はてなキーワード: yesとは
どうせ母親に任せっきりなんだろう?
8割は俺が担った自負がある。
オシメ交換は9割俺がやった
土日の終日95%俺が面倒見てる。
まぁ俺が好きだから作っただけで8割が俺が消費していたが、まぁ作った
子どもたちが集う公園には精神ギリ暴発寸前のヤツれた母親を大勢見かける、ブチギレシーンを何度も目撃した
ウチ一度もねぇのよ
そりゃもちろんダダをこねることもあるがせいぜい3歳まで、ほぼ記憶が無い
公園から帰りたくないとか玩具買って、地面に転がって手足バタバタは1度あったが、我が子にもとうとうこの時期が来たかと嬉しくなりビデオ撮影した。
その後、次こそ最高の映像を残してやると待ち構えていたがついぞやらずに4歳、5歳を経過。
もうやらんだろう
イヤイヤ期も無かった、健全な成長に必要な時期だと本に書いてあったのでイヤイヤ期をやれと命じたことがあるが、拒否られた
泣きじゃくる、癇癪を起こすことも稀にあったが、数えるほどしか覚えてない
人間含めた哺乳類は抱きしめて胸の圧迫と皮膚刺激を与えると落ち着く。リッキンギ、グルーミング。
海馬の糖質コルチコイド受容体、視床下部からの副腎皮膚刺激ホルモン分泌に対するネガティブフィードバック機構に作用する、しろ、さぁ交感神経活動の正常化、カテコールアミンの分泌を抑制せよ、とか考えながら30秒も抱きしめていれば落ち着く、チョロイ。
押さえつけてるだけだろ?
好き放題させている
公園で遊びたい、帰りたくない、真っ暗の砂場で飽きるまで待ってやったのは10回20回では無い
面倒な説得やら交渉やら説諭するくらいなら俺は俺でスマホでネットでもやってりゃいい。
目を離した隙に砂を食ってたりしたこともあったが、腸内フローラの多様性、幼年病原体とのエンカウントはむしろ有益であるとの論文もある、どんどん食え。
タブレットやスマホも専用機を与え自由に使わせており、一応は制限時間を儲けているが時間でロックかかると
目が悪くなるかもしれんが、なぁに彼が大きくなることにはips細胞とかでちゃちゃっと直せるようになるのではなかろうか、しらんけど。メガネかけりゃいい。
玩具買ってくれ、買いますとも、せいぜい数百円、数千円、数万円のものだ
ウチは貧乏だから、との説得をそれとなくしたらあまり無茶は言わなくなった、値札を見て「これならどう?」みたいな、挙げ句に「ウチは貧乏だから我慢する、お金持ちになったら買ってね、っていうか俺が自分で買うわ」とか言い出した
念のため、悲壮感はゼロだからね、子供は笑いながら冗談半分に言うてる。
なんというか、部屋にゴミ増えるのうぜぇっ等々大人の諸事情的なこともざっくり包括的に理解してくれてる感じ、天使か、
出かける時は服も着させる、自分でやらない、パパやって
無理にやらせようとしても遊んでいるだけで逆に面倒くさい、ならばさっさと俺が着せたほうが早い
まさか10歳二十歳になって、パパ靴下捌かせととは言わんだろ、そのうち勝手に自分でやりだす。
甘えてるだけ
甘えが悪いとは思わん、5歳なんて「生きるの楽しい」って記憶だけ刷り込めば十分だと思ってる。
「今日は運が良かったね、楽しかったね」子供の口癖、俺がよく言ってやるのを真似た。
なにか少しでも楽しいことや新しいものに出会えたらそうやってフラグを打つ、記憶する
そうそう、そう言えばトイトレも楽だった。
幼稚園に入る前に終わらせなければと少々焦ったが、入園数週間前に秒で終わった
おねしょは1度だけだった。ちょろい
先日、公園で遊ばせていると「パパ来て」、公園では勝手に遊ばせる、
友達がいれば友達と遊んでいるし、誰も居なければ適当に同年の子供を見つけて友達になって遊んでる。楽でいい。なんか知らんが走り回ってる、何が楽しいのかねぇ
そんな息子が満面の笑顔で「雲梯最後まで行けた見てくれ」と、アレをしろこれをしろという指導や誘導は一切しないが勝手に雲梯の練習を初めて、しばらく2,3ステップまでしか進めなかったがようやく最後まで渡り切れたようだ。
雲梯で脳が活性し利口になることは知っている、頑張ってやってくれ
補助輪をつけるのが面倒くさかったのでそのままやらせていたら小一時間で習得。
ビュンビュンと走り始めた、とにかく楽で良い
公文だのピアノ、絵画、水泳、皆さんいろいろされているが一切無し
風呂場にスピーカーをつけて好きな音楽を流せるようにしているが、元気に鬼滅とポケモンを歌っている。そんなんでいいんちゃうの?一応俺はピアノが弾けるが
