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はてなキーワード: ISISとは

2021-04-07

anond:20210407104948

ISISだそうですよ

女をあてがってもらえる

2021-04-06

anond:20210406185239

そうだぞ

から弱者男性にあてがわなければISIS のような集団になりテロ可能性があるわけ

女性社会の安定化のために弱者男性にあてがわれなければならないんだ

誰をあてがうかは女性同士で相談して決めてね

anond:20210406184618

ISISもなんで一時期あんなに拡大したのかって性奴隷をあてがってもらえるからだしな。

弱者男性に女をあてがうとあんぐらい暴力的集団が出来上がる。

あてがえ論は公共の福祉に反する

人権というのは公共の福祉に反しない限りにおいて保障されるのであって、公共の福祉に反する=誰かの人権侵害しないと成立しない人権保障されません。

それを実現してくれるのはマジメにISISくらいしか存在しない。

2021-03-01

south park season19

2015年放送

2021-02-14

anond:20210214192658

ってかISISがまさにこういう考え方で勢力を拡大したんだよな。

非モテを集めて奴隷にした女を当てがってああなった。

あいうのこれからいくらでも出てくると思うよ。

2021-02-01

淫夢厨はべつにゲイバカにして笑っているわけではない

しいていうなら、ゲイバカにするような人間、そしてゲイバカにするような人間正義面で叩くような人間、この両方を冷笑している。

この辺りを弁えず単純にゲイバカにするようなコメント、あるいはゲイ擁護するコメントを書き込めば、すかさずガキやお客さんといったレッテルを貼られてしまう。

要するに彼らが求めているのはアングラ感なので、世間一般忌避する要素があればなんだっていい。

時にそれは統合失調症患者であり、共産主義であり、北朝鮮であり、ISISであり、不倫であり、薬物であり、炎上全般である

そういう要素を好む輩が、たまたまゲイも扱っている、それだけの話。

世間一般ゲイ忌避するという前提があって、彼らは成立している。

ゲイという属性普遍的でなんら特徴といえない世界になれば、淫夢厨は存在しなくなるか、あるいは別の何かを扱うだけだろう。

2021-01-24

anond:20210124204856

そういう連中に女をあてがうと一大テロリスト集団が作れるのはISIS実証済みだしな……

2021-01-19

14歳でないと起動しない設定を作ったのは何故か?という話←そうか?

まず問題であるtweetはこれ↓ね。

鬼滅の刃エヴァンゲリオンで私が持つ疑問は、組織的に「戦士」を育てて闘わせるのなら、

戦士子どもである必要がないのでは?というところ。子どもが闘う必要性がないように思う。

と友人に話したら、「エヴァは知らんけど、鬼滅は少年ジャンプで連載してたからでは?」と言われて話が終わった。

 

それでこれのブコメトップがこれ↓

cinefuk 『エヴァ14歳でないと動かせないんだぞ?知らんのか?』というreplyが多数ついていて、理解力の低さに呆れる。

14歳でないと起動しない設定を作ったのは何故か?」という話なんだが アニメ オタク

2021/01/17 リンク yellow211yellow

 

 

1.

要点としてはツイ主がどういう質問をしているのかというところで、

cinefukさん「ツイ主はメタ的な問いかけをしているんだぞ、作中の設定で答えるのは理解力のない馬鹿。」

↑これがトップなんだけど本当にそうか?

  

 

だってさあ、ツイ主の発言

組織的に「戦士」を育てて闘わせるのなら、戦士子どもである必要がないのでは?というところ。子どもが闘う必要性がないように思う。

だよ?

これは、私には、何回検討しても、作中設定に関するオタクに見える。

 

そもそももしツイ主がcinefukさん解釈のようなことを言いたいのであれば

フィクション子供を戦わせるのが不愉快って言えばいいじゃん?

うそのまんま。あん文字数も要らない。

 

最大限問いか形式にするにしても

鬼滅の刃エヴァンゲリオンで私が持つ疑問は、なぜ子供が戦う必要があるのか?ということ。」

とかでいいじゃん?

 

 

2.

フラットによく読んでほしい所だけど、元ツイ主は

組織的に「戦士」を育てて闘わせるのなら戦士子どもである必要がないのでは?というところ。子どもが闘う必要性がないように思う。

と言っている。 

 

これは国語的にどう読んでも、子供が戦うこと全般リジェクトする立場の表明ではない。

作中の設定を受け止めたうえでその合理性リアリティを問うオタク的な質問と読むほかない。

 

cinefukさんの主張するように、「なぜフィクション子供を戦わせるのか(子供を戦わせるの反対)」がツイ主の問いたい(訴えたい)ことなら、

組織的戦士を育てて戦わせるのなら~」なんて前提全く要らないよね。

だってどういう設定やどういう前提があろうがフィクション子供を戦わせるのに反対なんだから

「こういう設定の場合は疑問」て言い方したら、限定的疑義ということになる。

 

なのでもしもツイ主の言いたかたことがcinefukさんの主張通りなら

とっても余計な、誤解を生むしかないことを言ってるということになるし、

逆にこのtweetからあの回答をするcinefukさんは、ふつーに国語の点数低いと思う。

 

