はてなキーワード: 排外主義とは
https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/utoro-arson-hatecrime
では、どこで情報を入手していたのか。尋ねると、「ヤフーニュースのコメント欄です」と語った。
「無料でニュースを読めるヤフーをみていることが多いので、コメント欄も目に入りやすかった。投稿には反応も多いし、コメントに対する賛否の評価もみられるので、ある意味、偏りのない日本人の反応を知ることができる場だと思っていました」
「主観ではない客観的な正しい情報を知るために、こうした評価のあるものは大いに参考になるのです」
さらに被告は取材に、「左派」の報道機関は「朝鮮半島側に偏った報道」を続けていると口にし、「ヤフコメ」こそが「客観的」だと強調した。」
読めば読むほどヤバいなこれ
2週間前の記事をいま知っただけなんだけど。
馬渕氏にも、それに賛同する出演者にも、そしてこれらの動画を根拠とする人々にも、必ずと言ってよい共通点があることは、もうお分かりいただけたと思う。それは深刻な既存の大手マスメディアに対する不信感である。
世界は巨大な権力組織に支配されており、それが真実を人々に伝えようとせず妨害している。つまり真実は巨大な何かによって遮蔽されており、彼らの洗脳から目覚めたときに本当の真実に対して覚醒する―。ネットで真実を知ったとして、極端な排外主義に走るネット保守が、ゼロ年代から盛んに口にしたこの世界観を、私は『マトリックス史観』と名づけている。
「プーチンさんを悪く言わないで!」という”陰謀論”動画の正体(古谷経衡) - 個人 - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/byline/furuyatsunehira/20220304-00284877
この前書いたこれと重なるところがあるね。そら、「(SNSで見た) 事実に基づく独自の視点 (キリッ」なんて僕にはないから、ありがちなことしか書けないんだけど。
今までろくに知能を発揮する機会もなかった人が、誰かのSNSを見て急に「気づいて」「裏側を知って」「正しい行動をとる」ことなんてできんのよ。それができる知能があれば、今までの人生ももう少しマシやったはずで。それができんから現状で、これからも変わらんのよ。
いま自分がうまくいっていないのは、ロシアのせいでもアメリカのせいでも製薬会社のせいでもDSのせいでもなくて、自分自身の能力が不足しているからなんよ。そして、いい年したオッサン・オバサンが今から一発逆転する方法なんてないから、自分の境遇に納得して、ささやかな幸せを見つけて生きていくしかないんよ。
僕たちは生まれながらにして不幸だった。
物心がついた時には経済成長など実感できないほどなく、平和のみが幸運にも固定されていた。少子高齢化を無責任に押し付けられ、いつも年金の説明では僕たちが下で、いっぱいの先人が上に伸し掛かる絵を繰り返し見せられた。
小学生のころには阪神淡路大震災があり、生活は不条理に突然破壊されることを知った。
オウム真理教は天災だけでなく人災があることを教え、それを報道するテレビには頭のおかしい人をいじめることの楽しさと正しさを刷り込まれた。
学校ではいじめがあっても誰も救ってくれなかった。子どもも大人も誰も責任を取らずに済んだ。
どう大人を信じようと努めても、彼らの正しさの裏にある保身だけが形を濃くするだけだった。
いじめ、学力低下、キレる十四才、僕たちだけが責められている気がした。勝手に「ゆとり」を与えられ、数年後には「ゆとり」だとバカにされた。
ノストラダムスの大予言も二千年問題も世界を無くしてはくれなかった。変わらないんだ、という陰鬱な気分を虚構ごと生活に仕組まれた。
社会に参加するまでの過程で、どんどんと多様性という理想が叫ばれるようになっていった。でも現実はまだそう出来ていなかった。ゆとり教育でも、AO入試でも、新卒一括採用でも、実験の最前線で僕たちは消費された。
