はてなキーワード: 交差点とは
「ただし、自殺は除いてください」と質問が来たので、回答してみる。
老いる前の人間、つまり若人というものは往々にして『出逢いは無限にある』と勘違いしている。
『出逢いは無限にある』ということの具体的な行動事例でいえば、たとえば渋谷のスクランブル交差点のまえで次々と女性に声をかける、という行為があげられよう。
声をかけたことがない?
簡単だ。知らない他人に声をかけるのだから、第一声はあいさつでOK。
小学生でもご存知のとおり、昼間なら「こんにちは」、夜なら「こんばんは」、朝なら、朝は私は寝ているし、渋谷の街も眠っているので声はかけない。
つまり、「こんにちは」と「こんばんは」だけが言えれば大丈夫。
実演してみよう。
「こんにちは」無視「こんにちは」無視「こんにちは」ガン無視「こんにちは」ガンスルー「こんにちは」一瞬だけチラッと頭部がこちらに向かって動く。チャンス!
「急に声かけてごめんね。あまりにも可愛いから思わず声かけちゃったんだけど、モデルとかやってるんですか?」
ポイントは、最初の質問は閉鎖的質問であることだ。YESかNOで答えられる質問。
「お仕事はなにされてるんですか?」だと開放型質問となり、選択肢があまりにも多くて、答える方はめちゃくちゃ面倒だから無視される。
「ネコ飼ってますか?」「夜の仕事とか興味ありますか?」「スタンダールの赤と黒は読んだことありますか?」
その後、ボディーランゲージもふくめて「YES」か「NO」の返答があれば、私と彼女の間には意識的にも無意識的にも精神の交流と呼ばれる回路ができあがったといえよう。
回路という単語は「回廊」でも「認知領域の拡大」でも「ライフストリーム」でも呼び方は何でもいい。
つまり、彼女は私の存在を彼女の世界に加算してくれたのだ。これはでかい。
さて、ここから先どう展開していくかは、有料版のAIで解説したい。
上記はあくまで私と彼女の間に微小な人間関係が生まれただけで、ここからどう発展していくかは、それこそ近所の散歩と東京マラソンで完走するぐらいの差がある。
高尾山にケーブルカーで行くのとエベレスト単独登頂でもいい。水たまりとマリアナ海溝でもいい。H2ロケット打ち上げ失敗と火星探査成功ぐらいの差があるといってもいい。
要するに。
出逢いは無限にあると勘違いできる性質と同様、老いずに死にたいとか夢のようなことを質問できるのが若人の性質というものである。
ここで私は『肉体は老いても精神は老いないから大丈夫』とかわかったようなことは言わない。
私が言いたいのは、出逢いは有限だから記憶に残るし、思い出にも残るし、大切にしたいと考えるのであって、
出会いも寿命も無限であれば、そもそも私はマッチングアプリなんぞに手は出さんぞ。
・新しいゲーム機で、説明文を読んで得たばかりの知識を、野良猫になぜか少し得意げに披露している人の声を聞きながら、ファミレスの看板を見ている瞬間
・ムンジュイック城で冷凍食品を買って、包み紙をカサカサやっている感じ
・おっさんの初期設定をしているときの、明らかに古い形式で実際には動かない感じ
・緊張した姿の若い兄ちゃんが、雲ひとつない青空をバックにゆっくり回転している
・地元のために用意された、デカい惣菜パンに入ったデカいフナムシの近くを通ったときに感じる、強いおっさんの匂い
・12月の雨の日、降っているものにネコが混じっていることに染みている
・夏場に歩道橋やバルセロナに行ったときの、圧倒的な雰囲気(コロナ対策)
・自転車でイカの横を通り抜けるときにオクトパスが混じっていることに気がつく瞬間(静かさはない)
・アーチェリー場に腰掛けたときの風が強い、フナムシがお気に入り
・ピヨピヨ交差点で、ピヨピヨいう音と一緒にみんなでピヨピヨ
・スーパーのトライアルの中にあったオレンジで、おっさんが矢を射ていたこと
・スーパーで買い物してる親子連れのヒョウが、なぜか少し得意げに歩き出す
・地元のおっさんの2パターンくらいしかない画像を酷使して作られた、美術館
など…
・水族館や動物園で、説明文を読んで得たばかりの知識を、同行者になぜか少し得意げに披露している人の声を聞きながら、動物や魚を見ている瞬間
・いいパン屋でいい惣菜パンを買って、包み紙に油が染みているのを見たとき
・新しいゲーム機の初期設定をしているときの、焦れるようなワクワクするような感じ
・ロイヤルホストなどのファミレスの看板が、雲ひとつない青空をバックにゆっくり回転している
・22時22分
・式典のために用意された、デカい花瓶に入ったデカい生花の近くを通ったときに感じる、強い花の匂い
・12月の雨の日、降っているものにあられが混じっていることに気がつく瞬間
・春先に飛んでるオレンジ色のチョウチョ(ツマグロヒョウモン!)
