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はてなキーワード: 子供のこととは

2024-11-15

彼氏結婚したくないってそんなにおかしい?

28OL生涯独身希望彼氏持ち。

社会人になってからは2人目の彼氏学生時代から数えたら4人目の彼氏だ。

彼氏のことは普通に好きだ。一緒に遊ぶと楽しいし、毎日ラインでくだらない話で盛り上がるし、もちろんセックスだってする。

でも、彼氏が好きなことと結婚したい欲があるの言うのは別だ。私はどんなに彼氏が好きでも、結婚したいと思ったことが一回もない。

私の親父はクソみたいな人間だ。外面だけ良くて、家では母親暴力暴言奴隷のような扱い。

そんな親父をずっと見て育ってきたから、男に期待したことなんて一回もない。どんなに好きな彼氏でも、どうせ結婚したら変わるんやろ?って思っている。

あと、私は男に本音を言うことができない。やめて欲しいこととか、嫌なこととか。結婚すると、そう言うことを言わざるを得ない場面も出てくると思う。本音でぶつかるのが怖いから、結婚したくないと思ってしまう。

でも、彼氏はいてほしい。私はお出かけが好きなのだが、彼氏がいればデートという名目でたくさん外出ができる。デートスポットにも行ける。クリスマスバレンタイン他人事じゃなくなる。貴重な20代を目一杯楽しむ一要素として、彼氏は必需品だと思っている。

結婚を一ミリも考えてないから、付き合いは気楽だ。耳障りのいい会話だけして、楽しむだけ楽しんで、ほんとうに嫌になったら別れればいいから。食生活がガタガタの彼氏や、それは健康に良くないんじゃない?と思うことをやっている彼氏もいたけど、指摘なんてしない。怖いし、そんなつまんないこと言ったら楽しくないからね。でも、結婚となるとそう言うことも言わなきゃなんだろうなぁと思うと、なんかめんどくさい。

もし彼氏の子供ができたら、私は彼氏には告げずに別れるだろう。一緒に育てるなんて選択肢はハナから無い。とにかく、夫というものに恐怖心と失望感が大きすぎて、夫ができるなんて一ミリも考えたく無いのだ。あー、おぞましすぎて吐き気がしてきた。

でも、最近20代も終わりに差し掛かって、子供が欲しいと思うようになってきた。

今の彼氏に孕ませてもらって、シンママになろうかなぁと思ってる。自分1人の稼ぎでも十分やっていけるし、旦那のめんどうを見ながら仕事もして、、ってやってたら疲れそうなので。

追記

相手に伝えとけって意見あるけど、伝えるわけなくなーい?笑 子供できたら何も告げずにバイバイだよー👋

なんで伝える必要があるのか本気でわからないです。

追記)これ、なんでか考えたんだけど、子供を愛してる父親存在するのが信じられないからなんだよね。見たことないし。父親って、子供のこと愛してるもんなの?子供って、父親が欲しいと思うもんなの?

追記2

養育費取られないなら

自分遺伝子勝手に育ってくれてうれしいんじゃないか

←この意見、そうはならないと思ってます

だって自分遺伝子が育ってることを知る手立てありませんから笑笑

追記3

子供には死別と伝えます

結婚したくないけど子供は欲しいと強く思い始めたのは10年前からなので、金銭的にも環境的にもそれが叶うように進路選択をし就職しました。

異常者だと思うかもしれませんが、死別したと子供を騙すための嘘のシナリオをもう大体作ってるので、それを全力で演じるまでです。なんならダミー仏壇もおきます遺影も。狂ってるでしょ。狂ってるんですよ。

私は碌な家庭で育ってないです。生育歴は変えられません。親戚一同、私の親も私の祖父母叔父叔母も見渡す限りみんな毒親です。そのせいで叔母は変な宗教にハマったし従兄弟は✖️2だし従姉妹は中卒です。

もう、この負の連鎖止めたいんですよね。ここで止めたいんですどうしても。

から私演じたいんですよ母親を。私の人生かけてこの負の連鎖を止めたいんです。

じゃあ良い夫を見つければ良いじゃんって?無理なんですよ。こんな育ちをした人間が、人と本音でぶつかるのが怖い人間がまともな夫に出会えると思います?良い家庭を築けると思いますか?

だったら、ストーリー作った方が早いと思ったんです。あなたにはお父さんがいたよ、本当に素晴らしい人だったよ、でも死んじゃったんだ、それは仕方のないことだったんだよ。だから一緒に頑張ろうね。って。

私は人と接する時、基本的に嘘をついてます。嘘はつき慣れてます。だったら、得意の嘘で子供を騙して生きようと。

毒親連鎖を止めるにはこれしかないんだと思ってます

最近流行りましたよね、嘘はとびきりの愛。

私はその言葉を信じてます

2024-11-10

anond:20241110112858

これわかる

子持ち様とか言うあたり今存在してるガキのこと嫌悪しすぎててヤバいと思う

一番子供のことを考えていたら産まないが正解とか言うなら今いる存在してるガキのことももっと大事にしてやれよ……

2024-11-07

暇空の弁護士の垣鍔晶の裏垢、係争相手colaboの弁護士神原元の公開されてない家庭の事情ペラペラ明かしてたのもわりとこわい

神原は超リベラルなので夫婦別姓主義で、そのため妻(こちらも名の知られてる弁護士)とは法律婚していなかったのだが(ここまではネットでも知られてる)

垣鍔は、神原子供のことなどで折れて結局妻と法律婚して妻の姓に合わせているので本名は実はもう神原じゃないことなどを明かしていた(これは一般人は知らなかった)

