まどかなんか人気ブロガーですらないと思ってる雑魚だから比較するのもおこがましいと思いながらも「あの路線売れるよね」っていうルートを最も明確に示したのは彼女であり、北条かやさんなのよね…。
ただ、上の2人は社会性というか、戦略の運用が下手だったから大成できなかったのよね…
https://twitter.com/tm2501/status/747731167114334208
いや、またkanose周辺の人から「ミソジニーだ」とか言われそうな話だけど、僕は一貫して「ネットで最強なのは港区のOLが女性であることを全面的に売りにしていくスタイル。現実をネットに持ち込んで、ネットだけの強さをぶん殴っていくスタイルだよ」というスタンスですよ…はい
https://twitter.com/tm2501/status/747731844112736256
で、僕は同時に言ってるわけ。「ネットでも現実でも港区のOLか、港区のOLの尻を叩いて金儲けしてる人が勝つようになって何が面白いんですか?ネットでしか勝てない人の面白さをどんどん拾っていかないと、ネットは現実の焼き写しにしかなりませんよ」と。理解されてないけど
https://twitter.com/tm2501/status/747732432363851777
オッサンオタクが大好きなゆうきまさみ氏も「サラリーマンやりながら(基盤をしっかりさせながら)クリエイターしなさいよ」みたいなこと言ってるけど、あの言い分について
「サラリーマンできるやつは何をしても成功するんだよバーカ」としか思わないわけですよ。…履き違えてるやつ多すぎ
https://twitter.com/tm2501/status/747733257609973760
トイアンナさんは絶対にしくじらない最強の女性だから、今後はネットで彼女のような
「そつなくこなす港区のOLが、最初だけ偽造して、その後は人間わらしべ長者の段取りで出版社の人間や二村ヒトシまで乗り換えて登りつめて行くスタイル」
https://twitter.com/tm2501/status/747733983086125060
僕が僕のブログノウハウやブログを教えて盛りたてるようなことをしてるのは、「ネットはネットの成功モデルを作っていこうぜ」という僕なりの、時代と現実に対するアンチテーゼなんだけど…伝わんないんだよなぁ〜うん。
おたくも長く続けていくと色んなジャンルに友達が散らばり、色んなジャンルに対する浅い知識が増えていく。
なんとなく今どこのジャンルに活気があるのか、雰囲気でわかるようになる。それはツイッターがあるからだろうし、昔では考えられない量の情報を簡単に手にすることができるからだと思う
そんなわたしがひとつの仮説としてわりと真面目に考え、色んな友人に話していることがある
自分の年齢をはっきりと明記するのがそろそろ嫌な年なので、ぼかした表現にするが、わたしはゆとり世代であり、就職すればゲッという顔をされた平成生まれであり、ジャニーズで言えば八乙女世代、堀越で言っても八乙女三浦春馬世代、アミューズでいうところの三浦春馬戸谷公人水田航生あたりの世代のそろそろしっかりクソババア世代である
だから、エンターテイメントが死にかけているように感じるのは、わたしのアンテナが腐って倒れそうになっているからなのかもしれないし、わたしの知らない世界で新しいエンターテイメントが誕生しているのかもしれない
けれど、わたしの目の届くところにあるエンターテイメントはみんな死にかけている
具体的にどういったことが言いたいかということをわたしが若手俳優のキチガイヲタになった2010年あたりを軸に色んなジャンルのことを考えていきたい
テニミュファーストの最後のドリライがあった年だ。身内がDDでドリライに行っていたから知っている
その年のゴールデンウィークは、戸谷公人の誕生日イベントがあり、新宿御苑のサンモールではたしかDステが行われていたように思う
当時の身内に誘われて遊びに行くとサンモールにものすごい数のおたくがいた。
わたしはというとバースデーイベントのチケットを両部合わせて5枚余らせていたので、その場にいた子達を誘ってみたが、Dステの千秋楽だから無理だと断られた
2010年はそんな年だ。
アミューズでいえば宝石シリーズ及び黒白シリーズが始まった年でもある。