・夏場に美術館や博物館に行ったときの、圧倒的な涼しさ(案外人は多くて、静かさはない)
・自転車でネコの横を通り抜けるときにネコが見せる、いつでも動けるように緊張した姿(実際には動かない)
・波止場に腰掛けたときのコンクリートの冷たさ、フナムシがそのへんをカサカサやっている感じ
・でかい交差点で、ピヨピヨいう音と一緒にみんなで歩き出す瞬間
・バルセロナのムンジュイック城の中にあったアーチェリー場で、おっさんが矢を射ていたこと
・明らかに風が強い日の朝、起きた瞬間にそれがわかる
・スーパーで買い物してる親子連れのガキンチョが、お気に入りらしい冷凍食品をねだっている声
・地元のゆるキャラの2パターンくらいしかない画像を酷使して作られた、コロナ対策のポスター
・明らかに古い形式で作られている個人サイトの「最近の更新」欄を見たら、2023年とかの投稿があったとき
など…
その非対称性についてはどう考えてんの?
俺は古参はてなーだから「え?どっちにしろ伸びたらホッテントリにどっちも来るんだから一緒じゃん」と思ってしまうわけ。
でも違うっぽいね。
「そもそもはてなの中でやってるレスバならはてなーしか興味ないんだし」とも思ってしまうわけ。
でも違うっぽいね。
なんというか、「はてなから発展したレスバが他所での評判にも波及する」という考え方が必要っぽい。
なるほどね。
そういう発想がなかった。
だってここは便所の落書きにすぎなくて他所とは隔絶されていると思っていたから。
言ってしまえば一方通行の空間というか、テレビに対して親父が「バカだな~~」とケチつけたら次の日どっかの芸能事務所から「うちのタレントをお宅のリビンングでバカにしましたよね?もしそれがお子さんから伝搬して学校でウチのタレントはバカだって評判が立ったらどうするんですか?それが更に世界中に広がったらうちのイメージがガタ落ちですよ?昨日の一家団欒中の発言を取り消してください」って電話きたらヤバすぎてビビるじゃん?
でもそうじゃないらしいね。
なんかもうそういうのじゃないっぽいの。
まあツイッターなら分かるよ。
でもここはてなだぜ?
まさかこんな所まで来て「おい。俺の悪口言ってんじゃねえよね。誰か本気にしたらどうすんだよ」って言われるとか思ってないよ。
でも違うんだろうね。
そういう発言をする人からしたらココはもう既に渋谷交差点ど真ん中の街頭テレビで実況中継中の空間で、そこで何かを言うってことは日本中に向かって何かを宣言するような行為なんだね。
んでソレに対してのレスを小さな近所の集会所でやるのは許さないから今度は池袋交差点のテレビの中ぐらいでやりなさいよって話なのね。
俺たちそんな感覚無かったな。
隣町Aの便所に書かれた落書きへの反撃を、隣町Bでやっても、そんなのどっちにしろ便所落書きネットワークっていう地下世界通信の一部なんだからそれでいいじゃんぐらいに思ってた。
でも違うんだね。
うーん感覚がズレてきてるな。
まあ前々からちょっとした発言をブクマで袋叩きにされるのはツイッターもブコメも一緒だったから、はてなだけで考える分には何も変わらねえじゃんと思ってしまうが、それが世間に与える影響が変わったのか。
アイドルになった友達と遊びに行こうとしたら「世間の目があるから」って言われる感じで、俺たちの関係って何も変わらないはずじゃんじゃすまんくなった的な?
