はてなキーワード: 唐突とは
ここで全部の回を無料で視聴できる。http://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/sekaishi/index.html
高校の頃に世界史を履修しなかったことを後悔していて、何回か受験用の参考書とか見てみたんだけどいっつもフェニキア人あたりのややこしさでわけわかんなくて挫折してた。
で、今ちょうど会社辞めて暇だしみてみるかーって視聴したら、案外すんなりみれて、スッカスカだけど自分の中で骨組みみたいなのができた。この状態で参考書読んだら前より全然読めた。これから参考書だけじゃなくて本とか読んで肉付けしていくつもり。
「世界史、全然知りません」って感じの初心者の人。習ったことある人には全然物足りないと思う。1テーマ20分だし、かなり粗い(多少なりとも知ってる現代史は、物足りなかった)。けど、後に間を埋めていく楽しみもできるし、初学者には向いてる。
ちょいちょい「その頃日本はxx時代で〜」とガイドしてくれるのもいい。
司会、小日向えり嬢の「歴史の部屋」にゲストがその回で扱う歴史に関するお土産とともにやってきて、歴史上の人物をナビゲーターという名の語り手として紹介してくれる(最後の方は歴史上の人物ではなく単にナレーション)。たまに「プラスワン」というコーナーでトリビアを扱う。
先生はルーフバルコニーにずっと引きこもっていて、司会とゲストがキャッキャしていると唐突に音楽を鳴らして司会をルーバルに呼びつけ解説をはじめる。ゲストは先生と会うことがなく、解説中は部屋に放置されている。どういう設定なんだ。司会が席を外すときに、ゲストの人がちょっと「えっ?」って感じになるときがあって、若干いたたまれない。先生の後ろにあるギターが毎回気になる。最終回だけルーバルから出てきた。
最後に1分程度でその回のまとめがある。スライド3-4枚のコンパクトなもので、振り返るのに便利。
声優さんにあんまり詳しくないんだけど、それでも名前を知っている人がいるので豪華なんじゃないかと勝手に思っている。
あと、あんまり見やすくないけど「文字と画像で見る」でサクッと振り返ることもできる。放送内容を綺麗にまとめてくれた「学習メモ」っていうPDFもあるよ(押さえるべきポイント付き)。絵はないけど「学習メモ」のほうが好きかな。至れり尽くせり。
「topisyu にセクハラを糾弾する資格はないでしょ? 」http://anond.hatelabo.jp/20140704234040
を書いた増田にひとつ聞きたいんだけど、【「topisyu」が「糾弾」した「セクハラ」】って、具体的には何の件??
なんでこんなこと聞くかっていうと、自分(topisyuっていう人とは無関係の別人)、以前にセクハラ野郎と増田でやりとりしたことがあって、「もしかしたらこの増田、あの時のセクハラ野郎なんじゃ??」と思ったから。
よくわかんないけど、もしも、もしもだよ、この「topisyu にセクハラを糾弾する資格はないでしょ? 」を書いた増田があのときのセクハラ野郎だとしたら……いっとくけど、topisyuっていう人はまったくの人違いだよ。「あのとき(仮)」あんたのセクハラを糾弾(?)したのはtopisyuっていう人じゃない。自分だ。
topisyuっていう人を、私怨(しかも人違い)で難癖つけて誤爆してないか??
(「わが国は核兵器を保有しています」と表明している相手に対して「こいつ核兵器保有してやがるー!!」とわめきちらしながら自前の核爆弾を暴発させてるようにみえるが……)
というのも、大元記事の「狂気」(http://anond.hatelabo.jp/20140703034518)はパーソナリティ障害・ボダの話で「ハラスメント」全般の話なのに、唐突に「セクハラ」って限定して斬り込んでるからさ……ムリクリ難癖系の私怨かな?と。
(みんなでブラック企業に関するテーマを話し合ってるときに、「あの上司は本物のスケベだと思う」って話が唐突に出てきたような違和感…)
NHK だけでなく、他のマスコミも以前から音声関係の事案についてはここへコメントを求めることが多い。
自分も上の指摘を読んで気になって、調べてみると怪しい点がいくつも出てきたのでまとめておく。
ここの元所長である鈴木松美氏についての Wikipedia 記事を見てみると、無料サイト作成サービスを利用した新しい妙なサイトへリンクが貼ってある。どうも有限会社日本音響研究所を辞めた後で、似たような名称の「音響研究所」なるものを独り立ち上げたらしい。
そして Wikipedia「鈴木松美」の変更履歴とノートを見てみると、最近の、実に味わい深い編集合戦の様子が見られる。
まず Master jal と名乗るアカウントが、2013-08-21に「2012年9月日本音響研究所を退社。」と、何のソースもなしに書き込む。この後、IP 118.6.184.30 の人と Master jal がお互いの記述を削除したり書き換えるという編集合戦が始まる。
