はてなキーワード: にしんとは
私の自称ファン…がいるのですが、その人と触れあうのが、もう本当にしんどい。
各種投稿サイトやSNSも全てフォローされて張り付かれていて、不穏な呟きやにおわせツイートもできないので、ここで吐き出させて下さい。
その自称ファンの方、同人誌もわざわざ通販してくれたりと本当にありがたいんですけど、いただく感想がちょっと斜め向こう側というか「そんな内容書いてないよね?」という、感想をいただくのです。
話を読んでの感想は人それぞれだとは思うのですが…。ちょっと話を読めてないのがすごく気になってしまって。
他の人から頂く感想は話に沿った感想なので、私の書き方がおかしいわけではなさそうなのですが。その人だけ、なんか変な感想なんですよね。
なんというか別に人格否定するような感想ではないんですけど、妙に攻撃的でもらって傷付く感想というか。
あと私は腐女子ですが他にも手広くお話を書いていて、それに対しても感想をいただくのですが…「これは読めないかも」とか「私には合わない」はわざわざ言わなくてもいいんじゃないかな?と思うんですよね。
好きでいてくれるのは嬉しいし、読もうとしてくれてるのも嬉しい。でも合わない、読めないならそっ閉じして欲しい…。
ネットストーカーみたいに張り付かれてるのも本当にしんどい。というか怖い。
キャスとか好きだったけど開始したら秒で聞きにくるのもしんどい。
昔からこういうタイプに好かれることが多くて、こういう人は関係を切ると(SNSブロックしたり…)面倒な感じになることが多いので、切るに切れないのが困っています。
好きでいてくれるのは本当に嬉しいし、同人誌も読んでくれてありがたい。
そもそも私が全部真に受けるのがよくないんだろうな、って思うんですけど…しんどいものはしんどい!
またがんばろう…。
俺はアラフィフの会社員で、少し前に流行ったKKO、キモくて金のないおっさんだ。
金はないと言っても中堅企業の正社員で、贅沢は出来ないが一人で倹しく生きていくには困らない程度の収入はある。
恋人やパートナーはいなくても、打ち込める趣味があるから寂しくはない。
そう思って生きてきたし、キモくて金はないと自虐はしても、正社員で安定してるし、少なくとも最底辺ではないと言うプライドもあった。
しかし最近、40代も後半になり50が見えてきた今になって、急にしんどくなってきた。
一番感じるのは気力と体力の低下だ。
体力は一年ほどの間にガクリと落ちて、疲労を感じるようになった。
気力も低下して、趣味に打ち込む熱意がなくなり、そうすると今まで感じなかった孤独を身に沁みてくる。
それまで内心見下していたのに、結婚して奥さんがいる同僚が羨ましくなった。
遅すぎるのは分かっているが、10年前、20年前の自分に説教して殴ってでも結婚させたいと後悔する。
40歳の時点では二次元の嫁に満足してても、アラフィフになると二次元に夢中になる気力もなくなることを知っていたら、別の人生があったかも知れない。
排便時、特に電車でお腹が冷えちゃった時我慢した後とか、二食とか抜いた後油分の多い物を沢山食べてお腹壊しちゃった時とか、出る前にものすごい身体の血圧の変化を感じる。
変化、と言ってるのは上がってるのか下がってるのか、概念としてわからないから変化と言ってる。体感では下がってると思う。
トイレに座ると段々血圧が変化してぷるぷる震えて冷や汗?脂汗?がじわじわと湧いてくる感覚。
終わった後もしばらくしんどさは続きなかなか立ち上がれない。「ゲッソリ」した感覚になる。明日のジョーになる。個室を出て鏡を見るとだいたい顔が白い(青い?)。クマも目立つ。
5分くらい横になれれば復活するんだけど、症状が出てる時はこのまま死ぬのではないかと毎回不安になる程本当にしんどい。
調べるといきむことで血圧が上がって死ぬ、と言うことは高齢者などでも良くあるらしいが、自分の場合基本は下痢でそんなにいきんでないし、血圧は下がってる感覚なんだよね。
この症状は何か名前があるんだろうか。あと即効性のある薬が有ればSiriたい。
本筋とは逸れるが血圧上がる下がるとか体の状態と日本語があんまり紐づいてなくて、言葉って難しいね。ちなみに27歳で、血圧はどちらかと言うと低い方だよ。
迷走神経反射っていうのか。根本的に改善したいんだけどさっと調べた感じ病気というより症状の名前って感じなのかな?治療法が分からなかった。下痢になる状況を回避するしかないのか…
私はあるバラエティ番組のADだ。ほとんどの人が知っているであろう、有名な番組だ。
そんな私の昔話を聞いて欲しい。
私は高校生の頃、自己嫌悪が酷くて、生きているのにしんどくなり自殺未遂を何回か図ったことがある。
ODやリスカもしてきた。正直、本当に死にたかった。早く死んで楽になりたいと思っていた。
しかし、自殺をしようとするといつも頭に「あ、そういえば来週のリンカーン観たいな…」「明日のめちゃイケの企画、面白そう観たい…」とめちゃくちゃテレビっ子だった私は「あの番組を観てから死のう」と思ってはいつも自殺未遂を繰り返していた。
そして観た後に死のうと思っていても、次回予告を観て「あ、また次面白そう」と思いまた、自分の自殺が延長されていっていた。
そして、そんなバラエティ番組のおかげで私は生き延びており、高校を卒業し、進学先としてテレビ・映像系の学部がある大学にに進みそこで番組制作のことを学んだ。