先日、図書館で3歳まで公園でよく一緒に遊んでいた母子と再会した
突然来なくなったのだが習い事全部入りなのは知っていた、育児マニュアル信奉親、公園では裸足で遊ばせてた
その子を見て、正直勝ったと思った、いや勝ち負けとか言うちゃダメなのは百も承知、二百も合点なんだが、感じてしまったものはしょうがない
彼は生命力と覇気がスポイルされた目をしていた、可哀想に、だがそれも親の愛だ
アホだと思うが。どうにもできん。頑張れ
スポーツクラブに通う彼の筋力、体幹は明らかに俺の息子に劣っている、事実だから仕方がない
俺の息子はひらがなを一つも書けないが、彼はカタカナも書けるだろう
なぁに文字なんて小学生になってから嫌でも習う、60にもなってひらがなが書けない以下略
就学してから、こんなの全部やってるもーん、よゆー、から教育が始まるのと
え?俺全然できない、みんなできるの?ヤベ、勉強頑張らないと不味くね?
息子は超絶負けず嫌い、そこで折れない諦めないフォローと自尊心や自己肯定感を養ってやれば良い
スポック博士の育児書の初版本を図書館で書庫請求して取り寄せてもらった(平成元年の三版しか残ってなかった)
つまり、まー、こんな知見はどれほどの支持、権威や科学やデータだと言うても、ほらみてみ、変わるのよ、間違えてるのよ
だがあの本はぶっちゃけ役に立った、「いろいろ書くが、子供なんて頑丈だから簡単には死なない、自信持って自分のやり方で育てなさい」だってさ
そのまんまやんけw
コメントいっぱい貰った、ありがとね
俺も何度かある、それ子供悪くないよね?叱るところじゃないよね?その叱り方じゃないよね?
精神的にギリなのもわかる
だからさ間違っててもいいんだよ、子供は育つ、育てやすい子、そうでない子、色々なのもわかるが、もう少し肩の力を抜いて子供を育てない?
正しい子育てなんてなくね?マニュアル頼りの子育て、測りすぎの育児を少しだけ見直す
書きたかったのはそういう事です。
スチャダラの「ぼいー」はパブリック・エネミーの「ぼいー」から来てると知った
すごい情報を有難う
番組では永野が好きな曲をランキングで紹介してたけど、色んなジャンルの昔の有名所を挙げていて良かった
(古びる曲もあるけど、逆にそれが良いと後世でもてはやされることもあるし。シティーポップとか。
自分も学生時代に大滝詠一とか細野晴臣とか聴いて悶絶していた。面白いし可愛いし絶妙過ぎる。細野天才過ぎで芸風多岐にわたり過ぎ)
今You Tube Musicでドナルド・フェイゲンからのミックスリストを聴いているんだけれども、YESのOwner of a Lonely Heart(1983)がかかっていて、こんなのいつの時代に聴いても新鮮よなと思う(どの時代にあってもプログレッシブ)
それにしても人生の中で好きな曲をランキング付けするってすごく難しいわ
常に更新されてるってのもあるけど。あと、年齢によって変遷するし
「これは不動の1位」なんてのは無いなあ
「疲れるとイヤーワームとして現れる曲」とかならあるけど(それは何故か日本のクセが強い曲が多い。というか大体は杉良太郎の江戸の黒豹で、最近ではB'zのultra soulだ。疲れすぎだ)
「雨が降ってると現れる曲」は「Raindrops Keep Falling on my Head 」
あと、「夜に星空を見上げるときに現れる曲」はTMの「Here, There & Everywhere」
会話2はYES+補足やで
YOU
ChatGPT
はい。赤ちゃんは通常、生後数か月から笑顔を見せることがあります。一般的に、視線を合わせ、声をかけ、顔を近づけて愛情を示すと、赤ちゃんが微笑んだり笑ったりすることがよくあります。この反応は、赤ちゃんが周囲の人とのコミュニケーションを楽しむ一環です。
ただし、全ての赤ちゃんが同じように即座に反応するわけではなく、個々の赤ちゃんによって異なります。また、笑顔や笑いは成長とともに変化していく可能性があります。
YOU
Gemini 回答案 2
はい、赤ちゃんは笑いかけると笑うことがあります。特に、生後2ヶ月頃になると、人の顔や声を認識し始めるようになり、笑いかけられると笑って返すようになる赤ちゃんが増えます。これは「社会的微笑」と呼ばれ、赤ちゃんが周囲とのコミュニケーションを楽しもうとしている表れです。
ただし、すべての赤ちゃんがすぐに笑うわけではありません。中には、人見知りをする赤ちゃんや、笑うタイミングが遅い赤ちゃんもいます。また、体調や気分によっても、笑う頻度が変わることがあります。