マジで?
はてブにずっといると漫画ビューワが好調なだけではてブの方はスッカリ落ちぶれたイメージなのにね。
そっかー。
便所の落書きについて別の便所で反論するようなことをしちゃいけない時代なのか。
便所の落書きを写メって「これこれに対して異論申し上げる」ともっとよく目に見える場所でちゃんと反論しないと、最初に目にしたときの印象を覆せないからアンフェア的な。
怖くない?
俺は怖いよ。
うまい具合に終着点を見つけた方がいいと思う。
それがないならヒートアップ合戦を最初から始めないほうがいいかなと。
やるにしても、「はてなの中で」というルールは作った方がいいような気がする。
でも一部の人には違うんだよね。
はてなで産まれた悪評がもうインターネット全土に広まった後なんだから、インターネット全土を戦場にしてどっちが正しいかの決着を着けないと汚名返上が出来ないじゃないかなんだよね。
うーん過酷だね。
そもそも喧嘩になるような事をお互い口にしないのが正解だったのかな。
少なくとも、名前を出してやってなければ負けたらそっ閉じで終わりに出来るし、その後も「どこだー!俺にレスバ負けた奴どこだー!ごめんなさいがないぞー!」で勝った側があーだこーだ言い出してもそれはそれで勝った側も痛々しいから普通はしないし安心だよね。
少なくとも半匿名。
運営以外の人間に連絡先を握られた状態でインターネットなんてやったら、絶対に負けられないレスバが発生して大変なことになるだけだよ。
気をつけなきゃね。
ちょっと大きめの交差点だけど、22時ぐらいで人はスカスカの横断歩道
渡った先は突き当りになる道(T字)なので、左に行くか右に行くかだけ
ワイは渡った後に左に曲がるので、いつも左端で待っていた
今日、ワイより先に左端で信号待ちしてる女性がいたので、ワイはその少し右に立って待っていた
信号が青になりワイもその女性もほぼ同時に歩き始めたけど、その女性は右斜め、つまりワイにぶつかる方向に歩き始めるんだよな
たぶん横断したら右に曲がるんだろうな
だったら最初から右端で待つか、人の流れを考慮してということなら左半分の中の右端で待てばいいのでは?と思った
1週間に1回はこういう人見かけるんだよなぁ
思い出したこと。
けっこう前にTVで松本人志が力説していたのだが「右折のためにずーっと停まってるやつがめっちゃ腹立つ」んだと。
どういうことかというと、彼の考えでは
直進車と右折車では直進車に優先権がある。
直進車を一台やり過ごせば右折待ち車に優先権が移る。
つまりその時点で交差点に最先着しているのは右折待ち車なのだから、後続の直進車(対向車)は右折車の妨げにならないように減速して先を譲るのが「本来の」交通ルールである。
ということなのであった。
「その時点ではもう右折優先なんやからほんまは行ったらエエねん」「なんやエエ子ぶってるんか知らんけど直進の人お先にどうぞ、言うて永遠に停まっとんねん」
正式なルールでは右折優先なのに、サンキューハザードみたいな「変なマナー」で待つやつがいるものだからなんとなくそれが正しいみたいになって右折車線を止めてしまっている。一台ずつ、交差点への先着順による優先権を行使すれば全体がスムーズにながれていくのに。
