はてなキーワード: 保育園とは
割合で言ったら、ピンク好きの女児は多いのかもしらんが、一様ではない。多様性はあるよ。
ウチの娘に、小学校上がる前にランドセルの色を好きに選ばせたら、ライトブルーだったんだよねー。その他の持ち物や服装でもブルー系を好む傾向だった。
全く違うよ。
女は女の子として周囲から大切に育てられてるから勘違いを自覚することがないんだね。
一方、男は保育園時代から自覚を叩きこまれてるので男の底辺は婚活の場にいくことはないんだ。
もし男だったら出席してない女がたくさんいるから。
でも生活は経済的に安定してるし、夫もできるだけのことはしてくれている。
仕事も復帰して保育園にも助けられて、密室育児でもなく自分なりに子どもを大事にして育てている。
お金持ちではないけど、「普通の幸せ」を十分に満たしているだろう。
ニュースで、乳児遺棄、虐待などのニュースを聞いてしまうと、罪悪感と苦しさで息苦しくなる。
親にネグレクトされた大人が、人間関係を作る力が養われず、負の連鎖から子どもを虐待する事件。
福祉に繋がれば助かるはずの状況の中で、福祉の存在さえ知らずに孤独に出産し遺棄する事件。
助けを求めることもできず(知らず)、それでも必死に産み、育てる意志もあったのに子どもを死なせてしまう事件。
福祉の入り口まで何とかたどり着いても、窓口担当がハズレで失望してしまい、孤立してしまう事件。
ニュースになった子たち、時にはその親たち、みんな生きて人生で幸せな時間を過ごして欲しかった。
自他の境界がグチャグチャになっているんだろうか、
大学にすげえ先輩がいた
サークル立ち上げて、新聞に載って、自主研究でいいとこまで行って、メチャいい会社に行った
縁あってちょいちょい話す仲だったんだけど、とにかくバイタリティが高いというか、行動力がある
俺は精力の弱さにはちょっと自負があって、「郵便局にいって封筒を送る」くらいのしょぼいタスクに1週間以上助走がいるし、実行した日はそれで満足してほかのことを何もしなくなる
先輩は違った
午前中に別々の数人と会ったあと午後は図書館にこもって勉強、夜に東京に出発、みたいなスケジュールをガンガンこなしてた
俺が一日0.5回行動くらいなのに対して4回行動くらいある感じだった
いまもまたすげえ会社でブラックな部署に行って、7〜23時とかでキリキリ働き、すげえ額稼いでいるらしい 一方で休日にはGOTOを使っていいホテルに泊まったりもしてるらしい
俺はプー太郎やりつつGOTO使いてえなと思ってまだ一度も使ってないのに!
どうやってんだ?あれ
俺なんて保育園のときから既にやる気がなくて、毎朝登園を渋って泣き喚いてたんだよな
なんかこう生まれつき巨大な不利を抱えてる気がしてならない
一応行っていいか聞かれたから、怖いし不安だからやめてくれって言った。
気をつけるってなんだよ無理だろ。全く解決策にならない。
周りのメンツが酒のまないわけないだろ。
大声で笑って話するだろ。
なんで今なんだよ今でなくていいだろ。
でもあなたが発症入院になったら子供も子供の保育園も私も私の会社も迷惑被るのよ。
そこまで考えてるの。
もしかして保育園1週間休園になった時の他の園児たちと保護者のこと考えてるの。
だからもう帰ってこなくていいよ。
ちなみに東京だよ
まず、にほんしねをやってくれと言ったのは別の人
そして、「にほんしねをやってくれ」というのは一言一句その通り書いてくれという意味ではなく、前回保育園落ちたを書いた人みたいに本音を言ってくれという願望である(とこちらには読める)
で
謝ることでお前さんのストレス反応が減るだろうので
或いは減ると言う文言がお嫌いであれば謝って丸まって居ろと言うぐらいの価値観の
アップグレードを与えてやる
で
お笑い番組の真似だなと思えればそれで市民権なんて言う感覚を与えてしまう悟性についての反省も無しに絡みはじめたお前さんが謝る番なのは明らかにしておく
暑いとか寒いとか退屈だとか、部屋が汚くて不愉快だとか、お腹が空いたとか、そういう原始的な欲求。
そういう欲求を抱いていることに気づいて、自分で満たすのが苦手なのだと気づいた。
自分の機嫌を取って、常にご機嫌でいること。
