はてなキーワード: 全部否定とは
前にTwitterで「クソバイス」をする人のことがバズってたの見た時は有名人だけの話だと思ってたのにな。
しかも「オタクとはこうあるべき」みたいなこと言ってまじで「なるほど、これがか」と納得してしまった。
自分には全くそういう感覚がないから送る人の気持ちがわからないんだけど、人が何か軽く質問しただけなのにそれの揚げ足取るみたいに「それってこういうふうに思ってるってことですよね。だとしたら問題ありますよ」みたいなこと言い出してうわーまじでめんどくせーと思ってしまった。
だけどそれに反応したらきっとまためんどうくさい受け取り方して(「それって認めるってことですよね?」とか「人の意見は全部否定に聞こえるタイプの人なんですね」とかそういう感じ)余計な怒りかいそうだから無視するのが一番なんだろうな。
むかついたんでここに書き散らかしておこ。
ATSUGIの件、完全にしっくりくる説明が見当たらなかったので(あんまり探してないけど)、自分で書くことにした。
あれって客体化の話なんじゃないの?
「タイツ」自体の魅力ではなく、「タイツを履いた女性」の魅力を描いたから反発を招いた。ATSUGIは「タイツを履いた女性」を売ってるわけではないし、ATSUGIの顧客は「タイツを履いた女性」を買っているわけではない。「タイツを選ぶ女性」が顧客なのだ。買う主体であるはずなのに、買われる存在として描かれちゃったらそりゃ反発はするだろう。
というところまではたぶんこれまでも言われてることだと思うんだけど。
私が違和感を覚えてるのは以下の2つです。
1.ATSUGIのタイツ萌え絵が批判されていることは、私のタイツ萌えも否定されている/他人のタイツ萌えを否定していい。
2.これはマーケティングの失敗であって、フェミニズムは関係ない。
1.ATSUGIのタイツ萌え絵が批判されていることは、私のタイツ萌えも否定されている/他人のタイツ萌えを否定していい。
そんなわけないじゃん。
ということもそれなりに言われていると思いますが、ここは強く否定したいところなので改めて言っておきます。
問題なのは、ATSUGというの企業が公の立場で顧客というタイツを履く現実の人々に面と向かって、タイツを履いている女性に性的な魅力を感じていますって言ったことですよね。まあ「性的な魅力」と感じるかは人それぞれだとは思うんですけど、私は性的に魅力的な絵が含まれていると思ったよ。特に公式ツイッターの推しの絵師さん?の絵のあのタイツの透け感、めちゃくちゃ魅力的だなと思った。
まあでも公の場で人が人に性的な魅力を感じていますと言うのは良くないんですよ。公の場で女性におっぱい大きいねとは言わないし、男性の乳首がTシャツに浮いててエロいなと思ってもエロいですねとは言わないでしょう。私は言うよ!っていう人がいたらちょっと考え直した方がいいと思うな。ピンポンダッシュで度胸試しするイキリキッズと同じようなもんだと思うよ。
ただ、私的な場で同好の士と楽しむ分には何の問題もないと思います。TPOを弁えようってことよ。欲望の主体には男性も女性もなったっていいし、そこには性的に見られる客体が存在する。その客体が、互いに同意の上で欲望をやりとりする相手なら何の問題もないけど、望まれていないのに一方的にぶつけるのは暴力ですよ。異性間でも同性間でもね。でも、直接ぶつけるわけじゃなくて、こっそり楽しむ分には責められることは何もないじゃないですか。そんなの自由だし抑えられることでもないじゃん。
ただ、インターネットって公私の区別がつけづらいところだし、オタクって身内ノリで暴走しがちだから、気をつけないと人を傷つけることにつながってしまう。これは自戒をこめて。私は今はTPOを弁えて発言には気をつけようと思ってるけど、若いころはイキリキッズだったなという反省もあるし、ときどきこの表現鍵なしのアカウントで言って大丈夫だったかなって反省することもあるので……。とにかく気をつけよう。日々反省ですよ。
あと、人の欲望を全否定してくるやつのことは相手にしなくていい。あなたの欲望はあなた自身のもので、扱いにさえ気をつければ、否定する必要も否定される謂れもないよ。
2.これはマーケティングの失敗であって、フェミニズムは関係ない。