片側二車線以上の道路と片側二車線以上の道路が直交する交差点において、対向車が左折して交差道路の左車線に入るのと同時に(対向車の左折完了を待たずに)自分は右折を開始して直交道路の右車線または中央車線に入る
…というのは道交法的にはどうなのか。
例の「実は加害者、ツイ消し逃亡」の件で改めて疑問が浮かんだ。
同時右左折は「左折した先では左車線に入る」「右折した先では右寄りの車線に入る」というルール共有が前提になる。
もう一つ、直交道路が片側二車線以上だと予め両者が知っている必要がある。
件のトラブルで、発端となった同時右左折についてのブコメ等での評は分かれている。
道路交通法第34条1項「交差点で左折するときは、あらかじめその手前からできる限り道路の左側端に寄り、かつできる限り道路の左側端に沿って徐行しなければならない」
が挙げられていた。
しかしこれだと左折終了と同時の車線変更(進路変更)は可とも読める。右車線からいきなり左折は絶対ダメだが、左折した先の車線は選べると。
自分自身は、同時右左折は絶対にやりたくないので右折側なら対向車が途切れるのを待つ。ウインカー出しといて「あっやっぱ直進しよ〜」と突っ込んでくるやつもいるし、「左折後は左車線、右折後は右車線」というルールは全員には共有されているとは思えずバクチ要素含みになるからだ。
でも後ろのやつが「今行けるだろ!」とばかりににじり寄って来たりはする。
あと、対向車がいなくても左折時はなるべく左車線に、右折時はなるべく右車線に入って改めて車線変更するが、すぐ先でまた交差点を曲がるような場合はその限りでない。
右左折後にどの車線に入っていくか道交法上の明確な規定はないのではないか?
つまりシンクロ右左折を可能にする前提条件に法的裏付けはないのではないか。
結論としては、同時右左折は絶対的にナシ。道交法第34条1項の規定は直接関係ない。
その上で、慣行的ローカルルールでシンクロ右左折がふつうになって(しまって)いる土地もある、といったところではないかと思っているのだがどんなものか。
無料版。シングルプレイヤー。Classic Mode。マップは「World」。時間は無制限。
「МАРIУПОЛЬ」は「MARIUPOLY」か。おお、最近よく聞く地名だな。
「НОВОАЗОВСЬК」は「NOBOAZOVSYK」?
「ЗАПОРIЖЖЯ」は「ZAPORIZHA」。原発があるとかいうところだよな。
まずマリウポリとザポリージャは大きな都市なので見つけやすい。
マリウポリの近くに「НОВОАЗОВСЬК」も発見。NOBOAZOVS'Kみたいな表記になってる。
西に進む道路で「左折するとマリウポリとザポリージャ」と書いてあるんだから、北のドニプロのあたりか?
幹線道路にやたら広告が多いのが面白い。道の上までせり出してきている。
街の名前っぽいゲートがある。
「ДОНЕЦК」は「DONETSK ドネツク」か。それだともっと東だな。
「ЛЕНИНСКИЙ РАИОН」は「LENINSKIY RAION」?
他にも「〜〜 РАИОН」がたくさんあるから「なんとか区」みたいな意味なのかな?
