はてなキーワード: 通過儀礼とは
入学して間もない放課後、新入生はグラウンドに集められ、大声で校歌やら応援歌やらを歌わされた。上級生の応援団員が長ラン(学ランの裾が長いヤツ)に高下駄履いて竹刀でバシバシ地面を叩きながら、声が小さいと威嚇してくる。蹲踞の姿勢で小一時間、応援の拍手が合わないと、また竹刀を振り回す団員に威嚇され、何度もやり直しさせられる。恐怖とプレッシャーの2週間に耐え、謎の連帯感が生まれ、達成感らしきものを共有する…
戦前から続いていたらしい新入生の通過儀礼(ちなみにワタシの入学年は平成である)だったが、いつのまにか廃止になったと風の便りに聞いた。
たしかに今あれをやったら、まぁ大変なことになるだろうなと思うのと同時に、当時あれを許容していた大人達は凄いなとも思った。
シーズンの変り目にダイヤtier以上をいったんプラチナ以下に落として、上位ランクの健全化をはかるって目的はわかるが、アンランクド(とゴールド以下)でそれをやらせる意味はあるのかと度々思う
アンランクドがランクドに行くと、まずいきなりsilver〜plat帯にぶちこまれて罵詈雑言を浴びせかけられるのが通過儀礼になってる訳だが、これに対する対策をriotは全く取ってない
サモナーLvが30になるまでノマかARAMしかやってない連中が、本当にsilver〜plat帯で戦えるだけの力をつけてるとRiotが判断してるとしたら、smurfを含めた統計だけを見てそう判断してるとしか思えない
上位tierから見ても、試合に振り分け中のアンランクドが混ざるのは不愉快なことだ
まずひっぱたいてみて起き上がってきた奴だけを迎え入れるって、日本古来の職人育成法を取り入れているつもりなのだろうか
(https://boards.jp.leagueoflegends.com/ja/c/game-discussion/xVO6WeJe-ioiczczisaiza?show=flat
この問題について、ボード監視員のLotan君は、ランクはやりたい人がやればいいの一言でこの手の全ての議論に答えている ランクド人口の増加はプロ選手の質の向上、ひいてはサーバー全体の活性化にそのまま繋がっていくと思うのだが… 少なくともRiotのJP支部は自発的に日本鯖を発展させる気は皆無のようだ)
それと、ゴールド以下は普通に前シーズンから引き継いでもさしたる問題はないんじゃないか、と思う
新シーズン後のtierの決定は前シーズンのtierの影響による部分が9割ぐらいなので、だいたいのサモナーは作業的に10戦をこなし、振り分けられたあとも元のtierに戻ってやっと本番、といった感じではないだろうか
バイトとlolしかやることのないクソ暇な大学生とかフリーターなら大差はないのかもしれないが、最初の10戦をLPの増減に関わる試合にできたらそっちの方がよっぽど有意義じゃないか?
いわゆる低学歴と貧困の連鎖というなんとなくでもイメージできるような、あの教育格差が生じてしまう理由。
よく言われているものとして
勉強に興味がない
などがあるが、これら以外に、見落とされがちな理由を発見した。
「親がテレビやギャンブルなどの即物的な娯楽にしか興味がない」「家庭内で勉強や読書といったものにこだわりがない」そんな家庭だとああいった無頓着な低学歴を生み出すのだと思われる。
「家には漫画や雑誌以外の本がほとんどない」と揶揄されるようなこと、つまり「親の知的水準をそのまま引き継いでいる」という事象が起こっているのだ。
親が教養や勉強にこだわりを持ち、知的環境に気を使っているような家庭の子どもは、たとえ試験勉強のガリベンでなくても、自然とそこそこの成績があげられるように育っている。
筆者自身、親兄弟に学問の高みを教えられることなく、また環境から学習することなく育ち、大学に入ったあたりでようやく学問や教養の気の使い方とは何かということを学習できた経験がある。
また、家庭環境と類似して、勉強に興味がある友人がいないというのも一因と考えられるだろう。
思春期においての成長過程で、知的好奇心を追求するという定番の通過儀礼を体験してこなかったのである。
よって、ヤンキーの学歴が底辺な理由として、「環境」にそもそもの大きな要因があるし、これが派生して「勉強に興味がない→金をかけない」というプロセスにも至るのだと説明ができる。
以上、教育格差の話でした。
https://anond.hatelabo.jp/20171226162206
せっかくたくさんコメントをもらえたので、迷える童貞たちの疑問に答えてあげよう。
微笑ましいほど童貞の感想だね。童貞をいじるのは馬鹿にしているわけじゃなくて、いろんな経験をしてこれから先の長い人生を生き抜く自信をつけてほしい、という想いが根底にある。まとめサイトなんか見てるとさ、風俗で脱童貞してその素晴らしさを語る奴が定期的に出てくるだろ? 童貞で悩むくらいなら風俗行けってのはホントなんだよ。
Q2:童貞を簡単に捨てられるのに通過儀礼とするのは矛盾では?
