はてなキーワード: バロメーターとは
2/6(土):4242キロカロリー
おジャ魔女どれみを見ながら※1皿洗い
夜:もずく酢、ピロシキ、とんがりコーン、マーボー豆腐、鶏のから揚げ4個、酒(氷結3本、バーリアルのビール二本)、たこ焼き10個
2/7(日):2913キロカロリー
昼:ぶりの塩焼き、キャベツ千切り、キムチ、ソース焼きそば(2.5人前くらい)
夜:マーボー豆腐、もずく素、とろろ芋、ご飯、キャベツ千切り、ソース焼きそば
土曜日の朝計測をしたところ、体重が82.4キロ、ウエストが88cmだった。(1月時点でウエストは90cm)
↑の通り真剣にはダイエットはしていないけど、一応結果は出ている。日常的な運動は大切だ。
長距離のウォーキングを行い、疲れ果ててからパンを買うのにハマっている。今週買ったのはカレーパンとクランベリーパンとピロシキだ。全部最高だった。カレーパンは揚げたてだったので我慢できず歩きながら食べてしまった。そこまで衝動を抑えられなかったのは久しぶりだった。
土曜日に酒を飲みすぎたのか、日曜は気分が落ちていた。”焼きそばをドカ食いしたくなる日は結構参ってる”というバロメーターがある。ずーっと社会人やるの嫌だなぁって気持ちが膨らんできている今日は、まさに参ってたかなぁ。まぁ、お風呂入ってちょっと気分が上を向いてきた。
第 7 話 ハナちゃんの健康診断 - おジャ魔女どれみ# - 作品ラインナップ - 東映アニメーション
ハナちゃんの健康診断回。合格不合格があるらしい。。魔女界って不思議。。
犬猿の仲だったイカ族とタコ族の二人が恋に落ち、子供(あたりめ子ちゃん)を産んだ家族も健康診断に参加している。子供があたりめのところで滅茶苦茶笑った。
どれみたちは「人間が魔女の子供なんて育てられない」という目と戦い、イカ・タコ・あたりめは「この子が健康的に育たないとイカ族とタコ族の関係が悪化しかねない」というプレッシャーと戦っている。こういうプレッシャーと戦って子育てしている人は多いんだろうな、って感じる。
マジョハートは嫌なやつとして出てくるけど、ちゃんとサポートしているいい奴だ。
あらゆる赤ちゃんを眠らせる「ルミナスの子守歌」は魔法よりも魔法だとも思ったけど、タケモトピアノのCMとか砂嵐とか、似たようなものあるね。こういう"魔法"を探すのも子育てなのかなと思いました.
第 8 話 時間を超えて、おんぷママの秘密を探せ! - おジャ魔女どれみ# - 作品ラインナップ - 東映アニメーション
いつも大人なおんぷちゃんが珍しく荒れるところから始まり、珍しく親に甘えて終わる回。トラウマを救うために夢で救ってあげる、っていうのが結構好き。
コロナが日本にも上陸しだして職場の営業時間をどうするか、上司たちが話し合っているころ。3月。
抗うつ剤として薬を処方された丁度1週間後のことだった。
仰向けになっていると苦しく、うつ伏せで胸を圧迫すると逆に安心感が出てくるので日中はずっとうつ伏せだった。
流石にトイレに行くときはベッドから起き上がることができたが、用を足したらすぐさままたベッドに潜り込んだ。
夜泣きはひどいし、座っているよりも横になっている方が楽だった。
見知らぬ誰かが駅のホームで自分を突き落としてくれないかなと考えることも多かった。
でもそこまで深く考えておらず、食欲もまぁまぁあったし働きすぎて疲れてるのかなと思っている程度だった。
年が明けて2月末。どうしても死にたくてツイッターで自殺を募る投稿にリプライを送ってみたり、ホームドアの無い駅のベンチでぼーっとしていた。
死にたかったが、死ぬためのエネルギーがどうしても足りない。体はだるく、胸に見えない何かがつかえていて苦しい。無気力で自分の身の回りのことがすべてどうでもよかった。
職場の先輩が自分の好きなゲームの話題を振ってくれてもどうでもよかったし、上司のジョークもクソどうでもよかった。
全部に曖昧な返事をして仕事のやらなきゃいけない事だけ淡々とこなしていた。
死ぬためのエネルギーが足りないならある程度このだるさや息苦しさを取り除かなければいけない。
実際には見えないけれど、粘度の高い黒いオイルのようなものが胸からずっと流れているし、うっとおしい。