赤ちゃんが笑うかどうかは、その赤ちゃんの性格や成長によっても異なります。そのため、あまり焦らずに、赤ちゃんのペースに合わせてコミュニケーションをとることが大切です。
赤ちゃんが笑ってくれたら、たくさん褒めてあげましょう。そうすることで、赤ちゃんは笑うことが楽しいことだと学習し、さらに笑顔が増えていくようになります。
自分
Copilot
こんにちは、Copilotです。赤ちゃんの笑顔についてお聞きになりたいのですね。😊
赤ちゃんは生まれてすぐに笑顔を見せることがありますが、これは「新生児微笑」と呼ばれる反射的なもので、自分の意志で笑っているわけではありません。¹²
赤ちゃんが自分の意志で笑う「社会的微笑」は、生後2ヶ月頃から見られるようになります。¹²³ 赤ちゃんは周りの人の顔や声に反応して笑顔を見せてくれるようになりますが、最初はママやパパだから笑うというわけではありません。²⁴
赤ちゃんがママやパパを認識して笑顔を見せてくれるようになるのは、生後7~8ヶ月頃になります。¹⁵ このような笑顔は「社会的微笑」と呼ぶ人もいます。² 赤ちゃんは自分が大切な存在であることに気づき、ママやパパへの信頼感が生まれ、笑顔を見せてくれるようになるのです。¹
赤ちゃんの笑顔を引き出すためには、笑顔で話しかけたり、アイコンタクトをとったり、一緒に遊んだり、スキンシップをとったりすることが大切です。²⁴⁵⁶ 赤ちゃんの笑顔は、成長の目安やコミュニケーションの手段です。²⁴⁶
赤ちゃんの笑顔の頻度には個人差がありますので、あまり心配しすぎないようにしましょう。²⁴⁵ それでも赤ちゃんに何か発達の問題があるのではないかと心配なときは、お医者さんに相談してみましょう。²⁴⁵
その状態から本気で脱したいのかというと明確にYESと言えない部分もあるんだけど
運動を全くしていない状況がこの低調に拍車をかけているという自覚はあります。
運動したり、スマホ持たず外に出てちゃんと外の景色見たりすると
びっくりするくらい高解像な世界が目に飛び込んできて少し
感じいっちゃうこともあるんですよね。
もちろんそういう視覚のクリアさだけじゃなくて凝り固まった思考から自由になれるし
続ければ自己肯定感も増すだろうという予感はある。
やりがいをほどほどに感じられる会社に勤めるのが今の自分の状況から鑑みると
わかりやすく一番近道でいい変化をもたらすんだろうけど
第2回 Larabelチュートリアルを参考にログインするだけのWebアプリケーション(?)を作る
composer create-project laravel/laravel example-app_20240131
続いて、Composerを使用してLaravel Breezeをインストール
composer require laravel/breeze --dev
php artisan breeze:install
いろいろ聞かれる。わからん。とりあえずBlade/Yes/PHPUnitを選択。
すると「・・・・installed successfully.」と表示されたので何かが成功したっぽい。
続いて
php artisan migrate
するとエラー。
Illuminate92;Database92;QueryException SQLSTATE[HY000] [2002] Connection refused
そもそもデータベースの準備を何もしてなかったので、エラーが出るのは当たり前だった。
サンプル用にデータベースを作成し、それに合わせて.envファイルを修正する。
再度、
php artisan migrate
すると「DONE」と表示。成功したっぽい
チュートリアルに従い、「ウェブブラウザでアプリケーションの/loginか/register URLへアクセス」。
すると、Laravelが出してるっぽいエラー
Illuminate 92; Foundation 92; ViteManifestNotFoundException PHP 8.1.27 10.43.0 Vite manifest not found at: /******/example-app_20240131/public/build/manifest.json Run npm run dev in your terminal and refresh the page.