リベラルぶってたくせに結局夫婦同姓の道選んでやんの」と嘲笑する内容の中で明かしていた

暇空茜は一時期、神原の娘(小学生)が堀口英利にいたずらされて神原と堀口が決裂した、という妄想を主張してこれは暇アノンたちも乗っかって楽しんでたのだが、

なんか妙に神原の娘について暇空が詳しくて妄想なのかどっかで情報掴んだのか不思議に思ってたが、

同業者神原プライベート知ってる垣鍔が面白おかしく暇空に漏らしまくってたんだなと思うと納得がいく

暇空が中川卓の学歴日大卒)を叩くようになったのも、垣鍔(早稲田卒)がカルピス時代にやってたことの焼き直しで、それも垣鍔に吹き込まれてるんだろうな

2024-11-01

anond:20241101093644

自分は女だけど、個人的には逆の現象起きると思うんだよね。特に最初は…

男性側の姓に女性が改姓したら非難轟轟、じゃなくて別姓を選んだ人が

「めんどくさいこだわりのある人」「子供のことを考えない人」として見られると思う。ていうか自分はよっぽどの事情が無きゃそう見るな…

今別姓を望んでる人の中には家柄とかの関係でよっぽどの事情がある人もいるのかもしれないけど、

たぶん女性の権利が~とか叫んでるめんどい人がまあまあいるんじゃないかと思う。

そういう人たちを避けるための目印にもなるよね。そういう意味では男性側にもめんどい女を避けることができるメリットがある気がする

段々世間に浸透して50年も経てばそんな意識も薄れてさも当然、過去もずっとこうでした!ってな具合になるかもだけど

しばらくは白い目で見られそう。だって大半の人どうでもいいと思ってるし…

2024-10-19

【追加あり】25で結婚したけど不妊のまま37になった

追記

書き捨てたつもりが反響があって驚いた。既婚の友達は全員子育て中だし、センシティブな内容なのでオフラインでは言いづらかったんだ。

結論から言うと子どもはもう欲しくない。正確には欲しくない九割、子育てたかった五分、その他(親や夫に子の顔見せられなくてごめん、など)五分かな。自分不惑となりいよいよリミットが迫ったらこ割合がひっくり返ることあるのか、そこだけが不安。そんなわけで一応子なし夫婦人生を楽しく歩むつもりでいる。

禊のつもりで少し書き捨てておこう。実は親も結婚して数年子宝に恵まれ不妊治療をして兄をもうけている。だから『親の私たち検査したのだからあなたもしなさい』と言われたこともある。母親には数年前、長文LINEで夫の発言含めた思いの丈をぶちまけたことがありその時は謝られた。しかし翌年になって養子を……と言われたので、もう何を言っても無駄だと思う。台詞命令調で書いてしまったが、実際は『あなたのためを思って、あなたの老後が心配で』みたいな言い方をする一方で、子がいないのは恥という価値観内面化されているのが透けているので余計に気が滅入る。

20代のころ不妊治療をと言われた際に『私は養子でもかまわない』と言ったら、養子責任が重いから大変だ云々と言われたことがあって、それが今になって(おそらく忘れて)養子のことを持ち出してきたのでそれもげんなりポイント。私の気持ちなんて忘れるくらいどうでもよくて、自分意見押し付けたいだけなのかなって。

親と自分は違う人間であり、親の価値観に引き裂かれる必要などないと頭では分かっていても心がたまについていかなくなって、帰省が近いと一人の時泣き叫んでしまう。私自身が、子がいなくて恥という価値観内面化してしまっているからかもしれない。

夫が不妊治療を怖がってた理由は、夫は少し病弱なので自分に原因があると思っていたからかな。離婚を切り出されると恐れていたのかも。男の沽券に関わるとか言ってた。でも私にも原因あると思うしそもそも原因とかどうでもいいし離婚するつもりだってないんだけどね。

引越しが住んで落ち着いて、もうちょっとお金を貯めて色々余裕ができたら足長基金などへの寄付とかボランティア活動とかしようと思ってる。そして親や夫の協力や世間体など外部は全て無視して私自身が本当に子どもを欲しい気持ちがあるのかもう一度よく考えてみようと思う。きっと気持ちは変わらないと思うけど。みんなどうもありがとう

【追加ここまで】

女です。タイトルの通り。

結婚した時は27くらいで子どもまれるかな〜と思ったら全然まれなかった。

人並みに(?)子どもはほしかったので、29の時に産婦人科相談したら『まだ若いからタイミングからしましょう』と言われ、一年できなかったか不妊治療しようかなと思ったいたけど夫が『子どもはほしいけど検査いか産婦人科行きたくない』と言ったので(他にも価値観の相違から色々すれ違いがあり)、この時点で心が折れた。協力してくれないならわたし不妊治療したくねーわ、と思い何もしないまま今に至る。

その間に実親には『あんただけでも不妊治療しろ、原因を特定しろ』とか、35超えてからは『養子をとることを検討しろ』とか言われ続けた。年をとればとるほど、家族との思い出で楽しいことよりも辛いことの方が多かったなとか、学校生活辛いことしかなかったなとか、わたし性格いか子供のことちゃんと育てられなそうだなとか、夫と足並みが揃えられないのに育てられる訳ないよなとか、子どもを生むことや持つことにプラス感情がどんどん持てなくなった。

子どもかわいい。私側にも夫側にも甥がいて世間一般なみの可愛がり方はしていると思う。子どもは光だから安全に暮らせるような社会にしていきたいとも思う。育児ハック増田とか読むと子育てしている人たちは本当にすごいなぁと尊敬する。

家系の持病や健康診断の数値などから考えると、不慮の事故でもない限り夫の方が確実に早く死ぬ。夫を看取って一年後とかに死にたい安楽死したいけどまだ難しいだろうな。

来月用事があり実家帰省するし、来年から仕事関係で知り合いなどの多いところに住むことになる。そこそこの若さ結婚して夫婦仲も(傍目には)良く経済的に困ってないのに子どもがいない、不妊治療もせず養子も取らないなんて非国民だと陰口言われるんじゃないか不安になる。帰省が近くなると、実親に今度は何を言われるのだろうとかなり情緒不安定になって一人の時泣き叫んだりしてしまうので、増田に書いた。文章下手でごめん。

