はてなキーワード: 出木杉英才とは
俺の嫌いな人種を一言で表現すれば「自分の中にある謎の基準をもって、他者の基本的人権を足切りしてもいいと考えている奴」だったんだと思う。
勉強のできるスポーツマンで人当たりも良い、出木杉英才型の人間。
通信簿は5が並ぶものであり4があったら調子が悪かった証拠みたいな人種。
本物の出木杉英才との違いは「平均点を取るのって苦手分野だと大変だよね。だって平均点だもん」という感覚が欠落していること(むしろこの感覚を小学生で持ち合わせてそうなアイツはなんなんだ……)。
上司自身も「得意分野と比べれば結果が出にくい分野」はあるようだけど、それでも「頑張れば平均点ぐらいは簡単に超える」という程度らしく、「凡人にとっての苦手分野とは平均点を取るのでさえ半端じゃない努力をもってなお不可能でさえある」という感覚が理解できないらしい。
その上、上司自身は今の仕事と相性が結構いいらしく、上司の中にある「ちゃんとやってればこのぐらい」のラインはかなり高い所にある。
つまり、大部分の人間が上司から見れば「ちゃんとやってないから結果が出てないゴミカス」として扱われてしまっている。
上司は自分が認めた一部の片腕のみを味方として扱い、その他大勢の部下は「余計な仕事を増やす敵」とさえ思っているであろうことが、日夜上司の前で誰かしらが説教を浴びているのを見る限りは間違いなかろう。
上司は何でも卒なくこなす能力により「令和の時代において許されるラインの説教」を見極め、許される程度のレベルで説教をしているから私を始めクソ雑魚部下集団も訴えようという気持ちにはなっていない。
だが、そこに明らかな見下しがあり、「もしも時代が時代なら、もっと容赦ない勢いで「敵への攻撃」が行われ、我々はメンタルを壊していただろう」という感覚を持っている。
このタイプ、人類全体で見ればそこそこ利用価値はあるんだろうが、個人的にはかなり「ナシ」な部類だ。
だって相手に対して「同じ人間」とか思って無さそうなんだもの。
単に「法律で決まっている」とか「テレビでやってた」とか「今はパワハラって駄目らしい」とか言うのを知識として持っているだけで、我々のような下級人間に対しては「人権」や「人格」なんてものは本心では認めていないことは日々の言動から容易に垣間見える。
自分の中にある「これぐらいのことも出来ない奴は、カスだから人間とみなさなくていい」という線引きによって相手の人格を「法的に許されるラインまで」は切り捨てていいと勝手に決めつけてくるのである。
特定のタイプの人を悪く言うのではなく、ちょっとやそっとのスキや何らかのトレードオフの結果さえもひたすら「コレが駄目」「アレが駄目」と否定しまくる連中だ。
アナウンサーのちょっとした間違えに対しての揚げ足取りを何分も続けたり、高校球児のエラーに対してまるで馬券が外れたあとのウマカスのようにあれやこれやとなじり続けたりするタイプだ。
こういったタイプの連中はどこにでもいるし、特にXや5chなんかはそういった連中がエコーチェンバーを形成して恒◯教のような物さえ形成している。
彼らはすぐに人を叩いていい認定してはネチネチと粘着を繰り返すが、その認定基準はあまりにも粗雑だ。
ただ、そこに薄っすらと見えるのは「何らかの部分に落ち度があった」というある種の実力主義に近しいものだ。
「ワクチンを打つ奴らは情報収集能力に落ち度がある」とか「オリンピックで結果を出せない奴は愛国心に落ち度がある」とか、その場その場の基準によって何らかの「合格ライン」のようなものを設定して、それを下回った相手を叩いていいと認定してくる。
上司のような完璧人間と、井戸端おばちゃんの如き悪口人間、タイプとしては結構な違いがあるんだが、俺は本当にどちらもを嫌っている。
この両者に共通しているのは「俺(達)の頭の中にある基準によれば、お前は基準を下回っている → だからお前の人権は制限を受けても仕方がないのだ」という俺(達)ルールがあるということだ。
俺は「現代人はみんな人権を持っていて、最大多数の最大人権が阻害されない限りは制限を受けていいはずがない」という価値観を持っている。
その理由は単に俺が自分を無能だと思っているからどんな無能でも人権が認められるこの宗教観を有り難く感じているというだけなんだが、それに長く浸かりすぎてそれを害する異教徒に強い敵意を持ってしまうのだ。
つまり、俺にとっては上であげた二つのタイプのような「俺俺ルールで人権制限」という連中は許し難き敵対分子なのである。
この共通点に気づいた今、俺は迷いを捨てて上司のような「俺ルールで他人を見下して法律で許される範囲で人権制限をかけてくる出木杉の偽物」のようなタイプを嫌うことが出来る。
悪口野郎が嫌いなのは前々から気づいていたが、見下し出木杉については「5人以上の集団ではブリリアントジャークはマイナスみたいな話は聞くけど、ゆーてパっと見だとこういうタイプいた方が仕事は進んでる気がするんだよな」という思いがありどこかで嫌いきることを躊躇していた。
でも今は違う。
俺が敵意を持っている人種であるということがハッキリしたので堂々と嫌ってしまうことにした。
だってここで無理すると心の中にある根底の世界観がバグってしまうからだ。
まあ嫌うというだけで向こうの人権を俺ルールで制限したりはしないけどな。だって俺は人権意識がちゃんとあるちゃんとした現代人だもの。