はてなキーワード: 再チャレンジとは
もはや定番になっている若者の〇〇離れシリーズだけど、不良離れ、暴力団離れ、覚せい剤離れといった「良い」離れもあるようだ。
なぜだろうと思い原因を調べてたら、次のような記事を見つけた。(少し前の記事だが)
http://president.jp/articles/-/23887
この記事によると、学校での体罰が禁止されたりして大人がソフトになったから子供もソフトになったという。
はたしてそうだろうか。
子供がソフトになったら指導する大人もソフトに対応可能になったともいえるので、これではどっちが原因でどっちが結果かわからない。
そんな事よりも自分には中高生へのSNSの普及のほうが因果関係が強いように思える。
(SNSの普及率と非行率の比較グラフを出すようなことは面倒なのでしないが。)
非行に走る子供たちは、勉強やスポーツなどで学校社会で評価されていないケースが多い。そういう子供たちこそ他者とのつながりを強く求めている。同じような境遇の仲間が必要だ。
SNSのない時代では、その強いニーズに応えるためそこら中に不良グループが自然発生していたのだ。
勉強やスポーツ以外で評価される自分たちの社会。悪くて凶暴な事がむしろ評価の対象になる社会。集まることによって凶暴性はより強まり、子供たちはより「悪く」なる。悪い奴がモテる対象になり恋愛を謳歌する。真面目な優等生は恋愛市場ではむしろ弱者だった。
一方、現代ではSNSが普及しているので学校に居場所を感じられない子供も他者とのつながりを感じやすいので不良グループは作られにくい。「悪い」ことが評価されることもなければ、モテることもない。むしろ「悪い」事をみつけたらSNSで徹底的に叩いて炎上させる。
勉強やスポーツができる優等生がモテを独占しているので、「デキの悪い子」が恋愛市場で活躍するチャンスは少ない。
「不良が減ったのはとてもいいことですね」
という単純な一言で片付けるような事ではないように思える。例えば少子化の問題を考えるのなら、「モテ」が優等生に一極集中しているのは大問題だ。一夫一婦制であるかぎり成立カップルが激減するからだ。「デキの悪い」子供たちも恋愛して子供を作る機会が多かった時代の方がよっぽど健全だ。
もっと言えば学生時代の評価が一生付きまとい「身分制度」のようになってしまっているとも言える。再チャレンジ可能じゃない。デキが悪かった子供がずっとそれを引きずって発散する場所もない社会がいいとは思えない。
「悪い」事は、そんなに悪いことだろうか??
調停離婚してから一年以上が経った。離婚したいと言う方の参考になれば。
私は女性でこちらからの調停申し立て、申し立てしてから離婚成立までの期間は約一年、費用は弁護士費用婚姻費用調停分108000円と離婚調停分108000円の計216000円と1万円弱の実費。財産分与はなし(婚姻期間中に財産はお互い減っていたのでなかった)。相手が有責じゃないとこっちが慰謝料払うことになるって書いてる人がいたけど、そんなことはないです。
離婚事由は性格の不一致。夫はいわゆるモラハラだったんだけど、証拠がないのでそういうのでは攻めていかなかった。
最初は協議離婚するつもりで離婚を切り出したら、相手がファビョり(死語?)、相手の親、うちの親を巻き込んで全員が私を止めにかかってきて、これは味方がいないと思って弁護士を頼むことにした。(ちょうどこの頃子どもを連れて家を出た。たまたま保育園に入れていて仕事を続けていたから良かったものの、子どもが保育園に落ちてたら家も出られないし離婚はできなかったと思う。)
弁護士はつてがなかったので最初は法テラスに電話してみた。そしたら婚姻前の貯金がまあまああったので法テラスは使えないと言われた。それで弁護士ドットコムで離婚を取り扱ってる弁護士を探し、無料相談がありその後の費用を書いていてそんなに高くなく、家から割と近い事務所をピックアップし無料相談に行き決めた。若い弁護士の先生で先生のお子さんもうちと同じくらいということもあり調停の待ち時間ではけっこう雑談してた。結果的には彼に頼んでよかったと思う。弁がたつってほどではなかったけど。
調停の申し立てとかそういう手続きは全部弁護士がやってくれるので私は調停の日に家裁に行くだけで楽でした。
