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2016-06-26

分かる人には分かるレビュー

今回レビューするのは「」。匿名性の強さからまれた「増田書き手11人説」というネタを用いて、主要人物を全て増田と括っている一発ネタ出オチ作品読み切りで終わらせる分には「全部同じで分かりにくいなあ」というネタとして消化できなくもないのだが、なんと本作は連載である

さて、本作は一言表現するならば「分からない」作品だ。構成登場人物ネタ面白いかどうかも分からない。誰が誰なんだかさっぱりだし、何をしてるかも意味が分からないし、内輪ネタかどうか判断に困るし、分かったところで面白いかどうか判断に困るし、とことん「分からない」作品だった。分からなくても面白い作品や、分からないことがむしろ面白さになってる作品はいくつかあるけれど、これはそのどちらでもない。分からないし、面白くない。多分、作者本人も面白いと思って書いていないんじゃないだろうか。

まず上述のとおり登場人物区別が困難なので、構成理解するための読者の負担は計り知れない。後ろに(数字)をつけるというみっともない差別化を図るものの、焼け石に水である。そもそも(数字)をつけられても、読者はキャラクターを把握しきれていないのだからからない。もし、ちゃんと理解するなら0話で説明された設定を別ウィンドウで開いて、各話を読むことになるだろうけれど、果たしてそこまでして読みたいと思うような読者が何人いるか(少なくとも私にはそこまでする気力はなかった)。

からない作品だが、コンセプトは明らかだ。「内輪ネタを散りばめた、なんちゃって作品」で、これは最語まで一貫している。なのに失敗しているなら、それはコンセプトが失敗しているからだろう。最近だとアニメにもなっている「ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った?」とかは、ネットスラングを知っていたほうが楽しめる作品ではあるが、知っていなくても楽しめるのは作品構成している主な要素が「内輪ネタ」ではないからだ。

本作の失敗は、内輪ネタを主な構成要素にしたことだ。内輪ネタというものは、知っていなければ基本的面白くない。もし、それを話の主体にすれば、話そのものについていけないことになる。当然、増田を利用しているからといって、はてブ増田で使われているネタを全ての利用者が把握しているとは限らない以上、意図的であろうがなかろうが、この構成は無謀でしかない。

作者が、この難点を理解していなかったといえば、恐らく理解はしていただろう。内輪ネタちょっと捻った表現をして、馴染ませようとしている箇所がいくつかあるからだ。そうすることで、それが内輪ネタだと分からなくても読み進められるように配慮したのだろう。だが、そもそもが「内輪ネタ」を主体にした作品なので、それを理解できない状態で読み進めても面白くない。むしろ、捻って内輪ネタ表現したせいで、本来なら理解できたであろう読者すらふるいにかけており本末転倒である。結果、誰も本作をちゃんと理解して読むことはできない。

総論として、出オチ作品を連載で続けた時点で無謀もいいところなのに、読者に優しくない書き方、内輪ネタの使い方を誤った救いようのない作品だ。仮にそれらを乗り越えて読んだとして、面白いかと問われると、これまた何とも……。批評を書くにあたって全文読んだんだけれど、ツラくて後半は流し読み気味だった。読者にあそこまで負担を強いる構成なのに、それに見合った面白さを提供してくれない。本当に疲れた。仮に評価できる点があるなら、難産で生まれたのが奇形児なのに、それを育てきった作者の根気だろう。むろん、奇形児を生むのもそれを育てる判断をしたのも作者自身なので、同情も賞賛もするものではないのだが。

周りの反応や結果もそれを物語っており、この作品賞賛する人も酷評する人もほぼいない。大半の人にとってそもそも評価対象としてみられていない証拠だ。作者の前作が、面白いかどうかを判断することが容易な程度には読者に優しかった点を考えれば、本作は文章が重たくてそもそも読む気が起きない作品といえる。別に「分かる人には分かる作品自体ダメというわけではない。読者に寄り添わない点ではダメだが、分かる人にはカタルシスを与える点でダメとは言い切れない。問題は本作が、誰にとって「分かる作品」なのか分からないことだ。

2016-04-05

仲良くしよう。

その1

「「はい、どうも~AB型でーす」」

A「O君がいなくなってから心機一転コンビでやる初漫才なわけですけどもね」

B「そうですね、仲良くやっていきたいところですな」

A「仲良くといえば、映画業界

B「あ~、仲良いですな」

A「いや、仲悪くない?」

B「仲良いでしょう。例えばアメコミの実写ね」

A「えぇ……例えば?」

B「皆さんご存知ですけどもね、アメコミキャラ一口に言っても権利はバラバラ」

A「スタジオ役者、その他のスタッフがバラバラになるケースもありますね」

B「でも、いいものを作ろうと努力するんですよ」

A「監督が途中で逃げたり、入れ替わったりしても出来上がりますね」

B「X-MENシリーズとかね」

A「ダメダメじゃねえか! 中途半端共通している箇所があるから余計に混乱するわ!

B「バラバラでも完走する。感動のバトンリレーじゃないですか」

A「そのバトン、途中でマカロニ竹輪になってるだろ」

B「なにその比喩表現(苦笑)」

A「例えばウルヴァリン過去に焦点を当てたZERO

B「俺がジャガーノートだ!」

A「違うので割り込んでくるな!……で、ZEROに出てくる主人公因縁の敵であるセイバー

B「英霊の中でもポピュラーですな」

A「いや、確かにそれもZEROあるけれども! せめてアメコミに絞ってボケてくれ!」

B「似たようなもんだろ」

A「今は『X-MEN ZERO』の話!……で、このセイバートゥース、一作目とZEROでは全くキャラ設定が違うんですよね」

B「まあ、あれはむしろ一作目での設定が酷かったからね」

A「でも時系列的に繋がっているわけですから、そこはキャラ統一しようよ」

B「ZEROに出てきたデッドプールとかも?」

A「デッドプールは出てきてないから

B「え~……みなさん、これが“大人のやり方”です」

A「どうせ『フューチャーパスト』で全部丸く収まるからいいんだよ」

B「『アベンジャーズ』の2作目に出てくるクイックシルバーが色んな意味で別人ですけどねー」

A「……お前、本当は映画業界のこと仲良いと思ってないだろ」

その2

A「仲良くないといえばね。最近のだと2015年版の『ファンタスティック・フォー』」

B「アイエエエエ! スペースニンジャ!? スペースニンジャナンデ!?」

A「宇宙忍者ゴームズじゃねえから! 2015年版! 実写の」

B「ああ、そっちね。なんだっけ、リメイク?」

A「リブートね。映画業界ではありがちですけれど、難産作品でしたよね」

B「監督制作途中で代わりましたな」

A「で、出来たのが、世に出さなかった方がマシなんじゃないかというレベル

B「あんもんじゃない?」

A「えぇ? 本当に? トーチとか黒人なんですけど」

B「でた、人種差別

A「違う違う、原作設定からして違うでしょっていう」

B「シングとかはほぼ統一感あるよ」

A「丸裸じゃん」

B「ムッシュムラムラするから、何も履いてないんでしょ」

A「宇宙忍者ゴームズじゃねえから! ドゥームのデザインとか酷いでしょうが

B「名古屋弁とか喋りそうで親しみやすそう」

A「宇宙忍者ゴームズじゃねえから!」

B「まあ、仕方ないじゃん。リブートでも作ってお茶さないと、作る権利を他のスタジオに持っていかれるかも」

A「ちゃんと作れないなら、いっそ権利を明け渡して欲しいと思うけどね」

B「いや~、ファンタスティック・フォーが名作にされる危険性は少しでも下げないと」

A「なんでだよ! ていうかBの今の物言い。他の2作品の実写もよく思ってないだろ」

B「いや、そんなことないよ初期のファンタスティック・フォー映画は好きだよ」

A「ホントかよ」

B「ホントホントアクションもいいけれど、家族4人の絆が素晴らしい」

A「それMr.インクレディブルだろ!」

「「どうも、失礼しました~」」

2015-11-15

いいじゃないか。

並大抵の覚悟ではできることではない。

爆死しようが成功しようがそれは結果論しか無い。

わざわざそんなことをしなくても十分得るものは得たのに。

得られるものよりリスクのほうが高いはずなのに。

それでもなお書くというのは並大抵の勇気ではない。

競争考みたいなつまらない本を出した時はこの人ほんとに終わったかと思ったけど

そんなことはなかった。とても嬉しい。

笑う人間はいるかもしれないが私は応援する。

からこの本は買う。買って読む。

予習としてイノベーション起業家精神予習しておく。

読んでみておかしいなと思ったらちゃんと指摘するし

ハックルさんの読み方がさすがだと思ったらちゃんと絶賛させてもらう。

ところで。

ラノベ企画の続報はどうなっておりますか  http://info.nicovideo.jp/seiga/hucklenovel/

もうイラストレーターが決まってから2年経つんですがまだですか? 

ライトノベルの書き方をブロマガ一生懸命書かれてましたがついに終わったということはもうすぐ出るって思ってていいんですよね?