そこで死ぬためのエネルギーだけでも確保するために心療内科へ行った。
入院となるとお金はかかるし、職場もひっ迫していてあまり休める状態にないから「入院はちょっと…」と困って見せた。
抗うつ剤をもらった。1週間ほどで効果が出るのでそれまで辛抱して飲んでみてくださいとのことだった。
そうしてその1週間後、自分の体は全く動かなくなってしまった。
職場には「体の調子が悪いのでお休みさせてください」と連絡した。体調が悪いという言い方は何となく合わない気がしたから。
「12月頃から声がすごく小さくなったし、あまり笑わなくなっていたから心配していた。ゆっくり休んで」
とのことだった。有給もいっぱい残っているし、1週間有給を使って休みを消化した。
丁度コロナで来客も少ないため、職場は大して問題がなかったのが救いだった。
抗うつ剤の効果は凄まじく、胸から流れていた見えないオイルは量が減り、ゆっくりと体が動くようになった。
気分の落ち込みはだいぶ解消され、「今どうしても死にたい」から「まぁ不慮の事故で死ねたらいいな」くらいまで軽くなった。
抗うつ剤の副作用で眠くなるというのもあるが、気分がそこまで落ち込まなくなったので睡眠もまぁまぁとれるようになった。
休み明けの出勤、上司たちに心配されながらも以前より声がしっかり出るようになった自分を見て安堵の表情を見せた。
本当に安堵の表情だった。みんな心配していくれていた。
コロナで営業自粛をするも、逆にコロナ渦で多忙になった部署の手伝いなどで毎日出勤はしていた。
4月5月頃はそれぞれ毎月3日ほど休んだ。6月には1回。7月、8月にもなると容体が安定して毎日出勤できるようになった。
9月頃になると気圧の変動が大きくなったのを体感するようになる。
今まで気圧の変化で頭痛やだるい等感じたことなかった体の調子が気圧によって左右されるようになった。
気圧が落ちてくると息苦しく、じわりと胸からオイルが垂れてくる。
横になっている方が楽だった。
心療内科の先生曰く、今まで気圧に左右されなかった人も、うつ病になるとバロメーターとして気圧によって調子が変わる体質になる人が多いそうだ。
あまり関わりのない職場の人から嫌がらせを受けてまた調子が落ち込む。
うつになる前よりストレス耐性がなくなっていることも実感した。
ついでに、嫌がらせを相談した先輩からは「増田の愛想の良さが原因じゃない?w」というような
今の会社の事だけどね。
給料が変わらんのだわ。
何年経っても。
等級1個あがるより、1日残業した方が手取りが増える程度なんだわ。
数年の間に俺が何も変わってないというのなら別に納得もするが、全然そんな事はない。
数年の間にスキルも向上し、仕事では中心的役割も果たすようになり、俺一人で回してるようなプロジェクトもある。
それでもピクリとも動かない。入社する時にこの額で、と言った時のまま。
数年ぶりに上げろと直談判したら、数千円だけ上がった。
正直もう限界。
虚しさの限界。
別に生活に困窮してるわけじゃないけど、「仕事は給料よりやり甲斐」とか言ってる意識高いんだかキッズだか詐欺師だかわからん人達に言うけど、
出来高払いでもなければ、給料って「その人への評価」であり「その人への期待してる事」なんだわ。
給料ってのは、「あなたをこれだけ評価してます」というバロメーターであると同時に、「これ以上の価値がある人とは思ってません」という意味でもあるんだわ。
それが変わらないというのは、「あなたは成長していないし、成長する事を期待もしてません」という意味なんだわ。
せめて「これこれをやったらこんだけ給料上げます」とか「これこれができるようになったら上げます」とかが判ればまだいいんだわ。
それが会社の期待する事であり、今の給料がなぜこの額なのかの理由でもあるからな。
でもうちの会社はそれが無いんだわ。つまり、なんでこの額なのかもわからないし、なぜ上がらないのかも分からない。
上がりも下がりもしないから、まともに給与の基準を精査してるかも分からない。
単に「この人この給料でも特に何も言ってきてないから、この額のままで良いや」って感じで延々と据え置き。
文句言ったらちょぴっと上げるって、俺はクレーマー対策でもされてんのか?