社会の正体に近づくほど、実験の甲斐なく何も変わらずに、大人たちは利権を固定させようと頑張っていることがわかった。かつて多くの若者たちの理想主義が現実主義に敗北し、僕たちの生活には既に革命の「か」の字すらなかった。
センスが良いとされる大人は肌触りの良い冷笑と諦観で、理想からも現実からも逃げているだけだった。
芸術に届くわけではないわずかな詩情の中に逃げ、丁寧な暮らしとやらで現実を隔離しただけだった。雑草も食えるらしいと、何も新しくない発見を雰囲気の良い雑誌で語った。
とにかく真っ当ではなかった。僕たちには老朽化した線路と駅が残された。
いつかみんな死ぬ、くらいしか希望はなかった。僕は、小学校四年、五年と苦労したあとに六年生になったときのような開放感を待っていた。
インターネットは唯一僕たちに与えられた現代的で民主的な革命だった。僕たちは最前線に立つことを初めて喜んだ。僕たちが社会を実験していた。大人の腕の中で揺らされるのではなく、自らが世界を開拓していた。
過去の日本では文学や学生闘争に向いたであろう若者の活力がインターネットで遊ぶことに費やされた。情報の波をサーフィンしていた。
けれどアナーキズムなど思想と呼べるほど突き詰められてはいなかった。脱法とジョーク、たくさんの知識。組織化しない雑多なカオスが世代や日陰者の雰囲気をベースとしてただ在った。
東日本大震災のとき、僕たちは初めて大きな波を感じた。世界ごと変えてしまおうというワクワクがあった。
ネットから始まる民主化が現実世界にも網目を伸ばし、キレイな情報を伝播させることを夢見ていた。
実際のところ我々には思想がなかった。正確には思想が育っていなかった。長い間の自己否定とカオスたちの団結は思想を形成させなかった。
論壇はインテリっぽい動きに酔っているままで、ほとんどの人間が責任を背負おうとしなかった。
大衆は十分なリテラシーを持っていなかった。目の前の文字が自分を騙そうとしているかだけを考えていた。
もちろん先行者と同様に誰も責任を取りたがらなかった。波は結果的に芸術の一部分だけに還元された。
僕たちの革命は、革命という皮すら被れずに失敗した。あの頃目立った人間たちのどれだけがまだ実際に社会に有効なことをしているのだろう。
僕たちは生まれてから今までずっと負け続けている。逃げ続けている。立ち向かう人間を冷たい視線で嘲笑っている。かつて"カッコイイ大人たち"がしていたように。
拗ねた子どものままで皮肉とセンチメンタルを捏ねくり回している。
最近は「多様性の尊重」がブームになっている。拡がり分化する人間の在り方を認めようとするのは正しいことだと思う。
だが、それは欺瞞だ。多様性は排外主義への攻撃だ。多様性を求める社会は多様性をもたらさないものを排除する。
最大限の寛容ではなく、この時代この社会における妥協点でしかない。
ただそれよりも深刻なのは、多様性未満の僕たちだ。多様性で救われるのは国籍、性指向、いくつかの快い思想である。いわば十分に形作られたアイデンティティーのうち、現代社会に適応するものだ。そして主張に成功したものだ。
僕たちの苦しみはアイデンティティーの未発達である。差別をされたり、大事に築き上げたものが喪失したわけではない。時代により幾度となく無意味化された結果、育たなかったのだ。
社会の複雑さへの想像力、ありのままの他者の受容、明確な善への地図が無かった。
今までのシステムは近いうちに崩壊すると言われつつも、なかなか崩壊しない。仮に崩壊したとしてもサバイバルを生き抜く知恵が無い。広大な大地に丸腰で放たれるのだ。
「ちゃんとしなきゃ死ぬ」とトリプルファイヤーの吉田靖直は歌った。「ちゃんとしなきゃ」という要請だけが社会にある。
なんとなく、どこか生きにくい僕たちの行き場はどこだろう。ちゃんとした職があればいいのか?ちゃんとした病名がつけばいいのか?ちゃんとした人になれればいいのか?ちゃんとした人ってなんだ?
