はてなキーワード: タレントとは
大阪市内で維新に入れなかったけど、肌感覚はだいたい同意できる。
はっきり言えば、この増えた維新の票は全て吉村票と言っても過言ではないレベル。
というか実質タレントだった橋下徹が創った党だから、根っこからマスコミを使って世間を動かす政党として動いてる。
コロナが始まって以降、維新としては吉村しかほぼ出してない。松井もチラホラ見るけども、基本吉村府知事に一本化して対応した。
同時に常に発信し続けてたので、何かしら動こうとしはしたのはわかる。
イソジン会見のように早合点する事もあるし、下手な方向に行った時のダメージは大きいけど、発信続ける姿勢は変えなかったのもまあ大きい。
(データは特にないけど、元々イソジンに忌避感ない層が多かったのも効いてると思う。一応医療関係者つけてたしイベルメクチンみたいな事言い出さんだけかなりマシとも言える)
日和ると選挙的にも維新としての姿勢としてもマイナス印象が出る。そういうのもわかって動いてる。
終わりの方とは言え、忽那先生持ってきたのはそこそこプラスだった印象もあるし、今年夏以降は大きく問題起こさなかったのもまあ効いてると思う。
最低限、浮遊票を抑えて来たように思うし、それを潰せるほど自民側の関係者が動いたようには感じなかった。
実際自公の人間がここまで発信出来たかと言うと、それは無いだろうなと。
逆に言えば、支持は吉村だけであって、維新としての評価ではないこと。
国政選挙に出たところで、結局そのマスコミ力を行使できてるのは府知事市長だけ。なんなら松井に関して言えば最近引っ込めただけ若干マイナス気味か。
行使できてるマスコミも関西広域局がメインなので、発信対象も広く見ても関西のみと言っていい。
これが関西以外との温度感の差でもあるし、そりゃ関西の外出れば人気もない。多分わかってると思ってるけど。
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そんなわけで、維新が伸びたのは当然かな、という印象。
ちなみになぜ自分は維新に入れなかったか?というと、方向性間違えやすい事も大きいので、国政としては良くない。
病院削減については橋下徹も後に反省していたけども、結局その反省は元から読めてる部分ではあったはず。
それでも続行したのはやはりそのほうが人気も出るし、実際功績となったから。世間が愚かな判断したときもそっちに言ってしまう。民主主義だからそりゃそうでもあるが。
新自由主義160キロストレートを投げ続ける維新がなぜこんなに強いのか、ネットの言説で自分の肌感覚と合うものがなかったので言語化してみたい。
①今回なぜ維新が強かったか? →答え:吉村知事(「吉村はようやっとる」)
③維新の今後は?
この順に書いてみる。
大阪では、演説をすれば満員の聴衆。兵庫県ですら、三宮にくれば鈴なりの人だかりで老若男女スマホを片手に見物をした。そして吉村知事が去ると、大方みんな解散。これは選挙特番でも取り上げられた事象だ。
なぜこんなに人気かというと、答えは簡単でテレビにたくさん出ていたからだ。
コロナ禍において、とにかく関西では彼を目にする機会が多かった。中でも10チャンネルの「かんさい情報ネットten」という夕方のニュース番組の影響は大きいという肌感覚がある。中谷しのぶさんという女性キャスターがメインで、関西では人気がある。中谷さん自身は非常に聡明で、物腰柔らかくスマートに番組をまわすので、見ていて安心感がある。各コーナーも吉本の芸人などが関西の情報を取り上げていて名物化しているものも多く、関西では夕方はとりあえずこれという家庭も多いはずだ。
この番組に吉村知事はたびたび登場した。そうでなくても、吉村知事の記者会見は毎日取り上げられた。関西の番組なのでこれは当然である。番組に登場したときも、吉村知事はマスクや手洗い、外出自粛など、ごくごく常識的な内容を一生懸命発信していた。そう、彼は発信力が高いのである。
他の地域の方からすると、全国最悪の事態を招いたのは、他ならぬ維新ではないかと思われるに違いない。実際、維新の新自由主義的切り捨てによって弱体化した医療体制等々により事態が悪化したり、吉村・松井両氏による無計画な雨合羽集めで現場が疲弊したり、あの有名な吉村イソジン発言など、どう考えても頭がイッたとしか思えない場面が多々あった。
しかし、多くの大阪府民、関西圏の吉村知事に対するイメージは、上記とは少し異なる。吉村知事は、ずっと前線で必死に情報発信し、今できることをやり続け、分からない中でとにかく行動をし続けた、そういうイメージのほうが強いだろうと思う。
それは、東日本大震災のときの枝野官房長官に似ている。あの時の枝野氏は、明らかに寝不足状態の目で脂汗を浮かべながら必死に情報発信し、わからない中で誰よりも必死にやっている様子が伝わってきた。一時「#吉村寝ろ」がネットで話題になったように、そのへんの府民、関西人を捕まえて話を聞けば、吉村知事は何かよくわからないがとにかく頑張っていた、それはもう菅首相や西村さんやあんなのよりずっと必死に動いて頑張っていた、という感じのイメージを語る人がマジョリティだろう。