私は企画を考えることがとても好きで、大学内の企画コンペではいつも上位に入っており、周りからも称賛され「私にはこの道が合っているな」と確信をしていた。
そして、就活生になったとき、私はテレビ業界を第一希望として就活をしていた。
面接では志望理由として「小さい頃からテレビが好きで私もこんなのが作りたいです」と話をしたが、実際は「バラエティ番組に命を救われたから、同じように死にたいと思っている人に少しでも生きる希望を与えれたらいいな」という志望理由が心の中にあった。
そして、私はあるテレビ局に就職ができ、誰もが知っているバラエティ番組にADとして配属された。
私はめちゃくちゃ嬉しかった。
生きる希望を作っていたテレビ業界に入ることができ、他の人にも少しでも生きる希望を与えられるんだ。
そう思っていた。
ただ現実は違っていた。
朝は早くに出勤し、リサーチや資料作りが多すぎて、帰宅するのは終電がザラ。
先輩のADやディレクターの人達は、まともな社会経験がないので教え方が下手くそすぎて、自分で考えて行動するしかなかった。
それで失敗をするとめちゃくちゃ怒鳴られる。「なぜ聞かないんだ」「なぜ先に言わないんだ」と言われる。
聞いたところで、まともに教えてくれるはずもないのにさも「自分は後輩教育してますよ」感を出してくる。
そして一番びっくりしたのが、バラエティ番組を作っているスタッフで面白い人が全然いないと言うことだった。
確かに一部のスタッフは人間としてめちゃくちゃ面白く、いつも突拍子もないアイデアを生み出してそれを実現させて爆笑をとっているのを観てとても尊敬している。
しかし、大多数のスタッフは「俺、めちゃくちゃ面白いよ」と言っているくせに出してくる企画はどこかの真似事や流行っているものを取り上げた、クソつまらないものだった。
私はこんな人たちになるまいと、私はテレビ局の企画コンペに応募した。
すると、最終選考まで残り、採用こそはならなかったが新人ADがそこまで行くのは初めてのことだったらしく、社内でも評判になっていた。
しかし、それをよくは思わなかった先輩たちが、ことあるごとに仕事が遅いと文句を言い怒鳴ってくる。
そして最近それが酷くなってきており、私はもうテレビ業界で働くのが嫌になってきている。
「テレビ業界は面白い人が偉い」と思っていたが、実際はただの年功序列だった。
同じ時期に入社した同期はもう半分が辞めている。
ただのテレビ好きだけではこの業界は無理だ。上がクソったれすぎて、下が育たない。
もう無理だ。死にたい。
あれだけ好きで生きる支えをくれたテレビに、今は殺されそうになっている。
私はあるバラエティ番組のADだ。ほとんどの人が知っているであろう、有名な番組だ。
そんな私の昔話を聞いて欲しい。
私は高校生の頃、自己嫌悪が酷くて、生きているのにしんどくなり自殺未遂を何回か図ったことがある。
ODやリスカもしてきた。正直、本当に死にたかった。早く死んで楽になりたいと思っていた。
しかし、自殺をしようとするといつも頭に「あ、そういえば来週のリンカーン観たいな…」「明日のめちゃイケの企画、面白そう観たい…」とめちゃくちゃテレビっ子だった私は「あの番組を観てから死のう」と思ってはいつも自殺未遂を繰り返していた。
そして観た後に死のうと思っていても、次回予告を観て「あ、また次面白そう」と思いまた、自分の自殺が延長されていっていた。
そして、そんなバラエティ番組のおかげで私は生き延びており、高校を卒業し、進学先としてテレビ・映像系の学部がある大学にに進みそこで番組制作のことを学んだ。
私は企画を考えることがとても好きで、大学内の企画コンペではいつも上位に入っており、周りからも称賛され「私にはこの道が合っているな」と確信をしていた。
そして、就活生になったとき、私はテレビ業界を第一希望として就活をしていた。
面接では志望理由として「小さい頃からテレビが好きで私もこんなのが作りたいです」と話をしたが、実際は「バラエティ番組に命を救われたから、同じように死にたいと思っている人に少しでも生きる希望を与えれたらいいな」という志望理由が心の中にあった。
そして、私はあるテレビ局に就職ができ、誰もが知っているバラエティ番組にADとして配属された。
私はめちゃくちゃ嬉しかった。
生きる希望を作っていたテレビ業界に入ることができ、他の人にも少しでも生きる希望を与えられるんだ。
そう思っていた。
ただ現実は違っていた。
朝は早くに出勤し、リサーチや資料作りが多すぎて、帰宅するのは終電がザラ。
先輩のADやディレクターの人達は、まともな社会経験がないので教え方が下手くそすぎて、自分で考えて行動するしかなかった。
それで失敗をするとめちゃくちゃ怒鳴られる。「なぜ聞かないんだ」「なぜ先に言わないんだ」と言われる。
聞いたところで、まともに教えてくれるはずもないのにさも「自分は後輩教育してますよ」感を出してくる。
そして一番びっくりしたのが、バラエティ番組を作っているスタッフで面白い人が全然いないと言うことだった。
確かに一部のスタッフは人間としてめちゃくちゃ面白く、いつも突拍子もないアイデアを生み出してそれを実現させて爆笑をとっているのを観てとても尊敬している。
しかし、大多数のスタッフは「俺、めちゃくちゃ面白いよ」と言っているくせに出してくる企画はどこかの真似事や流行っているものを取り上げた、クソつまらないものだった。
私はこんな人たちになるまいと、私はテレビ局の企画コンペに応募した。
