はてなキーワード: 増刷とは
幻冬舎と揉めて話題になった津原泰水の『ヒッキーヒッキーシェイク』。
帯に編集者の塩澤快浩が「これが売れなかった編集者辞めます」と入れると宣言して箕輪に嘲笑されてたけど、これは絶対売れるな。
塩澤の今までの実績を知っている書店員なら、絶対やめてほしくないから店に入荷して一番いい位置に置かれるだろう。
実は本が売れるかどうかは、書店の一番いい位置において「話題になってる感」をいかに出すかどうかだ。
ほとんどの本は新刊コーナーに一冊置かれて数日売れないと返品される(置かれずに返品されるのすらある)。
塩澤を知っている書店員なら、絶対に一冊は入荷して売れるまで返品しないだろう。これは勝利確定だ。
おそらくはベストセラーにはならなくても、増刷一回はして「売れた感」は出せるはず。
しかし、問題はその後だ。今の出版業界は売れる方法が見つかったらみんな真似しだす。
POPもそうだし、表紙を隠すのもそうだし、無料公開もそうだし、みんなやりだす。
塩澤の方法が売れると判断されたら、これをみんなやりだすだろう(笑)。
読書という荒野 (NewsPicks Book) 単行本 – 2018/6/6 見城 徹(著)
https://www.amazon.co.jp/dp/B07D9D1QVM/
今をときめく幻冬舎の編集者、箕輪厚介氏による自社の社長アゲの一冊である。
元々、箕輪氏は双葉社で勤務していたが、その頃に見城氏にアプローチをかけ、『たった一人の熱狂』という書籍を編集した。
その際に見城氏に見初められて幻冬舎に転職し、その後、数々のヒット作をつくる。
つまり、元々この見城徹という男は箕輪氏にとって恩人のような存在であり、本書はいわばその「黄金タッグ」とでも言うべき二人による共同制作本なのだが、悲しいかな、文章は読みにくく、何とも昭和臭の漂う精神論やモーレツ主義が垣間見られる何とも言えない言葉が羅列され、かつ見城氏の既刊とも内容の被りが多く新味に乏しい。
つまり、純粋な編集能力や書籍の質という観点から言えば、高く評価することが難しい一冊であり、手に取った多くの方が後悔することになるであろうと予想される。
それでは、なぜこれだけ話題になり、勢いよくベストセラーへの道を突き進もうとしているのか。
そして、どうして箕輪氏の手がけた本は次々と売れていくのか。
そこには、彼がホリエモンから学んだ一種の戦略(スキーム)が存在する。
箕輪氏は「箕輪編集室」(通称”みのへん”)という名前で、自身のコミュニティを持っている。
そのコミュニティでは、箕輪氏を慕う約1000名の会員が月額でそれなりの会費を集い、イベント等に参加し、そして箕輪氏が手掛けた書籍をいちはやく贈られている。
メンバーたちは、書籍が発売される前に予め本をもらい、読み込み(あるいは読まないでいる方もいるかもしれない)、そしてAmazonに一気に星5個のレビューを書きまくる。TwitterなどのSNSでも盛大に感想を発信し、あたかも「大波が来ている」かのような演出に貢献する。
他のレビューで、この本を「News Picksメンバーにだけ向けた内輪本」と表現されていた方がいるが、非常に的確な指摘である。そもそもとして、この書籍は第一義的には自前のコミュニティメンバーに読ませることを意識してつくられているのだから。
さらに、箕輪氏の周辺にいるファンなども早い段階でAmazonの予約を入れ、人気ランキングを一気に押し上げる。
かくして、箕輪氏の担当した本は世に出た瞬間に、恰も「超話題作」であるかのような堂々たる風評を追い風に、勢い良く売れていく。
書店も利益を最大化したいもの。初速が良く「売れている」本は目立つように置き、堂々と展開する。
そして幻冬舎お得意、特大新聞広告などの宣伝と一気呵成の大増刷である。数万部を世に送り出して、「大ヒット!!」という流れをつくっていってしまう。このあたりの既成事実の作り方というか、本の勢いの出し方と売り伸ばす力は幻冬舎という版元が誇る最強の武器であり、出版不況の中で確実に結果を出しているのだから凄いとは思う。
かくして、クオリティとは無関係に、書籍のイメージと評判は肥大化し続ける。
そして、「どうやらこの本、人気らしいぞ」という噂に釣られた方々までもが買い求め、そして多くは失望していくわけである。
こうした「売り方」最優先のテクニックに走った商売をいつまで続けていくのだろうか。
根本的な編集能力を磨かず、ひたすらに勢いと話題性だけに頼った本づくりは、どこまで寿命が保つのだろうか。
これから箕輪氏のつくった本を手に取りたいという方は、冷静に立ち読みなどを通して内容と、そのクオリティを冷静に見極めた上で購入されることを勧めたい。さもなくば、期待した分だけ失望も大きいかもしれないから。
