はてなキーワード: オリンピックとは
オリンピック中止にならなかったね…
https://togetter.com/li/2443173
とあるコレクターが「ゲームやマンガのコレクションを完全無料寄贈してほしい」と大学と政府の人に言われたが断った話
記事の中で「eスポーツは国が税金を投入するほど評価されてるのに、それ以外のゲーム文化は基本的に舐められる」」という嘆きがあった。
当たり前だろ、そんなこと。
経済効果の高い文化を優先するのは自然の摂理であり、eスポーツはずっと経済効果を声高に主張してきた。
業界団体によるロビー活動で高額賞金の大会を開けるようにしたし、ドコモやソフトバンク、レッドブルなど大手スポンサーを引き入れたりなどした。
ただのゲームで終わらせたくない一心で、多くのゲーマーが尽力してきたわけ。
舐められたくないなら、周りから評価されるように働きかければ?
なんかしらんが、ゲームの愛好家の中には世間的に評価されたがらない奴が目立つ。
eスポーツとか言って市民権を得ようとしなくていい、ゲームはゲームのままでいい、みたいな。
そのくせマスコミがゲームを敵視するような記事を書くと、一斉に反発してみせたりする。
ちゃんと世間に認められたい、産業としてゲーマーを成立させたい、
浦沢直樹、田村亮子があわられた時に全く批判せず歓迎するみたいなこと言ってて、「ああ、この人、自分のキャラクターに全く思い入れがないんだなあ」と思った。普通の漫画家なら「オメーみたいな○○がヤワラを名乗るんじゃねえ!」って怒るはず。
あと、ヤワラと田村亮子はキャラクター的に真逆。ヤワラはオリンピックにそんなにこだわってなくて、ジジイにやいのやいの言われて強いので勝っちゃうから出る感じだが、田村は子供のときからオリンピックオリンピック言ってたので全然違う。浦沢直樹ってホント世間におもねるのが上手よね。
最近、『このクラスにギャルはいない』っていうマンガで新キャラ出たんだけど、このキャラがフィジカルおばけ。
どれくらいかっていうと、オリンピックの世界記録を軽く塗り替えるレベル。
「本作はそんなのが出てくる世界観だったんだな」って思って、読んでた時は少し戸惑った。
本作のコンセプトを要約すると「優等生たちが高校デビューのためにフィクション的キャラクターを演じることから始まる青春コメディ」って感じになると思う。
話のノリ的にフィクション的なユルさがあるのは当初からあったけれども、その“ユルさ”がキャラクターのスペック面にもある漫画なんだなっていう。
本作を今後も読んでいく場合、もう少しリアリティラインを甘く見積もらないといけないな。
これは本作が良い悪いとかそういう次元の話ではなくて「甘いものを食べたくはあるが、それがどういったスイーツで、どれくらい甘くて、ボリュームがどれ位あるのかなどを見積もっておかないと後悔するぞ」的な個人の心構え的な感じ。
ちょっと話は変わるけれども、『チンチンデビルを追え!』とかも読む際の心構えを変えないといけない漫画だったな。
下ネタが主題の漫画なのは承知の上なんだけれども、乳とか出てたときは「あ、普通にまろびでる方向性なんだ」って思ったし、最近のエピソードでも「あ、そんなにモロ出していく感じなんだ」って思ったし。
子どもの頃から俺はおかしかった。別に、変な子どもとか言われたことはない。むしろ褒められることの方が多かった。学校の成績はイマイチだったが、運動や芸術の成績はよかった。
自己紹介は必要最小限にしたい。今は四年制大学でスポーツを教えてる。幼少期から柔道をやっていた。中学校の全国大会で結果を出して、スポーツの名門高に進学して、同じく名門大学に進学して、卒業後はパチンコ機器のメーカーに入社(スポンサー契約)してプロになった。
※柔道にプロ制度はない。あくまで「それ」で食ってるという意味。
回想を始めたい。パチンコメーカーの次の転職先を主題に据えて話をする。
