はてなキーワード: 電線とは
目的地(家、お店、病院、職場)------ガソリンスタンド------目的地(家、お店、病院、職場)
みたいな都市デザインをしていただけで、充電ステーションもこうする必要はない
ガソリン脳の馬鹿どもが、ガソリンスタンド前提の街づくりのまま、何もない辺鄙なところに充電ステーションなんてものを作るから
目的地(家、お店、病院、職場)------充電ステーション------目的地(家、お店、病院、職場)
なんてあほみたいな都市デザインになって、30分で充電は長すぎるからもっと高速な充電設備がほしいなんて的外れは不満をいってEVが普及しないんだよ
EVになったら
目的地(充電付きの家、充電付きのお店、充電付きの病院、充電付きの職場)---------------------目的地(充電付きの家、充電付きのお店、充電付きの病院、充電付きの職場)
こうなるんだよ
そうなるとどうなるって充電時間を気にする必要がなくなるんだよ
目的地に充電設備をつけたら、目的地でなにか用事をする間に充電ができるんだから実質待ち時間なんてものはないに等しい
職場で充電しながら働き、お店に行って充電しながら買い物し、病院で充電しながら治療を受け、帰宅して充電しながら飯食って寝ればいい
もちろん、旅行や帰省なんかで一日に200kmとか300km走る日もあるから急速充電もある程度は必要だけど
今言われているけど町じゅうに急速充電を作りまくれなんてものは必要ない
だいたい、EVが普及していない今ですら電線に負荷がすごいことになってるのに、これから普及してあちこち急速な電力の上げ下げが起きたら電線がショートするぞ
でも電線を強化すればいいっていうんだよなこういうやつは
日本人はGWに一気に休むから道路が渋滞が起きるけど、そしたらみんな道路を拡張するべきだなんて意見をいうってあきれてたよ
でも道路拡張したところでその需要はGWとか帰省とか、1年で数日だけなんだよね
相当に自分自身の苦痛が軽減する方法を見つけたんで書いとくよ。
まず、ホームセンターなどで銅線と薄銅板と電線を必要量手に入れ、自分の頭のサイズに合った丸籠を作る。
作り方は「丸籠 編み方」などで検索すればいっぱい出てくるので自分に合ったものを探してみてほしい。
この丸籠と電線をつないで、電線を洗濯機などの裏にあるアースに繋ぐ。
そしてこの丸籠をかぶって寝る。
伸縮性がほとんどないので、ただかぶってもすぐ抜け落ちてしまうんで、平紐やナイロンテープなどで水球帽式に頭に固定する。
見た目が気になるんならさらにその上にニット帽などを被ってもいい。
アースを繋いでるんでそのまま外出はできないし、多量の銅は商店の盗難防止ゲートなどにほぼ必ず引っかかってしまうんで、うまく接地対策を施してもやっぱり問題がある。
ただ、この接地付き銅籠帽をかぶって寝ると、睡眠時の被害はぐっと減る。
寝入り時や寝起き時に大量の思考操作を打ち込まれて睡眠障害になっていたのが、速やかに早寝早起きできるようになり、気分もかなりよくなった。
どうも思考盗聴被害に遭っている頭というのは、相当な帯電や蓄熱を伴っているようで、
いやな思考や映像を打ち込まれていやな気分になるのとはまた別に、過剰な帯電や蓄熱のせいでの鬱屈状態にもなっている。
だから放電効果と放熱効果を同時に持つ接地付き銅籠帽をかぶって寝れば、情報操作的な被害はなくならなくても、物理的な被害は減らせるようだ。
子供の頃の伊藤淳史が鉄塔を友達と巡る映画を観たいなと思って検索してた
山田洋次の『学校』シリーズのどれかだと記憶してたんだけど、wikipediaのどのあらすじにも当てはまらない
「鉄塔 邦画」で検索したら、『鉄塔 武蔵野線』という映画だったらしい
おそらくだけど、子供の頃、『学校Ⅳ』あたりと同時期にテレビ放映していたから記憶が混ざってしまっていたようだ
『学校Ⅳ』は大学生がヒッチハイクで屋久島を目指す話で、ロードムービー的な趣が『鉄塔 武蔵野線』と似たものとして脳内で処理していたのだろう
件の『鉄塔 武蔵野線』は少年が友達と自転車で鉄塔を一つずつ巡って、鉄塔の足元に何かを埋めるようなストーリーだったと思う
今調べると鉄塔をめぐっていた目的はその先に秘密の原子力発電所があると信じていたかららしい
少年たちがあくまで鉄塔の電線の結ぶ先を巡るため、愚直に原っぱを自転車を押しながら歩くシーンを覚えている
トムソーヤ、宝島、十五少年漂流記、地獄堂霊界通信、ぼくらの七日間戦争、天空の城ラピュタ、未来少年コナンあたりと並んで、小学生の頃に自分の「冒険」のイメージを作ったものの一つだなとこの文を書いていて気づいた
見たかったんだけどな
「石の卵」という本を見た子供が、内部に宝石の入った石を探したいと騒ぐので、家族で川原に行くことになった。
ところが、川辺のキャンプ場の駐車場に車を停めて川原を目指して歩いたところ、川原へ通じる小道の全てが封鎖され、「立ち入り禁止」の立札が立てられていた。
車へ戻り、堤防沿いや川にかかる橋を通過してみたりして気づいたが、連休中でしかもいい天気なのに、川原には川遊びをする人々どころか釣り人さえ一人としていない。いつの間にか、川原全体が立ち入り禁止区域になっていたようだ。