同人漫画本を買った。初めて買った。ツイッターを匿名で始めたら実名よりもこっちのほうがおもしろくて、そしていつの間にか同人作家さんたちを多数フォローしている自分がいて、己の(自分も知らなかった)性癖があらわになったようで、興味深い。匿名で人の目を気にせず動けるということは、他者に害を及ぼさない限りなかなかおもしろいものである。
さて、ツイッターで目にしているうちに興味を持った同人作家さんの作品だが、見本画像がとてもキャッチーなのである。面白い。勢いがある。キャラクターへの愛が感じられる。同人誌を扱う店舗にも足を運んでみたが、人気作家さんらしく在庫がない。増刷(追納)を待って急ぎ注文、ワクワクしながら待った。
ようやく妻の目を気にしながら受け取り、こそこそ読んだ。うむなかなか面白い。楽しいのだが、内容は深くはないかな。深さを求めているわけではないのだ。ないのだが、画は上手なのだがそのことに満足してしまっているのかな。もっと深い何かを追い求めたらすごいことになるのになと思った。
文句をいいたいわけではないのだ。ここまでキャラクターを魅力的に書ける作家さんに、そのストーリー性、テーマの深みを求めるのは酷だと分かっているのだが、それでもやはり浅いのだ。もっと読みたいとは思わないなあという自分がいた。
編集者が存在するか否かの差がこういうところに出て来るのだろう。プロの商業作家とあくまでもアマチュアの同人作家の差がこういうところに出て来る。こういうことを学べたのだからツイッターと同人作家さんにありがとうと言いたい。
ちゃうよ。
たとえば農業なら技術が進歩→品種改良→同じ田畑から大量に美味しい米がとれる→美味しい米は今までの米より高く売れる。そこで開発費もらってより美味しく大量にとれる米つくる。LEDもなんだかんだ長寿命で置き換えは期待できなくても新規用途開拓でこのまま進む。
アイフォンもプリンターも世代があたらしい商品のほうが当然高い。
日銀砲でググれ。
デフレで一番悪役なのは、従業員の給料を上げない企業と、そんな企業に反抗しない社畜。
いっせいにヘコヘコしないで起業してればよかったのに。
ついでにライバルとなるべき起業家がたいてい嫌儲な若者である点なんかも企業にはつごうがいいね。
社畜になりたがる同じ人間なら、中国人・インド人のほうが安くて単純労働には向いてるから、そっちを買っちゃう企業。
そういうこと。
いまさ、炎上してるラノベあるじゃん。文章がひどすぎるとかキンキンとか言われてるやつ。
Web版の一話見たらほんとに上手くなくて、言いたいことは分かるけどネタがゲーム的で凡庸でやりつくされてて、なんでデビューできたんだって皆が言うの理解できた。
で、それ見て、自分の過去思い出して胸くそ悪くなってきたから吐き出したくなった。
ろくでもないただの自分語り。誰も得しないはなし。
10年以上前、中一からいじめられて登校拒否でずっと引きこもってた。家族も先生も自分を学校に行かないクズとして扱ってた。
家にいたくなくてネカフェ通いしてたら親がパソコン買ってくれた。家にいないと迷惑だから。
それからゲームとパソコンばっかやって、定期的に来る先生たちに罵倒されてもまだやって、たまに学校の休憩室に何もせず通うだけの生活だった。
絵を描くのが好きだったから、そのうちサイト作って絵や文章を載せてた。趣味のことやってれば現実から逃げられるような気がしてた。
ある日、ブログに詩の大賞みたいな宣伝が載ってた。暇つぶしに応募した。
賞には入らなかったけど、小説書いて出版しませんかって誘いが来た。
引きこもってばっかの馬鹿だったから、安易に喜んで引き受けた。
親連れて対面したら、出版について詳しく掘り下げられた。
自分の送った詩の内容から編集者が考えたストーリーを小説にして、百万円払って出版する。絶版にはしないし、売れたら売れただけ増刷の金が入るって。
いま考えたら、ただの詐欺だ。
同人本でもそんな金額はかからない。宣伝料とか何とか言って、ようは金を支払わせたいだけ。
中二で引きこもりでゲームしかしてないガキが考える話なんて、ツギハギのつまんないもんにしかならない。
そもそも「編集者が考えたストーリーを作家に書かせる」のになぜ作家側に金を払わせているのか。
絶版云々も都合と耳障りがいいだけで、売れるはずのない本が増刷されるわけがない。
すぐ考えたら分かることだった。
でも、十年以上前だ。
ガラケーが浸透してきたくらいの時期でサイト全盛期、TwitterもFacebookもない。
何も知らないガキは詐欺かどうかの検索なんてしなかった。ただ、大人の編集者が言っているのが正しいと思って小説を書いた。
ツギハギのつまんない話を。
自分が考えたキャラであっても、どこかちぐはぐで好きになれない話を、言われるまま書いた。
途中、野生の勘かなんかで違和感を覚えて、やっぱこれ書きたくないって家族に言ったら怒られた。
最年少作家とか意味のない触れ込みを真に受けて、大金を支払ってでも出版という道を選ばせたがった。