というか、ちゃんとした基準を設けて給料を設定してるとは思えん。
やってられん。
さよならだ。
我ながら、何とも支離滅裂な夢を見た。
夢とは得てしてそういうものだが、寝覚めの悪さは否定できない。
昨日の疲労、冷凍諸君、エナジードリンクが体に残っているからだ。
“あの時”に限りなく近い、最悪の状態。
「あー……そうだ、これこれ、この感じ」
それが絶不調という形であれ、目論見どおりであることには変わりない。
課題レポートのように掲げるならば『バロメーターとバイオリズムの因果関係・相互作用』といったところだろうか。
まあ、これは超個人的な究明でしかないので、ここでは“マスダメーター”だとか“マスダイズム”とでも呼ぼう。
このマスダメーターは調子の良し悪しを指標する、いわば基準値のようなものだ。
大まかに「身体」・「精神」・「神経」などに分類しているが、これらは相互に作用している。
今の俺が正にそうだな。
疲れているのに重たい料理を食べたから消化不良を起こし、その消化不良とエナジードリンクが睡眠不足に繋がる。
それぞれの要素が絡み合って今朝の不調に繋がり、その不調が更なる不調を生む。
これがバイオリズム……じゃなくて、マスダイズムにも悪影響を及ぼす。
マスダイズムとは、個人的に「何となく気になること」や「何となくやっていること」を概念的に纏めたものだ。
俺が毎日やっている、テレビのチャンネルと音量を10にするというのもコレに含まれる。
気になっても引きずらないし、やらなかったとしても後悔に値しない、そんな些細なものだ。
一瞬、体の中を通過していくだけ。
しかし、マスダメーターが不調だと、この“通過”が円滑に行えなくなる。
どうでもいいことを必要以上に気にしたり、悪い方に考えたりする。
占いを信じてもいないのに、やたらと気にしていたのも、そのせいだろう。
やらなくてもいいことに対して成功・失敗の二元論で判定してしまう。
あの時、俺が「しまった」と思ったのも、それが原因だ。
それに悩んだところで、不調で思考も働かなかったのだから、納得のいく結果・結論なんて出てくるわけがない。
そうして最初に抱えていた不調を解消できないまま不平不満が重なり、負の連鎖へと繋がる悪循環が生まれたってわけだ。
噛み砕いていうなら「調子の悪い人間が何かをやれば、それは悪い結果になりやすい。そして悪い結果を出してしまった人間は、更に調子が悪くなる」みたいな話さ。
そして、結果というものは、結果を出した人間というものは他者にも影響を及ぼす。
それが授業中にやたらと名指しされる因果へと繋がったってわけだ。
つまり俺の思うまま、この日は最悪だったってこと。
「心ここにあらずといった感じだな」
「そんなに悠々としているとは、私の話を聞くまでもなく解答できるというアピール……そう解釈してよろしいかな?」
ボーっとしていたので主語は聞き逃してしまったが、その言葉が誰を指しているかは明白だった。
もちろん、授業の内容は頭に入っていないので答えられるわけがない。
これから俺は的外れな解答をして、先生に嫌味たっぷりの説教を聞かされるのだろう。
しかし気負いはなかった。
馬面教師の宣告と共に、俺は“答え合わせ”を終えていたのだから。
この癖を仲の良いクラスメートは知っているが、いま俺の口元がどのような感情を表しているか、そこまでは分からないに違いない。
だが、それでいい。
この法則と同じで、これは個人的で、誰も共感しなくていいことだ。
だからこそ、せめて自分が納得できる結論を求めなきゃいけない。
それこそが俺の、俺による、俺のための法則と、その証明なんだ。
結構前になるが、1度だけプロの性感マッサージ(いわゆる女風)にいったことがある。
というのも、私は悩んでいたのだ。自分が「イけない」ことに。
まだ彼氏と付き合いだして間もないころ、なぜ私がセックスでイけないのか、という議題で揉めたことがある。
そのときの私は「そんなこと私が知りたい」という思いでいっぱいだったのだが、彼はずいぶんと落ち込んでおり、悲しみからくる苛立ちを私にぶつけているようだった。耐えられなくなった私は、その日から禁断の「イったフリ」をするようになった。