もしかしてラノベ出る前に「ラノベの書き方の教科書」って本出したりしないですよね。

ぶっちゃけドラッカー関係の本はどっちに転んでもいいです。

でもラノベは頑張ってくれないと困る。

ラノベの話が出てくるまで、今まではずっと岩崎夏海さんのことは

企画者としては優秀でも文章が本当に退屈でつまらない人だと思って読んでました。

もしドラ読んでもエース系譜読んでもチャボよんでもいっつも同じ。 

わかってる立場人間が思わせぶりな言い方で人をけむにまくような話ばかり。もっとまっすぐ伝わる書き方できないのかとやきもきさせられる。

本人はいろんなことをよくわかってるんだろうけれどそれを他人理解してもらうことを諦めてて、

それで自分の殻に閉じこもっていろいろ先回りして言い訳して自分を守ってるいけすかねえ野郎だと思ってました。

理解してもらおうと言う努力放棄して相手に理解してもらおう受け入れてもらおうという甘えがすごいにじみ出てた。

そんなに自分が何でもわかってるつもりでいたいならそうやってずっと頭髪あたりが裸の王様やってろと。

でもそんな岩崎さんがラノベに挑戦すると聞いて、そういう殻を取り払って

ダイレクトに読者とつながりあうものを書こうって考えられてるのを見てすごい嬉しかったのです。

それは、ある意味もしドラなんかよりずっと難産だろうと思います

どこまで岩崎夏海が頭髪以外の部分をさらけ出せるかという挑戦だと受け止めています

その意気込みをブロマガでたくさんたくさん書いてくれて、私の期待はもう有頂天なわけです。

その挑戦の結果が、たとえストーリーとしてつまらなかったりテーマ性外して売れなかったりしても構わないのです。

ただ、岩崎夏海が、どれだけ真剣に読者に向き合ってくれてるかのほうが大事です。

少なくとも出さずじまいは絶対に許されないし、変に奇を衒って作者が鎧を着てるような作品だったとしても私は嘆き悲しむでしょう。

ずっと待ってます。ずっとずっと待ってます。 ずっとずっとずっとずっと待ってます

このラノベが出るまではあなたのことをずっと見ています

2015-07-31

子供欲しいけど産みたくない

数年前に第一子を産んで、子供可愛いのを日々実感している

第一子が大きくなってきたので、そろそろ二人目は?ってよく言われる。

二人目がいないと一人目は『かわいそう』なんだって

だって子供は欲しいけど、妊娠出産が嫌すぎる。

一人目が難産で緊急帝王切開でとにかく痛くてつわりも重くて臨月まで気持ち悪くて

あそこまでして産むのか・・・って思うとひたすら嫌。恐怖しかない。

産んだら忘れるよって言われるけど、具体的な痛みはともかく恐怖心だけは忘れられないよ!

未だに手術台に乗った時のこと思い出すとちょっと震える。

社会理解が進んだのか子無しに子供のこと言ってくる人は減ったけど(でもまだいるけど)、

一人産んでるとわりと気軽に二人目とか言ってくる人が多い気がする。

どっかに赤ちゃん落ちてないかなぁって思う日々。

でもきっと、夫は自分の子が欲しいだろうな。

もっと妊娠出産に向いた体質だったら良かったのに。

ただただ悔しい。

2015-06-10

http://anond.hatelabo.jp/20150610001620

当方2歳の息子を持つ父親ですが、妻が難産だったので育休は少しだけ取りましたが、まぁそれでも今に至るまで

結婚前に買っていたスポーツカーロードスター)は買い換えろ→ミニバン の既定路線

かい音たてるな

料理は薄味にしろ

選択は子供服と分けろ、柔軟剤はこれの時にはこれを入れろ

夜は暗くしろ

帰ってきたらリビングに入る前に手を洗え、足を洗え、何なら風呂はい

タバコ吸ったら1時間子供に近づくな

テレビジョジョ3部を見ていたら暴力表現教育に悪いから他の部屋で見ろオラァッッ!

などなど。それ以外にもおむつ交換や夜泣きエターナル抱っこなどなんでもしたよ。

洗濯物は子供が生まれただけで倍増。

それでも子供可愛いので問題ない。

もうね、父親になった時点で、俺の人生は俺のためではなくこの子と妻のためにあるんですよ。

仕事大事だけど、仕事より大事ものができたからよかったじゃない。

2015-01-20

落下中のウンコアテレコするの楽しすぎる

先陣ウンコ閣下に続けぇー!」

難産ウンコ「幾多の闘争を経て……我は今、身体国家くびきから解き放たれた!」

物理学者ウンコ「……これはッ、万有引力!」

自由民権ウンコ板垣死すとも自由は死せず!」(これは流されながら言う)

ゆるウンコ「梨汁ブシャー!!」

こんなかんじ。朝が楽しくなるから、みんなも試してみて!

2014-09-07

ラブレター

しか芥川龍之介氏だったでしょうか、恋とは性欲の文学的表現だと言っていたのは。

僕のあなたに対する感情を表すならまさにそれに近いわけです。もっともその本質は性欲ではないので安心してください。

少し僕の話をします。

僕はその、みかけ一丁前な自意識が出来あがっていく頃、具体的には中学生の頃なんですけど、自分のことを一人ぼっちだと思っていました。物質的にではなく、精神的にです。

生活には余裕がありました。勉強運動も苦手ではなかったので、特に不自由しませんでした。僕のことを好きだと言ってくれる子もいたくらいです。

コツコツ勉強をするのは嫌いでした。部活動は何度も理由をつけてサボっていました。にもかかわらずそれなりの結果を出せていました。

しか努力の結果ではないので充実感もなく、自分がそれが得意だと思ったことはありませんでした。

まさに砂上の楼閣ですね。高校に入ってこの町を出たらただの凡人なんだろうと思っていました。

にもかかわらず、当然ながら周囲はそういった心情を汲んではくれませんでした。

教員受験のことで熱心に近付いてきたし、部活では地元高校に連れていかれて練習させられました。

学校というシステムにおける立場があがればあがるほど、周りの人間とは線が引かれ、僕は同じ立場人間を得られないまま、

ひとりぼっちだと思い、どんどん殻に閉じこもっていきました。

まぁそんなに珍しいことでもないと思うのですが、もともとの自意識過剰性格に加え、環境的なことも相まって、あの頃の僕は特別歪んでいたのでしょう。

毎日寝る前に、真っ暗な自分の部屋でスタンドライトをつけ、カッターナイフHB鉛筆を削っていました。

一度その最中母親が部屋に入ってきたことがあり、彼女心配したようでした。当時の僕はそんな心配もうっとおしいと思っていました。

鉛筆を削っていると少しだけ満たされるような気分でした。鉛筆削りで削ったものと遜色のないものが出来ると何故か嬉しかったのを覚えています

それを終えて眠りにつく。それだけのことでバランスをとっていたのだから我ながら忍耐強いと思います

そんな日々が変わったのはある映画DVDを観た時です。

タイトルは「バタフライエフェクト

これは非常によく出来た映画です。僕はこの映画が一番のお気に入りな訳なのですが、漂うウェルメイド感から、そういった趣向と勘違いされることが多いです。

まぁ違うといってもさらっと説明出来るモノでもないんですけれど。

この映画どういうものかというと、時間をさかのぼる能力を手に入れた主人公自分他人人生をより良くすべく奮闘する物語です。

主人公エヴァン人生を良くする為に過去に戻り失敗を清算していく、しかし直ったはずの世界にはほんの小さなほころびがあり、

それらを全て修正しようと何度も過去に戻るうちに事態はどんどん悪くなっていく。

神のごとき能力を手に入れた青年が神の真似ごとをするのだが上手くいかない。そして青年最後に辿り着いた選択とは。

この映画を観た時に感じたのは映画って凄いという感情でした。それ以上は言葉に出来ません。ごめんなさい。

僕には主人公エヴァンの気持ちが痛いほどわかったし、周りに振り回されて、苦悩する主人公の中にその時の閉じこもっていた僕がいた気がしました。

ラストシーン恋人を救うために過去に戻り恋人との関係を絶ち、関係をなかったことにする。

そして離れ離れに暮らしていた主人公が都会の人ごみの中で成長した恋人らしき人物とすれ違う。

わず振り返る主人公だが、思い直し再び向き直り歩きだす。

今思い返してみると何にそんなに感動したのかわからないくらいベタなのですが。その時の僕にとっては確かに自分のことを言っているように思えたし、

それが恐らくエールに聴こえたのでしょう。詳しくは想像しか出来ませんが。

しかしながらなんだかその頃からと色々上手くいくようになった気がしたのです。まぁそれは結果論かもしれないですけど。

それからはさほど悩むことなく過ごすことが出来ました。田舎から出て新しい友人と出会い。今は東京暮らしています

相変わらず映画は大好きで、こねくり回して楽しんでいます大学では自分映画も撮ったりもしました。

僕にとって映画というのはそれくらい大事ものになったのです。

まぁ勿論歳をくってくると、悩んだ時に映画をみても何も解決しないことはわかってくる訳ですが。

これまでも問題を解決してきたのは自分の力だし、誰かの力を借りたりも大いにしています

無くなっても生きていけなくもない気もしますが、それは気のせいで、やはり映画がない生活は考えられません。

と、長くなりましたがここいらでようやく本題に移りたいと思います

僕はあなたに、つまり映画に恋をしています

なんと形容するのかは非常に悩むところですが、恋というのが一番近いと思います

僕は大学に入って映画制作部活動所属しました。

実際に映画を撮ってみてわかることはかなり多く、自分たちが如何に上質なコンテンツになれてしまっているか

出来不出来に関わらず自分のつくったものにはそれなりの愛着がわくこともわかりました。

そして何より楽しかったのです。

映画を山ほどみたし、映画についてなら一日中喋っていられます

ただ少しだけ引っかかることがあります。それはいつまでたっても完璧映画出会えないことです。

好きな映画を十本挙げろと言われればできますが、僕がほんとうにみたい映画には未だ出会えずにいます

このことが僕が映画に恋をしている由縁なのです。

少女の恋がおおよそ世界存在しない王子様を所望するように、僕もまた世界にあるはずもない完全な映画を求めているのです。

そして恐らくそれは一生叶うことはないでしょう。エヴァンが再開した彼女に声をかけなかったこと、それは恐らくこんな気持ちだったのでしょう。今は今なりに分かる気がします。