重要だと聞いていたけど、話半分に聞いていた。
不快な環境に置かれていることが自分のデフォルトであるべきだと思い込んでいる。
うちは貧乏で、両親は共働きで、父は単身赴任だったので家には母と私だけだった。
母は朝から晩まで働いていたから、怠惰とか怠慢ではなく、単に子供に割けるリソースがなかったのだと思う。
それでも私の置かれた環境は、客観的に見てネグレクトだったと思う。
なので保育園のない日は、床も見えないほどゴミの散乱した部屋で遊び道具を探しながら、ひたすら母の帰宅を待った。
暑いのも寒いのもお腹が空くのも、部屋が汚いのも、退屈なのも、全部母に解決してもらうしかない。
私は母に依存して生きていた。
私の最古の記憶は5歳で、5歳の私は必死に母に縋って生きている。
母は応えられる限りの要望に応えている。
でもあの時、母は私に生きるための細々とした知識を教えてくれなかった。
私は母にエアコン付けてとねだる。母はエアコンのリモコンの黄色いボタンを押しながら、「これくらい自分でやりなさいよ」と言う。
一度、留守番の時にそうしてみたら、部屋が気持ちよくなるはずが逆に息苦しくなった。帰宅した母は驚いてリモコンを見、ダンボウになっていると言った。
ダンボウの何が悪いか分からなかったが、見よう見まねではリモコンは操作できないようだった。黄色いボタンの他に、様々な大きさのボタンがあったが、意味は分からずじまい。
母は簡単にそのリモコンを操作する。だからきっと操作は簡単なんだろう。でも私は理解できなかったし、母が察して教えてくれることもなかった。
そういうものだと思った。母は面倒くさそうに「こんなの自分でできるでしょ」と言うけど、私には何故かできない。でも成長したらできるようになるのかもしれないと思って、ひとまず自分の成長を待つことにした。
それからゴミの分別も分からなかった。生活で出たゴミを母に渡すと、三つ並んだゴミ箱のどれかに放り込んでくれる。何か規則があるらしいけれど、どんな規則か分からなかった。
規則を知るために質問したかもしれない。しかしおそらく、まだ早いからといった感じではぐらかされたのだと思う。教わった記憶がない。
だから正しいゴミの捨て方が分からず、いつまでも母を呼びつけてゴミを預けた。これも「いい加減自分でやりなさいよ」と言われた。「でも、どうやって捨てればいいか分からない」とある時私は言った(と思う)。すると母は、「そんなの簡単じゃん、こういう燃えないゴミはこの箱!」と言って、三つのゴミ箱のどれかにゴミを放り込んだ。
悲しいことに、どのゴミ箱が燃えないゴミの箱だったか、一瞬では覚えられなかった。しかも、「燃えないゴミ」と「燃えるゴミ」の区別も分からなかった。でも多分幼い私はそういう新たな疑問を咄嗟に言葉にできなかったし、母は苛立っていたから、質問をやめた、ような気がする。
とにかく耐えれば済む話だった。不快さに耐えて、母に依存し、時に嫌味を言われながらも、「いつか規則が理解できる日」が来れば、自分で何でも解決できるようになるはずだった。
しかし、そんな日は来なかった。規則や常識は生きていれば自然と肌を通じて浸透するものではなく、どこかでルールとして誰かに教わらなければならないらしかった。
ところが、私の周りにはそうしたルールを親身に教えてくれる人はいなかったので、私はずっとルールを知らず、知らないのを誤魔化しながら生きていたのだった。
なぜこんな話を書いたのか。それはたぶん、ついにその生き方に限界を感じ始めたからだ。
今まで人に質問する習慣がなかった私は、大抵の疑問をネットで検索して解決してきた。
空っぽの鍋の底をお玉で何度も引っ掻くように、全く手応えのない脳内に答えを求め続けた。
そうして前のゼミから全く進捗のない週を何度も経験し、自分が情けなくて何度もゼミを欠席した。
すると教授や院生さんが私の異変に気づいたのか、どんな些細なことでも質問してくれていいと言ってくださったり、私がやるべきことについて詳しく説明してくださるようになった。
正直、手取り足取り教わるというのは初めてだった。
しかしちゃんと手順を教わると、あれ程上手く進められなかった作業がちゃんと進むのだ。
この世はそんなに簡単でいいのか、と思った。