Master jal に「元日本音響研究所所長」「日本音響研究所を退社」という記述を書き込まれるたびに、前者を「現在音響研究所所長」と書き換えて、かつ後者の記述を削除する行為を続けていた IP 118.6.184.30 の人は、なんと自らが鈴木松美氏本人だとここで明言しているのだが、その本人がアダム・スミス大学の記事にあった「ディプロマミル」へのリンクと、「ミシガン州による、公式ディプロマ・ミルリスト」へのリンクを削除しているのが分かる。履歴を見れば丸分かりなのだが、アダム・スミス大学がディプロマミル(学位を金で買える実体のない大学)だと知られたくないのだろうか。
この2者に加え、もう1つ MasterOnken と名乗るアカウントも編集合戦に加わっているが、このアカウントは前述した鈴木松美氏の新サイトのアドレスを何のソースもなく連絡先として唐突に書き込んでおり、加えて編集内容から察するに IP 118.6.184.30 と同一人物(=鈴木松美氏本人)ではないかと思われる。他にも同様の指摘をしている方がいた。
Master jal の正体は分からなかったが、この Wikipedia 編集合戦は2013年の9月から10月にかけて繰り広げられ、一時は記事が保護対象になっていたようだ。
さらに Web を検索してみると、2000 年代の2ちゃんねる無線板で「ファントム」という荒らしがたびたび鈴木松美氏を一方的に糾弾していたことが分かった。松美氏のアマチュア無線の行為(真偽不明)の非難と、肩書にあるアダム・スミス大学はディプロマミルだという指摘をしていたが、いかんせんこの人物は糾弾コピペをマルチポストしまくって荒らし報告されていたようなので、信頼性はマイナスである。なお、Wikipedia の編集合戦はこの当時からあったようで、経歴に書き込まれるディプロマミルについての記述を頻繁に削除していた IP アカウントが見られる(例えばこれとか)。
ちなみに音声分析・声紋鑑定の分野では、元科警研副所長の鈴木隆雄という方がいるらしい。同じ鈴木姓なので鈴木松美氏と混同されがちだが、まったくの別人である。鈴木隆雄氏の Wikipedia や Webサイトを見る限り、こちらは実にそれなりの経歴をもち、まともなメンバーと一緒に活動しているようだ。隆雄氏の鑑定実績と、松美氏が過去に分析したという事件・事故のリストを見ると色々と被っているが、公的に鑑定をしていたのは隆雄氏らしい。松美氏の Wikipedia 記事の履歴を見ると、鈴木隆雄氏の名前が記述されたことも何度かあるようだが、なぜかその後すべて削除されていた。
なお、これとはまた別の鈴木姓の音声科学専門家で鈴木誠史という方もおり、こちらは元郵政省通信総合研究所(現・情報通信研究機構 )所長を務めた人物なので、混同に注意。
昔の詳しいことは不明だが、以下のような映像が残っているということは、松美氏にも事件・事故時の音声分析はそれなりにできていたの……かな。
――と思ったのだが、アキノ暗殺事件については Wikipedia のこの版やこの版を見ると、結局正式な証拠としては採用されなかったのだろうか? という疑問が浮かぶ。誰か詳しい人、教えて下さい。
不思議なのが、現在の日本音響研究所サイトを見ると、退任したとはいえ松美氏の名前がどこにもないこと。サイトで紹介している著書などは松美氏の著作なのだが、そこには著者である松美氏の名が出ていない。何かあったのだろうか。2013年にこういう怪情報が出ているが、真偽は不明。
ちなみに松美氏の息子で現所長の鈴木創氏の経歴は、旧サイトのスタッフ紹介ページで見ることができる。こちらには現サイトには書かれていないアダム・スミス大学の名前がばっちりと載っている。
Adam Smith University 理学研究科 修士課程
スタッフの吉田靖氏も、同じく旧サイトの紹介ページにある経歴にアダム・スミス大学の名前が。すでに修士号を持っているのならそれで十分な気もするが。
こう書くと誤解されそうだけど、尊敬できる人とは褒めてくれる人なんだと唐突に気付いた。
もうちょい幅を広げると、自分を肯定してくれる人か。
たとえば会ったことないけど尊敬できる人というのは、自分の考え方やスタイルを遂行して成功してくれた人なので、後者に含まれる。
ところで、この尊敬できる人というのは入学試験や入社試験では定番のようである。
となると、これはかなり強烈な質問だ。
暗に「あんた、他人から褒められたことある?」と訊かれているのだ。そこまで意識して問うてるかは不明だけど。
「尊敬する人は親です」という返答「そうじゃねーよ」と受け止められるのも然りである。親は褒めてくれるだろ。そうでない場合も多くあるけど、これは後に繋がることなので保留。
歴史上の人物など会ったことのない人を挙げる場合は、その根拠で受験者がどういうの人物か計られることになる。
なんとなく坂本龍馬とか織田信長とか挙げると「お前の人格はそんなありふれた回答で表現できるのか」となる。
そうなると、この質問、答えるのにけっこう苦労する人も多いんじゃないかと思う。
おそらく今の日本人はそういう人に出会えない場合がほとんどだ。
親すら褒めてくれない、だからどいつもこいつも自己肯定感が低い。
褒めてくれる人を尊敬するというのは、怒らない人が好きとかいう甘えた話ではない。
単なるお世辞やおべっかを超えた、「褒められた!」という実感を与えてくれる人、そういう人と関係を構築できた経験はとても有意義であると思う。
毎日恫喝されてる人にこんな事言っても気休めにもならないけど、
上司はあなたに活を入れてるつもりであって、欲しい返答としては、あくまでもあなたの決意が聞きたいんじゃない?