調停は男女一人ずつの調停委員がだいたい30分ごとに各々の話を聞き出し相手に伝えるスタイルで、本来であれば調停委員は中立の立場でなければならないのだけど、夫婦どちらかの贔屓をしたり、勝手に話を進めたりする調停委員もいると聞いていて戦々恐々としていたけど私が当たった調停委員はまあフェアだったと思う。
元夫は調停に来てくれたはいいものの(来ない人もいるらしい)ずっと「自分はなにもしていないのに妻が子どもを連れて勝手に出ていった」「俺は悪くない」「自分は深く傷つけられた」などと繰り返していて堂々巡りになっていたため、最後の方は調停委員も苦笑いしていた。
一回の調停で決まることはほぼなく、一ヶ月~二ヶ月後に次の調停があるので、離婚までに長い時間がかかる。
また有責でない限り調停成立と不成立の確率は半々で、夫が調停のたびに同じ言葉を繰り返す生き物と化していたため不成立もあるかもなあと思っていた。調停委員の方も辛抱強く付き合ってくれて助かりました。不成立になるとその後は審判、裁判となるか、そのまま様子見で数年後に再チャレンジはできるらしい。
また親が離婚に最初は反対していたものの、私が調停を申し立てた時点で相手の親からうちの親に連絡が入り、相当な中傷を受けたようで、ああいう親なら仕方がないということになり今では実家とは仲良くやっています。
2XXX年、国体の破壊を望む海外勢力の陰謀により日本は天皇制を廃し陛下は庶民となった。
陛下は荒れた。荒んだ陛下は卑しい身分に相応しい趣味を求め、また庶民の娯楽として前々から興味のあったパチンコ屋に足を踏み入れた。
陛下は勝った。1万円が10万円となった。陛下の心は踊った。今までに得たことのない高揚感。高い射幸性。陛下はパチンコにハマった。
パチンコを打っているとき陛下の心は幸福で満たされた。しかし、それは長くは続かなかった。
陛下は多大な借金を抱え、パチンコはおろか日々の生活を送ることもままならなくなったのである。そして陛下の行方を知るものは誰もいなくなった。
こうして海外勢力の野望は達成された...かのように思えたがここは思考実験、3XXX年の科学者によってタイムマシンは完成され、過去に干渉することが可能となった。
天皇制を廃止することを防ぐことは出来なかったがパチンコを規制することに成功した。
こうして一般庶民がパチンコに足を踏み入れることは容易ではなくなり、陛下がパチンコにハマる過去は回避された。
ちなみにパチンコを廃止ではなく規制にとどまったのは政治家たちの次のような主張が国民に支持されたからだ。
「韓国では国民の民度が低いのでパチンコを禁止することになったが、我々日本人は謙虚で世界で一番賢い民族なのでそんなものは不要なのです。
我々は新しい伝統としてパチンコ文化を守ろうではありませんか。韓国には文化はないが、我々には文化がある。」
この政治家にはパチンコ業界から多大な献金が支払われていたが誰も問題にはしなかった。
心が荒むことなど人間だれしも一度はある。そこから転び落ちることなどただの運のツキに過ぎず、
若いころは道を踏み外しやすいものだ。そう陛下は若かった。陛下はまだ学生なのだ。
陛下は思った。「平民の身になったとはいえ、そこから立身出世していけばよいではないか。
学生に相応しく学問を修め、ゆくゆくは海外勢力を打ち払い皇室を再興すればよいではないか」
陛下は新しい道を定め、前向きに生きていくことを決めたが一つ問題があった。
陛下は学費を納めなくてはならなかった。陛下には学費を頼れるものはなく、
また奨学金で自己破産する学生を知っていたのでアルバイトをして自分で稼ぐことに決めた。
陛下は庶民の生き方に触れるべく、日本人の王道バイト、飲食店、それも全国的にチェーン展開されている居酒屋店で働くことに決めた。
陛下の毎日は輝いた。バイト仲間と共に夢を語り合い、労働に勤しむ日々。
「ありがとうをたくさん集めよう。お客様へのおもてなしの心で日本を元気にする。」
この企業理念に陛下の心は熱くなった。営業開始前の朝礼では人一倍大きな声でこの企業理念を叫んだ。
陛下の心は幸福で満たされた。しかし、それは長くは続かなかった。
長時間労働に強制出勤、いつしか学業はおろそかになり、遂には大学を辞めた。
明るく元気に振舞っていた陛下もいつしか目に輝きは失われ、仕事でのミスも増えた。
