はてなキーワード: 中学生とは
児童福祉関係の職についてるので、客は基本的に結婚している人、つうか子供がいる人なんですが、まったくマトモじゃない人が相当数いる
顔を見た時点でため息ついてカウンターの裏に引っ込みたくなるような、あからさまにヤバげな人もそこそこいる
こう、荷物をいかにもイライラしてますって感じでドサッ!と置いて、「これ、○○!」と言って、ずっと睨みつけるような感じで相対してくる人だ
知らん人に当たり散らすなよ ガキじゃねえんだからさ……
この態度、30超えてる子持ちが取っていいものじゃねえだろ!と思うことがメチャクチャ多くて、徐々に俺の認識の方が間違っていたということがわかってきたんです
「結婚して子供がいる人は、親としていろいろと経験を積んでいるので、成熟した大人である」なんてことは、全然ないんだ
ホントにただ人によるんだ
3児の父でもシングルマザーでも、幼稚な人は幼稚だ
つうか、幼稚って言葉選びがよくない気がするな
歳とってんのにヤバい人がいる一方、若いのにマトモな人もいるってことは、マトモさというのはそもそも幼い幼くないの問題ではないのだ
「子供がいない奴は薄っぺらい」みたいなことを言ってる人間のことは、俺は内心やや軽蔑している
それは完全に誤った偏見ですよ
皆さんはじめまして。Twitterで「レンタル数学教える人」を名乗っている者です。つい今月の初めに、「そうか!だから小学校の算数においてはかけ算順が大切なんだ」と目からうろこが落ち、そのことを夜中のうちにTwitterに書いたところ、朝になったら見たこともない数のリプや引用がついて驚いた。その内ほとんどが「バカ」とか「アホ」とか「クズ」とかの類の言葉でした。それで怖くなりました。「この程度」とか「周回遅れ」とか誹謗中傷まで酷いものでした。
その中でいくつかやり取りするうちに、これは一人一人返信してもらちが明かないから、カリキュラムの順番含めて整理してTwitter内に投稿しよう、と思いつきました。
何でかけ算導入時において順番が大切なのかを教えてやる
2年で「乗法の意味」→「乗法の場面を式に表す」→「乗法の交換法則」
と段階を踏んで学ぶ。ポイントは「乗法の場面を式に表す」だ。この単元を学習中に式の順番が問われるわけだろ。その後に交換法則。計算しやすければ交換してもよいという話
勝手に交換法則使って計算しろよ。ただし場面に合った式を書きなさいと言われている所に、一つ分×いくつ分の順番を無視した式を書くんじゃねえ!という話。途中式間違ってるけど答えはマルもらえるって中高生でも普通によくある話じゃない?
「場面を式に表す」が課題なのよ。段階的ってこと考えよう。
3年で「整数の乗法」だ。数を抽象的なものとして計算するわな。結合法則・分配法則も習うから計算の工夫をしてスマートに解いてみやがれ!かけ算に慣れてきた頃に「除法の場面を式で表す」をやる。何を何で割るかよく考えろ。割られる数、割る数っていう区別(順番)が理解をスムーズにしてくれる。
ここでワケも分からず前から数字を順番に入れて式を立てる奴がいたらどうなる。解答欄の「□÷○=△」穴ポコに順番に入れたらどうなる。かけ算だったら答え合ってて良かったね。
それ習慣ついてたら割合の単元で地獄を見ることになる。ったゆうか現実としてすでに地獄だけどな。
4年で「長方形、正方形の面積」だ。お待たせしました。なんか知らんけどかけ算順番の話してるとすっ飛んでくる輩が「縦×横と横×縦は違うんですか?」ってドヤ顔で聞いてくる。うるせえ。交換法則しとけよ。場面を式で表すとは状況が違うんだから好きにしろ。こちとら「卵10個が3パック」の話してんだよ
この前spaceで聞いた知見を共有する。面積ってのは「1㎝×1㎝の□が何個分」ってところから考える。縦に3個、横に5個、なら一個ずつ数えてもいいが3×5で出してもいい。「1つ分はいかようにも取れるんですよ?」のドヤ顔勢が言いたいのはそれだろ。勝手に5×3やっとけよ。
あのさ、面積ってのはそうやって丁寧に学習していくんだよ。「そもそも面積とは〜積分の考え方を使っているのであり〜」とか言う自称理系人間。アタマおかしいと言わざるを得ない。お前小学生相手に何言ってんの?中学生ですら錐の体積や球の体積を厳密に理解できない。そうやって積み上げていくんだろ
僕がずっと違和感を持っているのは、なぜ掛け算順を認めない人はこのように必死にTwitter内を警備し、いきなり引用リツして人格否定的なことを繰り返してしまうのかということです。バカとか洗脳とか悪影響とか「理由を説明してください」という謎のエンドレス質問。そしてそのような人はいつも同じメンツで、仲間同士でコメントを付けあっている。「井超算数」というタグをつけるのが彼らの仲間を呼び寄せるシグナルのようです。以後、この一派のことを「超算数警察」と呼称します。
逆に、いつも虐められている(ように見える)人は言葉使いが丁寧で、明らかに教育現場にいる率が高い。誠実な教育者であることが見受けられた。懇切丁寧に掛け算順の必要性を説明しているのに、いくら必死に説明しても聞かないうえに暴言を吐かれる、謎のエンドレス質問返しで、いつの間にかダンマリになっていく。この誠実な教育者たちを「掛け順派」とします。