新卒で入社した、そのパチンコメーカーとの契約期間は3年だった。最終年度になると、次の道を考えないといけない。一応、次期も残れるだけの実績は出したものの、新しい、次のステージに挑戦しようと考えていた。柔道は、野球やサッカーに比べると現役でいられる時間が少ない。体をたくさん動かす分、選手生命が短いのだ……。
当時は、全日本の強化選手(A指定)だった。合宿にはフルで参加していて、オリンピックに出場する連中とも交遊があった。あの頃は、井上康生が全日本の主将を務めていた。彼が不在の時は俺が副として動くこともあった。ウザいかもしれんが、ちょっとくらい自慢させてくれよ。こういう場で文章を書く機会は滅多にないんだから。
※ところで、この日記はとても長い。ゆっくり読まれることを推奨する。
次のステージについて悩んだ結果、選んだのは……学校の先生だった。大学時代に保健体育教諭の免状を取っていた。いざという時に潰しが効くようにと、大学時代のコーチが勧めてくれた。今でも感謝してる。
どこの学校にしようか思案したところ、やはり地元がいいと思った。出身高校の柔道部の監督に相談したところ、広島県の東の端っこにある高等学校が指導者を探しているということだった。
さっそく面談のアポを取り付けてくれて、その高校の現監督と面会すると、すごく驚いてた。まさか強化選手が高校教師に転向するなんて思ってもみなかったんだろう。
トントン拍子に話は進んで、その翌年度から、俺はその高校の保健体育の教諭(兼柔道部顧問)として赴任することになった。
指導者としてのミッションは『古豪復活』だった。その高等学校は、昭和40年代まではすべての体育会部活がインターハイで活躍していた。
だが、『何か』があって進学校路線へと方針転換し、スポーツ推薦枠を徐々に減らしていったところ……平成に入る頃には、ほぼすべての部活が市内大会ですら勝てない状況になっていた。それでいて、進学校路線にも失敗していた(学内の最優秀者の進学先が広島大~関関同立くらい)。
そんな状況で、柔道部を立て直すのが俺に課せられたミッションだった。正直難しいと思われたが、チャレンジする価値はあると思っていた。
とまあ、そんな経過で柔道部顧問としてキャリアスタートを切ったものの、部内はひどい状況だった。柔道部も地区大会止まりとは聞いていたが、冗談抜きでレベルが低かった。心・技・体以前の問題である。
部員の多くが高校から柔道を始めていたし、運動センスが抜群の子はいなかった。そして、柔道の何を教えても、どれだけ丁寧に教えてもダメだった。心構えは、まあいいよ。徐々にハートを鍛えていけばいい。ただまず、基礎体力の時点で問題があった。
例として、ベンチプレスだと80kgを上げられる子が1人しかいなかった(それは乳首が大きい子で、皆からのあだ名は苗字2字分+チクビだった。当時は高二)。ほかの子は概ね40~60kgといったところか。マトモな高校選手であれば、体重70kgくらいの子でも……ベンチ100kgは難しくとも、訓練すれば半年以内に達成できる。
800m走にしてもそうだ。なんと、150秒を切れる子が1人もいなかった。ゼロである(参考までに、当時26だった俺の記録がほぼ130秒。高校の頃は118秒がベスト)。
こんな状況で、この部員達約15名(+女子マネ3人)を、最低でも中国大会まで導かねばならないという……正直、難しかった。柔道のプロとして言わせてもらうと、不可能に近い。
難しいのはそれだけじゃない。どれだけ心構えを説いても伝わらなかった。なんというか、やる気とかいうレベル以前に、人としての器量というか……そういうのが圧倒的に足りてない。
困難な物事でも、ひとまず取り組んでみるとか、目標達成のために努力を積み重ねるとか、そういう志をもって挑んだ経験がないのでは? と感じるような子ばかりだった。
柔道部の子だけじゃない。学校全体でそうだった。本校は、「中高一貫教育により、6年間を通して自ら考え、自ら動き、目標へと達するだけの力を陶冶できる人間を育てる――」と入学パンフレットで謳っていた。そんな生徒は皆無だった。惜しい子はいたのだが。