そんな訳で石拾いは諦め、翌日、市営のちょっと大きな公園に行った。お目当ては、公園の中心にある池だ。そこではザリガニ釣りと鯉に餌やりをすることが出来るのだ。
公園に着くと、まずは散歩がてらぐるりと一回り。ここに来たのは数年ぶりだが、昔とほとんど変わっていない。芝生や樹木は手入れがなされてさっぱりとした様子。遊具では沢山の子供達が遊んでいる。噴水は十分おきに水を吹き上げる。そこに水着姿の幼児達が水浴びに興じている。
変わった点はというと、芝生の半分くらいは沢山のポップアップテントに占拠されていて、子供達が走り回る場所ではなくなっていたことくらいか。
だが、ふと気がついたが、うちの子供達は既にこういう公園で遊ぶような年齢ではなくなりつつあるのかもしれない。テントの合間をぬうように走り回る子供達より、我が子らはだいぶ大きい。うちの上の子は小学五年生だ。下の子は二年生で小柄な方だが、それでもこの場所では少し浮いているかもしれない。
池に行ってみると、昔のように畔には燕子花が葉を伸ばし、浅瀬は蓮の葉に覆われている。そして、池の中央にかかる橋から池に餌を投げ込んでいる人々がいた。どうやら今も池の鯉用の餌が売られているようだ。
そこで、子供達を連れて公園の入り口まで戻り、管理事務所に入った。昔は事務所の窓口で鯉の餌が売られていたはずだ。ところが、今は販売システムが変わっていた。事務所の裏口で「鯉・カモの餌」と「ザリガニ釣りキット」がそれぞれカプセルに入れられた状態で販売されているのだ。1個100円なり。
昔、子供達がまだ幼児だった頃は、どんなにせがまれても鯉の餌やりやザリガニ釣りはさせなかった。池の深さはそれなりにあるのに、周囲に柵などが全く設置されていないからだ。子供達が池に落ちるのを畏れた。だが、今では子供達も大きくなったことだし、これからはこちらがここへ遊びに来ようと誘っても子供達の方が億劫がるかもしれない。もしかしたら、これが最初で最後の機会になるかもしれないと思った。
子供達は大喜びだ。上の子は鯉とカモの餌がいいと言い、下の子はザリガニ釣りキットを選んだ。鯉とカモの餌は思ったより多く入っていた。ザリガニ釣りキットは、タコ糸の先に小さな鉛の玉とスルメの切れっぱしをくくりつけたものだった。それを園内で適当な木の枝を拾って結び着けて使うのだ。
上の子に私がつき、下の子には夫がついた。私と上の子は池に餌を投げ込み易い、開けた場所に移動し、夫と下の子はザリガニがいそうな、浅瀬で草の陰になっている場所へと移動した。
池の中を泳ぐ魚影は、昔に比べてだいぶ少ないように見えた。だが、一匹一匹がとても大きい。昔見たのよりも全長が倍くらいありそうな錦鯉が、泥水の中を悠々と泳いで行く。上の子はただの黒い鯉よりも錦鯉に餌を食べて欲しいらしく、餌を一粒ずつ、腕を振りかぶって遠投するが、まったくのなしのつぶて。どうやら、鯉達は全く腹を空かせていないらしい。風上の方から、ふやけた餌粒がいくつも漂ってくる。
黙々と餌を投げ続ける上の子の横で、私はしゃがみ込み、時々水底に光る小魚の影や水面を漂う餌粒の合間をすいすいと泳ぐアメンボを眺めた。
「あーあ、全然食べてくれない」
と、上の子が嘆いた時だった。燕子花の葉陰から、カルガモが二羽、クワックワッと鳴きながら泳ぎ出て来、水面に浮かぶ餌粒を食べ始めた。ただ水の流れ任せにたゆたっていく餌粒を、カモはまるで生きている虫を捕まえるかのように、律儀に大げさに嘴を左右に振って、食んだ。そして、クワックワックワッと、まるで我々のことを「餌くれる人」と理解しているかのように見上げて鳴くのだ。時々田んぼの近くを散歩中に見かける彼らとは、ずいぶん態度が違う。用水路に浮かんでいる時の彼らは、人の気配がするやいなや、バタバタと飛び立ち、逃げてゆくというのに。人を見分けているというより、場所を見分けているのだろうという気がする。
間近で見るカルガモは、思ったよりも目が顔の中心よりも上にあって、しかも目付きが鋭い。剣呑な目の真ん中の瞳孔は、鳩のそれと同様に虚ろだ。確か、渡辺崋山だったか……、江戸時代の終わりごろに、師匠の絵を手習いにするのではなく、自然の花鳥風月を直接手本にして描く絵師がいたけれども、彼らの観察眼はかなり自然に忠実だったのだなあと、しみじみ思う。今目の前にいるカルガモは、私の子供時代にワイドショーで持て囃されていた、雛を沢山連れて道路を横断するカルガモの親よりも、江戸時代の写実画によく似ている。
上の子は、鯉を狙って餌を投げつけている間に投球のコントロールがよくなり、高確率でカモの真正面に餌を投げ込んだ。ところが、そういう時に限って、カモ達の食い付きは悪い。上の子の贔屓は、二羽のうちの後方にいる方で、これは前方に出て盛んにクワックワッ鳴いて餌を強請る奴よりも小柄で控えめに見えた。上の子は手前のカモに一粒投げたら、後ろのカモに二粒連続で投げた。だが、後ろのカモがきょとんとしている隙に手前のカモが自分に投げられた餌そっちのけで後ろのカモの分を横取りしてしまう。