触れてしまうことで壊れてしま幻想自分彼女と関わりない人生を送ること、その決断価値はなかったのかもしれない。

エヴァンはあの時、声をかけないことで無意識自分幻想を守っていたのだと思います

僕もまた、完璧映画を探すことで、自分を守っているのかもしれません。至上の目的を持つことで自制を失わないように。

少し前、某動画サイトを眺めていると、こんな文言発見しました。

動画サイトで集めた人材映画をつくりましょう。」

僕は一も二もなく反応していました。

僕は脚本担当を申し出ました。当事者は僕より一回り上のおじさんで、一発当てる気まんまんといった感じでした。

作業は辛かったですが、やはり楽しかったです。

寝るのも忘れて書きました。

出来あがったものはこれ以上ないほどの出来だと思いました。

完成したその瞬間、ほんの少しだけ、あの時の夢のしっぽがみえた気がしたのです。

僕はその時ようやくあの時のバタフライエフェクトを超えることが出来るかもしれないと、本当にそう思うことが出来たのです。

まぁ色々あって結局僕の脚本採用されることはありませんでした。残念ですが仕方ないことです。

しかし何よりも、物語を創るということだけでも映画と関われると気づいたことはこれ以上ない幸いでした。

いつか僕に映画を撮れる新しい友達が出来たらこ脚本を読んでもらいたいなと思います

しかしながら実は脚本を書いたことよりもその過程の方がその実、発見に満ちていました。

その脚本は書き始めるまでがとてつもない難産でした。おじさんから縛りを貰ったのはありがたかったのですが、考えれば考えるほどその縛りがネックになっていきました。

そして、もうどうしようもなくなった時、僕はごく冷静に、極めて自然におじさんのことに思いをはせてみました。

脚本も書けないくせに、映画を撮りたいと抜かすいい歳のおじさんは自尊心にまみれ非常に滑稽でしたが、それと同時に何故か悲哀や、尊厳、意地を感じました。

僕はおじさんと会話を重ね、モノを尋ね、そのことを参考に本を書きました。

脚本が出来あがる頃には、僕の中で既におじさんと僕は良きパートナーになっていました。

まぁ、さっきも言ったように、結局おじさんのクズしか言えない本性を目の当たりにしてしまうのだけどそれはまた別の話です。現実って厳しいですね。

これでどこまで行けるか。あの時、僕は恥ずかしながら、確かに自分のつくる脚本に恋をしていました。

それは以前のように憧れるだけのものではなく、目の前のこの物語と横に並んで一緒に歩いていく、そんな淡い想いだったのだと思います

唯一ノイズがあるとすれば、それがおっさんのことについて書かれていることです。

僕は中学生のあの時から映画に恋をしています

しかしながら、その気持ちは僕の中で憧れを経て、それ自体を愛し、期待し、守るもの、そして明日を与えてくれるものへと変わっていきました。

こんなことを書くのも気味が悪いと思いますが、僕はあなたが恋している相手に心当たりがあるのです。

映画に映っているのはいつでも人間です。姿形、人がつくったモノ、人を囲むモノ、人の心、映画の、いやあらゆる表現の中に人間関係のないモノはありません。

それは芸術人間を知る為の手段からだと思っています

どうして日々新しい映画が生まれてくるのか。それはまだ人間が未知で、支配出来ないモノだからではないでしょうか。

それらを愛し、それらに期待し、それらを守る為に映画今日も撮られているのだと思います

芥川が、ほとんど死の直前まで書いていた文章の中に映画シナリオがあったといいます

日々募る絶望の中、彼は映画をみて何を思っていたのでしょうか。

彼はしきりに生活芸術は分離していると語っていました。

僕は映画のことしか知らないし、それもたかが知れています。(文学も少しかじっていますが)しかしながら現代生活映画は近しいモノだと思っています

僕は芥川の書いたラブレター文学だと思っています。なぜならあれを読むといつも涙が出てくるからです。それでは説明になってませんでしょうか。

僕たちはかつて例をみないくらい幸いだと思います。共に歩くものに確固たる自分をのせることが必然として出来るからです。

僕は映画に飽きないでしょう。あなた人間に恋していても、きっちりそれごと抱える覚悟です。

僕とあなたは違いますが、少なくともあなたの憧れているものの一部です。

からこんなことを言うのは変かもしれないけど、あなたのことが大好きです。

優しいところが好きです。

冷たいところが好きです。

怖いところが好きです。

笑わせてくれるところが好きです。

泣かせてくれるところが好きです。

そしてなにより何だかよくわからないところが大好きです。

以上、あなたに恋する男から言葉です。返事はくださらなくて結構です。ただ微笑みかけてくれればとてもうれしいです。それではまた。

2014-09-06

パクリについて

最近パクリで騒いでいるけどさ、パクってる気はなくてもパクっていることあるんだよね。

例えば、アイデア思いついたけど、

そのアイデアはすでに5年前に他の誰かが特許化されているなんてことあるんだよね。

5年前~8年前に特許取得はしてるけど、会社から製品化のGOサインが出なかった。

もしくは資金調達などがうまくいかずに止まっている、とかいうやつ。


昔は製品開発するとき、こういうことに気を使っていたんだけど、

最近は、世の中がモラルハザードしてるから

(パクって当然という風潮からか)まったく気を使わなくなっている。


一般人が考えている以上に、そういうのが特許文献の中にゴロゴロしてる。

こういうのは踏むとやばい

アメリカではパテントロールとか言って嫌われてるけど仕方ないと思うよね。

アイデアで出して勝負するなら特許出願はしなくても、

既にどういうアイデアが登録されているかぐらい調べるべきだと思うんだよね。

特許は公開されると、その情報はどこからとなく広まっていくよ。

文献読めない人がほとんどだから劣化した情報(文献の50%~60%程度の内容が広まる)が波の様に伝わっていく。

潜在意識のどこかでこの内容を聞いた人が、ある時、そのアイデア自分で思いついたと勘違いしてしまう。

誰かが言っていたことで、それが記憶のどこかに残っていいるんだけど、

誰かが言っていたということを忘れてしまって、思い出したときに、さも、自分が思いついたように勘違いしてしまう。

なので、誰かのアイデアを踏んでいない尺度として、(特許に引っかからないようにするためには)

以下のことを考えるのをお勧めする。

さらっと出たアイデア安産だった奴は、まず他の人が既に考えているだろうと疑うべき。

難産だった奴。これは私の経験上、誰も考えていない。

アイデア出し一つとっても、プロ世界ってこと。

2014-06-22

アメリカ日本じゃ考え方が違う

アメリカ高齢出産に関して社会も寛容だし保険豊富補助金もだしてもらえる

あちらは無痛分娩時間がかかりすぎが原因の障害などの保険適用されるから

日本高齢出産ダメヤバいからこれが最後かも・次は無理かもとなるし

無痛分娩が原因の障害の保険は先ず適用されない

アメリカ20代健康40代なら障害や奇形難産の可能性に差はあまりないという検証結果一般人にも知られてるので何かあっても次頑張ろうって考える

無痛分娩胎児への負担普通分娩よりは大きいよ

母体は補助するだけだから

普通分娩だと母体への負担が大きくなるので母体が力尽きることもある

普通分娩は胎児優先の母体の体力次第

無痛分娩母体優先の胎児の体力次第

から母体が無事だからこそ次を頑張ろうって考えのアメリカ無痛分娩が主流になってしま

無痛分娩だと胎児の体力次第だから胎児が力尽きることもあり、普通分娩より脳が圧迫される時間が長いため障害にもなりやす

日本は障害児を生んだら風当たりが酷いからな…

2014-04-23

男性同士の友人関係に子有り子無しの壁は無いの?

31歳 独身 子ども無し しがない契約社員

先日仕事中、卒業以来連絡を取っていなかった大学同級生から

出産のお知らせ♥︎難産の末3280gの

男の子誕生しました!(赤子の写真添付)」とメールが。

こちらも「企画誕生のお知らせ♥休日返上徹夜の末

6000KBの企画(書)が生まれました!(圧縮したPDF添付)」と送ろうかな。

それはさておき。

人知人の8割が結婚しており子どもも居る。

fbはもちろん子育て日記オンパレード

休日に皆で集まってももちろん子育てトークに花が咲いている。

へぇ〜!」「スゴ~イ!」「カワイイ〜!」なんて相槌打つのみ。

毎日仕事でへとへとになって帰宅して簡単な夕飯作って食べて寝るという

「一人でいっぱいいっぱい」な日々がなんだか申し訳なくなる。

価値観が変わり、友人関係が変わる。

社内でも子有り子無しで自然とわかれている。

仕方無いとは思うが寂しい。

だが男性同士の友人関係はどうだろうか。

社内でもプライベートでも子有り子無し関係無く

交流している気がする。

気がするだけでそうでもないのかな?