私はフェミニズム詳しくなくて、最近ちょっと別件で気になってたことを調べたときの付け焼き刃でしかないので、以下で述べることについては間違ってたら教えてくださるとありがたいし、この論を自分の意見としてどこかで言いたい方がいらしたら、鵜呑みにしないで各自調べてください。
最初に「客体化」の話だ、と言ったけど、私は、フェミニズムって客体化に抗ってきたんだと思ってます。だから、これはフェミニズムとは関係ないって言ってしまうのも、なんだか違うんじゃないかと思う。
一部に人格否定したり暴言吐いたりするようなのがいるから、「フェミニズムではない」って言いたくなる気持ちはわかるんだけど、それはフェミニズムの問題というよりは、日本人が「議論」が苦手って話なんじゃないかなぁ。なんか、誰かの言動を否定すると人格まで否定されたと思ってヒートアップしちゃったり、人格否定の応酬になっちゃうことってよくあるよね。いやいや事象を批判してるんだって。別に人間として嫌いって話じゃないってば。人格否定し始めちゃったらそれは批判として成り立たないよ。ただ、そこはフェミニズムの根本的な考え方とは関係ないと思うので、フェミニズムそれ自体を否定するのは違うんじゃないかなと私は思っています。
私は今、誰かに「結婚すべき」とも「子どもを産むべき」とも言われず、職場でも特に性別によって差別されているとも感じず、比較的自由に独り身を謳歌しています。この自由は、たぶん誰かが戦ってくれたから得られたものだと思っていて。だって75年前には女性は選挙権すら持っていなかったんですよ。それが、おそらくかなり恵まれた状況だとはいえ、私が比較的自由に生きられているのって、「女性の役割」を押し付けられることと戦ってきた人がいるからだと思う。それを全部否定してしまうのは、フリーライドしてるみたいであんまり好きじゃない。
もちろん普段の生活の場に論争が持ち込まれるのがしんどい人もいると思うので、そういう人はあったかくしておいしいもの食べてゆっくりしててほしいと思うんだ。ただ、自由でいることを目指すことを、否定はしないでくれたらいいなと思う。
本当にしんどい。親の仕事の都合でしばらく海外にいるんだけど、日本にいた時の何倍もきつい。
とても狭い日本人社会の中で孤立しないように、日本にいた頃以上に色んなことに気を配らないとだし、一歩外に出たら日本とは全く違うルールで成り立つ社会がある。
そして家の中は親がいる。親は酒飲むと怖いし話通じなくなる。ここだとバイトできる場所も、収入を得たときの税金の払い方も分からない。だから欲しいものとかあっても、全部親に頼むしかない。
家帰ってきたらすぐお酒飲むからほぼまともに会話できない。運よく会話できても話聞かずに全部否定される。
親も大変なのはわかる。ただでさえきついのにコロナとかあって色々大変なのも知ってる。
でもこっちも親の都合で来てずっといろんなこと我慢してる。日本にいた時は色々あって教室行けなかったけど、こっち来てからは一回も休んだり遅刻・早退もしてない。それは理解してほしい。
どちらかというと大手企業だし、親の地位的にもお金の使い方を考えても子供のお小遣いなんて大した額じゃないと思う。
生意気だと思われるかもだけど、親の仕事が理由で自分で収入を得ることもできないし、でもこっち来て1回もお小遣い貰ってない。本当に収入が0に等しい。
働くのが想像以上に大変っていうのはわかるけど、この年で言葉が通じない所に行かされて、肉体的にも精神的にも限界なのは理解してほしい。少しでもいいから、何か支えになるものが欲しい。
女オタクで集まると、男オタクをすっごい強い語調で否定しようとします。
ただ、その内輪できいてる感じだとあれだけ強い語調を使って叩いているのに
「そこまで否定することないんじゃない?」っていうとあーあれは本気で否定してるんじゃなくてじゃれあいみたいなものよ。
私たちだってオタクだし本気で全部否定するわけないじゃん?ってあっけからんというんですよ。
これ本当に男女平等を目指すなら絶対にやめた方がいいと思うんですが
女のホモソーシャルで生きてる女の人たちは、男の人と違って、乱暴な物言いをしても言葉で言ってる限りは大目に見るみたいなところがあるんです。
特に内輪じゃなくて、外側の人間の悪口を言うときってそういうところがあって。