上の子が文句言い言い餌を投げる。ぼんやりと浮かぶだけの後ろのカモと、その周りを忙しなく動き回って餌を独占する、手前のカモ。後ろのカモがこちらに真っ直ぐ顔を向けたままほぼ動かないので、真正面から見たカモの顔つきの不気味さがよく見える。ウサギなんかと同じで、目が顔の左右に着いているので、真向かいに向き合っても視線が合うことはない。カモのような鳥が真正面から絵に描かれることが少ないのは、我々人間の顔とは違う顔をしているからであり……はっきりいって、正面から見ると別に可愛くないからでもあるんだろうな。
と、考えていてふと気づいた。単に視野の問題なのだ。私は上の子に餌を一粒貰い、後ろのカモの左脇を狙って投げた。すると、すかさず手前のカモも反応したが、後ろカモは横取りされる前に餌を食べた。やっぱり、目の前に落ちた餌は、見えないので気付き難いようだ。後ろのカモに与えようとして投げた餌はちょうど、手前のカモの視界をよぎって飛んでゆく。
そのことを上の子に伝えたところ、上の子は二匹のカモに代わる代わるに餌を食べさせることに成功した。
カモ達の食欲は底なしに見えたが、少しすると食べ飽きた様子で、餌を拾うのを止めてただ水を嘴で掬って飲んだ。水を飲むときは首を真上に長々と伸ばして、軽く嘴を左右に振りながら嚥下する。
ふと、後方のカモがブルッと尻を振った。茶色い水中にあってもオレンジ色の鮮やかな、しんなりとした脚の周りを白いもやが漂っていく。
「すごい、うんちしたー!」
なるほど、カモは水面に浮かんだままで排泄をするのか。野鳥の排泄なんて、カラスが電線から飛び立ちざまに排泄をしてゆくところくらいしか見る機会がないので、いいものを見た気がする。Eテレの動物番組でも、なかなか映さないのではないか。せいぜい、ツバメの雛が親の顔に尻を向けて、ゼリー状に固まった糞を排泄して、親に糞を巣の外に捨てて貰う場面くらい。
そういえば、冬に下の子を連れて散歩をしていたら、田んぼの真ん中でアオサギが糞をしているのを見かけた。まるで水道の蛇口のように、長々と糞を噴き出し続けていた。食ったらすぐ全部排泄する。それが空を飛ぶ鳥の習性だ。
餌を全て投げ終わったので、夫と下の子の所へ行ってみると、下の子はザリガニが全然釣れないと愚図っていた。下の子はすぐに癇癪を起こすが、案外粘り強い性格なので、取れないが食い付きはするからと、釣り上げるまで諦めないと言った。だが、夫の方が気短なので、早く帰ろうと言い出した。
夫は、釣り場選びから釣糸の垂れ方まで下の子に口出しをしただけでもう疲れたらしい。池の周りには、夫と同じように子供以上にマジになってしまった父親達と、うんざりして別のことをやり始めた幼児があちこちにいる。
どうしてもザリガニが釣れないので、鯉とカモの餌をもう一つ買って下の子に与えた。カモは目が左右に着いているため、真横はよく見えるが真正面はよく見えないようだ、と教えると、下の子はカモの体側にぶつけるように餌を投げた。カモは即座に反応してくるくる回りながら餌を取った。下の子がそうして黙々と餌を投げてると、やはりザリガニ取りに飽きたらしい幼児が我々の横にとことこ歩いて来て、ハルジオンの花をカモに向かってぽいぽい投げた。数メートル先の池畔では、その子の父親が虫捕り網を手に持って、
と怒鳴っていた。
帰宅後、釣果が何もなかったので、日記が書けないと下の子が愚図った。でもカモに餌をやったじゃないかと宥めすかせ、日記を仕上げさせた。絵は下の子が自分で描いたが、文章はほとんど私が書いたようなものだ。カモは横から餌を投げられるとよく食べる、と。カモの様子ばかりで「楽しかったです」や「面白かったです」などの自分自身の気持ちが一言も書かれていない絵日記。そういうタイプの絵日記を、学校の宿題として提出するなんて、子供時代には思いもしなかったなあ。
そもそも住宅密集地でソーラーパネルとか、数少ない日当たりを全部電気に変えるようなもんじゃね?っていう疑問
それに対した効率にもならないでしょ。
メガソーラーみたいな配置にできるならいいけど、電柱や電線一つで発電効率がびっくりするくらい下がるし、近所にワンルームマンションでも建った日には。。。。
ワンルームマンションはこれまではただの日照権の問題だったけど、ソーラーが義務化なんてされた日には直接電気代に関わってくるからな。
少しでもソーラーパネルを乗せることができて発電できるという点からみれば、そりゃ都内の住宅の大半が当てはまるのかもしれないけど、
数百万っていう少なくないお金を施主負担でかけさせて、投資効率は度外視です強制ですっていうんじゃちょっとねぇ。
まぁ、ソーラーが良いかどうかって立地によってケースバイケースな話だと思うんだよね。
それにちゃんと発電できていても、10年も立てば石が飛んできたりだなんだでガラスにヒビが入ってモジュールが死んでストリング全部発電しないとか普通にあるわけよ。
その中で、例えば昨今のコロナと戦争でソーラー業界は悲鳴をあげてバタバタと閉じていたりするわけなんだが、
40年発電できると言ってもメンテナンスフリーなわけではもちろん無いし、じゃあ40年会社が存続するとも限らない中で、強制の場合は誰がどう保証するのよ?