まとめると

ツイ主の意志がどうであってもcinefukさん国語の点数が低いのは確定していて、

ツイ主の言いたいことがcinefukさん解釈通りならツイ主とcinefukさんの2人の国語の点数が低いし、

ツイ主の言いたいことがcinefukさん解釈と違うならcinefukさんだけ国語の点数が低い。

  

 

3.鬼殺隊は畜生

以上で国語の話は終わりでここからが本題なんだけど、

鬼滅の刃エヴァンゲリオンで私が持つ疑問は、組織的に「戦士」を育てて闘わせるのなら、戦士子どもである必要がないのでは?というところ。子どもが闘う必要性がないように思う。

と友人に話したら、「エヴァは知らんけど、鬼滅は少年ジャンプで連載してたからでは?」と言われて話が終わった。

これを設定に関するツッコミオタク的な質問だと解釈して鬼滅について答えると、

鬼殺隊は元々すんごい畜生組織であるということが疑問に答える重要な手掛かりになる。

  

そもそもプロトタイプ読み切りが先ず酷くて、

子供捨て駒みたいに鬼と戦わせてかろうじて生き延びたけど不具になった子をもう役に立たんから放り出すという凄い対鬼組織が出てくる。

プロトタイプはこの不具になった子供義手義足武器を仕込んだベルセルクみたいなダークハード少年主人公で、

「これはきつすぎるのでこの世界もっと明るい少年いないですか」って担当が水を向けて主人公だけ明るくなったっていうのが連載初期。

 

から鬼殺隊は初期構想では絶対畜生組織のままなんですよね。

これは別に私がプロトタイプの印象を引きずって勝手妄想してるんじゃなくて、作中描写証拠があることです。

まず入隊試験がクソ過ぎるでしょ。

失格する奴は死ぬんだぜ。全員。

 

あい試験って、「剣士たりえない奴は無駄死にや足手まといになっちゃうから入れてあげません」って帰すことに意味があるでしょ。

なのにあの入隊試験は森の中に剣士志願の少年少女を鬼と一緒に数日閉じ込めて、生きて出てきた奴が合格

主人公の代もウジャウジャいたのに5人しか合格しなかった。他全員鬼に食われて死んでるの。

何これ? 

 

これはどう言い訳したって人の命を大事にしてないし、人の命を道具にすらしてないんのよね。純然たる無駄死に。

まり鬼殺隊は目的のために先鋭化しすぎて人の心を失ってる組織なんです。信念に凝り固まってて命が鴻毛より軽い。ISISです。末期大日本帝国です。

 

ついでに言うとあの試験サバイバル能力を試しちゃうので兵士選抜はいいですけど剣士選抜になってないんですよね。

あの森で生き延びるのは、状況を見ながら逃げ隠れして体力を保ってとにかく自分生存出来る、現代兵士みたいな奴です。

どんなに強くても次々に鬼に挑んでいったら体力尽きたり装備がダメになったりして死にますよね。難易度設定も壊れてるし。

から水柱の親友みたいに勇敢に鬼に立ち向かえて強くて一杯斬って弱い者を庇うという、剣士として正しい資質を持ってる奴が息切れしてやられて死んじゃう。

 

才能ない奴の命を何とも思わない畜生試験であるうえに、

剣士適性のある金の卵まで潰す、下手すりゃ優先的に殺していくというとんでもない試験

それが鬼殺隊の入団試験なんです。

 

さらに柱が登場する回でも全員子供隊士を待機違反のかどで処刑すると言って盛り上がってるわけ。

仲間であり子供である隊士にかける慈悲もためらいもなんにもなく処刑処刑だって盛り上がってて、

あれはどう考えても人格異常者の描写です。

 

本当はもう少しじっくり話を進めるはずで、

炭治郎少年が鬼殺隊のヤバさに気付いたりぶつかりあったりして改心できる奴を改心させていくようなパートが予定されてたと思います

御屋形様もすごい不穏なんですよ。声の特殊なゆらぎで隊士たちに安心感と心服をもたらしてる。

わざわざ声のそういう効果説明があるの。

この御屋形様も、鬼撲滅の悲願に囚われて人の道を外れて隊士の命をコマとして見るようになっちゃってるヤベー奴だったと思います。当初設定は。

  

まっすぐな炭治郎少年が柱や御屋形様の異常さに気付いて頭突きで改心させたり、あるいは袂を分かったり、設定や状況見るとどうもそういう話が用意されてたのに

何らかの理由で物凄く展開を急いで、本来やれたイベントを沢山潰して話を進めてるんです。

ライブ感というか急に急ぎだした。(不謹慎な例えだけど「作者が不治の病にかかって描けるうちに描き切ることにした」とか言う事情ならとても納得する。)

 

どこ見てるかわからない目で子供処刑しようとした煉獄さんは次に出てきたら人格ヤバいところなんか微塵もないナイスガイになってたし

子供死ぬと聞いて頬を染めながらハァハァしてた胸元開けすぎサイコビッチは次に出てきたら純真少女(服は変な奴に騙されてるだけ)になってました。

「古き良き少年漫画のライブ感」だけでは説明がつかない、明らかに何らかのイベントが飛んでいるし、明らかに邪悪に歪んだ性格は元からなかったことになった。

  

 