npmとやらが「not found」だったので手順を飛ばしたのがやはりダメだった。
さくらインターネットでnpmを使うにはnode.jsをインストールしてnpmをコンパイルする必要がある?
次回があれば「さくらインターネットのスタンダードプランの環境にnpmをインストールする」である。
早くHello Worldとか書きたい。
追記:
いっぱい見てくれてありがとう。
もちろん、事実も真実も今俺がどこでどんな暮らしてるかも全く知らないくせに、書いてもないことを妄想や憶測や曲解や邪推で補完して膨らまして、
俺を批判したり同情したり憐憫したりアドバイスしたりしてくれたブクマカたちにも、ありがとう。
それを無意識のうちにやっている人も、自覚的にやってる人も、いるなと思いながら目を通した。
でもまあ、それはいいんだよ。
それが欲しくて増田に書いたし、
俺は生きてるから。
俺の言動の意図がねじまがった形で波及して、求めてもいない影響をどこかやだれかに及ぼしてしまって、
俺自身が誤解されたり損害をうけたりすることがあっても、
俺は生きてるから。
死者にそれをやるのは卑怯だよね。だって死者は、裁判で訴えることも言い返すことも説明することも訂正することも弁明することも謝罪することも、できない。
死者は憐憫してほしいのか称賛してほしいのか忘れてほしいのか助けてほしいのか居なかったことにしてほしいのかも、もう確かめるすべもない。
自死について、テロ行為と書いたことで苦しませた人は本当にごめんね。
漫画家さんの自殺はテロ行為だなんて言うつもりはなかったんだよ。
自殺者の自死をテロ行為にしないために、生きてる人が気をつけるべきことがあるんだって話をしたかったの。
俺んとこで言えば、俺は、妹のせいで母が壊れたと思うべきではなかったし、壊れた母から悪影響を受けるべきでないし、母にも妹のためにこそ壊れないでほしかった。
だってこれが成立すると、あの自殺が俺たち家族にとってテロ行為とも呼べるシロモノになってしまうじゃない、って話をしたかったの。
こういう現実が、こういう思想で自殺にメリットを感じる価値観と地続きと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20230715095602
妻子を気に掛けたくれた人もありがとう。
俺の妻から苦しみを聞かされたわけでもない、なんなら妻の顔も名前もしらないのに、妻の気持ちを代弁してくれた人も、ありがとう。
これ以上自殺の呪い(と言い換えます。テロは強すぎたね)の悪影響をひろげないために、妻と子供には、より誠実に向き合って、より大切にしていこうと、あらためて強く思いました。
人の心なんて、生きてようと死んでようと、絵にかいて見せることも形づくって触れさせることもできない、言葉を尽くしても伝わらない、どうやっても想像の域を出ないものだから、切ないね。
無意識のうちに、自分の妄想や憶測を、事実と同列に取り扱ってしまう人は、「人とは自分が見たいように物事を見てしまう生き物だ」ということ知ってほしいな。知ってて損はないし上手く使えば得になる。なんなら知らないと損してしまうこともある。
追記ここまで
妹はいわゆる境界性パーソナリティ障害っぽいところがあって、思春期はまあ大変だった。
気に入らないことや思い通りにならないことがあれば、ヒステリーやリスカやハンストで家族を萎縮させる。
妹以外の家族、俺と父と母は割りと温厚というか事なかれ主義というか淡白だったものだから、
とにかく言うことを聞く。「これして」「あれちょうだい」全てその通りに。
勉強は中の下、外では外交的でないまでもヒスも起こさず我慢だけしてるから、人付き合いは良好でなくても不穏でもなくて、
つまり社会生活に不具合がなかったから、幼いうちに医療にかかることがなかったのは心残りだ。
俺たち家族はほっとした。実家の環境が合わなかっただけで、家族以外との生活には問題ないんだ。
あの子は変な子でも変わった子でもなかったんだ、と。
妹が嫁いでまもなく、俺も結婚し、2世帯住宅を建て、両親を呼んだ。