世の中は矛盾だらけで、その矛盾が許せないから童貞なんだと思う。童貞を捨てるのは簡単とは言っても、越えなければならないハードルは山ほどある。どんな格好をしてどんな店に行くのか、評判はいいのか、知り合いに見られたら? どのタイミングで童貞と告白すべきか? これは成人として認められるための通過儀礼にふさわしいミッションだ。
BuzzFeedやハフポに載ったはあちゅうのインタビュー記事、そこについたブックマークのコメント欄を見てみろ。童貞というキーワードにだけ脊髄反射した童貞たちが、自分の童貞は棚に上げて叩きやすいはあちゅうを叩き、社会に蔓延るセクハラやパワハラには向き合おうともしない。これを迷惑と言わずに何と言う?
ある表現がセクハラかどうか童貞には分からなくても無理はない。上司から部下のようにパワハラを含むものはダメだし、もちろんTPOも重要。ツイッターでは許されてもリアルでは許されない表現もある。はあちゅうの表現は、セクハラとまでは言えないかな。線引きするならば、あえて童貞であり続けること、キャラとしての童貞へのリスペクトが含まれているかどうか、だと思う。
自分の努力で解決できる童貞とLGBTとでは全く性質が異なる。その違いが分からない童貞は真面目に終わってると思う。童貞いじりだって、努力だけでは解決できない童貞まで笑おうとはしていない。たとえるならコーラをうまそうに飲むCMを糖尿病の人が見てしまうことはあるが、これはコーラを飲めるほとんどの人に向けた表現であると文脈から察してくれるはずだ。
はあちゅうを叩いてる童貞ども。そろそろ自分たちが踊らされていると気付け。
はてな民にここまで ガ チ 童 貞 が多いのは何なんだろうね。
何も分かってない童貞たちのために、俺様が年末の貴重な時間を割いて説明してやるよ。
まず、童貞いじりは「表現」と認められるべきか? これはイエスだ。童貞など本人の意志ですぐにでも今夜にでも捨てられるからだ。質の悪いフェミが耳障りのいい言説で表現規制を持ち込もうと暗躍しているが、童貞諸氏はこの手の甘言に乗せられないように。
童貞って、本当は恥ずべきことなんだよ。はあちゅうは童貞をネタとして笑いに変えてくれるけどさ、優しく言ってくれてるうちに自分で気が付こうよ。
よくいるのが、性行為がそんなに重要なのか?と反発する奴。違う、そうじゃない。LINE役員氏は生物としてとか人口維持とか言ってるが、そもそも避妊してるから関係ない。
性行為自体にとらわれすぎて本質を見失ってはいけない。本質とは、性行為に持ち込むまでの「スキルセット」を証明することにある。童貞を捨てることは「大人になる」とも言う。つまり成人として認められるために社会の通過儀礼を済ませるということなんだ。
ポリコレ大好きなアメリカでさえ、いい年して童貞のままだとゲイと疑われ、からかいの対象になる。別に本当にゲイならいいんだよ。やむを得ない事情がある人を馬鹿にしてるわけじゃない。そこはいくら童貞でも文脈から察しろ。
まあでも通過儀礼にはだいたい裏口があるから安心していい。「ソープへ行け」の名言通り、日本では安全でコスパのいい風俗店がチート級の救済措置になっている。この点で日本はアメリカより は る か に イージーモードだ。むしろ日本では童貞であり続けることのほうが難しい。。。
はあちゅうが「裏口入学」を認めるかどうかは一度聞いてみたいところだが、日本で普通に生きてれば童貞の「卒業証書」は簡単にもらえる。その気になればすぐやれるのにやらない奴らは、自ら童貞を望んでいるとしか思えないわな。果たして童貞にどんなメリットや価値があるのか。「ねぇねぇ、なんで童貞って童貞なの?」と聞きたくなるわけだ。
これで童貞がいじられる正当な理由があることは分かったとして、はあちゅうが童貞をしつこくいじり続ける理由も考えてみたい。まずはマーケティングのためだろう。はあちゅうの支持層はスイーツと思われがちだが、実は違う。いくらスイーツでも自分たちが活字ばかりの本を読むのが苦手なことくらいは知っている。つまりはあちゅう本のメイン読者は、はあちゅうのスカートを覗きたいと妄想してるような童貞たちなんだよ!