っていう至って普通の疑問。
お寺の境内で花見。子供達と私の両親と弟と私で行った。七分咲きくらいだった。早咲きの品種の桜ばかりある。山桜は葉が出始めで、花はまだたった。
去年までは無かった立札があった。桜の枝を折らないでとか根を踏まないでとか、書いてあった。花見に沢山の人達が来るのは今に始まったことではないのだが、去年に何か悪質な悪戯でもあったのか、それともつもり積もった我慢がついに爆発したのか。
お花見ついでにお賽銭箱に賽銭を入れて行く人が幾人か。アラサーくらいのカップルで、女性の方がお賽銭を放り込んだら、男性の方が女性の袖を引いて、なんか文句を言い、それで二人は揃って姿勢を正し、一礼二拍手をしてからまた賽銭を入れた。
境内には桜の他にも花をつけた木が植わっている。細い花弁4枚の、黄色い花をたわわに着けた、枝の細い木があった。それを父が見て、「これはミツマタ」だと孫達に教えていたが完全に間違っている。ミツマタはその花とは似ても似つかない。沈丁花にならちょっと似ている。名前の通り、三つ又に別れた枝の先に花を咲かせる。何でそれを私が知っているのかといえば、うちの庭に生えているからだ。
ミツマタでなければなんなんだ? と問われたが、知らないので答えられないでいると、父は「じゃあやっぱりミツマタじゃないか!」と怒り出し、勝手にそういうことにしてしまった。昔から癖の強い人だったが、歳を取るにつれて、いよいよ悪化していっている。今はなき母方の祖母が庭に植えた芙蓉のことも葵だと言ってきかない。父は祖母のことが嫌いなのでなおさらだ。母は父の言う事を何でも肯定するので、芙蓉と葵どっちだ問題でも父の方を持った。そもそも芙蓉と葵は紛らわしい見た目の花だが、苗木を買った人(祖母)が芙蓉って言ったんだからそうなんじゃねえのかな、知らんけど。
両親と弟が一緒じゃない日にも何度か寺に花見に行った。
ドライブスルーなだけのお花見。二十年以上前、私がこの街に引っ越して来た翌日か翌々日に、この桜並木の桜が満開で、しかも桜祭りが開催されていた。それは絢爛豪華な感じだった。
あれから二十年。当たり前だが桜はとても大きくなり、枝が電線に触れるほどの丈となった。すると近隣住民からの苦情が入るようになったらしく、桜の花や落ち葉が路上に落ちないよう枝を剪定することになった。ところが、それを自治体から依頼された業者が下請けに丸投げし、更に孫請の建設会社に押し付けられたため、単なる素人作業となった。今の桜並木は目も当てられない有様で、何本か枯死した。でも一応はソメイヨシノらしく、沢山の花を咲かせる。あまり見映えはよくないにしろ。桜祭りは、私が見た華やかな歳が開催日に桜が咲いていた、最初で最後の年だったらしい。毎年桜の開花と祭りの日程が合わず、しかも決まって当日に雨の降る冬日となるので、十数年前に祭りは廃止になった。
運動公園の外周には立派な桜の木が何本も植わっている。いつか見に行こうと思っていたのだが、子供達が運動公園を怖がるので、いけないでいた。何故怖がるのかというと、運動公園には地元の少年野球チームやサッカーチームが練習試合をしにやって来るからだ。
広い公園の半分ほどは小さな子供達のためのスペースと散歩者のための遊歩道や憩いの場で、半分がサッカー場と野球場なのだが、練習試合のある時は選手達が広場まで侵出してきてウォームアップをしたり、暇と体力をもて余して走り回っている。彼らは余所見をしながら全力疾走で、幼児たちがよちよち遊ぶ広場を突っ切り、順番待ちをする親子を押し退けて滑り台を駆け上がり、お年寄りの歩く遊歩道をジグザグに走ってゆく。
ある時、子供達を連れて遊んでいたらそこへ野球チームが練習にやって来て広場がしっちゃかめっちゃかになったことがあった。その時子供達は小さかったのだが、よほど恐ろしかったのだろう。いまだにその時の事を覚えているのだ。
コロナのご時世のため、スポーツをしている人達は誰もいなかった。もしかするとグラウンドを団体に貸していないのかもしれない。公園の中をぐるりと一周し、子供達を遊具で遊ばせた。広場の端に、「ここは子どものための広場です。危険ですので野球やサッカーチームの侵入を禁止します。練習やウォームアップ等に使用しないでください」という立札があるのを発見。見たところ、比較的新しい立札だった。
桜の木の下を通ると、ヒヨドリが金切声を上げて飛び立つ。すると、ヒヨドリのいた枝から私達の頭上に、桜の花が花柄ごと降ってきた。地面は鳥に啄まれて落ちた花がびっしり敷き詰められていた。
公園の事務所とラウンジから死角となる場所の桜の木の下で、お爺さん達のグループが酒盛りをしていた。
毎年花見に来るスポット。子供達は、桜の花よりも、芝生を侵食しているクローバーに夢中。四つ葉が欲しいらしい。
昼時から少し外れた時間に来ると、近隣の老人ホームやデイサービスの車が何台も、車椅子に乗ったお年寄りを運んで来る。毎年の光景だ。うちの子供達が赤ん坊の頃から既に恒例行事で、お年寄りを乗せて来る車も毎年同じ施設の名が入っている。しかし毎年ここに花見に来ているお年寄りがいるかどうかは知らない。
家から徒歩で行けるが、住宅街の真ん中でうちから見えるところではないため、何となく行かないまま終わる年もよくある。