しかし当然ながら、それを1度でもやってしまったら、今後永遠にそのパフォーマンスをし続けねばならない。私はそれが嫌だったからこそ、それまで「イけなかった、でもあなたのせいじゃない」のスタンスで乗り切っていた。でもこれでもう、彼は間違った正解を得てしまったから、私の未来は閉ざされたと言えよう。
私はどちらかというと性欲も強い方だと思う。なのに、初めての彼氏は小さすぎてまじで入っているかわからなかったし、次の彼氏には性病をもらうし、今の彼氏は瞬間でセックスがおわるし、全然充実した性生活を送れていなかった。いつかは、いつかでいいから、出来ることならイってみたかった。だからこそ、これは割と絶望的な選択だった。
どうしても諦められなかった私は、ある日ふと、プロにお願いすれば何とかなるのでは?と思いたち、性感マッサージを予約した。
ただ薄々気づいてはいたが、「イく」というのは、雰囲気とか相手への愛とかで自分を盛り上げないと達成できないらしい。相手の方は、仕事なので一生懸命雰囲気を作ってくれたし、なるべく恋人っぽい感じにしてくれようとしていたのだけど、全然好きな人とかではないせいか私はむしろそれをやられると萎えてしまう。なので終始性の探究者みたいな感じでいたため、なんだか仕事の邪魔をしてしまって申し訳ないことをした気がする。
最後にプロの技術で潮吹きだけさせてもらったのだが、「潮吹きって気持ちいいから出るもんじゃないってマジなんですね」などといってしまい、微妙な顔をさせてしまった。
ただそこで「プロから見てなぜイけないと思うか?」と熱心に聞いた結果、要約すると「精神的に興奮してないから」だという回答を得た。体に刺激を与えて無理矢理イく手前まで持っていくことはできるけど、最後のところは自分の気持ちを持っていけないと難しい、と。
なるほど、と思った。彼氏としているときは、気持ち良くはないけど幸せ!と思っているけれど、この日は、気持ちいいってこれのことか?いやこれか?ほうほう…などと考えていて恋愛的バロメーターはゼロだった。だから向こうも察して、キスも色恋営業的なことも一切してこなかった(ありがとう)。
この経験で得た学びは、好きな人じゃないとイけないのに、好きな人(彼氏)ではイけそうにないということだ。えっ、それって私この先一生いけないかもしれないってこと?という結構絶望感のある結論となった。
まあそれがわかっただけいいか。プロでも無理なんだからこれから頑張ってイこうとしなくてもいいじゃないか。それもそれで人生。
未来人の価値観は理解に苦しむところもあるが、翻訳の難しさは俺たちにでも分かる問題だ。
慣用句や、詩的な表現、そういった何らかのコンテクストが要求されるとき、別の言語に変換することは困難を極める。
該当する適切な表現が翻訳先の言語になければ、その時点で破綻するんだ。
そこを意訳したり省略したり、或いは開き直って直訳すれば最低限は伝わるかもしれない。
ガイドの時代でも試行錯誤はあったようだが、不可能という結論を先延ばしにする以上の意味はなかった。
100%正しい翻訳ではない時点で、100%正しい意思疎通もありえない、ってことらしい。
「結局は翻訳という工程を必要としない、新たな共通言語を開発することで対策をしたんだ」
「そういえば以前にどこかで話していたな。フエラムネ語だっけ」
「ヒューメレンゲ語じゃなかった?」
「いや、フュ○メッ△ゲ語だね」
それでも課題は残った。
言語そのものを最適化しようが、他種がそれを用いることができない時点で、。
「言葉というもの自体が、所詮はヒト向きのコミニケーション手段でしかないからね」
そして、その“ヒト向けのコミニケーション手段”でもって動物と“会話”をすることは、極めてヒトの恣意的な判断が介入することになる。
それは意思疎通ができているようで、実際は“分かっているつもり”の状態に近い。
むしろ中途半端な理解によって、新たな問題が発生する場合もある。
「つまり理念に反するんだよ。『人間の尺度で動物の意思を推し量ることは傲慢だ』という指摘が多くてね」
ガイドの時代は技術開発ばかり先行していると思っていたが、そういうことも考えている人も多いんだな。
自分が生きていない遥か未来のことなど大して興味もないが、俺にでも理解できる価値観が残っているようで少し安心した。