2024-10-18

anond:20241016203813

「危ないか子どもから目を離せない」って主観的すぎるよな。女に多いけど子供のこと見すぎなんだと思う。

環境整えて安全対策して子どもの好きなもの配置してたら同じ部屋で家事位はできるのに、↑のセリフを持ち出して子育ての大変さを過剰に煽ってる事が多い。

anond:20241016203813

「危ないか子どもから目を離せない」って主観的すぎるよな。女に多いけど子供のこと見すぎなんだと思う。

環境整えて安全対策して子どもの好きなもの配置してたら同じ部屋で家事位はできるのに、↑のセリフを持ち出して子育ての大変さを過剰に煽ってる事が多い。

anond:20241016203813

「危ないか子どもから目を離せない」って主観的すぎるよな。女に多いけど子供のこと見すぎなんだと思う。

環境整えて安全対策して子どもの好きなもの配置してたら同じ部屋で家事位はできるのに、↑のセリフを持ち出して子育ての大変さを過剰に煽ってる事が多い。

2024-10-17

anond:20241016203813

まあひろゆき沖縄冷笑に乗っかり暇に寄付するような人なのでな。子供のことからってあんまり期待しない方がいいんじゃないかな。

2024-10-16

anond:20241015130143

結婚して20年。夜の営みは子どもが生まれからしてない。嫁も最初からそちらにはあまり興味ない感じ。

仲良くするには、距離をとることと、お互いに敬意を払うことが大切なのかなと思う。

寝室や過ごす部屋は別。テレビ俺見ない、嫁見る。話題子供のこと職場人間関係の話とか互いの両親の話が多い。喧嘩になりそうになったら基本俺が折れる。すぐ謝る。ごめんごめんといって笑う。どうしても怒りそうになったら自分の部屋に行って寝る。起きたら忘れてる。

ちょっとしたこと「ありがとう」って言う。洗濯掃除コーヒーいれる・料理風呂掃除、その他小さいことでもやってくれたことに対して「ありがとー ^^」って感じで言ってる。向こうも言う。というか向こうのほうが最初からそんな感じだったので、俺もいつの間にかそうなった。

そういう生活を続けてると自然と「いつもありがとう」、って言葉がお互い出るようになった。もちろんちょっとした感情の起伏でイライラしたりすることはお互いあるけど、そういった感情はお互い自分で処理する感じ。

いちばん重要なのは距離をとること、これがあるからありがとうもきちんと言えてる気がする。

2024-10-11

まーた身内や親が学者とか大企業研究の子供が科学コンクール的なもの入賞して囃し立てられてるわ。

 

あいつらアイデアはあっても周囲に知識のある大人がいなくて日の目を見ない子供のこと笑ってそうだよな、ざまあつって

 

きっと入賞経験大学入試で実績として評価されて有利になるんやろうな

ガチャ極まってるわ

2024-10-04

anond:20241004112448

大人としては男児がいてもそんなに気にする事はないが、女児の時は同い年くらいの男児がいることがめちゃくちゃ嫌だった

嫌で風呂誘われても拒否たから親を困らせることもあったし、家族スーパー銭湯行く機会が失われてるんだよね

本来女湯にいるべきではない男という属性がいるせいで

女湯にいる男児には決定権が無かったり、何も考えてなかったり、子供にそこまで考えてどっちの親に着いてくか決めろというのは酷なので親の責任

同様に男児で父もいるが母と毎回入らされて、同い年くらいの女児がいて恥ずかしくて本当はずっと嫌だったという投稿も見たので、子供のことを考えると自分性別風呂に入れさせるのが良いと思う

