はてなキーワード: 大成とは
自分は性欲が強いと思う。もうアラフォーだけど1日1回は必ず自分でするし、2、3回する日も結構ある。他の人もこれ位してたりするんだろうか?自分は、この性欲のせいで人生の時間をすごく無駄にしていると感じている。
自分はゲイだけど、土日はほぼハッテン場巡りだ。いい人とやれなかった日は、そのまま帰りの電車に飛び込んで死のうかとよく思う。別にやれたとしても気持ちがすっきりするわけでもなく、それもそれで死にたい気持ちになる。でも、結局毎週のように行ってしまう。友人からの誘いよりもセックスしたいという気持ちが優先してしまうから、次第に友人からの誘いも無くなった。もう自分にはセックスしか残っていないけど、老いてモテなくなったらその時が自殺をする時なんだと思う。
休日に旅行したり、読書したり、花見に行ったり、そんな人生を送りたかったけど、性欲のせいで全て狂った。もっと仕事も頑張りたかったけど、性欲には勝てなかった。
世の中で大成できる人は、性欲があまりない人なんだと思う。性豪の社長とか政治家とかいるけど、四六時中セックスのこと考えていない時点でそれは性豪なんかじゃないと思う。普通の性欲で暮らせたらどんなに楽だっただろう。今は週末が来るのがただただ苦しい。
不倫のことで騒がれてる人が多いけど、そもそも性欲の量が人によって大きく違いすぎて、理解しあえないんじゃないかという気がする。性欲があまりない人は、性欲がありすぎる人の苦しさは一生理解出来ないんじゃないだろうか。(まあ、性欲が強すぎる人はそもそも結婚するなよという気がするけど。)
保育園が足りない理由。住宅地に保育園を建てようとすると、少なからず住民の反対があるという。
保育園の不足は憂慮しているが、お隣にできるのは「まっぴらごめんだ」という甚だ自分本位がいるということ。
行政が保育園を建てようにも建てられない。「地域住民死ね」だね。
_
もうひとつ保育所が足りない理由は、行政が保育所を建てないから運営しないから。
建てるにはお金がかかるが、子供のために使う予算は考えていない。
国会の前でデモすればテレビで取り上げられるかもしれない、でもそれが目的ではない。
そもそも国会にいる人たち、行政の長たちを選んだのは国民だね我々だね。「有権者死ね」だね。
_
保育士の人たちには頭が下がる。安い給料、長い拘束時間、大きすぎる責任。
大きすぎる責任に耐えられず離職する。その責任を押し付けてくるのが「親」。
保育園受かるまでは悲劇の主人公だが、保育園受かったら暴君に一変する。
子供が心配なのだろう、なんせちょっとした病気で死んでしまう。かといって他人に責任を
いい生活をさせていい教育を受けさせてあげたいのは、どの親も共通した願い、
だから子供に幸せになってもらうために稼ぎに出る。子供が心配だったら会社休んで
保護者も意識を改める必要があるね。「モンスターペアレント死ね」だね。
_
「日本の文化を守りたい」とは何の文化なのだろう。伝統工芸や芸能のことかな。
伝統工芸や芸能の後継者を確保しなければ芸は廃る。なぜ後継者がいないのか、その職業に
魅力が無いから、それで食べていけないから。結婚して子供を育てて家を建てるとなると、
子供を保育園に預けて働かなければならない。しかし伝統文化を仕事としていると、共働きでも無理。
我々は伝統工芸や芸能にお金を出しているだろうか。義務教育を卒業して師匠に弟子入りし、
数年、あるいは十数年、修行と称して学びながら無給、あるいは低賃金で働く、
それは巷で言われるブラックではないか。それで大成すればいいのだが、そんな保証はない。
職人にはなりたくない、伝統文化には興味がないからお金は払わない、こういった考えを
ネットでは意識高い系が叩かれている。確かに、彼らにも叩かれる理由はあるかもしれない。だけど、個人的には、誰かの脚ばっかり引っ張っている奴の方が、意識高い系よりも100倍終わってると思うんだ。
いや、わかった。「ネット上で発言したら、批判されることもある。それが嫌なら書くな」これは正論ですよね。100%同意する。