だがそれが真実だとしても、もっと童貞を気持ち良くさせる耳障りのいい言葉でも振りまいたほうが得策ではないのか。そこははあちゅうなりに、親近感を演出しているのかもしれない。芸能人がYouTubeやコミケに「降りてくる」ようなもので、あのクラスの人がこんなところに来てくれたという親しみを与えられる。どんなに売れてもお高くとまることなく、手の届く距離から下世話な童貞ネタでいじってくれる。これが童貞たちにブクマさせるコツなんだろう。
追記:
耳障りのいい、という表現は間違っていた。教えてくれてありがとな、童貞さん。
追記2:
社会が混乱し、成人化の展望を見出すことができない新社会人や大学生は、成人への通過儀礼にこぎつけた高校生を見て、「ずるい者が生き残る」との絶望感を深めている。反対に、何とか人生を軌道に乗せつつある高校生たちは、いまなお洗脳社会を拒む人たちを「甘えている」と非難し、ときには平然と「障碍者」呼ばわりする。それぞれが個別に困難な事情を抱えていることを、互いに考慮し合うことはない。こんな環境で高校生の心が荒廃していくのは、決して難しいことではない。
仕事の出張先で、出張先に近い高校とそれとは別の高校生との間の、バイクを巡るトラブルを取材したことがある。前者は「公共交通の混雑で迷惑かけるな」と苦情を言う。後者は「どうして子ども扱いされているか理由がわかっていない」と応酬する。「免許を必要としていなければ持ってすらいない」「代わりなどいくらでもある。知恵がないだけだ」と、泥沼の罵り合いになっていた。
高校生が二輪車に乗らないものは、公共交通の持続化という側面もあるのだが、大半の高校生は、そこまで忖度できる心境ではなくなっている。高校生が変わり者だったり持病を抱えていると、たとえ本人に礼儀正しさがあっても、大人のほうが嫌悪する。乗らない高校生も自身が半分大人扱いされる社会で暮らしているのだから、それはよくわかっているはずなのに、容赦のない言葉を投げつける。2010年代以降にしきりに言われた「18才選挙権で高校生・大学生も大人の仲間入り」などという言葉は、いまさら空々しくて、誰も口にしない。
こんなにも彼らの心が荒廃してしまった理由は、わざわざ指摘するまでもない。昨日まで子供の世界に生きていた人たちが、一瞬に大人の社会に引きずり出されたネオリベの不条理。それを被った人々の間には「格差ならざる格差」が生まれ、是正どころか日に日に広がっている。高校生以外は、忘れることだけは「熱心」だ。大人があけた満員電車のスペースは高校生のためではなく、「自分は何て優しいんだろう」と自己陶酔するために退いたのではないかとさえ思う。仕事の合間に取材を続けていると「まだ気に入らないのか」とよく言われる。「お前は中高年か」とも、何度尋ねられたことだろう。高校生に支援も同情もしない、残酷な社会がそこにある。
これらを目のあたりにして、大人を信じられない、頼れない、との絶望感を高校生が抱いた、オートバイを操る高校生の復権は、その果ての人心の荒廃の象徴であること以外に、理由などあり得ない。東日本大震災は、原発事故や津波などによる多大なる爪痕を残したのだけではなく、大人という国民の属性・信頼性といったものを(最初からそんなものがあったのかとも思うが)、根底から揺るがした。それは、チェルノブイリ原発事故の後、適切な対策をとれずに自ら威信を失墜させ、なす術なく滅んでいったソ連の末期の姿と、よく似ている。