いや、その事態の悪化はかなりの部分、維新が招いたものだろう、とあなたは言うかもしれない。しかし、東日本大震災のとき、政府や菅首相の対応にまずさがあっても、誰よりも必死にやっている枝野官房長官の誠については多くの人が信じたように、吉村知事の誠についても多くの府民が共感を覚えたのだ。実際、イソジン発言など明らかに頭がイッた、さすがの多くの関西人も「ワオゥ…」と思う場面はあったにせよ、確かに、吉村知事が本気で府民に訴え、情報発信し、駆け回っていたことは間違いない。その多くは少なくとも菅首相の死んだようなメッセージよりは多くの人に届いていた。むしろ政府との対比で吉村知事が頑張っているように見えた。忽那賢志が阪大教授にやってきてからは、ブレーンとなった部分もあったのか、かなり適切に発言していたし、無理を承知でもとにかくやれることをということで野戦病院みたいなことをやると表明したり、アレな部分はあっても実際頑張っていた部分も大きい。
維新が勝ったというより、吉村さん=維新のほうがずっと政府、自民より頑張ってくれてるやん、という感覚の人が多かったのだと思う。
その昔横山ノックが勝ってしまったように、橋下徹が圧倒的に強かったように、タレント的知名度、人気があれば、一気に波に乗る。これは別に大阪以外でもそうだとは思うが、今回の吉村さんにはそうした強さがあった。それがもう、今回の圧勝の最大にして唯一の理由だ。
この背景には、お上が嫌いという大阪の気質もあるように思う。まずはやはり、東京は好かんという、わしらはわしらで大阪やという意識は、陰に陽にいろんなことに作用しているように思う。しかしそれに留まらず、何もせんと偉そうにだけしているお上は気に食わんというのは、多くの一般府民のもつ感覚で、それは大阪府や大阪市の役所にも長く向けられてきていたものだった。大してなんもしてないくせに、金ばっかり無駄遣いして、偉そうにして、なんもわしらのこと考えてくれへんやんか、あの役人どもは、というわけだ。そして実際、確かにその通りである部分は多かったのだ。
そこへ維新、橋下徹がやってきた。大阪府、大阪市の役人は無駄遣いばっかりして何もしてくれへん、徹底的にそれを叩き直そう、無駄をなくそう、偉そうにしてるだけの時代はもう終わりや、そういうメッセージを発した。これは強かった。確かにそれは新自由主義になる。しかし、そのへんの大阪府民をつかまえて、新自由主義について説いたところで理解されるだろうか? 橋下さんはやりすぎなとこもあるけどな、ほんまによう頑張って戦ってくれよるで、今まで役人は偉そうにしすぎたんや、そういう答えが返ってくるのが関の山ではないか。維新はようやっとる。
そこへ、数日前に維新がツイッターであげたような画像がくると、それは府民にウケる。確かに10年前の大阪城公園なんか、閑散としていた。今はカフェなどもたくさんでて、とても賑わって楽しい場所になった。こういう目に見える、ウケる政策を打っている。それは確かにポピュリズムだ。しかし、古い政治や自民はそういう草の根レベルで、確かに自分達のために動いてくれている、と多くの一般人が感じることをしてこなかった。維新になってようなった。
松井代表、吉村知事、維新にはみんな、上記のようなイメージが重なっている。それが今回の圧勝の背景にある。
では最後に、③維新の今後について、つらつらとできるだけ短く書いてみたい。
ここまで維新の人気ぶりを書いてきたが、しかし、だからといって大阪府民が諸手を挙げて全肯定しているかというと、そうではない。ここは大事なポイントだ。大阪都構想は、二度までも住民投票で否決されているのだ。
あれは、「ようわからんけど、大阪全部かえてまうのは、いくらなんでもやりすぎやで。そんなん、意味あんのかいな。やりすぎちゃうのん、知らんけど」と多くの人が感じたからで、維新のやることを何でもかんでも大阪府民が肯定しているわけではない。
自民以外に入れたくない保守層が、維新に流れた面もかなりあるだろう。自民にお灸を据えたいと思ったときに、維新は外交政策などがわりとしっかり保守なので安心して入れられるのである。
あるいは無党派層の中のリベラル寄りの人たち。立憲民主は共産と組んでてどうんだろう、しかしれいわとかは行き過ぎやしなぁ、とぼんやりと思っていっる層も、上記の①のような印象があると、まあ維新頑張ってるし自民に入れるのはありえないし、今回はいっぺん維新伸ばしとくか、となるパターンもわりとあるように思う。
では、自民や立憲民主などが、維新をおさえようと思ったらどうすればいいのだろうか。
兵庫県知事は、長らく井戸敏三というお爺さんが20年に渡り務めていた。この人は、ずっと与野党相乗りで、知事選なんてあってないようなもので、兵庫県民からすると選択の余地がなかった。まあ特に大きな失政や反感もなかったので、長らくまあいいやという感じだった。
端的にいうと、この井戸さん、菅首相や政府と同じだったのである。何も対応しない。何もせず偉そうにして、やることといえば吉村知事の悪口ばかりだ。多くの関西人からはそういうふうに見えた。実際、行動は遅かった。挙句、任期終了が迫っているのに公用車にセンチュリーの購入を決めたりして、お前が最後にええクルマに乗りたいだけちゃうんか、という多くの反感を買った。