実家は取り壊した。妹がヒステリーを起こしたときの痕跡が生々しくのこる実家は、みんなにとって黒歴史だった。
妹が壁に書き込み続けた呪詛の言葉。蹴ったり殴ったりして開けられたいくつもの穴。食器を投げつけた傷。包丁が刺さったあと。拭いても拭いても落ちない血痕。
リノベーションするにも、業者のひとに見せるのすら憚られたから。
今思えば、何て書いてあったのか、あの子の心の叫びを知っておけばよかったな。
旦那さんは、気さくで温厚でいい人だ。嫁の実家なんて気を使うだろうに。
俺ら家族に対して不穏な態度を隠しもしない妹に不満をみせることもない。
一晩泊まって、翌朝になっても客室から出てこない妹とは対象的に、旦那さんは一人早くに起きてきて、朝食の支度を手伝い、妹抜きで朝食を囲んだ。
今思うと、もしかして欠陥品かもしれない妹を押し付けた俺ら家族と、もしかして欠陥品に今現在虐げられる暮らしをしているかもしれない旦那さんと、何も知らない俺の嫁さんで、なんとも言えない緊張感はあったかもしれない。
妹にとって、自分の実家とは言えないが自分の両親と兄が暮らすこの家は、居心地がイイとはいえないだろうが、
自分の親族の家に来ているというのに朝になっても起きてこない妹に、何も言わないし様子も聞かない俺たちは、旦那さんの目にはどう映ったんだろうな。
嫁いで何年経っても、妹に子供はできなかった。
なにかの機会で、旦那さんのご両親と俺と俺の嫁と俺の両親で一緒に食事をした際、
先方のご両親からそのことに触れられたが、俺の両親はなんとも煮えきらない反応をして、話題を変えた。
この頃には俺の嫁も、俺の妹の不穏な雰囲気を察していたかもしれないな。
妹が嫁いで8年くらいの頃かな。
「妹が離婚する」って。
妹から電話があって、そう言ってたって。もちろんいつものヒステリーからくるヤケクソの話ではなく、その電話で旦那さんとも話して、「直接ご挨拶をさせていただきたいのと、離婚届の署名をおねがいしたいので、伺わせてください。この度は誠に申し訳ありません」って感じの話だったらしい。
俺たちは困った。嫁いでからずっと妹は働いてなかったはず。
もう30になるという歳で、職務経験もないあの子が、今すぐどこかで働き口をみつけて、住むところをみつけて、一人暮らしをして、ってできるのか?
もしくは、こちらに帰ってきても生家はない以上、ここに住むのか?
俺には子供が二人できていた。
言葉にはしなかったけど、妹との暮らしは、子どもたちには悪影響ではないかと思ってしまっていたことは、忘れていない。
仮にそれが一時的に出てしまったのだとしても、時間が経てば解決する。
離婚なんてしなくても済むはずだ。
母はその晩、妹に電話をかけた。
離婚したとして、どうやって暮らしていくのか?現実的に難しい問題がいくつかあることを妹に話していた。
だから、もう少し頑張ってみたらどうか?とも。
今思えば、いつでも帰ってきておいで、って、言ってやるべきだったかなあ。
妹はまもなく首を吊った。3日間意識不明をさまよったのち、死亡となった。
俺は妻に子供を任せ、両親を連れて嫁ぎ先へ飛んだ。
旦那さんの憔悴ぶりは見ていてとても可哀想で、なにより申し訳なかった。
俺は仕事が有るのと、妻に幼い子供2人押し付けてるのも気に掛かかるものだから、両親を残して通夜だけでお暇した。
旦那さんは別れ際に、「僕のせいで、申し訳ありません」と言ってくれた。
この時点で俺は、妹の亡骸を見てもなお、妹が死んだ事実よりずっと、俺の妹がこの人やこの人の家族に迷惑をかけてしまったということのほうが胸を占めていた。
そう言って別れた。旦那さんは泣いていた。
俺は本当に浅ましかった。
あのまま妹を俺の家に受け入れていれば、妹は俺の家を破壊したかもしれないし、俺の家で首を吊ったかもしれない。
そう思うと、妹が、意識不明から復帰することがなくてよかったし、すべて旦那さんがケツ持ちしてくれてよかった気がする。
そもそも妹が嫁いだとき俺は、「これで妹に縛られた人生から開放される」「死ぬまで妹の面倒見てくれる人ができてよかった」そういう気持ちではなかったか。