今になってようやく哲学や文学などの人文学に解答を求めることができるだろうことに気づいた。それは人間として真っ当な足掻きに思えた。
まだ遅くはないと信じて、攻略サイトには無く、ビジネス書より直接的な、人間思索の旅に出ようと思う。良い哲学の書を教えてくれ。
先週だいぶ揉めた「Vtuberがアイマスの『M@GIC☆』を歌ってしまった」のやつ。
にじさんじVtuber15人合唱でデレマス『M@GIC☆』歌唱動画公開予告が出るも、告知ツイに☆とカバーの旨がなかったせいで荒れてしまう https://togetter.com/li/1839785
外野から眺めた感想としては「アイマスの話題を見かける時だいたい排外主義やってんな」くらいしかないのだが、得られた知見として「アイマスって案外嫌われてんな」というのがある。
例えばこちらの動画。投稿者は他人を煽って引っ掻き回して嗤って楽しむタイプのアレで有名な人なので言ってる事自体はあまり気にしなくていいんだけど、問題はコメント群。
アイマスってなんでこんなめんどくせーの
アイマス民ほんとクソ
アイマスに美味しいとこなんて残ってないぞ
オワコンがなんか言ってて草
アイマス怖すぎ
こんな事になるのアイマスくらいでしょ
ただの客の事をPなんて言うからこういう層が増えるんだよ
ほんと声だけはでかいなあの界隈
これを厄介って思うのはアイマスPぐらいだと思う
アイマスにしろアイマスオタクにしろ随分と嫌われてるな。なんかキラキラしてる風のコンテンツかなと思ってたけど、そのファンは意外と排外的だし、その分嫌われてるらしい(当たり前だけど)。
今話題になっている、「米山隆一議員と仁藤夢乃氏と室井佑月氏のアレ」。
選挙後早々にリベラル界隈で内部紛争が勃発、ということで各方面から注目が集まっていますが、これまでも、
といった事例があり、この件に限らず、立憲・共産党とフェミニズム活動家は必ずしも一枚岩でないことがわかります。
そして、こうした話題を見ていて思い起こされるのが、ズバリ「部落解放同盟と、そして日本共産党との対立関係」です。
「社会的弱者や被害者の掘り起こし・組織化に熱心な共産党と、解同の仲が悪い」という事態は、この界隈をよく知らない人間にはなかなかイメージしづらいものがあります。
なので共産党も、あの手の運動には珍しく、真顔でディスっているというわけです。
なお、対立の理由は他にもあり、例えば1965年の「同和対策審議会」答申を巡る評価が解同と共産党で分かれたことも、その一因と言われています。
答申に一枚噛んでいる社会党に近い派閥が答申を評価する一方、共産党や解同共産党派は内閣諮問機関による答申を「毒まんじゅう」、つまり自民党との妥協であると批判。
なんだか「表現の自由」あたりでも散々聞いたような話ですね。
社会運動が自分の支配下である間はとりあえず優しいけど、ヨソが手を伸ばしてこようものなら即手の平返しちゃうと。
しかも、そんなこと言ってた共産党がこないだの選挙では自ら毒まんじゅう食わせる側に回ったのだから、まあなんとも皮肉な話です。
一方、解同側も社会党派を中心に共産党勢力の排除を進めていき、1971年には以下の理論を打ち出します。
その名も「朝田理論」。
半世紀も後のツイフェミの言動までもが全てこれで説明できてしまうなどと、いったいどこの誰が予想したでしょうか。ノストラダムスじゃねーんだぞ
しかし仲の悪い相手にはとことん手厳しい共産党、こちらについても「部落民以外はすべて差別者=部落排外主義」と批判を加えています。
米山先生おっしゃるところの「フェミニストイズム」も、これに当てはまるかもしれません。
それにしても「当事者・活動家至上主義と先鋭化が極まった結果、共産党のオルグすら拒んだ」というのは、いろいろと示唆に富むものがあります。
(まあ、「社会党vs共産党の争いで社会党側が勝った」と言ってしまえばそれまでなのですが)
様々なものを一方的に燃やされてばかりの男オタクの立場からは観測しづらいかもしれませんが、
実はそごうやルミネ、TOKYO女子けんこう部などの事例を振り返ると、むしろ「女性に媚びているはずの広告がなぜか炎上」したケースも結構多いことがわかります。
それも「『けんこう』が平仮名なのは女性をバカにしている!」などと、まさに令和最新版朝田理論の全力ブン回し。
いったい何が差別にあたるのか、もはや当事者と中国王朝の暴君以外に判別がつかないレベルです。
1000のうち1か2でも気に食わないことがあるとすぐ糾弾会をおっぱじめるバーサーカーぶりからは、やはり『血だるま剣法』的な何かを感じずにはいられません。
と、解同に対する批判の多くがなぜか現在のツイフェミにもブッ刺さる、というまことに面白い結果になったわけですが、