新人研修のノリだと思えばいい。
「やれなくてもやります!」
「やれないのにどうやるんだ!」
「やるのか!言ったな!約束だぞ!必ずやってこい!」
「はい!」
みたいな。
まあ自分で書いていても、これじゃ体育会系の脳筋のやり取りだよとは思うけど。
書いててバカバカしいと思えるくらいなんだから、当事者のあなたはきっと心底うんざりしてると思うけど。
唐突だが、訓練課程の時に自衛隊の人がよく使う言葉らしいんだけど「バカになれ 時間が解決 してくれる」って五七五があるんだって。
陥っている苦境に対して自分の頭で考えてあれこれ批判して嘆くのも、人間の反応としてはごく全うなものだけど。
その異常な職場に対して少しずつ慣れていくのも、仕事の内なんじゃないかな?
「こんな生活を続けていたら自分はおかしくなってしまう!」と思うのももっともだけど、職場にあわせて歪んでいない人間なんていないから。
社会人はみんな職業病にかかってるから。それはどこの職場に行っても一緒だから。
なら、今の職場で頑張った方がまだ楽なんじゃない?
彼女とは正直上手く行っていない。
俺が二股かけてるのがバレて、別れ話にこそ至らないが、やいのやいのと揉めていた。
正直もう嫌だった。めんどくさかった。二股の件に関しては完全に俺が悪い。
でも、彼女の事はそれなりに好きだったし、大切にしているつもりだった。
当然の事だが、揉めるに連れて彼女の態度はあまりよろしくない方向へ変わっていった。
なにかにつけては俺に説教をするようになった。Twitterで女の子と絡むだけでヒステリックになる。
ついに、俺の感情は嫌いでは無いが、当然好きではない、むしろ会いたくないと思うようになった。
俺は格闘技の経験もあるし、大抵の事はなんとかなってきたし、なんとかなると思ってた。
自分はそれなりに強いと思い込んでいた。怖いなんていう感情は架空の世界にしか存在しない感情だと思ってた。
実際、怖いと感じたら後は一直線だった。
彼女とは玄関先で会い、二言三言で会いたくない事だけを告げた。
彼女はそれ以上接触してこなかった。これ以上怖いのは嫌だった。怖いと感じる事が嫌だった。
メールで今日は会えないけど今度ゆっくり話をしよう、すまない、とだけ送った。
返信は「もう帰りました。安心していいよ」。
その一言で少しだけほっとしたが、彼女がいつまた家に来るかも知れないと思うと怖い。
メールが怖い、LINEが怖い、電話が怖い、リプライが怖い、怖いという感情が怖い。
段々怖いという事がなんなのか、判らなくなるほど怖い。
俺はいま、怖くて仕方無いので、こんな事を書き殴って現実逃避している。
でも、完全に自業自得だ全部俺が悪い、怖くて当然だ。
俺が二股なんてしなければ彼女を泣かす事も無かったし、怖いと思う事も感じる事も無かったはずだ。
完全に完璧に全く反論の余地も無く、パーフェクトに俺が悪い。
本当なら死んでわびるべきだ、怖さを正面から受け止めて謝罪をするべきだ。
それが人として行うべき行為であり、俺が彼女の彼氏であった事への償いであるはずだ。
でも俺はそれが怖くてできない。
どこまで行けば何をすれば俺は謝罪をした事になり、罪を償う事ができるのか?