そして知事選。
井戸さんの後継者が自民公認となった。しかし地元の自民党市議会議員、県議会議員や後援者たちは、井戸さんの後継者では勝てないと肌感覚で実感していた。だから別の候補者をおそうとした。しかし自民党本部に潰されて、遺恨が残った。ちなみにその遺恨から、今回兵庫1区ではその地元自民の人たちが無所属で候補をたてて、地元の支持団体などがそちらに流れた結果、毎回接戦だった自民・盛山さんが大きく負けて、盛山さんと勝ったり負けたりりだった立憲民主・いさかさんが余裕勝ちしている(これには立憲・共産の選挙協力もあるが)。
とにかく、兵庫県知事選では、もう井戸さんの後継者(自民)に入れようという県民は多くなかった。井戸の後継者なんかが出るくらいなら、維新の斎藤さんのほうがマシや、ということである。若いから色々腐った部分もやる気をもって正してくれそうやし、どうせ井戸の後継者にしてもコロナ対策はぼんやりして動きも遅いままやろう、維新には若干の不安もあるがこの際仕方ない、やっぱ20年もやったら驕りもでるし一般人の感覚も忘れるし腐敗もするんやな、ここは変えなしゃあないな、ということである。
これをみて、兵庫県知事選でまで維新がかった。兵庫県民、お前らもかよ。アホちゃうか。関西はみんなアホなんちゃうか。愚民なんじゃないか。
と言われても、そうとばかり単純に言って終わりにはできない背景があるのである。
下あたりをみて触発されてかいた。
選挙に行きたいと思ったことがない。なぜならリターンが限りなくゼロに近いから。
自分の投票が選挙結果に影響を与えるのは、複数の候補者の投票数が同数か一票差になったときのみ。それ以外は自分が投票しようがしまいが当選する人間は変わらない。
だから選挙に行かない。コストとリターンを天秤にかけてコストのほうがでかいと判断したから。ただ、それだけ。
少し前にかっぱ寿司が半額キャンペーンをやっていて待ち時間が3時間待ちとかになっていた。そんなに並ぶくらいなら、別の日に並ばずに定価で食べたほうがいいと長時間並ぶ人をバカにする人がたくさんいた。非合理的だと。
ソフトバンクが牛丼一杯無料キャンペーンをやっていたときもそうだ。一杯500円ほどの牛丼のために何時間も並ぶなんて割にあわないと、そういった意見の人たちがネットでは大多数を占めていた。
個人的には、割に合うと思った人間は並べばいいし、割に合わんと思った人間はスルーすればいいと思う。まあ、私が思うとか以前に、ある事柄に対して各々が勝手に合理的かどうか考えて、参加するかしないか判断する自由があるなんて当たり前のことだ。
でも、何故か選挙だとこの当たり前が通用しない。なぜか選挙に行かないことが”良くないこと”になっている。
選挙で自分の一票に価値が発生する確率なんて、宝くじの当選確率のようなものなので、そういう意味では投票の利益はほぼゼロである。一方、かっぱ寿司半額キャンペーンや牛丼無料キャンペーンは何時間も待たされるものの、最終的には半額で食事を得るというメリットを享受できる。
なので、牛丼一杯のために何時間も並ぶなんて割に合わないと思うけど、投票という行為はそれ以上に割に合わない行為だと私は思っている。
こういう「選挙は非合理だから私は行かない」という話が出ると、「みんながあなたと同じように選挙に行かなくなったら、独裁者みたいな人が当選するよ?」という人がでてくる。
そんなことにはならない。だって、合理性で選挙に行くか行かないかを判断する人たちは、コストとリターンを天秤にかけて物事を考えているから。みんなが選挙に行かなくなって、自分の1票が選挙に与える影響が相対的に大きくなれば、逆に選挙に行ったほうがリターンがでかいと判断するのでむしろ選挙に行く。
例えば、クラスで文化祭の出し物を決めるときの投票は、自分の1票の影響がでかいので投票するが、全校生徒1000人が投票する文化祭のテーマ決め投票にはわざわざ参加しない、といった感じ。
世間は気軽に「みんな投票しよう」というが、投票という行為のコストは結構でかい。普段から新聞を読んで、政見放送を見て、各党のマニフェストを比較して。エネルギー政策や経済対策について、専門家でさえ意見が分かれるっていうのに、国の将来にとってどれが最適か?を自分で判断しなきゃならない。めちゃくちゃ時間がかかる。
投票するのにそこまでしなくていいという人もいるかも知れないが、そんな安易な気持ち投票するくらいなら、投票しないほうが国のためになると思う。なんとなくでの投票は国にとってマイナスでしか無い。そういう人がいるから、いつまで立ってもバラマキ政策やタレント政治家がなくならない。そういう人が多いから、選挙ポスターは爽やかな政治家の顔写真ばかりで、具体的な政策は一切書いてない。街宣カーは壊れたファービーみたいに候補者の名前を連呼する
「別に投票してもいいけど、投票しないんなら政治に文句言うなよ」という人もいる。これは、何故そういう論理になるのかよくわからない。