校則は厳しかった気がする。月イチの全校集会の後、生徒らが体育館前でクラス単位で並ばされて、髪型や制服など、生徒指導担当の教師陣が細かいチェックを行う。俺の出身校も、服装やマナーは厳しい方だったが、ここまでではなかった。
こちらの高等学校の偏差値は、40~45くらいだった。そこまで高い方ではないが、かくいう俺も、中学や高校のテストは平均50点未満しか取れなかった。里香なんかは14点だったこともある。国語濃緑濃緑すら怪しかった……。
柔道に青春を捧げていた。それ以外はどうでもよかった。勉強の成績は最低だったけど、高校も大学も、ほかのスポーツ特待生と一緒に先生方の温情で卒業させてもらった。
でも、確かにバカだったけどさ。当時、柔道関係の書籍は年に五冊以上は読んでたし、毎月発行の『近代柔道』だって、全ページの隅々まで目を通してた。
何が言いたいかというと、向上心である。たとえ下手くそでも、誰かに馬鹿にされようと、負けまくったとしても、そんなの関係ない。もっと上に行きたい、勝ちたいという気持ち。向上心がない若者に未来なんてあるか。
俺は油断していた。百年以上もの伝統がある高等学校だったら、多くの生徒はきっとポテンシャルがあるに違いないと高を括っていた。見通しが甘かった。
それでも一生懸命に教え続けた。暖簾に腕押しだったけど。指導を続けたのだ。怒りを我慢する場面は多くあった。指導者として悔しい思いもした。
当然、結果は出せなかった。他校との合同練習も、ローカル大会・公式大会の結果も散々だった。おおよそ、彼ら柔道部員はこんな調子だった。
・試合の度に勝敗分析シートを作るよう求めたが、半数は作らない
※ベンチプレス80kgのチクビの子。最後は設備の測定限界の160kgまでいった。
俺のストレスは有頂天だった。我慢できないところまで来ていた。
なぜ、こいつらはやる気がないのだろうか。成績がいいとか、地頭があるとか、機転が利くとか、そういう能力の話ではなくて――"生きる力"とでも言えばいいのか。そういうのがなかった。
ストレスを抱えていた折、ついにやってしまった。あれは秋頃だったか。県大会があったのだ。高三が引退した後、最初にある十一月の新人大会だった。
大会は二日間あって、初日は団体戦予選だったと記憶している。当校の成績はひどいものだった。リーグ戦があって、出場校が4校ずつに分かれて戦うのだが、普通に全敗だった。最初に戦った学校は、数年に一度は全国優勝者を出すほどのレベルだった。全員もれなく数十秒以内に瞬殺された。
チクビの子は、四十秒くらいは戦えていた。対戦相手は、彼と同じ高校二年生で、81kg級のスラッとした体形の選手だった。俺の記憶だと、ケンカ四つでガッチリと組み合った後、チクビの子がバタバタと大内刈りをしかけた。全く効いてなかった。
その直後だった、内股で吹っ飛ばされていた。相手の右脚が彼の股下に入ったのを捉えた次の瞬間、その肉体が空中二回転半して畳にめり込んだ。
ほかに戦った2校も、全国レベルに準ずるところだった。そのうち1校は、毎年安定して県内ベスト4に入る伝統校だった。もうひとつは、偏差値70の私立高校で、全国有数の進学校である。なんと、この学校は週に2回しか柔道の練習をしないらしい。それでいて、団体戦も個人戦も、毎年ほぼ県内ベスト8に入る成績だった。
この2校には、当然コテンパンにやられた!……いいところがほとんどなかった。三部トーナメント行き確定である。一日目の全試合が終わった後、怒りの気持ちを我慢しつつ部員全員に静かな檄を飛ばした。惨めな気分だった。
成果があったといえば、上のチクビの子(T君)が1回だけ勝った。体重も相手の方が重かった(T君は当時85kg、相手は100kg級)。人生で初めての指導者としての喜びだった。
彼は寝技が得意だった――厳密には、運動神経が絶望的だったので寝技しか残ってなかった。寝技には運動神経は関係ない。ほぼ努力で上手になる道ができる。相手と密着している分、計算がしやすいのだ。立ち技だと、コンマ数秒の遅れで技の威力に変化が生じる。