でも、家に帰って一人になると途端にやる気が出なくなる。
私が私のためにできることなんてないような気がする。
お腹が空いても、部屋が寒くても、部屋が汚くても、私にはどうすることもできないから耐えるしかない。
そういうどうしようもない気持ちになって、どうしようもない現実を耐えて過ごすだけの人間になる。
正直この状態になると全くダメで、特に卒論の作業が上手くいった日ほど大きなギャップを感じ、次の日以降の作業に身が入らなくなる。
さすがにこのままではまずいので、家にいる時の底なしの無力感について考えたところ、幼少期の経験に行き当たった。
質問してもちゃんと答えてもらえなかったり、理解できるようには教えてもらえなかったこと。
教わらなくても理解しているのが当たり前で、理解していない自分は人一倍出来が悪いと思ってしまったこと。
自分のやることは間違いだらけなので、自分で考えて行動するなど以ての外だと思っていたこと。
自分で自分の欲求を満たすような行動を勝手に起こしてはいけないと思ってしまっていたこと。
幼少期の経験から、おそらくこうした思い込みが私の中に芽生え、私をずっと規定し続けてきた。
母と私の関係も、悪くいえば母が私を依存させるよう仕向けるようなものだったと思う。
卒論によって、私は生まれて初めて誰かに質問したり、頼ったりしなければいけない状況に追い込まれた。
でもそれが結果として、私に質問する習慣を与えてくれた。
人に分からないことを聞き、相手の時間をいただいて教えてもらうというのは、こんなに有意義で価値あるものかと知ることができた。
本当はくだらない人生だと思ってたし、自殺するために飛行機の距離ほど離れた大学に進学したけれど、卒論を書くほどまで生きていたのは結果的に良かったのかもしれない。
結局とりとめのない文になった。
でも、私と似た境遇の人に読んでもらえれば嬉しい。
サブスクで配信されていないバッハの音源が聴きたかったので、久しぶりに CD を買った。Suica で支払いながら思った。
この間も夏過ぎにホットクックを自腹で買うって言い出したから、
俺が最新機種が最適価格(ポイント含む)になったら買おうって寝かせてたらキレた。
二人とも東京で働いてたんだけど、子供ができた時に俺の地元に帰った。
奥さんは前職のつて?で在宅してる。
稼ぎは多くないけど、好きなことを仕事にしてるのがすごいなって思う。
でも「お母さんがいい、お父さんこないで」って言われると辛い。
家事はできるだけやってる。
洗濯は朝、できるだけ干してる。(奥さんは乾燥機にしたいらしいけど俺は天日派)
ゴミ出しも、袋もかけてるし。
でも育児はやっぱり奥さんメイン。だって子供がお母さんがいいって泣く。泣かれるのは辛い。
保育園の送り迎えは出勤的に無理だけど子供が小さい今は定時退社で帰って、
お風呂入れて、片付けして、
ようやく俺の時間、だいたい疲れ果てててテレビ見てると終わる。
学生時代から続けてる趣味の時間もない、土日はだいたい俺の実家。
子供二人も一人で見れないし、俺の母さんはすごく協力的。
これ以上どうしたらいいんだろう。
わかってる、地元に来てくれたこと、親のこと、仕事のこと、育児のこと頑張ってくれてる。
でも俺もやってるし疲れた、でも体調悪いことも怒られる。
【以下追記】
誰かに聞いてもらいたかったんだけど、いろんな意見が聞けてありがたい。
ツリーもコメントも、そこまで分かるのかって位あたってる気がする。
実家に行く頻度も考える。何回か「家族だけで過ごしたい」って言われた。特に兄弟が帰ってくる日は実家避けてるっぽい。
平日も「顔見せてきた」って行ってるみたい、親は喜んでる。おかずとかもらってくるし仲はいいと思う。
以前よりも奥さんの怒る頻度は激増してる、子育てとUターンが同時だったからどっちも原因だと思う。
子供に「来ないで」って言われるの、わかってくれてありがとう。がんばる。
家事の分担も見直す。今は、洗濯は「突発的なことがない限り基本的に」だけど、朝ごはんは「気が向いたら」かな。
>zeromoon0 さん
「辛さ」を競ってる感じある、わかってくれてありがとう。
>Cotton ton さん