旦那さんは、こんなかたちではあるが、妹が死ぬまで面倒見てくれて、汚れ仕事をすべて請け負ってくれた恩人。
旦那さんの未来は、もしかしてこのことのせいで暗く閉ざされてしまうこともあるかもしれないけど、俺たちは、旦那さんのせいにして、何ら変わらない日々を送れるんだ。
はやくこの地を離れたい。
そういう気持ちでいた。
あれから2年が経った。
1周忌は仕事を言い訳に行かなかった。妻も両親も旦那さんも、俺に何も言わなかった。
今月、妹の3回忌があった。そのため久しぶりに嫁ぎ先を訪れた。
曇天でいまにも降り出しそうな空模様のなか、お経を聞いた。
そんなに多くの法要に顔を出した経験が有るわけではないのだが、よく見るのは、故人の配偶者が存命の場合は、故人と配偶者の馴れ初めや思い出なんかを坊さんが語ってくれたりして、参列者でほっこりして、故人を悼んで…なんてするイメージだった。
そういうのは無かった。離婚が決まっていたからなのか、自殺だからなのか。もしくは、旦那さんに新しい女でもいるのかな。見覚えのない女性の参列者を見かけると、そんなことを考えたり考えなかったりした。
法要のあとは、旦那さんと妹が暮らした家に伺って、形見分けをしてもらってから、両親を伴って帰路についた。
旦那さんと妹が暮らした家は、記憶の奥底に閉じ込め蓋をし忘れたことにしていた、実家を思い出すようだった。刃物や食器を投擲することによってついたであろう傷は、しずかに床や壁にこびりついていた。
2年間の月日が流れる中で、妹の嫌悪を感じる点も、忌まわしさを感じる点も、憎悪を感じる点も、あまり思い出せなくなっていく。
思い出を美化しているらしく、生前は良い思い出とは思っていなかった記憶さえ、なんだか温かい感情を伴って思い出されることすら有る。
だから、本当の妹は、ここに書いているよりもずっと酷い人間だったかもしれない。
記憶の美化は故人の美化で、それは後悔を呼んだ。
幼い頃から妹に手を焼く度に忌まわしく思ったし、
脅しによって周囲の人間を思い通りに操ろうとする様を本気で憎んだときもあったよ。
だけど、俺から見たら「気に入らないこと」「思い通りにならないこと」で感情を爆発させる妹だったけど、
妹にとっては、きっとそれが何より辛くて苦しくて助けてほしいことだったんだよなあ。
今でこそ、境界性パーソナリティ障害っぽい、だなんて偉そうにラベルを貼れるけど、あの頃は、そんな妹自身が抱える暗闇について、目を向けることすら無かった。
分かりにくかったけど、きっと助けてほしかったんだろうな。
妹を大切にする暇もなく、妹より大切なものをいくつも持ってしまって、さいごまで蔑ろにしてしまったかな。
あの頃俺がつらかったのも事実だし、
そして、この2年の月日で、母はどんどんおかしくなった。
母をまもるため、母を大切にするため、俺はこの家を建てたのだけど、母はいま妹ばかりだ。
俺が妙な助言をしてしまったせいで、母は妹にあんな電話をしてしまって、だから妹は死んでしまって、だから母は壊れてしまったのかなあ。
妹がヒステリーを起こして母を殴るたびに、母に刃物を突きつけるたびに、俺は母をかばったものだけど、母はそれももう忘れてしまったのかなあ。
俺が生きていても、母にとって意味はないのかなあ。
俺の子どもたち、母にとっては孫であるこの子達も、母の大切な一人娘が死んでしまったことの前では、無価値なのかなあ。
父は、もともと目が見えない人だったが、母がおかしくなってから、認知症も進行したように思う。
ハンディキャップが有る父。妹に攻撃される母。人格障害っぽい妹。
俺も、頑張りすぎたのかな、幼い頃から、妹の兄でありながら、妹の父のかわりや、母の夫のかわり、あらゆる自分を演じようと、無理をし過ぎたかな。
こんな俺が、妻や子どもたちを大切にできているのかな。
いろんなことが複雑に絡み合って俺たちはここにいるんだなあって最近よく思う。
最初は、「妹が自殺したのは、配偶者である夫とのいさかいのせい」と思い込もうとしていた。本質はどうあれ、そのほうが俺の人生にとって都合が良かったから。