ミスで発生した費用は全て陛下のバイト代から引かれた。そしてある日を境に居酒屋にも現れなくなった。
こうして海外勢力の野望は達成された...かのように思えたがここは思考実験、以下省略。
ブラック企業の経営者は逮捕され、懲役刑を受けるようになった。教育費は全て無料となり、学生には幾ばくかの生活費も支給されるようになった。
陛下は優秀な成績で大学を卒業し、日本を代表する大手家電メーカーに就職が決まった。
陛下は思った。「観光立国など、所詮海外勢力によるまやかし、真の日本の強みは技術立国にある。観光立国は技術力衰退から国民の目を欺く誠に亡国の道なり」
陛下は働いた。伝統的日本企業の硬直的な組織に苦しみながらも、日本人の心を打つヒット商品を産み出した。それは機能の少ない、使いやすいおしゃれな家電である。
陛下は次は世界市場に打ち勝つ企画を通すため、これをきっかけに出世することを望んだ。
「待っておれ、朝敵〇ップル、サムス〇、日本人の心をたぶらかす不届き者め、討つべし」
しかし、陛下が出世することはなかった。同期が順調に出世する中、若くして功績を挙げた陛下は疎まれ、総務部に移動となり、いつしか陛下は会社に出社しなくなった。
陛下は海外に移住することを決めたのである。こればかりは未来の科学者によっても変えることができなかった。
海外に旅立つ飛行機の中で陛下は思った。「もはや国に縛られる時代ではない、自分の生きる社会は自分の意志で決めていいのである。
伝統ある美しい我が国を離れるのは寂しいが、我が国と同様に大学までの教育費が無料で、ブラック企業経営者は逮捕される国で働こう。
私の子供は意志が強いとも限らないのでギャンブルが規制され、再チャレンジのしやすい、社会保障の手厚い国で生きよう。
そして、なにより女性の社会進出が許された社会で皇室の復活を果たすのである」
ギャンブルで身を壊すのも大学に通えないのもそれらは全て個人の責任でしょうか?
陛下がもし何の後ろ盾のない一般庶民として生きることになった場合、この国は陛下が安心して生きることのできる社会でしょうか?
何浪もしている人が自分の周りに居たけれど、
「なんでそこで手を抜いちゃうの???」というところで手を抜き、
かといって、その土壇場で手を抜いちゃった結果が自分の実力だとは認められない。
だから、再チャレンジしたら成功すると思って何度もチャレンジをしては年齢を重ねていく。
たぶん、一度再チャレンジが認められたという誤った成功体験が詰めの甘さを修正できない原因になっていくのだろう。
...何浪もした人で、本当にものにした人を私は知らない。
シーナ・アイエンガーの「選択の科学」という本でこういう話を読んだ。
過去に希望していたものと違う選択をせざるを得なかったけれど、
選択をして時間が経つにつれて記憶を改ざんし、今居るところが希望の選択だったと思っている人が居る。
そういう人ほど新しい選択で幸せに生き、学業の成績も良いという話だったと思う。
まだ少しだけ残っているけどもうほとんど残ってないよね。
どうしようもない人間がどうでもいい事書いてるだけの日記帳サイト。
役に立ちそうな話をしてる人だらけになってしまった。
お前のどうでもいいリアルのどうでもいいアニメの感想を偉そうに語ってみせてくれる日記はなくなった。
でもSNSにあるのは何かが違うんだよ。
というか、SNSという物の性質が俺の求めている物をどうしようもない人間から奪ってしまうんだ。
社会性、人との繋がり、見栄えを気にした生活、そういった物を次々に供給してしまう。
俺は寂れてホコリを被った廃墟を見に来たのに、廃墟マニアの人が足繁く通ってゴミ拾いや清掃をするせいで滅びているなりに小ざっぱりとしてしまっているのが嫌だ、みてーな感じかな。
駄目だなまだ言語化しきれてねえな。
しばらく後に再チャレンジっすか。
とにかく俺はさ、素人がHTMLカチカチ打って日記を更新していた時代にあった孤独感が好きなんだよ。
今の世の中は孤独さが薄れすぎてる。
インターネットが人間同士を天網恢恢疎にして漏らさずと言わんばかりに徹底的につなげてしまうから、どうしようもない奴らの距離感が近くなりすぎてるんだ。