そんな事はできない。不可能だ。何をしても謝罪にならないし、罪を償うなんて事は自己満足でしかない。
この気持ちを抱えたまま生きて死ぬしかないのだ。俺はそれが怖い。
例え俺が彼女と付き合っていなかったとしても、二股をかけていなかったとしても、怖いという感情は厳然と存在し、いつ襲ってくるかわからない。
怖いという感情は、自分を強くすることで克服できるかもしれない。
だが、その時、怖いという感情は、強くなった自分を一蹴する存在となって現れる。だからこそ怖いのだ。
今日、産まれて初めて怖いという感情に直面し、怖いという事について考えた。
今回の一件に関しては何度も言うけど、全て俺の責任。
でもそれを抜きにしても、怖いという感情は、いつどこでどのような形で襲ってくるかわからない。
どれだけ強くなっても、心構えをしても、恐怖という感情は常にそれを上回り続ける。
自分という存在を上回る存在や概念・感情を「恐怖」と呼ぶのだ。
俺は、それを今現在進行形で体験している。
他人事だと思うだろう、お前が悪い事をしたからだと思うだろう。
でもお前らの所にもいつか必ずこの恐怖という感情は襲いかかる。
覚悟しておけよ。
唐突に「アヌスは入れる穴ではなく出すための穴だ!」と気づいてしまった。
前からわかっていたつもりだったけど、腐女子になって6年たってから初めて。
お尻はう●こを出すところ。当たり前。でも男性キャラのアヌスを性器だと思い込んでいた。
頭では理解していても心でわかってなかったってやつ。この6年私はアヌスを「時々う●こを出しつつメインは性器」と認識してた。
だからR-18モノのBLで興奮したしゲイビデオにも手を出した。
実際は皆毎日う●こするしゲイの方々だってアヌスをセックスに使う頻度よりう●こにつかう回数の方が圧倒的に多い筈だ…。(間違ってたら本当にごめんなさい)
同人誌でよくあるノンケがアヌスを舐められるシーンで「うわ!きたねえ!」というのも当たり前なのだ。
パソコンも同じだけど、体中のエネルギーが充満し過ぎたり不足したりすると
それを休めようとする働きがあるとかないとか。
パソコンの場合、熱膨張を起こすとそれを止めるべく熱量をたくさん放出するために一時休止する事がある。
同じ様に人間にも目が極限まで使われたりドライアイの状態に陥ると、水分補給がてら眠気を催すのではないかと思えてならない。
どうせ寝るのだから、パソコン作業をやめて、眼鏡の人は眼鏡を外して、毛布でも身体にかけて、万全の状態になってから
そうでなければ、この身体が叫ぶSOS信号をキャッチするのが遅れ、不恰好な状態で眠り、頭痛・吐き気・腹痛に加えて足が痙攣したり、乳酸が溜まったりして
あまり良い状態になれない、と考える。
そうなれば目が疲れる疲れない以上に身体中が、一時休止を求めるが如く突如眠気以上の昏睡状態に襲われるかもしれないのだ。
そうなる前に、寝る所は確保しておくべきである。
はい皆さんどーもどーも、団塊ジュニア(搾取用の子)です。アダルトチルドレン(自称)(笑)です。
14歳ぐらいの時に「なんか明日唐突に世界とか滅びないかなー」とか思っていましたけれど、最近また思うようになりました。なんか明日唐突に世界とか滅びないかなー。ワールドカップでPKしてゴールの外にそれたボールが核ミサイル発射の遠因になったりしてさあ。要人大怪我→抗議の場で逆ギレ発砲→戦争→拡大→全面核戦争とかさあ。
なんかねー、親が老いてきてさ、丸くなって欲しかった。現実は逆でどんどんクソガキ化してるのね。
今日もさ、お腹の調子が良くないって言うから鍋になったのね。鍋一つでみんなの分がはいってるわけよ。それを一気に取り分けてから食べればいいものを、せめて用意してある菜箸とお玉を使えば良いものを、口つけた自分の箸でぐちゃぐちゃ蒟蒻探してかき回すわけですよ腹調子よくないって言ってる本人が。うつす気まんまんじゃない。指摘したらわーわー騒いですねるし。自分のことしか考えてなくて、他人がどう影響を受けるかなんて知ったこっちゃないのね。
自分で「厳しく」しつけておいて、そのしつけが自分に向いた時に「思い通りにならないから鬱陶しい、優しくない、つまんない子」なんだって。じゃあもう鍋食べるなよと。誰のお陰で鍋食えているのかと。私が一千万円単位で搾取されたからそれ食べられているのですよと。
それですぐ話はだいたい結婚できないお前は欠陥品だなんで孫が見られないんだみたいな方へ行く。金と時間を食っているのは誰ですかと。フルタイムの仕事がある独身だってだけでも本気で恵まれている方で親世代と就職事情も結婚事情も違うんですよわかってくださいよ。わかるきないか。
お腹痛くなってきた。
もうね、日本とか世界とか滅びてほしい。どこか遠くで一人で暮らしたい。借金が棒引きになってほしい。違う親から生まれたかった。もうこんな宇宙滅びろ。
「ガンダムUC」の最終話ついてちょっと書きたい(ネタバレあり)。
最初に立場を明らかにしておくと、増田は、典型的な富野信者であって、ガンダムプロレスにはあんまり興味がもてない人間だ。バイアラン・カスタムとかシュツルム・ガルスのトコとか、こんな意味ねーシーン全部削って、会話に尺まわせよと怒っていた。そーいう面倒くさいやつが書いたもんだという前提で読んで欲しい。それと後半は電波。富野信者なので。
で、この「ガンダムUC」、MSチャンバラについては絶賛されているが、ストーリーの方は賛否両論がある。だが私は批判することに意味があるのかと当惑している。こーいうのは、主張者が主張した内容をマジに信じている、という前提がなければ、なりたたない。私は、そこが信じられないのだ。
「UC」最終話を劇場で見て愕然とした。「送り手はこの物語のメッセージをまるっきり信じていないのではないか」と衝撃を受けた。この作品に対して、茶番だの陳腐だの説得力がないだのただの二次創作だなどと言うのはいいが、それを一番、自覚しているのは送り手自身なのではないか、という疑念をぬぐえずに今に至っている。
どういうことか。
「ガンダムUC」というのは「ラプラスの箱」という秘密を廻る物語だ。
これはほとんどマクガフィンに近く、中身は実はどうでもいい。とにかくこいつが連邦の中枢により隠蔽されたことで、宇宙世紀の歴史(とニュータイプ思想)は歪み、1stガンダムから「逆襲のシャア」まで続く戦乱の歴史が巻き起こることとなった。しかし歪んでいようが何であろうが、百年続けば、それは秩序の一部となってしまっている。
既存の秩序の維持するため、「箱」を隠蔽するか? 混乱を呼ぶとしても、「箱」を公開するか?