それで質問から脱線しましたが

鬼滅の刃エヴァンゲリオンで私が持つ疑問は、組織的に「戦士」を育てて闘わせるのなら、戦士子どもである必要がないのでは?というところ。子どもが闘う必要性がないように思う。

鬼殺隊についてこの疑問に答えるなら簡単

あんバタバタ死ぬ組織剣士目指してくれるのは狂人バカ

鬼に家族殺された復讐者を除けば世間知の無い子供・身寄りのない子供なので

そういうのを探し回っては拾ってきて育成してるんだよ

ということです。

 

善逸少年借金の肩代わりでこんなことやる羽目になっていますし 

炭治郎少年は親兄弟が鬼に殺され身寄りもなくしたという理想的素材です。

 

こういう奴等をローティーンから育成してハイティーンデビューさせて20代の全盛期でなるべくたくさん鬼を斬って死ね

とそういうビジョンで鬼殺隊は運営されています

訓練も最終試験もかなり狂ってるし任務でみるみる消耗(身体欠損)するため、

大人になってから始めても遅いし、大人だと「この組織おかしい!」と気付いてしまうからダメなんです。

 

これらは曲解や悪ふざけの読みとかではなくあの作者はどう見てもこれぐらいのことまで考えて描いています

2020-11-16

略語はクソ

アルファベット一個一個読むときもあればそうじゃない時もあるのクソ。WHOはフーじゃないのにGNUヌーなの頭おかしい。ISISもアイエスイエスじゃなくてアイシスなの頭おかしい。CIAチアじゃなくてシーアイエーなの何なの。FBIはフビじゃなくてエフビーアイ。IBMアイビーエム。TOEICトーイックTOTOトートー

2020-10-13

世界をより良いものにするため、ご飯に箸を突き立てなければならない

 実家では箸置きというものを使う習慣がなかった。確か4,5歳くらいの時だったと思うのだけれども、夕食の時間に箸の置き場所に困った自分は、茶碗に盛られたご飯に箸を突き立てた。ごはんの粘性は相当なもので箸はぴたりと静止してくれた。これならテーブルを汚すこともない、何て自分は冴えているんだと当時思ってたか記憶にないが、それを見た母親は「箸を刺したご飯は死者への食事という意味を持つのでやめるべきだ」と言って俺のことを注意した。その言葉に強い反感を抱いて、「母さんは死者が食事をすると信じているのか」「死者への食事という意味を持つからといって、自分がそれをやめなければいけない理由はあるのか」といったような反論、というか質問を投げかけたように記憶している。それに対しての母の回答は「私は信じていないが信じている人はたくさんいる。そういった人が見ると不快になる」「宗教的意図関係なくとも、単純にみっともない」といった内容だった。幼少期の自分は親にとても従順であったため、釈然としないながらも引き下がった。 

 年を重ねるにつれて「宗教的儀礼を除いて箸をご飯に突き立てるべきでない」という規範自分自身にも深く根付いていった。思春期差し掛かかるころには「日常の中でご飯に箸が突き立てられている光景」を見て直感的に不快感を抱く程度には。 

 さらに長じて倫理とか規範かに興味を抱き始めてから、幼少期のこの出来事に対して強い反発を覚えた。幼少期の自分に対して母親が示したルールは、要するに以下2つのような意味合いとなると考える。

「私は信じていないが信じている人はたくさんいる。そういった人が見ると不快になる」より

    ①自分尊重していなくとも、他社が尊重している信仰規範平時ご飯に箸を突き立てるべきでない)は、自分の便益(机を汚さない)を害しても配慮すべきである

宗教的意図関係なくとも、単純にみっともない」→箸を突き立てられたご飯に対して「みっともない」と感じるのは明らかに生得的ではないと考える。実際のところ後天的に植え付けられた規範からの逸脱に対して不快になっていると考えると、

    ②すでに共有されている規範マナーから逸脱すると人は不快に思うため、規範マナーから逸脱すべきでない

ちょっと露悪的に書きすぎたきらいはあるけれど、この2つのルールって本当に正しいか

①「自分尊重していなくとも、他社が尊重している信仰規範は、自分の便益を害しても配慮すべきである」について

 当たり前であるが、個々人によって尊重している信仰規範は違う。ただ、共通してる部分もかなり多く、例えば現代日本人の多くは自由平等だったり人権思想に基づく価値観(以下、世俗倫理表記)について、強く尊重すべきものであると考えている。信仰していると言い換えてもよい。一方で特定宗教人格神みたいなものは信じていないし、その教義の基づく規範(以下、宗教倫理表記)に価値を見出さない。見出さないは言い過ぎにしても、少なくとも自由平等などの世俗倫理がより優越すると考えている。自分は平均よりかなりラディカルだと思うけれど、同様に世俗倫理を支持し、宗教倫理より優越すると考える立場にある。