「投票する権利」と「政治に意見する権利」はどちらも国民全員に与えられた権利。「投票する権利」を行使した人限定に「政治に意見する権利」がプレゼントされるなんて、そんなルールはこの国にはない。
投票したい候補者が一人もいないから投票しなかったら、その人はその時点で「政治に意見する権利」をゲットできなくなるのか。それとも、白紙投票すればOKなのか。とりあえず、最もマシだと思える候補者を選べば「政治に意見する権利」を獲得できるのか--。そんなルールは存在しないし、あったほうがより良い政治になるとも思わない。
投票の利益はゼロに近い一方、投票のコストは存在するので合理的行為者は常に棄権するはずだが、実際には選挙に投票する人がいる状態を社会学では無投票のパラドックスとよんでいる。
https://www2.rikkyo.ac.jp/web/murase/paper/95vote.pdf
政治に参加する方法は選挙以外にもたくさんある。かかるコストも様々だ。
自分が政治家になるとか、選挙事務所のボランティアスタッフになるとか、投票はもちろんのこと、政治家の意見をリツイートするだけでも政治に参加できる。
政治家になるのも、選挙事務所のボランティアに参加するのも、投票するのも、意見をツイートするのも、全部やる自由もやらない自由もあるはずだし、各々がそれを判断する自由があるはず。
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どんだけ小室圭に執着してんの
もう終わりだよこの国
お前らは「選挙に行け」しか言わないよな https://anond.hatelabo.jp/20211018110917
これ読んでまあわかる~となった選挙行かない26歳だけど、少し自分が行かない理由とは違うのと、これだけ書かれててもなお明後日な方向に説教かましてるブコメも散見されるので書きたくなってしまった。
さて、選挙が近づいてきて連日選挙カーとTwiterの選挙大事だよツイートのバズがうるさい時期になってきましたね。
なんか特にここ数年、若者は自分のために選挙行こう!とか、生活を良くするために選挙行かないと!とか、選挙行かないのに文句だけは~みたいなクソ説教を死ぬほど聞く気がするのですが、
個人的にそういうの全部、なんていうか、不自然だな~と感じていて、その手のことを言っている人がいるとタレントでも知人でもア~・・・って思ってしまう。
この増田の趣旨としては、選挙に行かない言い訳をしたいわけでも、政治や選挙制度それ自体を批判したいわけでもなく
上に書いたような「選挙に行こう!」みたいな発信への思うところを書いております。
あまり詳しいというわけでもないので間違いもあるかもしれない。納得できる論理で、じゃあ選挙に行ってみるか、と思わせてくれる反論がつくことも微妙に期待しております。
以下、選挙行こうよ話でよく使われる文句と、それに対応して増田の思うこと、というかたちでお送りさせていただきます。
・ひととおり公約を読めばどの党も高齢者一辺倒ってわけでもないし、社会保障の皺寄せが若者に来るのは人口構成比にもよるものも当然あると思う
・そも高齢者は自分に得だから選挙に行く、というわけでもなくて、時間があるから投票に行きやすいとか、地元候補者やその関係者との付き合いがあるとか、地域に根付いた人間関係(互助、世間体)が強いとかある。
→人口構成比や細かい政治システムに関係なく世界各国でも投票率は低下傾向があるし、世代間格差が開いているっぽい(軽くググった知識なので古い/誤解かもしれない)。ということは単に現代の若者の生活スタイルや情報収集手段に現行選挙がマッチしてないという事情も少なからずあると思う。
オンラインで投票可能期間を伸ばせば若者の投票率も多少上がるだろうけど、課題は多し。
・あと単純に因果が逆でも成立しない?そのロジックがアリなら、20代全世帯に5万円配りますつって普段選挙に行かない若者票を荒稼ぎする政治家が先に出てきててもおかしくない、気がするのだけど…
・さらにいうとこの論調の危険なところは、本来なら富裕層/貧困層の対立構造として問題視すべき部分まで世代間問題にすり替えてること。
・政治参加方法は選挙だけじゃない。ストライキ、デモ、パブリックコメントなど直接意思を表明できる手段は色々ある。なんなら政治に文句を言う政治批判なんか、一番歴史が長い政治の手段なんじゃなかろうか。
→そも無から選挙権が産まれるはずがなく、普通選挙権を獲得したのは批判や政治運動だよね。
・昔は全員に投票権があったわけじゃない。
→これ本当に謎。昔はできなかったんだから今しないのはもったいない、なんてこと腐るほどあるでしょ。論点がぶれそうだから具体例は出さないけど。
・選挙に参加する権利=恩恵を受ける権利、社会を作っていく権利、というわけでもない。選挙権は、政治上の代理人を選ぶための1票を投じることができる権利以外の何物でもない。
・個人的には投票しないと文句言えないのロジックも飲み込めてない。選挙制とか多数決に納得して投票をした人の方が文句言えないんじゃないの?と思うし、与党に投票なんかしようものなら口をつぐむしかなくなるのじゃないか?