書き上げて、送るしかなかった。
鬱屈した気持ちのまま、あとがきで「この話は担当に考えてもらった」という旨を書いたらそこは削除された。
このつまらない話は、自分が考えたことにしなければならないようだった。
表紙と挿絵は綺麗だったけど、刷り上がった献本を見る頃には、その話をされると具合が悪くなるようになっていた。
嫌な予感がする。間違えた気がする。
出版されたあと久しぶりに学校行ったら、親が献本を先生に見せた。
「お姫さま願望でもあるの?」
読んでないうちから言われて、自分がどう返したかは覚えてない。頑張って書き上げたものが揶揄されるくらい無価値だと言われたみたいで、直感が正しかったんだと思った。
詐欺にだまされた自分がどうしようもなく嫌になって、家族も編集者も味方じゃないんだと人間不信になって、傷つけて醜くなりたくなって。
手首を切って、病んだ。
編集者は2冊目を催促する電話しかかけてこなくなって、着信拒否してるうちに出版社自体が倒産した。でもすぐ名を変え復活して、まだ自費出版を斡旋してる。
百万は結局返ってこなかった。本も一冊だけ手元にある。家族が捨てさせてくれなかった。
中学卒業後、通信制高校と専門学校に行ってなんとか社会の中にいる。
でも、一次小説は書く気が起きない。
自己投影したキャラが出てきただけでイライラして、殺したくて、憎たらしくてたまらない。
投影してないキャラはツギハギのパチモンでしかない。幸せになんてなれるもんかって、絶望的な話しか書けない。
精神科に行ったけど治らなかった。
書かなくても生きていくことができるなら充分だろうと完治宣言された。
なろう系が羨ましい。
自分のことを好きになって、理想のキャラになりきって、それを誰かに認めてもらえる環境が羨ましい。
たくさん出版されているあの本たちは、たぶん身を切る自費出版ではない。作家として、自分が考えた話が本になってる。
SNSで疑問を投げかけたらすぐ回答を得て、すこし頭を使えば詐欺なんて引っかからない今のネット世界が羨ましい。
中二のあのとき、なろうがあったら。
調子に乗って書いた話がドン滑りして、つまんないですとか書かれて、なんだこいつってキレて作者自らが書き込んで炎上してダメになれた。
それだけで終われた。
今が、羨ましい。
今は、少なくとも誰かが見ている。
ひとりきりで思い込んで追い詰められて全部嫌いになって、自分の過去を思い返すたび死にたくなることはない。
読書という荒野 (NewsPicks Book) 単行本 – 2018/6/6 見城 徹(著)
https://www.amazon.co.jp/dp/B07D9D1QVM/
今をときめく幻冬舎の編集者、箕輪厚介氏による自社の社長アゲの一冊である。
元々、箕輪氏は双葉社で勤務していたが、その頃に見城氏にアプローチをかけ、『たった一人の熱狂』という書籍を編集した。
その際に見城氏に見初められて幻冬舎に転職し、その後、数々のヒット作をつくる。
つまり、元々この見城徹という男は箕輪氏にとって恩人のような存在であり、本書はいわばその「黄金タッグ」とでも言うべき二人による共同制作本なのだが、悲しいかな、文章は読みにくく、何とも昭和臭の漂う精神論やモーレツ主義が垣間見られる何とも言えない言葉が羅列され、かつ見城氏の既刊とも内容の被りが多く新味に乏しい。
つまり、純粋な編集能力や書籍の質という観点から言えば、高く評価することが難しい一冊であり、手に取った多くの方が後悔することになるであろうと予想される。
それでは、なぜこれだけ話題になり、勢いよくベストセラーへの道を突き進もうとしているのか。
そして、どうして箕輪氏の手がけた本は次々と売れていくのか。
そこには、彼がホリエモンから学んだ一種の戦略(スキーム)が存在する。
箕輪氏は「箕輪編集室」(通称”みのへん”)という名前で、自身のコミュニティを持っている。
そのコミュニティでは、箕輪氏を慕う約1000名の会員が月額でそれなりの会費を集い、イベント等に参加し、そして箕輪氏が手掛けた書籍をいちはやく贈られている。
メンバーたちは、書籍が発売される前に予め本をもらい、読み込み(あるいは読まないでいる方もいるかもしれない)、そしてAmazonに一気に星5個のレビューを書きまくる。TwitterなどのSNSでも盛大に感想を発信し、あたかも「大波が来ている」かのような演出に貢献する。
他のレビューで、この本を「News Picksメンバーにだけ向けた内輪本」と表現されていた方がいるが、非常に的確な指摘である。そもそもとして、この書籍は第一義的には自前のコミュニティメンバーに読ませることを意識してつくられているのだから。
さらに、箕輪氏の周辺にいるファンなども早い段階でAmazonの予約を入れ、人気ランキングを一気に押し上げる。