私は彼ら彼女らの暴力的な性格、先鋭化や偏狭さはともかく、運動のあり方自体を批判するつもりはありません。
社会運動は特定の党派の持ち物ではないし、自分の要望を実現してくれるなら誰と手を組んでもいい。
むしろ、リベラリズムからアベヤメロまでいちいち全部ワンパッケージにしなければ気が済まない風潮の方が、ぶっちゃけよほど不自然ではないでしょうか。
ポリコレは増田の言うような多様性を重んじる面も、元増田の言うような排外主義的な面もどちらも持っている。
というか、自分達の好嫌次第で都合良く使い分けているのがポリコレの正体でしょ。
だから、伝統を重んじる人々にも、自由を重んじる人々にも、双方から叩かれているんだよ。
あと、目指しているところは保守とは違うけど、精神性はやっぱり保守に近い
人種的多様性の話で言えば、「色んな人種の人を好きに起用して良いですよ」ではなく
と、規範を作って人々の選択肢を奪い、義務を負わせ、自分達の理想のために人々を動員するようやり方は、掲げる『規範』が異なるだけで保守となんら変わらない。
横浜市長選挙で山中竹春(立民候補)が勝つと、日本初の女性総理・高市早苗が誕生する。
自民党の重鎮・派閥の幹部たちは「菅・無投票再選」を画策している。
それなら自分たちの権力やポストを維持するために、世代交代を阻止し、菅を担いだ方が良いのだ。
しかし次の選挙で当落線上の若手・中堅議員はたまったものではない。
党内イメージ低下を防ぐため、目立った「菅おろし」はないが、じわじわ動き出している。
菅のお膝元の横浜。
菅の側近である小此木八郎が落選し、山中竹春(立憲推薦)が当選することがあれば、確実に菅義偉は終わる。
側近である小此木八郎は、菅内閣の精神的支柱であり、大臣辞職・横浜市長選は菅にとって痛手だった。
元秘書の市議を林文子陣営につけるなど、当初は林・小此木のどちらが当選しても良いように二股をかけていた菅。
しかし中盤に立憲推薦の山中竹春と小此木が横一線の情勢になると、林を切り捨て、「小此木全面支援」のために動き出した。
自らの選挙区の横浜市で立憲候補が勝てば、菅にとっては広島補欠選挙の何十倍ものダメージだ。「菅では総選挙で勝てない」が明確になり、政治生命が終わる。
石破茂や野田聖子が保守系インフルエンサーから嫌われてるのは有名だが、「稲田朋美、河野太郎、茂木敏充、小泉進次郎」あたりも、もはや反日左翼扱いを受けている。
8月末に河野太郎が出版する政権構想本では、まえがきに「保守とは排外主義ではない」と書くなど反グローバリズムに傾く保守界隈を批判。
持論である再生可能エネルギー推進やインドからのIT人材受け入れなどを主張している。
総裁選公示のタイミングで出版されれば、保守界隈からのバッシングは必至である。
一方の高市早苗は、保守派インフルエンサーが満場一致で推している。
彼らが望んでいるのは「安倍の再登板」であり、それが不可能なら安倍の意を汲んで動く総裁を求めている。
「初の女性総理」の看板で戦えば、就任直後の総選挙で単独過半数を取ることは目に見えている。
8月末の総裁選公示日で、正式に立候補者が出れば、「次の総理」の話題一色になる。
一ヶ月間、自民党がテレビやメディアをジャックし、野党は忘れ去られる。
初の女性総理が誕生すれば支持率は上がり、そのご祝儀ムードの直後に解散総選挙(または衆議院任期満了選挙)が行われる。
何より菅再選を望んでいるのが立憲民主党だ。菅を相手に総選挙を戦えば確実に議席は増え、次の次で政権交代もあり得る。
ここ数日、枝野や安住などの幹部は批判を抑えている。総裁選前に「菅おろし」が起きてほしくないのだ。
本多平直の件以来、「リベラルおじさん」に不信感を持っている私にとって、今は「リベラル政権」よりも「女性総理」を待望している。
保守的な日本で、一番最初に女性総理になるのは保守的な女性しか考えられない。
こういう行動パターンで、たまたま自分はたいした症状が出ないタイプのやつが、日本のあちこちで感染広げてるんだろうな。性病もコロナも
https://b.hatena.ne.jp/entry/4706943202944821506/comment/shields-pikes
外国籍やセックスワーカーの弱者をコロナだの性病だの決めつけてるこのコメントが
お前らちょっと前は「中国人がコロナを広める」とか言ってたネトウヨを差別主義者って馬鹿にしてたじゃん。
それと同じ行動を自分達もしてるって気が付かないのか?
あと、外国籍でかつ女性なら雇用は不安定なのでコロナ禍で真っ先に職を失いセックスワーカーとして働かざるを得なくなった
という可能性に思いが至らないのだろうか?