どっちの地元に帰るかは、奥さんと話し合ったけど俺の地元ありきだったかもしれない。
>ueno_necos さん
コメント皆さんに返せてないけど、少し引いて現状見られた。
この1年で感じたことは、多くの親が感じていることだと思うけど、あまりに現代社会は育児するには環境が厳しすぎる。
近くに頼れる人がいない。
地元で就職できればよかったが、内定出た企業は一つだけ、地元は離れた。妻の実家はさらに遠い。
交通網、技術の発達で親元から遠く離れて住むことも多くなった現代、新幹線や航空機があるとはいえ
頻繁に、すぐに親に来てもらえる環境ではない。
保育園に入れない。
政令指定都市近くのベッドタウンに住んでいるのだが、周りにマンションとかが急増していて
まったくもって保育園が足りていない。
自分自身も住んでいるから人のことは言えないのだが、あまりにも鉄道沿線に人が集まりすぎていないか。
鉄道会社、不動産会社はこの戦略が儲かるんだろうけど、あまりにも過密に感じる。
日本国民もほとんどは声を上げてない、そういう私もインターネットの片隅に愚痴を垂れ流すだけ。
一人が立ち上がったところでたかが知れている。
自治体もしょうもない観光センターなんて作ってないで保育園に金を回してくれ。
まず妻の仕事先の上司が醜悪な人間らしく、仕事復帰の不安が募っている。
そんな職場ならそもそも辞めてもいいと言っているが、人出不足やら逃げたくないやらで続けることにこだわる妻。
出産後のホルモンバランスの崩れでただでさえイライラが募っているのに余計なストレスを生んでいる。
感情、もとをたどればホルモンだとか神経伝達物質だとかのごく微量の体内物質に帰着するのだろうが、
そんなちっぽけなもので普段の行動を大きく左右されてしまう人間。
人間は理性というものがあって感情、行動をコントロールできるのだろうが、
助けを求めるためのハードルが高い。
心を病んでいる人に、自治体の支援やこころの電話窓口やら地元の団体やら心療内科を調べて助けを求めるという行為はなかなかできない。
妻自身は全くできなかった。代わりに私が助けを呼ぶにも、平日の仕事は忙しい、家で気力はない。
家にいるときでも妻は不機嫌で、助けを求めることについての相談さえできないことばかり。
そんな中でも自分が動かなければと思って、近くの心療内科に予約のために電話した。複数の医者に電話したが、予約埋まりすぎ、混みすぎ。
コロナの関係もあるだろうが、なかなか都合がつかずに予約ができない。
でもわかる、こんなに複雑化した現代社会で、不完全な存在である人間が生きていくのは本当にしんどい。
ほとんどの一般市民は苦しみながら細々と生きて死んでいくだけだ。
そんなの大昔からそう。現代じゃなくてもそうだっていうのはわかっている。
でも、この数十年は46億年の地球の歴史の中でもあまりにも劇的な変化が起きた年代だったはずだ。
旦那が〜とか保育所が〜とかいろんなことをそれぞれがぼやいているが、答えはひとつ、
国が本気で少子高齢化を憂いていているなら、金を与えればいいのである。
変な男性育休制度とか、女性が元のキャリアに戻れるだとか、そんなんはいいのである。
金をくれ。
妊娠が分かったら、スムーズな検診と、保険適用の医療費で受診させろ。
もちろん仕事を休んで行かなければいけないのだから、その給与分は必ず補填しろ。
出産の際は、もちろん保険適用だし、無痛分娩帝王切開すべて保険適用当たり前、
会社に申請→会社から補填、ではなく、国に一括して管理する機関が必要だ。
子育て中、必要最低限の消耗品に必要な金額を綿密な調査に基づいて計算し、毎月振り込め。
金で渡すのが嫌なら、任意のブランドの引き換え券とかでもいい。
もちろんAmazonなどではそういうのが使えないだろうから、国のネット通販を作るとか、関係各社にネット通販を開通してもらうなどしろ。
歩いて買いに行けると思うな。
デイケアが発達してんだから、乳児とその母親向けデイケアも作れ、絶対に需要はある。
デイケアは少しは金を取ったっていい。
例えば実家にまだまだ動ける祖父母がいるとか、兄弟がいるだとか、そういう人は手伝ってもらえるだろう。