大学生や高校生の心がこれだけ荒廃して、一般人が無縁でいられるはずはない。大人の間の格差は、それぞれの子供たちの格差となって、学校社会という場で露骨に現れる。震災後の日本では、免許の有無や車やバイクの好き嫌いがきっかけで、喧嘩になることが増えたという。洗脳社会によるストレスや、格差を生んだ大人社会の眼差しの反映だ。私も以前、二輪車乗りの高校生のいる高校の近くの街で、荒んだ目をした自転車乗りたちに突然絡まれ、無視していたら追いかけられたことがある。以来、そのような高校周辺は、夜のコンビニの前などでたむろしている自転車乗りたちのそばへは、決して不用意には近づかない。
ほら飲み事の2軒目とかって、スナック行くじゃん
飲みに誘われたら自然の流れというか、そう通過儀礼の様にあたかも何も無かったかのように
皆がスナックに足を向ける。私もその内のひとりなんだ
でね、35手前くらいの姉ちゃんで小奇麗な感じの子ってよくいるじゃん
なんでか結構仲良くなったりして、色々話しているとだいたい×があったりってのが多すぎるのよね
なんでなんだよ なんでなんだよ
話は飛躍するけど、万一付き合ったりするじゃない
でもね、こちとら独身でさすがに最初から×の人と一緒になりたくない
しかしながら、可愛い そう可愛いのだ 大人の魅力というのだろうか
そんな中で揺れに揺れる私の心たち
いったいどの道が正解なのか
やはり、飲み屋の女の子なんて止めておけってのが大半なのだろうか?
そう、私を止めてください
①親が子供を苛めて憂さ晴らし→甘やかすか、試練を与えるかの違い。苛められた動物は生存能力が強化される研究結果。長寿化で生涯に費やす消費額はさらに伸び需要喚起により経済効果も。
②歩行者横断中でもどんどん車やバイク通行、加速。→目的地に少しでも早く到着し経済を回すスピードの高速化により、日本経済悪化を食い止めている。弱肉強食の体現で社会の競争力を高めている。
③各種ハラスメントで弱者を苛める。→弱肉強食の体現と弱者に試練を与え生存能力を高める指導効果。自身のストレス発散により開放的な消費動向に変わり経済効果も。弱者にストレス与え、アニメやSNSほか欲求代替やストレス発散消費で経済効果。
④葬式や結婚、通過儀礼の価格競争によりワンコイン葬式など厳かな儀式のカジュアル化→価格競争により新サービス創出。行き詰まった日本経済に光を与える独創性。世界からの評価であるクレイジージャパンのブランド力を高め観光需要を喚起する。総合的に経済効果が高い。
迷惑をかけるほど、サービスが創出される。対処にコストがかかる。それにより経済が活性化される。以上により、アンモラルは経済国家を支える重要な資質。子どもたちには幼い頃から身につけさせるべき朕である。
アンモラル達成度が低い子どもは少年法により厳しく規制し、将来世界に羽ばたく日本人として恥ずかしくない競争力のある人材に育成するのが経済国家として好ましい。
ハリウッド映画でも、大作ゲームでもそうなんだけど、なんでアメリカ産のエンターテイメントって「父と息子の物語」が多いんだろうか。
(沢山あるけど、とりあえずスターウォーズEp4辺りを想像してください)
「通過儀礼としての父殺し」、つまり父親を超克することによって共同体で一人前と見做されると言う神話的原型があるのは分かるけど、神話の数多い形の一つなわけで。
父と娘、母と息子、母と娘、の組み合わせはあまりにも少ない。
そして「父と息子の物語」における母親の存在感は希薄だ。離婚しているのは上等な方で、すでに死んだと語られるか、下手すると語られもしない。
そして「息子」に姉妹のいることも稀で、兄弟がいるか、一人っ子。
こう言う物語が多いと言うことは、アメリカ人にはウケるのだろうけど、なんでアメリカ人は「父と息子の物語」が好きなのか、スッキリとした説明が欲しいのだけど見つからない。