少年たちは後者を選ぶ。たとえ波乱の未来を到来させるとしても、「不正義による秩序」より、勇気を持って「正義による未来」を選ぶ。物語が描くべき正しい選択、正しい若者のあり方だと思う。
かくして宇宙世紀は箱の呪縛から解放される。人の革新=ニュータイプ思想のもと連邦とジオンの戦いが形を変えて繰り返される不毛な連鎖から解き放たれる。これはもちろん、終わることを許されず、次々と続編を創ることを余儀なくされたガンダム産業の比喩でもあり、だからこそガノタの胸に響く。
もちろん、我々ガノタは、その選択の先に待つ「F91」や「V」の時代が、必ずしも希望に満ちた未来でないことを知っている。だが、そうだとしても、「これまでと同じことをひたすら繰り返すだけ」より「失敗覚悟で新しい世界を創る」ことを選択した若者たちの決断は、とても尊いものとして描かれる。
それを見届けて、シャアもアムロもようやく成仏する。一年戦争の呪いから宇宙世紀が解き放たれた瞬間である。
富野信者が、勝手なことしやがってと怒るのはわかるが、しかし、ともかく、それがこの映像が発したメッセージなのだ。
だが、恐ろしいことに、劇場で上映されたこの作品は、実に4年間、7巻かけて書いた結末を、直後にみずから全否定するのだ。スタッフロールが終わり、何が始まるか。
突然に、1stガンダムのリメイク、「機動戦士ガンダムORIGN I」の予告が始まるのである。
http://www.gundam-the-origin.net/
「一年戦争の時代」からの解放をテーマにした物語のラストで、唐突に「一年戦争」がリメイクされますよーと嬉々として宣言されるのである。よーやく成仏できたシャアは30分待たずに現世に呼び戻される。この予告編は意図的に、映画「機動戦士ガンダムⅠ」の予告に似せて作ってある分、余計ループ感は強い。
唖然とした。個人的には「UC」7話はそこまで引き込まれるものではなく(イデオンネタは超大喜びしたけど)、「及第点」ぐらいの印象だったが、それでも感動を返せ、という気になった。本篇終了後即座に全否定される映画なんて聞いたことがない。一体、原作者や監督やスタッフは、どうしてこんな暴挙を認めたのか。本当にそれでいいのか。このあたりの意思決定の構図はよくわからないから、とりあえず「送り手」と一緒くたにする。ともかくこの送り手が、自分で発した「箱の解放」とか「一年戦争の呪縛の終結」とか「歪んで腐敗した旧体制から混乱覚悟で新しい時代へ」なんてメッセージをまるで信じていないし尊重する気もないことだけはあまりに明らかだ。
新しい時代なんて創るつもりはないよ。
え? じゃあ「UC」はなんだったのって? ほらわかるでしょ、本音と建て前ってやつですよ、おたくもニュータイプだったら察してくださいよ、ねぇ。ほら、キュピーン! って。
これはそういう宣言だ。
ハルトーシ少年は継承した「富野の箱」を手みやげにサンライズ財団の重鎮となり、バンダイム・エレクトロニクスのガンプラを売る人になりました……それが4年かけた「ガンダムUC」の結果です、と言っているのだ。おかしいですよ晴敏さん! そんなの富野信者の晴敏さんの言うことじゃないですよ!