すると、最終選考まで残り、採用こそはならなかったが新人ADがそこまで行くのは初めてのことだったらしく、社内でも評判になっていた。
しかし、それをよくは思わなかった先輩たちが、ことあるごとに仕事が遅いと文句を言い怒鳴ってくる。
そして最近それが酷くなってきており、私はもうテレビ業界で働くのが嫌になってきている。
「テレビ業界は面白い人が偉い」と思っていたが、実際はただの年功序列だった。
同じ時期に入社した同期はもう半分が辞めている。
ただのテレビ好きだけではこの業界は無理だ。上がクソったれすぎて、下が育たない。
もう無理だ。死にたい。
あれだけ好きで生きる支えをくれたテレビに、今は殺されそうになっている。
ただ、やってりゃわかるけど互助会員がSNSで「○○さんの新作です」とか呟いてくれると、それを見て作品を見にきてくれる人はやっぱ少なからずいるんだよね。互助会員以外の人が互助会を導線にして作品を読みに来てくれるようになる。互助会員のフォロワーの人が、こっちをフォローしてくれたりだとか。
なかなか外部からは見えづらいんだけど、ちゃんと活動してると互助会員同士のやりとりって決して1対1じゃないんだよ。それぞれがそれぞれのファンを多少なりとも抱えていて、交流することでファンの移動が起こる。そうしてちょっとずつ数字を積み上げていく。そうして数字がついてくると、数字を見て見に来てくれる人が増える。
それを金払ってデカい人にやってもらうってのもイッコの手ではあるんだけど、そこまではさすがにしんどいので、タダで宣伝してくれる人を確保するためにも多少の互助会入会は悪い手段ではないよと思うわけですよ。めんどくせーけどな。
ずっと真夜中でいいのにと思っている人には申し訳ないが自分はよくないと思っている。
なぜなら日の光を浴びないと人間はすごく鬱々とした状態になってしまうからだ。
二十歳くらいのころ、仕事の都合で極度の昼夜逆転生活を送っていた経験から断言できる。
日が沈んだあとに起きて、日が昇るころに寝るという毎日も最初のうちは楽しいかもしれない。
自分も自転車で夜の街を走り抜けて職場に向かうことにワクワクを感じてもいた。
でもそんな生活を続けていると段々と閉塞感を感じるようになってしまう。
起きても起きてもずっと夜という状態はまるで夜の世界に閉じ込められたように感じてしまい息苦しくなっていく。
少しずつ人間の意欲を奪っていく。
自分は食欲もあんまりわかなくなったし、目覚めるたびに少しずつダルさが増していった。
そして、とにかく天然の日の光を浴びたいと渇望するようになっていった。
僅か数か月の出来事だったが、日の光を浴びることの重要性をこのとき初めて実感した。
同じ仕事でもシフトが違うとこんな事になるのかと驚いた記憶がある。
それからの自分はその状態を抜け出すために仕事を辞めて生活習慣の改善を始めた。
無事に夜の世界を抜けて日光を全身に浴びた時は感動したものだった。
ただ公園のベンチに座っているだけでこんなにも心地よいものなのかと。
あとで知ったが、フィンランド人も同じような理由で鬱になりやすいとのことだった。
anmin7 ずっと真夜中だったら仕事にもいかなくていいし別に溌溂としていなきゃいけない理由なんてないからずっと真夜中でよくない?
溌溂としていなきゃいけないとは言ってなくて、あくまでも陽の光を浴びないと鬱っぽくなるという話。
flirt774 20代の時に1年ほど0時開始の夜勤やってたけど、日中にカーテン閉めて寝る、という生活をしていたら疲れが蓄積していくのが分かった。朝型に変わった時のスッキリ感は今も覚えている
地味にしんどいよね。眠っても疲れが取れた感じがしないの気が狂いそうだった。
※ネタバレある
ゲーム下手だけどそれでも面白いって思った。なんでもできるしね、横スクロールとか弾幕ゲーとか格ゲー要素とか…。
ちなみに、どのくらい下手かと言うと、モンハンはHR3くらいでもうソロが難しいし、キンハーは1番簡単難易度で魔法コマンド選んでる間に死ぬし、ラチェクラの各ステージボスに自力で勝てたことがないし、スマブラは自滅がデフォ。自力シナリオクリアできるのはポケモンとか逆裁だけ。
今回やってて印象に残ったのが「魔法の城」のステージ。お気に入りのゾウのぬいぐるみ(キューティ)を殺して(壊して)ローズに泣いてもらおうってところ。
てっきり女王という設定上キューティとバトルがあるかと思ったけど、このステージただただ残酷だった。
キューティがとても可愛い高い声で「ハグをしよう」とか「一緒に縄跳びをしたほうが幸せだよ」って和解を求めていて殺そうとしてるこっちを攻撃してこない。なのに進行上キューティを殺す必要があるから痛そうなクレーンゲームのアームで彼女を捕まえ、逆さまに足が挟まったところを無理やり引きちぎり、ぬい止められた耳もそのまま引きちぎり、城のてっぺんから彼女を突き落とした。
終わったあとの「殺してしまった…」みたいな罪悪感が凄かった。彼女を突き落とすまで引きずっていくところでボタンを長押ししないといけないんだけど、それで余計に「私が殺した」感すごかった。
マンガとかでも善人キャラが死ぬところは沢山見てる、仲間を見捨てなきゃいけないシーンも見てる、けど善人をプレイヤーとして殺すのは初めてだったのでかなり心に残っている。
さらに酷いのがその後、目論見通りローズは泣いたけど目的は達成できず、ただただ無駄にキューティを殺してしまったことになったこと。
え?どうして?なぜ?キューティ殺すだけ殺して終わり?本当に?