まるでボトルメールやアマチュア無線を送り合うような、交信をしている相手はいるけどその間をガラスのような強固な障壁がはっきりと阻んでいるような感覚、あの頃確かにあったそれが今の風通しが良くなりすぎた世の中にはねえんだ。
空気の淀みが足りねえ。
誰もが近すぎる。
民間で成功したらそのまま頑張ればいいし、公僕として仕えたいのであれば変わればいい。
うまくいかなかった人は公務員試験で再チャレンジ、たとえば30過ぎてから再チャレンジできる環境は面白いはず。
公務員の仕事も効率化されるだろうし、先生も社会経験をもって教育ができる。
民間も頑張って教育したのに公務員に行かれたら損失が大きので、10年か15年くらいの経験義務付けでいいのではないかと思う。十分企業に還元してから再チャレンジ。
または民間企業は新人教育は最小限度にとどめて即戦力の通年採用に切り替える。人材の流動化になるかもしれない。いまの大学のありようからしたら職業教育は大学や専門学校に任せていいでしょう。
新卒一括採用は大企業に就職した人からすればそれ自体が既得権益化するし、希望の企業に行けなかった人からみたら見るとリスクが高い。
公務員の仕事に30年の熟度が要求される業務ってあるだろうか。
週休二日もクールビズも成功したのは官庁が本格導入したから。していないのは最近のプレミアムフライデーみたいにことごとく失敗している。
最近、婚活パーティーに参加しています。自分のスペックは30台後半、年収800万円、165cm、55kgです。
30代前半〜半ばまでの女性とお話ししていると、よく、何度も参加しているのにマッチングしない話をして来ますが、やめてください。話が暗くなりますし、そんなことではますますマッチングしません!決して美人では無くても、愛想が良いと好印象ですので明るく行きましょう!
あと、自分の年齢を気にするのも分かりますが、他の女性参加者の年齢を聞いたり、ましてや他の女性のプロフィール用紙を見たがったりしないで下さい。必死過ぎて怖いです!てか、マナー違反です!
せっかくお話しするので、笑顔で行きましょう。はい、じゃあ笑顔の練習!
自分は1度マッチングしましたが、何度かデートしてみた結果どうも違うなと感じて、再チャレンジしようと思いまので、どうか、よろしくお願いします。
人口減少でいくら人手不足になっても、努力していくらスキルを身につけても、就職氷河期世代は永遠に正社員になれない。
年齢差別の問題は、職場での女性差別に勝るとも劣らず深刻な問題なのに、まともに議論されることがない。それが問題であることを認識している人が、差別される当事者以外にいない。
転職の最終列車が35歳だという定説が崩れ出したといわれるものの、じっさいには35歳以上でキャリアチェンジをすることは、日本では非常にむずかしい。
雇う側としては、早いうちに企業に固有のスキルを身につけて活躍してくれた方が、人材への投資効果が高いので、年齢制限をするという理屈を持ち出してくることが多い。
しかし、30代半ばを過ぎた人がたとえ専門学校やビジネススクールへ行って実践的な技術や知識を身につけても、それを活かす機会は与えられない。
企業が年齢差別をすることには、スキルの適合性や投資効率以外に本当の理由があるからだ。
日本の職場では、学校と同様に儒教的な「長幼の別」が極端に重視される。その結果、年下の上司が年上の部下を管理することはあまりふさわしくないという暗黙の了解がある。
また、雇用の流動性がまだ低いので、「長幼の別」を前提とした職場の人間関係が固定されやすい。
そのため、30代半ばを過ぎた人が新しいスキルを身につけても、持っているスキルでは評価されず、職場の既存の人間関係にフィットしないという理由で拒否される。
このメンタリティが土着的、土人的なものだという自覚を持ち、人を年齢ではなくスキルで評価しないかぎり、再チャレンジ可能な社会や、老いて活躍できるプラチナ社会などというものはけっして実現しない。
だから就職氷河期世代が救われるなどということは、この先もない。
土人たちの構成する社会は、移民を呼んで働かせようと叫んでも、国外の高学歴・高スキル人材には見向きもされず、女性が女性であるという理由で過剰に優遇されるのはおかしいと文句を言い、人生に希望と勇気をもって挑戦しようとする中年たちを切り捨てながら、滅んでいく。
500円デマに乗っかった株まとめ