毎日の練習では、何度も何度も得意のパターンを繰り返した。俺が何回抑え込んでも、関節を極めても、締め技をかけても、決して諦めなかった。送り襟締めや袖車締めで落とした(※頸動脈の圧迫で意識がなくなる)回数は50回を超えている。
夏場にあった合同合宿だと、T君が他校の選手に寝技で抑え込まれている時、竹刀で背中や太腿を何十発もぶん殴ったっけ……「どうしてそこで力を抜くんやっ!?」と何度も指導した。
T君はそれに応えた。土中から這い出たばかりのカブトムシとか、成虫になろうとして藻掻いているハナムグリの芋虫みたいだった。精いっぱい、本気で動き回っていた。とにかく、妥協だけは絶対しないように教えた。
振り返ってみると、彼に柔道を教えていた期間は一年半もないんだな。たったそれだけである。ヤツは諦めなかった。妥協することはあったけど、俺の指導に最後までついてきた。
そりゃあ、T君が情けない試合をした後だと、ブン殴ったことが何度もあったよ。鈍くさいし、柔道はボテボテしてるし、平々凡々の才能だった。でも、あいつはスゴイ奴だったよ。柔道を選んでなければ、別の道でインターハイに出ていたかもしれない。
さて。県大会一日目が終わって、部員一同は広島市にある古びたホステルに宿泊することになっていた。ただ、女子マネ×3と引率教師である俺は別のホテルになった。
一応は、監督の意見だった。この3人は一年生で、最初の泊まりなので配慮が必要ということだった。最初の宿泊が、あの年季が入ったボロホステルというのは、確かに……と俺も感じた。
女子マネ3人のうち、2人は双子だった。二卵性だから顔はそこまで似てない。お医者さんのご子息と聞いていた。このうち妹の方(マネ子とする)は、相当マジメな子だった。よく気が利くし、頭の回転が早いし、学業成績は最優秀である。学内では清楚キャラで通っていた。実際、練習前には必ずお茶くみをしてくれる。
ほかの2人にしても、こんな弱小柔道部のマネージャーを半年も続けてる時点でひた向きだと思う。普通だったら辞めてるよ。半年間でほとんど勝ててないんだから。県大会の個人戦だって、誰一人として出場できなかった。
責任を感じていた。柔道部が結果を出せない原因は俺にだってある。それが申し訳なかった。それで、姉妹のうち妹の方だけ、俺の宿泊部屋に呼んで話をすることにした。
この不甲斐ない状況について話を聞いてみると、彼女も思うことがあるようだった。会話をしたのは数十分である。
マネ子は、半分涙を流していた。こんな子がマネージャーで本当によかった。
ところで、俺がいた高校の柔道部は、全国でも上から数えた方が早かった。いわゆるガチのところである。女子マネージャーなど存在しようがない。いや、男子校だから本当に存在しようがないのだが。
気が付くと、マネ子の髪を撫でていた。それから何を思ったのだろうか、そのままグイっと彼女の頭を、俺の肩のあたりまで引き寄せた。変な雰囲気になってた。マネ子は無抵抗だった。左手で胸のところまで引き寄せると、暖かい感触があった。
その子の顎を右手の指先で持ち上げるようにして、キスをした。抵抗はなかった。ベッドの上に押し倒して、後は流れだった。体のいろんなところをキスしながら触っていったけど、本当に無抵抗だった。たまに、俺の肩を猫の手でちょんと押すくらいだった。そのままずっと、ペッティングみたいなことを続けた。
このくらいの年齢の子って、あんまり柔らかくはない。女の子はやわらかい、といった世間のイメージは正しくはない。柔らかいのは大人の女性である。未成年はそこまで柔らかくはない。
などと思いながら、ちょっとずつ服を脱がしていった。その時のマネ子は、体操服のような簡素な恰好だったのを覚えている。すぐに脱げた。
胸は大きくない。でもきれいな形だと思った。お互い、完全に裸になる前に明かりを消した。それから、肢体のいろんなところに触れたり、舐めあったり、くすぐったりした。マネ子は、俺に合わせて動くこともあったし、微動だにしない時もあった。全体的に反応は微かだった。
