その時のことを何度も思い出すが、靄がかかったりかからなかったりして全然うまいこと傍においておくことができない
これが悲しいということか、 とあまりにも陳腐な感想を抱きながら毎日何とかやり過ごしている バイトに行って、味がしたりしなかったりするご飯を食べ、シャワーを無理やり浴びている 友達との予定はあるし、バイトだって締め切りだって変わらずある 私は、急に友人がいない世界に取り残されたのに、世界はそのまま回っている 快晴が虚しい
バイト先で気が緩むとボロボロ泣いてしまうし 訳を問われて「友達が死んじゃったの」と口に出せば出すほど現実になってしまうからなかなか言えてない この気持ちが共有できる友達にも、LINEも電話もあまりできない 自分が とにかく正常ではないということだけがわかっている 部屋にかけた喪服を見るたびに思い出している
悲しみに貴賎はない 私よりもっと悲しい人だっている、と強がろうとしたけどそんなの無理だった あまりにも呆気なくいなくなってしまった、こんな喪失感、感じたことがなくてどうすればいいかわからない
誰かの笑い声が聞こえる、飯を食って楽しそうな友達の写真が送られてくる、 なんだかあまりに残酷でまた言おうとしたことも言えなかった ヘラヘラ私は笑ってやり過ごしている 同じ状況の友達と電話したら、「こんな時くらい人に迷惑かけたっていいでしょ」と言ってくれた そりゃそうだよな なんでこんな時にだって人を頼ることがうまくてできないんだろう 一度学んだはずなのに
メンタルを一度崩しているので、その時と同じような状態になっていて、ああ、知ってる知ってると思いつつ対処法があまり機能しない 密室にあまりいたくなくて、家のシャワーより近くの銭湯に行ったり、あてもなくひたすら歩いたりいきたかったカフェに行ったりしている 芸人のラジオを爆音でかけてなんとか気持ちが落ちないように落ちないように、と必死で保っている
この気持ちを見逃すことだってできるけど、ちゃんと受け止めて悲しいね、って疲れ果てるまで泣かないとなんだか戻れないような気がしてる そんなちゃんと泣ける相手も いるようでいないのだけども 自分で自分を労らないとやられてしまう
生活ってこんな大変だったかなあなんてことも思う 洗濯機を回して、飯を食べて、シャワー浴びて、寝る それすらなんだかとてもエネルギーを使う ひとりの時間が本当にしんどい 考える隙を作ったらダメということがわかった 波があるけど、行ったりきたり、ふっと糸が切れる瞬間があって、ガタガタと気持ちが落ちてしまう
自分がこういう状況だということを周りに言うべきか言わないべきか、ずーっと迷っている 言ったところで気を使わせるだけだし、それなら自分の中でうまく うまく消化活動をする方を選んでしまう だけど、いつも通りちょっかい出されたりすると、うるせえと思ってしまうので難しい
葬式の朝は、泣きながらチャイを作ってパンを食べた 泣きながらご飯を食べたことがある人は強いって、誰かどこかで聞いた気がしてちょっとだけ ちょっとだけよりどころになった
時間が解決するのか でもそれくらいしか今のところ頼るところがないので とりあえず日々をこなしていくしかないなあと思っている