最終的にローズがキューティを縫って直してあげたようだけどそれにしたって、足がちぎれて耳がちぎれたシーンを見たこっちとしては穏やかではない。
トイストーリーでもよくあるけど、おもちゃって痛覚が無い設定らしいから壊れても「痛い」って言わないのが余計にしんどい。淡々と「足がとれちゃった!」って言う。しんどい。
シナリオはとても面白かったし、遊び心も多くて楽しかった。ゲーム性も苦手な自分にもとてもよかった。ゲームとしての評価は☆5だしまたやろうと思うけどキューティのことだけがとても辛い。
https://twitter.com/torakoawamori/status/1411113159046270980
これを見て思い出したことがある。
同じ町内で10人くらいの班で数組に分かれて集団登校していたのだけれど、その中のひとりが障害学級の子供だった。
その障害学級の子は、気づいたらいないとかどっか行っちゃうとかじゃないし体に異常があるわけではないんだけど、歩くのがとにかく遅い。
自分は班長で一番前にいて他の1年生から5年生までを引率して登校しているのだけれど、途中からうちらのグループから離れていって明らかに後方でポツンとノロノロ歩いてしまっている。
自分以外のメンバーもそれに気づいているから「何とかしろよ」って自分に文句を言ってくるんだけど、かといってその子の歩くスピードに合わせて歩くと「歩くのおせーんだよ」って文句言われる。出発してから学校に着くまで10分から15分くらいで、同学年の人間は自分だけだから別な時間に直接誰かから文句を言われることもないのでその登校時間だけ我慢すれば問題なかったんだけど、今振り返ってみてもすごく嫌な時間だった。小学6年生なのに同じグループの小学2年生やら小学3年生やらに学校で遭遇したら悪態つかれるし。てゆーかよく我慢できたな。自分が。
自分の親も他のメンバーの親も傷害学級の親も学校も誰も問題視しなかったのは曲がりなりにもその子がはぐれずにいなくならずに毎日無事学校にたどり着いていたからだけど、それはたまたま傷害学級の子が危ない動きをするタイプの子じゃないからだし自分が内向的なせいで声を上げなかったからだけど事故も事件も起きずに1年間やり過ごせたのはたまたま運が良かっただけだと思う。
24時間のうちの十数分我慢すればOKだったとはいえ、何したって他の子から悪態つかれるのは本当にしんどかった。かといって誰になんて言えばこの問題が解決するのか当時もわからなかったし今もわからない。そもそも小学6年生にそんな自力での解決は無理だろう。みんな薄々とこのままだとやばいんじゃないのって思ってただろうけど他のメンバーは自分に文句言えばOKだし自分は自分で我慢したらOKだったけど、子供同士で解決させたように見せかける構造って今考えたって歪だったと思うよ実際。
解散発表後のシングルがこの曲でしんどいです。歌詞も曲調もしんどいです。
勤続25年の男たちが「僕らはまだ未完成」と歌ってるのがしんどいです。
両A面のMAGIC CARPET RIDEはおしゃれでバズりそうな曲なのにMVもなく歌番組でも披露されなくてしんどいです。
アメリカの副大統領夫人がテレビでインタビューを受けるんだけど、「子供を作らない理由」をインタビュアーにしつこく質問される。
もちろん事前に答えをきっちり準備してサラッと返すんだけど、「それ他の番組でも言ってますよね?」と言われ、交わしても交わしても攻勢がやまず、ついに重大な秘密を話す、という回。
どうしてそんなひどいことが出来るの?
子供が欲しい派が大多数なことも、子供を産むことが素晴らしいことだというのも分かる。
でも、皆子供が欲しい人に「なんで?」ってわざわざ聞かないじゃん。
それなのに子供が欲しくないって言うと「なんで?何か嫌なことでもあったの?」とか聞いてくる。
ねえ、それってすごくプライベートで、すごくセンシティブな話題だって分かってる?