満開の花が風に煽られてはらはらと散っているところだった。子供達が花びらを追いかけて、犬みたいに走り回る。風が吹くたびに強い芳香がたつ。どこか近所の家で桜餅を手作りしているのかと思って周囲を見回したら、匂いは桜の樹の下から漂って来るようだった。木根の辺りからひこばえがぼうぼうに生えていて、葉っぱと花を同時に着けている。それが匂うのだ。桜の木の上の部分はソメイヨシノで、枝に着いているのは花だけなのだが、根の部分は大島桜なのだ。つまり、挿し木の土台だった部分がまだ大島桜の性質を遺している。
たぶん、今は公民館の桜を管理している人は誰もいない。数年前までは公民館のすぐそばにある小さな一軒家に住んでいたお爺さんが公民館とその近くの 小さな公園の植物の面倒を見ていた。だが、今はお爺さんの家は空家で、お爺さんの姿はもう長いこと見かけていない。昔はうちの前の通りを散歩して、うちの庭の桜を綺麗だとほめてくれたりした。
電線つながってないやん
https://togetter.com/li/1838074
定期的に
みたいな奴が沸いてくるので言っておくけど
この美大生は何も悪くない
この写真に写っている短焦点プロジェクターは恐らくRICOHの機種のもので
https://www.ricoh.co.jp/projector/pj/wx4153n_wx4153/
仕様を見ればわかるが消費電力は313Wだ
そんでコードリールといえばハヤタだが、例えば下記の製品なんかは5Aまでいける
https://www.hataya.jp/products/cordreel/post1001/
下の注意書きにもあるが「定格電流は電線を巻いたままの状態で使用できる電流です。」ということだ
100Vなら500Wまで大丈夫だ
ハタヤが特別凄いわけじゃ無くて例えば日動なんかも同じだ
https://www.nichido-ind.co.jp/products/series/76/
ちなみにこれなんかは全巻でも10Aまでいける
https://www.hataya.jp/products/cordreel/post1008/
なのでこの美大生は何も悪いことをしていない
(ただ、よく見るとコードがもう一本のびてるから同じプロジェクターが2つ繋がってる可能性があるのでその場合は定格の5Aを超えてるかも?)
(でもプロジェクターのエコモードなら208Wらしいから理解して使ってる分には問題ないかもしれない)
とにかくなんでもかんでも「コードリールは伸ばして使え」とか言ってマウント取らないでほしい
ただ、当然だが過信してはいけない
ということだ
全巻なら5A、延ばせば15Aだと書いてある
(というか義務教育でやってるはずだが、義務とは何なのだろうか)
普通の電源タップでも大抵の場合は15Aまでは大丈夫だが、ちゃんと確認してから使え
身近なところでいうとホットプレートとか暖房器具とかは結構な消費電力なので、その電源線を持ってみるとかなり熱いことが分かると思う
この熱に耐えられる延長コードなのかどうかをしっかり身をもって確認してほしい
まぁ説明書をちゃんと読めば書いてあるのだけれど読まない人が多すぎて
間違えて使う人と同じ数ぐらいマウント取ってくる人が多い
ちなみに最近のコードリールは温度センサー付いてたり引き延ばさないとそもそも使えないやつがあったり対応してある
https://www.hataya.jp/products/cordreel/post10035/
多分5Aだと言ってるのに10Aとか使う人が多くて辟易としてしまったんだろう
使用者の知識レベル(電気的な)に差が多い場所だとこういうのを買う方がいいと思う
実際に計算してみれば分かるがたかだか5mぐらいを巻いたところでたいしたことはない
もちろん説明書に「出して使え」と書いてあったら出せばいい
とにかく、説明書を読め
ほんとすいません・・・。最近この手の打ち間違い多いな・・・。歳かな・・・。
ほんとすいません。力率は1でお願いします。
でもよく考えたらこれって義務教育じゃないよね。その辺が電気製品の難しさになってる気がする
例えば延ばして使っても15A越えてたら非常に危ない
30Aの携帯基地局をコードリールで延長したらダメだよ(100Vで使えるのかどうかしらんけど)
なのできちんと説明書を読んで欲しいし、ちょっと怖いなーと思ったらケーブル握って欲しい
これな
5A以内で使ってる場合もあるんだから巻いて使ってる人を袋だたきにするのはやめてほしい
どんな分野でも叩くのをやめて欲しいし指摘するとしても説明書ぐらいは読んで欲しい
(CNN) 新疆ウイグル自治区で夜中に急襲が始まった。
ライフル銃で武装した数百人の警官がウイグル族の住む町で家々を回り、数百人を家から引きずり出し、手錠をはめ、フードをかぶせた。もし抵抗したら撃つと脅した。これらは中国の元警察官がCNNに語った内容だ。
この人物は「我々は夜中に全員を強制的に捕まえた」「もしその地域の一つの郡に数百人がいるのなら、数百人を拘束しなければいけなかった」と話す。
元刑事であるこの内部告発者は中国に残る家族を守るため、「ジャン」との名前だけで自分を特定するように希望した。
ジャン氏は亡命先の欧州で行われたCNNとの3時間に及ぶインタビューで、新疆ウイグル自治区の収容所でウイグル族を拷問する組織的作戦と同氏が位置付けるものについて詳しく説明した。このような詳細が明かされるのはまれ。中国はこうした拷問の存在を何年も否定してきている。