ЛЕНИНСКИЙ РАИОНを見つけたので初期地点を探して回答。
誤差は2m。5000ptだった。
アメリカの国道22号線だ。どうも南に進むと22号、東に進むと156号らしい。
じゃあ22号線をひたすら辿っていくか。辿ってみたけど156号見つからねえ。
こういうときってぜんぜん見当違いなところ探してたりするんだよな。
というわけで改めて周辺を探してみたところウィスコンシン州の「Embarrass」という町が近くにあることが判明。
そこから地図を探してみるに22号と156号は国道じゃなくて州道らしい。
ウィスコンシン州の州道のマークってちょっと飾りがついてるんだな。紛らわしいよ。
その交差点を見つけて回答。誤差40m。5000ptだった。
荒れ果てた感じの町。目の前にコンクリの壁がある。道は舗装もされてない。
この看板の文字はなんだろ。またキリルか。URLが.ruドメインなのでロシアだな。
木の植生的にはそれほど北の方じゃない気がするんだけど。
道路標識「M55」「ШЕЛЕХОВ」「УЛАН-УДЗ」「МЕДВЕДЕВА」。
「ШЕЛЕХОВ」は「SHELEKHOV」。
「УЛАН-УДЗ」は「ULAN-UDZ」。
「МЕДВЕДЕВА」は「MEDVEDEVA」。
うろついてたらマジで大都市に突入した。でかいビルが建ってる。
ロシア南部の大都市を中心に地図を見ていたら「УЛАН-УДЗ」を発見。
少し離れたところに「ШЕЛЕХОВ」も発見。
イルクーツクのあたり。バイカル湖付近。モンゴルにも近いところだなあ。
「M55」は発見できてないけど、とりあえずШЕЛЕХОВで回答してみるか。
うーん、イルクーツクの端っこだったな。
やや寂れた小さな町。少し進むと市街地に出た。道路標識がある。
Piletas Parque Alem
Complejo Turistico
Costa Alta
Puente
Rosario -Victoria
広告のURLのドメインが「.ar」だからアルゼンチンでスペイン語か。
なんかアメリカとロシアと南米を周回してないかGeoguessrくん。
アルゼンチンの地図を見るとわかりやすく「Rosario」という都市があったのでここかな。
「Portal Rosario」という大きなショッピングモールを目印に初期地点を割り出して回答。
誤差は25m。5000ptだった。
草原。あんまり起伏がなくて遠くまで見晴らせるけどずっと緑色だな。
ただ舗装はしっかりしてるのでそんな絶望的な辺境ではないのかも。
すれ違ったタンクローリーの車体にテキサス州の地図が描かれてる。ラッキー。
少なくともその周辺であるとは思いたい。
標識や看板から察するに「BLACK JACK」という町が近くにある?
あとRockdaleにある店の広告?
地図のほうでテキサス州Rockdaleから伸びる908番の道路を辿っていくとBlack Jack消防署やBlack Jack教会があった。
908番道路は基本的に北西から南東に斜めに伸びてる道なんだが、初期地点は完全に東西になってる部分なんだよな。
鈴木は陣営外の人にも話が通じる右翼として有名だったが、実は朝まで生テレビの成立に大きな関りがある。鈴木が居なければあの番組は無かったんである。
また風桶式に鈴木が居ねばネットの団塊叩きも無かったんである。ちょっと説明しようと思う。
鈴木の親は民族主義新興宗教の「生長の家」の熱心な信者だった。その為大学時代は六本木にあった生長の家道場の寮に住み込みんで大学に通うと共に国粋宗教活動と学生運動に身を投じ、全共闘の左翼学生と殴りあいをしていた。最近話題の宗教二世だったのだな。
この道場は乃木坂の緑の中にあった。https://goo.gl/maps/tv9eakNek34ZLQXU6
今では生長の家の3代目がエコロジー志向になったので建物も塀も取り払われて開放的な森として一般にも開放されているが、一昔前は周囲の階段が「おばけ階段」と呼ばれるほど鬱蒼とした場所だった。
日本会議の中核メンバーも多くここに入寮しており実はこの寮は戦後の右翼運動の胎盤みたいな場所なんである。安倍政権で日本会議が急接近した事で政治にも影響を与えた。米議会は安倍政権と日本会議の関係を問題視していたのでこの寮の輩出者も分析把握されているかも知れない。