赤坂ボーイズキャバレーに夏を費やしたおたくが何人いたことか。
特撮で言えば、丁度2009年が平成ライダー10周年記念のデイケイドの放送年で、一区切りついたところで、今をときめく菅田将暉が初々しく日曜8時で戦っていた年だ。
とにかくお祭り騒ぎだった。どこの現場も非常に盛り上がり、頭のおかしいおたくがたくさんいた
他のジャンルにも目を向けて行こうと思う
例えばお笑いでは10年連続で開催していたM−1が一度幕を下ろしたのも2010年のことであった。ずっと優勝できずにいた笑い飯がようやくM−1王者に輝いた年である
アイドルではAKB48の第二回総選挙が行われた年である。このあたりがわたしは国民的アイドルという視点でAKBを評価したときの最高潮に盛り上がりを迎えていた瞬間だと思っている
2010年は、エンターテイメントを時の流れで区分したときに大きな区切りとなる年であると考えている
では今度は2010年以前の10年くらいのことを考えてみたいと思う。
わたしが小学校低学年の頃に一斉を風靡したSPEEDが電撃解散をして、その数年後に現れたのがモーニング娘。だった
しかし、ザ☆ピース以来、モーニング娘。は国民的アイドルというポジションを離れ、ハロープロジェクトというジャンルの中に入っていってしまった。
そしてそれ以来、AKBが大学の頃に国民的アイドルと呼ばれるようになるまで、特にアイドルらしいアイドルはわたしの視界には入らなかった
むしろモーニング娘。のあとは、いわゆる巨乳グラドルが台頭してきた時代のように感じるが、残念ながらあんまりわたしはグラドルに興味を持つ性別でも年頃でもなかったので、あまり記憶がない
(小池栄子は気付いたら女優としてもタレントとしても非常に大成していたのでまじですごい巨乳お姉さんだと思っている)
中学校の頃(2000年代前半)は芸人の黄金時代だったように感じる(わたしは芸人のおたくをしていたことがないので実際にいつが黄金時代と定義されるのかはわからないのだけれど)
イメージとして、このあたりから盛り上がって2010年がお笑いの盛り上がりのピークと捉えている
思えばわたしはエンターテイメントに恵まれた世代だったと思う。
小学校のときには体育大会でモーニング娘。のザ☆ピースが流れ、組立体操をした。
高学年のときには笑う犬の冒険を熱心に見て、それがいつのまにか水10になり、中学校の文化祭では先輩たちに目をつけられながらも、有志でゴリエのミッキーを踊った
やんちゃな子たちはごくせんに憧れ、みんなで文化祭のクラスの出し物でごくせんをやり、最後にはスマスマでキムタクたちが踊り流行っていた恋のマイアヒをエンディングで踊った。
週末をこえて学校に登校すれば、みんなエンタの神様の話をしていた。誰がおもしろい、誰のネタがどうだ、誰がかっこいい
ジャニーズも、いわゆる若手三組と呼ばれるNEWS、関ジャニ∞、KAT-TUNが立て続けにデビューした頃で、みんな通学鞄に好きなジャニーズのメンバーの名前をポスカで書いていた
力尽きたので、つづく。
教育への投資は国が国益のために勝手にやってることであって、入学者と何かの約束をしてるわけじゃない。
入学者の目的は様々で就職のためもあれば、学問を深めたいとか、4年間遊びたいだけとか、そこは自由。
大人が勝手に学生の将来性に期待して、勝手に金になると思って、勝手に金突っ込んでるだけ。
話は変わる。
以前はさ、「漫画なんか読んでるとバカになる」って大人が子供を叱る場面があちこちにあったわけ。
だけどそれでもいいから漫画が好きで読みたくて、または描きたくてずっとそこに時間を使っていた人たちが漫画やアニメにおいて高度な文化を形成した。
その代表が手塚治虫で、彼も医師免許を取ったが医者にならずに漫画家を目指した。
その後の彼の人生を知らない人からしたら当時では「もったいない」よな。
医者になりたくてもなれなかった人からすればその席譲れと言いたい気持ちもわかる。
だけど手塚治虫が医師免許取ってなければブラックジャックは描けなかった。
医師が一人減った日本と、ブラックジャックがない日本は比較のしようがないが、それもまた1つの正解だろう。
もちろん手塚治虫と似たような人生を選択したその他大勢がいて、その大半は大成しなかったことも含めて。
だからこそ色んな奴がいていい。
そうして日本の漫画文化、アニメ文化が世界でも評価を得てこれはすごいぞ、となったらどうなったか?
