「志望動機は良いので、あなたが働く本当の意義を5つ答えてください。」これは、とある企業の面接で唐突に聞かれた言葉である。このことを聞かれた際、一瞬頭が真っ白になってしまった。
本来ならば、頭が真っ白になったとしても単純に思い出す、というよりは腹のなかに溜まっているものを取り出すことができれば問題なく回答を続けることができた。できるはずだった。
「自分の知見を広げるため」
ここまでは回答が出来た。ここまでは良かった。(今考えれば「働くという行為の中でわざわざ取り上げる必要ある?」と返されているので全然良くなかったが。)
しかし、それ以上がどう考えても出てこなかった。
詰まりながら無理やり捻り出した言葉が「地域」「日本」という単語であった。
自分が仕事の内容自体は知っていても、それを数あまたとして関わる人たち、会社というものの具体化が出来ていないこと、頭の中での拙い想像でしか考えが出来ていないことを先の厳しい言葉で指摘されてしまった。
何を話し直そうにも、この事実が存在している時点で私の発する言葉は面接官には一言も響かない。
「考えが散漫している」
「自分で何でもできると思っているでしょ。そんなの仕事じゃないよ」
ただただ正論を提示されているだけなのに、半ばパニック状態になってしまった自分にはもう正常な思考が出来なかった。
せめてもの耐えとして表情だけは曇らせなかったが、もはやそんなことはなんの意味も為してないことは自ずより明らかであった。
思えば、自分というものなんて高々20年ちょっとの塵のようなものの積み重なりでしかなくて、そんなもの風が吹こうものなら一度になくなってしまう。
環境にはとても恵まれていた。助けられて、助けられてようやく大学に受かり、サークルで活動して、代表をして、勉強をした。することができた。
それなのに、知らず知らずのうちに「自分の努力だ」なんて励ましの言葉を鵜呑みにして、誇るようになってしまった。
「自信を持っていい」なんてなんて励ましの言葉を鵜呑みにして、尊大な人間になってしまった。
「傲慢」
暴かれたくなかった。
傲慢な自分を見透かされることではなく、「傲慢」という殻の中に何も残っていないような、それこそ芥子粒のような自分が見られたくなかった。
あぁ、就職活動がもはや何を意味しているかすら分からなくなってきた。
すれ違う人々、車内で隣に立つ人々が日々夢や目標に憧れているとは思えない。「会社辛い」「やめたい」なんて言葉が世に溢れているのだろうか。
何で就職活動では謙虚さを求めておきながらリーダー経験、特殊な経験を求めるのだろう。
矛盾しないはずなんだろうけど、そうなんだろうけど、若輩者にそんなのは無理だ。いや、自分が「ダサい」だけか。
「お祈り」はマッチングミスだなんて言葉があるけど、どうやら私は社会とマッチングミスしているみたいです。
何とかして手に入れた経験や体験を「面白い」「すごいね」と評価していながら「お祈り」する人たち。
だからと言って面と向かって否定なんてされたところで潰れてしまいますけどね。
心のどこかで「傲慢」を取り去れば上手くいく、なんて「傲慢」が私を覆っているのです。
自分自身で自分の経験を否定したくない「身の丈」が分からない「世間様」としては善いとされる学歴と経験を身にしたそんなものを自ら捨てられない捨てればいいって言うんだろうお前はそんな体力も気力も心も全部否定と「肯定」という名の否定の嵐ですり減って今にも倒れそうなんだ世間はお前のことをそこまで気にしていやしないと言うだろうだからってそれを観ているのは自分だそう感じているのは自分だそうだよ私は承認欲求がなければ生きていけないんだよ自己肯定感がないんだよ苦しいんだよ苦しすぎて逃げ道も逃げ道への逃げ方も足の踏み方も足の上げ方も全部全部全部見失ったよ
それでも悪いのはこの自分です。
そりゃおっさんは社内で20年と働いてるんだから その会社の仕事内容わかってて当然だけど 社内インターン1ヶ月もしてない学生にそれは無理ゲー。 学生優位の売り手市場の中...