かくして、箕輪氏の担当した本は世に出た瞬間に、恰も「超話題作」であるかのような堂々たる風評を追い風に、勢い良く売れていく。
書店も利益を最大化したいもの。初速が良く「売れている」本は目立つように置き、堂々と展開する。
そして幻冬舎お得意、特大新聞広告などの宣伝と一気呵成の大増刷である。数万部を世に送り出して、「大ヒット!!」という流れをつくっていってしまう。このあたりの既成事実の作り方というか、本の勢いの出し方と売り伸ばす力は幻冬舎という版元が誇る最強の武器であり、出版不況の中で確実に結果を出しているのだから凄いとは思う。
かくして、クオリティとは無関係に、書籍のイメージと評判は肥大化し続ける。
そして、「どうやらこの本、人気らしいぞ」という噂に釣られた方々までもが買い求め、そして多くは失望していくわけである。
こうした「売り方」最優先のテクニックに走った商売をいつまで続けていくのだろうか。
根本的な編集能力を磨かず、ひたすらに勢いと話題性だけに頼った本づくりは、どこまで寿命が保つのだろうか。
これから箕輪氏のつくった本を手に取りたいという方は、冷静に立ち読みなどを通して内容と、そのクオリティを冷静に見極めた上で購入されることを勧めたい。さもなくば、期待した分だけ失望も大きいかもしれないから。
テレ朝上司 | 「(財務次官は女好きだから、女に接待させりゃなんか喋るだろ…スクープスクープ)」 |
---|---|
テレ朝上司 | 「財務次官に張り付いてなんかリークもらってこい。オフレコってテイで喋らせておいて、ちゃんと録音しとけよw」 |
女記者 | 「合点承知の助」 |
事務次官 | 「へーオフレコなんだ。じゃあリークもしてやるけど、おっぱい揉ませて。(リークはオフレコってのが報道倫理だしなwマスコミが報道倫理を破ることはないだろ)」 |
---|---|
女記者 | 「ダメです(リークもセクハラもいいネタをダブルでゲットだぜ)」 |
女記者 | 「リークももらったけど、事務次官と会食したらセクハラされたので、これをネタに政権叩きとMeTooしましょう」 |
---|---|
テレ朝上司 | 「オフレコってテイなのに、録音してたの公開しちゃったら、今後もう誰もリークしてくれなくなるじゃん。スクープのためなんだから、それくらい我慢するのが普通だろ馬鹿かお前は。リークの美味しいところは使うけど、セクハラ部分は廃棄な」 |
女記者 | 「なにこれ。アタシ、セクハラされ損じゃん」 |
女記者 | 「テレ朝に従事務次官慰安婦として派遣させられて、事務次官にセクハラされたあげく、テレ朝には女を慰安婦扱いで派遣させられた事実さえ握りつぶされそう」 |
---|---|
週刊新潮 | 「これは売れるwwww増刷捗りまくりんぐ」 |
http://hobbyjapan.co.jp/dd/news/20180323_01.html
についての記事。周辺知識のある人向けかと思います。はじめはてブで突っ込むくらいにしておこうかと思ったんですけど、正しく伝えようと思うと文字数がかさむので増田でという経緯。当方は別にホビージャパン関係者でもこのプロジェクト関係者でもありません。しかし出版業界でお金もらってる人間ではありますし、このプレスリリースはあんまりだろう&禍根残すだろうと思うのでこの記事を書きます。
一体何がおきたのか? についてはリンク先の記事を一読していただくとしつつ、一読しただけじゃわからん、何だこれ? という人もいるかとは思います。まずはその人向けへ先ずは補足説明をします。
DTPで紙面をデザイン中、その紙面に画像素材やら文章素材を流し込んで整形して調整してゆくわけですが、使用してるパソコン機器の性能によってはその作業が重くなることがあります。それを回避するために、作業中は低解像度な(すなわち軽量な)画像素材を「アタリ」として配置して作業を進めておいて、作業後半で解像度が高いものと差し替えて完成とするという手法があります。今回の事案は、「アタリとしておいておいた画像素材のまま印刷所に突っ込んでしまい、チェックでもそれが指摘されずそのまま印刷が終わって製本されちゃった段階で気づいた」という案件です。
別段内部関係者じゃないので本当は断言するべきではなく「〜という案件だと思います」くらいにとどめておくのがベターなんですが、出版業界、編集業務、DTP関連、印刷関連のひとがプレスリリースを読んで掲載された写真を見れば、概ね同じ感想になるでしょう。それくらい「そのまんま」な案件なわけです。
この種のトラブルは少ないわけではなく、むしろ、編集作業をやっていれば割と日常的に目にするトラブルです。店頭にそれが並んでしまうと事件ですが、内部で作業中に発見されれば「こらーここアタリ残っとるぞう!」「ごめんなおしとくー><」くらいの事案で、ちょっとでも関わった人からすれば「ははぁん」で済んでしまうのではないでしょうか?