ジャン氏は警察の留置場で自分や同僚が尋問したときを思い出しながら、「あざができて腫れ上がるまで、彼らを蹴り、なぐる」「彼らが床にひざまずき、泣き出すまでだ」と述べた。
ジャン氏が新疆にいたとき、新たに拘束された人は全員が尋問で殴られていたと語る。男女を問わず、最年少で14歳の子どもまでいたという。
拷問の方法はさまざまだ。被疑者の動きを封じる金属製や木製の「タイガーチェア」と呼ばれるいすに拘束したり、天井からつるしたりしたほか、性的暴行、電気ショック、水責めもあった。数日間寝ることを許さなかったり、食事や水を与えなかったりしたこともあったという。
ジャン氏は「全員が違う方法を使う。バールや鍵付きの鉄の鎖を使う者もいる」「警察は容疑者の顔を踏みつけ、自白しろと迫った」と語る。
ジャン氏によると、容疑者はテロ犯罪の疑いで摘発された。だが、ジャン氏が逮捕に関与した数百人の中で、犯罪を犯したものは「誰もいない」と感じているという。「彼らは普通の人々だ」ともジャン氏は付け加えた。
ジャン氏は通常の職務を離れて新疆に3、4回派遣された/Courtesy Jiang
ジャン氏は通常の職務を離れて新疆に3、4回派遣された/Courtesy Jiang
ジャン氏によれば、警察の留置場での拷問は自白するまで続けられた。その後、容疑者は守衛が配置された刑務所や収容所などの施設に移送されるのが通例だった。
自分の証言を裏付ける目的で、ジャン氏は中国にいたころの警察の制服、公的書類、写真、動画、身分証をCNNに提示した。ジャン氏の身元を守るためにCNNはこれらを掲載することはできない。CNNは中国政府に今回の告発内容について詳細な質問を送ったが、返答はない。
CNNはジャン氏の主張する内容について独自に確認出来ていない。ただ、ジャン氏が語った詳細な記憶の多くが、CNNが本記事でインタビューした2人のウイグル族被害者の経験と一致する。国際人権団体「アムネスティ・インターナショナル」が6月に出した160ページに及ぶ報告書でも、収容所にいた50人以上の人々が証言をしている。
米国務省は2017年以降に最大200万人のウイグル族や他の少数民族が新疆の収容所に拘束されたと推定している。中国はこれらは職業訓練施設であり、テロリズムや分離主義の撲滅を目的としたものだと主張。新疆で人権侵害が起きているとの批判に対し否定を続けている。
中国外務省の趙立堅報道官は今年6月の記者会見で「新疆でのジェノサイド(集団殺害)と呼ばれるものは、隠れた動機に基づくうわさでしかなく、真っ赤なうそだと改めて強調したい」と述べた。
先月29日には、新疆政府の当局者が記者会見で、以前収容所にいた人物として1人の男性を紹介した。この男性は収容所に拷問は存在せず、拷問があるとの主張は「全くのうそ」と述べた。男性が発言を強要されていたのかは不明だ。
ジャン氏が初めて新疆に派遣されたとき、テロの脅威に打ち勝つ助けになりたいと願っていた。そうした脅威は中国を脅かす可能性があると聞かされていた。また、警察に入って10年がたち、昇進したい気持ちもあった。
上司からこの任務に就くように求められた際、上司は「分離主義勢力が母国を分断したがっている。我々は彼らを全員殺さなければいけない」と語ったという。
ジャン氏は通常の職務を離れて新疆に3、4回派遣され、新疆の複数の地域で働いた。中国で「猛撃」と呼ばれる対テロ作戦が佳境に入ったときだ。
ウルムチ市の達坂城区にある第3収容所/Mark Schiefelbein/AP
ウルムチ市の達坂城区にある第3収容所/Mark Schiefelbein/AP
14年から始まった「猛撃」は、新疆の少数民族を大量に拘束するプログラムを推進した。こうした民族の人々は、単にベールをかぶっていた、または長いあごひげを生やしていたといった理由で刑務所や収容所に送られた。子どもが多すぎるとの理由で送られた人もいた。
ジャン氏はCNNに対し、15年に北京から出された公的な指示を記載する1通の文書を示した。それは中国の他の省に対して、国内でのテロへの戦いに参加するよう呼び掛けるもので、「習近平(シーチンピン)総書記の重要な指示の精神を届けるように」との記載があった。
「新疆支援」と呼ばれる仕組みの下、中国各地の省から15万人の警察官が集められたとの話をジャン氏は聞いたという。この仕組みは、新疆の各地域に治安関連資源を含む支援を提供するように、各省に促すものだった。ジャン氏によると、一時的な赴任には報酬面で恩恵があった。派遣中は通常の給与が倍になり、他にも特典があったという。
ただ、ジャン氏は新しい仕事と弾圧という目的にすぐ幻滅を感じたという。
あらゆる所に検問所があり、多くのレストランや広場が閉鎖されている状況を目の当たりにして、「初めて行ったときは驚いた」とジャン氏は語る。
慣例となっていた夜中の作戦では、摘発する対象者の名簿が渡された。拘束するウイグル族の正式な割り当て人数を達成するための命令の一部だったという。
ジャン氏は「これは全てが計画され、システムがあるものだった」「全員が目標を達成する必要があった」と語る。
もし逮捕に抵抗する者がいたら、警官らは銃を頭に突きつけて「動くな。動けば死ぬ」と警告したという。