 具体的な例を考えてみる。例えば原理主義的なキリスト教徒聖書引用して「同性愛者は倫理的に悪であるため社会から排除すべきである」と主張しても自分はそれを尊重しないしその思想に基づく実力行使を許容しない。なぜなら「同性愛者は倫理的に悪であるとする聖書記載」に自分価値を見出さない。「原理主義的なキリスト教徒同性愛に対して抱く不快感情」については価値を見出すが、「同性愛者の幸福追求権や自由権」がそれに優越すると考える。なぜなら自分世俗道徳尊重し支持しているかである宗教倫理世俗倫理が背反するときには世俗倫理優越されるべきで、それは世論だったり、それに実行力を与える法律暴力装置によって施行されるべきと考える。これは宗教倫理優越を主張することを制限すべきでないという意味ではない。あくま思想信条自由は最大限尊重されるべきであり、言論によるパワーゲームは続けられるべきだと考える。

 ここまでの整理については大多数の人に同意してもらえると思う。「宗教規範」と「世俗規範」が対立して共存できない問題については、他社の尊重する「宗教規範」を踏みにじってでも自分尊重する「世俗規範」の基づいて社会運営されるべきと考える。どれだけ他者価値観尊重するとは言っても、共存できないものはある。そうなったら、その社会尊重される規範は身も蓋もないパワーゲーム(必ずしも直接的な暴力ではない)で決定されるしかない。これについてはISISの騒ぎで個人的に痛感したのだけれど、実際問題として世俗倫理に反する宗教倫理現代志向しようとすると暴力に頼るほかないし、それに対するカウンターだって経済的暴力的なパワーゲームで押しつぶすしかない。人権思想よりコーラン字義通りの解釈尊重している相手に「お前は人権思想に反している!」と言っても対立者に対してはまるで効力がない。

 さて、話を戻してこの理屈が「ご飯に箸を突き立てること」にどのように適用されるかを考える。ここで対立するのは「ご飯に箸を突きたてることで便益を得る」自分自由権・幸福追求権と、「ご飯に箸を突き立てるべきでない」という宗教倫理である。これは共存し得ないので、世俗倫理尊重する立場からすると「ご飯に箸を突きたてることで便益を得る」ことが優越すべきであると考える。不快になる人間配慮して箸をご飯に突き立てないことは賞賛すべきかもしれないが、配慮をしないことについて非難されるいわれはないと考える。私はシャルリーを引き合いに出してもいいけれど、他者規範尊重は、私の尊重する規範を害さな範囲でないともちろん認められない。人権思想表現の自由自分にとって宗教倫理より優越する。宗教倫理を害す表現に対しての批判、「ムハンマドの顔を書くべきでないし、揶揄すべきでない」という主張は許容できても、ムハンマドの顔を書き揶揄することは制限すべきでないし、それに対する実力行使は許容できない。なぜなら自分は「ムハンマド表象を書くべきでない」という宗教倫理より表現の自由という世俗倫理をより尊重する立場にあるからである

 まあ、そもそもこの「ご飯に箸を突き立てる」ことに対して特別意味合いを見出してる教義って明確にはないみたいで、「仏教神道の教えっぽいとみんなが認知してる慣習」以上のものでは無いっぽいので、宗教倫理とするよりも単純なマナー問題と考えたほうが筋は良いと思ってます。ということで次の話につながります

②「すでに共有されている規範マナーから逸脱すると人は不快に思うため、既存規範マナーから逸脱すべきでない」について

 これを言い換えると

    ・マナーを破ると人は不快に思う。

    ・人を不快にする行為は好ましくない

    ・上記より、マナーを破る行為は人を不快にするため好ましくない

 いやー完璧な3段論法が完成してしまった。ただよく考えると「マナーはそれがマナーであるから守るべきである」と言っているのと何ら変わりない発言である。そしてこの「マナーはそれがマナーであるから守るべきである」という考えについて自分はそれはそれはもう憎悪を抱いている。

 まず、ここでいう「マナー」という言葉について自分は「緩い規範」くらいに定義している。例えば「人を殺すべきでない」みたいな基本的絶対に逸脱すべきでないし、逸脱したら重大なペナルティ非難が避けられない「重い規範」とは対照的に、「逸脱するのはなるべくやめたほうが良い」くらいの「緩い規範」=マナーということで話を進める。

 何かのマナー価値があるとすると、そのマナーを守ることによってメリットがある場合であると考える。なぜならマナーとは往々にして「○○をすべきである」「○○をすべきでない」とい行動の強制を伴う規範であり、選択肢を狭めるものであるからである基本的選択肢は多いほうがいいと自分は考える。

さて、例えば「電車の乗り降りは降りる人を優先すべき」というマナー。このマナーが広く共有されていることにより、電車の乗り降りをスムーズに行うできる。確かにこのマナーを守ることによってメリット存在するため、「電車の乗り降りは降りる人を優先すべき」というマナーには存在価値があるだろう。

 ひるがえって「ご飯に箸を突き立ててはいけない」というマナー価値があるだろうか。真っ先に思いつくのが「ご飯に箸を突き立てている光景を見ることによる不快感」を回避できるというメリットだ。たださら思考をすすめてなぜ不快に思うのか?を考えると「ご飯に箸を突き立てるのがマナー違反であるから」に行きつくだろう。「ご飯に箸を突き立てること」に対して特別意味見出しているのは日本だけのようだし、ご飯に箸を突き刺して悦に浸っていた幼少期の自分を例にとってみても、この不快感は生得的なものとは思えない。(このあたり、まじめな研究があったらめちゃくちゃ見てみたいので情報募集です)多くの人は後天的に「ご飯に箸を突き立てることはマナー違反である」と学習し、そのマナーが逸脱されたことに不快感を抱いていると考えられる。つまり、「ご飯に箸を突き立ててはいけない」からこそそれに不快感を抱く人がいるのであり、そもそもこんなマナー存在しなければ多くの人は箸にご飯を突き立てられている光景をみてもおそらく何とも思わない。