ですからこのトラブルそのものを責める気は全くありません。おそらく数回に渡るゲラ(試し刷り)のチェックを突破して市場に出てしまうというのは、編集部のチェック能力がプロとしていかがなレベルなのか? ってのはもちろんあるんですけれど、起きてしまったものは仕方ない理論で言えば仕方ないのです。呆れはしますけれど、呆れる以上ではない。むしろどんまいです。
今回突っ込みたいのはそこではなくて、プレスリリースの酷さです。
これはない。
ないでしょう。
「想定していたよりも劣る画質で掲載されておりました」「良品というものが存在しません」「本書をお待ちのお客様へお届けするという観点から、出荷し発売するという判断をさせていただきました」。
上の方の補足説明を読めばわかると思いますが、完全に編集部の(加えれば著者の、今回の場合翻訳本なので翻訳チームなどチェック担当者の)チェック漏れ案件で、人的なミスです。「このパソコンーなんにもしてないのに壊れちゃった」とか「印刷所からでてみたら劣化してた」みたいな、そういう子供じみた言い訳をするべき案件ではありません。
そもそも前述したとおり、この種のミスは珍しくありませんから「起きがちなミス」としてチェック項目に入って重点的に見るわけですし、もし仮に発生してしまった場合フォロー手法も確立しています。読者の皆さんには全く馴染みがないでしょうが「数万部、数十万部印刷したけれど致命的なミスが見つかってすべて断裁、印刷し直す」という事例が出版業界には存在するのです。個人的にも一回経験しており、書中にある人名の綴りを間違えてたという案件で流石にこれは失礼すぎて出せないとなり、断裁&再印刷がありました。
今回のジャッジはそれを、読者側の負担になすりつけようというもので到底擁護できるものではありません。約6000円の高額書籍であり、ホビージャパンが出版社として決して大手ではない(ゆえに回転資金におそらく限界がある)という点があって、ギリギリ理解できなくもないわけですが、だとしても「私たちのミスではない」とでも言いたいかのようなプレスリリースを出すのは、醜悪という以外にないでしょう。
しかし、それだけではなく、それ以上にまずい点がこのプレスリリースにはあります(ここまで説明して、やっとこの記事を書こうと思った本題です)。
それはプレスリリース中の「納品された製品全体が同様であると考えられる状況で、不良として交換する良品というものが存在しません。」という一文です。
この一文があるということは、ホビージャパンはこの書籍を「不良」であるという認識はあるということになります。しかし「良品が存在しないので交換もできない」というのが主張です。
ということは、この書籍が売り切れて増刷するときどうするのでしょうか? 常識で考えれば増刷するときには画像データを差し替えて(これは簡単で追加費用もほぼかかりません)本来の想定クオリティで印刷します。しかしそうなった場合、その時点で画像の解像度が十分高い――つまり「良品」が存在するということになりますよね。「良品が存在する」のであれば当然「その時点で交換に応じる」のが正しいことになりますよね? ユーザーからのみならず、書店の店頭担当者としても「不良印刷のこれはまともなのと取り替えてくれ」となります。それでいいのですか?
あるいは、増刷するときにも画像データを差し替えず「これはこういうデータが正しいのだ」と開き直って今後販売してゆく? あまりにもナンセンスです。今回の書籍は海外版権の翻訳本であり、版元はブランドイメージの保持に厳しい部類であると聞いています。それ以上に、出版社の一方的なミスを糊塗するために、今後商品すべてのクオリティを低い方に合わせるというのは、ありえない判断でしょう。
イラストレイターの方は当然に海外在住なのでしょうが、この方の同一性保持の権利やキャリアはどうなされるおつもりでしょう? この書籍が「不良品ではない」とすれば読者から見た時、彼/彼女は安っぽい粗い絵を書いただけの人になってしまうわけですよね。
これらの問題/批判を避けるために簡単な方法は「増刷しない」ですが、それはプロジェクト全体の普及や原作の利益的にみて反利益判断です。「需要があってみんなに届けたいけれど、届けるとプレスリリースの嘘がバレるのでやめよう」だなんて非合理的なのは誰にでもわかりますよね?
全体的にひどいプレスリリースなのですが、以上の理由からこの一文は、今後のプロジェクト(編集部)の自由度を自ら投げ捨てる、展開に当たってブレーキになりうる表現です。
目先の印刷費、おそらく一千万弱を支払いたくないというのは理解できるのですが、そのために息が長くて忠誠度の高いと思われる同ジャンルのユーザーの信頼を損ねるのはいかがでしょうか。
これはなにがなんでも断裁して破棄して印刷し直せという話ではなく(もちろんそれがベストなのですが)、もうちょっと誠実なプレスリリースの文章というものがあるのではないかという話です。そもそもプレスリリースを書くのに予算なんて必要ないではありませんか。必要なのはコミュニケーションコストを支払う誠実さだけです。
編集部や出版社に落ち度はない、不可抗力だったという、意味のない自己弁護をしたとしても営業的な利益には全くつながらないわけですし、最初に書いたように、今回の案件は出版や広くDTP経験のある人から見ればあんまりにも自明なトラブルなわけですから、そこで自己弁護をする価値はないと思うのです。すくなくとも、今後この書籍が増刷するときどうするのか? 似た案件が起きたらどうするのか? 程度のことは考えて先行きに禍根を残さないようなプレスリリースをするほうが得ではないでしょうか。
これは出版業に隣接する場所で働く人間にはこう見ているという話だ。出版業は苦境に立たされている、新しい売り方を模索せねば、という声が聞こえてくるが、いや、苦境どころじゃなくてもう終わっているよなーと素直に思う。
編集者はいつ会っても疲弊している。ノルマに追われ、考える時間がない。著者を見つけ、本を作っても、宣伝費がないので売る方法がない。ノルマがあるので完成したらすぐ次の本に取り掛からなきゃいけない。同時並行でやっているので、一冊に力をかけることもできないし、完成したら販売に力を入れることもできない。結果、作ったらあとは放置。売れてくれたらラッキー。そのぐらいの気持ちでやっている。