・あとは、少なくとも民主主義の下に論じているのならば投票しない人への排他的な態度は正解ではないと思う
・現状の選挙システムで現実主義な見方をするなら、1票の影響力は正直なところかなり小さいよね。
人口比率による世代間の票の格差があるので若者についてはさらに小さい。まずそこを認めてからなんじゃないの。
純粋に公約を読んで判断して、という個人も当然少数ってわけじゃないと思うけど、業界として票田を持っているとかそういう大きい組織票の殴り合いもあるなか、自分の1票を重いと言い切るのはやっぱ無理あるような気がいたします。しかもみんな同じ党に入れるわけじゃないとなるとなおさら。
公明党がなんで連立与党になってるかとか、なんで特定業界との癒着が発生してしまうのかを考えれば自民公明だよね。
・あと政治に正解はなく、世代とか右翼左翼だけじゃないその人々の立場や価値観で最適解は変わってくるのに単純化(=投票すれば暮らしがよくなる)している風に見えることがとても引っかかっている。
若者が〜の例でいえば、高齢者向けの社会保障分が若者に回されれば社会全体ハッピーなの?という感じ。そんな単純でもないけど。
・これだけ書いておいて元も子もないことをいうと、選挙以外の方法で政治が変わることを期待しているわけではなく、 政治憎しでも選挙憎しでもなくて、「若者は選挙に行こう!」憎し、というのがニュアンスとして実感に近い
どれほど両親から反対されてもボディビルへの熱は冷めやらず、ついには東大を中退。
その後、人の役に立ちたいとの一心で東京医科歯科大医学部へ入学するも、
やはり、「ボディビルを極めたい」との想いが勝り、またしても自主退学してしまいました。
世界選手権目前、過度の減量に散る…
自分の目標を、ボディビル一本に絞った北村の努力量は、これまでにも増して凄まじいものとなりました。
1985年のアジア選手権に出場する時などは、120kmを15時間ぶっ続けで走り抜くことにより、
14キロの減量に成功。見事、アジア選手権・ライトヘビー級のタイトルを獲得します。
その後もキャリアを重ねていき、90年代前半からタレント活動も開始。
『さんまのナンでもダービー』『平成教育委員会』などへ出演し、屈強な肉体に似合わない育ちの良い丁寧な語り口調で、お茶の間の人気者となっていきました。
お前らは「選挙に行け」しか言わないよな https://anond.hatelabo.jp/20211018110917
これ読んでまあわかる~となった選挙行かない26歳だけど、少し自分が行かない理由とは違うのと、これだけ書かれててもなお明後日な方向に説教かましてるブコメも散見されるので書きたくなってしまった。
さて、選挙が近づいてきて連日選挙カーとTwiterの選挙大事だよツイートのバズがうるさい時期になってきましたね。
なんか特にここ数年、若者は自分のために選挙行こう!とか、生活を良くするために選挙行かないと!とか、選挙行かないのに文句だけは~みたいなクソ説教を死ぬほど聞く気がするのですが、
個人的にそういうの全部、なんていうか、不自然だな~と感じていて、その手のことを言っている人がいるとタレントでも知人でもア~・・・って思ってしまう。
この増田の趣旨としては、選挙に行かない言い訳をしたいわけでも、政治や選挙制度それ自体を批判したいわけでもなく
上に書いたような「選挙に行こう!」みたいな発信への思うところを書いております。
あまり詳しいというわけでもないので間違いもあるかもしれない。納得できる論理で、じゃあ選挙に行ってみるか、と思わせてくれる反論がつくことも微妙に期待しております。
以下、選挙行こうよ話でよく使われる文句と、それに対応して増田の思うこと、というかたちでお送りさせていただきます。
・ひととおり公約を読めばどの党も高齢者一辺倒ってわけでもないし、社会保障の皺寄せが若者に来るのは人口構成比にもよるものも当然あると思う
・そも高齢者は自分に得だから選挙に行く、というわけでもなくて、時間があるから投票に行きやすいとか、地元候補者やその関係者との付き合いがあるとか、地域に根付いた人間関係(互助、世間体)が強いとかある。
→人口構成比や細かい政治システムに関係なく世界各国でも投票率は低下傾向があるし、世代間格差が開いているっぽい(軽くググった知識なので古い/誤解かもしれない)。ということは単に現代の若者の生活スタイルや情報収集手段に現行選挙がマッチしてないという事情も少なからずあると思う。
オンラインで投票可能期間を伸ばせば若者の投票率も多少上がるだろうけど、課題は多し。