でもさ、お前は数あるテーマの中から、何回も、何回も、何回も「誰かを批判する」ためだけの文章を書いているわけじゃないですか。他に何でもテーマがあるのにね。
いや、もちろん、キミの自由だよ。何を書くのかなんてさ。ブログなんて暇つぶしだから。
けどね、何でも書けるブログって場で、誰かを批判する文章を書き続けるのってどうなのかな?ヘイターだよね。で、それは「意識高い系」よりもダサいと思うんですよ。だって、お前のやってること、人の脚を引っ張ってるだけじゃん、みたいな。
意識高い系は、行動が伴いはじめれば、成功する可能性もあるけど、脚を引っ張っているだけの奴が大成する可能性ってゼロじゃないですか。
ゼロ、ですよ。
実際、Denaに事業を売却したMeryの社長とか、学生時代は横文字使いまくりの超意識高い系でしたからね。あとは、キャリアパークの社長とかも。少なくとも、大言壮語にしては、行動が伴ってなかった。
でも、彼らは成功してるわけじゃないですか。意識だけ高くて、言葉だけでも、後から行動がついてくる場合だってあるんですよ。
けどさ、ネットで誰かの脚を引っ張っている人。これは糞ほどの生産性もない。同じように脚を引っ張るのが好きな人が「そうだ、そうだ」って同意してくれるだけ。何も、本当に何も生み出さない。
ネットの皮肉屋は、いつまでたってもただの皮肉屋ですよ。一生、はてブで批判エントリだけ書いとけって話ですわ。
いや、わかるよ。ネットのブログなんて何を書いたっていいじゃないかと。そのとおりなんだよ。だけど、「何を書いてもいい」って中で、誰かの脚を引っ張って粘着するだけのエントリーを書き続けるのって、個人の態度としてどうなのかな。
ダサくない?
意識高い系だってダサいよ。行動が伴ってなくて、人脈作りばかりに勤しんでいる人がいたら「あらら」って思うよね。
でも、それ以上に、誰かの脚を引っ張るエントリーを上げ続けている人の方がダサいし、糞だと思うんです。
じゃあ、批判されがちなイケダハヤトとか八木が素晴らしいのか、っていうと、まぁ、そうではないよ。つーか、ドブ野郎だと思ってるよ。だって、「稼ぐ方法で稼ぐ」とか、与沢翼と変わらないじゃん。金額の安い与沢翼
ただ、それ以上にネットで誰かの脚を引っ張っている人はダサいよね。
お前のやりたいことって、余暇の時間をつかって、一生懸命推敲して、誰かを馬鹿にするコンテンツ書くことなんだ。すげぇな。一生やってろよ。
http://anond.hatelabo.jp/20160201215412
普通に考えてみろ。
乳揺れで抜けるか。着替えで抜けるか。
抜けない。
抜けないのだ。
抜けないなら何のために入れているのだ。
作り手が入れたいから入れているのだ。
のうりんのポスター問題でも「オタクはあれで抜いているに違いない」と主張する人がいたな。
違う。
あれで抜けないことはオタクなら誰でも分かるはずだ(※箸が転んでも射精する思春期男子を除く)。
そういった絵で抜けないことには元増田も気付いているのに、
「エロは視聴者を釣るための商業主義的産物だ」という固定観念が抜けないから、
オタクはある時期になると「女の裸など見たくない!汚いオッサンを見たい!」という状態に陥る。
たいていのクリエーターはその時期をとっくに通りすぎているので、おっぱいやぱんつを描くことを厭わない。
(たまにエロ嫌悪のままクリエーターとして大成した人もいてそれはそれで屈折していて良いものだ)
エロい絵がたくさん上がっているだろう。
直接的にエロくなくても何かエロっぽい絵がたくさんあるだろう。
そいつらは「読者を釣るために嫌々」でそういう絵を上げているのか。
違うだろ。
ノリノリじゃねえか。
エロい絵を描くのが楽しくて仕方ないんだよ。
によってブログが炎上したので増田に帰ってきました、ただいま。
よくわからないのがブコメでこれでもかと全存在価値を賭けるように強烈な言葉でけなしてくるヒステリックな人ってなんなんだろう。
ただ知らなかっただけなんだから普通に教えてくれればいいのに。
最近のネットは全知全能の神を求めすぎって増田があったけどホントその通りだと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20150521175403