宣伝費がかけられないので、少しでも売れる確率をあげたければ、すでにファンがいる人間にあたらなきゃいけなくなる。なので、ツイッターでフォロワーが多い人間、ブログが少しでもバズった人間に声をかける。だから、今はネットでちょっとでもバズると、すぐに出版の声がかかる。今やネットで人気のある人が毎月のように本を出す。フォロワーに対して「なんと本を書きました!」と報告する。初版は6000部。編集者からは「普通はもっと少ないんですけど、フォロワーが多いので増やしました」と言われている。「うちは新人の印税は7%なんですよ……」と申し訳なさそうに言う。ツイッタラーは一生で初めての出版なので、舞い上がり、少ない報酬でも睡眠時間を削って書く。だから、出版を報告するのは一世一代のことだし、売れてくれと願っている。だけど、出版社はそうじゃない。出版社は現実を知っていて、売れないことを見込んでいる。フォロワーたちが買って、万が一にもヒットしたらいいと考えている。
売れないことがもはや当たり前なので、本を出してそれが売れなくても、気にしない。というか、気にする余裕がない。次の本を完成させなきゃいけないのだ。売れないことで凹んだりはしない。だけど、著者は違う。報告ツイートは「いいね!」されたけど、レビューもそんなにつかず、ツイッターで感想もあまりつぶやかれず、「これでほかの出版社からも依頼があるかも」と期待していたけど何もなく、「あれ?」と思っているあいだに、ビックリするほど静かに時間が過ぎていく。そして、また別のツイッタラーが「本を出しました!」と報告する。
そこで出るツイッタラーの本も通り一遍なものだ。生い立ちを語り、私はこうやって成功しました、と成功談をつづる。ちょっとツイッターでバズったぐらいの人間が、ものすごい人生を送っているわけでもない。文章がすごいわけでもない。だから、どこかで見たありがちな内容になって、売れない。
本はビックリするほどたくさん出ていて、そしてビックリするほど売れない。
本屋に行けば、いつも同じ本が並んでいる。「自由に生きよう」「夢を諦めるな」「こうすれば上手くいく」同じような内容を著者を変え、毎日出している。どれかが万が一にもヒットしてくれたらいいと思いながら。
小説はどれも内容違うじゃないか、と言われるかもしれない。だけど、小説はもう本当に売れない。書くのに2年かかって部数は4000部。特に宣伝もされずに一部の書店に一週間ほど置かれてなくなっていく。そして、売れなかったことを理由に次回作は出ない。
じゃあ、売れる本は何なのか、というと、偶然としか言えない。たまたまタイトルが時流に合っていた、たまたま表紙がキャッチーだった、たまたま部数が多く出て書店での露出が多かった──これらの偶然が重なって発売数日、書店での売れ行きがいい。すると、出版社は「おっ」と思い、「じゃあ新聞広告出すか」とここでやっと宣伝することを考え始める。宣伝するとそれなりに売れる。だから、増刷をする。すると、書店で目につきやすくなるので、また売れる。その売上を見て、また広告を入れる。すると、また売れる。一度売れだすとこういう循環が回り出す。
じゃあ、最初から部数を多くして、宣伝をしていけばいいじゃないか、と思うかもしれない。だけど、そんなことは怖くてできない。すでに数字がないと営業や宣伝を説得できない。
こんな構造ができあがっているので、いい本はできないし、著者の期待は裏切っていく。似たような本しかないので読者も離れていく。これはもう「構造改革」でなんとかなる話ではなく、すでに業界が瓦解していると思う。
あくまで彼女の言葉から受ける印象の話だが、はあちゅうはあまり頭が良くない。さらに自己認識に問題を抱えているように見える。
実際にどうなのかは「知人」でない私にはわからない。しかしながら、炎上する理由はそこじゃない。
炎上するのはこれ以上ないほどシンプルな理由、カネのため。見慣れたあれは炎上ではなく、つけ火プロモーションだ。
「そんなの知ってるよ」とみんな言うだろ?
でもさ、改めて感心したよ。本当にうまいタイミングで火が出るって。
このこと、#MeTooで声をあげた動機には関係ないと信じたい。そしてあの訴え自体に私は賛同する。
しかしながら結果的に、童貞うんぬん言ってるうちに、その直前に出した本のプロモーションはそこそこ成功したようだ。
2月に入って、あの顔写真と言葉がホッテントリに上がってきたなと思えば、最近また新しい本を出していた。
ホッテントリ入りしたのは、かんじんな本の話題ではなく、浅はかな考え方をさらした、批判を受けそうなツイートであるという状況、
恥ずかしいだろ…と思うのだが、本人はかまわないらしい。
良心、プライド、信頼すべて捨ててもカネを稼ぐためのストレートな商売。
両隣のサークルが既に設営を始めていた。
隣のスペースの人が「すいませーん!」と言った。
どうやら隣スペースのポスターらしい。
こちらの設営ができない。
つまりポスタースタンドが出来上がるまで置いておくつもりのようだ。
何分でスタンドが出来上がるか知らないけど
1秒も待つ義理がないので
って言ったんだけど、相手は
「すいません!すいません!」
って言うばかりでどかす気配がない。
数分後にやっとポスタースタンドができ、ポスターがどかされたが、
ペンケースが残ってるのね。
「これもどかしてもらえます?」
というと、また
「すいません!すいません!」
今度はすぐどかしたけど。
これ、たぶんだけど、謝ってないよね。
ポスターをチラシ類と一緒に捨ててやりゃよかった。
----------------------------------------
反応ありがとうございます! 2018/02/05 追記
手伝おうにも、隣のサークルは合同誌サークルのようで、数人がかりで設営しているため
おそらく手伝いは不要だろうと。
で、私の「どかしてもらえます?」を聞いていた人が
そのサークルのメインの人じゃない、お手伝いさんだったらまだ分からんでもないんですよ。