自分たちの言葉が外側の人間にどう受け止められるかってのをあまり真剣に考えないんです。
内側の人間に対して気を張りまくってる代償として、外側の人間にはどんなにひどいことを言っても許容しあうっていう嫌なノリがあるんです。
だから、男オタクに限らずだけど、過激な口調で男叩きをしてる女の人を見たら「女のホモソで生きてる人なんだな」って思ってください。
罪悪感は全くないですし、とがめられても「こんなのノリじゃん」「本気で言ってるわけないでしょ」で済まされます。
たまに勝部さんなどのように勘違いした男フェミニストの人がこれに便乗して同じノリで男批判をしようとしてるのを見ますが、
その人たちは女性というものを全く理解できてないんだなぁって思ってしまいます。
ノリじゃなくて本気で言ってる女性がいたら気持ち悪いですし、それを男の人が言ってると思うと生理的な嫌悪感が先に立ちます。
男オタクの人たちのフェミニズムバッシングを見ているとこれ男の人もそういうところあるのかもしれませんが男の人のことは良くわかりません。
もしそいういうところが男オタクの人にもあるなら、他人のふりみてわがふりなおせって感じで大目に見てやってください。 鼻で笑って流してくれるでもいいです。
今のところはどうしても女の人の方が甘えてるところあります。 でも、それじゃあいてにされないってわかったら少しずつ成長すると思うんです。
お金の絡まないプライベートで同調コストを払うのは死ぬほどめんどくさいしそもそも支払う気がない
たぶん人間が好きじゃない(興味がない)人たちはわかる感覚だと思う
「せやな」って思ったら「せやな」って書くし「それな」って思ったら「それな」って書く
でもそれ以外の要素があった場合、同調や受け止めは省略することが多いな
だって、そういう場じゃ無いじゃろ〜 増田(匿名はてなダイヤリー)は〜
熟読してトラバ付けもいいし、自分が読みたいところだけ読んでトラバ付けてもいいし、
全然読まずにトラバ付けてもいいし、無関係なトラバ付けてもいい
テキトーにいけ
加えて、子どものネット・ゲーム依存症対策においては、親子の信頼関係が形成される乳幼児期のみならず、子ども時代が愛情豊かに見守られることで、愛着が安定し、子どもの安心感や自己肯定感を高めることが重要であるとともに、社会全体で子どもが成長段階において何事にも積極的にチャレンジし、活動の範囲を広げていけるようにネット・ゲーム依存症対策に取り組んでいかなければならない。
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2001/21/news135.html
スマホを触ってはいけないって、スマホで読書してたら1日60分しか見れないわけ?
【社会全体で子どもが成長段階において何事にも積極的にチャレンジし、活動の範囲を広げていけるように】
ここからネット・ゲーム依存症対策になるのかが、ネットとゲームに救われてきた自分からすると意味がわからん。
別にいじめられてたわけでもないが、カースト上位の人たちとは全く絡まない、けど友達はいる。
そんなよくある目立たない存在だったわけだけど、ゲーセンに行って音ゲーをするようになった。
年齢関係なく友達ができた。音ゲーに限らずゲーセン全体の顔見知り。
フリーター、大学生、弁護士、医者、スロプー、いろんな人と知り合った。
市内から出るなんて想像もしてなかった自分はゲームのために海外に行くようになった。
これを全部否定された気分。
ついでに今の職業はWEBデザイナーなんだけど、これも学生時代にホームページ作成に明け暮れたからだ。
そういう可能性を、県全体で潰そうとしてるんだな。
ANAホテル、首相の反論ほとんど全部否定しとるやんけ。これは大変なことになるのでは。 pic.twitter.com/9MiBqSXwhl— よう (@ragarut) February 17, 2020
こんなに反応がつくとは。
とはいえろくに考えずに書いただけのネタ落書きにいろいろ意見くれたのはうれしい。ありがとう。
(ここでネタって言い訳すんのかよっていうような脳みそ幼稚園児の人は
頑張って小学生レベルまで成長しようね。いい加減子供じゃないんだから)
でもさ。
全部受け入れるか全部否定するかどっちか出ないと考えられないコメントが多い。
もっと頭柔らかくしよ?