議論を勝ち負けで判断しだしたら不特定多数の知識が結集したブックマーカーや読者に勝てるわけがないのに。
さらに間違いを指摘されるのはありがたいんだけどなぜか20行にも満たない文章で全人格を否定するような書き込みをする人もいるんだよね。
昔、女の子と飲みにいって楽しく飲んで飲みすぎて路上で吐いたら翌日からまったく連絡をとれなくなった時と似ている。人のある側面を見て簡単に失望し全人格を否定して遮断する人が一定数いる。
ましてやネットでは顔や所作も声の震えも佇まいもわからないのにある特定の分野のある知識を知らないだけで僕という人間を否定してくる。
一例を出すと僕の兄貴は人を顔で判断する。顔が悪い人間は大成しないというとんでも論を言ったのを聞いたことがある。ネットでこんなことを書いたらたちまち外道だと言われるだろうが僕は兄の良い面もたくさん知っているのでそんなことでは失望したりしない。
人をたたく人間は寛容さなんて錆付いた言葉ではなく人を認識する時に余白を持たせそこにポジティブな面を創造することができない人間なんだろう。
女は男みたいに仕事していればある程度満たされる人生ではなく、選択肢も多く複雑だからどの道でも大成しないんじゃない?別に悪い意味じゃなく、そういう特性があるんだから
これは現代の日本社会で観測される事実かもしれないが、「そういう特性が性差として本来的にあるから観測される」のか、「そういう社会 (女性が仕事だけしていても認めてもらえない、etc.) だからそういう特性が獲得された」のか、つまり鶏が先か卵が先かというのは、現状を雑に観察しているだけじゃ決してわからないんだな。
かと言って隔離された国を作って育てるところからやり方を変えて実験する、ということもできないので、普通はいろいろな集団のデータを集めて、集団ごとのパラメータの差異がどのくらい結果(女性の経営者比率だとか人生の満足度だとか)に影響を与えているかを分析する。厳密にパラメータの制御が出来ないぶん、精度が落ちるので相反する結果が出ることもよくあるけど。でもそういう手法で既にいろいろな知見が積み重ねられてるわけ。
増田なんだから浅い知識と印象論で雑談したっていいんだけど、ガチで議論したかったらそういうところをちゃんと掘ってみるのがいいと思うよ。したくないんならしなくてもいいんだけど、その分、自分の意見は軽くなるってことね。
これ見て思った
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4984841.html
例えば、野球がうまくなるために計算しつくされた最短距離の努力を最大限積み重ねたとする
これは正しい努力だよね?
しかし、その努力をしたやつが、どうやったって地元の公立高校野球部ですらレギュラーとれない才能だとしたらそれは無駄か?
これなら無駄じゃないという人もそれなりにいそうだし、結果にならないなら無駄だよね、という人もいそう
じゃあ、そいつがノーベル賞とれる天才科学者の資質があったらそれはどうなるんだ?
野球を頑張りすぎて、科学者として道で大成しなかったら、それは無駄な努力だった、と言える?
それとも、そいつが野球を選択して頑張った以上、野球への努力は無駄じゃない正しい努力?
で、結局、間違った努力って何?
大阪は言わずと知れた関西最大の都市であり、奈良や京都と並んで歴史のある土地だが、
「大阪出身の偉人といえば?」と言われると意外に思い浮かばない。
しかし「大阪を代表する偉人は福沢諭吉です」というのもなぁ、という感じがする。
江戸時代、元禄文化からは井原西鶴や竹本義太夫などが思い浮かぶが、どうもパンチが足りない。
有名人の宝庫である戦国時代でも、有名なエピソードといえば大阪冬の陣・夏の陣くらいのもので、
もちろん豊臣秀吉も真田幸村も大阪の生まれではないし、秀頼では駄目だ。
戦国時代では他に、顕如、荒木村重、高山右近など…いずれも知名度が致命的に欠けている。
千利休!
これは良い線なのではないだろうか。
茶道の大成者であり、豊臣秀吉を通して戦国史にも多大な影響を与えた。
楠木正成!