2024-09-28

anond:20240928013503

言ってることは理解できるけど、

四六時中子供のことを考えないと子供死ぬから、そうなるのも分からんでもない。

頑張ってる証拠でもあるとは思う。

とはいえ、書いてることは全く正しいと思うので、難しいなぁと思った。

2024-09-27

anond:20240927095001

これは恋人の事に限らず

現在の住居形態家族形態、既婚者には子供のこと企業訓練の話、老後の生活スタイルまで

20-60代の人に、幅広い項目を聞いているアンケートですよ。

2024-09-26

海のはじまり-看護師としてみてみる-

ヤフコメとかTwitterとかで水季勝手すぎ!とか振り回されすぎ!こんな脚本ありえん!もうこの脚本家のドラマは見ない!!!っていう意見が沢山あった。

自分医療職でありまぁ歴はそれなりにあってドラマを見てるとあーそーそーこれこれ!って思える場面がかなりあり家族言葉かにはもうほんと納得していた。

人の死の場面に立ち会うとほんと綺麗な終わりなんて全くない。そもそも死ぬ人は自分死ぬなんて思ってないし最後の瞬間まで生きてる。

最後の瞬間まで生きて生きて止まるっていうのに近い感じ。

死に向かって生きているはずなのに誰もかれも死ぬって思っていない。水季だってそうだったはず。

からせっかく宿った命を自分が育てていきたい。でもこれからある大好きな彼氏の将来を決めてしまうようなことはしたくない。

水季と夏がその判断をしたのは大学生。そんなあと先のことまで考えてはいないだろうしこれからの将来なんてそんなまだまだ子供の2人に想像できるはずがない。

産みたいけど彼氏のこれからのこととを考えた時にもうあの判断しかなかったはずだ。

これから彼との人生は違っていくけど自分子供の2人であれば生きていける。

そしてようやく好きな人もできてこの長い長い先にもしかすると津野くんとの未来も見えた矢先に病気の判明。

ほんと告知を受けたら頭真っ白だったはず。そして真っ先に考えたことが子供のことだったろう。

死を宣告された人たちは子供がいると子供第一に考えてた。私が死んだら子供大丈夫かな。。。ってもう何度も何度も聞いた。その度に医療者としてとても辛かった。

あの手紙子供のことを思って書いたのだろう。

かに勝手に産んだ。でも死ぬなんて思ってなかった。残された子供がいつか父親のことを知ろうとするだろう。自分の死だってきっとどんな形であれ夏は知ることになるだろう。

なら知った時のために手形を残すというのは自然のことじゃないだろうか。血のつながった子が孤立しないようにしてあげたかったはずだ。

2024-09-25

anond:20240925123844

共同親権界隈って子供を狙うのが一番元妻への攻撃になるから執着してるだけで実際は子供のことはどうでもいいでしょ

仁藤さんに粘着するのも女を攻撃したいっていう行動原理は一致してる

2024-09-24

anond:20240924165939

先進国子供が減っている根本的な理由は、非婚化だからね。

社会全体の人権意識が高くなればなるほど、子供は減る。

それは子供のことを考えれば考えるほど、子供を持つのはやめよう、という流れになるのだから

男女間の自由恋愛志向の上昇もそうだけど、男女間の結婚観も変化も見逃せない。

女性結婚したくない理由については色々語り尽くされているが、男性側にも結婚したくない理由はある。

男女平等なのだから一家大黒柱役割押し付けられたくない。

女も経済力負担せよ、という先進国男性らしい理由

男に社会強者役割押し付けるな、という「男性差別」の概念誕生、といえばわかりやすいだろうか。

人権意識の上昇、社会安全性の向上、人口都市への集中のように社会が「先進国化」すれば、子供の数は減る。

2024-09-22

anond:20240922151539

だーれも生まれてくる子供のことなんか考えないのな

誰が好き好んで弱者の家に生まれたいと思うのか少しは考えろよ

子供は生まれる家を選べないって運要素を都合よく思考放棄理由に使うんじゃねーよ

2024-09-16

不倫からの友人への不信感

数年疎遠になっていた長年仲良かった友人から久しぶりに連絡があった。

電話じゃなくて、メッセンジャーで連絡があった。どうやら5年ぶりだったらしい。

彼とは20年ほど仲良くしていたのだけど、あることをきっかけに疎遠になってしまっていた。

彼は、既婚者で、かつ5歳ほど年上の女性結婚していて、10年以上結婚生活をしていて、都内に新居まで購入していた。

あるとき、彼が地方都市単身赴任になってから様子がおかしくなっていった。

個人的には当時、彼の性格から言って、火遊びはできても、浮気などはできないタイプだと思っていた。

しかし、あるときから急に嫁とは不仲だといい、別居すると言い出した。

少しおかしいな、と思ったが、単純に別居による不仲かもしれないので、あんまり触れないようにしていた。

あるときから理由は言わなかったが、離婚に向けて進めていると言っていた。

ある日、離婚が成立したとの連絡があり、自宅のローンなども残っていたので、財産分与も大したことなかったという話をした。

個人的には、友人なので理由はともかく、負担が大きくなくてよかったね、と言った。

それから半年もたたないうちに、なぜか美人の新しい若い奥さんとの結婚式案内のレターが届いた。

どうやら彼女が初めての結婚、かつ地方のため、式をしないわけにはいかなかったらしい。

とはいえ、、、よくよく聞いてみると、新しい奥さん妊娠していることも分かった。

離婚成立から間もないのに、、というかそこで全てがつながった。

彼は普通に何もなかったかのように結婚式案内という体で連絡をくれたが、なんとなく個人的違和感があった。

結婚式も何となく気が向かないので行かず、その後数年は、SNSでも子供のことは一切触れられなかったが、ところどころに感じることはあった。

個人的には、周囲の仲間たちからだましていくスタイルは、若干不信感があって、その後連絡することもなくなっていた。

そんな友人からの連絡だった。

普通にやりとりしたし、彼からは相変わらずそういったプライベートの共有はほぼなかったけど、何となく違和感があった。

それまではそういった、不倫的な、すでに不貞は始まっていたが離婚して結婚、というケースは他の友達にもあったけれども、そういう友達相談してくれた。

そういうしょうもないことを相談とか共有してくれた人々のほうが、信頼できるし、今でも仲良く連絡が取れる。

全てが見透けているのに、隠し通している彼にまだ不信感がある。

しろバレバレなのに隠し通せていると思っているのが滑稽だし、正直、前の奥さん不憫で仕方がない。

そんなことを、考えても意味がないのだけれど、彼との間にできた距離はこの後も、彼が打ち明けてくれるまで埋まりそうがない気がしている。

仲は良かったほうだったと自覚している。

自分が真面目すぎるのか、友人に期待をしすぎただけか、わからないけれども、、、子供が育っても、未だに全てを隠している彼は滑稽だ。

と思う、自分が神経質なのだろうか。

2024-09-12

30超え恋愛経験なし男が初彼氏

だった。18の話。

SNSで繋がって漫画アニメの話で盛り上がった男の人と会うことになった。

なんでも童貞(聞いてないのに自分から言い出した)で女の子と会うのは初めてを連呼してた。

10くらい上と聞いてたけど相手35だった……おじさんなんだけど、SNSで話してる時はあんまそんな感じしなかった。

こっちも男の子デートしたことない。

恋に恋して憧れてたけど、そういうきっかけがなかった。

初めて会って普通の男の人だなと思った。

普通も知らんけど、別に普通の人? だった。

一緒にごはん食べに行って好きな漫画の話やアニメの話をした。

それでやりたかったゲームを持ってるというからホイホイ一人暮らししてる男の家にあがってしまった。

危機感のなさがやばい

ゲームを見せてもらって、一緒に遊んで楽しかった。

女の子友達はいたけど、漫画とかアニメとかゲームの話ができるコがいなかったから……

たくさんゲームして遊んで、そろそろ帰らなきゃってときに急に抱きしめられてびびった。

そのまましばらく2人でずーっと、ぎゅーってしてた。

ただ男の人にぎゅーってされてることにびびっていた。

服を中途半端に脱がされて、胸触らせてとかいわれて、これ初対面で会う人にすることなのとか思いながら胸揉まれた。

それで、揉まれながら「付き合いたい」「彼女になって」っていわれて、今断ったらどうなるのかわかんなくて、いいよといってしまった。

私、今思えば父親から性的虐待なんかなってことをされてて、胸を触られたりお尻触られたりしてた。

触らせないとすごく怒るから、触らせないといけないのかなと思ってしまってた。

父親はお前みたいなやつを触ったりできる男は俺くらいなもんだ、ありがたく思えって笑ってて、

から、私みたいなのを他の男の人は性的な目で見たりしないと思ってたから、この人はこんな私のことでも触るんだなとか考えてた。

付き合い始めてデートらしいことはしなかった、

多分お互いどこいけばいいのかもわからなかったし、

行きたいとこなかった……

たまにアニメ映画は見に行った映画のしかった

バイト終わったら彼の家に行って、ふたりでお風呂入って洗いっこして、はみがきして、テレビ見て、彼が買ってきた新しいゲーム一緒にして、付き合ってるんだからえっちするよ? みたいな感じで、初めて男の人とえっちした。