でもその人が仕切ってる感じ。
何がイラっとするかというと
その人がとにかく「すいません!」を連呼するんだけど何一つ行動が伴わない事なんです。
現場は売り子2名。でその人はあいさつ回りのようなことをしているようで時々様子見のように帰ってくる。
(たまに売り子として入れ替わる。)
で、机下のスペースに買ってきた同人誌を置くんだか
何かを取り出すだかするんだけど
2名の売り子を1ミリもどかさずに
「すいません!すいません!」
と体をねじ込んでくる。
合同誌の作家の人が「名前間違ってましたよ」と言ってきたからさあ大変
「すいません!すいません!すいません!」ジャブで3回言った後
「すいません!」を連呼し続け
「増刷とかする時に変更して――――」
を遮るようにすいません!を言い続ける。
聞いてないんですよ。人の話を。
最後の方は
「もう、重ね重ね、本当にすいません!」
って言うんだけど、態度は
「これだけ謝ったんだから、もう帰ってくれ!」
みたいな感じなんですよ。
このブログは色々なズレを感じた。
希望の党に排除された旧民進のリベラル勢力というイメージだった枝野立憲民主党に弁士小林よしのりという取り合わせはそれ自体事件だった。
さらには「小林よしのりが何を言うか」という素朴な興味が群集を新宿に参集させた。
そして新宿東南口のアジ演説は薬害エイズ事件の際に厚生省を取り囲んだ時はこんな感じだったんだろうなあと想起させるほど迫力あるものだった。
小林よしのりは安倍政権に真に怒ってる、そしてそれを伝えるアジテーション能力がある。
「わりに無批判に小林よしのりを受け入れる立憲民主党支持者は、若い人が多い」わりに「若い人は小林よしのりなんて知らない」というのも当たっているのかどうか。
「田舎町の高校だったからなのかは知らないが、たまたまクラスで数年遅れで流行った」そうだが、今も『戦争論』が出版から約20年経とうとしているのに増版・増刷を重ねている事実を知っているだろうか。
ゴー宣シリーズ自体も出版社を変え今は文庫化されているはずだ。
このことは出版不況の現在においてさえ新規読者が参入していることを意味している。
今だバリバリのインフルエンサー、アジテーターとして機能している。
グローバリズムと安倍政権の軋みの中でそれとは違った方向性のナショナリズムを訴える小林よしのりの年来の言説がわりあい素直に受け入れられているのではないだろうか。
小林よしのり本人の批判も大いにすればいいと思うが、そのことが世代間闘争や立憲民主党の評価に直結するなんてことは考えにくい。
西田氏のツイートもTLに上がっていたので見たことは見たが、この日記投稿で「官能小説家」だということを初めて知ったくらいだ。
小林よしのりの評価を巡るSNSでの世代間バッシングなどはたとえあったとしても若い世代に何がしかの影響をもたらすだろうか、と首をかしげてしまう。
7月2日(日)に行われる 佐々木勇気五段 対 藤井聡太四段 の対局についてご案内します(将棋の内容には触れません)。
(映像中継)
ニコニコ → http://live.nicovideo.jp/watch/lv301153320
アベマ → https://abema.tv/channels/shogi/slots/9BWPPL1bc1x4CX
将棋プレミアム → https://www.igoshogi.net/shogipremium/live/
囲碁将棋チャンネル(CS) → http://www.igoshogi.net/shogi/special/30ryuou_sasakifujii.html
竜王戦中継サイト → http://live.shogi.or.jp/ryuou/
将棋連盟ライブ中継(アプリ) → https://www.shogi.or.jp/lp/mr201704/
竜王戦決勝トーナメント。藤井四段にとっては勝ち上がりの2局目。このトーナメントで優勝すれば、渡辺明竜王への挑戦権を得ることになります。もし竜王挑戦となれば一気に「七段」へ飛びつき昇段します。
対局料(ファイトマネー)として、勝っても負けても藤井四段は52万円(佐々木五段は57万円)もらえます。勝てば次戦の対局料77万円が確定ということに。
(賞金や対局料がこれほど詳細に公開されているのは竜王戦だけ!)
→ https://www.shogi.or.jp/match/ryuuou/30/hon.html
佐々木五段は関東所属、藤井四段は関西所属と分かれています。この場合、上位者の所属で対局が組まれるのが原則。
佐々木五段はジュネーヴ生まれの埼玉育ち(なお、金井六段はウィーン生まれの埼玉育ち)。母校である都立白鴎高校は将棋の特別募集枠があり、三枚堂達也四段も卒業生です。
昨年12月には棋王戦の挑戦者決定戦まで駒を進めた、現在22歳の若手強豪。プロ入りは16歳1ヶ月という史上六番目の若さでした。
→ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E3%80%85%E6%9C%A8%E5%8B%87%E6%B0%97
6月10日に行われた藤井四段 対 梶浦四段戦(叡王戦)では、対局開始の際に対局室の隅(藤井四段側)で見学していた結果、各局のニュース映像にことごとく映り込むという珍事も(開始1時間前には入室していたらしい)。ニコ生コメントでは「座敷童」「穴熊」などと呼ばれていました。
ある時、駅からスキップして会館に向かう姿を将棋連盟職員に目撃され、その話を聞いた森下九段がニコ生にゲスト出演した際にエピソードを明かすと、解説者の糸谷八段の笑いが止まらなくなったことも。
→ http://www.nicovideo.jp/watch/sm31378949
タイトル戦では和服、通常の対局ではスーツというのが一般的(まれにノーネクタイの棋士もいる)。
しかし、挑戦者決定戦やテレビ対局など、勝負時の対局に和服を着る棋士もいます(佐藤康光九段とか)。
佐々木五段もこれまでに棋王戦挑決やNHK杯などで和服を着ており、注目局であることから和服を着てくる可能性も?