ひどいことをしている認識はあったが、それでもセックスの相性はよかったと思う。彼女は、最初の方は緊張してたけど、少しずつほぐれてきて、会話をしても大丈夫になった。お互いに唇をすぐ近くまでもってきて、囁くように会話をした。
マネ子は気分が乗ってきたみたいで、行為の最中にいろんなことを言ったり、いろんな体位をやってくれた。最後の方はイチャイチャとしていた。会話を思い出してみる。
「持ってる。財布の中」
「なんで持ってるんですか笑 彼女さんいるんですか?」
「いないよ」
「えー、だってH慣れてるじゃん」
「慣れてないよ。下手くそだろ」
「……ほんとですか?」
「うん、本当」
「うそだー」
「本当だよ」
マネ子にまたキスをすると、態勢を変えて、ベッドの中で真上に乗っかった。
顔を近づけて、両手でマネ子の頬に軽く触れて、しばらくずっと舌を絡め続けていた。舌を抜いた時、彼女がまっすぐ延ばした舌先で唾液がうねるみたいに躍動した。それから、マネ子にまっすぐに乗っかって行為をした。俺はマネ子を知ったのだ。
行為が終わると、この子は暗闇の中で俺の眼をずっと見つめていた。俺はそのままベッドを出て、もう一度、財布のところまで歩いていった……。
次の日の朝、初めてあの子を見たのはホテルの朝食をとるスペースだった。ビジネスホテルよりは少し立派なバイキング方式だったっけ。
マネ子は、別に何でもないって顔をしてた。当時の俺は若かった。罪悪感はそこまでなかった。マネ子は本当に普通の様子で、俺や、マネ子の姉とも普通に会話をしてた。
この子たちとの朝飯を済ませてから、サッとチェックアウトをして、みんなを(広島市内の実家から借りてきた)自家用車に載せて会場に向かった記憶がある。
大会二日目は、これまでの中で最大の成果だった。リーグ戦で全敗した関係で、三部トーナメント行きになったのだが、なんと……ここで優勝してしまったのだ!! 嘘ではない、事実だ。ノーシードからきっちり4回勝って、優勝トロフィーを手にした。
T君が活躍したのもあるが、ほかの選手も本気で頑張っていた。あれだけ練習したというのに、リーグ戦での完全敗北が響いたのだろう。心に火がついたといっていい。三部トーナメントの出場校について、選手の半分ほどが白帯だったのもある。
柔道の場合、一試合の時間が野球やサッカーといった団体スポーツに比べて短い。試合に必要なスペースも100㎡以下である。このように、各校の試合回数をできるだけ多くする配慮ができるのである。
ここでいったん切る。
次です
「一日に煙草を一年間吸い続けると」君には躾が必要だ。そこにベンツに昇り降り-ボをしてい続けるといずれ、ところで僕あのーにんにく酸っぱいの好きなんですよ分かります?究極の至宝美体にバッア肘がグネクネし事件と民が迷宮入りと思わたっていたでしょとしていたら、無意杉にメリーゴ区ランドがそこには露わに引ん剝きなされていたのが、いつしか大体そこに止まない雨がないと言われがちですが、実際は何とも言えないなぁ…これ…何とも言れないなぁ…相容れなれないなぁ…そういうことしている間に試合は最初う局面を迎入れいようとしています。時々ロシア語でボソッと天照(アーティスト、作曲・編曲は、Ktsh a.k.a 世パ弥。「a.k.a」は「こと」という意味であり、世パ弥ことTashootMANIAという意味になる)をNNするいやロシアに太鼓の○人ねーよ!!(訂正調べたらありました)する、をする日記やVlogを始める方が急増中ですが、皆んな様んは天気が良いですか。!注意!これから先、日焼け止めを飲まなれれば、深淵が闇を覗くとき、深淵が世界に公開されるため、発言に気を付けマシおTVがスマホを激突盆栽を刈る、99歳は還暦を全年迎え、抵抗は空しいぞ。辞めてくれ。其んな顔で僕を見るな。僕は、ベンツに乗っているんだよ。ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア(ベンツが爆発する)すいませーんダイハツ売ってるって聞いたんですけど(2台目購入)お客さんこんにちはすいませーんこここんにちはーあのー店員さん今(76573台目購入)デビッドカードが売り着て!?駅のビビシビックビジョンの恥ずかしい所の部活動、略して恥部にがボリボ所属して5年目だが、全国大会行けないなぁ…全国大会行くないなぁ…行きたくない。貴方映画館に行きない?ブブーッ(正解の音を裏から表に掛けて)たまには電話ちょうだいよ?横花火に気を取られていた俺は、背後からの気配に笑いに来たバージンロードに耳を澄ませ…SEIKIN TV…た俺は、背後からの花火に五月かなかった!、2020束京オリンピックは、OSUSOWAKE右にもか左にもか、シカノコノコノコンタンタン、カニカニフェス確証を得られぬまま、事件盲銘に尾の分け目という諺ップにもあるように、「メークイン装飾の弁当が」地味地味邪魔邪魔UMIGURIサバ女子サブリミナリズムうんぬんかんぬんックス(幻の四十九手目)りたまえ!ベースを横取りする境にハイドリデーショキニクス。僕には、呆れたよ(錯乱)。ク。サービスショットの裏には影むな棍あが人知れず…例えば、たまには正面から来たらどうだ?あれ!?上にも縦にも伏兵が溝んで…一体こどうすれな…「任せろ!あ、あなたは!SEIKINtTV!?」さ」て最近は花も一片舞い落ちる便利な世界、貴方と一緒に箱詰を望む女子がマッチングアプリですぐ待っています。今すぐ大好評アダウンロード!7800連ガチャ無料!(そんなに回すのだるいよ)あ、君さ、今、(そんなに回すのだるいよ)と思ったでしょ?心を読むんじゃないよ。セブンイ○ブンじゃないんだから。でも右目を開けたら次は左目を開けて。「はい…」そしたらいややい何んに何してんの!う?凄いでソイこれが世界の真実さ。こればいーっしんだけどね、共有ボタンんを押したね。聖闘士星矢の成人向け同人誌、聖闘士星矢ーンえっち「しょうもねーこと言ってんじゃなたは!SEIKINyTV!?スュ」午前0時と8時と9時に僕は毎晩、あの日のことを思い出す。「そんな日もある」とは言うけど、「そんな日」を繰り返し、気づいたらドン底の人生の成人向け同人誌、気づい矢ーン35ビットのペクリこんにちは!僕は16才だから、もうベンツに乗れるんだ。今日は僕の自慢のベンツヲ紹介スルヨ…あ!注意!エラーが発生しました(メメカバレって興奮するね)。全く…名前を飲んではいけない人、出店で金魚すくいを頼みますよ、非公式でお願いします。「「「「「無修正差分が見たい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」」」」」僕の冒険は始まったばかりだ。でも僕がいないと危なかったよね?大きいデミグラスソースに縄張りを伏し付けて、その人には活躍するが、例えば神っぽいなの作曲者が稲葉曇(以下、稲葉)だったとして、実際に絵をWEB描いているのはいよわとは限らない。そういうこと僕は言いたいんです。リゼロ第4章読みましたか?僕はあの歌好きなんです。世界に不思議は事はたくさんありますが、化学の力であの日僕たちが出会ったので偶然ではありませんでした。いつも横に饂飩をよく噛んで食べ、電車の中には山が住んでいる。誰もが思っている事の一つとして、あべこべにでたらめをかける必要なないと言いますが、僕はやります。たまにトイレでは祖父がきゅうくらりんを歌いながら風と土の属性が咲煌きあう。身体を壊す前に無理をして、実際、参考にして下さい。自ずと道すがらくもありあます。道連れに吐露し、それでいて味わいは艶やか。家具を全て捨て、ガムテープで夜を共にする。(助けてくれこの文章にはヘルデルマが隠ている)朝になれば、ボク気づいたことあってヘッド閑散バリスフィント島が上の方にある。そんな時は立ち止まって、駅構内を走りまわさぬ様に下さい。家系図は5cmで轟き、背中合わせのうまい棒とテニスをする(ファミコンのね。)様起きて下さい!