もちろん手伝ってもらえないかもしれないし、そういう時に使いたい人が使えるようなサービスが望ましい。
たた、まだ手のかかる小さい子が何人もいます、家には旦那と嫁だけです、そんなときは割引をきかせろ。常識だろ。
仕事に復帰したい希望があれば保育園を使え。国はもっと給与を保育士に払え。
元のキャリアに戻れるかどうかは、ブランクの長さやプロジェクトの進行具合によっても変わるから難しいかもしれない。
でも雇用形態が変わったり、能力が低下したとみなされるような部署移動はいただけない。
学費のみならず給食費も無料にしろ。学校で使う消耗品も一定額は無料にしろ。義務教育までは、どんな家庭でもどんな子供でも、必ずしも問題なく終えることができるようにしろ。
別にたっぷりスキンシップして愛情たっぷりごはん作ってあげて寝かしつけるのに毎日違う絵本読み聞かせてあげるとかそんなんしなくていいから(笑)
面倒見なくていいから
そうだよねわかんないよね、なんで子ども7人もいるのかな?(笑)
でも働こうね(笑)
いやだからって虐待するんか~~~~~~い(笑)ガキ禿げとるやん(笑)
虐待案件児って児相から文書出てかなり優先的に保育園の枠取れる(というかほぼ無条件で入れる)、これ豆ね
保育園落ちたバリキャリのみんなも虐待すればいいと思う、これジョークね
r ‐、
| ○ | r‐‐、
_,;ト - イ、 ∧l☆│∧ 良い子の諸君!
(⌒` ⌒ヽ /,、,,ト.-イ/,、 l
|ヽ ~~⌒γ ⌒ ) r'⌒ `!´ `⌒) 「やればできる」
│ ヽー―'^ー-' ( ⌒γ ⌒~~ / 実にいい言葉だな。
│ 〉 |│ |`ー^ー― r' |
│ /───| | |/ | l ト、 | 我々に避妊の大切さを教えてくれる
| irー-、 ー ,} | / i
| / `X´ ヽ / 入 |
ゴム、させようね
こっちはこっちで人が集まりすぎて大変なんだ
保育園に子供を入れたくても待機児童が多すぎてなかなか入れられない
そういう発想だからTERFにもなるんだろうな……といろいろ納得してしまった。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1625581
差別反対を主張していた人がこんなにもあっさり差別的発想に転んじゃうのって、やっぱり本質的に「差別のない社会」がどういうことか理解できてなかったんじゃないかな。
差別というのは、「○○人の血は汚れている」のような根も葉もない生理的嫌悪感に基づくものから、「○○人の犯罪発生率は高い」という統計的事実に基づくものまで色々ある。
アメリカでは黒人の犯罪率は他の人種と比べて高い。だから、もしも「社会の多数派にとっての安全」を「差別の解消」よりも上位に置くのなら、黒人ばかりを狙って職質をかけたりするのは合理的な行動ということになる。それによって黒人の手になる犯罪が未然に防がれるのなら、社会はきっとより安全になるだろう。
別の例を挙げてみると、キャリアの途中で退職したり長期間の休暇を取ることの多い人びとを職場から排除すれば、組織の効率性は上がるだろう。原理主義者によるテロが頻繁に起きている宗教の信者の入国を拒否したり、彼らを集中的にスクリーニングすれば、多くの人がテロから救われるだろう。そして性犯罪の加害者になることの多い人びとを子どもと関わる職業から排除すれば、子どもの性被害の数は大幅に減るだろう。
問題は、それは差別だということだ。そのような対応は差別的であるため、批判され、場合によっては法規制もされる。差別は自由で民主的な社会にふさわしくないものであり、この社会からなくしていくべきである。
逆に言えば、差別のない社会とは、一定の被害を甘受せねばならない社会だということでもある。
事前に黒人の犯罪者や退職者の多い属性やテロリストの多い宗教の信者を排除することは差別である。それを突き詰めた結果として、黒人の犯罪者によって金銭を奪われたり、会社の業績や病院の労働環境が悪化したり、狂信的なテロリストの仕掛けた爆弾で死傷したり、子どもが学校で性的虐待を受けるかもしれない。