そんなわけで「UC」の内容についてまともに批判することの意味を私は見失った。だって送り手が、自分の語った物語を信じてない、それどころか一番ひどい形で全否定を行ってしまっているのだ。今更何を言っても単なる死体蹴り、いや、それどころか、そのような批判こそ、送り手はむしろ望んでいるのだとさえ思えてくる。
つまりこういうことだ。
メチャクチャ単純化すれば「UC」での賛否両論というのは、ガンプラオタクと富野信者の対決である。前者はとりあえずMSVが一杯出てくれば喜ぶし、後者は富野神の書いた聖典に他の誰かが一筆書き入れることなど許さぬと批判する。ガンプラオタク濃度が濃いヤツは「UC」肯定するし、富野信者濃度が濃ければ「UC」否定という話だ(繰り返すが、メチャクチャに単純化すれば、である)。
だが、両者は本当に対立しているのか? 前者の主張は「ニュータイプ思想とかどうでもいいから新しいMSV一杯出せ」であり、後者の主張は「下銭な二次創作者如きが富野神のニュータイプ思想(宇宙世紀史でもいいが)に手を触れることなど一切まかり成らん」である。
この両者は必然的に「永遠に一年戦争の外伝だのリメイクだのを作り続ける」という結論に帰結するしかない。前者は積極的に、後者は消極的にそれを肯定する。そして送り手もまた、それこそを望んでいるのはすでに見たとおりだ。
そうしてガンプラオタクは送り手の造ったMSVのプラモを買い続る。富野信者は彼らを嘲笑うことで「自分こそ富野神の思想を守り続ける孤高のニュータイプ」という立場を確保できる。
しかし、私は富野信者として、そこに安穏とすることはできぬ。そんなことをすれば脳内カミーユ・ビダンが「あなたはいつも傍観者で、人を弄ぶだけの人ではないですか!」とスイカバー突撃をかけてくるからである。散っていたお禿様の髪に顔向けできぬからである。富野信者であるということは、富野を聖典とすることではなく、富野のように生きることだと信じているからである(だから、今度の「Gレコ」だけが本当のガンダムなんですよ、という立場にも私は立つことができぬ)。
(大人しくガンダムを卒業すればよいのはわかっている。それができれば苦労はしないのだ!)
ガンダムはロボットアニメでありサブカルチャーである。ガンダムはビジネスとの兼ね合いの中でしか生まれこないし、それこそがガンダムの強さ、ガンダムの同時代性の源であることは、絶対に否定できない(ガンプラ売りに徹した「ガンダム」は嫌だが、押井守映画のような文学モドキの「ガンダム」なぞもっともっと嫌だ)。
だからハルトーシ少年だって、私が↑で書いたことは百も承知かもしれない。きっと彼は叫ぶだろう。
「やりました、やったんですよ、必死に! その結果がこれなんですよ! 映画の「ローレライ」(と「戦国自衛隊」と「亡国のイージス」)がコケて、右傾エンタメ作家の席は百田尚樹に奪われて、今はこうして富野の二次創作を書いてる! これ以上、何をどうしろって言うんです! 何と戦えって言うんですか!」(註1)
私は、彼に答えるべき言葉を持たない。こんな時は、富野神に還るしかない。神は言っている。
"Century color Million color" ――せいきの色はまんこの色であると。
違う。
ターンAターン、だと。∀だと。全肯定であると。
送り手が自分のメッセージを一切信じていないなら、それを批判して何の意味があるだろう。逆だ。有効なのは、相手が信じていないメッセージを、こっちが文字通りに全肯定してやることだ。つまり∀UCだ。
バナージが何も考えずに箱を開けた、その蛮勇を評価するように、富野のニュータイプ思想を継ぎ、「逆シャア」の先を書こうとした覚悟は評価する。
駄作も愚作も一杯出来るのを承知で、宇宙世紀のその先が語られるのを心から望む。
できるかぎり応援する。
それしか、ガンダムに対し、緊張感を持って向きあう=富野的である方法は、ないような気がするのである。
むろん、それは、終わりのないディフェンスである。
ガンプラオタクからはそっぽを向かれ、富野信者の罵倒に耐えねばならぬ。
しかし、それでも、えんえん一年戦争をリメイクし外伝を造り続けるよりマシだと信じる。
その向こう側に何もなくても――いや、しかも脳波コントロールできてしかも手足を使わずにコントロールできるマシンにセシリーが触手レイプされ、バイク戦艦が街々を踏みつぶし、カテジナさんがオデロもシュラク隊も鏖にして、月光蝶でみんな灰になったあと、全人類が無限力に溶け合って何もかもが因果地平の彼方にスペースラナウェイする哀しみが待っていたとしても――、かまわないのである。
STAND UP TO THE VICTORY!