「あ~あ、つまんねえの。結局は何も分からないってことじゃねえか。未来って言っても、そんなもんかよ」
「体調を管理する機器を用いて、快・不快度などのバロメーターは分かるよ」
弟にとっては面白くない結果だったが、俺は内心これでよかったとも感じていた。
そりゃあ気にならないわけじゃない。
時々、思うことはある。
キトゥンの奴が日々をどのように世界を見て、考え、動いているのか。
それが、おこがましいって分かっているから、したくないだけでさ。
自分があのテの動物番組を無邪気に楽しめるタイプなら、こんな七面倒くさいことを考えなくて済んだのかもしれないが。
……あれ、いないぞ。
恐らく日課の散策に行ったのだろうが、いつもどこで何をしているんだ。
あいつの勝手とはいえ、飼い主という名分でもって把握しておくべきなのだろうか。
今日、ようやく弁護士の先生との話がまとまり、半年近く書類を溜め込み、まとめ、提出を受諾した。
これで労災申請についてはスタートラインを着ることが出来るだろう。肩の荷がおりると同時にまたひとつ肩に荷物が乗ってくる形にはなるが、やや身軽にはなった。
今日は陰鬱とした内容とするよりは、将来的に見返した際にかつての私自身が何を理念にして行動をしていたのかをなんとなしにでも書き起こしておきたいと思う。
過去の怨恨の煮凝りのようなブログを見てもこの時期はこんなに落ち込んでいたのか。そう思うことで一つの気持ちの整理がつく、今もこうやって執筆(?)することでも気持ちを吐き出せている心持ちになり気が軽くなる。結構日記をつけるということは大事なのかも知れない。毎日でなくてもマイペースに吐露したい気持ちがあればぶちまけておく分には誰も損はしないはずだ。
そんな前置きはさておき、何を考えて行動しているのか、逆に何を考えないようにして行動しているのかをポイントを踏まえて整理しておきたい。
1.精神面について
2.肉体面について
大区分としてはこうなるだろう。
以下に記す。
【精神面について】
これはネットワーク社会が構築された現代社会・世界の中では、非常に困難を極めることであると考える。しかし難しい一方でせめて自身を大切にしないといけないのも事実である。
自己を確立し承認欲求を満たすためにSNSで幸せに見せかけるような料理・動物・景色などの写真を上げたり、社会派な発言をして理解を得るコミュニケーション等、人によってやりたいことがあると思う。
しかしながらネットワーク社会は残酷で、常に自分より上を之くと感じる人々を見つけ、目をやってしまうことが多い。絵ならば神絵師なんて言われる神的存在があたりに跋扈し、写真なども他者のバズりを見せた動画に対し自分のものは何故伸び悩むのか、そんなことで自身を雁字搦めにしては自分を「弱者」と捉えては自身で自身を不幸の道へと誘ってしまう。
それらを完全に無視することは難しくあろうとも、自分なりの努力や工夫をした過程はせめて評価してあげて欲しい。結果を出すことができるのは残念ながら才能のある人やチャンス・タイミング等を上手く掴み伸し上がる努力をした人たちだ。
SNSは性質上成功者の発言や情報発信を多く目にするため感覚が麻痺しているが、目にしている傍らには自身と同様に彼らを見上げている有象無象が居ることを忘れないでほしい。
個人的には日本人特有の「つまらないものですが」「らくがきです」「てきとうにつくりました」といった謙りを強くかけてハードルを下げるような行為を好きなこと、趣味の中では決して行わないでほしい。私生活では”出る杭は打たれる”なんて表現があるように目をしかめられたり、よく思われないのではないかと私自身も憚ることがあるが、自己を卑下したところで残るのはセミの抜け殻みたいな空っぽの精神だけなのだから。
「がんばりました!みてください!ここをがんばったんです!!」と強く胸を張ってほしい。それに反発する人が十中八九居るだろうが、全方位に笑顔を向けたり好きになってもらおうと努力する必要なんてないのだ。尖った貴方にこそ惹かれる人が居るだろう。
あまり尖りすぎるとそれはそれで問題では有るが、丸みを帯びた鉛筆よりかは荒削りだろうと、懸命に削って先の尖った鉛筆のほうが使っていても見ていても心地が良いし。