http://kabumatome.doorblog.jp/archives/65888431.html
対決の構図は最初はこうだった
それがこう変化してメディアも混乱している
民進、共産
別に菅野完は民進党や共産党と対立してるわけではないが、現状、弁護士のいない森友学園の代弁者となってしまっているので、真ん中に入れた。
注意したいのは、別に民進党も共産党も森友学園を味方に引き入れたわけではないし、森友学園への追及の手も緩めていないこと。問題は国有地の値引きと小学校認可がザルになった原因だとしているのは変わらない。
森友学園は「安倍首相から100万寄付された」と爆弾発言はしたが、これは値引きの原因や認可の原因に直接的に結びつくことを話したわけではない。
現状、ババ(森友学園)を押し付けあっているという構図は存在せず、自民と大阪維新が一方的に切り離したという形だ。
最後に、この問題を真っ先に国会で取り上げで追及し、証人喚問でも質問者となることが決定した共産党・宮本たけし議員のFacebook投稿を掲載しておく。
https://www.facebook.com/miyamototakeshi.jcp/posts/1846426555574232
わが党が籠池氏と「連携」などするはずがない。私は、去る2月15日以来、籠池氏=森友学園の小学校設立計画と、それに異常な優遇を与えてきた安倍政権と維新府政を追及してきた。
「トカゲの尻尾切り」についても、「それでトカゲを逃がすわけにはいかないが、この尻尾は一旦は切られたほうがよい尻尾であり、ますは確実に尻尾の決着をつけねばならない」と言ってきたはずだ。
かくして「尻尾」は切られた。「教育勅語」を子どもたちに上から刷り込むような小学校の開校を阻止し、その野望は打ち砕かれた。いよいよ今度は逃げようとするトカゲ…安倍政権のトカゲと大阪維新のトカゲ…2匹のトカゲを引っ張り出す番だ。
「切られた尻尾」の籠池氏が、自分の悪行を心から反省し、洗いざらいその真実を語り、「安倍夫妻も、松井大阪府知事も、悪行の仲間でした」と語ったならば話は別である。しかし、そうではない。
彼は「再チャレンジ」を公言し、自分は悪くないと言い続けている。「自分は正しかったのだ。安倍夫妻も仲間だった。だからこそ、安倍首相からも寄付をもらっていた」と主張している。また、「大阪府もずっと温かく応援してくれていた」と語っているのである。そのような主張をしたからといって、何で籠池氏が免罪されることがあろうか。
籠池氏は来る証人喚問で、まずは近畿財務局や大阪府からどのような不当な優遇を受けてきたのか、介在した政治家が自民党の鴻池氏や大阪維新の中川府議以外に何人いて、どのような政治力を発揮してもらったのか。「こんにゃく」は鴻池氏以外に誰に渡したのか…その真実を語らなければならない。
野党とメディアは、それをこそ与党以上に最も厳しく、籠池氏に迫らなければならない。そして、この事件の闇を、余すところなく白日の下に晒さなければならない。
籠池氏が「自分も罪を犯した。そして、その罪は財務省理財局も、大阪府私学課も、安倍首相も稲田防衛相も、松井知事も橋下氏も、みんな同罪でした。」と語るかどうか…それこそが、来る証人喚問の最大の焦点であろう。
ADHD診断済の者です。
ここ最近、借金玉氏のブログ(http://syakkin-dama.hatenablog.com/)が立ち上がったり、そこでの記事が話題を呼ぶのを見て、にわかにはてな界隈でも発達障害に関する話題が盛り上がっているのかなと思っていた所、
http://anond.hatelabo.jp/20170206102543
↑こちらの中学受験の話と、それに付いていたブクマコメントが、あまりにも「そうッ!」という思いだったため、少し乗り遅れた感ありますが思わずキーを叩いてしまっています。
そのコメントとは、id:Outfielder 氏の
知能に遅れのない高機能発達障児は、中学で内申が出ないから高校受験で詰んでしまい人生終了がほぼ確定してしまうから少々無理してでも中学受験すべき、という体験談は聞いたことある
というもので、まさに自分がそれだった、その通りや…と瞠目してしまいました。
