どれほど両親から反対されてもボディビルへの熱は冷めやらず、ついには東大を中退。
その後、人の役に立ちたいとの一心で東京医科歯科大医学部へ入学するも、
やはり、「ボディビルを極めたい」との想いが勝り、またしても自主退学してしまいました。
世界選手権目前、過度の減量に散る…
自分の目標を、ボディビル一本に絞った北村の努力量は、これまでにも増して凄まじいものとなりました。
1985年のアジア選手権に出場する時などは、120kmを15時間ぶっ続けで走り抜くことにより、
14キロの減量に成功。見事、アジア選手権・ライトヘビー級のタイトルを獲得します。
その後もキャリアを重ねていき、90年代前半からタレント活動も開始。
『さんまのナンでもダービー』『平成教育委員会』などへ出演し、屈強な肉体に似合わない育ちの良い丁寧な語り口調で、お茶の間の人気者となっていきました。
栄養失調によるショック状態になって他界してしまった
マッスル北村 どれほど両親から反対されてもボディビルへの熱は冷めやらず、ついには東大を中退。 その後、人の役に立ちたいとの一心で東京医科歯科大医学部へ入学するも、 やはり...