ポイントを一つだけ上げれば「自己を卑下するな。常に胸を張れるようにあれ。」と言った形だろうか。
1-2・・・上司の脅しに屈するな。社内規律より法律を優先しろ。
これはブラック企業が蔓延している世の中では誰しもが優先してほしい。
社会人になった最初の上司ガチャ次第にもよるが「協調性」「我慢・忍耐」「従順さ」のようなものを押し付けてくる相手であるなら、ソシャゲだったらリセマラ案件だ。
そういう相手の多くは「自身がした苦労」「それらが慣習化していること」あたりを武器に殴ってくるが、それらに屈してはならない。会社が内々で何を定めていようとも、相手にプレッシャーを過度に与えたり、ましてやその反応を楽しむようなことは法律上許されないのだから。
最近ハラスメントについても防止法が施行されている。2020年6月には労災要件にパワハラが追加される予定でもある。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000126546.html
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私の場合は、「一方的な人事査定」「未払い残業代」「数々のハラスメント」に対して業を煮やし、我慢が出来ず、部下の仕事の管理すらしない名ばかり管理職の上司に対して毎日のように炊いては内心ではキレ散らかすほどになり、少し冷静になって情報を集めてようやく法律は味方をしてくれることにようやく気がつくことが出来た。
多くの人は泣き寝入りをし、中には社会復帰すら困難な立場に追い込まれた人もいるだろう。
そうなってしまってからでは行動を起こすことすら難しい。だからこそ、ボイスレコーダーでもメモでもメールでも日記でもTwitterへのツイートでもなんでもいいから証拠を残すんだ。自分がこうあったという記録を残すべきなのだ。それらは決して自分を裏切らない。最たる証拠、すなわち最強の武器と盾になるだろう。今もそんな気持ちでブログを書き起こしている。前述したが、案外文字にするとこう思ってたのだと再確認する機会を得ることも出来る。非常に大事だ。
ネットワーク社会の情報の荒波に飲まれると、ふと「自分は何もしていないのではないか?」といった謎の焦燥感に駆られることは現代人に置いて常にあるものだと感じる。だから日々、写真とか上げるのだろうし。
取り残されないためにも何かをしないといけないと思っては「無理に外出をする、遠くへ旅行をする、恋人を探す、結婚しようとする」といった何らかのアクションを起こす。人の幸せの感じるバロメーターはそれぞれ別モノであるから、他者がやっていることを後追いする必要なんてものは一切ない、後追いしまくった結果、何も残らず虚脱感を得られる…なんて負の遺産が待っているコトだろう。
人によっては「家でゆっくりする」「寝ることが幸せである」「愛猫愛犬などの動物と入れたら良し」といった外に出ずとも完結する幸せなんてものも多数転がっている。
少なからず私は近隣の猫カフェに行って何時間も何も考えずに猫と触れ合ったり何もしない様をみて改めて「何もしないことも幸せの一つ」だと噛み締めたり、偶に奮発したお高めの即席麺やお酒を飲んだりすることで満足している。
お高めのお金がかかる趣味や旅行が趣味ならそれはそれで構わない、ただ自分が本当に何がしたいのか、他者の行動に振り回されないで破天荒じみた生き方をしても、公益を妨げない限り誰も不幸にはしないはずだ。
【肉体面について】
2-1・・・飯はよく食え、ダイエットは単なる炭水化物の減量でしようとするな。
学生時代は代謝が良かったのか、社会人が動かない生活をしているせいなのか、多くの人は体重の増加に悩むことが多いだろう。
そこで考えるのがダイエットである。「低糖質ダイエット」「ごはんを豆腐に代えろ」「葉っぱだけを食せ」といったような荒療治で痩せることは簡単ではないうえ、本気で痩せようとしている人かするべきではない。
第一に生活を根本から変える必要があるためにストレスが非常に高まる、コレに尽きる。そのため一時的にダイエットが終わった後、短期間でのリバウンドが絶えないだろう。