註1:いや、もちろん田母神俊雄と戦ってくれればよい。ついでに百田も撃てばよい。実は「ガンダムUC」の小説版には、田母神論文事件を露骨に批判した箇所が存在する。詳しくはこちら → http://kaito2198.blog43.fc2.com/blog-entry-388.html。小説版が出た頃には、ただの右のヤバイ人だった彼が、若者の支持を受ける保守系政治家候補となってしまった現在こそ、福井の田母神批判はアクチュアリティを増している。
相手をディスるならもう少し発言に根拠を持たせんと。
「無関係の風俗嬢ならどうなっても良いと考えて煽るおまえの方がよっぽど危ねえよ」
とかなら「その通りだなぁ」って思うけど
あ、ちなみに俺は結果報告楽しみにしてるからな、頑張って来いよ。
http://anond.hatelabo.jp/20140602164727
テレビドラマ化もされたスティーブン・キングの「デッド・ゾーン」。これの最初の20ページくらいをぱらぱらっと読むと主人公の恋人が過去の恋人と今の主人公のことを語っています。
粗野でぐいぐいひっぱる普通のアメリカの白人男性と付き合って、それが普通だと思っていたけれど、根っからの善人である主人公と出会って
「良い人って良い人ってことなのよ」
と知る、っていう内容でした。
☆☆
日本でもそうだけれど、男性で「いい人」は恋愛の対象外にされがちです。
でも、本当に人として向き合って生きていける男性がその中にたくさんいます。
精神的マッチョ(男性らしさ)を偏重する世の中なので、恋愛対象にはそういう商品をお勧めする傾向が世間一般に強い気がします。
良い人、はそんなにつまらないでしょうか。
良い人、は自分と相手と向き合えるすばらしい相手なのに。
自分と相手とをちゃんと見つめて歩めて始めて「人」として一人前だとしたら、あなたにそんな思いをさせている男の人は一人前の「人」でしょうか。
そしてそういう人を「素敵」とか「恋愛とセックスの相手はこのくらいでないと」ってあなたが思うのはなぜでしょうか。
たぶんあなたも、あなたの周囲の友達もその辺がまだ見えてなくて、「人として向き合える、人間として自立した男性」が恋愛対象として見えない(視界に入らない=存在していることに気づかない)段階なんだと思います。
そんな人ばっかりじゃないよ~っていっても、「私の周りはそんな人ばかりです」って思うかもしれませんが、本当にそうでしょうか。
人として一緒に生きていける相手って誰だろうって考えたら、また違う視野が開けるんじゃないかと思います。
追記:
http://anond.hatelabo.jp/20140603004705
さんが端的に書かれていました。
まあ、そこまでばっさり書いちゃうとアレなんで。
いいところ言っても仕方ないので悪いところだけ。ざっと見ておもったところ。
例えば4P目の「マキタのME230」とはなんなのか?8P目1コマ目のなんかエロい服装はなんなのか?
・会話のオチが露悪的
わざわざゲスくて生々しい下ネタ持ってくる必要あるんですかね?
1P目だけみると「グンマを知らない」みたいに地方あるあるネタかなーと思いきやいじめられるネタかと思いきやどっちかというとさが子ちゃんがいじめてる!?
とかそんな感じで。
思い出補正もあるけど。
CLANNADは長すぎたけどそれなり。
真EDの父親とともやの画像で、たぶん他の人よりも感動できなかったから個人的にいま一歩的なイメージ。
なんであれが各所で持ち上げられてるのかわからん。個人的には唐突すぎた。
智代アフターは最後の最後のいろいろぶち壊し感がひどすぎた。それまでは普通によかったけど普通すぎて印象がない。
ギャグも全然だしキャラも微妙。ストーリーもつまらん。最後らへんのきょうすけのグリリバが泣くセリフあたりもすっげー冷めた目で見てた。
あと全体的になんかクドすぎる。わふー。そっちのクドじゃねえ。
寒すぎる。ミッションスタートだ!!とか。うわあ・・・って感じ。
エンジェルビーツ?アニメからして微妙だったからゲームはまずやらない。
MOONはやってないな。
そういやONEもやってない。絵とシステムだけ変えてリメイクしてくんねーかな。
なんだろうな…kanon、AIR、ついでにCLANNADは今でも好きだって思ってるけど、そんな状態でプレイしたリトバスがまったく自分に合わなくて面白くなかった。
何が違うかってーとやっぱり年齢とプレイした状況だと思う。
AIRもkanonも中高生の鬱屈したときにプレイして、CLANNADは就活前のモラトリアム期間とかそんなときにやった。
単純に世間知らずで夢見がちで自分からそういうものを求めてたんだな。
だからもうそういうものを求めちゃいけないみたいな自制が無意識に働いたとかいやそんなことねえやっぱりリトバスは俺には合わなかったというだけだ。
とにかくそれ以降、就職してからはkey作品と向き合えなくなった。
関係ねーのかな。
受け手の問題じゃなくて作り手が変わったってのもありえるか。
うーん、リトバス以降のkeyがなんか生理的に受け付けなくなった、でもそれより前のは好きって人どんくらいいるんだろう。
涼本と久弥にはそんな感覚はない。新作目にする機会がないだけだけど。
さが子ちゃんだけが16Pに詰め過ぎたのか読みづらい。状況が分かりづらい。
コミケで配布されてた作品に関しては3人で世界が閉じているのでなくても問題ないのだが
さが子ちゃんは学校を舞台にしている為、もう少し各所に背景なり、間を持たせた方がいい。