儲けのニオイを感じた大人たちが「クールジャパン」とか言って持ち上げ始めたわけ。
つまり自分たちが儲けたいから、その投資対象として今まで批判していた漫画やアニメに手のひら返して「すごいですね」って言い始めて金を突っ込み始めたわけ。
何が言いたいかっていうと、国立大学への「投資」もその程度のものだっていうこと。
もちろんそれ以外にも文化的な生活を国民に提供するとか、色んな意味はあるだろうが。
「投資されてるからそれを返す努力をせよ」というのは間違ってる。
そんな約束求められるなら最初から行かねぇよっていうだけの話。
テストに合格すれば誰でも入学できて、ちゃんと勉強して学費払って単位取れば誰でも卒業できますってのが、ただそれだけが大学の意味。
どう使うかは本人次第。
常に人手不足だが、最近では必ず人づてで人材を補充するようにしている。
食事という名目でその知人の人となりをチェックし、一緒に働きたいと思える人物であれば勧誘する。
いわゆる意識が高い系の人ともたくさん接してきた。
その中で、共通事項を述べるのであれば、彼らは物事に興味・関心がない。
好奇心旺盛に振る舞い、あれはすごい、これはすごい、どこそれが好き、と述べるが、結局その核は自己愛であることが透けて見えてシラけてしまう。
賞賛される立場に身を置けるかどうかのみが彼らの本当の関心なのだ。
自らの立場が最大の関心ごとなので、大した働きをしていなくても、すぐに待遇面の改善(というよりも優遇)を要求する傾向がある。
それが経営者である場合は、自らの利益へ吸い上げることしか頭に無い。
商売関係は金銭以外にも「貸し」「借り」があるのだが、彼らはそれを理解していない。
なので、よっぽど特殊なものを持っていない限りは、私は彼らに話を持ちかけることはないが、
顔が広い人が多いので、ほどほどの距離を保ちながら付き合いを維持する。
逆に本当に有能だったり、意識が高い人というのは、物事に興味・関心がものすごい。
教授なり研究者なりの肩書きはないが、彼らは人生の研究者というくらい様々なことに対する追及をやめない。
そこから生まれる経験は厚く、説得力もあるので、おそらく誰が会ってもこの人物は大成すると思うだろう。
自分自身の待遇はもちろん気にかけるが、それ以上に仕事を通じて得られることの方が関心ごとのようで、
待遇面でも多くを望まない傾向にある。
驚くべきことにこちらから持ちかけても断ることもある。
彼らは自発的に改善することはほとんどないが、こちらが想定される事態を先読みして指示をしていればスムーズに物事が運ぶ。
改善を求めることもあるが、その頻度は意識高い系のそれよりはよほど少なく、経営する側の心理的なコストもかなり低い。
以上のような比較から、雇う側からすれば、意識高い系というのは使いづらく敬遠されることになる。
上司の水谷さんが「知識より経験が大切だよ」とよく言っていた。
去年度入社してきた新入社員が、水谷さんのことをよく「木口さん」と言い間違えたんだ。半端ねえ間違え方。どこをどう頑張ったら木口さんになるのか。
キャンディーのことを「鯖です」って言うくらい違うじゃん。
とにかく、新入社員が間違え始めて3回目くらいまでは、まだ上司は怒ったりしなかった。
俺は上司の水木さんの人の良さに驚いた。俺なら1回目で泣いてる。
上司の水本さんは4回目くらいでしびれを切らしたんだ。彼は新入社員に対して「あのね、僕は経験経験と言ってきたけど、やっぱり知識を蓄えることも大切だよ。上司の名前も知識として頭に入れといてよ。いや、もう知識以前の問題だけど」と言った。
やっぱり知識も大切だよな。水口さんの言う通り。
彼も…彼ってさっきから何度も出てくる上司の木口さんね、「経験も知識も両方あって、はじめて大成する」と言うようになったよ。