痩せるために何かをするのであれば、まず個人的に推したいことは「飯はゆっくり目に食べる」「よく寝ること」「(昼勤務の人は)夕食時、少しだけご飯を控えめにすること」「金銭面で余裕があればプラセボ程度のサプリメント(フィッシュオイル/CLA/カフェイン/難消化性デキストリン等の食物繊維)の摂取」だと感じる。
しっかりと寝ることは精神面の安定にも繋がり、ストレスによる過食も防げる。ちなみに科学的根拠もあったりする。
2017.6.21|国立大学法人 筑波大学 国際統合睡眠医科学研究機構(WPI-IIIS) 睡眠と代謝の密接な関係
https://wpi-iiis.tsukuba.ac.jp/uploads/sites/2/2018/01/PR_170621_jp.pdf
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ストレスと投薬によってここ数年間は体重増加が半年に±10kg程度あったがよく寝るようになると、少なくとも私は目に見えて痩せて安定傾向になった。荒療治は続かない上、時代に沿った流行(トマト・バナナ・ブロッコリー・卵など色々見た気はする)があったりするため、それに着目した企業からの甘い誘惑も多い。
空腹がどうしても気になるのであればカゼインプロテイン(マイプロテインやバルクスポーツが安く手に入りやすい)などの消化吸収が穏やかかつ高タンパクな健康食品で補うと、間食に走るよりはだいぶマシになるはずだ。あとはどうしても固形物食いたい人は紀文食品の低糖質麺シリーズ(https://www.kibun.co.jp/brand/toshitsuzerogmen/)を食うと幸せになれるかも知れない。こんにゃく臭さが微塵もしなくなってるから「食べやすい・食物繊維多め・腹持ちよし」の良さみ高め食品なのだ。
2-2・・・筋トレとか運動を少しでもしろ。そのついでに日光を浴びろ。
陰鬱になると家にこもりがちとなる。結果として自身の体力や見てくれにこだわりなどなくなり、浮浪者のような格好となる。去年夏から冬にかけて髪を切らなくなったこともある。気をつけなければならない。
その改善策としては筋トレをすることを勧める。少なくとも外に出たり、ジム通いをすることになるので最低限の身だしなみは整えるようになる。おまけで筋肉もついて少しだけ自身がついたりもする。金はかかるが最低限のことをした気にもなるので安い出費だろう。
テストステロンが出たり、こまめな運動で気持ちのリラックス効果も期待できる。やることがないならそうしろ。
(https://sportsgym-fc.com/self-help/)
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外に出るついでに日光も浴びると良い。日光浴ができるとなお良い。温かいのは気持ちが良い。のんびりしていることへの罪悪感も少し消える。日光は良い。浴びろ。
今日ははこんなところとする。
溜まった洗濯物。補充したいと思いながらできずにいた作り置きのお茶。埃や毛が散在した床。洗ったまま片付けられていないキッチンの食器。空っぽの冷蔵庫。足りない栄養。足りない睡眠時間。足りない運動時間。
平日を生きるのにいっぱいいっぱいになっていて、やむなく蔑ろになってしまうこれらの「平素行いたい・行うべき日常」全てが週末に押し込められている。
食事を作っているときに感じる幸せ、洗濯物を干すときに感じる気持ちよさ、綺麗な部屋を見たときに感じる満足感。
これらは全て奪われて、職場と自宅を往復するばかりの平日の自分が受け取るのは、空白を凌ぐためだけに食べる好きでもないコンビニ飯、溜まりに溜まってストレスのバロメーターと化している洗濯物の山(冬場は少量でも嵩張るから一層腹が立つ)、ため息をつきながら見て見ぬフリをする床の汚れ。
こうしたストレスを解消するためのタスクを週末にはかろうじてできるというだけ幸せなのかもしれないが、それでも、休日にやっと平日を送っている気がする。休日になってようやく、平日、「平素行いたい・行うべき日常」を送れている気がする。
頭がおかしいと言われることはわかっているが、最近は朝シャワー浴びているときにひとりで悪態をついたり、叫んだりしてしまう頻度が増えた。どうしてこうなった。きちんと生活したいだけなのに、とても難しい。