上からむ下から肉ドローン撮影に気を取られ、肉球の淵から煎餅を割ると2ポイント。ここでもある日突然だった、世界が0.4°捻じ曲がったあの日から僕の人生は変わった。重度の脹脛フェチの幼馴染が毎朝髪の毛を抜いてくるのでたまらないのだ。仕方ないけど、今は虫眼鏡の中にあるiPhone55VXXXXSRspecialを遍かねんばならないのだ。散漫を揺り戻す捏徐の如く、息も絶え絶えに戦国時代に広島のミニ四駆を衒った。うっせぇわを歌ったのは加藤浩志ですが、イガクを歌ったのは誰?横断歩道とラジオ体操には右左右に気を和け、悲しみに耳も憚らず、弛んで行くしかない。ウルトラマンが倒すのに29分掛かったカーテンレールを、今打ち砕かれようとしているが、なのは完売キャンディーではない。公職選挙法スレスレの合法紛いを突き進み、得てして獲得して勝利へ導かれたくはないか!?でも夜は危ないから気を付けるんだぞ。…僕はこれから何をされるんだろう?でも満たされているこの気持ち、よしBreakingDownに出場しようそう僕は決意したあの日の夜。でも翌朝になると覚悟は薄れるんですよ分かりますかこの気持ち?中と外で反面グリッパーしていて、ルトラマンが倒すのに29分掛かった。これに耐えられる奴は居ない。任○堂の倒し方知ってます?俺は知ってますよと言いながら、七夕に御節を作る。卵から産まれた人間は土に孵るから一緒に楽しもう。こんな事にもある、まあ楽しんだ者勝ちだから道を開け、生ごみを見るようなセンテンスが僕等を待って居る。けども金網をも凌駕する、100さ。海に誘われ、口からが本番だ。舌を鼻で笑い僕んっヤバイ衝撃がマラソン中。でも邪道さの中に正統派があるけど、いつになったら脱出できるんだろう?こっちは巨大娘で真剣に真剣しているのに進撃の巨人だDoDラスボスだ等と言われては腹が立つため真剣して来る。ありがとう!優勝者には意味が贈呈されます!あぁ良い気味ながら、世界一にお金持ちになって気分は如何かな?でも我慢できないから網羅しました(世の理を)。多いなるカには責任が多い僕でもコップを落としてしまうのだから、きっとティッシュを使い切った頃には5cm増えるし、株主を観衆の前に晒す慈しみは想像もでき無い。飽くまで正々堂々と白昼に広げようと言っているのだから、或いは間るも良し。どうしてもと言うのなら、肘と膝が一体型のセットは如何でしょうか?お役くしておきますよ。(こいつ偶に冴えた事を言うから侮ない…)それに貴方はお目が高いの、別室で尻がデカいと知ったら喜ぶでしょうね!セイクリッドルインが待ち受け画像に乱れ、ハッシュド洗米を独り出る血相を変えてまで、必要はあったのだろうか…
俺の嫌いな人種を一言で表現すれば「自分の中にある謎の基準をもって、他者の基本的人権を足切りしてもいいと考えている奴」だったんだと思う。
勉強のできるスポーツマンで人当たりも良い、出木杉英才型の人間。
通信簿は5が並ぶものであり4があったら調子が悪かった証拠みたいな人種。
本物の出木杉英才との違いは「平均点を取るのって苦手分野だと大変だよね。だって平均点だもん」という感覚が欠落していること(むしろこの感覚を小学生で持ち合わせてそうなアイツはなんなんだ……)。
上司自身も「得意分野と比べれば結果が出にくい分野」はあるようだけど、それでも「頑張れば平均点ぐらいは簡単に超える」という程度らしく、「凡人にとっての苦手分野とは平均点を取るのでさえ半端じゃない努力をもってなお不可能でさえある」という感覚が理解できないらしい。
その上、上司自身は今の仕事と相性が結構いいらしく、上司の中にある「ちゃんとやってればこのぐらい」のラインはかなり高い所にある。
つまり、大部分の人間が上司から見れば「ちゃんとやってないから結果が出てないゴミカス」として扱われてしまっている。
上司は自分が認めた一部の片腕のみを味方として扱い、その他大勢の部下は「余計な仕事を増やす敵」とさえ思っているであろうことが、日夜上司の前で誰かしらが説教を浴びているのを見る限りは間違いなかろう。