この敷地内には日本教文社という出版社もあってこれは生長の家の教祖谷口雅春の著書を出版して思想と教義を広める為に設立された出版社だ。しかしフロイトの『精神分析入門』や『夢判断』、ユングの選集などをいち早く出版するなど、実は学術分野でも存在感を示してきた社でもあった。
余談だが防衛庁(当時)の庁舎は2000年まで六本木にあり(現ミッドタウン)、更に60年代まで門が開いていたので近所の人は庁舎内の売店で買い物をしていたそうである。六本木、赤坂の物価より安い上に生長の家道場と防衛庁庁舎は目と鼻の先だったので鈴木も利用して安いパンツ等の購入に重宝していた。
ところがある日、左翼学生による防衛庁突入事件があり、それ以来門は閉められ部外者が売店を使用することは出来なくなった。
六本木交差点の先や青山まで行ってハイソ価格のパンツを買うしかなくなってしまった為に怒り沸騰、全共闘と衝突した際には「お前らのせいでパンツが安く買えなくなっただろ!」と叫んで相手を殴っていたとの事である。相手も何を言われているのか不明だったろう、と鈴木は述懐していた。まー、面白おかしく話を盛ったんだろうけど。
1970年に三島由紀夫の市谷駐屯地東部方面総監部占拠と割腹自殺事件が起きて世間を揺るがしたが、三島の介錯、つまり斬首をしたのが森田必勝。森田もまた割腹し介錯された。この森田必勝は鈴木の後輩で、思想的に鈴木の影響を強く受けていたという。
この為に鈴木は強く動揺、やがて右翼として生きる事を決意する事になる。やがて勤めていたサンケイ新聞も退職してしまう。(デモでの狼藉で解雇されたとの話)
鈴木はこの事をずっと気にしていて十字架を背負っているかの如くだったが、2000年頃になると「森田氏」と敬称を付けて呼ぶようになった。十字架を下したのかもしれない。
余談だが、小泉政権時代に男性か女性か判らんと評判になった井脇ノブ子という政治家が居たが、彼女は学生時代、右翼学生運動のマドンナで、ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』の様に数万の男塾みたいな学生の先頭に立ち、当時新右翼学生運動のプリンス的立場だった森田との交際の噂もあったとの事である。
1977年google:image:『おまえらがかわいいけんなぐるんや!』は井脇31歳の時の刊行だが表紙写真の井脇は暴力教師だかダチョウ倶楽部上島だか素人には見分けがつかない。
鈴木らは「新右翼」であり、これは全共闘などが含まれる新左翼に対抗する為に生まれ、政治権力に癒着した旧右翼らと違う軸を志向した。そもそも対抗する相手の新左翼自体が、日本共産党が暴力路線を放棄する事に反発して生まれたもので、要するに暴力vs.暴力。
最初から硬派なバンカラと軍国路線で、彼らが卒業して政治結社を結成するようになると国防色(カーキ)の街宣車を使うようになった。これが80年頃になると威圧感を与える黒塗り街宣車と旭日旗、日章旗、軍歌を流すというスタイルが定着した。
鈴木が代表を務める一水会も黒塗り街宣車で軍歌を流して通行人を威圧して居たが、やがて鈴木はこのスタイルは良くないと考え出す。こんなスタイルでは話を聞いてくれる人が居ない。
という事で今の機動隊バスのような爽やかなブルーに塗り直して大音量の軍歌も怒鳴り声も止めた。これは今で言うとテニスサークルヤクザとか好青年暴走族みたいな強烈なミスマッチである。(考えれば機動隊バスが国防色止めたのも同じ動機だ)
すると傍目には社会党などの街宣車に見えるから、すれ違う右翼街宣車に怒鳴られる事もあったそうである。「あー、てめえらふざけんじゃねえぞおいゴラ!」「あ、一水会さんでしたかどうもすいませんでした」って事が度々あったそうだ。
ただ、話を聞いて貰えないスタイルが流行したのは大人の事情もある。威圧感があって相手が震えあがるというのは、例えば企業相手の抗議に行くときは相手が折れてやり易い訳だ。
更に活動費というのは支持者の寄付と機関紙の購買費で稼ぐのだが、相手が折れた先に機関紙の購買も持ち掛ければ受諾されやすい。そこで心付けを渡してくる相手もいる。