 マナーが増えるということはもちろんマナー違反が増えるということでもある。つまりマナーが増えるとマナー違反による不快を感じる機会が増えるとも言える。これは本当に声を大にして言いたいことで、「それがマナーであるから」以外に守る意味のないマナー不快を感じる機会を増やしているだけである不快を感じる機会は減らしたほうがもちろん良いので、メリットのないマナーなんて無いほうがいい。ご飯に箸を突き立てて机を汚さなメリット自由享受できる社会のほうが絶対にいい。自分マナー業界蛇蝎のごとく嫌っているのはこの辺が理由で、メリットのないマナー創作して稼いでるあいつらマジで不幸の商人だよ・・・・・と思っている。

と、ここまで書いたけれども、実際のところ「それがマナーであるから」以外に守る意味のないマナーにもメリットはある。マナー合理的意味があろうがなかろうが、「その場において支配的な規範マナー従順でない」人間、長いものに巻かれない・巻かれることのできない人間排除する上では非常に有効機能する。良く言えば自立した人間であり、悪く言えば協調性のない人間だ。こういう用途で使うならむしろ合理的メリットなんて存在しないマナーの方が有用かもしれない。とはいえ自分信仰としてこういった排除ロジックは気に食わないのでやっぱり「それがマナーであるから」以外に守る意味のないマナーなんて無いほうが良いと思う。マナー業界はいち早く滅びてほしい。

 ここまで読んでくれた方なら、我々はご飯に箸を突き立てるべきであると十分に理解していただけたと思う。実際問題として「平時ご飯に箸を立ててはいけない」というマナーは多くの日本人に強烈に内面化されており、箸が突き刺されたご飯を見ると理屈に関わらず一定不快感を生じてしまう。これは自分だってそうであるご飯に箸を突き立てる人は、間違いなく突き立てなかった時より嫌われる。それでも、嫌われるから、すでに定着してるからなんて理由有害マナー継承していいのか。それがなんであり、どのような影響を与えるかについて何の疑問も抱かず、ただ「私はマナーを守っているか道徳である」と悦に浸っているだけでよいのか。それは将来の不幸を増やしているだけじゃないか、そんなもの迎合していいのか。他人自我を預けていいのか、自分を誇れるのか。

ご飯に箸を突き立てるなんてマナー違反だ」という前に少し考えてほしい。なぜ?と聞かれたときに十分な説明ができるだろうか。誇りをもった説明ができるだろうか。実際、子供にそれを言わないのは難しいだろう。ご飯に箸を突き立てる子供は間違いなく悪意にさらされるし、それをはねのけろというのはあまりにも酷だ。でも、それがただの処世術だと伝えることはできるはずだ。幼児には無理でも、中学生高校生ともなればこの理屈理解できる人が多いはずだ。せめて、突き立てられたご飯を許容することはできるはずだ。社会は時に非合理で残酷になるが、あなた自身までそうなる必要はない。非道を止められなくとも、一緒になって非道をやる理由はないはずだ。ベスト選択できないことはベター選択しない理由にはならないはずだ。

 将来のことを考えてほしい。より良い世界のことを考えてほしい。私たちご飯に刺さった箸を見たら不快になる。箸置きがなければ直接箸を置くしかないし、机の上はご飯粒でぐちゃぐちゃだ。まかり間違ってもご飯に箸を突き刺さないように気を付ける食卓はピリピリして緊張感に溢れている。それでも私たちがここで勇気を出してご飯に箸を突き立てれば、他人から嫌われることを厭わず「そんなマナーは無いほうが良い」と言い続ければ、そんな人が増えていけば、次の世代ではどうだろうか。「ご飯に箸を突き立てるべきでない」なんてマナー存在を知らない世代食卓はどんな光景だろうか。

 彼ら、彼女らは箸置きがなければご飯に箸を突き立てることができる。箸置きが無くったって机は清潔に保たれるし、それを見て不快に思う人なんかいない。ご飯に箸が突き刺さっていたからそれが何だというのだ?机にへばりついた米粒なんて誰だって片付けたくはないではないかご飯に箸が突き立つ、そんな清潔でリラックスした食卓は朗らかな幸福に包まれている。それはささやかながら、今よりももっと良い世界であるはずだ。

 これから世界がそんな素晴らしいものであってほしいなら、これから世界をより良いものにするため、私たちご飯に箸を突き立てなければならない。

2020-10-07

anond:20201007105145

非モテに女をあてがった結果出来上がったのがISISだしな。

2020-09-01

憲法改正論議における安倍晋三の華々しい業績

改憲派の先鋒でありながら護憲の要石を地中深く打ち込んだ安倍総理が辞意を表明された。改憲に向けて日本がやってきた道のりをガキの泥遊びで全て台無しにした安倍閣下護憲派にとって駐印イギリス軍にとっての牟田口に等しい。