もちろん犯罪者は裁かれるべきであり、彼らを無罪放免にしろと言うつもりはない。だが、一定数このような被害や効率性の低下が出ること自体は、差別のない社会が甘受すべきコストということになるだろう。属性に基づく事前の排除やスクリーニングを拒否するというのはそういうことなのだから。
私は差別に反対するので、それによって自分が旅行中に強盗に遭おうがアメリカの警察が黒人を狙い撃ちにするのは間違っているし、仮に自分の業務に支障が出ようが特定の属性の人びとに対する就職差別は許されるべきではないし、もしもテロによって家族を失ったとしても特定の宗教の信者だけをスクリーニングするのは道義的に正当化できないし、たとえ自分の娘が学校のトイレに連れ込まれて乱暴されたとしても、教員やその志望者が能力ではなくジェンダーやセクシュアリティによって選別されるようなことはあってはならないと考える。
差別は、場合によっては問題解決のための手っ取り早い手段になり得る。だから差別の解消を主張するというのは、実はとても覚悟のいることなのだ。
その覚悟を持っていなかった人たちが、時と場合が変わるとあっさり差別主義者に変貌してしまうのは驚くべきことではない。女性差別とさんざん戦ってきたのに、今「安全」を掲げてトランスジェンダーを排除しようとしている人たちがその典型だろう。
私たちは、差別に反対する覚悟を決めるべきだ。たとえそれによって不利益や被害が生まれても、それでも差別を許してはならないと言うべきなのだ。そのような覚悟のない反差別は、いずれあっさりと差別主義に転ぶ可能性を秘めているのだから。
理論的には完全な監視社会、例えば全員の脳内にチップが埋め込まれてて犯罪行為を始めると即電撃で無力化する社会では差別もないし被害も甘受しなくていいし法的自由も保証されるのではないか
マジレスすると完全に外形的な条件から「何が犯罪で、何がそうでないか」を決めるのは理論的に無理。なぜなら、理論的には、ある行為が犯罪かそうでないかは事後的にしか評価され得ないので。
意識のない他人の服を無理やり脱がせて体を触る行為は準強制わいせつかもしれないし救命措置かもしれない。他人の腕にナイフを刺すのは通り魔かもしれないし壊死性の毒があるクモに噛まれたので毒を除去しようとしているのかもしれない。子供を連れて遊園地に行くのは子守かもしれないし誘拐かもしれない。大量の宅配ピザを注文するのはパーティーの準備かもしれないし業務妨害かもしれない。カレーを食べるのは食事かもしれないし相手を油断させて毒入りカレーを食わせる計画の一環かもしれない。ファイティングポーズを取った男に蹴りを食らわせるのは正当防衛かもしれないし誤想過剰防衛かもしれない。これらの行為が行われた瞬間にチップで犯罪かどうか判定するのは不可能。
っていうか、他人から受け取ったキャッシュカードでカネを引き出しただけで刑務所に入ってる人は何人もいるわけで……
仮に外形的な基準じゃなくて「今自分は犯罪を犯そうとしている」という意思を基準にするとした場合、「嫌だとか何とか言ってるけど部屋までついてきたってことはセックスする意思はあったんだろ、嫌よ嫌よも好きのうちって言うしな、グヘグヘ」みたいな発想の人がいたらどうなるのか、ということになるので、チップを利用した犯罪抑制はどちらにせよ無理。何が犯罪で何がそうでないかは、ある行為が行われてから人の手によって評価され、判断されなければ理論的には決まらない。
ブコメ”加害者個人を排除する場合、最初の一回の被害は防げない”。その理論でいくと、差別される人種なり宗教は1回以上の被害が起こったので差別され始めたのでは?つまりどちらも根本解決にならないと思う。
根本的にわかってなさすぎて頭が痛い。人種集団や宗教の信徒は「個人」じゃないだろう、という話なんだけど。
今、目の前に一人の黒人がいるとする。名前を仮にボブとしよう。黒人が他の人種集団に比べて犯罪率が高いという統計的事実はある。だがボブが犯罪者かどうかはわからない。ボブがもし犯罪を犯したのなら刑に服すべきである。だがボブが犯罪を犯すまでは彼は無辜の市民なのであり、黒人だからという理由でボブだけ集中的にスクリーニングされたり職質されまくったりするのは不当な差別である。ボブが強盗なり殺人なりの犯罪に手を染めてはじめて彼を犯罪者として扱うことが許容される。
