はてなキーワード: 性風俗とは
彼らを見ていると、現実ではなくマスコミで取り上げられる世界しか知らないんじゃないかと思える。
本気で引きこもりなんじゃないか。
マスコミの世界で取り上げられる女性は若く美しい人か、セレブマダム的な上層階級の専業主婦か、ビジネス誌に取材されるような超エリートだけだからね。
そりゃそれだけが「女性」だと思っていたら「女性だけが優遇されている」とか勘違いするわな。
実際は彼女らは男性から見て都合が良かったりレアな存在だから取り上げられているだけで、現実の殆どの女性はそんな世界には生きてない訳だが。
「男は汚い肉体労働をしているのに女は冷暖房の効いた綺麗なオフィスでデスクワークしてるから男は差別されている」とか言うのも見たけど
汚い肉体労働している女だって山ほどいるけど、そんな「絵にならない」「男が見ても楽しくない」女はマスコミに取り上げられないだけだろうと。
鈴木大介氏は最貧困女子で話題になったが、その前に貧困少年に関するルポを書いている。
資本主義は、貧困女子を「性風俗産業に搾取される被害者」の立場に導き、
貧困男子を「組織的なオレオレ詐欺・集団窃盗の加害者」の立場に導く傾向にある。
貧困男子にも性風俗における需要があれば、おそらく「ババアに弄ばれる被害者」になっていたのであろうが、
需要がないため(女性向け風俗は客が入らずすぐ潰れる)、裏社会は少年たちを「下っ端の加害者」として活用するのだ。
貧困下で育っていない「一般市民」にとって、貧困女子は「可哀想」だ。
売買春の経験は無くても、多くの女性が痴漢・セクハラ等の被害経験を持っているので、
実家が貧乏だから…を理由にキモオヤジにサービスさせられる運命を課せられたJKは、
しかし貧困下で育っていない一般男性にとっての貧困男子とは何か。
高校進学によって、中卒の彼らとやっと縁切りが出来てせいせいしたような、そんな存在だ。
地価の高いエリアや、国立・私立の小中学校に通った男性からすると、同級生としては「不可視」で、
「ニュースにたまに出てくる胸糞悪い悪者」のような、現実味の薄い存在かもしれない。
そんな一般男性たちが、彼らにシンパシーを覚えるだろうか?助けたいと思うだろうか?
「俺たちが真面目に勉強していた頃、あいつらはカツアゲをしていた。大人になってからの暮らしに差があるのは当然」
こう思うのが普通ではないだろうか。
貧困少年のケアは、彼らが「裏社会に入った地元の先輩」になついてしまい、
「下っ端の加害者」として使われ始める前に行われるべきなのだろう。
貧困少女が風俗スカウトになついてしまう前にケアされるべきなのと同じことだ。
しかしケアをする組織は、「裏社会に入った地元の先輩」や「風俗スカウト」を敵に回すことになる。
貧困少年少女が救われることで、彼らを搾取して暮らす「むかし貧困少年だった大人たち」が飯のタネを失うことになる。
(貧困少女を救う活動をしている仁藤夢乃氏は、できるだけ有名になるべきだろう。
「売名」だの「承認欲求」だのというゴミのような問題ではない……)
貧困少年を搾取した過去を持つ、むかし貧困少年だった彼らは、まともな仕事に再就職できるだろうか?