言い出しっぺの私がいうのもなんだけど、
私が書いたことって極論だよね。
うん。
だから全部セットで考えたときに正しいか正しくないかでいえば正しくないだろうね。
うん。うん。
でもさー。
そこで極論だからダメっていう人はさ、何言ってもダメっていうだけでしょ。
何を言っても同じ反応しかできないやつはいてもいなくてもいい無能だよ。
まさかこの増田にそういう無能上司みたいなコメント書いておきながら、
「酒飲んでげろ吐いたやつは後日掃除をした人や世話をしてもらった人に
謝礼や損害賠償金を払うことにするのはどうだろう」
その枠内で考えてたら頭固くなるよ。
箸の持ち方やマナーに関して何やら揉めているようだが
ちゃちゃこ正直クソババアお母さんという下品なハンドルネームの女や
もじゃもじゃ頭のNO科学者が「持ち方の自由」を主張している。
だが、騒ぎの本質は「正しい」という表現への脊髄反射。それだけ。
これが子供ではなく、いい歳した大人の態度というのだから驚きだ。
動作や操作に関しては「適切なフォームやポジション」が存在する。
私は筋トレが趣味だが、いわゆる「正しいフォーム」というのがあり
その「正しいフォーム」とは「数多の先人達による膨大な試行錯誤と経験則」から
「平均的、あるいは好ましいフォーム」として定まったと解釈している。
そして「正しいフォーム」は自ずと美しく見える。
もちろん平均から外れる人もいる。私も種目によっては正しいフォームが合わない。
「正しいフォーム」を頭ごなしに否定し自由で良いんだと言うのは
結局「使いやすければどんな持ち方でも良い」を突き詰めれば
必ず、前述した「数多の先人達による膨大な試行錯誤と経験則」の繰り返しになる。
「正しい」とされるに至るプロセスを辿らず表面だけ見ているとそんな事にも気付けない。
基礎を禄に学ぼうとしないのに「なんとなく」「雰囲気で」調理する。
満足しているのは自分だけ。
ただ「正しいとされたきた」全てを肯定しているわけではない。
例えば「下半身強化には走り込みが常識」という主張には反対だ。
筋力が上がるどころか下がるリスクの方が高いというの学んだからだ。
強化の観点からすれば走り込みは裏付けのない根性論でしかないとわかる。
マナー・エチケット・フォーム・ポジションなどをご破算にし「自由」の行使を主張するなら、
今後、他者の無礼や無作法を「自由」の名のもとに受け入れる覚悟があるということか。
「お前が言うな」と嘲笑されても甘んじて受け入れるか見ものだ。
従来の正しさを葬ったところでまた独自の正しさを押し付けてくるのは明らか。
それが予想できないペラペラ人間には、モジャモジャ毛の生えたハートに箸を、いや釘を刺して
「いっぺん死んでみる?」と言ってやりたくなる。
現代に生きる自分が必ず最良の選択していると勘違いするのだろう。
「親の躾がなっていない」と。私は酷く憤慨した事を覚えている。
今思えば憤慨は恥ずかしさを隠すためだった。
魚や肉を綺麗に切り分けたりしているのを見て
同じ箸を使っているのにどうして自分にはできないのだろう、
そんな疑問が浮かび訊いてみた。
答えは簡単「あなたの持ち方がおかしいのよ」。たったそれだけ。
それから懸命に持ち方と動かし方を真似て練習。するとどうだろう。
今まで何となく不便を感じていた箸がまるで最適な道具になったかのよう。簡単に物を掴める切り分けられる。
米粒でも豆腐でもツルツルした煮豆でも容易く掴むことができた。
正しいフォームを反復練習するだけで、こんな大きな違いになるのか、
自分なりに使いこなそうとしていたのはなんだったんだと、己の視野の狭さと浅はかさに唖然とした。
そして何より箸を考案し正しい持ち方までも無償で提供してくれた昔の人にありがとうと思った。
ちゃちゃこ正直クソババアお母さんという女、ちらっと見ただけでも