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恥ずかしい告白をします。僕は半年ほど前まで「掛け算順序否定派」でした。くだらねえ理由で減点して子供が可哀想と思っていました。「バカな慣習だ」と暴言を吐いたこともあります。ただし、ここからが重要。耳かっぽじってよく聞け。Twitterで「掛け順必要派」の人に対して凸撃とかしなかった。極めて一般的に、まともな大人は、フツーの人間は、Twitterで自分と反対な意見の人をわざわざ見つけて攻撃したりしない。時間的なヒマもない。
だってその人にリプを飛ばして考えを改めさせるなんてことができると思うか?まあ出来なくはないんだけど、現実的じゃない。しかし超算数警察は平気でやる。まあしつこい。相手がブロックするまでやめない。結局は見下してバカにしていい気分になりたいだけだろう。同調者が表れて良いキモチ。ちなみにこの人たちは「ブロックされたこと=論破した」と定義している。世間一般的にはそうではないが、超算数警察の中ではそうなのだ。スクショ付きで「逃げやがった」「やっとブロックしたか」が決め台詞である。
実は僕がTwitterで意見を投下し始めて、あまりに暴言がひどいので反論の意味で多方面に暴言を吐いてしまったところ、ある方に批判された。対話を重ねていたら、その方はスマートな教育をされ、学校に期待しすぎないで家庭と学校で協力していけばいいという考えの持ち主だった。
「あなたがスマートな教育をされていることは分かった。学校の先生も必死でやっているんだ。掛け順間違いでバツされたことなど、学校ってそんなもんだよなと受け流してくれればいいのに」
と伝えたら、そこで衝撃の一言「とっくにそうしている。はじめから掛け算の話などしていない」と。僕は冷や汗をかいた。
そうなのだ。始めからそうだった。そしてそうやってある種諦めの境地でもって受け流し、家でも教育しておけば良いというバランス感覚こそ僕が求めているものだった。それこそ思想転向のずっと前から。
テストで不本意ながらバツをもらってきた子供に対して、親としてもし、その採点に納得がいかないのなら「これは学校のテストにおいてのみ守っておかなければならないルールで、数学的には答えが合ってるから、まあ気にするな」と教えてやればいいのだ。僕だったらそうする。
実際、社会に出たら本当にどちらでもいい問題だ。よくある例としては「個数×単価」のような書き方がある。英語圏では「〇倍した□」といった言い方が一般的だ。だから僕はあくまでも日本国内での「算数ルール」「小学校ルール」と言っても良いと思っている。
冒頭の固定ツイと内容が被るが、僕自身は掛け算の順序を丁寧に教えていくのは極めて有用だと思っている。それは日本語的な感覚という意味でもだ。「●個が〇セット」、割合の単元なら「▼の□倍」という語順がしっくりくる。まだ抽象理解や言語の運用がいまいちな低学年にとってはなおさらだ。
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超算数警察は厄介なことに、叩ける相手だと認定したらとにかく他のどんなことでもツッコめる穴は無いかと探し始める。たとえば僕は連ツイの最後に「面積の学習は丁寧にやっていく。そもそも面積は積分の考えを使っているので~とか言うな。中学生ですら錐の体積や球の体積を厳密には理解できない」と書いたら、まあそこに食いつく食いつく。一言言わずにいられない馬鹿どもが。
「中学生に球の体積の理屈くらい教えてあげないのは怠慢、講師失格」
などという酷い言われようだった。まったく現実を見ていない、好き勝手な意見だなと思うわけだが、一方でそんな教え方ができるのであればすごいことだ(たとえ受け手側に理解するポテンシャルがなかったとしても)と思って、全員に「中学生でも理解できる球の体積の考え方を教えてくれませんか?」と聞いた。
もう大半がヘンなリンク送ってきたり、有名な説明だから今さらする必要なしとか繰り返すだけで、何の益もなかった。30人くらいいたかな。そんな中で2人だけ実際に説明を書いて送ってよこしてきた。2,3分でササっとかける代物ではない。余裕で中学生で習う範囲を超えている。しかし素晴らしいと思った。
僕からするとそもそも僕が主張したいことと話がズレているし、それを活用できるほどの力量もないので、それをどうこうはできない。それは2人にとって肩透かしだったと思う。そもそもこちらは煽られてスタートしているのだ。「できるものならやってみろ」とは言ったが、本当にやってきたのならば敬意を表するほかない。そう。これなのだ。数学を愛し、数学を嗜んでいるのなら、自分の手を動かしてみろっていうんだ。超算数警察みたいに「数学は答えがあってればマル、ウソを教えるのは迷惑」とかいってTwitter内でクソリプ飛ばしてないでさ。んでマウンティング、グルーミング。それの繰り返し。