自分がそれ、と言っても結局中学は公立に進んだのですが、幸いなことに人生終了は(おそらく)しておらず、今は自分にとっては環境面・経済面でも充分有難い場所で働かせてもらっています。
でもそれはたまたま、運が良かっただけという気がしていて、振り返るとこれまでの人生の中で、ADHDのせいとは一概には言えないけれど、幾つかの「挫折ポイント」があったので、もしこれからの進路にお悩みの発達障害傾向のあるお子さんを持つ方などが居たら、参考になればと思いつつ振り返ってみます。
(多分あんまり参考にはならないですし、それよりも自分が整理して書き出してみたいというADHD的衝動によるものが本心です)
子供の時から、自分は周りとは違う人間だ、という自覚は多少なりともありましたが、それは割とポジティブに捉えていました。運動は苦手だけど、勉強はわりといいところ、そして休み時間や家ではマンガを書くこと、それを披露することでクラスで固有のポジションを得ていた覚えがあります。
(絵師の皆さんなどもどこかで記憶のあるような体験なのではないでしょうか)
問題のポイントが、中学受験。親の方針もあり、自分もなんとなく説得され特に断る理由もなかったので(通学が遠くなるのはめんどくさいなあくらい)小4くらいから中学受験に向けた塾通いをするようになります。
しかし、それがだんだんキツくなり、小6のいつ頃だったか、日曜も朝から夕方まで模擬試験、しかも提携してる友達も居ない知らない塾まで通っての体制になり、多分その環境に自分のストレス耐性がピークに達してしまった気がします。
と同時に、なぜ今の小学校の友達と離れてまで、遠い中学に通わなきゃいけないのか、さっぱり意味がわからないと涙ながらの突然の抵抗。自分が覚えている限りの自我の芽生えその1です。
結局、これ以上は無理と親も理解したらしく、中学受験は断念、塾も同じ塾内の進学コースから普通コースに移動しました。この時の迎えてくれた友達の安心感たるや今でも思い出します。
この公立中学が地域圏内では割と悪評の高い、まあいわゆる「荒れてる」と言われるような学校だったようなのですが、幸いなことに僕が入学する直前辺りから目立って悪い行いは無くなっていったようで、中学の3年間は気の合う(ヲタクな)友達も狭い付き合いながらも出来、全体的には、例えばいじめに遭うなどという特段嫌な思い出もなく平和に過ごせました…
が、
心境的には、中学2年辺りから周囲との違和感を強く感じ始めていました。
まぁこれは、誰にでもある思春期の訪れだとも思うのですが、良くないことに同時期に、インターネットに桃源郷を見出してしまいました。
テレホタイムは親のPCでこそこそチャットや掲示板に入り浸り…(なんとなくこれで年齢が分かりますね)
今思えば、このあたりもADHDの衝動性、過集中にフィットしてしまい、その後にやってくる虚脱によって学校を休むことが増え、やがて内申はどんどん悪くなっていきました。。
はい。ここで2度めのポイント、そして最大の「人生終了」感を味わいました。
中学での内申に引っ張られ、「お前はここにしか行けない」という公立校にヒィヒィ言いながら入りました。(試験の点数だけで言えば中の上レベルの人たちと張ってたのに…と今でも悔やむことがありますが、まあしょうがない)
なんで辞めたのか。今でも正直言ってこれといった理由が言葉に出来ないのですが、幾人かの「いやなタイプ」の人の顔、そして、排外的な雰囲気、それに合わせることの絶対できない自分の中の何か。
気づいたら高校に行けなくなっていました。僕みたいな人間は、居心地が良くないとマジで死ぬんだなあ、ということが身に沁みてわかりました。
多分この時ほど親は、上記のコメントと同じことを思ったことは他にないでしょう「少々無理してでも中学受験すべきだった・・・」
その後、半年ほど引きこもりをしてから、今度は底辺私立校に一年から入り直すことになります。
ぶっちゃけ誰でも入れるような所で、周りを見渡せば一目瞭然の発達障害、ヤンキー、そしてほぼ知的障害とも言えそうな人まで、ワケアリな人種ばかりが揃った愉快な空間でした。
それでも、そんな所に高いお金を払って再チャレンジさせてくれた親には大変感謝しているし、また学校行けなくなるのではという恐怖も乗り越え再びやり直すことを決めた当時の自分も、割とがんばってたと思います。(引きこもってた時分は外に出るだけで怖かったです)