その覚悟もなく子作りをした結果、子育てに窮し不平不満を爆発させ
どうせ子育てについて「正しさ」「適切さ」に反発して碌な情報収集や勉強もせず
「己を犠牲にしない自由な育児」なんてアホなお花畑思考だったのではないだろうか。
この女は悪知恵も働くようだ。
子育てしている主婦なら誰でも直面する不安を不平不満に転換させ肥大化と正当化を煽る。
悪いのは夫だ!親だ!環境だ!社会だ!と責任を他に求めるよう誘導し
あなたは一人ではありません、私のサロンで仲間と学び人生を謳歌しましょうと
夫のことを平気で「旦那」なんて呼べる品の無さと
「正直さ」と「あつかましさ」を履き違えたデリカシーの無さは見苦しい。
こんなのがチヤホヤされているのを見ると
未だに橋下や堀江を有難がっている人がいるのも頷ける。
【対案を出せ!】中野剛志が改革バカをぶった斬る【大阪都構想】
https://www.youtube.com/watch?v=EduqZb9Xf0o&feature=youtu.be&t=79
論理性をなくす背景に、新しいこと、普通、改革と言われている「Change」
「New Change」は何か良い事をもたらすはずだという漠たる…
変化を恐れるなとかですね。
それがずっと続いているんですね。
セリフ同じなんですよ。
お前起爆してやるっていうw
http://www.nicozon.net/watch/sm20102492
17:42~
そしてこれまでが全部悪かったんんだ、これまで全部否定して良いんだと言って始まった人達は
行き詰まってくると、またそれをやりたくなる。
これ言葉があるんですよね。
英語では「The Myth of the Clean Slate」って言うんですが
今のシステムチャラにして1からやり直すのが一番良いという発想です。
これをやりだすと大変なことになる。
で、壊すと言うことは何やら「現状に風穴を開ける」ということで
昨日の私は散々だった。
朝から受験生なのにゲームで遊んでる妹にキレて、親と揉めた。そのあと自分の進んだ学部と本当にやりたかったことが違うって改めて思って、一人で泣いた。本当は化学の研究がしたかったんだ。でも家にお金がないせいで、私の頭が悪いせいで、自分がやりたいこともできなくて、今のままで生きてても意味ないって。
親に、妹の成績が良くないから国公立は無理でもう私立に行くしかない、って言われて、呆然とした。
国公立大は安いから国公立大に行ってね。あの時親にかけられた言葉を思い出した。私はやりたいことを諦めて無理してやりたくもない公務員を目指して国公立大に行ったのに、どうして、ずるいじゃん、妹は好きなことできるのに、私は?って思って一人でわんわん泣いた。
しばらく泣いたあと、全部捨てちゃえって思って持ってた鞄とか服とかプリントとかもういらないものを全部捨てようとした。そうしたらプリントでさっくり指を切ってまた悲しくなって泣いた。
そのあと腫れた目でバイトに行った。メイクのノリも最悪だったけれど、バイトでも散々だった。
使ってる機械の調子がおかしくなった。さらにパソコンの調子も悪くてお客様を待たせた。
後輩がミスしてお客様がブチ切れて、収拾がつかなそうだったから対応変わったら女だから弱く見えたのか知らないけどめちゃくちゃに言われて人格まで否定された。今まで生きてきた二十年弱全部否定されたみたいで、やりたいこともできてないって午前中に自覚して号泣したのを思い出して吐きそうになった。クレーム対応終わった後にはトイレでこっそりまた泣いた。レジに戻った時にミスした後輩が笑いながら声かけてきて本当に殴ろうかって思ったけど、馬鹿みたいだったからやめた。
最後の精算が全然合わなくて帰れなくて最終バスを逃した。お陰で普段なら高いからって使わない地下鉄に揺られて帰った。自宅に一番近い駅から歩いても良かったけど、その時は一時間弱歩く体力と心なんてもう残ってなかった。