・あと単純に因果が逆でも成立しない?そのロジックがアリなら、20代全世帯に5万円配りますつって普段選挙に行かない若者票を荒稼ぎする政治家が先に出てきててもおかしくない、気がするのだけど…
・さらにいうとこの論調の危険なところは、本来なら富裕層/貧困層の対立構造として問題視すべき部分まで世代間問題にすり替えてること。
・政治参加方法は選挙だけじゃない。ストライキ、デモ、パブリックコメントなど直接意思を表明できる手段は色々ある。なんなら政治に文句を言う政治批判なんか、一番歴史が長い政治の手段なんじゃなかろうか。
→そも無から選挙権が産まれるはずがなく、普通選挙権を獲得したのは批判や政治運動だよね。
・選挙に参加する権利=恩恵を受ける権利、社会を作っていく権利、というわけでもない。選挙権は、政治上の代理人を選ぶための1票を投じることができる権利以外の何物でもない。
・個人的には投票しないと文句言えないのロジックも飲み込めてない。選挙制とか多数決に納得して投票をした人の方が文句言えないんじゃないの?と思うし、与党に投票なんかしようものなら口をつぐむしかなくなるのじゃないか?
・あとは、少なくとも民主主義の下に論じているのならば投票しない人への排他的な態度は正解ではないと思う
・現状の選挙システムで現実主義な見方をするなら、1票の影響力は正直なところかなり小さいよね。
人口比率による世代間の票の格差があるので若者についてはさらに小さい。まずそこを認めてからなんじゃないの。
純粋に公約を読んで判断して、という個人も当然少数ってわけじゃないと思うけど、業界として票田を持っているとかそういう大きい組織票の殴り合いもあるなか、自分の1票を重いと言い切るのはやっぱ無理あるような気がいたします。しかもみんな同じ党に入れるわけじゃないとなるとなおさら。
公明党がなんで連立与党になってるかとか、なんで特定業界との癒着が発生してしまうのかを考えれば自民公明だよね。
・あと政治に正解はなく、世代とか右翼左翼だけじゃないその人々の立場や価値観で最適解は変わってくるのに単純化(=投票すれば暮らしがよくなる)している風に見えることがとても引っかかっている。
若者が〜の例でいえば、高齢者向けの社会保障分が若者に回されれば社会全体ハッピーなの?という感じ。そんな単純でもないけど。
・これだけ書いておいて元も子もないことをいうと、選挙以外の方法で政治が変わることを期待しているわけではなく、 政治憎しでも選挙憎しでもなくて、「若者は選挙に行こう!」憎し、というのがニュアンスとして実感に近い
選挙に行きたいと思ったことがない。なぜならリターンが限りなくゼロに近いから。
自分の投票が選挙結果に影響を与えるのは、複数の候補者の投票数が同数か一票差になったときのみ。それ以外は自分が投票しようがしまいが当選する人間は変わらない。
だから選挙に行かない。コストとリターンを天秤にかけてコストのほうがでかいと判断したから。ただ、それだけ。
少し前にかっぱ寿司が半額キャンペーンをやっていて待ち時間が3時間待ちとかになっていた。そんなに並ぶくらいなら、別の日に並ばずに定価で食べたほうがいいと長時間並ぶ人をバカにする人がたくさんいた。非合理的だと。
ソフトバンクが牛丼一杯無料キャンペーンをやっていたときもそうだ。一杯500円ほどの牛丼のために何時間も並ぶなんて割にあわないと、そういった意見の人たちがネットでは大多数を占めていた。
個人的には、割に合うと思った人間は並べばいいし、割に合わんと思った人間はスルーすればいいと思う。まあ、私が思うとか以前に、ある事柄に対して各々が勝手に合理的かどうか考えて、参加するかしないか判断する自由があるなんて当たり前のことだ。
でも、何故か選挙だとこの当たり前が通用しない。なぜか選挙に行かないことが”良くないこと”になっている。
選挙で自分の一票に価値が発生する確率なんて、宝くじの当選確率のようなものなので、そういう意味では投票の利益はほぼゼロである。一方、かっぱ寿司半額キャンペーンや牛丼無料キャンペーンは何時間も待たされるものの、最終的には半額で食事を得るというメリットを享受できる。
なので、牛丼一杯のために何時間も並ぶなんて割に合わないと思うけど、投票という行為はそれ以上に割に合わない行為だと私は思っている。
こういう「選挙は非合理だから私は行かない」という話が出ると、「みんながあなたと同じように選挙に行かなくなったら、独裁者みたいな人が当選するよ?」という人がでてくる。