2013-11-16

http://anond.hatelabo.jp/20131116160424

妊娠してるからって、無理に食べ物を詰め込みすぎると、心臓などに負担がかかって母子ともに危険な状態になる事があったり、出産時に贅肉のせいでやたら難産になる事がある。なので、(限度はあるが)肥満を恐れる事そのものは正しい。

2013-08-13

久々に切れた。

尻の穴が、である

事件が起こったのは昨日。

いつも通りにトイレにいったが、なかなかの難産

うーやれやれと思って水を流そうとしたら、便器の水がほのかに赤かった。

からたまに切れることはあったが、最近はなかった。

昨日の風呂に入る際にパンツを確認したが、血がついている様子もなかったため、

特に何もしなかった。

今朝、電車会社の最寄り駅についた時に、便意を催した。

トイレに駆け込むと、昨日よりかは安産であったがまぁそれなりに苦しんだ。

そしてやはり赤く染まっていたのだ、便器の水が。

今まで2日連続でなったことはあまりなかったんだが、

これはそろそろ治療を始めるべきなのか?

とりあえず塗り薬薬局で買うべき?専用薬買うのはなんか恥ずかしいんだが。

そんなことを考えながら仕事をしている。

特に尻が痛いとかというわけではないので、緊急性は感じていないが、

2日連続ということで薬を買うかどうか少し戸惑っている。

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追記。

お前ら尻ネタ大好きなんだな…いろんな人に注目されて気持ちいいです。

患部に力入れたらちょっとだけ痛い。さらに触ってみたらちょっと痛い。多分切れてるんではないだろうか。

切痔でググってみたら「昔からなりやすかったけどひどくなって手術するはめになりました」という

QAサイトが複数見つかってブルブル震えている次第です。

多くの人に「とりあえず病院いけ」って言われたので明日辺り行けそうなところいで行ってみるよ。

いろいろ心配してくれてありがとう

あとブコメにあった痔ブログおもしろかった。

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調子に乗った追記その2。

しばらくしたらそれなりにじんじんしてきた。尻に力入れるとひりっとくる。

これは明日行くべきだな。

ちょっとおもしろいなと思ったのが、この記事のはてブ70、Twitterが58に対して、

facebookは0だということだ。

facebookじゃ尻の話はできんらしい。

2013-06-20

http://anond.hatelabo.jp/20130620124654

そうですね。正直今振り返ると、あんなに大変ならミルクでよかったんじゃないか自分でも思います

私は難産だったので体が戻るまで2年かかりましたが、ミルクなら1年くらいで元気になれたんじゃないかと。

というか私こそがミルクにすべきだったんじゃないかと。


それでも一年は鬱な日々が続くわけで…出産ってほんと母体にとって過酷な体験ですね。

2013-05-21

まり

・知識が膨大でよく勉強しているほど、wikipedia編集して知識を提供することに葛藤が生じる

・労力を割いて、こだわって企画した結婚式ほど、客を招待することに葛藤が生じる

・並んで買ったおいしい食べ物ほど、人と一緒に食べることに葛藤が生じる

難産でうんだ子ほど、他人と関わらせることに葛藤が生じる

・苦労して書き上げた小説ほど、誰かに読ませるのに葛藤が生じる

http://anond.hatelabo.jp/20130519220945

元増田のそんな人生って楽しいのかしら。

・既婚者達は自分の多くを犠牲にして、結婚を維持してる。

巨人ファン達は、阪神活躍への喜びを犠牲にして、ジャイアンツ愛を維持している。

・買い物とは、金銭を犠牲にして商品を得ている。

・今朝のパン食を犠牲にしていま米飯を食べ続けている。

フレンチ料理人和食料理人になる可能性を犠牲にして、フレンチ料理人であり続けている。

・いま息をすることで、胸腔の静止を犠牲にして生命を維持している。

全部質的に同じじゃん。

なんだろうね、ひとつの可能性を諦めることが、人生の多くを犠牲にした、みたいな発想は。

2013-05-19

高齢不妊以上に「過度なダイエット」こそ、女性手帳啓蒙すべき

女性手帳趣旨は、

「高齢になると卵子が老化するから妊娠希望する人は、早めに妊娠出産するようにしましょう」という啓蒙だ、と理解している。

それはそれで理解できるが、高齢不妊以上に「過度なダイエットマイナス面」の方を、

早急に若年女性啓蒙すべきじゃないか

日本の若年女性体脂肪率先進国中最低水準で、下手すると飢餓途上国よりも深刻らしい。

日本の保健関係者は、世界の保健関係者に会うたびに「日本女性大丈夫か?」と心配されてしまうらしい。

で、博識なはてなーには釈迦に説法だが、過度のダイエットは、生理不順⇒不妊になるほか、

新生児にも悪影響与えるケースも多い。

ただ、女性が過度なダイエットに走るのは、

「痩せ過ぎな女性の方が、男性モテるから」という「実利」「需要」に即応したから、という面も否めない。

なので、「女性の過度なダイエット危険です」という啓蒙は、若年女性以上に、若年男性にこそ、行わなければいけないのかもしれない。

余談だが、職場女性が、日本妊娠して、その後アメリカ出産した。

日本では医者に「難産を防ぐために、なるだけ太らないようにしましょう」と指導されたが、

アメリカ渡航したら「お前、なんでそんなに痩せてるんだ、それじゃあ新生児にも悪影響だ、どんどん食べて太れ」と

真逆医学指導を受けたらしい・・・

2013-02-23

PlayStation4は夢が無い」という幻想をぶち壊す

最初に言っておくと、増田SCEが嫌いな方でPS3Vitaも持っていない。

PSPスパロボの新作が出るまで持っていなかったほどだ。

そんな増田だが、PlayStation4発表でのハードウェアに対する誤解の数々を見てちょっとばかり怒りを覚えたので少し書いておく

x86」ではなく「AMD64

いきなり「何が違うんだ?」と思う人や「何も違わないだろ?」と言う人も居るかも知れない。

だが後半を語る上でもこれは重要な話なので省略しないでおく。

最近PCは当たり前のように64bitのメモリ空間を扱えるようになった。

この増田を読んでる人でも64bit OSを使っている人は少なくないはずだ。

これをもたらしたのは、x86 CPUを作ったIntelではなくx86互換CPUを作っていたAMDである

じゃあIntelは何をしていたのかと言うと、64bit CPUを作っていた。x86を完全に捨てて。

Intelは「IA-64」という64bit CPUを開発して商品も出していたが、これは現在ではほぼ完全に消えている。

何故かと言うと、x86が動かなかったからだ。

確かにIA-64は64bitをネイティブで扱えて「x86の古臭い負債」が全く無かった。しかし、現実世界x86で作られた既存ソフトウェアを求めたのだ。ゲーム業界でも似たような話を聞いた気もする。

それに対して、AMDは「64bitを扱えるx86」を作ってしまった。これが「AMD64」であり、現在業界標準としてx86-64と呼ばれているものである

知っての通り、x86-64現在Intel CPUでも対応している。AMDが作った命令を使わされる事になったIntelは何を思っただろうか。逆に、これまでIntelの命令を使ってきたAMDは何を思っていたのだろう。

Cellが目指した「理想的」なヘテロジニアスコンピューティングGPUが実現した「現実的」なヘテロジニアスコンピューティング

PS3に搭載されていたCellは、非x86スカラプロセッサPowerPC CPU(PPE)と、複数のベクトルプロセッサSPEを組み合わせたヘテロジニアス(非対称)プロセッサだった。(スカラベクトルについてはググろう)

スカラプロセッサが得意な処理、ベクトルプロセッサが得意な処理を両方とも高速に実行できる。それがCellの目指した「夢」だった。

しかし、知っての通りCellが目指した夢は破れた。

スカラプロセッサベクトルプロセッサプログラム最適化は全く別の概念で、プログラマーにとっては野球サッカーを同時にやらされるような物である

しかも、スカラプロセッサベクトルプロセッサの間でデータの交換もある。野球サッカーキャッチボールて。

スーパーコンピュータ「京」スカラベクトルの合わせ業で池田某氏に何度も叩かれるほどの超絶難産だった事は記憶に新し…いっけ?