ジャン氏によれば、警察のチームは家宅捜索も行い、コンピューターや電話からデータをダウンロードした。
地区の委員会を利用して村落の長との会合があると言って住民を呼び集め、集団で拘束することもあったという。
ジャン氏は当時を「戦闘期間」と呼び、当局者が新疆を戦争地域として扱っていたと語る。警官はウイグル族が国家の敵だとの訓示を受けていたという。
もしこのプロセスに抵抗していたら、自分が逮捕されていただろうとジャン氏は語る。
「ただのサイコパスもいた」
ジャン氏によれば、警察の留置場での主な目標は、性的な拷問などの手段を用いながら、拘束した人々から自白を引き出すことだった。
「もし自白させたいなら、先に2つのとがった部分がある電気ショックを与える警棒を使った」「そのとがった部分に電線2本を縛りつけて、縛られている人々の性器にあてがった」とジャン氏は語る。
自分は尋問中「悪い警察」を演じるしかなかったと語るジャン氏だが、一部の同僚とは違い、最悪の暴力は避けたという。
ジャン氏は「これを仕事と見る人はいたが、ただのサイコパス(精神病質)の人もいた」と語る。
拷問の「よくありふれた手段」の一つは、守衛が受刑者に対し、新入りの男性受刑者をレイプし虐待するように命じることだったという。
新疆出身のウイグル族の学者、アブドゥウェリ・アユプさん(48)は13年8月19日、警察に拘束されたと語る。ライフル銃を持った警察が、アユプさんが開園したウイグル語を教える幼稚園を取り囲んだという。
アユプさんによると、カシュガル市の留置場での最初の夜、アユプ氏は十数人以上の中国人収監者に集団レイプされた。守衛3、4人が命じて、その様子を見ていたという。
守衛はアユプさんに下着を脱ぐように言って、体を折り曲げるように命令したという。「こんなことをするなと私は叫んだ。お願いだからしないでくれと」とアユプさんは語る。
守衛の命令を受けた収監者十数人以上に集団レイプされたというアユプさん/Rebecca Wright/CNN
守衛の命令を受けた収監者十数人以上に集団レイプされたというアユプさん/Rebecca Wright/CNN
虐待を受ける中でアユプさんは気を失い、意識が戻ると自分の嘔吐(おうと)物や尿が周囲にあったという。
「ハエがいて、私の周りを飛んでいるようだった」「ハエは私よりましだと思った。誰もハエを拷問しないし、レイプしないから」とアユプさんは語る。
「男たちが私を笑い、私をとても弱っていると言っているのが見えた。そうした言葉が聞こえた」。アユプさんへの陵辱は翌日も続き、守衛の一人は「楽しかったか」と聞いてきたという。
アユプさんによると、その後留置場から収容所へと移され、14年11月20日に解放されたという。「不正な資金集め」の罪を自白させられた後だった。
アユプさんが拘束された時期は新疆での大規模な取り締まりが始まる前だが、その証言はウイグル族の人々が何年も主張してきた少数民族抑圧で使われた手段の一部を反映するものだ。
CNNはアユプさんの証言について、中国政府からの回答を待っている。
アユプさんは今ノルウェーに住み、ウイグル族の文化を絶やさないように教育をしたり、子ども向けのウイグル語の本を書いたりしている。だが、拷問で受けた傷は永遠に残ると語る。
「私の心に残った傷だ。私は決して忘れない」(アユプさん)
「彼らは私を動けなくして殴った」
オランダに住むオミル・ベカリさん(45)は、収容所での経験から来る影響に長く苦しんできた。
「(収容所で)私が受けた苦悩と苦痛は決して消えない。私の心から離れない」とベカリさんは語る。
収容所の釈放証明書を提示するオミル・ベカリさん/Ivan Watson/CNN
収容所の釈放証明書を提示するオミル・ベカリさん/Ivan Watson/CNN
ベカリさんは新疆で生まれ、ウイグル族の母とカザフ族の父を持つ。06年にカザフスタンで国籍を取得し移住。新疆に出張した17年3月26日に拘束され、その1週間後にはカラマイ市の警察署の地下で、4日間昼夜を問わず尋問や拷問を受けたという。
ベカリさんは「彼らは私をタイガーチェアに押し込んだ」「私を動けなくして、太ももや腰を木のたいまつや鉄のむちで打った」と語る。
警察はベカリさんにテロ支援の自白をさせようとし、ベカリさんはその後8カ月間を複数の収容所で過ごしたという。
「彼らが初めて私に足かせをはめたとき、地獄に来たのだとすぐ理解した」とベカリさんは話す。重い鎖が手と足に取り付けられ、就寝時でさえ体を曲げる姿勢をとらざるえなかったという。
収容所にいる間に体重は半分ほどに落ち、出所時には「骸骨のよう」だったという。
「私は信仰を持った人間だから心理的な拷問を耐え抜いた。信仰がなかったら耐えられなかっただろう。生涯の信仰と自由への渇望が私を生きながらえさせた」とベカリさんは語る。
収容所にいる間に知人2人がそこで死んだという。さらに母親やきょうだいも収容所に入り、父のバクリ・イブライムさんは18年9月18日、新疆で拘束中に死亡したとの話を聞いたという。
新疆政府は先月29日、ベカリさんに関するCNNの質問に答え、ベカリさんがテロ犯罪の容疑で8カ月間拘束されたことを確認した。ただ、拷問や家族の拘束に関するベカリさんの主張は完全なデマで中傷だと述べた。ベカリさんの父親は肝がんで死亡し、家族は「現在普通の生活を送っている」とも話した。