最初えっちするっていわれたとき、彼がふにゃふにゃちんで、ゴム着けようとしてもなかなか着けれなくて、えっちやめよっていったら、ヤダ絶対えっちするって聞かなくて、ゴム何個もダメにして、使えなくなっちゃって、最終的にゴム無くて勃ちはじめて、それで挿れようとしてきたから、えっちしたことなくてもゴムなしはやばいと思ったからやだ!しない!って拒否したら空気悪くなって終わった。

彼氏彼女なんだからえっちして当然なんだよと言われて、次は絶対するからなっていわれて、次ははじめてうまくいったけど、なんか痛くて生理痛みたいになって最悪だった。彼は気持ちよかったのかな、わかんないけど、一回えっちしてからは、相手の部屋に行ったらずっとえっちばかりだった。夜から朝までとか、朝から始めるとか、一日中えっちしてばかりだった。

まじで付き合ってる間の記憶えっちしてたしかない。

ある日、子供は嫌いだからいらないって話をされて、こんなにえっちばかりするのに子供出来たらどうするのかな?って不安になって、それきっかけで、別れたいって話した。

別れるの大変だった。やだやだいわれた。

子供のこと話したら、えっちはするよ? ちゃん避妊したいならピル飲んできていわれた。まだ子供とか考えれなかったしこの人は子供嫌いだしどーしようみたいな。。

私も彼もお互いのことが好きじゃないってそこではっきりして別れてよかった〜思ってる

普通じゃないって思うから誰にも話してなかったけど

なんか思い出したから書いた 

とくに意味のない過去の思い出

恋愛経験がお互いにないとこうなるのかなというのと、

相手によるだけでこうはならないのではって今でも思う

2024-09-09

https://anond.hatelabo.jp/20240908203119

できればずっと我が子を育てていってやりたいと思っていました。

ワクチン拒否ではネグレクト認定も難しいようなので、離婚したあと自分積極的育児に関わるのは難しいのかなと思っています

それで、反ワクの奥さんのところに子供を置いて離婚するつもりなわけ?

子供を守るためにもっと戦いなよ。なんでそんなに自分本位なの?私には増田奥さんもどちらも同じに見える。むしろふてくされて子供のことを捨てる増田に比べたら、そのあとも子供の衣食住世話するだろう奥さんの方が100倍マシだわ。

2024-09-08

anond:20240908195829

おかあさんになりたかったってエゴもいいとこじゃん

この世に産み落とされる子供のことを考えたら無理もいいとこだろ

まともな職に就けて結婚できたか能天気子供欲しィ~なんて言えてるけどよ

障害持ちはもちろん弱者男性あるいはドブス遺伝子を持たされて産み落とされたら地獄だぞ

その点元増田はしっかり考えてて偉いよ

anond:20240907233134

子供の頃からこういう性被害を受けている女性ほとんどだからこそデフォで異性を警戒するし、子供のことも心配するのに

増田養父みたいに、被害の子供を嘘つきと決めつけたり、母親心配したり警戒したりするのを、大げさだとかあり得ないと嘲笑父親が多い

何なんだろうなこれ

2024-08-30

私の『産後の恨みは一生』エピソード

推敲してないので途中で口調が変わるけれど許して。ブームが去る前に公開しておきたい。

2000~2001年の話です。そのときまれた娘は健康に育ち独立して離れた場所生活。私は当時の夫とは娘が1際の時に離婚し、その後、娘の高校卒業と同時に別の相手再婚しました。

情報だけでおわかりの通り、産後の恨みが原因で離婚しました。そして産前から出産の時も含めて広い期間ダメダメだったので、『産後の恨み』どころか『出産前後およびその他諸々の恨み』が正しいかも。今はもう相手のことを恨んでいることはありませんが、それはスッパリと関係を断ち切ったからであり、今でも共同生活を送っていたなら、頭の中でグチグチと恨みを反芻させ骨髄に入るまで温存させていたでしょう。

当時の夫とはデキ婚でした。この時点で当時の自分説教したいのですが二十歳そこそこの世間知らずの恋愛脳だった自分には、説教したところで、どんな言葉右から左に貫通していったこと間違いなし。ほんとにしょうもない体験して失敗しないと脳に染み込まない。本当のうえで理解したのは全部が終わって数年たったころだったと思う。相手もまた1歳年上の二十歳過ぎたばかりのペーペーです。

この時点でアカンと思うでしょ。私も書いてて「こりゃ、アカンわ」と思ってる。

とにかく妊娠きっかけに結婚し、新居として安アパートを借り新生活開始。妊娠による体調不良であれよあれよと働けなくなり退職

田舎だったこともあり『育休産休』という制度はあっても実際に取っている人が周りに居なかったため、辞める以外の選択肢があるなんてその時の自分には思いもよらなかった。男性だって明らかな労災でも自己負担病院に行ったりしていたのが普通だったため、そういうものだと思ってました。

というより育休とる以前に、安定期入る前に何度も貧血を繰り返し、ホルモンバランスが崩れて顔・体全体にアトピーが出てしか赤ちゃんのために薬も飲めず、肌がグルート(ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーにでてくる木のやつ)みたいな見た目になって人前に出るのがまず精神的に無理になった。膿んで乾いたカサブタが、振り向くたび、お弁当を食べて大きく口を開くたびにこぼれてデスクの周りが汚れた。客前に出ることはおろか、お茶を淹れることも、書類仕事にも支障が出た。上司(女性)からはその都度迷惑そうに「もうお茶淹れなくていいから」「書類汚れてるので、長袖かつ手袋できないだろうか」「また貧血? もう帰ったら?」と言われた。

「働きたかったけれど、働けなくなった」という気持ち微塵もなく、逃げ出すように退職して、もう人前に出なくて済むと思ったのが当時の心境。自分視点で書いてるから被害者っぽい書き方になっちゃうけれど、上司視点から見て私は困った対象だったと思う。ギリギリ人員で回している仕事を私の都合で滞らせていたので、迷惑だっただろうなと。当時は優しい言葉をかけて欲しかったけれど、求め過ぎな気がする。今、自分は同じ立場になって、昔の自分のために当事者気遣い言葉をかけるようにしている。