ここにその輝かしい業績を記したい。

 

まずは安倍晋三以前の状況から

WWII以後も熱戦の時代は続き、世界民族自決植民地独立冷戦下での大国介入に伴う戦争経験してきたが、敗戦武装解除された日本関係のない話で、経済成長に邁進してきた。この路線を決めたのは吉田茂である(吉田ドクトリン)。

その冷戦下で9条改正を目指すのが自民党護憲革新という図式が定着した。数で劣る革新だが思想的には優勢で、冷戦後期には自民党改憲路線を表に出せなくなっていた。冷戦により国際政治的にも日本の専守路線固定化されていた事と他国では熱戦が続いていて海の向こうでは若者戦死が伝えられていた事もある。憲法学者と言ったらほぼ全てが革新護憲派だった。

 

ところがここに「憲法フェティシズム」的な趣向が定着して行く。つまり憲法は良いものから朗読しましょう的な考えだ。反リアリズムである

その為護憲=お花畑空想平和主義という評価が出てくる。そして冷戦終結により日本立場は流動的となった。

そこに降って湧いたのが湾岸戦争で、ここで戦後初めて日本戦争への協力を求められる事になり、世論右往左往する事になった。秩序維持の為の戦争であるという大義名分もあるし、憲法9条が前提にしていたのは国連軍が結成されて国軍は縮小されるというカント的な世界である多国籍軍国連軍とは違うが名分的には相似だから護憲派も一概に否定しにくい。

 

湾岸戦争を戦費拠出という形でお茶を濁した日本だったが、戦争に寄らず国際貢献をすべきとの議論が高まってPKO活動自衛隊が参加するようになった。その第一弾はカンボジア民主選挙監視である

また同時にそれまでタブー化されていた改憲の機運も上がり、護憲派ばかりだった憲法学者にも改憲派が現れ、メディアに出るようになってきた。その筆頭は小林節である

 

先に書いた憲法フェティシズムのせいで、憲法学には「微妙」な空気が取り纏っていた。

憲法法学なので法学部で扱う。だが法学一般は最終的に実学接続しているのに憲法はそうではない。例えば国民主権自由主義的な思想意味が延々とこね回されたりする。

国民主権主権は元は絶対王政国家正統性の為のフィクションであって、統治権外交権交戦権などを示すが、こういう肝心な事はスルーされて国民主権思想的に称揚されるばかりだったりする。

一言で言うと左翼神学的な評価がされていたのである

 

例えば国際政治での人権の扱いなどが憲法学周囲から出て来ない。国際政治では人権国家に対する対外的権力だ。

統治問題主権の壁によって外部から干渉できない。この前提が共有されないので人権がその壁を突破できる国際権力となっているという事が扱えない。特にコソボ紛争ではNATO軍事介入理由人権が挙げられた。国民主権は扱うのにこっちに接続できない憲法論というのはリアルを欠いている。

 

コバセツはこんな左翼神学的な憲法学に割り込んで行って安楽椅子を蹴り飛ばして塗り替えたと言って良い。

 

改憲問題エポック的な出来事があったので紹介しよう。2003年の朝ナマで西部邁がコバセツに追い返されたのである

西部改憲派テーブルに座り「憲法9条や前文の精神日本人に悪影響を」と長々語っていた。これはモロに憲法フェティシズムだ。憲法を唱える事で精神浄化され理想的市民国民が出来ると言う考えだ。

それでイライラMAXとなったコバセツは「そんなの相手にしなくていいから」と侮辱。衆前で面子を潰された西部は退出した。

これは左翼神学の単に裏返しで、コバセツはそういう神学的安楽椅子を蹴散らしてきたんだぜ。そんなを見たら撃てと訓練されたコバセツの前でそんな事言ったらバカ扱いされるに決まってる。

 

それでリアリズム的にもう9条一国平和主義は困難だし、ちゃん改正しようという機運が高まっていたのだが、これに疑問符を付けたのがイラク戦争であった。

当初から戦争理由疑問視されていたのだが賛同者達は「アレは最初から予防戦争だった」等と誤魔化していた。だがISIS勢力伸長すると彼等も黙りこくるようになった。

これによって米国主導の国際秩序維持に付いて行くという路線留保すべきという流れになるのは当然だ。しか国連の影響を抑える為の政策米国しまくった。この為に国連路線を旨としていた日本国際貢献イマイチリアリズムを失ってしまった。国際貢献路線の空白である

 

そこに颯爽と現れたのが我等が安倍晋三閣下であった。

改憲旗艦となった彼は新右翼学生運動流れの学者を重用、党内の勉強会でコバセツは対立するようになった。

彼等の憲法観は嘗ての左翼神学の裏写しであった。コバセツが蹴散らした椅子に座りだして頭の悪い理想論を語るようになったのだから当然だ。

すると2007年にコバセツは自民党憲法勉強会に呼ばれなくなった。パージである

ここでリミッターが外れ、改憲論というのはお笑いリアルと全く接続しない理想論を語るだけのものとなっていく。

例えば若者がチャラチャラして国家について考えないのは怪しからんので徴兵するなど。

日本会議の中枢に居るような新右翼学生運動家には就職せずに大学に残った者も多い。また六本木にあった生長の家などで寮生活を送った者も多い。その集団的生活史が投影されている。