超算数警察は、小学生も学校の先生も、そもそも全部ひっくるめて公教育というものが人間社会のなかで行われているということを忘れている。自分の大好きな数学の美しさに惹かれて、極めて抽象的で、この世界中どころか宇宙全体に通用する法則をはやいとこ小学生にも教えてやれと言っている。んで「合ってるのにバツされるのは可哀想」という。だからもう一回思い出してくれ。こちとら小学校低学年を相手にしているし、そもそも「算数」の授業をしているんだって!教科名が「数学」じゃないことに注意。段階を踏むってことが彼らには理解できていない。
超算数警察は「美しさ」にこだわっているんだと思う。掛け算は順序を問わないのだから、式が逆なくらいでバツされている答案が目に入るのが耐えられないんだ。現実には日本中の小学校で丁寧に式の立て方から指導している。「一つ分×いくつ分」も「○○の□割(倍)」もとても重要視されている。だって最初に「3+3+3+3+3のことを3×5だって説明しているんだから。そりゃ5×3って書いたらバツでしょ。お前思いついた順に数字を書いてんじゃねえよ!って言いたくなるでしょ。「一つ分」を先に書けと言われているのだから。
Twitterで見かけた例を拝借すると、二つの倉庫があって「右の倉庫にはボールを、左の倉庫にはバットを入れてな」と決めてそれを周知したのに、逆に入れるヤツがいたら説教したくなるでしょ。右がボール、左にバットなんていう必然性なんかない。ただそう決めただけなんだが、決めなきゃしょうがねえだろ。そのきめたルールが無くなることはないと思うぞ。調べたら100年近くやってるらしいじゃん。じゃあお前らは永遠に不満を持ってTwitterで吹き上がるだけの人生だぞ。超算数警察たちは、ごく普通の人間たちの営みを否定している。だってようやく数字という概念を学び始める準備段階の子供を相手にしているんだぞ。ムチャ言うな。
なあ、そんな理論通りの、全てが数式通りに記述された、超算数警察が理想とする美しい世界が実現するにはどうしたらいいか教えてやる。「この世界から人間がソックリいなくなる」しかないんだよ!
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今から30年ほど前に超絶ヤバ集団がいたことを覚えているな。「オウム真理教」っていうんだけど。ムチャクチャへんな主張をするカルト宗教でメディアは面白がって、バラエティ番組なんかにも出ていたな。あれのトップが何て言っていたか知っているか?
「近いうちに日本の人口が十分の一になる」って言ってたんだぞ。これが何を意味しているか分かるよな。それがどうだ。東京のど真ん中の地下鉄でサリンがまかれた。彼らの母数が大したことなかったから、同時多発的にってところまではいかなかったけどな。
そりゃ今だって「地球環境を壊さないためには」とか「埋蔵資源を枯渇させないためには」とか「海や山の生態系を守るためには」とか考えると、人間がいなくなるしかねえ!って結論になるよな。ま、それを言っちゃおしめえなので・・とスルーされるのが常識的な流れなんだけど。
しかし超算数警察よ!お前らがやっていることはそれに近い。すべての人間が「極めて忠実に数学の美しさを体現するためには」なんてことをやっている。無理だよ。この世界にはとんでもなく計算が苦手だったり、日本語が通じなかったり、中学生の半分が教科書を読めていなかったり、高校生で「数学を捨てる」なんて発言がまかり通っているんだから。中学を卒業したら数学というものから離れる人だって多い。そういう人がどれくらい数学が苦手か分かるか?そういう多くの人たちをとりあえず一斉に教えるために作られたカリキュラムだ。ちょっとやそっとじゃ揺るがねえよ。
掛け算を逆に書いてしまったものを慈悲深い心でマルにしてもらえたら、彼らは数学を好きになれただろうか。小学校のカラーテストで、本来だったらもらえてた(とおまいらが主張する)5点を取り返したところで、その後の人生に1ミリも役に立たねえよバカ。
んで超算数警察の口癖、「掛け順教」。数学的に正しくないウソを教えている宗教って言いたいんだろうけど。あのなあ。宗教って言葉が相手をバカにする言葉に使えると思っているところが人間のことを分かってねえっていうんだよ。もしかしてお前らって「もともと存在しない神とかいうものにすがって、科学を否定してきた宗教というもの信じてるヤツってバカ」ってシンプルに思ってない?でなきゃ「掛け順教」なんていう言葉が気軽に出てこないと思うんだけど。
それこそ人間社会のことを分かってないってことの証左なんだよ!人間はこの世界のよく分からないものに暫定的な解を与えるために宗教というものを生み出した。それがよりよく生きるための術だったからだ。もちろんそれが命の奪い合いを引き起こすこともあるがな。現代の日本だって神様にお願いしたり、クリスマスを祝ったり、葬式したり、全部宗教だろが!そのことを分かってないで「自分は無宗教なんで」とか言ってる。んでここ100年とかで明らかになってきた科学的な知見をかってに借用して、「今どき宗教にハマってるなんてプギャー」とか喚いてんだろ。お前たちは人類の先輩たちが大切にしてきた偉大な宗教というものもコケにしているんだよコラ!