ベカリさんは父が新疆で拘束中に死亡したと知らされた。中国当局は肝がんが死因だったとしている/Rebecca Wright/CNN
ベカリさんは父が新疆で拘束中に死亡したと知らされた。中国当局は肝がんが死因だったとしている/Rebecca Wright/CNN
「私は罪を犯した」
欧州の新しい家で暮らすジャン氏だが、2~3時間続けて眠ることは難しいという。収容所の人々に続いた苦しみが頭によぎり、崩れ落ちそうな気持ちになるという。
「私は感覚がまひしている。あまりに多くの人々を逮捕していた」とジャン氏は語る。
収容所にいたアユプさんも夜寝付けずに苦しんでいる。収容されていたときの悪夢にさいなまれ、常時監視されているような感覚から逃れられない。それでも、アユプさんは自分を拷問した収容所の守衛らを許すと口にした。
「私は(彼らを)憎んではいない。なぜなら彼ら全員があのシステムの犠牲者だから」「彼らはそこで自分自身に宣告した。自分たちは罪人で、犯罪システムの一部なのだと」(アユプさん)
アユプさんは今ノルウェーに住み、子ども向けのウイグル語の本などを制作している/Ivan Watson/CNN
アユプさんは今ノルウェーに住み、子ども向けのウイグル語の本などを制作している/Ivan Watson/CNN
ジャン氏は新疆に入る前から、腐敗のレベルが高まっていることが原因で、中国共産党には失望を感じていたという。
「彼らは人々に奉仕するようなふりをしているが、独裁を達成したい人々の集まりだ」とジャン氏は語る。中国を脱出して自分の体験を暴露したのは、「国民の側に立っていたい」との思いからだという。
ジャン氏は二度と中国には戻れないと悟っている。
ジャン氏は「彼らは私を半殺しにするだろう」「私は逮捕され、多くの問題が提起されるだろう。逃亡、反逆、国家秘密の漏洩(ろうえい)、国家転覆、それら全ての罪名を受けるだろう」と語る。
「ウイグル族のために発言をするということは、テロリスト集団への参加で訴追が可能になるということだ。想像のつくあらゆる罪状で訴追されうる」(ジャン氏)
もし自分が関与した被害者の1人に対面したらどうするかと聞くと、ジャン氏は恐ろしくてすぐにその場を離れたくなるだろうと語った。
「私は罪を犯した。このような状況が二度と彼らに起きないことを願う」「彼らの許しをもらえたらと思うが、あのような拷問を受けた人々にとってそれはあまりに難しいだろう」(ジャン氏)
ジャン氏は「こうした人々とどうやって対面すればいいのだろうか」「一人の兵士でも起きたことには責任がある。命令を実施する必要はあったが、あまりに多くの人々が一緒にこれを行った。我々にはその責任がある」とも語った。
二次元のキャラクターに欲情することは結構なのだが、やはり絵になっているだけであって、対象が人間なんだよな。そう考えると「現実から逃避して、都合の良い世界に埋没している」というような指摘は当たっている。三次元の現実世界の置き換えとして、二次元をみているだけだから。
そうすると、例えばケモナーのような、現実に存在しないキャラクター、属性に欲情することの方が、想像力の使い方として高い次元に到達している。しかし、ケモナーだとまだ段階によっては三次元の人間の影をそこに見出している可能性がある。これではいけない。まだ逃避だ。
さらに進むと、やはり人間以外、いや生物以外への欲情。生物なき性欲の楽園。この領域に到達すれば、これはもう褒められるべき想像力の、ある種の高みであり、三次元からの解脱だ。
人は消しゴムに、壁に、電線に、生物の影を見ずに欲情することができる。人間の投影でなく、快楽の道具としてではなく、その物の存在のうちにエロスを見出すことができる。…できるのか?
部品が入ってこないとか、半導体の量が足りない、といったニュースを最近良く見かける。
が、それを支えている産業界の事はほぼ言われてない。そのところを少し書いてみたい。
半導体と言ってもそれを作るのは当然、機械である。その機械の中には電源だったり、電線だったり、スイッチだったりと様々な部品から出来ている。もちろん、その電源や電線やスイッチのメーカーってのもある。
今までコロナ禍で生産量在庫量を抑えていたのが急に発注量が増えた。
足りなくて仕方がない半導体の製造装置を作るためだ。とはいえ、すぐに増産できるものではないので納期に1ヶ月くらい掛かってしまう。納期が掛かると分かると更に発注量が増えてしまう。
腐るものでもないし、入手性が悪くなるのならとりあえず発注しておこう→在庫がないからまた納期が通常よりも遅れる→とりあえず発注→納期遅れ、というこの悪循環が半年以上続いている。今では、発注量が増えすぎて部品によっては納期が6ヶ月、1年待ちになってしまった。通常なら在庫があって即日納品出来るものが、だ。
時間があればミスミやモノタロウでコネクタとかを検索してみてほしい。納期が数ヶ月、もしくは受注停止になってるはずだ。
その受注停止の部品は世の中で広く一般に使われているのも多々ある。一部まとめサイトでまとめられていた、中小企業だと部品が手に入らないから、仕事があっても製品が作れないという状況、というのがここに繋がってくる。