逆に言えば、我々は、ボブを事前にスクリーニングして強盗や殺人の被害者をなくすことよりも、たとえ強盗や殺人の被害者が出たとしても、ボブを人種に基づいてスクリーニングしないことを選ぶべきなのだ。
女性は早期退職する確率が高いが、ではどうせ無駄になるのだからと目の前の花子にろくにキャリアも積ませなかったり昇進させなかったりするのは正当か。宗教的テロを起こすイスラム教徒が大勢いるとして、では目の前のアブドゥルにだけ警察の尾行がついたり空港で差別的な扱いを受けるのは正しいか。性犯罪者の多くは男性だが、では資格も能力もあるのに目の前の太郎を保育園に採用しないのは許されるのか。
「私には夢がある。それは、いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に住むという夢である」とかつてキング牧師は語った。私はその理想を信じている。そのために生じるであろう被害よりも、なおその理想は重いのだと信じる。それが差別に反対するということだろう。
お互いに譲る気がないフローというか
昔は違った
人生の中に仕事があり、仕事の一環として子育てがあるという構図も可能だった(実際そうだったかどうかは置いといて)
今は完全に競合する
合計特殊出生率が激減した1950年代、第一次産業率も激減してる
解決するには1個の家庭でやらずコミュニティで子どもを育てることで
そしてそれは十分に上手く動いている
ただ、それでも残る幾つかの競合ポイントがあってそれを産休育休とかで誤魔化してる
それで実際に体験した話
保育園とか幼稚園で3,4歳くらいになってくると社会性や自他の区別を教育し始めるんだけど
「●●くんは男の子だから男の子組、●●ちゃんは女の子だから女の子組に並びましょう」
みたいな感じ
最初それみたときはえっっそれ色々不味くない?て思ったんだけど
一人目と3歳の二人目誕生とほぼ同時にテレワーク開始、絶賛継続中。文系事務仕事だけど会社が規模の割に特殊なこともあり、今後も在宅メインとアナウンスしている。多分よっぽどのことが無い限りずっと在宅。
育児には超助かっている。(下の子連れではない)妻の多少の外出とか、上の子の保育園送迎とかは信じられないレベルで楽になった。まぁその間下の子を見ながら仕事の時、本気で仕事に向かえているのかというと多少は疑問だけど、慣れてくると資料のインプットだけするとか、カジュアルな打合せを優先するとかやり方はある。
こんなんで良いのかなぁ、と思う。
子供をじっとみていると、やはりこれは社会の産物である部分もあって、子供をもうける気安さに仕事や多少の収入の過多で差があってはいかんのではないかなぁという気がしてくる。
そうだなぁ。よく、子供が小さい時は金の貯め時だっていうよね。小学校に上がると湯水のごとくに出ていくばかりだし。
少し前までは、子供が小学生の頃こそ母親は働き辛いということで、そんな風に警められていたのもある。バリバリ働けるのは保育園に預けられるまでだってね。
今はだいぶ状況が違うだろうな。学童保育が充実している地方ならば、共働きフルタイムで長期休暇でも働いてる人は多いだろうが、東京辺りは無理だったりするのだろうか?
保育園を利用しなかった(できなかった)家庭は学童も必要ないと見なされて優先順位落とされるのが、私の住む地方の普通なんだけれども。
学費に関しては中学から私立に行って塾予備校を利用しないのと、公立で塾予備校をフルに利用するのとでは後者が若干高いらしい。とにかく母親がパートだと馬車馬のように働いてもパート代全部注ぎ込んでもまだまだ足りないという。正社員じゃないと破綻する。
最大にお金がかかるのが大学の学費な訳だけど、子供に多額の奨学金を押し付けない限りは、正社員共働きを続けて来なかった家庭には無理なんだよね。
結局のところ、子供が赤ちゃんの頃~年長さんになるまでの期間を正社員でい続けられるかどうかがでっかい別れ道。ここでドロップアウトするともう再浮上はほぼ無理なので出産費用が~とか、給料全部保育料で持ってかれる~とか嘆いている場合ではないというか、月20万の保育料を払ってでも正社員を続けられるということは、ある程度の未来を約束されているのと同じ。