助ける側のリターンが少ないだけでなく、リスクがあまりにも大きすぎる。
また貧困少年少女は、豊かな家庭で育った奴らからの「助けてあげる」的な上から目線を嫌う。
「裏社会に入った地元の先輩」や「風俗スカウト」の方が、似た過去を持っているため信頼する。
童貞がジャニーズやエリートを嫌い、理解者面をする伊集院に群がるようなものなのだろう。
http://am-our.com/sex/231/11150/
セックスすることに意味なんてない、女性はカラオケ感覚でセックスするんだ、と書かれている。
だが、この座談会の中心人物は、恋愛マニュアルやセックス指南本などを執筆している作家であり、
世の童貞たちに素人女性との(快楽を目的とした)セックスを推奨している人物でもある。
(立ち読みですが、同作家が執筆した作品内容を確認した結果、そのような作家だと感じました)
仮にこの女性作家が本音で「セックスすることに意味はない」と考えているとすれば、
なぜ女性経験のない男性たちを無意味な行為に駆り立てるのだろうか。
無論、それは単なるセールストークに過ぎない、というならば確かにそうだろう。
だが、彼女は恋愛強者の男性に対して「セックスは意味がない」とうそぶく一方で
女性経験のない男性には、さもセックスに意味があるかのような幻想を振りまいている。
しかし、セックスすることに意味がないと考える人がいるのならば、
セックスしないことにも特に意味がないと考える人がいるもいるはずだろう。
実際、童貞の多くは、気付いたら女性経験が全くないまま大人になってしまった、という例がほとんどだ。
ひどく童貞をこじらせていない限りは、セックスしないことに大きな意味付けなどしていないはずだ。
(もし誰もが意味付けをしているとすれば、童貞卒業のための恋愛指南書が売れるわけがない)
実を言うと、私は「セックスをすることに意味はない」という考え方にはおおむね賛成だ。
一方で、セックスしないことにも意味はないという意見をも主張したい。
男性であれ女性であれ、何となくセックスをしたくないと思うならば、別にしなくても良いし、
周囲が躍起になって性風俗に連れて行ったり、女性であれば彼氏をあてがったりする必要は全くないと思う。
性の自己決定権という概念がこれほど人口に膾炙し、非常にカジュアルにセックスを行う男女が一般化しているにも関わらず、
かえってセックスをしないという選択肢が過剰なほど貶められている非対称性に奇妙さを覚えている。
これは性のタブーが強い時代に「セックスをすること」の意味が過剰に貶められていたことと似ている。
しかし、その欲求は個人差が大きく、何か大きな犠牲を払ってまで充足したいと思う人ばかりではないだろう。
(特に食欲や睡眠欲、排泄欲などとは異なり、充足しないことで健康に被害はもたらさないため)
そう考えると、そうした選択をする人々を貶めるような風潮、
例えば、幻冬舎新書『ルポ 中年童貞』における当該男性たちの描かれ方に強い疑問を感じる。
積極的であれ、消極的であれ、性愛に関わること避けるというのも一つの自由意思の選択であって
性抑圧の強い時代ならば人格異常の一種とまで扱われてきたセックス依存症の人々が
そのような選択を避ける人たちの生き方も認められても良いのではないかと考えている。
ぜひ皆さんの意見を賜りたい。
「当時は貧しかったから身売りは仕方がなかった」には納得できない。」ってエントリーを読んだ。
「仕方がない」という発想は「起きていることはすべて正しい」(by 勝間和代) みたいで嫌な感じ…。と言っては勝間氏に失礼か。読んでないし。
「現状のままでいたい」という発想というか。実際、国の調査では7割くらいの人が現状に満足している。 http://survey.gov-online.go.jp/h26/h26-life/2-1.html
で、ちょっと気になった。で、調べた。
「生活保護申請の女性に「ソープで働け!」という対応 大阪市だけでなく「氷山の一角」」
http://bylines.news.yahoo.co.jp/mizushimahiroaki/20140613-00036339/
記事のソースは J-CAST だが、そのソースは某弁護士の2014年5月12日のブログだ。読めばわかる。
で、そのブログがこれ。