どうして子供が欲しくない、作らないことを選択したというだけで、まるで人類の罪の言い訳をするかのような気持ちにならなきゃいけないの。さっぱり分からない。
子供を作る自由があるなら子供を作らない自由もあるべきだし、それはその夫婦が決めることであって、どうして口出しするんだろう。
以下、これまでに周りの人間から言われたことと、それに対する気持ち。
-----------------
私は子供が好き。だけどただ知り合いの子と遊ぶのと自分の子供を作るのが全然違うって分かってるし、だからこそ慎重に決めた。それだけ。
人間はいいもの。あなたにとっていいものなことを否定しないし、私は「子供はいいものじゃない」なんて思ってない。
恐らく子育てに伴う試練を乗り越えて成長出来ると言ってるのでしょう。ただ、その試練を受け入れるかの自由は私にあるし、試練に耐えきれなかったとしてもあなたが責任を取ってくれる訳じゃないですよね。私達夫婦で乗り越えなきゃいけない。そして私たち夫婦は幸せに生きるために、試練を受けないことに決めただけ。
・今産んでおかないと、後で不妊治療してでも欲しいと後悔するよ
もしその後悔がくるなら、来た時に甘んじて受け入れます。それも私の責任。それが人生の選択という名の責任だし、後悔するかは私が決めます。
・子供を産まないと一人前になれないよ
一人前の基準を教えてください。また子供がいても社会的に一人前でないと形容されるタイプの方が沢山いるので、個人的に一人前かどうかは子供がいるかだけで判断出来ないと思います。
選択的子なしでいることに申し訳なさが生じるというなら、私たちは夫婦共働きで、育休・産休・時短勤務の人が心地よくそれらの選択を取れるように毎日仕事を頑張って、その分は十分リカバリーしていると思います。
税金も払っているし、日々の暮らしの中でも子持ちの方のしんどさに寄り添ったり、ベビーカーに道やエレベーターを譲ったりしています。
命がもったいないと言われたこともありますが、産んでいないのは単純に「ゼロ」の状態であり、独身の方と同じです。
褒めてもらって嬉しいです。お母さんにはなれませんが、妻として旦那さんを幸せに出来るように、また仕事でお客様を幸せに出来るようにこれからも頑張ります。
・お金ならなんとかなるよ
あなたがお金を出してくれる訳ではありませんよね。今の世帯年収から考えた結果、子を1人以上大学まで行かせて欲しい物を買ってあげるには収入が足りないけれど、2人で細々と暮らす分には問題ないと2人で判断しました。
-----------------
もっとひどいことも沢山言われたけれど、その人達を責めたいとか、可哀想とか、そんなことは思ってない。(言われること自体は辛いけどね)
ただ「ああ、あなたはその選択をしたんだね」とそのまま放っておいてほしい。
そしてさらに言えば、誰が子供を欲しがろうが、あるいは子なしを選択しようが、各々の夫婦の話なのだから「あなたは子供が欲しいの?」と聞くこともやめて欲しい。生まれた時に言えばいい。
これはやっぱり、おこがましいのかなあ。
----------------
2021.06.21 追記
とにかく、色々あって積もり積もった想いを文章にして、そのまま投稿して、数件だけコメントが付いたのを確認してそれきり忘れていました。
そして今日の朝見てみたらこんなにブコメが付いていて、とてもびっくりしてます。
どれも暖かいコメントばかりで、本当にありがとうございます。ちょっと泣いちゃいました。
予想していた通り批判的なコメントも、一つ一つ噛み締めて読んでます。
この文章の中で「私たちは」と書いたけれど、本当は、夫婦2人ではなく私だけが欲しくないと考えています。
私達夫婦はとても年齢差があり(20歳近く)、出会って距離を縮めてお互い結婚を意識し出す頃には、「あなたと結婚したいけれど、年齢差があるから子供をもうけるのではなく2人の人生を歩みたい」と伝えていました。
彼は「本当は欲しいけど…仕方ないよね」と同意してくれたので、私も結婚に踏み切れたのです。
そして話し合いの中で言われたのが、「子供はいいものだよ」「お金ならなんとかなるよ」といった上記の言葉です。
(余談ですが、彼とのこの問題について相談した方のほとんどが同じ質問を投げかけてきました。そのため今、私に子供を作れと説得する人は夫1人から数人に増えています)
彼がこう思うのも仕方ないかも知れません。私はまだ若く妊娠が十分可能な年齢であり、1人では無理でも共働きの収入や貯金があれば、多少生活が苦しくなっても子供を育てることは可能だからです。
だけど、彼から言われる言葉一つ一つが、本当にしんどくて。なんだか上手くいかないですね。
(一応補足ですが、子供の問題以外の彼はとても優しく人間としても尊敬しており、離婚などは考えていません)
まだまだ話し合いは続きますが、お互いにとっていい答えを出せたらと思っています。
改めてお読み頂き、ありがとうございました。
それではまた、どこかで。
『何者かになりたかった自分が経てきた趣味一覧』(anond:20210614025554)がめちゃくちゃ刺さってしまい、しんどいお気持ちを供養したくなったためこの文章を書いている。おそらく十番煎じくらいだろう。気づいたらとても長くなってしまったが読む価値はまったくないことをあらかじめお断りしておく。
ある日突然父親が買ってきたのを触らせてもらっただけなので、自ら強い興味を示したわけではないが一応リストに加えておく。典型的なFコードで挫折した組である。
今でも不意に「弾けたらいいのにな」というお気持ちが襲ってくるがこの時の経験のおかげで衝動買いに至らずに済んでいる。ちなみに父親もすぐ飽きた。
その昔ドラムマニア(初代)という音ゲーを始めたことがきっかけで本物のドラムにも興味を持った。マイスティックはそんなに高価でなかったしゲームにも利用できたためあっさり購入した。
ドラムのできる友人としばらくスタジオに通ったがそこまで本腰が入ることはなく音ゲーから気持ちが離れるとともに練習へのモチベーションも薄れていった。
先ほどと同様、ふと「叩けるようになりたい」という感情がむくむく湧いてくることがあるため、家にはスティックと小さいカホンだけ存在している。いつか代々木公園でピクニックに行って友達と酒飲みながら何かしらを演奏したいとか考えながらしかし練習はしない!