ビッグネームだ。
戦前の大楠公ageの反動で最近は影が薄い気もするが、それでも知名度は高かろう。
日本史的には超有名人だが一般的な知名度はどうか。それとやはり出生地不明。
というか河内源氏は河内を捨てて鎌倉なんぞに行きやがったからな。
ということになるのではないか。
いや、むしろ段階的に進歩することのほうが多いんじゃないかな。
先人のパクリが絵の基本。
書道とかだって、手本があってそれを真似て書くのが最初じゃん。
それをさんざんやって、延々とそのスタイルかそれをちょっとだけ踏み越えたものを作れるようになるのが普通。
スケッチする以上に、先人の絵を模写してたはずだよ。
歴史画とか宗教画が最上とされていたんだから、そこに居合わせたわけじゃないのに描けるわけがない。
デッサンだけでなくて、絵の具の調合法から、紙の秘密から、ぜんぶ門外不出だったからな。
誰でも絵を学べるわけじゃないし、短い一生では先人の殻を破るのが限界で、せいぜい踏み越えられるのは先人の積み上げプラス一歩か二歩。
先人の限界を破り、自分が確立した新たな画風をさらに自分が破りを繰り返した画家はあんまりいない。
多くの画家の若い時の作品は、コレクターズアイテム的な価値はあっても、アートとしての価値はないゴミみたいな絵がほとんどなわけで。
それだって、その絵を描いた人が革新的だったわけじゃなくて、その工房のプロデューサーやディレクター、あるいは下請けのなにかの工程を担う職人のアイディアかもしれない。(というか、そういう場合のほうが多いと思う)
あらゆる流派の画法を独学でマスターして(異国の文書を読みあさり、死体のスケッチやら整体師への弟子入りまでして)、普通は門外不出であるためのスケッチ集(北斎漫画)やら画法の解説やら西洋画の画材の作り方まで出版して世間に発信した北斎はレアキャラ中のレアキャラだが、天才じゃない。
デビューも遅いし、初期の作品は平凡で、天才型じゃなくて努力型。
凡人が道無き道をひたすら突き進んでいるうちに、世界を変えることが出来た稀有な例。
デビューから死ぬまで最初から最後までトップシーンを走り続け変革し続けた。
6年前に理系大学院を卒業した。研究分野は癌だけど、実験手技は細胞つかったがちがちのバイオ。
僕は天才でもなければ秀才でもないので、研究者になる道は鼻からあきらめていた。大学に残ることはもちろん、企業で研究職として働くのも嫌だった。
バイオは就活で不利とかいうけれど、確かに他の分野に比べれば不利なんだけれども、自分の実験内容をわかりやすく伝える力と、元気さ・さわやかささえあれば内定はもらえると思う。
事実、俺は大手製薬メーカーの研究職や開発職として内定もらったけれども、でもやっぱりそこで働くのは嫌だった。
というのも、研究なんて1人の天才さえいれば、後はその指示に従うコマにすぎなくて、1人の天才になるのは無理だと思ってたからだ。
ということで、結局文系就職したわけなんだけれども、当時、文系就職はそれほどメジャーではなく、僕の学部からは2人しかいなかった。
文系就職で幅広い知識を身につければ、天才じゃなくても生きていけると思ったからだ。
今思えば、浅はかな考えだったと思う。それともこう考えるはないものねだりなのかもしれない。
会社から求められるものは専門性ではなく、人を束ねる力だったり、無理を通すことだったり、人を説得する力だったり、いわゆる人間力、というものだった。
いくら専門的な知識を身につけたところで、出世するのは営業畑で実績を残した人。
会社に3年で見切りをつけて、また大学に戻った。医学部に再受験した。
ラッキーなことに1年間の勉強で医学部に入れたし、キャリアとしても社会人から学生に切れ目なく移行することができた。
というのも、医師は医師免許という最強のカードがあるため、医師と研究者というのを両立できる。
これは他の資格ではまず無理で、研究者は研究者でしかなく、ほかの何かと両立することは非常に困難だ。
久しぶりに開くPubmed
しかし、現実は冷酷で、ある時期を境に論文が出てこなくなった。
GOOGLEで検索したら、新設薬学部の助教として働いていることがわかった。
僕は研究は大好きだった。
誰から言われるでもなく、毎日泊まり込みの勢いで実験をして、ポジティブデータがでたら深夜誰もいない研究室で叫んだり、何か月も仕込んだ実験結果が無駄になって目の前が真っ暗になったり、それでもやっぱり研究が好きだった。