http://www.fumon-law.com/blog/?m=201405
月ごとにしかリンクが貼れない。記事単体のパーマリンクが欲しいところだが、仕方ない()
理由は分かんないっすよ。
ガセ掴んじゃったのかも知んないし。
性風俗とプライバシーの問題かも知んないし。(該当女性が実際にソープで働くようになったのかも知んない。ソープで働けるくらいの容姿だったのかどうか知らないが。)
web.archive.org や web 魚拓にも残ってないから、そもそもそんな記述があったのか確認もできない。
仕方ない()
最近、極楽とんぼの山本関連が発端となり、様々な議論について議論がなされている。
「さまざまな立場の人の言い分はそれぞれ理解でき、どれが正しいか断定できない」というのが私の立場である。
その前提を踏まえて頂き、次の3点について主張したい
1.「性犯罪」の認定は表になっていないだけで、本当は性犯罪とは言えないもの、罪名のインパクトと実際犯した内容の乖離があるものもある
2.準強姦や強姦、強制わいせつ、迷惑防止条例違反、青少年保護育成条例違反等さまざまな罪種・法律違反が存在する
(=セクハラなどのモラル違反から強姦まで、一概に大雑把に性犯罪という括りで再犯率を出すことが、統計として正しいのか)
3.1の一方で、本当に被害にあっており、泣き寝入りをしている被害者も巷で言われているようにいる
以下は、私の考え(ちなみに私は男なので、あくまで被害を受ける女性の立場のついては、想像)
「未解決性犯罪事件の犯人や証拠不十分等で逮捕できなかったもしくは不起訴処分となった者、示談を含め被害申告が取り下げられた被疑者の余罪率」
は高いと感じている。
一方、「逮捕し余罪を追求した結果、認知されていなかったもしくは未解決事件の余罪をもっていた」という余罪率の統計は見ないので、
そのようなデータを知っている人は教えて下さい。)
「犯人を捕まえて、適正に処罰を受けさせる(=痛い思いをさせる)こと」だと考える。
つまり、要は
世の中の面々は被害者への配慮と警察や検察の活動を監視しつつも支援すべき
だ。
ああ、それと、
山本はアホだと思うが、本人もそれ以上に自分のアホさを後悔しているだろうと思う。
復帰が不快な人の気持ちは分かるし、許せない人は許さないでいいさ。
ただ、芸能界に戻りたいっていう本人の自由意志くらいは許していいんでないの?
復帰=生き残れるということではないし、復帰しても即死は大いにあるし・・
と書くと、厨二病の小説のようで恥ずかしいのだが、最近定期的にこの考えが浮かんでは
希死念慮に囚われるようになったので、こうしてその時々に思ったことを文に起こしておこうと思う。
私には、例えば私が全く違う人間だったとしても、困る人がいるように思えない。
頭が良いわけでも、運動ができるわけでも、芸術に秀でているわけでも、容姿がよいわけでもない。
まして人間性は最悪で、だけど正直、なんとかしようという気持ちが全くない。
役に立たないし好かれない人間に生きている価値なんて塵ほどもない。
他人にはそう思わないのだが。他人にはきっと何かしら価値があると思っている。
生まれる前に戻って、私ではない誰かが、できれば私より優れた人が生まれるように代わりたい。
その方がきっと両親も幸せで、周りの人々にとっても幸せで、社会的にも有益だから。
かといって、変えるつもりももうない。疲れてしまったし、面倒くさくて。
生きていたいと感じない。生活の一つ一つが面倒くさい。明日にでも突然死できないものかと思う。
親より早く死ぬことは親不孝だと言うけれど、ではこの先一生迷惑をかけ続けるのとどちらが親のためなのだろう。
出産はとんでもないギャンブルだと思う。自分はそこまでして子どもなんか欲しくない。
結婚だって、今の気楽な生活を投げ出して他人に合わせるなんて地獄だと思う。
それ以前に、自分に性欲を向けられることが気持ち悪すぎて、人と付き合えない。
もちろん自分に性欲はある。けど、それはリアルの他人には向かない。
触られるのも触るのも気持ち悪い。性風俗にでも行ってくれ。
こういうことを思うたび、先を生きて行きたいと思えなくなる。
それでは人間が滅びるというけど、別に自分が死んでからのことはどうでもいいので。
明日、目が覚めて欲しくないと何度も思う。