ピアノにも憧れた。高校生の時バイトして貯めたお金で電子ピアノ(YAMAHA P-250)を突然購入し両親を驚かせた。それと同時に地元の島村楽器のジャズピアノクラスに通った。序盤の単調な訓練にモチベーションを継続できず、おそらく半年くらいで挫折したと思う。
その電子ピアノはなかなかに高額だったため、その後一人暮らし⇒同棲⇒結婚とライフステージが変わっても処分することができず(いつか時間ができたら再挑戦、みたいな気持ちもある)今も手元に置いてある。妻がピアノを弾けることがP-250君にとっての唯一の救いであろう。
音ゲー(BEMANI)で色々なジャンルの音楽(クラブ系に寄っているが)に触れる中で音楽への関心が高まっていった。さらに当時はBMSという自分で作った曲をBeatmania形式で遊べるようにする二次創作・同人的なアクティビティも一部界隈で盛り上がっていたため、それが自分も作曲できるようになりたいという思いを強化した。
典型的な形から入るタイプでギアにもこだわった自分は、当時おそらく最新だったDTM用音源モジュールYAMAHA MU1000を手に入れるも、独学では進め方がまったくもってわからず、文鎮と化すのにそう時間はかからなかった。
上と関連するが都内に音楽理論を学ぶ塾みたいなところを見つけて大学生時代に通っていた。歌が好きだったため音感を良くしたいという考えもあった。
説明はとてもわかりやすいし、どうすれば上達するかという道筋もきちんと見せてくれるところだったが、理解することと身につけることとの間には大きなが隔たりがあり、大学やアルバイトとの両立も当時の自分には難しかったため、志半ばで解約するに至った。
小学生の頃、グランダー武蔵という漫画を読んで主人公と同じギアを買った。
ブラックバスがいるという県内の沼に一度行ったが根がかりばかり起こすしまったく釣れないためすぐに飽きた。
またまた父親が唐突にレンズセットを買ってきて一緒に使わせてもらったのがきっかけでハマった。当時はCanon EOS Kiss Digitalが10万円台になりデジタル一眼レフが一般人にも手が届きやすくなった最初のころだった。それでもまださほど普及していなかったため、大学でカメラを向けると「おぉ、本格的なやつだ!」と周りの注目を浴びた。それに気をよくし、いつでもどこでもカメラを構えていたらいつの間にか金田一少年の佐木のようなポジションになっていた。それでも役割が与えられた気がして楽しかった。センスはまるでなかったが基本的なしくみや構図は身につけたので何も知らない人から見たら上手だと言ってもらえた。お金もなかったので安い単焦点だけは買ったがさほどレンズ沼にはハマることはなかった。
やがてスマホのカメラの性能が上がってきたこと、SNSの台頭ですぐにシェアできることが重要になっていったことなどから、スマホカメラにシフトしていった。余談だが初代GoProも輸入して買ったが大して使わずに人にあげた。
後述する筋トレとほぼ同時期に始めた。理由は筋肉がついていく中で、強くなる技術も身につけたいと思ったのと、なんとなくカッコよかったから。三十路を過ぎてここまでくるとさすがに自分の性格は把握しており、そう長くは続かないだろうと一年だけと決めて始めた。
基本的なフォームを覚えて生徒同士でミットの打ち合いをするのは楽しかったがスパーリングになると打たれるのも打つのも怖くて、一年限定にしておいてよかった、と思った。
書きながら自分のダメさ加減にさらにしんどくなっている。なお、趣味ではないが公務員試験と公認会計士試験と税理士試験と米国公認会計士試験も課金しながら挫折した。「才能のない怠け者」というトラバ見ておっしゃる通りですごめんなさいって泣いちゃった。
楽器系は序盤の基礎中の基礎みたいなところでモチベーションを保てなくなってしまっていた。スモールステップ大事!最近は「初心者が100日継続した結果」みたいな動画をよく見てる。
資格試験も授業聞いて分かった気になるものの実際に問題に取り組むと全然解けない。反復練習大事!
あとは「選択と集中」も苦手だ。いろんなことに興味が出てしまい、できもしないくせに同時進行しようとしてしまう。二兎追うものは一兎も得ず!