順調にいけば、あとすこしで医師になれる。でも、医師となっても、研究はもうしないだろう。
何がいいたいかというと、研究をしたいんだったら、医学部に入って医師になるべきだと思う。
興味がある研究分野じゃないとか、そういうことじゃない。
独自の仮説をたてて、それを試行錯誤で検証し、考察するのが研究で、分野はぶっちゃけなんでもいいと思うし、それに医学はまだまだエキサイティングな分野だ。
古代では煮込み料理や生食も行われていたが、12世紀頃から強火力を用いた料理法が一般的となった。国土が広大なこともあって地方ごとの食文化に特徴があるが、油を多用し、強火力で炒めたり揚げたりすることが共通点とされる。華僑の移民に伴い世界中に広まったことで、現地に合わせたバリエーションが豊富である。
多種多様なスパイスを用いるのが特徴。米やナンなどのパンを主食とし、乳製品もよく用いる。インドには「カレー」という言葉はなく、香辛料を使ったインド料理をカレーと呼ぶのは便宜的なものにすぎない。また、左手を使わず右手だけで食事をすることでも有名。
東西交易の中心だったことから、中央アジアの羊肉、地中海の魚介とオリーブオイル、アラビアの小麦、南アジアの米など、各地の食文化を融合したような料理になっている。ヨーグルトを多用するのも特徴。イスラム圏なので豚肉は使われず、もっぱら鶏肉や羊肉が用いられる。
古代ローマ帝国の料理を原型とする。主にパスタやピザが有名。イタリア半島は南北に細長いため、異なる文化や気候に基づいたさまざまな地方料理が存在する。北イタリアではバターやチーズ、ハム、サラミなどを使った濃厚な料理、南イタリアではオリーブ、トマト、魚介などの素材を活かした料理が特徴。
16世紀にカトリーヌ・ド・メディシスによりイタリアの料理と作法がフランスに持ち込まれた。19世紀にアントナン・カレームがフランス料理の基礎を作り上げ、その後にオーギュスト・エスコフィエによって大成された。濃厚なソース、洗練された盛り付け、料理を一品ごとに供することなどが特徴。
ジャガイモを主食としており、フィッシュ・アンド・チップスが有名。その他の代表的な料理としては、ローストビーフやミートパイ、さまざまな種類のプディングなどがある。食材を執拗なまでに加熱すること、テーブルに調味料を並べて客に味付けを任せることなどが特徴。また、植民地であったインドのカレーを世界に広めたのはイギリスである。
イギリス料理をベースに、イタリア料理のピザやパスタをアメリカ風にしたものや、ハンバーガーやフライドチキンなどのファストフード文化、バーベキューやトルティーヤなどのアメリカ先住民の食文化が混じりあっている。ケチャップやチーズを多用するのが特徴。
地方によって差はあるものの、キャッサバやトウモロコシを主食とし、牛肉や豚肉、魚介、様々な豆類を用いる。かつての奴隷が、主人が食べたあとの豚の耳や足を、豆と一緒に塩辛く煮込んだというフェジョアーダが国民食。
「若い頃一つの道に熱中したのにもかかわらず大成できなかった~~の専門家を親にもち、
見た目ロリ・ショタのくせに冷静でめちゃくちゃ問題解決能力あるけどたまに心が不安定になる旅の仲間」
みたいな子は
親になるはずの人間が、
よっぽど絵を書くことはツライんだろうね。
(実際、部誌の表紙とか書いてくれてた)なら
自分は今後の人生で絵は一筆たりともかかなくていいとおもうくらいだったのに、
才能ない自分がしかたなく別の生き方を学んでる間にこの世にいなくなったわ。
絵を書く人間はケチだから子孫という作品さえ残さないんだなって涙も出なかった。
スポーツ選手とか芸能人ならどんどん次世代も活躍して本人も生きてるのにな。
絵にのっとられた脳には何言っても無駄なんだろうから無理すんなしかいえないけど、
世間に流されて生きててくれたら絵はかかなくても結婚だとか出産しなくても
ずっとずっと仲良くしたかったよ。
「指導や健全な発達のために叱られることはすばらしい!」という名目で、自分のおもいどおりにならない子供をどなってるだけじゃん。きちんと感情コントロールできるようになって、理想の状態がどうあるべきで現状がどうだからダメなのか伝えられるスキル身につけてから子供を指導しろよ。