ガタガタって地下鉄に揺られてる時、本当に死のうかなって考えた。線路に飛び込もうかなって思ったけど、降りた後に乗ってきた電車が終電だったことに気づいて、もう電車は朝まで来ないんだってわかって、こうまで死ねないのかって思って駅のホームでまたポロポロ泣いた。
つらくて苦しくて、死にたくなった時、こういう時私は暴飲暴食をする。別に吐いたりとかはしない。たくさん食べて気持ち悪くなってそのまま横になれば気づいた時には寝ていて、余計なことを考えないですむから。
駅を出た後、いつものローソンじゃなくてどうしてもセブンに行きたくて、普段行かない方向に行った。カップラーメンと、パンが四つ入った100円くらいのやつとシフォンケーキを選んだ。家に帰れば買い置きの冷凍うどんが二人分くらいあったはずだし、十分だろ、って思いながら。
レジに行って会計をしてる時、店員さんがすごい大きな声でなんか言ってて。最初裏にいる人に話しかけてるのかって思ったんだけど違った。こっちに視線が向いていた。イヤホン外してすいません何ですかって言ったら、店員さんが笑顔で「芋餅、食べたことあります?」って聞いてきた。
いやなんのことだよ?って思って、へ?って言ったらもう一回同じ言葉が返ってきた。
「な、ないです。」
「よかったら食べませんか?今サービスで無料でおつけしてるんですけど!」
日付が変わったあたりのコンビニなのに店員さんがすごい笑顔で。はい、って言うしかなくて。そのあと本当にいいんですか?って聞いたら大丈夫です!って言われてその笑顔が眩しくて。
「なんか最後に良いことありました」
「どうしたんですか?」
「今日のバイト散々だったんです、機械壊れるしクレーム対応するし終バス逃すし」
そんな愚痴なんて初対面のコンビニ店員さんに言っていいわけなかったけど、店員さんはそりゃ大変ですねー!って笑ってくれた。
店を出て、レジ袋の中にあった芋餅を手に取った。すごい温かかった。
行儀悪いけど、歩きながら袋を開けて一口食べた。チーズ入ってた。
めっちゃ泣いた。日付変わって12:30すぎ、まだ20歳にもなってない女がチーズ入りの芋餅を食べながらボロボロに泣いたなんて恥ずかしすぎるけど。でも時間帯的にすれ違う人もいなかったから、人目なんて気にしなかった。
この時気付いた。死にたいんじゃなくて誰かに話を聞いて欲しかった、笑って欲しかった、気遣って欲しかったんだって。
親にも妹にも死にたいだなんてことは言えないし、学校の友達にだって家庭環境のこととか貧乏って言って不幸アピールなんてしたくなかった私はずっと心の底にもやもやを溜め込んでいた。吐き出す場所はあって、それはツイッターだけだったけれど、それでも私の周りには私より不幸な人がいっぱいいて。自分はこんな程度で甘えるなって追い詰めてた。
それでも、こうやって、ありのままを見て、笑って励ましてもらいたかったんだって。誰かに。
今日だって死にたい。というか、これからもいつだって死にたい気持ちは消えはしないけれど、それと同時に、芋餅をくれた店員さんの顔も絶対私の中から消えることはないと思う。
「志望動機は良いので、あなたが働く本当の意義を5つ答えてください。」これは、とある企業の面接で唐突に聞かれた言葉である。このことを聞かれた際、一瞬頭が真っ白になってしまった。
本来ならば、頭が真っ白になったとしても単純に思い出す、というよりは腹のなかに溜まっているものを取り出すことができれば問題なく回答を続けることができた。できるはずだった。
「自分の知見を広げるため」
ここまでは回答が出来た。ここまでは良かった。(今考えれば「働くという行為の中でわざわざ取り上げる必要ある?」と返されているので全然良くなかったが。)
しかし、それ以上がどう考えても出てこなかった。