入管のアジア系女性に対する人権侵害とかもこういう国民のナチュラルなセックスワーカーの外国人に差別が根底にあるんだろうけど、
はてなーも表面上リベラルっぽいけど、「コロナ」みたいなワードがでると取り繕う事ができずに差別意識が全面に出てくるんだろうなと思う。
WW2時代に共産主義者がファシズムに転向した事について、政治学者アイゼンクは「硬い心性-柔らかい心性」「保守-急進」と言うパーソナリティの2軸で説明していた。
「保守-急進」は起こりやすいが「硬い心性-柔らかい心性」は起こりにくいとした。はてなはてサと言う言葉もあるくらい硬い心性かつ急進派が多いサイトである。
特にオリンピック辺りから外国人に対する排外主義的な意見が人気コメントになってるのをよく見る。
転向が着実に進んでいるの同ろうなと思う。
(散々暴れ回った増田糖質がまさかの休場。このまま引退か?→【今回の幕内】)
再投稿ネタを指摘する増田。横綱のパリコレを含め複数人が存在し、微妙に仕事ぶりが異なる。
ただご存じの通りブクマカはトラバも本文も読まない上、過去の再放送ネタにも平気で釣られて伸ばすダボハゼなので、あまり意味がない。
また、彼らに対して「再投稿は正当な権利」と訴える増田や、彼らをおちょくるためにわざと再投稿を繰り返す増田などが出ており、治安維持に役立っているかどうかも疑わしい。
「人生がクールポコ状態。」なるタイトルの増田を何度も投稿している増田。当初本文はほぼ全て空で、全く意図がわからなかったが、最近は申し訳程度の文章があることも多い。
なんでもかんでも「これは私たちフェミニストの総意。」で締めようとする増田。しかもフェミニズムと全く関係のない話題がかなり多い。
政権批判を繰り返す増田。といっても内容は割とまともな方で、さすがに安倍botほどの狂気度はない。なぜかブクマ数が毎回3桁と異常なほどの多さを誇る。
こいつも旺盛な自己顕示欲の割にやることなすことひたすらつまらないクソ。Yahoo!知恵袋出身。名前は自称だが、由来はもはや本人にもわからないらしい。
回文になっていない回文から始まる増田。水曜日以外もすいすいようび。超長文だが日に二度以上の連投は行わず、概ね無害で愉快な存在。しかしあの文体とテンションは別の意味でヤバい。
「雑誌『映画秘宝』の記憶」というタイトルの、ナンバリングのついた記事で関連する人物を批判している増田。内容自体はそこまでヤバくないのだが、投稿数がすでに60近くになっている。
その名の通り寿司とギャルに情熱を燃やす増田。タヌキックマスターの生みの親でもある。特定増田にはきわめて珍しく、とにかく明るく前向きな性格。今でも稀に増田に出没する。
ここ最近は投稿が見られないものの、スパムが暴れていた頃にも一度消えて戻ってきたことがあり、現時点で引退と断定はできない。
なお、以前の投稿に「kokorohamoe」なるアカウント名が含まれていたが、この増田と同一人物かどうかは不明。当該人物によるブログは最近まで更新が続いていたが、現在は見られなくなっている。
排外主義や政治家などを理由に挙げ「ニュージーランドへの移住はおすすめしない」増田。他にもニュージーランドのあらゆる問題を指摘していた。
ただし、専門家を名乗る別の増田から内容にツッコミが入ることもあった。
増田は「何かにつけて人間性センターが表示されてうっとおしいのでやめてみた」らしく、現在はnoteに引っ越している。
友人から指摘されてたしかに無信仰で宗教に偏見がない人間を自分以外で見たことない事に気づいた。俺みたいなタイプってやっぱり俺みたいな環境で育ってたりするのかな?
偏見を持っている人は、それを持つほどの知識や経験もないのにそういうふりをしている人がほとんどでは。
アメリカのような多人種国家と日本のような見た目では区別がつかないような民族が集まっている国では社会的な差別の態様が違うと言われることがあるよね。
黒人や白人が日本の差別を語るときに、よく知らない相手に対する戸惑いや警戒心を上げることがある。
それに似ているのではないかと思うよ。
日本では宗教的な行事に形式的に参加させれたり参加したりする人は多いが、教義的な理解や共感を求められるような機会は基本的にない。
だから形式的なものを越えて熱心に信仰している人が目の前にいたら警戒心は高まるものだと思う。
それは誰もが持つ普通の感覚だが、それを政治的に利用したい人は偏見を増長する方向に利用するだろうね。
これは排外主義的な思想を持つ人が外国人への偏見を強化するように動くことに似ていると思うよ。
それ以外の社会的に認知度が高い差別でも、そうでない差別でも政治化させられているものはそういう傾向が多い。
偏見が少ない人というのは意外と多いと思うが、それは
祖母が私財を宗教に費やさず勧誘活動を一切やっていなかった(ただ、俺に対しては一緒に勉強しないかと熱心に誘ってきた)のと、近所の某学会員たちも一切勧誘活動はしてこず、平均よりも良識的な人たちだったのが大きいのかもしれない。事実、穏やかで地域奉仕活動に熱心な人が傾向として多かった。