絵は多少古い感じがするものの、線も綺麗だし表情もいいと思う。
話は唐突過ぎて引く。読む人を選ぶと思う。
夏コミで配布していたものもそうだが昭和の香りと演劇の脚本臭がする。
唐突にでてくる血なまぐさいものを連想させるアイテム類がこわい。
単に趣味で終わらせるなら、現状のまま好きにしたらいいともう。
もっと手に取ってもらいたいなら、ここで意見をもらったことを参考にしたらいいと思う。
最初からバイオレンスシュールじゃなくて日常に少し交えたくらいの方がいい。
どこで書きたいかによるけども、これはきっとどこでもいわれるのじゃないかなと思う。
大まかにはこんな感じの印象を受けた。
うふふって素直に笑わせたいなら血を連想させるものは避けた方がいい気がする。
うふっうふふふっってたくらんでる感じに笑わせたいなら現状でいいんじゃないかな。
色々書いたけど個人的には嫌いじゃない。
どういう話が描きたいのか良く判らないので、的外れかも知れない
こっちとしてはいちおう『きらら』辺りを狙ってると仮定している(※読んだ人がウフフッとなるような を受けて)
例えばこの前の話でさが子ちゃんが佐賀県ギャグで大暴れして、最後に転校してくるところで終わってるなら、これもアリかと思う。
今まで五人の女性と交際してきたのだが、直近の三人に関しては別れ方が一緒だった。そのことについて今も非常に悩んでいる。
三人共、つい先日まで本当にラブラブであったにも関わらず、唐突に態度がそっけなくなったのだ。その急激な落差たるや天才ピッチャーのフォークボールの如し。
いや、もう素っ気ないなんて次元じゃない。バスタブにこびりついた水垢のほうがまだ興味を持ってもらえているレベルである。
メールをしても滅多に返信すらしてくれなくなる。なんとか予定を取り付けて会話をしても常に上の空。表情は常にのっぺらぼう。
以前までは嬉々としていた声のトーンも全く感情がこもっておらず、こちらが笑顔で会話を盛り上げようとしても「うん……へえ……そう」と雑な相槌を打つばかり。
週末のデートに誘ったら「私、そういう強い誘いに乗れないタイプだから……」と。「時間が合ったら行こうよ!」くらいのノリだったのに。
ついこないだまで自分のほうからデートしようアレ食べよう今日は◯◯に行きたいなとか誘ってくれていたじゃないか。
こちらがキスをしようものなら、「いや、そういうのいいから……」と言った感じでさらっと拒絶されてしまう。セックスなんてもちろん無し。
ただの倦怠期ならまだいいがそんな状態が三~四ヶ月も続き、やがて僕の方から別れを切り出すというパターンだ。そんなことがもう三回も続いている。
彼女たちの共通点は、理由を聞いても全く説明してくれないことだった。
こちらとしては全く身に覚えはないのだけれど、彼女たちの態度がここまで急変するということは僕に何か決定的な落ち度があるということだ。しかも三回連続なんだから。
だとしたらきちんと話してくれれば極力改善しようとも思うし、全部改善できなかったとしてもお互いにとって良い妥協点を探ることもできる。
仮にお互いにとって別れを絶対回避できないほどの要因であったとしても、何も理由がわからないよりずっとマシである。
でも言わない。こちらがいくら問いただしても、「気のせいだよ……うん……」「別になにもないよ……」「よくやってくれてるよ……」。
では何故そこまで態度が急変したのか。しかも唐突に。その態度では僕に対する興味や好意が底をついているのは明確なのだ。DV等で精神を支配したわけではもちろんない。
好きな相手だからこそその気持ちを理解したいし尊重したいのに、その感情も蔑ろにされる。そしてこっちが耐え切れず別れを切り出せば、躊躇う素振りも見せずにさっさと承諾する。
彼女たちから別れを切り出すことがない。その素振りすらない。僕が嫌われたまま、ただただ放置プレイが続く。フラれているのに最終的には僕がフる。
こちらとしては説明してくれないことには改善のしようもないし、改善できないと今後の自分が困るし、今後自分が交際する相手にも迷惑がかかる。
他に誰か好きな人が出来てしまったのならそれでもいい。きちんと言ってさえくれれば。なぜ説明してくれないのか。できないわけではないだろう。
僕は「説明」以上のことはもう何も望んでないのだ。常にホワイダニットの世界である。これでは怖くて次の交際に踏み込めやしないではないか。
もしかして自分は人の感情を読み取れないアスペルガーか何かかと思ったが医者に見てもらった結果、そういうわけでもなさそうだ。
なめられていると言えばそうなのだろう。
何もやり返されないから、安心してパワハラを仕掛けてくるというわけだ。
何か注意点があればここぞと注意してくる。それに乗じてパワハラが行われる。暴言、罵声。
で、別の注意対象であるはずの人間が同じ注意点を示した際に、それを注意しない。
当然、暴言も、罵声も出てこない。
これでは、パワハラの言い訳としてよくありがちな、「教育を施している」という言い訳すら通らなくなるわけだ。
教育対象に平等な扱いをしていない事で、その差が顕著であればあるほどに、パワハラとして言い訳がきかなくなる。
ここを突く。
①対応の矛盾を指摘したのち、不適切な行いを指摘し、パワハラをやめるように要求する。
②反論してきたら労働基準局がその言い分を聞いてくれるといいですねと伝える。
③おもむろに近づいて耳を掴み、耳元で大声で叫ぶ。
④雇用主でもない人間から、暴言、罵声を唐突に浴びせられる気持ちを理解したかどうか確認する。
ここまでしなければならない。