この世界のことが科学的に説明できるようになっていることは事実だろう。それと、人間の認知機能が一気に進化するってことは話が違うだろが。お前らは数学の美しさ(数式は場面を捨象するからこそ美しい、程度の知識)を知ったからと言って強化人間にでもなったつもりなんだろう。んで科学の知識を得た我々は、次から次へとニュータイプが生まれてくるとでも思っているんだろう。そして、現行の算数教育はそのニュータイプの育成をジャマしていると。
バカ言ってんじゃねえよ。そんな簡単に人間が進化してたまるか。お前らなんか強化人間にすらなり切れていないし、だいたいジャレドダイアモンド先生が言う「認知革命」が起こって以来、人間なんか大して成長してねえわ。ホモサピエンスは昔も今も、ちょっとずつ日常の数的感覚(自然数)から、抽象的な理解に至っていくんだろうが。小学校6年間は、まず数学に入る前の準備段階だって決まってんの!それを数学的な知識を先取りしたうるさい大人たちがエラそうに・・・
俺たちは真っ当に義務教育の中で算数指導をしているだけなんだよ!
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お前らが何と戦っているか教えてやる。
僕は超算数警察を見ていると「進撃の巨人」11巻で「敵は何だ!」と喚いてユミルにたしなめられているエレンをいつも思い出すよ。
お前らには見えていない。お前らはお前らが言うところの「掛け順教」と戦ってんじゃねえ。Twitter内にいる「掛け順教」をやっつけて終わりだと思ってんのなら・・そりゃ・・大きな勘違いだ。
お前らは「敵は何だ!」と問うだろう。
そうして僕はこう答える。「そりゃ言っちまえば・・世界だ」と。
お前らが数学が得意で数学が好きでその魅力にヤラれちまっているのは認める。そしてそれは素晴らしいことだ。んでハッキリ言うとくけど、世の中の人はそんなに数学が好きじゃないし、数学に興味がない。
数学が好きならお前たちそれくらい分かんだろがよ。数学者列伝とか読めば明らかだろうがよ。数学を専攻する人間なんてのは奇人変人だと相場が決まってんだよ!
超算数警察は一般人相手に「それ数学的に間違ってますけど!」とか言ってないで、自分で数学的な真理を突き詰めたらどうだよ。ただしそれは生きるか死ぬかのイバラの道だと心得よ。フェルマーの最終定理を証明したアンドリューワイルズ先生は10年間誰とも連絡を取らずに、生きてるか死んでるかも分からないような状況に追い込んで偉業を成し遂げた。ワイルズ先生が必死こいてTwitterでクソリプ飛ばしてたらとか考えると笑えるよな。あ、コイツ生きてるなって安心できるよな。やってるわけねーよな。
つまり人のことを気にしてる暇があったら、自分のやるべきことやっとけってこった。だから僕に対して自筆の証明を送ってきた二人以外のお前らは、どっかからリンク引っ張ってきた以外になんか生み出したか?