★財務省の「40人学級復活」の話、財務省は「学級編成」だけじゃなく「学校統廃合」も主張しているが、
実は「都市部の小学校統廃合」には隠れた副作用がある、という小噺。
★都市部でも、(湾岸や武蔵小杉みたいな)タワーマンション供給がないエリアは、小学生数が尻すぼみで、学校統廃合されてる。
そういう都会の場合、小学校が「無くなる」ことで、従来なら進出出来なかった風俗系店舗が「進出できる」ようになる
副次効果があるらしい
★例えば、タワーマンションが建築できない(⇒小学生が増えずに統廃合される)京都市内で、風俗系店舗が増えているらしい。
今日ネットでこんな記事を見かけて少し思うところがあったので投稿しようと思った
http://blogos.com/article/88515/
以下一部記事抜粋
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大阪市の職員が生活保護を求めたシングルマザーの女性に対し、「ソープで働け」と発言したというニュースがインターネット上でも大きな波紋を呼んでいる。
本当にそこまで極端な言葉が投げかけられたのかは不明であるが、多くのシングルマザーが経済的に苦境に置かれているということは事実であるし、実際やむなく性風俗産業に身を投じている方もいるであろう。
望まない女性がやむなく性風俗産業に入るということはあってはならならず、性風俗産業以外で身を立てて行けるようにする社会の仕組みづくりが必要であると私は考えている。
そこで、現状を打破するために考えられうる施策を、以下4項目に分けて紹介したい。
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内容は特定就職困難者雇用開発助成金のPRをもっと行って利用を促そうとかなんとか、まあ若干の妥当性は認められるとは思うが、PRを促し認知度があがるとその分かかる費用(広告費・人件費・総支給額)も増加するというのは忘れてはいけないよね。
とりあえずその辺はおいておくにしても
「望まない女性がやむなく性風俗産業に入るということはあってはならならず、性風俗産業以外で身を立てて行けるようにする社会の仕組みづくりが必要であると私は考えている。」
一部には望んでいくものもいるのかもしれないが、殆どの従事者はその金銭面でのメリットを理解したうえでその業界で働くという選択をしたはずだ。
むしろその業界において助けなければならないのは知らずの内に騙されて働かされている方だろう。
離婚を自らの意志でしたのであればその選択の結果として甘んじて受け入れなければならないし、不運なことに旦那が事故や急病で亡くなったのだとしても、キツイ言い方をすればそのリスクをヘッジできていなかったその人の過失だろう。
そりゃあ全ての人を助けることができるのであれば良いと思うが、今の日本にそんな余裕はないだろう。
どう書いても場所や個人の風評被害につながるのでぼかすけれども、
AKB48握手会で刃物で切りつけられた事件について、芸能界によくあることみたいなのは全く違うというのを書いておこうと思う。
また、現在様々な握手会やイベントが中止や延期になっているのは、(遅すぎたとはいえ)その判断は素晴らしいと思う。
テロに屈するのではなく、そもそも何の対策もしていないありえない状況の是正に繋がると考えるからだ。
今回のAKB48の事件は、当然かけるべきコストをケチった為に起きた人災。
防げないテロが存在することと、防げたはずの凶行とは、分けて考える必要がある。
どうせなんか湧くだろうから本題に入る前に当たり前の事を書いておくが、
当然、斬りつけるようなヤツが悪い。
刃物振り回すようなアレな人間が間違いなく悪くてそいつさえ居なければ良いというのは十分わかった上で、
(根底にはAKBファンにはキチガイ割合多いだろみたいな蔑視があると思ってるが、本題じゃないから省く)
テロの標的になるのは、目立ってるものだろうし、本質的に対策が難しいというのはある。
ただ、程度問題というやつは当然ある。
町内会長のオッサンがスーパーの開店挨拶で切りつけられた時に、犯人許すまじ、で終わるのなら良いが、
外務大臣のオッサンがどこぞの講演会挨拶で切りつけられた時に、犯人許すまじ、で終わったら正直困る。