それが原因でPS3の性能を最大限に引き出したソフトほとんど存在せず、こともあろうにXbox360とのマルチソフトが溢れる結果となった。(ちなみに増田360も持ってないのでエルシャダイプレイ出来ていない、問題だ)

それに対し、PC世界ではPS3360が発売してしばらく後に新たなヘテロジニアスコンピューティングが生まれていた。

CPUに比べて進化が止まらないGPUベクトルプロセッサの代わりとして使う試みだ。

GPUスパコン用のベクトルプロセッサCellSPEと違い、最近のどのPCにも搭載されているので量産効果で割安というメリットがある。

DirectXバージョンも2桁に突入機能が増えるにつれて、「もうこれで計算すれば良いんじゃね?」となったわけだ。

結論から言うとこの試みは無茶苦茶ヒットした。近年開発されたTOP500スパコンGPUが使われていないものを探すのが難しくなってきたし、

最近Photoshopなんかの比較的身近なツールもGPUコンピューティング対応してきてヌルヌル動くようになっている。

しかし、そんなGPUにも欠点はある。「CPUメモリから絶望的に遠い」のだ。

IBM発明MS-DOSWindowsが動くことで爆発的に普及した今のPCは、GPUを外付けにすること前提で設計されていた。

DirectXOpenGLのような例外を除いて、基本的に現代OSCPUとメインメモリソフトを動かすように出来ている。

GPUも、一旦メインメモリ上でGPURAMに載せるためのデータを生成し、CPUからGPU動かすよー」という命令を出さなければ動かせないのだ。

これはGPUにとって致命的すぎる欠点だった。これが原因で、遅さを跳ね返せる最新のミドルレンジハイエンドGPUでなければ逆にCPUより遅くなってしまうケースばかりだ。

現実的な理由で始まったGPUコンピューティングがぶち当たった現実的な壁である

CPUGPUAPU(加速するプロセッサ)の夢

このGPU欠点を克服する方法について、AMDはかなり前(少なくともGPUコンピューティング流行るより前の2007年以前)から取り組んでいた。

GPUコンピューティングが遅いのはCPUから物理的に遠いため命令を送る時間が掛かり、メモリの扱いも異なるせいである。

なら同じ場所に載せてしまえば良いのだ。

CPUからGPUに命令を送る遅延を無くし、CPUメモリGPUメモリを交換する時間も減らせばGPUコンピューティングデメリットは消え失せる。

夢のある話だ。

しかし、AMDには発想と設計技術はあったがカネと製造技術Intelと比べて絶望的に劣っていたため、

初めてのCPUGPU統合したプロセッサIntelに先を越されてしまった。(IntelGPU絶望的に遅いからって実質出てないなんて言っちゃダメだ)

これにはAMDもかなり堪えただろう。けれどもAMD戦略を曲げなかった。

IntelGPU絶望的に遅いのでほとんど意味は無かったが、少なくとも前世代のIntel GPUに比べると格段に実効性能が上がっていたのだ。CPUGPUを近付ける統合には間違いなく意味があったということである

AMDCPUGPUを同じチップにするだけでは無く、メモリアドレス空間」も一緒にする道を目指した。

こうなるとCPUの使っているメモリGPUから直接扱え、GPUの使っているメモリCPUから直接扱えるようになる。

これが実現するとCPUGPUが完全なヘテロジニアスコンピュータに一歩近付くのだ。

しかし、そんな夢のあるCPU+GPUの開発は当然難航した。

半導体工場部門を分社化して売り払ってもまだ開発は遅れた。

2011年にやっとAMD初めてのCPUGPUであるAPUを出せたが、メモリアドレス空間はまだ別々だった。

2012年になってもメモリ空間は別々のままだったが、AMDARMiPhoneAndroidWindows Phoneに載っているARMである)と合同でHSA(ヘテロジニアスシステムアーキテクチャ)を推進すると発表した。

世の中の現実的な人々は笑った。「アーキテクチャだけを作ってもハードソフトが出てこないんじゃ話になりませんよ」と。

同じ2012年AMD2013年中にHSAの第1世代製品を出すとだけ発表し2012年は終わった。

ぼくのかんがえたヘテロジニアスコンピューティングマシン

そして2013年2月21日米国時間20日)、Sony Computer EntertainmentPlayStation 4を発表した。

Cellコケしまったので載らない事は誰もが知っていたが、載っているハードウェア一部の人が驚いた。

―HSAであるPC用のHSA対応APUがまだ正式発表されていない中で、なんとHSAを載せてきた。(2013年末発売だから当たり前だというツッコミは止めろ!)

CPUx86-64Jaguar 8コア(ちなみにPC向けJaguarは4コアまでだ)、GPURadeon HD 7800相当でPS3と違いガチで1.8TFLOPS(理論上1秒間に計1.8兆個の小数点を含む計算を実行可能)のスペックを持つ代物だ。

このCPUGPUは8GBのGDDR5メモリを共有して動作する。8GBと聞くと最近PCから考えると少なく聞こえるかも知れないが、(わたしのメモリは16GBです)

GDDR5とはGPUの描画計算を速く済ませるために作られた超高速メモリであり、ご家庭のDDR3メモリとは比べ物にならない速さが出せる。

実際の所PS4がHSA対応かは正式発表されていないのだが、PC向けJaguarはHSA対応と発表されており、SCEPS4APUCPUGPU)と呼んでいてこの変態メモリ構成とすると、発売までにクッタリスペックダウンしない限りHSA確定と見て良いはずだ。

また、PlayStationはこれまで一度もx86CPU採用した事が無く、これが最初(で最g)のx86採用機となる。

Intelが初代XboxCeleron搭載)であっさり諦めたx86ゲーム機市場制圧の夢を、AMDが思いもよらぬ形で果たしたのだ。

これまでPCしか発売されてこなかったDiabloが、x86-64PS4向けに初めてコンシューマ版を発表した事もx86-64採用が決してつまらない事ではなかった証だろう。(Diabloと戦うハメになるサードの方々にとっては非常につまらないが)

CPUGPUの”フュージョン”…(HSAは以前はFusionと呼ばれていた。そういえばドラゴンボール映画も今年やな…)

AMDが長年の間見てきた夢が、PS4で初めて現実世界に現れることになる。(※ただし次世代XboxもHSA採用PS4より先に発売したりしない世界線に限る)

こんな馬鹿らしいほど夢が詰まったマシンを「x86搭載だからPCみたいで夢が無い」という一言で切り捨ててしまう人に増田絶望した。

なおこの増田Core i7GeForceで書かれた模様


追記

予想以上に反響が大きくてビビったので

でも、それってユーザーの夢にどう繋がるの?

という趣旨感想についてだけ補足。

性能の引き出し易さがPS3と比べて格段に良くなるのでPS3ラストレムナント人喰いの大鷲トリコのような非情現実が減る。以上。

2012-08-07

私の骨の奇形

私の骨には歪んだ箇所がある。

小柄で華奢な母が無理に普通分娩したせいで、母は十数時間難産に苦しみ悶え、私は骨が歪む結果になった。

服を着ていればわからない。裸になって体の右半分と左半分を見比べると、おかしいということがわかる。

更衣室で気付かれたりはしない程度だ。みな、他人の骨の形状なんてじろじろ見ない。

からこの骨のことは母と彼氏しか知らない。

 

自分では気にしていないように思っていたのだけど、そういえば銭湯が嫌いだし、水着も嫌いだ。

ジムヨガクラスに参加し、マシン有酸素運動し、身体の状態に気を配るのもコンプレックスから来ていたのかもしれない。

ジムで汗を流すにしても、シャワーブースしか使わない。

振り返れば振り返るほど見られることを避けていた。やっぱり気にしていたんだなあ、私。

 

2ヶ月弱前、彼氏に骨のゆがみを触られて、「やっぱり変形してるなー」と言われた。

そのときは「やだー言わないでよー」と笑って流したものの、心臓に杭が刺さったような感覚があった。

彼氏の声色に、嫌そうなニュアンスが含まれていたからだと思う。

ここがもっと、こうなっていたらよかったのに…と悔やむような触り方でもあった。

同じ触り方を、私は母親からもされたことがあった。

小学生の私が風呂からあがったとき、どうして普通分娩にこだわっちゃったのかしら、

周りも帝王切開が良いって言っていたのに、あの時はどうしても頑固になってしまって…

綺麗に産んであげられなくてごめんね…と言いながら触る手つきにあまりにも似ていた。

あれから彼氏との肉体的接触をやんわりと拒否している。

元々高い頻度ではなかったので乗り切れていたが、これ以上続くとさすがに浮気でも疑われるかもしれない。

抵抗感や恐怖心がこのまま抜けなかったらどうしよう。お互いの両親に挨拶は済ませているし、

彼のお母さんとは電話までする関係で、増子さんなら任せられるわと言われている状況だ。

ああ、別れることを想像しても、彼の母と私の母への説明が面倒であることしか思い浮かばない。

もう駄目なんだろうか。面倒で、息苦しい。

2012-02-01

やりたいことやりたい。

或いは、やりたいことをやってるのを誰かに妨げられたくない、ケチつけられたくない。

さらに言うと、その先にある「自分が思い描いている結果」が比較的すんなりと得られないと我慢ならない。

難産だったり煩瑣だったりすると嫌気がさしてしまう。

はいえ、できなかった自分がいるのも気に入らないので、一応は実現のために再出発するが、

その「できなかった自分」を再スタートラインとし、それを踏まえて実現を試みるのも気に入らない。

最初から実現可能だったはずの自分を、まずは取り敢えず用意しないと気が収まらないというか・・・

現状の自分を生んだ原因ってこんなとこなんだろうか・・・

2010-08-18

http://anond.hatelabo.jp/20100817035258

これだけだと嫌味に思えないのだが。実際は声の調子や表情で増田氏はそう感じたのかもしれない。

ところで背の低い彼氏は背の低い彼女の良いパートナーとなると思うよ。

 というのも、うちのカミさんが長男を生んだとき、初産ということもあって少し難産だった。病院先生方もいろいろと対処してくれて明け方未明出産できた。

 そのときうちの横の控え室で半日以上待機している妊婦さんがいた。うちの分娩が終わって退室するときに先生が「帝王切開するか」って話していたのできっと自然分娩でなかったと思う。