だが、壊れてゆく両親という現実や、美化される自分の記憶とともに、その自己暗示も、維持ができなくなってきて、自責の念が強くなってきたと思う。
それと同時に、なぜか新しく故人である妹への憎しみが湧いた。
俺たちを苦しめる原因って結局すべて妹だ。感情を削ぎ落として考えたらそうだ。
そして母への怒りを感じた。
俺は子供だったし、母は大人だった。夫が盲目だからって、俺に頼り切りでなく、大人として責任を果たしてほしかったよ。
妹が死んだ途端、被害者ぶるのはやめてくれ。
あの子を病院にかからせることができたのは、あの頃はあなただけだったじゃないか。
俺に負債をおしつけて、それで今更被害者面なんて、浅ましいと思わないのか。
色んな感情が渦を巻く。
妹はこんなふうに壊れる俺たちが見たかったのだろう。
妹を厄介払いするように嫁にやって、妹以外で結託している俺たちに、自分の重要性を知らしめたかったのではないか?
他人を変えるために、死というウルトラCを用いて、インパクトを与える。
他人というのは、俺らだったかもしれないし、旦那さんだったかもしれないけど。
まんまと呪われた母は、そして呪われた母に巻き込まれて変わらざるを得なかった俺や父は、
妹の思うつぼだということだ。
でも、妹はそんなやつじゃないとも思うんだ。
本当に逃げたかっただけだ。
俺たち家族からも、旦那さんからも、厄介者扱いされていると感じてしまう現実から。
見捨てられる恐怖から。
もちろん俺たちだってそんな、あからさまに厄介者扱いなんてしなかったよ。でも繊細で傷つきやすいあの子は、なにかを受け取ってしまったかもしれないじゃないか。
そんな弱い子でもない。
あいつは、内面にそういうマグマをかかえつつも、無難に人付き合いができる賢い子でもあったよ。
怒りっぽく、傷つきやすく、繊細で、家に帰れば人の悪口ばかりだが、本人の前ではおくびにも出さない。そういうしたたかな子だった。
自殺だって、彼女が彼女なりに選択をしたことだ。良し悪しはべつにして、彼女の中にそれなりの正義があったに違いない。
同情がほしいなんてそんな浅ましい理由で、こんな愚かな真似をするわけがない。
だから、外野に過ぎない俺等が勝手にあれやこれや憶測や妄想をして、勝手に因果関係を見出して、勝手に怒ったり悲しんだり憐憫したりするのは、彼女に失礼ではないか、とも思う。
とにかく。
自殺って本当に良くないな。嫌でも思い出すし、
外野が勝手に悲劇のエッセンスに利用してるのを見ると、自分のことのように腹が立つ。
にしてもだ、自殺って脳天気なバカどもが考えてるよりずっとずっと地獄だよ。
自分のクソデカ感情をシェアしたくなる気持ちはわかるけど、自死遺族からしたら、それすらもノイズだったりするかもよ。
発信することは、真意が売名でも承認欲求でも吐き出しでも追悼でも救済でも擁護でもなんでも、ノイズになりうるし、エゴイズムだと思う。
しらんけど。ありがたく思う人もいるかもしれんけど。
フィクションじゃないんだよ。病死や事故死や老衰とは話が違うんだよ。故人の何を知っているんだ。
自殺するようなことがなきゃ、書かれなかったであろう伸びなかったであろう記事をいくつも見たよ。
自死によって世界が変わるのは、良く変わっても悪く変わっても、なんだかテロリズムを感じて気色悪いんだ。
生きてようと死んでようと、その人間が行ってきた善行も悪行も変わらないから、本質的には同じなのに。
俺は芸能人や有名人が自殺しても勝手な憶測は書かないようにしているし、因果関係も見出さないし、責任追及もしない。憐憫もしない。
死者が物言わないからって、単なる憶測がでかい面をしていい理由にはならない。
本気で愛してんなら、自殺と絡めず書いてくれ。だし、死ぬ前に書いてやれ。愛だけ叫んでろよ。
確定していること
https://en.wikipedia.org/wiki/Sugar_Daddy
A sugar daddy is a man who offers support (typically financial and material) to a younger companion.