警備は何してんだ、って話になってもらわなきゃ困る。
俺は安倍さんは嫌いだが、ぶら下がり取材中にのこぎりでホイホイ切りつけられたら、国益を損なうと思ってる。
だから、ファンが全部で10人の地下アイドル握手会と、CDに握手券つけるAKB握手会では、当然警備の量・質共に段違いであるべきだ。
その上で、芸能界でも今まで多々あってきた凶行と今回の件は、どうすれば防げたかという観点で見直しがいる。
見直さずに握手会を行うのであれば、それは蛮勇ではなくて単なる商行為における人名軽視だ。あってはならない。
美空ひばりが塩酸をかけられた、誰それが誘拐された、ファンが自宅に押しかけた。
だから、「昔から芸能人はターゲットになってきて、今回のAKB握手会の凶行も同じだ」は正しいか。
正しくないのではないか。
移動時でもなければ私生活時でもなく、業として商売として行われている最中の出来事だ。
犯罪者が悪いことに変わりはなくても、興行を行う主催者のミスとして責められるべきではないのか。
総選挙の時にステージに向かってモノを投げつけたわけではなく、直接触れ合えるタイミングで切りつけているのだ。
根本的に状況が異なる。
例えばだ、北海道で島本和彦がサイン会をして、色紙に熱い言葉を殴り書きしているときにファンに切りつけられたとしよう。
ビデオレンタルショップで手荷物検査があるでなく、取り押さえるにも時間がかかったりするだろう。
いずれ漫画にネタとして昇華される日が来るかもしれないから、オイシイとかバカなこと言われるかもしれない。
この場合、それは一過性のものなので、警備の不備を指摘しても、あまり意味が無い。
もちろん島本和彦レベルのビックネームであれば警備を強化すべきとの声もあるだろうが、ファンとの触れ合いを大切にしたい作家の気持ちもある。
そもそも、殴りつけるなら兎も角、切りつけてくるような犯罪者が混じっていることなど、判ろうはずがない。
会えるアイドル、という部分と本質的に異なり、アイドルと触れ合える機会が、偶然ではなく確実にある。
CDを書い、握手券を手に入れ、会場に行けば(体調不良などのアクシデントがなければ)、握手できるのだ。
年に数回、並ぶファンも総勢50人以下なんていう状況とは異なる。
もう一度言おう、そこに行けば確実に直接手と手を触れ合わせることができるイベントが、かなりの頻度で定期的に行われている。
この手の話は、規模や頻度、人気やファン層を無視しがちだ。
セキュリティという観点で見た時、性別年齢職業地域などで、想定する警備体制を見積もるのは当然のことだ。
文化ホールで年中行われるさだまさしコンサートと、ホテルで行われる美輪明宏ディナーショー、ロフトプラスワンの地下アイドルイベント。
のこぎりで斬りつけられるタイミングはそれぞれ違うし、警備体制を同様に論じることは当然出来ない。
ロフトプラスワンの警備体制でジャニーズのコンサートを行ってはいけないというのは、判るだろう。
差別的だというのを十分承知の上で言えば、美輪明宏のクリスマスディナーショーに、のこぎりを持った今回の犯人が紛れ込む可能性は無視できるほど低い。
単純に行きづらいからだ。
さて、テレビにAKBという名前で出る、CDも売っている、ファンも多い。
そんな相手に、1600円で直接触れ合えるイベントがある。
あの規模の握手会で、握手対象者はドル箱たるアイドルそのもので、手荷物検査がザルなんてあってはならないのだ。
クリント・イーストウッド主演の、ザ・シークレット・サービスという映画をご存知だろうか。
あの映画では、ジョン・マルコビッチが金属探知機をすり抜けて銃を持ち込んでいる。
ポイントはそこではなく、アメリカの上流階級が参加するパーティーであっても、礼儀を尽くしたまま警備レベルを上げることができる点だ。
コストは当然かかる。
佐渡金山の労働者のように、一旦全員裸にして、ケツの穴までチェックしてから入場させる必要はない。
手荷物を全て預かり、アクセサリー類は全て外させ、金属探知機ゲートを潜らせてから、手を洗わせて、係員立ち会いのもとで握手させる。
たったそれだけだ。
富士急ハイランドではアレだけの入場者が居るにもかかわらず、メガネはおろか時計まで外させてロッカーに入れさせる。
長机はちゃんと固定しているか?