そんなことにはならない。だって、合理性で選挙に行くか行かないかを判断する人たちは、コストとリターンを天秤にかけて物事を考えているから。みんなが選挙に行かなくなって、自分の1票が選挙に与える影響が相対的に大きくなれば、逆に選挙に行ったほうがリターンがでかいと判断するのでむしろ選挙に行く。
例えば、クラスで文化祭の出し物を決めるときの投票は、自分の1票の影響がでかいので投票するが、全校生徒1000人が投票する文化祭のテーマ決め投票にはわざわざ参加しない、といった感じ。
世間は気軽に「みんな投票しよう」というが、投票という行為のコストは結構でかい。普段から新聞を読んで、政見放送を見て、各党のマニフェストを比較して。エネルギー政策や経済対策について、専門家でさえ意見が分かれるっていうのに、国の将来にとってどれが最適か?を自分で判断しなきゃならない。めちゃくちゃ時間がかかる。
投票するのにそこまでしなくていいという人もいるかも知れないが、そんな安易な気持ち投票するくらいなら、投票しないほうが国のためになると思う。なんとなくでの投票は国にとってマイナスでしか無い。そういう人がいるから、いつまで立ってもバラマキ政策やタレント政治家がなくならない。そういう人が多いから、選挙ポスターは爽やかな政治家の顔写真ばかりで、具体的な政策は一切書いてない。街宣カーは壊れたファービーみたいに候補者の名前を連呼する
「別に投票してもいいけど、投票しないんなら政治に文句言うなよ」という人もいる。これは、何故そういう論理になるのかよくわからない。
「投票する権利」と「政治に意見する権利」はどちらも国民全員に与えられた権利。「投票する権利」を行使した人限定に「政治に意見する権利」がプレゼントされるなんて、そんなルールはこの国にはない。
投票したい候補者が一人もいないから投票しなかったら、その人はその時点で「政治に意見する権利」をゲットできなくなるのか。それとも、白紙投票すればOKなのか。とりあえず、最もマシだと思える候補者を選べば「政治に意見する権利」を獲得できるのか--。そんなルールは存在しないし、あったほうがより良い政治になるとも思わない。
投票の利益はゼロに近い一方、投票のコストは存在するので合理的行為者は常に棄権するはずだが、実際には選挙に投票する人がいる状態を社会学では無投票のパラドックスとよんでいる。
https://www2.rikkyo.ac.jp/web/murase/paper/95vote.pdf
政治に参加する方法は選挙以外にもたくさんある。かかるコストも様々だ。
自分が政治家になるとか、選挙事務所のボランティアスタッフになるとか、投票はもちろんのこと、政治家の意見をリツイートするだけでも政治に参加できる。
政治家になるのも、選挙事務所のボランティアに参加するのも、投票するのも、意見をツイートするのも、全部やる自由もやらない自由もあるはずだし、各々がそれを判断する自由があるはず。
さらにタレントでソフトウェアエンジニアの池澤あやかからは「ここ数日、表現の自由と児童ポルノ規制に関する話題で日本共産党が炎上していたが、主張に矛盾はないのか」との質問が出た。
吉良氏は「矛盾はない。ジェンダー政策の部分で言っているのは、子どもに対する性暴力は絶対許さないということだ。児童ポルノも子どもへの性暴力だから許されないということだ。ただし、児童ポルノという言葉を使った表現規制ということに対しては明確に否定している。表現の自由を守り抜くのは当然だし、児童ポルノを無くせば子どもへの性暴力も無くなるという話ではない。どう解決していくかはクリエイターも含めて国民的に議論していくべきだ。具体的には、子どもたちや一般の人たちの目に触れないような場所に置くゾーニングというやり方もあると思うし、“こういう表現は本当にまずいよね”“儲からないよね”という合意ができれば、クリエイターの皆さんも作らなくなると思う」と答えた。
氏の見解が共産党の見解と一致しているのであれば、共産党は実在しない青少年を対象にした二次元ポルノも「児童ポルノ」であると素朴に定義しており、ゾーニング(実際に一部の例外を除けば既に大部分の店舗や商業施設では18禁コンテンツのゾーニングは完了していると思うが)や、児童ポルノはマズイよね(実在の児童を対象にした児童ポルノなら当然であるのだが)、儲からないよね(これがよくわからない、その手の漫画やアニメのニーズを欲求ベースで消滅させる=その手段に民主主義的な合意形成を用いるということなのか?どうやって?)という合意(これ本質的には合意というよりも市場)が形成されることによって、児童ポルノクリエイターの自然消滅を企図している様子だ――このマニフェストを俺は【児童ポルノ自然消滅計画】と仮称したい