詰まりながら無理やり捻り出した言葉が「地域」「日本」という単語であった。
自分が仕事の内容自体は知っていても、それを数あまたとして関わる人たち、会社というものの具体化が出来ていないこと、頭の中での拙い想像でしか考えが出来ていないことを先の厳しい言葉で指摘されてしまった。
何を話し直そうにも、この事実が存在している時点で私の発する言葉は面接官には一言も響かない。
「考えが散漫している」
「自分で何でもできると思っているでしょ。そんなの仕事じゃないよ」
ただただ正論を提示されているだけなのに、半ばパニック状態になってしまった自分にはもう正常な思考が出来なかった。
せめてもの耐えとして表情だけは曇らせなかったが、もはやそんなことはなんの意味も為してないことは自ずより明らかであった。
思えば、自分というものなんて高々20年ちょっとの塵のようなものの積み重なりでしかなくて、そんなもの風が吹こうものなら一度になくなってしまう。
環境にはとても恵まれていた。助けられて、助けられてようやく大学に受かり、サークルで活動して、代表をして、勉強をした。することができた。
それなのに、知らず知らずのうちに「自分の努力だ」なんて励ましの言葉を鵜呑みにして、誇るようになってしまった。
「自信を持っていい」なんてなんて励ましの言葉を鵜呑みにして、尊大な人間になってしまった。
「傲慢」
暴かれたくなかった。
傲慢な自分を見透かされることではなく、「傲慢」という殻の中に何も残っていないような、それこそ芥子粒のような自分が見られたくなかった。
あぁ、就職活動がもはや何を意味しているかすら分からなくなってきた。
すれ違う人々、車内で隣に立つ人々が日々夢や目標に憧れているとは思えない。「会社辛い」「やめたい」なんて言葉が世に溢れているのだろうか。
何で就職活動では謙虚さを求めておきながらリーダー経験、特殊な経験を求めるのだろう。
矛盾しないはずなんだろうけど、そうなんだろうけど、若輩者にそんなのは無理だ。いや、自分が「ダサい」だけか。
「お祈り」はマッチングミスだなんて言葉があるけど、どうやら私は社会とマッチングミスしているみたいです。
何とかして手に入れた経験や体験を「面白い」「すごいね」と評価していながら「お祈り」する人たち。
だからと言って面と向かって否定なんてされたところで潰れてしまいますけどね。
心のどこかで「傲慢」を取り去れば上手くいく、なんて「傲慢」が私を覆っているのです。
自分自身で自分の経験を否定したくない「身の丈」が分からない「世間様」としては善いとされる学歴と経験を身にしたそんなものを自ら捨てられない捨てればいいって言うんだろうお前はそんな体力も気力も心も全部否定と「肯定」という名の否定の嵐ですり減って今にも倒れそうなんだ世間はお前のことをそこまで気にしていやしないと言うだろうだからってそれを観ているのは自分だそう感じているのは自分だそうだよ私は承認欲求がなければ生きていけないんだよ自己肯定感がないんだよ苦しいんだよ苦しすぎて逃げ道も逃げ道への逃げ方も足の踏み方も足の上げ方も全部全部全部見失ったよ
それでも悪いのはこの自分です。
冒頭にて
男性オタクってひとくくりにすると「俺なんもやってないもん!」な人が出てくると思う。
そうだね。でも傍観してたよね。
たしなめてる人見たことないよ。
ってあるけど、
男と見るや否やこぞって無理やりにでも叩きに来てるフェミニスト(ミサンドリー)の方々が吐く理不尽極まりない言葉たちを、
何の罪もない男性たちを次の怨嗟に巻き込まないためにたしなめに行ったりしてないの?と思う。
傍観しながら直接叩きはしないまでも「オタ男どもめ、ざまあみろww」と溜飲下げる精神活動なんてしてませんよね?
無慈悲に叩かれる悲しみを知っているあなたは、第二のあなたを生まないためにも勿論止めに入ってますよね?