 何が言いたいかわかったと思うが、その分娩に苦しんでいた夫婦は奥さんが背の低い方(150cmくらい)で、旦那は180cmを越える方だったんだ。

 背の高さに差があるカップルってのも、それなりに悩みはあるものだよ。気にしないほうがよいと思うよ。

2010-04-25

http://anond.hatelabo.jp/20100425014323

あーとりあえず産む時の体力を考えないだけ気が楽で障害児とかは自分だけは大丈夫だろうみたいな感じか。

父親が高齢だと母親が若くても、妊娠率も下がるし流産率も上がるし難産率も上がるから、そもそも子供もできにくいんだけどな。

2009-07-19

弟の相談を笑っていたら死にやがったw

2年前、弟が自分マンション風呂場で死んだ。死亡診断書によると心筋梗塞だった。もともと心臓が弱かったらしい。

先月、父親の納骨に京都の墓にいった。弟の骨を入れた袋は、去年、納骨したばかりだったので、まだ、新しかった。

父親と弟は仲が悪かった。父親は飲んだくれで、昔、酔っぱらって自動車に轢かれたことがあった。警察から電話があってお宅の御主人が道で酔っぱらって道に倒れていますので救急車を呼んでおきましたと連絡があった。後日、近所のひとにきいたら、確かにその夜パトカーがその付近にとまっていたらしい。救急車が運んだ病院で父親は服を脱がされると、身体にはタイヤの跡がついていた。事故証明かなんかをもらおうと警察に連絡すると、その夜、だれも酔っぱらいを発見して救急車を呼んだ警官なんていないといわれた。そんなことがあれば必ず記録には残るそうだ。だれが父親を轢いたのかは謎のまま残った。

アル中気味の父親は家庭では尊敬されていなかった。妹や弟から馬鹿にされても父親は特にプライドがないのかいつも笑ってごまかしていた。

弟は難産だった。母親医者出産するとあなたは死ぬから子供は堕ろすようにといわれたそうだ。母親子供を産んで死ぬのは親の本望だといって無理矢理に弟を産んだ。帝王切開だった。

どちらかは死ぬはずだった母と弟はともに生き残った。

母親占い師にいわれたそうだが、弟の運命は僕を助けることだそうだ。

なので、ぼくはいつか弟は僕を助けてくれるんだろうとなんとなく昔から信じていた。

人付き合いが苦手な僕と違って、弟は社交的だった。中学時代から彼女はいたし、友達も多かった。

そんなにレベルの高い大学にはいけなかったが、楽しそうに生きていた。

僕は社会人になって27歳のときに勤めていた会社倒産してヘッドハントとかされなかったのでやむなく仲間を集めて会社をつくった。

何年かして会社もなんとか軌道にのったあたりで弟が相談をしてきた。弟は大学卒業した後、デジタルハリウッドにいってCG勉強したらしい。友達と一緒に大阪の大手ゲーム会社の下請けの仕事をしたいんだという。ただ、仕事を貰えると決まった訳じゃなくて、まず、タダで仕事をして、能力を認められたら、きちんと発注してくれるらしいので、そしたら、弟の友達は会社をつくるという。で、弟はそこで働きたいそうだ。すごいチャンスだと思うと弟は熱心に説明した。

ちょうど、その数ヶ月前のことだが、ある別の大手ゲーム会社の重役に挨拶にいったことがある。そのときにこれからなにをしたいんだと尋ねられた。僕はネットゲームシステム開発会社として日本一会社になりたいと答えた。それってようするに下請けだろ、と目の前の重役にいわれた。下請けというと、つまりゴミだ、おまえはゴミになりたいのか、と重ねて尋ねられた。もっと目標を高くもて、コンテンツ世界自分コンテンツをつくらないと一人前じゃないと説教された。

そのことがすごく頭に残っていたので、僕も弟に同じことをいった。お前が掴もうとしているのはゴミになる大チャンスだ、と責めた。しかもゴミの一番下っ端になりたいのかと問い詰めた。

結局、弟は夢をあきらめて上京した。

何年かして僕の会社の取引先のひとつに弟は就職した。僕は縁故とかはあまり弟のためによくないと思っていたので、1年間勉強して、他の会社に移れといった。

しかし、2年たっても3年たっても弟は同じ会社にいた。

すくなくとも僕の前では、弟は仕事についてはあんまり自信がなさそうに見えた。でもプライベートでは友達も多く面倒見もよかったらしい。

ある日、弟に相談をされた。鬱病の友達がいて、頼られていて、ずっと相談にのっていた。1週間以上も家に泊まったこともあったらしい。ずっと話をきいていてあげたら、元気になったといって自宅にかえっていったんだが、すぐにその夜に、また、相談にのってほしいと電話があったので、いいかげんにしてくれと思って断ったそうだ。そうしたら、結局、友達じゃなかったんだね。これまでありがとう、恨んでないから、といわれて電話を切られたそうだ。その友達はその晩に自殺した。弟は自分のせいで友達は死んだと責任を感じているようだった。

僕はこれは笑い飛ばしたほうがいいと思って、たいしたことじゃないじゃん、しょうがないといって、あまりとりあわないことにした。

弟は不満げだったが、僕はこういうのは思い詰めるのはよくない、と思った。

そんな相談されたことも忘れたある日、僕は弟が勤めている会社取締役と話をしていた。弟は結構会社では戦力として活躍しているそうだった。ただ、勘違いをする癖があって、ある時、社内で弟が、僕は一番重要な取引先の代表取締役の弟なんだから、それを生かして自分にしかできない調整をやるのが自分の使命だ、とか言い出したことがあるらしい。そのときは勘違いするな、生意気なことをいうな、と散々説教したそうだ。しばらくそんなことはいわなかったらしいが、おととい、また、飲み会のときに、ぼくがいなくなったら、みんな困りますよね、とか言い出したらしい。最近仕事ができるようになったからといって、また、生意気なことをいいはじめたと、みんなでよってたかって虐めたそうだ。一人前になったのなら、最初の予定どおりに独立するなり、別の会社転職すればいい。

おとといは遅くまでのみすぎたせいか、昨日から、弟は連絡もなしに会社を休んでいた。今日もきていないらしい。

弟は父親は嫌いだったが、母親は大好きでしょっちゅう母親とは会っていたし、頻繁に連絡をとっていた。

その夜、母親が弟といっこうに連絡がつかないことを怪しんで騒ぎはじめた。弟のマンションは僕のマンションのすぐ近くだったが、いったことがなかった。夜中だったので、どのマンションかどうしてもわからず管理人のひともいなかったので、その夜は諦めた。

ふてくされて部屋にひきこもっているんだったら、明日でも一緒だし、そうじゃなかったら、たぶん、もう…、おそい、となんとなく予感した。

翌日、会社会議にでていたら、弟の自宅にいった母親から携帯電話があった。会議中だったが、電話にでた。携帯電話からは、僕の名前を絶叫する母親の声がきこえた。

弟のマンションの部屋には鍵がかかっていなかった。見つけて欲しかったのだろう。弟の死体母親が浴室で発見した。

弟の死因は死亡診断書によると心筋梗塞だ。もともと心臓が弱かったから寿命だったに違いない。

弟とはほとんど話をしたことがなかった。僕は弟のプライベートはまったくしらない。部屋には僕の知らない弟の趣味のものがあふれていた。母親はいろいろ知っているようだった。

母親も弟から友達の自殺の話を何度も相談されていたらしい。不幸にはなりたくない、でも幸せになるのもいやだ。弟はそういっていたそうだ。

台所に楽天の箱があり、中身を見ると練炭だった。期日指定配達で、ちょうど弟が死んだ3日前に届けられていた。

調べてはいないが、一年前に死んだ友達の命日なんだろうと思う。

弟が死んだ夜は東京台風がきていて記録的な暴風雨がふきあれていた。その日の昼間には、権利者団体との和解後、暴騰をつづけていた僕の会社株価が、その月に三度目となるストップ高記録していた。

弟は服を着たまiPodだけもって浴室にはいった。窓とドアに目張りして明かりを消した浴室の中で、弟はなにを考えながら死を待っていたのか。コブクロからはじまっていた最後のプレイリストは、いったいどの曲まで聴いたところで、弟は息絶えたのか。

葬式は身内だけでやるつもりで、まわりに連絡はしなかったが、弟の勤務先にはそうもいかず、ぼくの素性をしった葬儀屋の薦める最低限の告別式は、ずいぶんと派手になった。弟は来週から出向する予定だった会社副社長通夜にも告別式にもきてくれた。嬉しかった。

弟の死で僕の家族の生活は一変した。結束は強くなったと思う。父親ははじめて酒をやめた。そのつぎの正月ゴールデンウィークにもひさびさに家族が集まって海外旅行にいった。

父親と母親は弟の死を弔うために四国八十八寺のお遍路参りをはじめた。乗り物は使わずに歩いてまわった。さすがに一度にまわるのは老人の足には無理で、2泊3日の旅をなんども繰り返した。徳島県からはじめて高知県の最後の難所の足摺岬をまわったところで、父親は何をおもったのか、帰りに高野山によった。