上位者(佐々木五段)が駒袋を開けます。そして、「王」「玉」のうち「王」を上位者が取り、交互に駒を取りながら並べていきます。なお、加藤一二三九段は相手に目もくれずに高速で並べ終えます。
終局後に駒を片付けるのも上位者です。
振り駒で決めます。先手の方がわずかに勝率が高く、得意戦法にもよりますが、先手を好む棋士が多いようです。
駒を一度きれいに並べ終えた後、上座(佐々木五段)側から「歩」を5枚、記録係が取ります。5枚の歩を表→裏→表→裏→表というように交互に重ねて取る几帳面な記録係も中にはいます。
通常は対局者にも見えるように対局者の脇で振るのですが、前局は報道陣が多く、藤井四段の背後のスペースで振り駒をしていました。
上位者である「佐々木先生の振り歩先(ふりふせん)」となり、「歩」が多ければ佐々木五段の先手。「と」が多ければ藤井四段の先手。立った駒や重なった駒はノーカウント。そのため同数となった場合は振り直します。
午前10時の開始。タイトル戦は9時、それ以外は10時開始というのが基本。
対局開始の合図は記録係が告げます。発声は「時間になりましたので~」と「定刻になりましたので~」の2パターン。ニコ生では「帝国」とコメントが流れます。
対局者の周囲に報道陣が大勢いる映像や写真を見て、対局中ずっと報道陣が側に張り付いていると勘違いする人も稀にいるようですが、報道陣の入室が許されるのは開始5分程度です。
昼食注文は10時40分頃、夕食注文は16時40分頃。注文時に消費時間の計時は止まりません。対局中に出前メニューが渡され、その場で職員に注文し代金を支払います。注文の順番は上位者(佐々木五段)から。両者同じ物を注文するのは避ける傾向にあります。
藤井四段が持つ財布の一つはマジックテープ調で、その時ニコ生では「バリバリ」のコメントで埋め尽くされます。なお、食事代は各棋士の自腹(タイトル戦を除く)。
この日は日曜日(藤井四段に配慮して日程が組まれたようです)。ふだん対局が行われることのない日曜日ですので、ちょっと注意が必要です。
というのも、会館のある千駄ヶ谷周辺は日曜日に定休の店が多いからです。おそらく「みろく庵」への注文になるでしょう。藤井四段は注文時に長考することが多いのですが、今回は選択肢が少なくノータイムの可能性も。中華を頼もうという心づもりでいると、足をすくわれる恐れがあります。
昼食休憩は12時~12時40分。夕食休憩は18時~18時40分。
対局者が席を離れるため、「ひふみんアイ(将棋用語で、相手の盤側から局面を眺めること)」のチャンスです。過去、休憩中に藤井四段の「ひふみんアイ」が多く見られています。藤井四段は10分足らずで食事を終えて対局室に戻ることも多く、視聴者は目を離せません。
前局では、相手が着座している際に藤井四段が「ひふみんアイ」をして大きな話題となりました(真後ろではなく、斜め後ろから距離を取った上でのアイでした)。
持ち時間は各5時間です。時間を使い切ると1手60秒未満での着手。
各5時間+休憩(40分×2)=11時間20分。朝10時開始なので、両者が同じように時間を使えば21時20分頃から秒読み……となりそうですが、ちょっと違います。
というのも、計時は60秒未満切り捨てだからです。3分59秒で指せば、3分で指したのと同じ事になります。60秒未満で指せば消費時間はゼロになり、持ち時間は減りません。
時間を使い切るまで両者合わせて120手を指し、1手につき平均30秒が切り捨てられると仮定すれば、1時間は違ってきます。
また、残り10分ほどとなった際、最終盤に時間を残すため一手60秒未満での着手を繰り返していくことも多くあります。記録係が、残り10分前から「50秒~」と読むのはこのためです(読み上げの仕方は対局者が指示するので、この限りではない)。
一方、早指し棋戦は「チェスクロック(秒を切り捨てずにそのまま減らす)」の使用が普通。最近ではB級2組以下の順位戦もチェスクロック使用になりました。棋戦の持ち時間は減る傾向にあります。
前局の増田四段 対 藤井四段の終局時刻は21時24分。この時、両者の残り時間は合わせて42分でした。大熱戦であれば、秒読み将棋が続き、終局が23時を回る可能性もあります。
当日はフジテレビ「Mr.サンデー」(19時~23時09分)に加藤一二三九段が出演予定となっており、都議選速報と合わせて対局の速報もあるかと思われます。
勝者は7月8日(土)に阿久津主税八段と対局。その勝ち上がり者は7月16日(日)に久保利明王将戦。さらに、7月27日(木)に松尾歩八段戦となります。