アクリル壁とか言う前に、やるべきことは山ほどあるはずだ。
時間は今よりかかるだろう。会場も限定されるだろう。置き引きや荷物間違い、つけ爪や服装規定に関しても揉めるだろう。
だが、コミケのコスプレ会場スタッフは乗り切っているし、準備会は柔軟に対応しながら当局の規制を免れてる。
実質的に有料の商業行為である握手会で出来ない理由はないし、コストを掛けないのは良く言って怠慢で、悪く言えば人名軽視だ。
職業暗殺者を防ぐことは出来なくても、自暴自棄になった若者程度ならハジく警備体制になっていなければならないのだ。
今回の事件は、当然行っておくべき対策を怠った為に、起こるべくして起きた事件であって、運営の責任は重い。
防ぎようのないテロではなく、簡単に防げた凶行だ。
防ぐのが難しい高級車窃盗団がいるからといって、鍵をつけたまま車を放置して良いことにはならない。
町内会長の講演と、国家元首の演説で、求められる警備レベルは異なるし、そのコストは省いて良いものではない。
もちろんファンが自主的にできることもある。
握手会にはできるだけ手荷物を持っていかない、時計を含めたアクセサリーは付けない、スタッフの指示には必ず従う。
そういったマナーが浸透すれば、そうでない人物を警戒すれば良く、スタッフの負荷は減る。それはアイドルの為にもなる。
(それをすり抜けるキチガイも当然でるだろうが、現状よりもずっと難しくなる。無策の言い訳にはならない)
わかりやすくするためにきちんと書くが、世俗や習慣、風習という意味ではなく、性風俗の意味を持つ「握手」の事だ。
異性同性に対して何らかのサービスを行う物事は多いし、国や時代によってモラルも風習も違うので、良い悪いは無い。
ただ、今の時代の日本において、少女に握手をさせるというサービスは、どこまで許されるのか?
はっきり書こう。AKBのCD代金の何割かはこのイベントのために支払われている。
つまり「会場に行って、1000円支払って、好みの女性と握手をする」という商形態だとしたら、許容されていたか?
いまはこれを、CD代金に含めることで有耶無耶に誤魔化している。
規模が小さい頃は、ファンサービスの一環という言い方もできるし、実際そうだろう。
大規模になり、十分にビジネスモデルとして回り、実態として握手券のためにCDを買う人間が増えてきた。
法律がなければ何をしても良いわけではなくて、何かあればすぐに規制がかかる。
握手会を無くさない為に、この業界トップランナーであるAKB運営は早急に自主規制を行う必要があるのではないか。
誠に残念だが、「ファンサービス」に戻すための努力をすべき時期に来ていると思う。
ほっとくと、ホントに刑務所の面会室みたいな場所でガラス越しに手を重ねあわせるだけになりかねないと思う。
アイドルなぞ賤業でメンヘルなので、斬り付けられる程度の覚悟はしておくべきと考える人がもし正しいとしても
商売人として運営がアイドルにコストをかけないのは、美術館が展示の目玉の国宝の壷を触れるように展示するレベルにありえない。
これは徹頭徹尾、人間を商品として扱う商売人がかけるべきコストをかけていなかったという、運営の話だ。
そんなコストを掛けてまで握手会は出来ないというのであれば、サービス残業がなければ潰れる会社と同じく、元々出来ないのだ。
正直な処、男性アイドルグループや、無名のグループでは起きなかったであろう犯行だと感じるので、
リベラルで理性的なコメントが優勢な「はてな」ですら、違法薬物については俗っぽい厳罰論が優勢なことに私は驚いている。