今の若い層の男性オタたちは、そもそもこの風潮に関与も傍観もしていない層が大半で、その人たちがまたも意味なく叩かれているって状況。
そのセリフが出るからこそ、この理不尽に巻き込まないであげてほしい。
00年代ではまだ差別的な風潮が残っていたものの、彼らが持つ突飛で変質的な感性だけが生み出せる独特の面白さが次々と形となり、
オタクであることをむしろステータス化する風潮も同時にできていたと思います。
ここについては日常に潜む一部の天才的なオタク達の功績によるもので同意できるんだけど、
だからといって「なに不自由なく伸び伸びできてた人達」とは全く思えない。
普通にリアルではもちろんネット上でアニメ見てる的な事言い出しても「アニオタキモい」と叩かれる場所はあったと思います。
あと題意と逸れるけど、女叩きが出てきた理由の一つとして、
「これまで自分たちをさんざ迫害してきた立ち位置の人間が、いざちょっと面白そうな界隈だなとなると露骨にすり寄ってきてる」
という事に気持ち悪さを感じた面もあると思うよ。
更にその他の理由として
女が少ない空間なので、女と明かすだけで持ち上げられる
→それを理解しているからこそ、匂わす程度に女アピをして承認欲求をある種不当に?稼ごうとする女性達が現れる
→それに反感を持つ層が現れる
という流れで「女とわかるアピールそのものが嫌われる」という状況に至ったとも思える。
これ考えたんですが、女と明かすと叩かれる風潮はあったにせよ、同時に他の属性についても叩く風潮が十分強かった。
2000年代のVIPでは、女が男を自称しなきゃならないのと同様に職業はニートか引きこもりを自称するのが普通だったし、
女性だけが叩かれていたわけじゃなく、多くのものが理由なく叩かれている中で、
悲しくもマイノリティであった女性という属性もその中の一つになってしまったんだと思います。
勿論全く良い事ではないですけどね
女性全般に言えるけど、2000年代のオタクへの迫害具合って80年代や90年代に比べて落ち着きを見せていたもののまだまだ根強いものがあって、
「特に何もしていないアニメが好きなだけの男性」ってだけで格下の生物を見るような見下した目で見られる状況が続いてたんですよ。
で、この時女さん達殆どの方が黙認してましたよね?
なんだったら言わないまでもメンタリティとしてオタクという属性を抱えていただけで見下す側にナチュラルに回っていたとすら思うんですよ。
他国の排他的経済水域に入ればその国の軍用機が巡回しに来るのは当たり前。
友邦の軍用機を「ウザい」と感じる事自体がそもそも異常。となれば「見られたくないもの」がそこにあったと考えるのが妥当。
艦上層部の「はねっ返り」が、レーダー照射で追い払おうと考えたとします。そのとき、わざわざ司令部に許可を求めてSTIR-180を使うでしょうか? そんなわけないですね、司令部に却下されるのがオチです。
韓国海軍というのは自衛隊なんかよりも遥かに上下関係が厳しい世界なのは知られた話。
艦長の命令もなしに兵装を勝手に起動するなんて事は絶対にありえない。もしあったとしたらその場で身柄拘束されて精神鑑定を受けてるレベルの事態。
そして、約28時間後の翌21日夜、防衛大臣による記者会見として外部発表されます。岩屋防衛相は「実際の火器の使用に先立って実施する行為」と述べます。おそらく、この時点では「STIR-180/MW-08の確定が済んでいなかった」あるいは「MW-08に対空FCレーダー機能があると誤認していた」か。いずれにせよ「対艦FCレーダーの照射だった」とは認識していなかったと考えられます。
防衛省の専門部隊で海自P-1哨戒機に照射されたレーダー波の周波数、強度、受信波形などを慎重かつ綿密に解析した結果、海自P-1哨戒機が写真撮影等を実施した韓国駆逐艦の火器管制レーダー(STIR-180)からのレーダー波を一定時間継続して複数回照射されていたことを確認しています。なお、近傍に所在していた韓国警備救難艦には、同じレーダーは搭載されておらず、韓国駆逐艦からの照射の事実は、防衛省が昨年12月28日に公表した動画の内容からも明らかです。
つか、とっくに終わった話を今さら妄想でひっくり返そうとしても無駄だよ。
「韓国海軍は自衛隊にとって信用ならない存在になった」。これで終わった話。
国家レベルで大嘘ついて相手の信用を損なったツケは、これから長い時間をかけて支払われる事になる。
そもそもの話だが、