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君たちは三重の壁の外に、バカも天才も秀才も凡人もひっくるめた人間社会が営まれているということを忘れちまってる。Twitterの中でお仲間を見つけて、自分たちだけが世界の真実に気づけていると思って正義感に燃えているんだろう。それをあの頃のエレンだって言ってんだよ。
エレンは壁の外にいる巨人をすべて駆逐すると誓った。そして裏切り者だった同期生を許さねえと言った。しかしやがて真実にたどり着いたエレンは全てを理解したよな。そしてそんな風に怒り狂っていた自分を恥じた。そうか、みんな同じだったんだって。それは壁の外に出たからだ。外に出るという強い意志を持ったからだ。
超算数警察よ。君たちはいつまでも三重の壁の中に閉じこもって、つかの間の楽園を享受しているんだ。とことんまで抽象世界にもぐりこむのも良い。ただそれは浮世離れした人生を歩むことを意味する。それがイヤだったら、人間たちの世界に戻ってこい。人と心を通わせることを選択しろ。三重の壁(心の壁)を壊して外の世界に出るんだ。
ITエンジニア職なのに、ほぼ施設の予約と会議のセッティングしかできない社員がいる。
PCが通信できないというから見てみると、DHCPで割り当たってないアドレスになっていた。
専門用語というほどでもないのだが、そのあたりを説明すると、押し黙ってしまう。
一通りこちらが説明すると、「・・・はいわかりました」とだけ。
同じレベルの知性の人と話をすると、反響のレベルが高くて仕事がはかどる。
こいつはその逆のパターンで、知性や向上心というものが冷たい岩のごとく硬直している。
だから、難しいことに直面したら、立ちつくすしかないのである。
成長するつもりがないから、新しいことをおぼえるということ自体がすでにキャパシティを超えているのだ。
自分はここまで、「人生あがり」だと思っているから、それ以上の負担となることや、
他人に教えてもらうということもできない。
それを繰り返すうち、DHCPからIPがもらえない、なんていう中学生でもわかる内容もわからなくなる。
まさに何の役にも立たない冷たい岩、でくのぼうの出来上がりである。
オタク無罪、好きなことに純粋なことはいいこと、他人の感性にとやかく言うな、云々。
twitterで生きてきたような、自分たちを旬の感性を持った若者にカテゴライズしてる老害に片脚突っ込んだオタクにとっては「オタライフを充実すること」は正しい生き方であり、何物にも邪魔され得ない絶対の権利なのだろう。
ご多分に漏れないオタクであるうちの姉はアラサーではない。アラフォーである。
子供のいる方ならもう子供が中学校卒業することも珍しくはない。
まあ自分も子供はいないし、オタクコンテンツも嫌いではない。でも、姉のそれにはつくづく辟易としてしまう。
他人の作品を恋愛妄想が捗るかでしか評価できない。寝ても醒めてもカプカプカプカプ。毎日毎日自ジャンル語りに、自分のカップリングの萌え語り、自カプの別カプに対する正当性主張、ジャンル友の話、神と仰ぐ同人作家の話、そして対立カプや自カプ内解釈違いの敵がいかに痛くて頭が悪いか、みたいな話をずっとずっとしている。
製作者がなんらかのテーマや技術や誇りを込めて作ったものからどんどん乖離していって自分たちの狭い世界で作り上げた密室内のニチャニチャした作中に存在しない恋愛関係をもて遊び、それで自己完結してるならまだしも、挙句の果てにだんだん興味が作品そのものからジャンル内の人間関係でマウント取れるかどうかに興味がうつり、それでいて閉鎖的な人間関係に自家中毒を起こしてジャンル友の愚痴を裏で垂れ流す、そんな世界のどこに美しさや理想が存在するんだ?と思う。
何より、もう中年に差し掛かった人間がいくらなんでもここまで幼稚でいいんだろうか。中学生と話してるみたいだ。
思えば、姉は昔からずっとこうだった。家族はじきに大人になる、と言ってその状態を許し続け、とうとうここまで来てしまった。
アラフォーでそれはヤバい、けど自分はまだ20代だから大丈夫、とか思う人もいるだろうけど、40代も20代、30代と生きてきた延長にあるにすぎないのだ。
「ア〜〜〜メマ!!」(困った時や追いつめられた時にとっさに放つ一言)※ 「アメマ〜」とは、本人いわく幼児が母親に対して言う「あ〜ママぁ…」が転じたもの、とのことである。『明日があるさ』で稲森いずみが8回連続NGを出した時にこのギャグを放ってハマりのループから救った。
「頑張っとるか〜?」(舞台に現れる時に使用、またVHSの『吉本新喜劇ギャグ100連発2〜野望編〜』のパッケージにもなっている)