ホルモンバランス不安定で誰にも会いたくない状態病院通いだけしていたころ、夫の友人がお祝い持って当日にアポ無しで現れた。

こんな顔で人になんて会いたくなかった。しかし部屋が汚かったので、リビングに座ってもらいながら大急ぎで片付け、その周りの掃除機をかけた。すごく迷惑そうな顔をしていたと思う。夫友人が少しだけ話しをして申し訳無さそうにお祝いを置いて帰ったあと、夫には「せっかくお祝い持ってきてくれたのに」と小言を言われた。自分自身も申し訳ない気持ちになって落ち込み、具合が悪いからと部屋で休んだ。

8時過ぎに目が覚め、夕飯を用意してなかったことを思い出して、「ごめん、夕飯用意してなかった」とキッチンへ行った。夫は優しい気遣う声で「気にしなくていいよ。もう食べたから」と。シンクにはカレーヌードルの汁だけ入った箸の刺さった容器と、お湯を沸かしただけなのに、そこら中にお湯が飛び跳ねている状態になっていた。もちろん外装フィルムもそこに横たわっている。なんならストックしてないはずのパックご飯のカラもあったし、ゲームしてる夫の脇にはポテチもあった。コンビニで買ってきたのだ。そして私の夕飯はもちろん買ってきておらず。

その光景だけ見て、私は脱力し再び寝室に戻った。夫から「〇〇(私)の分どうする?」という言葉もなく、朝起きたら、ゴミゴミのままそこにあった。私のことを気遣ってほしかったし、自分で出したゴミ自分で捨てて欲しかった。けれども、当時は言葉にするのも面倒で、ただ黙ってゴミを捨て、キッチンキレイにしてから朝ご飯を作った。

夜の生活も続いていた。妊娠のある期間は中出しOKボーナスタイムという知識はあったらしい。

それで妊娠はしないものの、出されたものがそのまま留まってくれるでもなく、しばらくして排出されたものトイレで流す必要があって億劫だった。ゴムをしているときより滑りが良いと判断したのか、回を重ねるごとに前工程が雑になっていって辟易した。ついにはキス、胸、即挿入になってビックリした。今、書いてて不思議に思うけれどグルート肌の女を良く抱けたな。

そして臨月お腹が大きくなって寝返りもうてなくなった。腰も痛いし、便秘になるし、車に乗れば車酔いするし、妊娠間中は種類の違うあらゆる不調が手を変え品を変え一身に降り掛かった。体型が変わって服も替えなければならなかったが、幸いなことにホルモンも安定期に入ったらしくこの頃には、「ちょっと肌荒れが酷い人」くらいまで回復した。買い物している時、重い荷物など明らかに大変なものは持ってくれたが、かがむ必要がある軽いダンボールなどは放置され、お願いすると「これくらいでも?」と言われ、「これくらいでも」と返した。夫のぺったんこのお腹が恨めしかった。

そして出産。予定日になっても生まれず、あらかじめ病院入院して陣痛促進剤を打って臨む運びとなった。前もって出産日がわかるというのはありがたい。夫は有給をとって分娩直前まで一緒に居てくれることとなった。(立ち会い出産は断られていた。このころ周囲でもテレビでも今のように「立ち会いがむしろデフォルト」のような時代でもなかったので、そういうものかと受け入れていた)

朝一番から付き添ってくれるハズが夫は来なかった。夫が居なくても処置は進む。促進剤を入れ、やがてジワジワと兆しらしい変化が現れ、そして昼過ぎには痛みは最高潮。それが夕方まで続いた。

夫が現れたのは14時過ぎ。あとで聞いたところ朝方までゲームしていて寝過ごしたそう。出産までの陣痛マックスの時も夫は病室の隅っこの椅子にちょこんと座り、手を握ることもしてくれなかった。原因不明子ども心音がとまり、慌ただしく右往左往する先生助産師さんの邪魔にならないようにしたかったのかも。メチャメチャ苦しがってる私に何をすればいいのかわからなかったのかもしれない。夫は部屋の隅で怯えていた。

原因不明心停止は、あるとき突然原因不明のまま復活。そして分娩。生まれた。

いざ、産み落とす!となった瞬間から急に助産師さんが鬼軍曹になって叱咤してきて、まじでビビった。命に関わることなので、それくらい追い立てなきゃスムーズにことが運ばないんだと思う。それは出産後の入院時期にも続き。いろんな助産師さんがいる中で、比較若い人は穏やかに経験値の高そうな人ほど厳しくビシビシと授乳や寝かしつけ、沐浴などの指導がされた。(そして点滴やらおっぱいマッサージやらは、そういう厳しい人ほど巧い) 結婚する以前までは、自分の目指すべきところは『プリンセス』にぼんやり置いていたけれど、出産した直後からは『ソルジャー』になることを求められた。そうしないと子供が死んでしまう。強く賢く逞しくならないといけない。生まれたての弱々しい我が子を抱いて、自分の目がカッと見開いたような気持ちになった。

入院中、夫はあまり見舞いに来なかった。義両親が来た時に案内して少し話してすぐ帰宅。2~3週間の入院期間の内、来たのは3回くらい。夫が毎日会社帰りに寄って、面会時間ギリギリまで一緒にいる同室の夫婦たちを眺めていたので羨ましかった。

退院の数日前、夫に「◯日の◯時に、車で迎えてにきて欲しい」とお願いしたら、「出産日に休んだので、会社申し訳なくてもう休めない」と言われた。は? 真冬に、新生児を抱えて、2週間分の入院荷物と、これからのためにと持たされたオムツやら何やらを一人で家に持ち帰れと???? 私、ついこの間、股が裂けて縫っているので、重い荷物とか持って踏ん張れないんですけど?