吉田茂は後に吉田ドクトリン撤回して海軍力を増し海洋国家となるべきだと主張していた。これは日本海岸線は長いので防衛力をそこに集中すべしという考えと、当時の日本重厚長大産業国で造船がその筆頭だった事もある。

徴兵海軍に向かず陸軍歩兵に向く。つまり海兵隊のような外地でのの占領などが多い事が前提になるが彼等にはそんな考えは無い。国家意識希薄若者は怪しからんから集団生活をさせろ、国を守るのは美しい行為から戦争従事させろというだけだ。

 

またいつのまにやら立憲主義否定されて憲法国民が守るべき事柄になっていった。

コバセツを追い出して何年も顔をつき合わせて「現憲法には国家を統制するような事ばかりかいてある、おかしい」とやっていたのである

何年も何百時間も掛けてバカの思いつきを言い合って論議のつもりだったんである機械ばらして直せなくなるガキかよ。

それに対する言い訳は「家族愛は良い事だ」などであった。良い事だから朗読しましょうというのが憲法だと思ってたんである。良い事を書くと良い国になると思ってるんである

まり彼等は憲法どころか毎日やっている立法の仕組みも判っていない。法律が肉付けされて権力を持つ仕組み=政令省令の事や閣法の提出過程も判っていない。

これは左翼神学的で実学接続しないので憲法学者微妙な扱いされていた20数年前の完全に裏焼きであろう。

そういえば日本会議の活動家たちが動いて成立させた国旗国家法や年号法などには政令が無い。普通立法プロセスが付いていないのである

 

こうして「改憲」は厨房タームとなり、現実に即した意見を言う人との評価が欲しい人は避けるようになってしまった。「南京虐殺朝日新聞捏造によるもの」とか「地政学的にナンタラ」と類似コンテンツとなってしまった、

 

安倍閣下の華々しい業績はこれだけではない。

南スーダンPKO日報破棄はその最たるものだ。

南スーダンの情勢が悪化自衛隊PKO活動をしている地域危険に晒された。他国から派遣されている軍を置いて撤収していいのか?これは改憲上の一番重大な局面だ。

今回は撤収するにしろしないにしろ国民の皆さん、憲法の枠内に納まるよう戦闘地域では活動しないという区切りPKO活動をしてきましたが、コソボ以後のPKOは変化し、戦闘状況では積極的な介入により平定を維持するというポリシーになっています。今後もこのように情勢が悪化して危害射撃をする必要に至るでしょう。憲法PKOポリシーを変える為の議論をする時です」というのが改憲派の筋である。そしてその時である

なのにたかがその場の政局が荒れる事を忌避した聖帝閣下はそんな事に興味は無かった。日報を破棄させる圧力をかけたのである現実に即した改憲に至る正統な道筋と思わなかった。改憲は既にガキ臭くて老害じみたルサンチマンを集合させる事でその手の固定票を集めるフワついた寝言であったか自衛隊憲法問題なんて気にも留めなかったんであるな。そしてその寝言化を成し遂げたのも聖帝閣下とお仲間の努力の賜物であった。牟田閣下前線から離れて芸者遊びを続けたような血の滲む努力の。

 

更にこの件では防衛大臣が辞任する運びとなった。

だが隠蔽責任を率先して取ったのではない。後から無くなった筈の日報が出てきたのだ。

まり自衛隊に後ろから刺されたのである制服軍人スーツ政治家が統制するのが文民統制であってこれが失われると国家破滅に突き進む。そんな憲政上の大問題だ。

だがこの自衛隊が成した暴露は正当な行為である。やってはならぬ不正を成さしめそれを是正した事で文民統制上の問題となった。

しか自衛隊活動が蓄積された一部であって、改憲への正当な道筋ど真ん中の事を無きものにするという不正であって改憲派として正気の沙汰ではない。

だがこの時既にこの政権にまともな責任を取らせようという国民意識は無くなっており、子供の間違いのように擁護されて忘却された。

ど真ん中改憲問題はこうして消え去り「家族大事とか良い事が書いてある憲法朗読しましょう」という流れは保護された。

アイドルのような還暦女性ポストを与えた防衛大臣が軍に後ろから刺されるという事態の深刻さにも晒されずに相変わらず神学徒達は安楽椅子ロリポップを舐め続けることができた。

 

安保法制憲法解釈変更問題本来なら改憲問題だ。

だが集団的自衛権への移行に就いて憲法論議国民に投げかける事はしなかった。

この理由時系列を辿ると判る。

2013年に盛んに言っていたのが「戦後レジームからの脱却」だ。更に年末靖国神社を参拝したところ、日米関係戦後最大の冷え込みとなった。

太平洋地域戦後レジームが米国のなした国際秩序という事に気が付かなかったんである靖国参拝英霊への感謝という言説に自家中毒になりA級戦犯合祀から問題化したという事を忘れていたんであるバカな…と思うがそれが聖帝閣下とその友達だ。