「おっさ〜ん、おっさんアホか、アホかおっさん、おっさん、アホかぁ。」
「こら、犬どけ! コン キャンキャンキャン…」 舞台からハケるときに使用される
「パパパパッ、パ〜ンプキ〜ン」(アースマラソンで北米大陸を横断中に開発したと言う)
「かい〜の」(大道具の角・自分の持っている杖などに尻の割れ目をこすりつけて上下運動)
「アヘアヘアヘアヘ…」「アヘアヘウヒハアヘウヒハ…」(アへ語)マネージャーの妻から5000円で購入
「なめなめくじくじなめくじくじ」(なめくじ運動で地面を這う)→「塩かけないでね、粗塩はいやよ」と付け加える。
「血ぃ吸うたろか!」
息子(間慎太郎)が中学生の頃寝ている時、なぜか自分の首ばかりをめがけて刺してくる蚊に憤慨して言い放った一言を、横で寝ていた寛平に伝えたところ、翌日にはそこそこいい感じのフリまで付けてテレビで使っていた(2013/11/10放送分 関西テレビ『お笑いワイドショー マルコポロリ!』より)
「だ〜れ〜が〜じゃ」「ど〜〜してじゃ」「な〜ぜじゃ」(おじいちゃん役のとき)
「お礼のプ〜」(「俺のプ〜」のバージョンあり)
(掴み合いになって、すぐにフラフラと倒れる)(共演者)「おっさん、骨ないんか!?」(寛平)「カルシウム足らんねん」その後、相手の股間を「ピッ、ピッ」とつつく。
「いくつになっても、甘えん坊〜」
「脳みそパ〜ン!」(アメリカでは「ブレインパ〜ン!」として使用した)
「じゅとじゅでにじゅ、あとじゅでさんじゅ」(10と10で20、あと10で30)
猿の形態模写と、池乃めだかの猫の形態模写との掛け合い。めだか猫と一緒にボールにじゃれついたりするが、そのうちにらみ合い、大喧嘩を始める。しかしいつの間にか寛平猿がめだか猫を押さえ込み、交尾を始めてしまう。
暴れているうちにめだか猫と向き合う形となり、2人ともビックリして腰を抜かすパターンもある。
二人のモノマネがエスカレートし、特にめだかの猫マネが最高潮に達しているにも関わらず寛平の方は素に戻ってしまい、一人梯子を外された形になっためだかが恥ずかしさの余り突っ込むというパターンも存在する。
池乃めだかとの掛け合いで、果てしなく池乃めだかの言動を真似し、そのまま以下のやりとりに流れ込むパターンがある。
(めだか)「ちょっと話がある」(寛平)「誰が放し飼いやねん!」
(めだか)「重大な話やねん」(寛平)「誰が10代じゃ!わしゃ60代じゃ!」
(めだか)「えもんかけ(ハンガー)取って」(寛平)「誰が猿公(エテコウ)やねん!」(orモンキー)
(めだか)「本気で言うてるんですか?」(寛平)「誰がモンキーやねん!」
(めだか)「またそんな得手勝手言うて…」(寛平)「誰が猿公(エテコウ)飼ってるねん!」
(めだか)「折り入って相談がありまして…」(寛平)「誰が檻に入って相談せなあかんねん!」
(めだか)「本当はええとこの子なんですやろ?」(寛平)「誰が猿公(エテコウ)の子やねん!」
(めだか)「ええとこ連れて行ったる言うねん」(寛平)「誰がエテ公やねん!」
(めだか)「ほんま、品のない顔して。」(寛平)「誰の顔にフンがついとるんじゃ!」
(めだか)「もっと情け深い人やと思うとったで!」(寛平)「誰が毛深いんじゃ!お前、わしの見たんか!」
(めだか)「わけわからへんがな!!」(寛平)「誰がワカメスープじゃ!」
(めだか)「キリがないやろ!!」(寛平)「誰がキリンじゃ!」
(めだか)「いいかげんにせえ!!」(寛平)「誰が胃が痛いねん!!」
「月は雲間に隠れたし、雨戸も閉めたしガキも寝た」→「おまいさん今夜もかい?」→「あったぼうよ!」(以上、一人芝居)※本人曰く、中学生の頃に考えたネタ。
「かかかか堪忍な〜」
「チャッチャマンボ チャチャマンボ ヘイ パキューン・パキューン・パキュンパキュンパキュン」(パキューンに合わせて腰を前後運動)(『ファンキーモンキー寛平先生がゆく!』での定番ギャグ)
「しっかりできたらぼさっとするかいな!」(後輩芸人などから「しっかりして下さいよ〜」と言われた時)
井上竜夫も「しっかりできたらうっかりせんわい!」というギャグを使う。
アメママン(アメマバッジのモデル)通常バージョンとロックバージョンがある。
先っちょマン
ホレホレレンジャー「ホーレホレ掘れ」「おったまげったんよー」
引きずり女
十二単姿、白塗りで額に「引」の文字、髪の毛にいろんな物をヒモで結びつけて引きずっている姫。「引きずり女は福を呼ぶ」と書かれた扇子を常に持っている。娘の結婚式の余興で、娘の友人(素人)が引きずり女をやろうと用意していたのだが、寛平は本家本元の引きずり女をお色直し後の新郎新婦入場時に娘の友人より先にやってしまい、娘の友人の演し物は台無しに。本人曰く、「娘に頼まれた」とのことだが、真相は不明。