ヨーロッパやオーストラリアでは、違法薬物に対して厳罰主義ではなく実害最小化主義(Harm Minimization、適切な訳語が見つからないので私の感性に基づいて直訳した)の姿勢をとっている。発展途上国、シンガポールや韓国などの開発独裁国、ならびに日本は厳罰主義である。アメリカ合衆国は中間ぐらいだ。実害最小化主義は即ち危険や害悪の元を絶つことは不可能であるから、それらが存在しうる前提で実害を最小限に使用という試みであって、性風俗産業にコンドームを配布するとか、薬物使用されうる繁華街などで使い捨ての注射器を配ったりするとかがそれにあたる。なお実害最小化主義においても、違法売春の元締めや違法薬物の流通に関しては極めて厳しい罰則が定められている。したがって違法薬物の使用者は弱者であり守られるべきであるが、それらを食い物にして金を儲ける奴はけしからん、というある種の優しさからくる社会正義に基づいているといえる。賛否両論はあるだろうし偏見に基づく価値基準であることは否めないが、ヨーロッパ諸国と発展途上国のどちらが人類に最適化された社会システムを持っているかは、少なくとも私にとっては疑いの余地がない。日本は先進国として実害最小化主義に軸足を移すべきである。「覚醒剤やめますか?それとも人間やめますか?」なんて全くナンセンスであって、人間の価値は覚醒剤の使用で毀損されるほど不安定なものではない。「間接的に反社会勢力の資金源に・・・」とかいう話は置いておくならば、他人に何ら実害を与えていない違法薬物使用者を極悪人のように仕立て上げて報道するのは間違っている。
モルヒネで前後不覚になって職務遂行不能であったならともかく、社会生活に支障の無いリラクゼーション・ユースの覚醒剤使用で逮捕された校長先生の作曲した校歌を変える、チャゲアスの楽曲が使われているテレビ番組の現場が騒然、とか全く的外れもいいところである。それならば全員ヤク中、それもMDMAなんていうヤワなもんじゃない、皿に山盛りのヘロインとかコカインでパーティーやりながらレコーディングしていたMiles DavisやJohn Coltraneが作ったアルバムなんて完全に発禁だし、現代音楽も基になるバークリー音楽理論なんてそいつらが発展させたようなもんなんだから、違法薬物抜きには語れない現代の商業音楽作品は全て発禁だ。
そもそも私はモルヒネやヘロインなど「狭義の麻薬」を使用するのはやめた方がよいと思う。しかしMDMAのような穏やかで感染リスクのない覚醒剤や、身体依存の全くない大麻と、合法である酒やタバコを仕切る境目に合理性を見いだせない。後者は薬理作用の他に食品や嗜好品としての味わいがあるが、大半の使用者はこれらを薬物として摂取している。なぜか問題にされないが、特に飲酒の害悪は恐ろしい。加害者がそれなりの社会的立場を有している場合の喧嘩やセクハラなどは大半が飲酒による酩酊のせいといっても過言ではない。覚醒剤使用で懲戒免職なら、飲酒して他人に絡んだら懲役の実刑ぐらいじゃないと釣り合わないと思うぐらいだ。
だからASKAとか槇原敬之とかミュージシャンが薬やってたって騒ぐことじゃないし、「やまとなでしこ」も「ホテル」も再放送で観たいし、大麻くんは大野やってないよ。
勢いで描いたので多分に偏見や引用が不十分な部分があることは自覚しています。「アスカに覚醒剤を教えたのはチャゲであって、チャゲは「残念です」とかコメントしてる場合じゃない、自分が黒幕のくせして。見た目的に。」ぐらいの偏見で書いてる。ごめん。