退院日なんて入院する前から決まってた。しか出産日に休みをとったって、お前現れたの午後じゃん! ゲームして寝坊してきて、来たあとも全っっっっ然、役に立たなかったじゃん! 実際の処置医療者じゃなきゃ無理にしても、励ましの言葉もかけてくれなかったじゃん。さすがにキレて怒った。そしたらキレ返された。「お前に俺の何がわかる!」

全然からない。苗字も体調も体型も仕事生活も変わらず、私がこれまで持っていて失ったものほとんど失わず健康体で子供のことを気にせず働けて、余った時間ゲームを楽しめる人の気持なんて何一つ。

結局、退院日は母にバスで来てもらい、帰りはタクシーを使った。

帰宅後、愕然とした。部屋が寒かった。お互い地元結婚し、新居を構えたのでそれぞれの実家が近い。私の入院中、夫は実家に帰ってご飯を食べそのまま寝泊まりをキメていた。人の住まない北国の部屋はひとき寒い。そしてうっすらとそこら中に積もった埃。休日は家でゲームを過ごしていたらしい場所だけ埃はなく、人型にそこだけ綺麗だった。ゲームドライヤーもコップも出しっぱなし。何かあればうっかり死んでしま新生児が私の腕の中に居た。「赤ん坊ウィルスから守って」と言われた退院していた。ストーブを焚き、母に子供をみてもらいながらそこら中を掃除をした。この件に関しては怒ったら素直に反省してくれた。キレ返さないだけでも嬉しかったのを覚えている。

さて、ここから季節が変わるまで記憶が定かじゃない。どうやって新生児期を乗り越えたのかとんと思い出せない。若くして子供を産んだこともあり、体力があった。「母親になった。子供を死なせちゃいけない」という、これまでにないプレッシャーアドレナリンみたいなものがドバドバ出ていたと思う。夜泣きも平気だったし、数時間おきの授乳も辛いとは思いながらも、病院で指示されたとおりにやれた。私は助産師さんから指導甲斐あって『ソルジャー』にクラスチェンジしてたのだ。ある時、友人に誘われコートを着て買い物に出たら、「え、なんで暑いの? 空気が張り詰めてなくて穏やかなんですけど!!?」となって春の訪れを知った。

夫は沐浴とか『これは父親役割』という分かりやすいことはやってくれた。混合で育てていたので、哺乳瓶での授乳もお願いすれば嫌な顔せずやってくれたし。夜泣き対応も、私の腕が限界になればやってくれた。当時はありがたいと思っていたけれど、今の価値観だと足りてないですね。

そして決定的に離婚の原因となった出来事が明るみになる。

ある時、子供に急な発熱があって、でも保険証は夫のカバンに入っていたため、職場に行って受け取り、その足で病院に行こうとした。夫の職場子供を抱えながら自己紹介し、夫を呼び出すようお願いしたら「この一週間、無断欠勤してます」と。

夫には結婚から借金があった。遊ぶ金欲しさにどうするアイフルしていたのが発端。会社に返済催促の電話がかかってきて、そこから居づらくなって行ってないと言う。どうして黙っていたのかと問いただしたら「◯◯(私)や、生まれてくる子供のことを考えたら言えなかった。二人を幸せにしないと……と思って、隠し通さなきゃと頑張ってた」と。当時、ニュースで取り上げられてた多重債務地獄に落ちていた。闇金だ。

それから義両親も巻き込んで話し合い、アパートは引き払って夫の実家で暮らすことになった。生まれ半年くらいの子供は私の実家に預けて私もパートに出た。

この時、社会問題化していたものの、今のように銀行個人ローンはお断り(家や車を買うのや学資はOK債務の一本化などは受け付けられませんと審査すらしてもらえなかった)、弁護士が『債務整理承ります!』と宣伝打つようになるのも、もっと何年も先の話。家族ぐるみでひたすらその月、その月の返済に追われた。

正直、アパートでのほぼ子供と二人きりのような暮らしに飽き始めていたので社会に出られることはありがたかった。新生児がいては気軽に出かけられず、夫は帰宅して夕飯を食べたら即ゲームこちからしかけないと会話が始まらないことがストレスだった。今のようにスマホがあったわけでもなく、重いデスクトップPCを起動して、ピーヒャラー電子音ならしてネットに繋いでいた時代世間とのつながりはほぼテレビで感じていた。『ダサいダンナ改造計画』とか、今となっては炎上しそうな内容ですら、貴重な娯楽となっていた。もともとソロ活が得意な方だったものの、自分から一人で過ごすのと、強制的社会から断絶させられるのとは違う。いつの間にか「外で働きたい人」になっていた。もちろん、子どもは可愛かったけれど、ほとんど寝るか泣くかご飯を食べるかの暮らしで、コミュニケーションが取れるようになるのはもう少し先だった。

それと専業主婦立場に居心地悪さも感じていた。自分お金で稼いだものじゃないので、ちょっとしたおやつ趣味雑誌を買うのも躊躇していたのだ。

自分の稼いだお金子供の服を買ったときちょっと感動すらしてしまった。結婚前は当たり前だったのに、自分の稼ぎで必要ものを買うことの『当たり前』に『誇らしさ』がオマケでついてきた。とはいえ、結局稼ぎの殆どは夫の借金返済に充てられていたのだが。

あと外に働きに出て、ある程度自分裁量物事を決め、今後の見通しが立てやす作業子育てに比べてとてもやりやすかった。

そして夫実家で近居の義兄からこっぴどく叱られたことがあった。義兄もまた夫の作った借金のため金策に励み、会社をクビになった夫の働き口を探してくれていたのだ。それを知らず、夫婦食材の買い物に行き、やってきた義兄に対して、義父が『二人で遊びに出かけてる』と伝え、激怒された。

こっちが苦労して東奔西走している間に、遊びに行くとは何事だと。家庭を持つことに対する自覚がなさ過ぎると。

遊びに行ってたわけではないのだが、自覚がないというのは最もだ。もっと『夫を』怒ってくれ……と思っていたら、私も一緒に叱られた。夫が私に黙ってこさえた借金は、親子三人の生活費にも使われていたため、周囲から見れば私も同罪だったのだ。今となっては「それはそう」と思うけれど、その当時の自分にとっては「そうなの?」という気持ちでいっぱいだった。私は自覚のないまま、分をわきまえない借金をこさえた大馬鹿者になっていたことにこのときようやく気付いた。一緒に買物に行って、私のカバン商品を入れて万引きした絶縁した友達を思い出した。夫は私が叱られている間、ずっと「カミナリこちらに降りかかりませんように」と空気になっていた。義兄の帰宅後もフォローはまったくなかった。この時、夫の中では「お前のせいで借金が膨らんだ」と思われていたのだ。