「フェー」(鼻声)
「ふひは!」(鼻声)
(突然怒り出した後に)「きつく言ってごめんね」
「○○って言った」「○○って言った、言った」→「結構言うのね」
「じいさん、ばあさん、山のぼろ〜」
「オレたちひょうきん族」の「ひょうきんベストテン」に近藤真彦として主演した際、これを叫びながら脚立を登り、足を踏み外して股間を強打したことがある。
「うんばらばー」
「イカルスピークサンシン」(呪文のように唐突に唱える。一瞬で空気を変える力を持つ、不思議なギャグ。大阪ほんわかテレビで登場)
(ギャグではないが、『痛快!明石家電視台』での発言より)「私は今、耳クソが不足している」「うめだ花月から宝塚の自宅まで車で帰ったが、その間ブレーキを一度も踏まなかった」「私は県庁所在地について語れる」、など。いずれの発言もさんまからツッコミが入り(特に耳クソでは大説教された)、エンディングコーナーの投げ手・すくい手に採用された。
(両乳首を両手で引っ張って)「乳離れしたくなーい」
(両手を肘から前に出し、機関車のように前後して)「ぐぐかか、ぐぐかか、ぽっぽ〜」
セリフはないが、右手を頭の上に持ち上げた状態で手先だけを前に倒し、手に不規則な動きを加える。
本人曰く、アルバイトでパワーショベルを操縦していたことがあり、その動きからヒントを得たとのこと(『痛快!明石家電視台』での発言より)。
(手のひらを下にし、顎に当てがって開いたり閉じたりしながら)「ワオ、ワオ!」
吉本興業・名古屋事務所の社員の嫁から5,000円で購入したネタ(2013/11/10放送分 関西テレビ『お笑いワイドショー マルコポロリ!』より)
なんで世の中、別に二者択一でも何でもない事に対してあたかも二者択一かのように語る人がこうも多いんだろうな。
「戦争はいかに悲惨かなんて話ばかりをしていてもしょうがない。戦争とはどのようなメカニズムで発生するものなのかを分析するとかそういうことをもっとちゃんとやってかないと、戦争をなくすなんてことは永遠に実現せんのでねえの」
…とか言うけれど、
「戦争とはどのようなメカニズムで発生するものなのかを分析する」
って、別に問題なくどっちも出来るじゃん。どっちもやればいいよね。なんで片方をわざわざ否定する必要が?
「フェミニストは二次元を叩くよりも現実の児童を守れ」とか言いたがる表現の自由戦士もそうだけど
二次元を批判する事と現実の児童を守る事は別にどちらか片方しかできない訳ではないので両方できますねっていう。
あと学校の授業で戦争へと至るメカニズムなんて、言われるまでもなく既に分析されてるんじゃ?
自分も中学生の時の歴史の授業で第二次世界大戦へと至る各国の政治経済情勢やその後の反省とか、かなり詳しく分析させられた記憶があるし。
大学入ってから6年くらい個人指導や塾講師を中学生や高校生相手にやってたけど
一度も人を殺してはいけない理由について説明した事なんて無い。
「こんなの習って何になるの?」系の質問は定番のように聞かれた事はあるし
「ビッグバンが起きる前には宇宙には何があったの?」みたいな授業とは関係ない質問も結構された事もある。
だから自分が教えてきた中学生や高校生は人を殺してはいけないのが何故なのか分からなかったら聞いてきたと思う。
人を殺してはいけない理由に彼ら彼女らなりの答えをちゃんと持っていたと思う。
だからこそネットで人を殺してはいけない理由を考察してる人達はあくまで自分の疑問として考察して欲しい。
中学生や高校生はそういうのを分からないからちゃんと説明してあげないと…みたいな上から目線で考えてるなら
一刻も早く態度を改めて欲しい。
経験ですらなく頭の中にしかないの?百単位の子供と関わることが多い職業で、ってならまだ説得力あったけどね
データをバカにできるほどの経験もなしに何を誇ってるんだろう?
どうせネットで見かけた真偽不明の子どもたちの話からイメージ膨らませて言ってるだけなんだろうけど、そういう情報に踊らされるのは中学生までで卒業しなきゃ恥ずかしいよ
学校でクソみたいな校則あるでしょ? 今の時代になんでこんなのやってんだ、みたいなの
あれがなんで無くならないかをここに書くよ
例えばよくやり玉に挙げられるツーブロックとか、正直ね、若い教員はみんな別にそれくらいいいって思ってるよ
じゃあなんで無くならないかというと、地域がそれを許さないんだわ
近所のおじさんとかおばさんとか、主婦層とか、その学校に子供を入れようとする小学生や中学生の保護者がそれを許さないんだわ
学校が強権的に校則で押し付けてるってみんな思ってるでしょ? 頭が固いおっさんたちの集団だと思ってるでしょ?