あとでわかったが、お遍路を全部まわったら、高野山に報告にいくものらしい。徳島高知を終わったわけだから、ちょうど半分のところで最後のゴールにいってしまったことになる。母親はせっかちな父親らしいと笑っていた。

足に疲労がたまったのだろう、東京にもどってきた母親が駅で転倒して、足首を骨折した。

母親入院したので、父親は僕が両親用に買った高層マンション最上階の部屋でひとりで生活することになった。父親は入院している母親にぐちをこぼしていたらしい。早く退院してほしい、あの家はひとりだと広すぎるんや、弟の幽霊が現れて、こわいんや。

父親はやめていた酒をまた飲み始めていた。

ある日、母親から携帯電話があって、父親が連絡つかないから家を見にいってほしいといわれた。またかと思った。

家の扉に鍵はかかっておらず、家中を探すと、父親は浴室で溺れていた。鼻まで水に浸かっていたので生きていないことはすぐにわかった。

入院中の母親車椅子のまま、家にやってきた。

父親は酔っぱらって溺れたのだろう。ちょっとだけ苦しそうな表情をしていたが、幸せそうな顔だ、と母親に告げたが、けっして遺体をみようとはしなかった。

きっと弟の死を発見したときの光景が目に焼き付いていて、そんな思い出を増やしたくないのだろう。僕も父親の死体を見つけたときの記憶はあまりにも強烈で、きっと死ぬまで忘れることはできないと思う。

父親が死んだのを発見した翌日には、JCBホール会社の大きな発表会があった。父親の葬儀はその翌日になったので、やることもそんなにはなかったから発表会の現場には行った。葬儀屋一年前と同じで、僕も葬儀屋も慣れていた。

葬儀が終わってから、僕はいつものさぼり癖が出てきて、会社へはほとんどいかなくなり、ずっと母親と一緒に暮らした。

なんのために会社をつくってがんばってきたんだろうと僕は思う。

会社をつくるときの資本金は親が出した。僕は貯金は1円もなかったからだ。後で聴くと、それは妹の結婚資金だった。米国親会社倒産したときには、倒産した親会社の持ち分を減らして独立した日本会社にするために増資をした。僕が買い増した株の代金は、父親の退職金だった。父親は某大手スーパー子会社で経理をやっていて、定年まであと2年あったが、父親の退職金が必要だったので辞めてもらった。僕の会社には経理の経験者もいなかったので経理もやってほしかったというのもある。

父親が30年以上勤務して、最後に得た退職金は、僕の会社の3ヶ月分の運転資金となって消えた。

僕の人生の中で後悔している最悪の決断会社をつくったことだ。僕は人生最大のギャンブル家族と両親の人生そのものに等しいお金を賭けて勝負した。本当は賭けていいようなお金ではなかった。本当はやっていけないギャンブルだった。

結局のところ、僕の会社は数年後に上場を果たしたから、賭けには勝ったことになるのだろう。だからといって卑怯なギャンブルの罪が消えるわけではない。起業した時に、結果的に成功するまでの道筋は、僕にはまったく読めていなかった。

会社をつくってまもなく僕は自分の判断の間違いに気づいた。生まれてこのかた好きなことしかやらず、努力なんてしなかった僕は、なにかを成し遂げるためではなく、会社をつぶさないためだけに睡眠時間も削って働いた。

自分ひとりのことだったら、どこかで投げ出して逃げていたと思う。でも、僕が失敗したあとの両親の悲惨な老後を考えるとできなかった。会社をつくったときに万が一失敗したときにだれにも迷惑がかからないように相棒と一緒に生命保険を掛けた。最初、1億円で翌年は2億円に増やした。日本では会社が大きくなればなるほど、借金リスクも増えていく仕組みになっている。勝負に勝っても、そのままダブルアップで賭けつづけることを強制されているギャンブルのようなものだ。2億円あっても全然、会社を整理するには全然足らない規模に成長したため、上場できるか、できなければ、いずれ一家で破滅するか、そういうゲームになった。

上場の準備を進める中で、父親は仕事を外された。創業者の近親者が経理をやっているのはまずいと証券会社に指摘されたからだ。定年間際まで勤めた会社を辞めて息子の会社を手伝い資金まで提供した父親は息子の会社で居場所を失った。父親が勤めていた某大手スーパーは、いくつかの同族企業合併してできた企業派閥争いが絶えなかった。どこの派閥にも属さない父親はずいぶんと嫌な思いをたくさんしてきたようだ。ずっと傍流で冷や飯ぐらいだったサラリーマン人生の最後で、父親はやっと息子の会社で念願だったろう主流派の一員に加わることができた。それも長くはつづかなかったわけだ。

後ろ盾のいないサラリーマン人生で父親はきっと言い訳ばっかりさせられていたのだと思う。父親の話には論理的に一貫しておらず何を説明しているのか要領を得ないところがあった。能力的にもいまの会社にはふさわしくないと僕は判断し、父親を切ることに同意した。

父親はよっぽど仕事をしたかったのだと思う。やるべき仕事がなくなっても、一所懸命自分データを集めてつくった会社資金繰り表や損益計算書を僕のところにもってきては、会社問題点を指摘しようとした。

僕は、もうそんなことはしなくていいと、父親がつくった資料もろくろく見ないで突き返した。

1年、2年たつと諦めて、会社にもあまりこなくなった。暇をつくるのが怖いのかのように隙間無くカレンダー母親との旅行の予定で埋めた。

会社にあまりこなくなってからも母親には仕事への未練を話していたらしい。息子のために自分会社に必要だから、また仕事をしようと思うと定期的に言い出す父親を、そのたびに母親は、もうやめなさい、と諫めていたそうだ。

お金の心配はせんでようなったけど、あんま幸せにはなれんなあと、ことあるごとに父親は愚痴をこぼしていたらしい。

弟と父が死んで、母親と暮らすようになって、そういう話を何度も僕はきいた。

僕は両親の人生を担保にしてゲームをして、そして勝った。勝利の証しとして得た報酬はそういう現実だったらしい。

何のために生きているのか、何のために頑張って仕事をしているのか、自分自身のことだけでいえば、死ぬまでのたんなる暇つぶしだ。別になにか世の中を変えようとか、大きなことをしたいという使命感なんてない。ただ、僕のまわりにいる好きなひとたちが、僕を必要としてくれているから、自分ができる芸を精一杯見せているにすぎない。

僕の望みは、まわりにいるひとたちの幸せのなかで生きたいということだけだ。

でも、僕の一番の身内のふたりは死んだ。あまり幸福にはできないまま死んでしまった。

僕には他人を観察してすぐに値踏みしたがる癖がある。子供の頃から父親や弟と自分がどっちが優れているかを何度も値踏みした。最終的には大差ないという結論をだした。僕もだらしない父親が嫌いだったが、同じ部分は僕にもあり、父親と同じ人生を生きていたらやはり同じようになっただろう。弟も同じで頭の回転も似たようなもんだった。弟も「自分と兄は得意なものが違う。勉強は兄よりもできないがプライベートでは自分のほうが上だ」と高校の時ぐらいからいっていた。僕もそのとおりだと思う。そもそも人間なんて環境がつくるものだ。本来の素質に意味ある優劣なんてさほどない。

でも、現実世界では、僕は弟の相談は上から目線で笑い飛ばし、父親の仕事は奪った。

弟のことはあまりにも知らなすぎた。何を考えて、何が好きだったのか、何をしたかったのか。

本当に死ぬしかなかったのか。たとえ時計の針をもどせても、なにをすればよかったのかまったく想像はつかない。

人付き合いは弟のほうがよっぽどうまかった。死を選んだ人間が最後の相談相手として選んだほど弟は信頼されていた。過去にもどれたとしても僕が弟に与えてやれるとしたら、仕事アドバイスお金だけだ。弟はブランド品が好きだったし、きっと僕なんかよりも贅沢なお金の使い方はしっていただろう。人間ダメになると母親は僕が弟や妹にお金を渡すことは許さなかったが、金まみれにしてダメ人間になっても生きていてくれるのならそのほうがよかった。そんな貧しい後悔しか僕には思いつかない。

母親は命をかけて弟を産んだ。占い師は、将来、兄を助けるのが弟の運命だと予言した。弟の存在は僕にとってなんだったのか。補佐してくれるんじゃなかったのか。

弟が死によって、僕を助けるのであったとしたら、そして、僕の仕事が世の中にとって意味があるものだとしたら、きっと僕は弟の死に触発されてなにかをしないといけないのだろうと思う。

父や弟には幸せな居場所を与えることはできなかったが、僕の仕事でたとえ赤の他人であっても、よりどころになる居場所をつくることができるなら、多少は心が救われる。

弟が死んだとき、親戚は、このことはあまり話さない方がいいと助言してくれた。話すべきことじゃないといわれた。

でも、たんなる感傷にすぎないのかもしれないが、僕のことをしっていてくれたり、僕の仕事を評価してくれているひとには父と弟のことを話したいと思った。そうして、このエントリをいま書いている。

死なんてものは世の中にありふれている。僕にとって特別なふたつの死も他人には関係のないはなしだ。

父と弟の話を書いても、ネットの中に埋もれて、僕のまわりのひとすら見つけられないのはさみしい。そう思って2ヶ月ほど前にブログをはじめた。僕に少しでも関心をもってもらえそうな話なんて、あたりまえだが仕事しかない。そもそも仕事の話以外に自分にはとりえもなければ、価値もない。弟のいうとうりだ。父親の納骨で区切りをつけてこのエントリをあげるつもりだったが、ブログに予定外の反響があったことや、僕自身のためらいもあって、それから1ヶ月以上たってしまった。

結局、いろいろ手垢のついてしまったブログに書くのも違うと思って増田にしました。

僕の仕事に興味があってブログを見に来ていたみなさん、最後にこんな文章を読ませてしまってすみません。でも、これが僕が聞いてもらいたかった話です。

最後まで読んでいただいて本当にありがとうございました

2008-09-09

出産

すごい難産出産に20年くらいかかったら、生まれた子供ゼロ歳児?成人?