するとシノギの手段としてヤクザが参入してくるようになる。民事介入暴力だ。ヤクザは元々旧右翼と不可分だったが、それが新右翼のスタイルを模倣して参入するわけ。威圧感を高める為に街宣車もカーキや灰色じゃなくて黒塗りの方がいいし、車格も小さいライトバン等より大型のワゴンやバスの方がいい。こういうのを警察用語で右翼標榜暴力団という。当時沢山いたヤクザが参入する事で「業界」のパイも大きくなった。
鈴木はこういう威圧じゃなくて議論や対話を好むスタイルだったので、敵のはずの新左翼側とも交流があり、新左翼出版社から自書を出版して居たりもした。それで「一般人の方も向いている面白右翼」という評判が高くなっていた。
そこで1985か86年に全共闘上がりの活動家と鈴木含む新右翼の大討論会というのを開催する事になった。司会はあの田原総一朗である。
この当時は全共闘とか学生運動というのは完全に過去のものになっていて嫌悪さえされていた。流行っていた思想はポストモダンで、モダンの内容も踏まえずに言葉の戯れを繰り出すのが流行していた。これは凄惨な内ゲバを繰り返して自滅したのに青臭い異議申し立てさえすればよいという立場で「議論」の場に居座っていた学生運動的なものに参加したくない、そうではないものが新しい価値ある態度なんだという、以前の政治的なものへの強い忌避、反感がベースにあった。あの田中康夫も事あるごとに全共闘残滓の異議申し立て的態度や代ゼミ講師的ノリをコキ下していた(湾岸戦争で日本が参戦を求められた事に衝撃を受け転向)。
そんな時代背景では政治議論なんてものはカビが生えた扱いで部外者には面白い訳がない。
そう思われていたのに、いざ討論会をやってみたら部外者にもかなりウケがいい。やってる方も面白い。
それでこれはいけるぞと踏んだ田原総一朗がテレ朝に持ち込んだ企画が朝生だったんである。
当時、エロ一本鎗だった深夜放送枠でフジTVが色々実験的な番組を放送し始め、その深夜枠のいい加減さも相俟って好事家的視聴者層にウケていた。そこにCNNの放送権をゲットして社会路線で行きたかったテレ朝が乗ったのだろう。
こういう経緯だから最初の頃の朝生は体制派vs.反体制派orリベラルという構図が鮮明だ。田原は最近「朝生は最早保守だ左翼だという時代ではないというのが朝生を始めた動機だ」みたいな事あちこちで言ってるんだが、この経緯を見ればこれが嘘って事は判るだろう。ボケちゃってるんじゃないの?討論なんてウケない時代に「激突全共闘と新右翼」討論会の成功で行けると踏んだのが朝生なのだから。
そしてこの討論会は鈴木の左右を超えた交流と議論好きの人格が無ければあり得ず、田原も来なかった筈なのだから、鈴木の存在が朝生を産んだと言って差し支えないんである。
こういう風に鈴木の活動と波及した社会現象は停滞して煙たがられていた政治議論を活性化した。すると全共闘上がりの人士らは元気になって「異議申し立てが必要だ」「もう一度騒いでもいいだろ」と言うようになった。これらを受けて刊行されたのが1994年の『全共闘白書』である。
この動きに対し、同世代の松原隆一郎が文藝春秋社の雑誌『諸君!』で批判を加える。更にこれを受けて諸君!誌では「うるさいばかりで無責任 上と下からぶっ叩け全共闘世代」という特集を組んで、その名の通りに上の世代と若手の執筆者が全共闘叩きをする記事を寄せた。
つまりはこれがネットで長年繰り返された団塊批判の始まりなのだ。この全共闘的振舞いへの批判から団塊Jr.世代(増田もそう)の日本を支配するオヤジ世代へのルサンチマンと甘えが被さり、「団塊世代」全体を叩くという風にスライドしてきたのである。そこでは例えばいい年になっても漫画を読んでるというスタイルを確立したのが団塊だ(劇画市場の成立)とか子供部屋が個室とか結婚は好きな相手とすれば良いしなくても良いという常識とか若者向け流行歌の市場とか個人のプライバシーとか時給制アルバイトとかが団塊世代がわがままをしたせいで出来たって事にも向き合わないで済んだ。