因みに日本会議中枢などの「新右翼」とは反米主義右翼の事だ。戦後体制はYP(ヤルタポツダム)密談による分割であるから打破するというのがその趣旨だ。

こうして2014年には聖帝はオバマに擦り寄るようになった。そんな中で米議会で発表されたのが集団的自衛権への転換である

議会であるのも理由がある。湾岸戦争以後、日本憲法改正させて米国戦争サポートさせるというのは共和民主わず共同認識になっていたのだ。

こういう経緯なので改憲論議という手順を踏まずにやったのだ。

集団的自衛権が必要なら当然改憲の重大な理由の一つになる。だが解釈変更という形で現憲法合法としてしまったのだから改憲カードは無くなった事になる。

 

カンボジア独裁化に関しても何も言っていない。

PKO歴史を知っていたらそのエポック性は無視できない。「日本軍事的国際貢献への一歩とした国であり憂慮している」ぐらいは言うべきだがそうはしていない。

尚、日本民主選挙以前は外国に逃げたポルポト政権承認していた。あの虐殺国民の半分近くを殺しまくったポルポト国家承認したままだったのだ。選挙監視にはそういう理由もある。

 

こういう風に改憲上の最大の障害は聖帝閣下とお友達なんであるが、この状態は方々に都合がよろしい。

護憲派は憲法9条が国際状況にそぐわなくなっている事を考えずに済む。あんだけのバカ草案を出したら改憲反対は当たり前であって、PKOポリシーの変化にどうするかなんて問いを考えなくて済む。コバセツ含む嘗ての改憲派憲法学者も全て護憲派に寝返った。

一方、米国主導の軍事秩序賛同派はイラク戦争賛同の総括をせずに済む。ISIS支配地域にあの連中置いてくるべきだ、なんて意見に晒されずに済む。

そんな情況空白地帯で先人の積み上げた蓄積の意味判らんかった聖帝閣下友達と泥遊びに明け暮れ、田んぼをぐちゃぐちゃにしてしまったが意味が判っていないからなんという事もない。お友達稲田防衛大臣制服に後ろから刺されたのににこやかに軍事パレードを行い、胸に手を当てて国家への忠誠を示したので上機嫌で去っていった。

統計公文書も無くなった国に護憲の要石を深く打ち込みやがて聖帝閣下も去る。

Boogaloo

BLMデモ敵対しているアメリカ武装極右のことはブーガルー(Boogaloo)と呼ぶらしいけど,

プロテクターマスクにムキ身のライフル銃とかもうルックスライクISISやんか。

2020-06-18

anond:20200618154215

https://books.google.co.jp/books?id=p6_1DM3ZUwYC&dq=bloodstone+heliotrope+heliopolis&pg=PT372

The jasper was held in high favor by the ancients, and Babylonian seals as old as 1,000 years before the Christian era have been found. The THET or Buckle of Isis was made chiefly of jasper. In those times the stone was found in quantities in the vicinity of the historic town of On or Heliopolis.

http://otakuyume.angelfire.com/gem.html

Bloodstone{heliotrope}—massive quartz, variety plasma, but with small spots of red jasper that resembled drops of blood. Hardness is seven, composition SiO2. found in Heliopolis, Egypt. Checking hemorrhages in ancient times and medieval times. Have the power to cause tempests.

ブラッドストーンを含む碧玉ヘリオポリスで大量に産出した」「ブラッドストーンヘリオポリス発見された」までは英語情報確認できたぞ。

ここからヘリオポリスで見つかったかヘリオトロープという呼称になった」と勘違いされたんじゃないか

2020-04-10

なんつーかグロ動画見て未だに気分悪くなったとか

なんつーか グロ動画見て

未だに気分悪くなったとか、怖いとか言ってる人たち見ると

逆に羨ましいって感じちゃうようになったな。逆に。

ISISチェチェン世界現実ってのを見慣れすぎちまった反動でこういう動画見ても

「ああ、また人間本質か」としか思わなくなった冷めた俺ってのが客観的にまずあって

逆に羨ましく思う。こういう動画を見て心が動く人達が。

と同時に、認識まだそこなんだ?とも思うけどね。

2020-03-10

anond:20200310130142

包皮切除習慣ある民族ISIS戦士「ほ~ん、ほなオマエ転生してコッチおいで」

2020-02-02

anond:20200202003005

もし〜なら○○(特定人物像)は〜〜〜と思う。

もしISIS批判する献血ポスターがあったらISIS所属オタクテロ起こしてたと思う。

2019-12-26

anond:20191207165722

いや、

フツーの卑怯現代の男さんたちがそんな面倒なことするかよ

私たちだって普段仕事があるんです!!

ガチのヤベー奴だけだよISISなんか逝くのは)

2019-11-18

anond:20191118232552

ISISとかはまさにそんな感じだよな。

性奴隷あてがって集めてる。

2019-11-13

anond:20191113104017

アメリカISISスレイしたときのように、「死んだことによって人格聖人化されて神格化されることを防ぐ」処置必要だよな。

低能先生は刺した後遺体おしっこ引っ掛けた動画を撮っておくべきだった。

2019-09-02

anond:20190902175838

金なんかどっからでも出せるだろ。

それこそ中共とかな。

自由の下で飢えてる人間にとっては、餌を与えてくれる奴のほうがマシってもんだよ。中共でもISISでも。

実際、欧州若者でもISISに合流した奴が居たりする。

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