あと、「大きい夢をもて!」と連呼して盲目的な努力を美談にするのもそこらの界隈にありがちだよな。それで大成するのは才能ある子供だけ。理想と現実の乖離のせいで人格をこじらせ、ぼんやり人生送る子供を増やしてるだけだよね。「大きい夢をもて!」とセットで必要なのは、そのために達成すべき過程がどれだけあるか。中目標や小目標が達成できれば、自尊心にもつながるし、ダメなら改めて大目標について考える指針になる。
たとえば小学生なら「全国大会まで進めるように頑張る」「そこまでは難しいなぁ、でもこのチームで地区大会3位以内に入れるように頑張ってみよう」「そこまでやると中学ではどこかのシニアやクラブチームに入れるかもな」「それも難しいなら、思いきってこのスポーツやめるのもありかもな」くらい一緒に考えるべきだと思うんだけどな。ただぼけーっと大きい夢とやらを夢想してる子供を見てあーすばらしいなぁと感動してるのって、おまえの自己満足のために子供の人生けずってるようなもんだからな。現実見ろよガキ。ガキに育てられるガキってほんとに可哀想。
知り合いの子育てを見ながらこういうことを考えていて、その考えをもとに子供を育てた結果、アメリカの高校に留学を決めるわ、スマホのアプリ制作して自分でこづかい稼ぐわ、優秀になりつつあるので嬉しい。この間、知り合いにどういう子育てをしたのか聞かれてオブラートにこの話をしたら「今からそうするようにしたいが、スポーツ指導者だけでなく公立学校の教師もだいたいそんなもん。子供の価値観が汚染されちゃうんだよ」と寂しそうな顔をしながら言われた。私立しか知らないので公立教師が本当にそうか、俺は知らん。ただ、そこら中にガキが溢れてるらしいので「ガキに自分の子供を任せないように気をつけろ」と、いずれしっかり教えたいと思う。
以下コメント返し
①自分をすごいと思ってるとか、アメリカ高校留学が優秀なんて薄っぺらいとか言われてるようだが、それを言ってる人たちは、冒頭に書いている人たちの精神年齢が低くてもっとマシな教育をしろという点には同意してくれるのかな?同意してくれるならそれでいいよ?俺よりもはるかに優秀な人たちだから、俺がバカに見えるんだろうね。ブクマページ覗いたらほんと優秀で笑みがこぼれたもん。
②優秀になってくれたら嬉しいってのは、作品がよくできたじゃなくてきちんと幸福や目標がなにか自覚しながら、それをつかんでいける人間になってくれそうなのが嬉しいってことね。そういう意味で、子供に何も選ばせてないという意見は間違い。子供は子供なりに勝手に考えてるだろという意見も含めて、子供と一緒になって考えず、純粋で自然のままでいさせるのが善だと信じるのは虐待と言っても過言ではないよ。忙しいのはわかるけど、飯を食わせておいて好きなことやらせておけば勝手に育つ、みたいな考え方は絶対にすべきじゃない。
③そのときの決めつけ良くないって言うけど、そうやって夢をむりやり追わせて成功する人よりも失敗する人のほうが多いよね、しかも決めつけではなく中くらい小くらいの目標を達成できるかという指標を持ってるわけだよね、いないと勝てないという言葉はそのチームで頑張るかどうかの指標の一つにはなるけど、長いスパンで考えて必要かどうかということを思考停止していい理由にはならないよね。
決めつけでうまくいったいい例としては、大学でも球拾いだった上原や長友が挙げられるけど、あれってごく例外だから感動する訳だよね?それを親が感動の側だけ持ち出して強調するのはクズすぎるでしょ。むしろ例外だということをきちんと強調して現実を理解させた上で選ばせるのが大事というだけ。一緒になって感動したい!という考えこそ子供をモノとしてしか扱ってないよね。子供の育て方は自由だ!って言うけど、それラクしたいだけじゃん。一緒に何も考えないで育てるからきちんと考え方を身につけた子供が育ちにくいんじゃないの?ミクロで見れば子供のためだし、マクロで見れば社会的投資を受けてる義務のためということを考えずに、ぼけーっと育てられる感覚がまったく理解できない。
④子供と話し合って、思考のやり方を教えながら考えさせるのが「子供が主役じゃなくなる」「子供の自由を奪っている」「親の目標を押しつけるアイムホームのキムタクみたい」という意味不明な理屈はなんなの?不安定化した社会では、なにもしない方が立派な虐待だという認識を持つべき。ほんと子供が可哀想。
坂口安吾とか退廃的で一般からは程遠く、教師時代のエピソード読んでも教育者には向いてないのがまるわかりな人の発言をドヤ顔で言われても困る。太宰の自意識をDisったという文脈を理解してるのかな。具体的に言語化してるだけ、まだマシだけどね。