些か「風が吹けば桶屋が儲かる」的だが、鈴木の活動が無かったら全共闘上がりが活性化して『全共闘白書』が刊行されることも、それに対して下の世代が反発する事も無かったのである。そしてそれがネット民の甘えを吸収して団塊叩きに変化する事になったのだ。
最後に現在も統一教会との関係で取り沙汰される朝日新聞襲撃殺人事件の赤報隊に関して。
1990年代に新右翼を名乗る男の脅迫で柳美里のサイン会が中止されるという事件が起きた。鈴木はSPA!誌に連載を持っていてそれを批判したところその男が抗議してきた。その中で男が赤報隊の名を語った為、鈴木は「赤報隊とは面識がある、名前を騙ったお前を赤報隊は必ず殺すだろう」と伝え、懺悔の言葉を引き出す事に成功し、それを連載記事に書いた。
すると、直ぐに警察が何らかの容疑で令状を取り事務所を捜索して書類の類を皆押収してしまったのである。赤報隊の情報を得る為の別件事件だ。これに鈴木は怒って赤報隊の情報は二度と官憲に提供しないと書いてそれきりになってしまった。
結局赤報隊と鈴木の面識が脅迫犯へのブラフだったのか真実だったのかは不明なんである。
ヤクザの根絶やしを目的とする暴対法が施行される事になった時、任侠右翼とも付き合いがある野村秋介に鈴木はヤクザの人権を守れデモに参加しようと強く誘われたが、鈴木は「イヤですよヤクザなんて」と気乗りがしなかったが、野村は親分肌なので断れない。仕方なしに参加したら呉智英らに「アウトローの人権とは笑止」などと言われてしまった。
西日本凄い雪みたいで西日本のスタッフ現地スタッフに聞いてみたところ
すごい雪積もってる!っつってジェイアールは凄いことになっていたみたいよ。
大変だなぁと思いつつこっちにも雪くんのかしら?って心配していたけど
なんか今朝方とかはなんともない感じよ。
きっと送れてくる雪雲なのかしら?
でもまあ注意しないと。
街角カメラでも交差点角ですっころんだひとのライブ中継動画を目撃してしまったので、
しかも2回も!
相当の人がすっ転んでいるおむすびころりんも青ざめるレヴェルだわ。
気を付けないと。
なので、
事務処理の一日になるかも知れないってことをここで業務連絡しておくわ。
今日も緊急に定時より早く帰りなさい!ってお達しが来ればいいんだけど、
って言っても私だけのこの1人の事務所は私のさじ加減なので、
昨日は早々に寒かったので帰ったけど
それはそれで良かったのかも知れないわ。
天気予報最近注意喚起強めにちょっと大袈裟に盛って言いがちなところあるかなと思っていたけれど、
西日本の天候はガチで予想が的中敵に当たった的に矢が当たったわけね。
でもまあ西日本の人たちには気の毒だけど、
私たちも気を付けないといけないわね。
そうそうに帰れる支度はしておいて、
凌げると言っても、
この空腹より寒さが厳しい一番のなか
それが耐えられないのよね。
あとやっぱりモバイルバッテリーのスマホの電池は持ち歩いていた方が備えよ常にの精神なのかもしれないけれど、
これも同時に充電に対応したケーブルも持ち合わせておかないといけない必要に駆られるじゃない?
ただでさえ
USBミニBタイプ、USBのCタイプ、Lightningケーブルと最低でもこの3種類は持ち歩かないといけないので
掃除機の紙パックの全メーカー対応!って凄い最大公約数的ななんでも当てはまっちゃう
ケーブルが無かったあちゃぱーってなることが多いので
もうポーチには短くてもいい!太く長く生きたい!って気概のある10センチメートル程度の
それらのそれぞれのUSBミニBタイプ、USBのCタイプ、Lightningケーブルも持っておかないと
モバイルバッテリーの充電電池が宝の持ち腐れになっちゃうのよね。
だけど私が月末に陥りがちな罠として
これが多いのか少ないのかはよく分かってないけど
そっちの方が我慢ならないわ。
そう言うのってあるわよね。
まあ寒波には気を付けて!
うふふ。
たまに食べると美味しいわ。
今朝朝起きて寒かったので
寒さゆえ
それだけで飲んでいたストレートホッツ白湯ウォーラーってことに
飲み終わってから気付いたぐらい
寒くて凍えていた身体に
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!