なお、同名の日本向けサービス「SugarDaddy」は2015年から存在している
おそらくだけど
・援助交際全盛期が2000年前後であり、古くなったのとイメージが悪化したため
・「朝活」を始め◯◯活が流行ったのが2010年〜2011年頃からだったので、その流れ
かなと思われる
また、◯◯活というワードが古くなるまで使われ続けると予想される
まだ「推し活」など現役ワードが多数あるので廃れないのではないだろうか
最初の頃のほうが交際クラブなど、高級志向の意味合いだったようだ
最近はもっとライトになってきていて、少しずつ援助交際と同じ意味に近づいて言っている
調べてみると、2009年〜2016年頃に盛り上がっていたようだ
パパ活に取って代わられたのかもしれない
これはYESでありNOでもある
交際クラブやギャラ飲みには思ったよりも体の関係が無いものが多い
これは単純に
・年を取りすぎてある程度枯れている
からと考えられる
フィナンシャル・タイムズの2024年予想(Courrier Japonより)
月に2件しか読めないケチの無料会員なので、ここにメモしておこうw
【20240718追 記】 半 年くらいたったので、ここで中 間答え合わせしてみるかな...
今んとこ15勝5敗かー、まずまずの勝 率w
幼児への性的虐待のニュース以降Xでロリペド論争が繰り広げられているのを見ていてぼんやり思ったこと。
まず前提として俺は、現実の赤ちゃんに性的興奮を覚える人間はめちゃくちゃキショいと思うし、妄想レベルでもキツい、相入れない存在なのは確か。そして実際そういうコンテンツを消費すること自体犯罪になる。
…一方で、ロリババアなる概念も、ランドセルを背負った大人のAVの存在も、PixivやXで魔法や謎の薬によりロリショタ化される大人キャラも、「そういうもの」と思って特に違和感を覚えることはなかった。
そもそも実態が見えてなかったり二次元だったからなんとも思わなかった。
ただ、今こうして思うことは、やっぱりロリはダメでは?ということ。我々はだいぶ麻痺しているのではないか。
明らかな「幼児」を性的対象として見るのは公にして良いコンテンツではないだろ?
声を出せない意見できない「幼児」と自分を犠牲にしながら現在進行形で世話をする親がいる、その幼児を性的虐待する行為。「性癖」という位置付けにしていいのか?
対大人でエグい作品は星の数ほどあれど、殺人モノもあれど、三次元に置き換えるとそれらとは比較できない話ではないか?と思う。
正直犯罪をなくすための一番良い解決策なんて俺には浮かばない。極論になる。
でもどうしてもなんとしてもソレをやめられないロリータ諸君は、一部の腐女子のように容易に検索できない場所で鍵をつけて同志にしかわからないパスワードをかけて仲間内だけでふんわり楽しめないものか?お互いに監視し合い、「表に絶対出すべからず」「例えネット上であろうともここ以外で口に出すべからず」「掟破るもの断罪あり」で活動できないものか?
それが何の解決にもなってないのはマジでそうなんだが、Xや Pixivで検索すればすぐに幼児が犯されてる絵が出てくる現代は「狂ってる」と改めて感じた。
それを「表現の自由」とするのも、一般的にかなりキツいものがあると認識して欲しい。溢れている二次ロリ絵からペドフィリアに落ちる人は間違いなくいる。だから目立つ母数は減らした方がいい。少なくとも検索慣れした中高生が「気軽に触れていい文化」ではない。
とはいうが、ロリータ(性癖)の次がタッチ(加害)である異常性に気付き、ひっそり奥の奥で活動したほうが、お互いにいいと思うんだよなぁ。
余談だが、今回の件ではるか昔に「僕はロリコン」という歌をニコ動で聴いた記憶が蘇った。あの頃はキモ面白い歌として消化してしまった気がするが、改めて検索して聴いたら身の毛もよだつ犯罪ソングだった。