違うんだな~~~ クレーム入れてくる地域の方々(笑)が諸悪の根源なんだわ
制服の着こなしとかも全部そんな感じでね、ああいうのって、その地域が持つ「りそうのこども」を反映してるんだわ
ネットのみんなは、学校教育について、さも何でも知ってるように偉そうに物申すよね
分かるよ~ 小中高って、12年間過ごしたもんね 12年もいれば色々見えるよね
はい残念、そんなことはないよ
10年近所のコンビニに通ったとしてさ、そこの店員さんが裏でどんなコトしてるかとか、給与形態とか、レジと品出し以外の仕事とか、あんまり分からないでしょ? コンビニで働いたことないから
学校もそれと同じ 下手にみんな長く過ごしてるから、分かった気になってる人ばっかり
学校はね、地域に根差しているんですよ~ これは、よくも悪くもね
例えばさ、放課後に街の公園のベンチでいちゃついてる高校生がいたら、制服から特定されて学校に苦情の電話くるんだわ
どんな教育してるんですか? 恥ずかしいです しっかり指導してください はい、お決まり~~~
知らねーんだわ、そんなの 下校した後の行動なんて、ぶっちゃけ、家庭の躾の問題なんだわ それが当たり前のように学校に届く現状がおかしいんだわ
制服の着こなしもそう
髪型もそう
素行もなんでも
全部全部、地域が目を光らせてて、煩いおっさんや井戸端会議大好きなおばさんの目に留まると、すぐクレームが飛んでくるんだわ
そんなことに毎日のように追われてる先生たちがいるんだわ、日本中に
たまにさ、校則なんてなくていい、生徒が自由に選べばいい、自主性~~~~~ とか言ってる人いるけど
それはね、多分、君がほどほど上流階級で生きてきてるんだよ
地方の田舎の学校は、すぐ動物園になるんだよ ちょっと目を離すと猿山なんだ
そんな集団を手っ取り早くそれなりにまとめて、地域からの面倒なクレームを減らそうと思ったら、校則で縛るのが一番早いのね 超効率的
刑務所みたいって思った? 軍隊みたいって思った? それが正しいと思う 日本の集団教育はまさにそれがベースで成り立ってるよ
学校が治外法権とか言うでしょ? まさにその通り そうするように、地域が求めてるんだよ
学校に苦情が来て、教育委員会に苦情が来て、保護者の間に噂が広まれば評判が悪くなって入学者も減る(今は小学校だって選べるしね~)
クソ校則って、その地域にある、素行への感覚が明文化されたようなものなんですよ
みんな、子供たちを取り巻く環境を変えるには、まず学校からって思ってるでしょ?
社会に出る前に学校が先にあるから、最初が肝心ってみんな思うよね?
社会全体が前時代的な価値観を変えていって、それから何十年もして、価値観を変えられなかった頭の固いおじさんおばさんが亡くなって地域からいなくなって、そこでやっと学校の順番なんですわ
ここまでこないと無理なんですよ
たまにめちゃくちゃ改革をする人が校長になってばさっと全部変えることもあるけどさ、あれも地域の頭の固い人からはとっても嫌がられたりするのね
そういう劇的な人がやってこないと根本が変わらないっていうのは、民間企業も同じでしょ? 業界ごとにある、ガンっていうかさ、風習みたいなのあるじゃん
だからね、クソ校則のような学校を変えたかったら、先に変わるべきは大人なの
俺はもう転職したけど、面倒臭い地域の相手をしたくないから教職には戻らない
>その、地域の一部のうるさいおじさんおばさんのクレームをいい大人が処理できずに校則という形で子供に押し付けてるのは何なの?って話なんだが。
一部なんて書いていないんだけどな~~~~ 特に地方はあなたが思ってるよりず~~~っと保守的だよ
残念ながら、おじさんおばさんのクレームの言い方は酷いけど、趣旨は地域の総意に近いことがほとんどだよ
昔ながらの短い髪で、決められた制服をしっかり着てね、放課後に買い食いなんてしないで真っすぐ家に帰る品行方正な学生が理想(笑)なんだよ
自分の会社にもいない? 50代とか、60代とか、今時そんな~ って考え方を、信じて疑わない人
「クレーム処理しろ」って、なに? 仏教信じてる人にキリストの教えを理解させること? こういうのってね、信仰なんだよ、一種の
「ツーブロックは今時めずらしくありません。あなかが古いんですよ」って言って聞かせるの?
「処理」(笑)なんてむりだよ
我が子を持つ奥様方も、あんな不良ばっかりの学校には行かせたくないって思うんだわ
例えばね、ツーブロックが多い学校には、お父さんが若い頃にすげ~剃り込み入れてたようなヤンキー親子が集まるんだわ 傾向として 嫌な保護者は避けるから
それでね、義務教育の中学はともかくさ~ 公立も私立も、高校は少子化ですごく厳しいのよね 上の人はどうやったら入学者が増やせるか頭ひねってる
お客様のご機嫌を損なうと、受験者とか入学者とか減って、定員割れを起こすんだわ