上司は何でも卒なくこなす能力により「令和の時代において許されるラインの説教」を見極め、許される程度のレベルで説教をしているから私を始めクソ雑魚部下集団も訴えようという気持ちにはなっていない。
だが、そこに明らかな見下しがあり、「もしも時代が時代なら、もっと容赦ない勢いで「敵への攻撃」が行われ、我々はメンタルを壊していただろう」という感覚を持っている。
このタイプ、人類全体で見ればそこそこ利用価値はあるんだろうが、個人的にはかなり「ナシ」な部類だ。
だって相手に対して「同じ人間」とか思って無さそうなんだもの。
単に「法律で決まっている」とか「テレビでやってた」とか「今はパワハラって駄目らしい」とか言うのを知識として持っているだけで、我々のような下級人間に対しては「人権」や「人格」なんてものは本心では認めていないことは日々の言動から容易に垣間見える。
自分の中にある「これぐらいのことも出来ない奴は、カスだから人間とみなさなくていい」という線引きによって相手の人格を「法的に許されるラインまで」は切り捨てていいと勝手に決めつけてくるのである。
特定のタイプの人を悪く言うのではなく、ちょっとやそっとのスキや何らかのトレードオフの結果さえもひたすら「コレが駄目」「アレが駄目」と否定しまくる連中だ。
アナウンサーのちょっとした間違えに対しての揚げ足取りを何分も続けたり、高校球児のエラーに対してまるで馬券が外れたあとのウマカスのようにあれやこれやとなじり続けたりするタイプだ。
こういったタイプの連中はどこにでもいるし、特にXや5chなんかはそういった連中がエコーチェンバーを形成して恒◯教のような物さえ形成している。
彼らはすぐに人を叩いていい認定してはネチネチと粘着を繰り返すが、その認定基準はあまりにも粗雑だ。
ただ、そこに薄っすらと見えるのは「何らかの部分に落ち度があった」というある種の実力主義に近しいものだ。
「ワクチンを打つ奴らは情報収集能力に落ち度がある」とか「オリンピックで結果を出せない奴は愛国心に落ち度がある」とか、その場その場の基準によって何らかの「合格ライン」のようなものを設定して、それを下回った相手を叩いていいと認定してくる。
上司のような完璧人間と、井戸端おばちゃんの如き悪口人間、タイプとしては結構な違いがあるんだが、俺は本当にどちらもを嫌っている。
この両者に共通しているのは「俺(達)の頭の中にある基準によれば、お前は基準を下回っている → だからお前の人権は制限を受けても仕方がないのだ」という俺(達)ルールがあるということだ。
俺は「現代人はみんな人権を持っていて、最大多数の最大人権が阻害されない限りは制限を受けていいはずがない」という価値観を持っている。
その理由は単に俺が自分を無能だと思っているからどんな無能でも人権が認められるこの宗教観を有り難く感じているというだけなんだが、それに長く浸かりすぎてそれを害する異教徒に強い敵意を持ってしまうのだ。
つまり、俺にとっては上であげた二つのタイプのような「俺俺ルールで人権制限」という連中は許し難き敵対分子なのである。
この共通点に気づいた今、俺は迷いを捨てて上司のような「俺ルールで他人を見下して法律で許される範囲で人権制限をかけてくる出木杉の偽物」のようなタイプを嫌うことが出来る。
悪口野郎が嫌いなのは前々から気づいていたが、見下し出木杉については「5人以上の集団ではブリリアントジャークはマイナスみたいな話は聞くけど、ゆーてパっと見だとこういうタイプいた方が仕事は進んでる気がするんだよな」という思いがありどこかで嫌いきることを躊躇していた。
でも今は違う。
俺が敵意を持っている人種であるということがハッキリしたので堂々と嫌ってしまうことにした。
だってここで無理すると心の中にある根底の世界観がバグってしまうからだ。
まあ嫌うというだけで向こうの人権を俺ルールで制限したりはしないけどな。だって俺は人権意識がちゃんとあるちゃんとした現代人だもの。