その後も夫は新しい職場でもうまくいかず、家出もした。もうこの頃には「怒って詰めたら、話し合いまで発展しない」と分かっていたので、諭すようにこれからのことを話した。……が、「もう無理。人間はそんな簡単に変わらない」と弱音しか吐かなくなり、ついには「お前、変わったよな」と言われた。私は出産をキッカケに『ソルジャー』になった。しかし夫はまだ私に『プリンセス』を求めていた。

家出中に何をしていたのか、今後のために携帯のチェックをさせてもらったら、出会い系登録していた。この頃は『メル友募集』とかそういうヤツだ。実際に出会うところまではいってなかったけれど、出会おうとしているところまでは確認した。夫は自分を慰めてくれる『プリンセス』を探していた。

そこから自分実家を頼り、出戻ってお互いの両親を交えて話し合い。養育費が払えるとは到底思えなかったので、最初から請求せず。代わりに面会もさせない運びとなった。夫はその頃にはもうとにかく「自分けがかわいそう。この世のすべてが自分を傷つけにくる敵」みたいな状態に陥っていたので、子供に執着もなく揉めることはなかった。生活の中で新しく二人で買った家電生活雑貨はすべてこちらで引き取ることとなった。ほとんどは私の独身時代貯金から出していたので異論はでなかった。しかプレステ2だけは譲ってくれなかった。それくらいの執着を私と娘にも向けてほしかったと思う。

若気の至りで周囲の人に迷惑をかけた。その恩返しではないけれどやがて訪れた実父の闘病生活はできる限り付き添い、実父が亡くなり一人暮らしになった実母にも、今も頻繁に実家を訪れ日常の買い物や困り事を解決したりしている。(義父除く)義実家は一緒に暮らしている間によくしてくれたので、今でも申し訳ないと思っている。孫の成長も見せたかったが、連絡を取らない取り決めに巻き込んで会わせていない。

いろいろ私視点から書いたので夫の言い分もあると思う。振り返ると二十歳過ぎたばかりのアンチャンには荷が重すぎたとも思う。

夫には良いところももちろんあったし、私にも至らない点が多々あった。さら離婚することで借金から逃げたとも言えるし、今の価値観判断すると、子どものために養育費請求するべきだったかもしれない。

長々と書き綴ったアレコレもそれぞれが離婚の原因にはなったものの今となっては大方許せる。時が経てば大抵のことはどうでも良くなるし、人を恨み続けるほどの胆力は、その後のシングルマザー人生で別のところで必要になったため雲散霧消した。

でもそれでも出産日に寝坊して遅刻してきて退院の時に迎えに来てくれなかったうえ逆ギレしてきたことと、借金を隠して、さらにその理由に「私と娘のため」と発言したことは、今でも絶対さないと思っている。

2024-08-28

anond:20240602171942

不安要素がひとつずつ消えていって、あれ?産んでも大丈夫そうだな?と思い産むに至りました。

私が抱いていた不安要素は主に3つです。


お金不安

育児家事分担の不安

③(顔や性格が)私に似たら愛せないかもしれないという不安


お金不安

いざ産んだら毎月赤字で欲しいものも満足に買えない、というのはお互い避けたい状況でした。

原因は共働きで大体の年収くらいしか把握していなかったこと。なので1円単位家計簿をつけて収支を把握しました。

それを機に共同で貯金も始め、これから先ずっと現時点での収入のままでも子供を育てる余裕がありそうだとある程度見通しがついたことで不安は消えました。

(シングルマザーになった場合や、障碍を持って生まれ場合支援や補助もかなり調べました。)


育児家事分担の不安

これは産まれしまったら軌道修正は難しいのでかなり話し合い、擦り合わせました。(産むかもわからない状態で)

私が100%関わったせいで子が小さな「私」になるのが怖い等の不安も吐き出し、

お互い育児知識は0からスタートであること、放っておくと自然と母側の負担が重くなり私がしんどくなること、育児はお互い協力無しには完遂し得ないことをとても強調しました。

そこで、今やれないことは子供が生まれても出来ないから今から育児を想定して動こう、と育児(仮)生活を始められたことは大きいです。


③(顔や性格が)私に似たら愛せないかもしれないという不安

顔に関しては、どれだけ自分に似ていても「かわいい」と言い続けようと心に決めました。

性格は、「私」を再生産しないためにもなるべく夫側の環境に身を置こうと決めました。

幸い義実家はとてもポジティブで明るく優しい家庭なので、そちらにいれば「子は私と同じにはならない」と思え、心が軽いです。

また、私に何かあっても義実家に頼れば大丈夫だと思えることも不安が和らぐ要素でした。

(ただしこの要素の問題は私が自身のことを嫌っていることにあるため、妊娠期間含め出産までにカウンセリングを数回受けました。)


これらの不安が和らぐと子供のことを考えられる余裕が出てきて、ある日ふと「産んでもいいかもしれない」と思いました。

まれ子供のすべてを受け止めようと思える余裕が心の中に出来ていることに気づいた、の方が近いかもしれません。

子の顔は私にも夫にも似ていますが、パーツが似ていても総合すると全く別の顔です。性格はまだわかりません。マイペースなところは夫似かな。

今は想像していたよりも毎日ヘトヘトで楽しい日々を送っています

これでよかったのか答え合わせができるのはもう少し先になりそうですが、子供自分自身のことを好きだと思えるように自分のできる精一杯で子と向き合い、その結果どう言われようとも子供を信じ続けます


自分たちのエゴ勝手人間をこの世に誕生させるのですから悩むに越したことは無いと思います

あるときふと産もうと思う日が来るかもしれませんし、来ないかもしれません。

どんな選択をするにせよ、納得いくまで悩みましょう。


最後に、産むと決めてから私が読んだ育児書(エッセイ)の中で今も参考にしているものを紹介して終わります


田中茂樹 『子供を信じること』 さいはて社 , 2011

フィリッパ・ペリー , 高山真由美 『子どもとの関係が変わる 自分の親に読んでほしかった本』 日本経済新聞出版 , 2023

さくらももこ 『そういうふうにできている』 新潮社 , 1995


長々と失礼いたしました。

質問主さんの生活が今後も豊かで幸せであることを願っています

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