関係ないかもしれないけど何か一つのことを突き詰めるスペシャリストよりは、いろんなことを器用にできるマルチな芸達者に憧れがち。 DonDokoDonのぐっさんとか。
もう一つ、他の増田も指摘してたことだけど、一緒に頑張る仲間を作ろうとしなかったのも挫折が多い原因だと思った。どうしても人知れず練習していつの間にかできるようになっていたいという気持ちが出てしまっていた。寂しがり屋のくせになんでそん時だけ一匹狼しぐさきめるんだバカものが。
これを書きながら思い出したが昔は歌手になりたいと思っていたのだった。年を重ねていく中で自然と諦めがついて忘れていた。ボイストレーニングに通っていた時期もあり、人前で歌うとそれなりに褒めてもらえるくらいにはなった。カラオケは安いしどこにでもあるため、いつでも気軽に楽しめる大切な趣味のひとつになっている。
ずっと痩せ型だったのに、ある時雑誌Tarzanの脱げるカラダ特集の表紙の読者モデルを見て筋トレに目覚めた。正しいフォームを教えてくれる先生が近くにいたり、通いやすい場所にジムがあったりと環境が整っていたため、初心者の状態からベンチプレスで自分の体重と同じ重さを挙げられるようになるまではあっという間に成長した。今は訳あってジムには通えていないが家で自重トレーニングを続けている。
趣味と言えるか微妙だが細く長く興味を持てている分野。昔は毎月ファッション誌買ってブランドやセレクトショップも行ってたけど今はほとんどユニクロや無印。オシャレと言われるより洗練されてると言われたい。その願望は達成できていると感じる。
最近はレーザー脱毛をした。こういうのの良いところは課金さえすれば努力なしで昨日とは違う自分になれるところだ。そんなに歯並び悪いわけではないが次は歯列矯正をしたいと考えている。
その時のことを何度も思い出すが、靄がかかったりかからなかったりして全然うまいこと傍においておくことができない
これが悲しいということか、 とあまりにも陳腐な感想を抱きながら毎日何とかやり過ごしている バイトに行って、味がしたりしなかったりするご飯を食べ、シャワーを無理やり浴びている 友達との予定はあるし、バイトだって締め切りだって変わらずある 私は、急に友人がいない世界に取り残されたのに、世界はそのまま回っている 快晴が虚しい
バイト先で気が緩むとボロボロ泣いてしまうし 訳を問われて「友達が死んじゃったの」と口に出せば出すほど現実になってしまうからなかなか言えてない この気持ちが共有できる友達にも、LINEも電話もあまりできない 自分が とにかく正常ではないということだけがわかっている 部屋にかけた喪服を見るたびに思い出している
悲しみに貴賎はない 私よりもっと悲しい人だっている、と強がろうとしたけどそんなの無理だった あまりにも呆気なくいなくなってしまった、こんな喪失感、感じたことがなくてどうすればいいかわからない
誰かの笑い声が聞こえる、飯を食って楽しそうな友達の写真が送られてくる、 なんだかあまりに残酷でまた言おうとしたことも言えなかった ヘラヘラ私は笑ってやり過ごしている 同じ状況の友達と電話したら、「こんな時くらい人に迷惑かけたっていいでしょ」と言ってくれた そりゃそうだよな なんでこんな時にだって人を頼ることがうまくてできないんだろう 一度学んだはずなのに
メンタルを一度崩しているので、その時と同じような状態になっていて、ああ、知ってる知ってると思いつつ対処法があまり機能しない 密室にあまりいたくなくて、家のシャワーより近くの銭湯に行ったり、あてもなくひたすら歩いたりいきたかったカフェに行ったりしている 芸人のラジオを爆音でかけてなんとか気持ちが落ちないように落ちないように、と必死で保っている
この気持ちを見逃すことだってできるけど、ちゃんと受け止めて悲しいね、って疲れ果てるまで泣かないとなんだか戻れないような気がしてる そんなちゃんと泣ける相手も いるようでいないのだけども 自分で自分を労らないとやられてしまう
生活ってこんな大変だったかなあなんてことも思う 洗濯機を回して、飯を食べて、シャワー浴びて、寝る それすらなんだかとてもエネルギーを使う ひとりの時間が本当にしんどい 考える隙を作ったらダメということがわかった 波があるけど、行ったりきたり、ふっと糸が切れる瞬間があって、ガタガタと気持ちが落ちてしまう
自分がこういう状況だということを周りに言うべきか言わないべきか、ずーっと迷っている 言ったところで気を使わせるだけだし、それなら自分の中でうまく うまく消化活動をする方を選んでしまう だけど、いつも通りちょっかい出されたりすると、うるせえと思ってしまうので難しい
葬式の朝は、泣きながらチャイを作ってパンを食べた 泣きながらご飯を食べたことがある人は強いって、誰かどこかで聞いた気がしてちょっとだけ ちょっとだけよりどころになった
時間が解決するのか でもそれくらいしか今のところ頼るところがないので とりあえず日々をこなしていくしかないなあと思っている
③お互いに性欲がある
1と2がなんで理由になるんだと思われそうだけど、理由は単純、体力の問題だからだ。
気力と体力はお互いに有限で、
どちらかに負担が偏ってては「私はしたくても相手が疲れてる」「相手がしたくても私が疲れてる」が絶対に起こる。
1と2は分けて書かなくて良かったかも。
共に働き、共に家事と育児をこなす、相手と自分の体力と気力を常日頃から気遣い合う、これが1番大事な気がする。
