2021-10-27

anond:20211027144022

マッスル北村

どれほど両親から反対されてもボディビルへの熱は冷めやらず、ついには東大中退

その後、人の役に立ちたいとの一心東京医科歯科医学部入学するも、

やはり、「ボディビルを極めたい」との想いが勝り、またしても自主退学してしまいました。

世界選手権目前、過度の減量に散る…

自分目標を、ボディビル一本に絞った北村努力量は、これまでにも増して凄まじいものとなりました。

1985年アジア選手権に出場する時などは、120kmを15時間ぶっ続けで走り抜くことにより、

14キロの減量に成功。見事、アジア選手権ライトヘビー級タイトルを獲得します。

その後もキャリアを重ねていき、90年代前半からタレント活動も開始。

さんまのナンでもダービー』『平成教育委員会』などへ出演し、屈強な肉体に似合わない育ちの良い丁寧な語り口調で、お茶の間の人気者となっていきました。

彼の生涯が突然幕を閉じたのは、2000年8月3日世界選手権に出場するべく体脂肪を極限まで減らした挙句

異常な低血糖状態となり、急性心不全となり亡くなってしまいました。死因は事実上の「飢死」。

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