そしてこの私立校が、思いのほか自分には合い、割と気ままに過ごすことが出来、大人になった今でもLINEでくだらないことを言い合うような親友も出来ました。
特にその学校ではPCを使った授業に力を入れていて、もともとネットにハマってたくらいなのでPCに触ることは自然だったのですが、その中で自分の特性に合ったジャンルを先生が見出してくれて、「大学受験してみないか?」という運びになります。
その高校での先生たちの手厚いサポートのおかげで、(あの悪評高い)AO入試制度を使い大学への入学を果たします。
2ちゃん等ではFランと呼ばれるランクでしょうが、世間的にはそこそこ名だけは知られているところでした。
そして自分の学生時代を見返してみても、この大学時代が一番輝いていたように思います。
興味のある授業内容、自由な雰囲気のキャンパス、そしてどことなく普通じゃない人達の集まる文化系サークルに出会い、居場所と夢中になれることの両方が目の前に広がり、自分の人生が本格的に始まった感じがしました。
色々あったけど、特にここで語るべきことはこれ以上ありません。
就活は例に漏れず苦痛でしたが、それでも思ったよりあっけなく、自分に合いそうな所に内定を得ることが出来ました。
そして、光に満ちた4年間が終わり、ここから暗く長い旅の始まりです・・・。
といっても、第3のポイントは1年目序盤にあっさりと訪れます。会社に数日行けなくなりました。
体が動きません。会社のメールも見れません。連絡したくありません。何もかもから逃げ出すことしか考えられなくなりました。
それでもなんとか数日休んで、這うような思いで出社し、耐え、またしばらくすると行けなくなる、を繰り返しました。
メンタルクリニックにも行き、「抑うつ状態」の診断書を突きつけたりもしつつ、それでも時には自分に合った業務に携われる期間もあり、何より会社の人が良い人だったので、なんとか辞めたり休職したりはせずに、自分の心と身体を騙し騙し、一つの仕事に人より何倍も時間を浪費しながらも、続けられていました。
ADHD的に特に難しかったのは、やはり外部とのコミュニケーション、スケジュール管理、企画書作成といったところでしょうか。
これらを、自分を無理に奮い立たせながら乗り切っていたため、やがてそういった業務をすればするほど、図太くなるどころか気づいた時にはストレス耐性が全く無くなり、再びしょっちゅう休むようになりました。
それがここ1年ほどのことです。
再びクリニック通いを再開し、軽うつに対応するような薬を飲みつつも、相変わらず同様の環境で仕事を続けており、このままじゃどんどんダメになるのではという漠然とした不安と焦りが募っていました。
そして約半年前、同じクリニック内で医師が代わり、その医師の診断方針もあり状況を見直した所、「ADHD」という判断を受けました。
それまでもネットで色々情報は見ていたため、あ~やっぱり、という感じでした。
その後、自分はADHDであり、こういう業務はどうしても脳の形状的に難しいのだと諦めがつくようになり、まずは環境を変えなければどうしようもないと思い、同じ社内ではありますが異動を相談したところ、あっさり通り、そして始めのほうに記したような、落ち着きつつある現在の状況があります。
中学受験・高校・社会人と何度も「周囲との違和感」「やってみてはダメになる」「周りと同じような適応は出来ない」を繰り返してしまっていたのですが、それでも、親や教師の理解やサポート、たまたま巡り会えた環境に恵まれ、なんとか人生終了せずに、今は地道に日々の幸福度を回復させていけるようになりました。
中学受験に成功していれば全てが上手くいった、とは思わず、結局はどこかで周囲とのギャップ、そして挫折を経験していたと思いますが、それでももっと早くADHDという認識を与えられ、それに対応した生活の見直しや進路を定められていたら、もうちょっと楽に歩むことが出来たんじゃないかなと思います。
一歩間違えれば人生終了待ったなしだった気がするので、それを回避するためにも、もし自分が、そして自分の子供がちょっとあやしいなと思ったら、診断を受けてみたり歩み方を普通の人とは変える、認識を良くも悪くも諦めるようなタイミングが、必要なんじゃないかなと思うのでした。