【児童ポルノ自然消滅計画】、字面だけ見れば素晴らしい計画の様に思われるあたり皮肉が効いててええじゃないか
俺は震えた、なぜなら俺の命とは陽と血と詩と「さよならを教えて」によって満たされた器に他ならないからだ
この共産党の見解に基づけば、「さよならを教えて」は確実に児童ポルノとして認定され【児童ポルノ自然消滅計画】による滅殺対象にされてしまうではないか
俺にとって「さよならを教えて」は人生のバイブルだ、信仰の対象だ、憲法第20条だ
俺にとって共産党は確かな野党だ、国政の安全装置だ、憲法第25条だ
俺は迷っている、選挙権を獲得して以来常に比例は共産、小選挙区は立憲民主党に投じてきた
俺は第二次安倍帝政以降の自民党政治が嫌いだ、そして資本家も投資家も嫌いだ、ぶっちゃけ資本主義が嫌いだ、ヨハンモストによって物されマルクスが改訂した「資本と労働」を読んで以来俺の自意識は真っ赤に燃えている
だが共産党は今回の選挙において野党第一党である立憲民主党とその他の泡沫政党と協力して候補者を一本化し、政権交代の果ての果てに【児童ポルノ自然消滅計画】の実行という青写真を描いているんだ
俺にとって「さよならを教えて」は共産主義者にとってのマルクスの「資本論」、マルクス&エンゲルスの「共産党宣言」と同等以上のバイブルなんだ
俺の世界にとって「さよならを教えて」は日本共産党よりもよっぽど世界の真相なんだ
日本共産党がもし本当に「さよならを教えて」を児童ポルノ認定するような政党であるというなら、俺は今回の選挙、共産党に「さよなら」を告げざるをえない
イカゲームが世界的に成功しているらしい。内容はカイジやライヤーゲームのようなものらしい。「~らしい」というのはそもそもイカゲーム自体を私は良く知らないし、人から聞いただけの話だからだ。だから私が書いていることが全くの的外れという可能性もあるってのを前提として書く。
もしカイジやライヤーゲームのような、過去の日本のアニメや漫画が描いてきた内容の映画が世界的にヒットしているとしたら、なぜ日本の漫画やアニメの実写化はこれほどまでに成功できなかったのだろうか。例外はあるが、大抵の日本のアニメや漫画の実写映画化はずっと失敗してきた。脚本がまったく原作に乗っ取ってなかったり、設定やキャラがものすごく改変されたり、クソみたいなジャニーズとかの素人演技の役者をつかったキャスティングだったり。おそらく、アニメ・漫画表現→映画に至るまでに設定や原作のコンテンツの改変が免れないところコンテンツの映画化時の理由があるかもしれないし、タレント役者で単純にファンを寄せ付けるみたいな商業的理由、あとはそもそも予算や製作期間が短すぎる問題があるかもしれない。
でもそのような理由があるにせよ、日本のコンテンツとして世界的に輸出できるかもしれない可能性をつぶしていったのは映画業界だ。もし、映画業界がこのような状況を改善し、日本のアニメ・漫画原作のコンテンツが、映画化にして素晴らしいコンテンツができる流れがもし確立できていたらどれほど、状況は良かっただろうか。映画化によりより普段アニメ・漫画を見ない人が映画化によって見るようになって、より多くの人がそのようなコンテンツに触れ、実写化とアニメ・漫画のシナジーが発生するような状況ができていたら...と思うのである。
普段からこのようなことを考えていた分、イカゲームの世界的な成功は、本来であれば、うまくいけばその成功は日本にあったと思うと、ものすごく歯がゆい。日本の映画業界はとりあえず反省してほしい。そして、ほんとに名作アニメ・漫画を実写化することで、名作映画を大量生産できる体制を作るべきだと常日頃感じている。
昔はアニメ関連のグッズも少なく
その中の一つに「ドラマCD」という物があった
文字通り声だけでショートストーリーやキャラソンを歌ってるCDで
で、何回も聞いてると「なんていい声なんだろう」って思うタイミングがあるのよ
俺が特殊なんじゃなく、たぶん昔の声優オタはだいたいこんな感じだと思うんだが…
純粋に演技と声に惚れ込んでいた
今は多分全く違うルートもあって、顔出しのバラエティとかでタレント的に好きになる場合もあるんだろうね
ヒット曲からアーティストにハマるのとそんなに変わらんと思うよ
曲と違って、「アニメ/ゲーム」→関連グッズや番組漁る→その中に声優がいる
って感じだから多少導線が遠いけど