今日は仕事で疲れた、嫌なことがあった、そんな様子が会話や仕草から見えれば自然にサポートに回れるし、サポートされた側は「私のことを気遣ってくれる」と愛情カウントが入る。
これは双方にするようになって家庭の運営がうまくいき、ひいてはセックスの回数が増えたのでレスの問題として扱う。
すごく雑な言い方だけど、
日常生活で「コイツ私にばっか負担押し付けてんな」と思う相手とセックスしたいと思うわけない。
日々の苦労を共にして、初めて対等な夫婦になれた気がする。
例えば、仕事でどんなに嫌な顔をされても保育園の急な呼び出しに応えた続けたことをパートナーはきちんと「努力」として認めてくれた。
子どもが小さいうちは昇進は諦めて、
家庭の盤石固めようと話し合ってお互いに頑張って、本当に良かったなと思う。
そして最後に4、
1と2ができた夫婦でも④セックスについて臆面なく話せる、これがネックな人多いのではないだろうか。
したいとかしたくないとか、そこからしてどうすればいいかわからないとかそんなレベルの人の話をちらほら聞いた。
かくいう我が家も、産後三ヶ月経ち、そろそろ…?とソワついた。
ソワついたのはパートナーが、だった。
産後三ヶ月のお誘いを受けた。
が、セックス成立しなかった。
一時期。性欲ロスト。
キスやハグまでは日常でするけど、それ以上は何もかも「疲れた、夜は寝たい」が勝った。
初めての子育てで余裕が無くなった。
さすがにこれはダメだと悩んだ、
現パートナーは、元パートナーとの離婚理由にレスが含まれてることも知っていたし、
でも「したい」という気持ちが湧かないで義務的に応じるのでいいのか、と葛藤して、
困って、
もうそれそのまま伝えた。
これができたのは1と2の「生活を共闘で成り立たせる」と「夫婦間の対等さ」があったからだと思ってる。
『愛してる、好きだし、あなたの魅力は変わってない、むしろ親となった姿に敬意を抱く、より大事に思う。ただ、ただただ体力と気力が足りなくて性欲に結びつかない』と素直に打ち明けた。
パートナーは笑って、
そうだよね、じゃあ、もう少し待つよ、
と言ってくれた。
理解して許してくれたことで、気力のスイッチはあっさり入った。
その後は「体力がそんなにしんどいなら負担を見直そう」と仕事・家事・育児の分担などをお互いに見直し、体力ゲージの確保に成功した。
そして、体力の問題ならば「サクセス制度」を取り入れようという話になった。
サクッとセックス。
相手がどうしても、の時に乗り気になれないとき、サクッとしたい側の人が満足する簡単なセックスをする、の制度だ。
どちらかの気が乗らない時でも、とりあえず要求を満たすことはなるべくしたほうがいいのではないかという話し合いから生まれた。
ごめん、本当は「棒貸して」「穴貸して」って月1くらいで言ってる。私の方がパートナーに対する欲が高まることもあるし、その逆もあるのに、相手がどうしても乗り気じゃない時。
サクセス制度なんかしたら夫婦間冷めそうだと思うが実はそんなことなかった。
相手が受け入れてくれた、って充足感、
拒んだという負い目の払拭、
結果的に余裕ができたときにまたちゃんと触れ合おうね、と思い合えるのが良かった。
セックスね、しない期間開けば開くほど、
まあしなくてもいいかって面倒になるし、
やり方誘い方忘れるからね。
と、ここまで文章で書くと数十行だけど、
実際には産後からサクセス制度の成立まで数ヶ月単位の話ではある。
当然子はスクスクと育ち、
今思ったけど寝る子だから夫婦生活出来るってのもあるわな。寝る子寝ない子はガチャだからな。
サクセス制度を取り入れて夫婦生活の話題にタブーが無くなった。
恥じらいがなくなることで異性として見れないという恐れはあったけど杞憂だった。
大切なのは話すこと、やっぱりこれに尽きる。
1歳になる息子がいる。
息子のことは、すごくかわいい。
旦那はわたしと離婚したいそうで、こないだの口喧嘩のときにも離婚離婚とわめいていた。
そんな旦那も息子のことはかわいいらしく、様子を見てるとわたしより子育ては上手に思える。
わかっているが、産前から患っているうつが最近絶好調に暴れまわっていてわたしもなかなか見た目より大変なのだ。
主治医に相談すると「赤ちゃんがしゃべり始めたらまた変わるから、それまでの辛抱」と言われた。赤ちゃんが育ったら育ったで、また別の大変さが出てくるやん。いつまで辛抱すればええねん。ずっとでしょ。きっと。
ひとりになりたいの。朝はゆっくり寝てたいの。仕事終わったらビール飲みにふらっと出かけたいの。誰になんと言われようと、それが本心なの。ここまで考えて、息子が不憫で泣きたくなる。母親がこんなこと考えてて、なんて不憫な息子だろう。でも自由でマイペースな生活を送りたい。赤ちゃん中心の生活はあまりにしんどすぎる。ちなみに4月から保育園に預けてます。保育園に預ければ自由な時間が増えていいかなと思いきや、そうでもない。昼間はぐったりして何もやる気が起こらないし(自営業なので最低限の仕事はやる)あっというまにお迎えの時間。風呂にいれて晩ごはん食べさせて、あとは寝かしつけ。
夜中は数回起きるのでそのたび寝かしつけ。
眠い。寝たい。なんか保育園に預けても結局夕方~夜中のしんどさがあんまり変わらないんだよね。子どもにとっては刺激がある環境でとてもいいし、保育士さんにも本当に感謝してるんだけど。