2007-11-18

個人史は終焉しない。続く。

ある個人氏の終焉、と言う文章を先日読んだ。男女が出会い子供妊娠した、と言う話だ。

私は十代のころに子宮筋腫が出来、そして手術を受けた。不妊の傾向はあるだろう、と言う診断もその時受け、定期的に通院している。

私は子どもの頃から、よく人のことを聞く人間だった。勉強はするもので、ご飯は食べるもので、部屋は綺麗にするもので、結果は収めるものである、と。自分の生の意味を考え始めたのは思春期の頃だ。大概、親のために、社会のために。上手に生きるため、に収束した。私は常に落胆した。酷く憂鬱に毎日を暮らした。したいことは何も無かった。酒を飲み、寝て、本を読んだ。しかし私は何者にもなれなかったし、ならなかった。なる事を選ぶことすらしなかった、出来なかった。

学生のころに恋人と暮らすようになった。恋人といると安心はした。しかし、恋人は私の生に意味を与えてはくれない。私はその、その人が体験する、一部の風景でしかない。せいぜい、美しく、楽しく、心和ます、そして少し何かを感じたり勉強になる風景でしかない。過ぎていく風景恋愛、と言うのは突き詰めればそれだけでしかない。恋人は幾人か移り変わっていた。

そのうちに社会人になった。ある日に妊娠した。腹部の腫れを感じ病院に行ったら妊娠を告げられた。恋人が「結婚しよう」と言った。私はその笑顔で小さな不安をかき消し「ありがとう」と返事をした。私が、子宮が鉛のような私が。妊娠するとは。

感動はした。したのだ。しかし、その感動は、自分の生に意味が初めて与えられたように思ったからだ。しかしそれは同時に危険な考えだ、と私は思った。生に意味なんか、元々無いのだ。無い。意味を欲しがりすぎて、自分の憂鬱を晴らしたくて、胎児に、子供にそれを負わせるのか筋違いだ…ただ私はセックスをしただけなのだ。もちろん、相手を愛してはいたが。一月、二月と月日が過ぎた。体調の変化が訪れた。私は食事が出来なくなり痩せた。手に骨が浮き、顔が白く、醜い妊婦になった。毎日変わる体調。子宮のせいか、早産の疑いがあると言うことで仕事休職した。

私は家で、一人、自分と世界を初めて繋ぐように思える胎児を体内で育て続けた。

七、八ヶ月に胎児が動きはじめた。腹部を、足で内側から蹴られた。どし、どし。出せ、出せ。彼か、彼女か。私の中の胎児が生きているのを感じた。私に対する周囲の人の反応も、おなかが目立つにつれ変わっていた。母親、と言う肩書きが社会から与えられた。私は、何者かになった。しかし私の頭の中では、私自身ではいまだ私は、私でしかなく何者ですらなかった。私は焦った。母親になることを。

十ヶ月、子供出産した。酷い難産の末に子供が生まれた。子供が私の体内から出たときしばらく泣かなかった。気道がつまっていた。私は思わず喚いていた。助けて、赤ちゃんを!お願いだから!私は自分のために叫んだのだろうか。

出産した日の夜、母親が私のそばで付き添って寝ていた。私は体中の激痛と疼痛、全てにうめいていた。そして自分が、子供を、まるで自分の心の拠り所にしてしまいやしないだろうか、という不安に押しつぶされていた。母親に私は話しかけた。「お母さん」母は答えなかった。寝息が聞こえた。安心したような安らかな寝息。私は一人で声を押し殺して泣いた。

私が何者かであれば、子供をそんな風に思わずにすんだのかもしれないのに。私なんかの元に、子どもが生まれて幸せになれるんだろうか。母親が突然言った。「かわいかったねえ」私はどうしたらいいんだろう。私はもっと早くに、何もせずに、死ぬべきだったんじゃないんだろうか。でも今はもうそれも、許されない。

悩む暇もなく子育てが始まった。乳をやり、オムツを替える。お風呂に入れる。子供の体はグニャグニャしていて、そして良く動く。三時間ごとに乳をやる。休む時間寝る時間も無い。疲労が蓄積した。子供は実際さほどかわいくは無かった。変な赤いグニャグニャだった。しかし、熱かった。命がつまっているかのように熱く赤く、やたらに泣いた。そして何者で無い私を、私だけに縋り付いた。私の乳にむしゃぶりついていた。

私が動物だからか、人間だからか、子供に対して初めて、激しい、愛着ともいえない、胸を締め付けるような何かが、沸き起こった。

数日後に退院して家に帰った。帰った私と子供に、夫はとても正直に言った「なんか変なのが来た」私もそう思った。そうなのだ、変な何かなのだ。よく解らない何かなのだ。現時点では。

周囲の大人たちは、口々にかわいいといい、子供を褒めた。そして子供が生まれたことはよいことだ、良かった、嬉しい、と言った。私はそうですね、と返事した。そして笑った。夫が居てよかった。私は何かを生んだだけなのだ、と言うことを忘れたくなかった。そしてそれは私が私と夫だけが、息子の誕生を喜びたかったのだ。何者かになりたくない。

数ヶ月たって、夫が急に言った「あ、こいつ、息子は、俺の、子供なんだな」この人は今、初めて父親であると言うことに気付いたんだろう。夫は仕事転職した。私は賛成した。夫と喧嘩する事が急激に減った。

息子は今、七歳になった。私は今も、相変わらず何者でもない、と思っている。息子に持たれかからないように、いつも思っている。息子は私の何かではない。私の人生は、私の個人史は、息子が生まれたことで確かに意味を持った、と思う。そしてそう思われる。しかし、息子は私のものでは絶対にない。息子は成長するにつれ自我を持ち自分の意志を表すようになった。息子は自分の人生を生きていく。私は自分の人生を生きていく。個人史は終わらない。

私は風景ではない。夫と息子と長く暮らすうちにそう思うようになった。かつての恋人たちに対して、私は風景であり、一種の彩のようにしか思っていなかった。しかし、そうではない。人生は、時間は一人一人の、それでしかないものだ。それは時折交差する。通り過ぎるだけの風景ではなく、ぶつかって、形を、向きを、何かをお互いに変えたのだ。

私は、自分が生きる意味を理解した。それは私が生きる事自体にあるのだ、と。意味を与えるのではない。ここにただいることだけで、意味があるのだ、少なくとも私にとっては。そしてそれで十分である。



http://neo.g.hatena.ne.jp/nitino/20071203/1196688268

2007-08-19

07 :名無しさん@八周年:2007/08/06(月) 13:01:48 ID:IPg1UWNb0

オランダ  サンティン・アムステルダム市長 (1994年内務大臣)

「本当に悪いのは侵略して権力を振るっていた西欧人の方です。日本は敗戦

したが、その東亜解放は実現した。即ち日本軍戦勝国の全てを東亜から

追放して終わった。その結果、アジア民族は各々独立を達成した。日本

功績は偉大であり、血を流して闘ったあなた方こそ最高の功労者です。自分

をさげすむことを止め、その誇りを取り戻すべきであります。」

タイ  ククリット・プラモード 元首相

日本のお陰でアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産

して母体をそこなったが生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南ア

ア諸国民アメリカイギリスと対等に話ができるのは一体誰のお陰であるのか。

それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあった為である。

12月8日は我々に、この重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して

重大決意された日である。更に8月15日は我々の大切なお母さんが病の床

に伏した日である。我々この2つの日を忘れてはならない。」

マレーシア  ラジャー・ダト・ノンチック 元上院議員

「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。敗れ

て逃げてゆく英軍を見た時に今まで感じたことのない興奮を覚えました。

しかもマレーシアを占領した日本軍日本植民地としないで将来のそれぞ

れの国の独立と発展の為に、それぞれの民族国語を普及させ青少年の教

育をおこなってくれたのです。」

マレーシア  ガザリー・シャフィー 元外務大臣

日本はどんな悪い事をしたと言うのか。大東亜戦争マレー半島を南下した

時の日本軍は凄かった。わずか3ヶ月でシンガポールを陥落させ、我々にはと

てもかなわないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。私はまだ若かったが、

あの時は神の軍隊がやってきたと思っていた。日本は敗れたが英軍は再び取

り返すことができずマレーシアは独立したのだ。」

ttp://shupla.w-jp.net/datas/flash/vip1219.html

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